高原鋼一郎@キノウツン藩国さんからのご依頼品




 私がその人と結婚したのは、1週間ほど前になる。
 何の変哲もない、ただの、地べたすりの男。
 名前を高原鋼一郎という。
 地べたすり相手に、しかも恋愛で負けるなんて思ってもいなかったけれど、私の父が地べたすりであることを考えれば、当然の結果だったのかもしれない。
 でも、後悔はしていない。
 私が高原アララになったことは、私の誇りであり、宝だ。



「ねえ、ここは何なの?」
 1週間ぶりに会った夫によく分からない着物を着せられた私が連れてこられたのは、やっぱりよく分からない場所だった。
 木で作られた家、というのは分かるのだけど。
 二人きりになるには色っぽさが足りないし、観客も多すぎる。
 私は別に見せつけてもいいんだけれど? なんて。
 そうして、あちこちを見回していると、天井で四つ足の物が回っているのを見つけた。
 あれは、何かしら。目を回させるためのもの? と考えて見上げていると、鋼一郎が私の方をじっと見ているのに気づいた。
「どうしたの?」
「いえ、温泉初めてでしたっけ」
 私と似た様な着物を着た鋼一郎が答える。
 視線を彷徨わせているのが、少し気にくわない。見る場所がないなら、私を見ればいいのに。
「ええ。初めてと言うか。はじめてね」
「そうなんですか」
「ええ。それにしても、裾、短くない? これ」
 裾の長さを確かめる素振りで、私は片足を跳ねさせて後ろを見た。
 膝下まであった裾がめくれ上がって、足がもう少しだけ露わになる。見る角度によっては、もっと先まで見えちゃうかもね?
「ちょ、わわわわわ」
 案の定、顔を真っ赤にして慌て始める鋼一郎に、私は少しだけ意地悪く微笑んだ。
「お姉さんの服の下が見たい?」
「ぐふあ……。いやそれは見たいといいますか……いやいやいやいや」
 鋼一郎は床を凝視しながら私の方に寄ると、跪いて、私のめくれ上がった裾を直した。
 まったく、馬鹿なんだから。
 私は鋼一郎の腕を取って立ち上がらせると、そのまま胸に抱きとめた。
 「ぐは」とか「わわわ」とか聞こえた気もするけれど、私はだから、一層強く鋼一郎を抱く腕に力を込めた。
 あら、耳まで真っ赤じゃない。
 こみ上げてくる嬉しさにくすくすと笑いながら、私は鋼一郎の頭にそっと唇を寄せた。
「ど、どうかしました?」
「貴方の奥さんになってよかった」
 一息置いて、らしくない一言を付け足す。
「迷惑かも、しれないけれど」
「迷惑なんて、そんなわけないです」
 言うが早いか、鋼一郎は私の腕をふりほどくと、私を抱きしめた。
 目を閉じて、私はそのまま鋼一郎に体を預ける。
 けれど、それもつかの間。
「あう……」
 少し腕の力が緩んで、私は体を起こして不思議そうに鋼一郎を見た。
「い、いえ、なんでもないです。とりあえず温泉行きましょう」
 まあ、そういうことにしてあげましょうか。
「そうね」
 私は笑って鋼一郎の腕を取った。
 道すがら、たくさんの人が私たちをちらりと見ていく。
 その度に、私はほんの少し鋼一郎に寄りかかって、鋼一郎が困った様に小さく声を上げる。
「そうだ」
 自分でもはっきりと分かるほどの上機嫌で、私は思いついた様に言った。
 今なら少しは、勇気を持って言えるかもしれないから。
 本当に、馬鹿な話だけれど。
「折角結婚したんだし、なんて呼んでもらいたい?」
「え、うーん、考えてなかったです……」
「ダーリン?」
「……人前でそう呼ばれたら恥ずかしいので、勘弁してください……」
 うなだれてさも止めてほしそうに言う鋼一郎に、私は笑いをかみ殺して続けた。
「パパ?」
「それはそれで、戦車とか乗った方々に刺される気が……」
 それから鋼一郎が少し考えて、言った。
「今までどおりに名前でいいですよ」
「じゃあ……」
 私は鋼一郎の腕をぎゅっと握った。
「……鋼一郎……」
 頭上から、鋼一郎の気遣わしげな声が降ってくる。
「……えーと呼びづらいなら別のでもいいです、はい。ダーリンでもパパでも」
 私は顔を上げて鋼一郎を見た。
 そうじゃ、ない。
 けれど、喉が締め付けられた様に声が出ず、私はそのまま視線を落とした。
「ごめんなさい、多分俺のせいですね。悲しそうなの」
「……違うわ」
 小さく、呟く。
「私のほうが年上だから……。鋼一郎って呼び方は、なにか、嫌に聞こえるなって、それだけ。
 幼く見えるようにするわ」
「嫌ですか、年下だと」
「私のほうが、偉そうなのが嫌なの」
 私は、言って少しだけ誤魔化した。
「負けたのは私だし……」
 もちろん、これも嘘じゃない。
 でも私は、私の記憶は、鋼一郎の一生よりも長い年月を知っている。
 それが嫌だというわけじゃない。
 ただ、鋼一郎の前では、鋼一郎に合う綺麗な女でいたかった。
 そんな私の心中も知らず、鋼一郎は困った様に唸っていた。
「じゃあ、俺のほうが呼び方を変えればいいですか、奥さん」
「アララでいいわよ?」
 生真面目さに内心で苦笑しながら、即答する。
「奥さんという言い方はどうもこう、私が小さい時、友達がひどい目にあってたから」
「そうですか。じゃああまり呼ばないようにします」
 鋼一郎の手が、私の手を握った。
「それじゃ行きましょうか、アララさ――」
 ぐっ、と唇を引き締めると同時に、私の手を握る力も強くなる。
「舌噛まないでも。練習する?」
「いえ、意地でもしません。それくらい自然にこなせないようでは……」
 私は鋼一郎から離れると、鋼一郎の進路を塞ぐ様に前に回った。
 両腕を鋼一郎の首の後ろに回して、上目遣いに見上げる。
「練習、いいのに」
「人前で練習するのは恥ずかしいですから」
「なるほど」
 目を細めて鋼一郎を一瞥して、私はくるりと踵を返した。
「これ、どうするの?」
 鋼一郎に連れられてきた場所は、岩で囲まれたところに水が張ってあるところだった。
 水分を含む白い煙が立ちこめているから、張られているのはお湯の様だけれど。
「んーと、温度とか温泉に含まれてる種類によりますけど、基本は湯船と同じですね」
「外よ、ここ」
「露天ていうのもありますけど、入りづらいなら内湯みたいのを探してみましょうか」
「別にいいわよ。どこだって。まあでも」
 考える素振りを見せて、鋼一郎をちらりと見る。
「名前呼ぶ練習で恥ずかしがっていた鋼一郎は、どう考えるかなって」
「何をですか?」
 何をしているのか、履き物の片方を飛ばした鋼一郎が、片足で跳びながら私に振り向いた。
「二人でお風呂って、どうかなって」
「ぶっ」
 そしてそのまま、こけた。
「今日は衝撃的発言が多い日です……」
 むくりと起きあがって、鋼一郎は土まみれになった体を払った。
 なのに、履き物のない片足はしっかりと地面に着いていて、私はそれがおかしくて笑った。
「あら。いい機会ね」
 ちょうど洗い落とすのが必要なくらい汚れたことだし?
「さ、いきましょ?」
 私は着物を留めていた腰ひもを引き抜くと、はだけた着物共々地面に脱ぎ捨てた。
「ちょ、せめて脱衣所で脱いでくださいー」
「1枚、1枚。1枚だから」
 鋼一郎の慌てふためいた抗議にウィンクを返して、私は温泉と呼ばれた場所へ向かった。
 立ちこめる湯煙で、僅かに視界が悪い。
 片隅には桶がいくつも積まれていて、そこからひとつを取ってくると、近くの小さな湯船の傍に膝を着いた。
 湯を汲み上げて、体にかける。
 髪に触れない様に、気を付けながら。
「髪、濡れるの嫌ですか」
 いつの間にか追いついた鋼一郎が、隣にしゃがみこんだ。
 同じように掛け湯をしながら、訊ねてくる。
「湯船に浮いていたら、嫌じゃない?」
「綺麗ですけどね、長い髪」
 言いながら鋼一郎は持っていた手ぬぐいを私に差し出した。
 私はそれを受け取って、髪をまとめあげる。
「胸のほうがいいと思うけど」
「……えと、それは、また別で……」
 私は笑って湯船に浸かった。
 寄りかかって力を抜けば、温かい湯の中で揺られている様な感覚に陥る。
「気持ちいいですか」
「触られてもいないのに気持ちいいって……」
 怪訝な顔を鋼一郎に向ける。
「見せびらかすのとか、好きなほう?」
 鋼一郎が転んだ。
「冗談よ」
 赤い顔で鋼一郎は起きあがると、言葉にならない声を上げながら湯船の中に沈んだ。
 転んだ時に打ったのか、頭をさすっている。
 その様子が可愛らしくて、私はくすりと笑った。
「いきなり言われるとびっくりします……」
「そうね」
 どこか拗ねた様にも聞こえる鋼一郎の台詞を、私はさらりと流した。
 分かってないのね。
 私が以前の私ではないこと。鋼一郎に変えられたこと。
 鋼一郎のところまでゆっくりとお湯をかき分けて進む。
 それから、両腕を肩に置いて、こつんと額に額を合わせる。
「でも私は、幸せよ?」
「はう」
 顔を赤くして、けれど私を真っ直ぐに見て鋼一郎が言う。
「俺も、幸せです。貴方が笑ってくれるから」
「いくらでも。笑います。旦那さま」
 それであなたが幸せになれるというのなら。
 七つの世界で誰よりも幸せそうに微笑んであげるわ。



作品への一言コメント

感想などをお寄せ下さい。(名前の入力は無しでも可能です)

名前:
コメント:





引渡し日:2008/09/01


counter: -
yesterday: -

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2008年09月01日 01:27