NO.40 高原鋼一郎さんからの依頼


「あ…。あ、あ…」

喉から呼気が漏れ、それ以上に心からは後悔が満ち溢れ、己を苛む。目に映る夜明けの船の装甲にこびりつく血の跡は、間違いなく愛しい人のそれである。
そして、海面に彼女の姿は無い。

傾く日の光が船の装甲を赤く照らし、その血を。アララの存在を消そうかとするようにすべてを染め上げる。

何故、目を離したのか。何故、もっと気に掛けて上げられなかったのか。

彼女が弱っていたのは言葉の端々から、動作の拙さより判っていた筈だ。

それなのに…。

「時間がない。手短に言う」

絶望に犯される高原の前に現れたのは、光り輝く1人の男。太っちょで、前髪のみある異相の者。
知恵者と呼ばれる者の姿があった。

「うお、えーとどちら様で…はい」

「アララは松井が保護した。現在保護している」

「どこに行けばいいでしょうか」

「バトルメードを出しておいた。それにコンタクトを取りなさい」

薄れ行く知恵者の姿とは裏腹に、高原の心には希望がはっきりと息づき始める。
まだ、遅くは無い。そう、思う。

「あとアララに、父がよろしくと」

「わかりました。メードさんの名前はってえええええええ」

高原の絶叫と共に知恵者の姿は消える。だが、消えないものが高原の胸には宿っていた。
彼女がまだ生きていると言う希望が。

「バトルメード…誰だか判らないがここにいても何も出来ない、行かねば」

海に向け飛び込み、係留していたボートへ。行く先は小笠原。消えた知恵者の言葉を頼りに、はやる心を抑え今はただ急ぐのみ。

数刻の後、到着した桟橋にはキノウツン藩国で見慣れた服装に近い者たちが数名。

「恐れ入りますが、バトルメードの皆さんでしょうか?」

「おまちしておりました。高原様」

「委細承知しております」

答える二人の内、1人はどう見ても男である。

…まあ女官じゃないけどメイドガイはうちの国にもいるしな…というか今の俺がそうか。

疑問は胸に押し込み、先を促す。

「フェイクトモエリバーを使います。お急ぎでしょうから」
「よろしくお願いします」

頷く女性は指示を出し、高原もそれに答える。座席ベルトを装着し、はやる心を必死でなだめる。
自分がどこに行くかも判らない不安よりも、ただただアララの身が不安だった。

急速に高度が上がり、機体に備え付けられた高度計が700mを示した時だった。
座席が火を噴き、キャノピーを頭でぶち割り射出される。

飛び行く先には、自分が乗っていたものと違うフェイクトモエリバーが悠然と飛んでいる。

悲鳴を上げつつ、慌ててシートベルトを解いて、コクピットのへりに掴まる。一安心と思いきや、空中サーカスは終らない。

機体は即座に背面飛行に移行。振り回される高原に「早く乗り込め」という指示が飛ぶ。

「びっくりした!」

「キャノピーを閉めて」

座席に着いたのも束の間、飛ぶ指示に従いキャノピーを閉め、ベルトを締める。
機体は加速、正常飛行状態に機体を戻すと更なる加速。音速の壁を突き破る。

 /*/

フェイクトモエリバー3機を乗り継ぎ、8時間の後。高原はふらふらになりながら白亜の
宮殿の前に辿り着いていた。

「ふ、ふふふ…流石にここまでは予想できなかった…」

その前に立つ影がある。トーゴだ。渋い、深みのある声で高原を招く。

「こちらです」

「あ、どうもありがとうございます」

何番目のトーゴだろうという疑問を胸に抱き、白に包まれた宮殿をトーゴの後を追う。

「…大神殿、とは違いますね。どこだろうここ」

見回す瞳に映る建物の内壁は雰囲気こそ荘厳ながらも質素。「神聖」というべき空気が流れている。

「内密に。普通の人は立ち入りを許されないのです」

「はい、胸のうちにしまっておきます」

歩いている内に、目前にある大きな壇に目が止まる。何か、惹き付けれれる様に目が吸い付く。

見入る高原の耳にトーゴの声が届く。

「貴方は速かった。彼女が運び込まれる30分は前です」

「何、待つのは男の仕事ですから」

「湯浴みと、ヒゲをそるぐらいは出来ます。いかがですか?」

「髭はまあついでとして、確かに湯浴みはありがたい。ご厚意に感謝します」

厚意に甘え、湯に浸かる。焦燥に浸った体は、一時的には疲労を誤魔化しはしたが、今ゆっくりと本来の疲れを滲み出させていく。

だが、それでもアララが無事である、という安堵は何事にも変えがたい。

…良かった。本当に良かったと、心が震える。やっと、高原は身も心も安堵を得ようとしていた。

/*/

湯上り後、体の火照りに包まれた高原を迎えたのは、ずらっと並んだ様々な洋服の行列であった。
タキシードからカジュアルまで。珍しい所だと民族服や軍服まで揃えてある。

「…着たきり雀には何を着ればいいのやらさっぱりだなこの気遣い」

悩んだ末、黒色のダブルスーツに赤いネクタイを締める。赤であるアララと共に。そんなことも脳裏に浮かべ、締めたネクタイは自分を引き締まらせてくれる気がする。

身支度を済ませて戻った大壇の場所には、寝かされたアララと蒼白な松井、そしてトーゴの姿があった。

「こんにちは、そして感謝を。…夜明けの船から、海に落ちたみたいです。自分で行ったのかはわかんないですが」

「カブで一周していたらこんなものが。嫁くらい、管理してください」

 高原の言葉を受け、呟く松井の声は震え力がない。その瞳の端には涙が浮かんでいる。

「すいません」

「治療は終っています」

その遣り取りをやんわりと遮るかのようにトーゴが声を掛ける。

「ここならば、彼女が眠ることはないでしょう」

「はい、ありがとうございます」

高原の礼に会釈を返し、トーゴは松井を連れて去っていった。残るはアララ高原のみ。

高原は一息吐き、アララに目を向ける。気を失ったまま、小さく声を出す彼女を見て、苦笑する。

「無理してるんなら、ちゃんと言ってください。一人で抱え込まれたほうがずっと
悲しいですから」

声に反応するかのように、アララの長い睫毛が揺れ始める。それは目覚めの兆候。

「あと、さっきは気づかなくてすみません。償いはしますから」

その言葉が終る直前、彼女の目はゆっくりと開かれた。

/*/

光の雪が降り始めたことから、終わりが近いことは判っていた。また、自分は眠りに付き、
目覚めるのは遥かな時の彼方だろう。

なんでもない筈だった。また、同じことの繰り返し。でも…。

 /*/

遠くから声が聞こえる。目覚めを促す声だ。その声は懐かしく愛しい彼の声に似ている。

目覚めたアララの前に居たのは、彼女が愛した高原鋼一郎そっくりの男だった。
本人かもしれない、という甘い考えはまったくなかった。時のゆりかごに抱かれた彼女が、高原と会うことは二度とない筈なのだから。

悲しみと共に、彼と距離を取る。高原本人ではないのだから、安心は出来ない。

「え、何故に下がりますか」

その声、その仕草はあまりにも彼女の愛した高原鋼一郎その人そっくりであった。似過ぎている。でも、彼ではない。とすると、目の前に居るのは…。

「……貴方は」

「貴方は鋼一郎の子孫?」

「どの鋼一郎かは知りませんが、現状アララ・クランと一緒にいる高原鋼一郎は俺しかいないですけどね。あ、時間はそんなに経ってないですよ。夜明けの船にいてから8時間くらいです」

その言葉を理解できない。有り得ない。終末を回避したと言うの? 疑念が渦を巻き、心をかき混ぜる。

「私は眠りについた。8時間、そんな…」

「海に落ちたんですよね。そこまでは少し後で見ましたから」

「1000年先とか」

「今のままで1000年生きる自信は流石にないですよ俺」

そう言って彼が浮かべる苦笑は見慣れたものだった。アララが冗談やモーションを掛けると、決まって彼が浮かべた困ったような笑み。自分のすべてを受け入れてくれる笑み。

そして、気を失う最後に浮かべた彼の顔もまた、その表情をしていた…。

「あ、そうだ。伝言頼まれてたんだ」

「なんで居てくれなかったの」

涙を浮かべ、搾り出すように声を出す。

「…それは、すいません。俺のせいです。借りたものを返すことにこだわりすぎて、
貴方を見ていなかった」

その言葉に目の前が真っ赤になる。この男は、自分が彼との離別の恐怖に必死に耐えていたのに、タオルに気を取られていたのか?!

顔を見ているのも辛い。こんな屈辱は初めてで、悔しくて、情けなくて。彼から顔をそらす。

「そうね。私よりタオル」

「う」

「私の人生の中で最悪の負け方だわ。まさかタオルに負けるなんてっ」

自分の言葉に己の認識を深め、感情が爆発する。溢れ出す涙を止めることは出来ず、とめどなく流れ続ける。
そんな自分を情けない、恰好の悪い女だとどこかで思いつつも、自分はそんな女なのだという自己嫌悪が現状に拍車を掛ける。

今のアララには、自分をコントロールすることが出来なかった。

「無理しないでくださいって、言いましたよ」

言い訳だ。それは欲しい言葉じゃない。近づく気配。

「そんなことはきいてないっ」

「なら、次からは呼んでください。どんな場所にいても呼んでくれれば必ず行きます。そうじゃないと、俺のほうが耐えられませんから」

高原は一息吐く。彼女に思いが届いているか、確認するかのように。泣きじゃくる彼女に思いが届くように願って。

「辛いんですよ? 一番大事な人がいきなりいなくなるのは」

それは欲しかった言葉。いつもオデットに負けながら、いつか誰かの一番に為る事を夢見た彼女が望んだもの。

それでも、それでも心は、体は泣くことを止めない。

「呼んだ…何度も、出せる限りの声で」

「その分の罰は何しても償えませんから、これから一生かけて支払います」

信じていいのだろうか、この男を。でも、鋼一郎は私の欲しい言葉をくれた。なのに、差し出された物を見て、素直になれなくなる。

目の前にはハンカチ。あの憎いタオルと似た代物。悔しさが甦り、なんとか止まりそうだった涙がまた溢れ出す。

「もう、タオルもそんなものも使わない。負けるの嫌だから、本当に嫌だから」

「じゃあ、こうします」

そう言って、涙を拭ってくれた彼の手は温かい。私だけに向けられる優しさ。温かい…。

「だから、俺がいないときには泣かないでください。泣きたくなったら呼んでくれればすぐに駆けつけますから」

「呼んだ」

呟くように。

「次は必ず」

「今も……呼んでる」

でも、心の中では叫ぶように。

「じゃあ、駆けつけます。これが証ですから」

手を取り、口付ける高原。

…ここはそうじゃないでしょ、と思いつつもそれが鋼一郎らしい、と思える。今、確かに彼女は幸せだった。

Fin.


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最終更新:2007年09月25日 21:28