矢上麗華@土場藩国さんからのご依頼品


宰相府藩国、ハイマイル区画。
その中央部の一角に、矢上爽一郎のオフィス兼自宅はある。
二十世紀中ごろのマンハッタンを思わせるその黒く堅牢な建築物は、摩天楼の中にあってもひと際目立つ存在であった。
それは近年経済分野で頭角を現しつつある矢上爽一郎の邸宅であると言うだけでなく、クラシカルであるにも拘らず手入れが行き届いたその外観に負う所も大きいのだろう。
元々ハイマイル建造以前に朽ち果てた銀行を買い取ったと言う経緯を聞けば、多くの人は驚くであろう。
最近は土場藩国にある妻の自宅で過ごすことの多い爽一郎だが、それでもこのオフィスの景観が損なわれることはない。
それは有能な執事がこの場所に常駐し、数人の使用人を指揮して維持管理に心を砕いているからであった。
この執事、ゲームとしてのアイドレスにおいては経済戦の際にわずかに顔を出した程度だが、公人としての爽一郎にとってはなくてはならない存在である。
爽一郎程の人物となれば財界の要人を自宅へ招いれてのパーティやロビー活動も少なくない。
そう言った時の飲食物や内装などは爽一郎の手に負えるものではないし、ましてや応接間や広間に指先ほどの埃があるなど言語道断である。
加えて、アポイントを求める際の仲介や宰相府藩国に不在であるときの代理応対なども必要となる。
これらすべてを一手に担うのが、この歳若い燕尾服の執事であった。
82808002、ターン12の終わり。
この日も彼は、主人である爽一郎を輔弼するべく忙しく、しかし優雅に歩き回っていた。

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爽一郎邸の一日~株トレーダーの愉快な使用人達

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「爽一郎様」
「何だ?」
書斎の端末で目を落としたまま、爽一郎は答える。
ある意味失礼な爽一郎の態度だが、彼と執事にとってはこれが普通のやり取りであった。
「そろそろお出かけの時間でございます」
「ああ、もうそんな時間か。すまない、ありがとう」
ゆったりとした椅子から爽一郎が立ち上がり、執事が上着と鞄を差し出す。
明日は彼の妻・麗華の誕生日である。夫としては何をおいても妻と過ごさなければならない一日であった。
上着と鞄を受け取り、爽一郎は書斎を出た。
それに付き従い、執事の青年が続く。
こうして並ぶと使用人とはいえ後ろの青年も爽一郎に負けず劣らず男前なのだが、そこはあくまで執事。
ネクタイの色は最近ではとても流行らないような趣味の悪いものだったし、靴も黒いローファーである。
結果として高級ブランドのオートクチュールで固めた爽一郎の仕事姿に比べて、幾分「外れた」印象を与える姿となっている。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
「何時も通り留守は頼む」
玄関で頭を垂れ、執事が爽一郎を送り出す。
矢上爽一郎の、ハイマイルで過ごすもう一つの日常であった。

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それから1時間後。
主不在となった爽一郎邸では、使用人達がささやかな休息に興じていた。
元々銀行だっただけあって、この屋敷には執事だけではなく数人の使用人が住み込みで働いているのである。
「うーん、それにしても爽一郎様は今日明日は奥様と二人っきりかあ。いいなあ」
宴もたけなわとなってきた所で、そばかすが愛らしい年少のメイドが夢見るような表情で呟く。
彼女はセレブカップルである爽一郎と麗華に憧れてメイドになった、屋敷の使用人達でも新任の少女である。
なので、この手の場所で主人夫妻への憧れを表明し「いつかは私も!」と盛り上がるのは別に珍しいことではなかった。
が。
「奥様の誕生日か……そういえば、あのお二人って式上げてらっしゃったっけ?」
そばかすの少女の言葉を受け、背の高いメイドが小さく呟く。
アップにしたブルネットも麗しい彼女は、執事と同時期に雇われたいわば古参のメイドである。
有能で見目麗しく非常にもてるが、恋愛に疎く2X歳にして未だ独身である。
お局さんなどと言ってはいけない。
「……あれ?」
「そう言えば……」
彼女の言葉にほかのメイド達も首をかしげる。
「ログリンク集では見た記憶がないのよねー」
「非公開なのかしら?」
「それらしい記事も待ち合わせBBSではなかったような……」
口々に二人の結婚式について語りだすメイド達。
洗濯物を干した後に空が曇るように、会話は徐々に不穏な方向に向かう。
「でも爽一郎様、指輪つけてらっしゃいませんよね」
場が凍った。
「……ええっと、奥様のご希望らしいですよ」
三十秒が経過したあたりで、さすがに見かねて執事が口を開いた。
彼はこの館では数少ない男性であり、付き合いが長いこともあって爽一郎の個人的な事情にも詳しいのである。
「えええー!」
「ないない、ありえないー!」
「そういうものなのかしら……?」
しかし女性陣の反応は芳しくない。
檻から放たれた兎のような反応に、流石の執事も面食らう。
「ええと、何かおかしいのですか?」
「おかしいですよ!」
「結婚指輪とドレスは女性の憧れなんですよ!」
「私でもまあ指輪くらいはいただけると嬉しいですね」
口々に指輪と結婚について語る女性陣。
ブルネットの彼女ですら指輪は特別なものらしい。
「そういうものなのですか……うーん、以前差し上げようとしたとき奥様が『値段はどうでもいい』と仰られて」
どうもこの辺の感覚は性差なのか、執事はいまいちぴんとこない様子で続ける。
「それ奥様は待ってますよ!」
「値段の問題ではありません、いえ値段も問題ですが!」
「というかそれは奥様とお呼びしていいのかしら……?」
「い、いや私に言われても……」
メイド達の怒涛の勢いに、執事が曖昧な笑顔を浮かべたまま手を振る。
女三人寄ればかしましい、とはよく言ったものである。
「それでプレゼントが花でしょ……指輪のほうがよろしかったんじゃないかしら」
「指輪贈ってても花というのは、その、何というか……」
「ケチってるわけじゃないはずですから、やっぱり爽一郎様って……」
「ははは……キッチンから何かとってきますね」
密度を増したメイドたちの会話から逃げるように、執事が立ち上がる。
「これはやはり……」
「奥様、失礼かもしれないけど可哀想……」
まだまだメイド達のお喋りはとまらない。
徐々に遠くなっていくその声を聞きながら、執事は主人の身を案じた。
自分も女心に明るい方ではないが、こうして考えると爽一郎はかなり危機的な状況にいるのではないだろうか。
不安ではあったが、自分には何もできないことも事実であった。
いかな執事とて、男女の仲まではお世話できないのである。

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おまけ:車中の爽一郎

自宅でメイドたちに好き放題言われているとは露知らず。
爽一郎は、年老いた運転手がハンドルを取るリムジンの車中にあった。
後三十分ほどすれば空港に到着し、特別機で長崎の土場藩国へ向かう事になるだろう。
「……」
この一時間、爽一郎は一言も喋っていなかった。
元々お喋りなたちではなかったが、いつもに増して口数が少ない。
「ほほ、流石に記念日ともなれば緊張されますかな?」
「ん、ああ……そうだな」
そうしていると、向こうから話しかけられた。
この庭師も兼任している老運転手は、屋敷の中では数少ない男性ということもあってか、爽一郎とは割と話をする部類になる。
「よろしいことです。私も妻の誕生日にはずいぶんと気を揉むものですよ」
いかにも好々爺然とした調子で、運転手が言葉を続ける。
そういえば彼には、連れ添って40年ほどになる妻がいたはずだ。
「そういうものか、やはり」
「ええ、一度などプレゼントは買っていたのですが仕事ですっぽかしたことがありましたな。その時はしばらく口を聞いてもらえなかったものです……」
「ふむ……」
あごに指を当て、爽一郎はふと考える。
最近はそれなりにうまくやっているつもりだったが、それで不感症になるとかそういうわけではない。
「中身の入った」デートの前日は、やはりそれなりに緊張するものだ。
そう思うと、目の前の老人の背中が偉大な先達のそれに見えてくる。
「プレゼントは花を買ってきたのだが、こんなものでいいだろうか?」
「そのあたりは好き好きですからなあ……花を贈られて嬉しくない女性というのも早々いないと思いますが。そういえば、式は挙げられないのでしたか?」
「ああ、特にやりたがっているわけでもなさそうだったしな」
爽一郎は指を顎から外して、後部座席に背を預ける。
自分がそれほどセレモニーに興味がない、というのもあったが式は挙げていなかった。
試練後名前もそろえたし、向こうの認識としても問題はないだろう。
「ならばよろしいかと思いますが……女性というのは意外とそういうのに拘りますからなあ」
「そうなのか?」
「ええ、言葉にせずともそう思っている場合もあります」
「ふむ……」
今度は腕を組んでみる。
最近は治安も落ち着いてきたし、式くらいは挙げたほうがいいのだろうか。
しかし、第七世界人で結婚式を挙げているのはむしろ少数派だ。
治安などの外的要因によるものもあるのかと思うが、結婚式というものへのこだわりが薄いのだろうと爽一郎は思っている。
「今は便利な世の中で、リンク集からログが見れますからなあ……改めて振り返ってみるのもよろしいかもしれませんぞ」
「そうだな……」
組んでいた腕を解き、爽一郎は再びシートに体を沈める。
15分ほど、再び沈黙が続く。
「……奥方とはうまく行っているか?」
「その時々ですなあ。長く連れ添っておればそれなりに波風も立ちます。ま、何とかやり過ごしてかれこれ40年も過ぎました」
40年。今の爽一郎には想像もできない長い年数である。
「ふむ」
今度は額に手を当ててみる。
40年になるかはまだわからないが、それでも自分たちは長く人生を共にすることになるだろう。
「まあ、何かしら問題がある場合は大抵男が悪いのです。万が一そうでなくても、そう思っておけばうまく行きます」
爽一郎の心を読んだかのように、運転手が言葉を続ける。
「偉そうなことをわたくしがいうのもなんですが……奥様のお気持ちを考えて、よく話をされることですな」
「隠し事をするな、という事か?」
「いえ、そうではございません。人間生きていれば秘密の一つや二つもできます。ですが、何と申しましょうか……」
運転手は老練そのもという手つきで、ハンドルを器用に切りながら言葉を選んでいる。
「漠然とした言い方で申し訳ありませんが、相手に納得してもらえるようにする事ですな」
静かに、そして鮮やかにリムジンがカーブを曲がる。
「不安とか不満というのは。花についた虫のようなものです。放って置けば広がり、花を駄目にしてしまいます。それと同じで、手間をかけてでも摘み取るのですよ」
車がハイウェイから降り、窓からは砂漠に伸びる長い滑走路が覗いた。
「何も殺虫剤を毎回撒く必要はございません。園外に放り出すなりすればいいのでございます」
「ふむ……まあ、話をするということか」
「ええ、それに尽きます」
花に疎い爽一郎には、今ひとつぴんとこない例えだ。
それでも、話に意味があることはわかった。
いずれわかる日が来るのだろうと少し気楽な気分になり、手を額から外す。
「さてと、空港でございますな」
車が止まった。
運転手が先に車から降り、トランクルームから荷物を取り出して後部座席のドアを開く。
「老人の戯言と思い聞き流してもらえれば幸いでございます。それでは、いってらっしゃいませ」
「いや、参考になった。ありがとう」
荷物を受け取り、爽一郎は歩き出す。
とりあえず、明日は海に行こう。
少しだけ落ち着いた気分で、そう思った。


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製作:アキラ・フィーリ・シグレ艦氏族@FVB
http://cgi.members.interq.or.jp/emerald/ugen/ssc-board38/c-board.cgi?cmd=one;no=1558;id=UP_ita

引渡し日:2008/10/15


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最終更新:2008年10月15日 22:57