風野緋璃@天領様からのご依頼品
/*本日の終わりに*/
三日前。
ハイマイル区画の一角にある、四月林檎という店で二人の男が食事をとっていた。
片方は老人だ。ただし、その背筋はすっきりと伸び、外見よりもよほどたくましく見える。服はしっとりとした黒色の生地でできた物で、きらびやかな夜景にまじってほどよく映える。
もう片方は普通の男性だった。服装こそ調えているからこの地域にいても見咎められることはないが、特に冴えているという様子もなければ、明らかにわかるような高い服を着ているというわけでもない。
そんな二人は、運ばれてきた料理をあらかた食べて、今はワインを飲んでいた。そしてグラスから口を離すと、老人が聞いた。
「久しぶりに俺が奢られているな。今日の差し手、あれは何だったんだ?」
「少し試したいことがあった」
「こと戦いに関する事で、お前が試していないことはそうないだろう。特にゲームであれば」
「手は、そうかもしれん」
よどみなく答える男の様子に、老人は眼をぱちくりさせた。
「では、試したのはありようか?」
「ノーコメントだ」
「ふむ。そういえば、あの秘書官の……」
「ノーコメントだ」
しばらく沈黙が続く。黙ってワインを飲む男を見て、老人はくつくつと抑え気味に笑った。そして「やはり今日は俺が奢ろう」と言うと、それはさせんと言う男と淡々と言い争うことになった。
そんな――余談のような出来事が、あったかも、しれない。
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ハイマイル区画。ゲートライン、バビロン、ウィンターゲート、ウォーターサイドの四区からなる富裕層のための地区である。高級店が軒を連ねるこの街並みは、夜になっても明かりが絶えることはない。空から俯瞰すれば、それはある種の星系のようにも見えたかもしれない。
きらびやかな街の一角、ウォーターサイド区に四月林檎という名前の店がある。三階建てのレストランであり、広い硝子の壁の向こうには夜景のにじんだ、宝石が埋まっているような海が一望できる。
その二階、窓際の席でラファエロは待っていた。あまり飾り気はないが、充分に高級な服を着込み、静かに座っている。片手にはグラス。中にある鮮やかな液体はまだ半分ほどしか減っていない。約束の時間までどれくらい飲むか、と少し考える。
窓越しに波音まで聞こえてきそうだと思えた頃、足音が近づいてきた。
面を上げる。向かってくるのは一人の女性だった。今日は髪を頭の後ろでとめている。服装はしっとりとしたワンピースドレス。華やかというほどではないが、どちらにせよ、その笑顔の前には服装の華やかさなど及びもつかなかっただろう。
「お待たせ」
そう言って緋璃は向かいの席に座った。彼女を見て、ラファエロは小さく笑う。
「まだ5分前だ」
ラファエロがグラスを片付けさせると、コック長のエイプリルがやってきた。メニューを渡される。緋璃はしばらくメニューを見た後、ラファエロに目を向けてきた。
「地中海料理だ。伊勢海老あたりがうまいかもしれんな」
「地中海で伊勢海老って聞くとなんだか変な感じです」緋璃は苦笑する。「わ、でも海老は好きー」
「コース料理でしたらこちらでどうぞ」すかさずエイプリルが言った。
「まかせる」
ラファエロが言う。エイプリルは微笑んだ後、嬉しそうに下がった。
エイプリルがすっかり下がった後で、緋璃が少し不思議そうに小首をかしげて、聞いた。
「ここ、よく来てるの?」
「たまにだな。皇帝あたりと」
緋璃は頷くと、どう思ったのか、
「そっか。大変だね」
と言った。
ラファエロは何とも言えない感じで黙る。種を明かせばどうというわけでもないのだが……。
きょとんとしている緋璃を見る。考える。
ふむ。
「たいていはやつのおごりだ」
「……さすがに部下に奢らせる王様と言うのもいないと思いますが」くすくすと笑う緋璃。「そじゃなくて、食事までお仕事って疲れそうだなって」
そう考えるのが普通のような気もするのだが、しかし期待を裏切って申し訳ない。そういう話ではないのである。
「チェスの勝敗で決まるな」
楽しそうに笑われた。まあ、いいか。話題を変える事にする。
「スパークリングワインは?」
「んー、炭酸はちょっと苦手。ワインは白なら結構好きだけど」
「甘くないのがいいのか? 甘いのがいいのか?」
「甘いの」
頷くと、ラファエロはボーイを呼んだ。
「カッツ」
しばらくすると、ワインが運ばれてきた。黒猫が描かれた、ブルーのボトルである。
「あれ、猫なんだ」
「ドイツの酒だ。地域で瓶の色が決まる」
話している横でテイスティングがされる。終わると、二人のグラスに注がれた。薄いグラスに、透明の液体。夜の海に溶けた街の明かりが、さらに反射して、きらめいた。
「じゃ、乾杯しよっか」
その言葉にラファエロは微笑むと杯をあげた。
「深い意味もなく」
緋璃はくすくすと笑う。同じく杯をあげてから、口に含んだ。それを見つつ、ラファエロも口に含む。甘い味だった。
「飲みやすいね、これ」
「モーゼルワインだからな。北にいけば味は端麗になる。太陽の光をたくさん浴びすぎると重厚を通り抜ける」
「へー」
その後も、短い話をしながらカッツを飲んでいると、やがて料理が着始めた。まずはスープから。そしてそれに口をつけて少しして、不意に緋璃は面を上げた。
「そだ。今日の服装の感想を言うべし」
ラファエロは彼女を見る。悪戯っぽい笑み。
「似合っている」
「えへ。ちょっと慣れない格好だからねえ」
照れたように顔を赤くする緋璃に、ラファエロは笑みを浮かべると、花束を出した。目を丸くする彼女に、それを渡す。
「花束を持てばもう少し似合うな」
満面の笑みを返される。動揺するラファエロ。表情が変わらないかと妙に心配しながら、窓の外を見た。自分の方は、大丈夫。窓に映った緋璃は、きょとんとしてから同じように窓の外を見た。気付いていないらしい。
ほっとする。
「まあ、そういうときもあるな」
「なにがー」
自分でもよくわからないいいわけをつぶやく。緋璃はくすくす笑いながら聞いてきたが、それには答えない。誤魔化すように口を開いた。
「次の料理は中々うまい」
そして次の料理がやってくる。緑色のソースがかかった白身魚。さっぱりした味つきで、バジルが強い。
「うん、おいしいね」
そう言いながら、彼女はちらちらとこちらを見てくる。しばらくすると会話が無くなり、淡々と食事が進むうちにメインディッシュが来た。大きな海老だった。
「わ、すごいー」
「肉類、獣脂類は抜いている」
「ありがと。気を使わせちゃったね」
窓の外を向いたままラファエロは言った。
「いや……」
しかし、こちらの反応に何を思ったのか、今度は緋璃はじっとこちらを見てきている。
なんとなく気になって、視線を戻した。
「どうした?」
「なんとなく」
「ならいい」
笑いながら答える緋璃に言う。
鼓動がかすかに早くなる。しかし実際には三秒もない時間。
「結婚してくれ」
そしてわずかな間。緊張の加速感が互いの時間はわずかにずらす。
「はい」
「聞こえなかったら、いい」
笑みを浮かべてそう言われるのと、言い訳するようにそう言ったのはほとんど同時だった。
デザートがやってくる。抱きつけないのが残念とつぶやく緋璃を見ないようにして、ジェラートを淡々と食べる。濃厚な味だ。
だから見えなかったが――緋璃はいかにも嬉しそうに笑っていた。
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内心でほっとする。心拍は徐々に平常へ。
なんとなく気恥ずかしい。
しかし、最低でも一つ決まっている。
今日はこっちのおごりだ。
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引渡し日:2008/09/30
最終更新:2008年09月16日 22:37