鷺坂祐介@星鋼京さんからのご依頼品


/*パスはキャッチされました*/


 広い体育館で、シューズが床をこする高い音が響いている。硬いボールが床を弾み、それに平行してコートの中を学生達が走っていく。早くなる鼓動。熱い呼吸。目はせわしなく辺りを見回し、とっさに立ち止まってはボールを投げ、その動きに汗が飛び散った。
 ある日の放課後。部活動真っ盛りである。
 コートで息を切らした神楽坂風住は、休憩をかねて一時的に抜けた。代わりに、座って待っていた別の学生が笑顔で立ち上がりゼッケンを借りてコートの中に入っていく。
「なんだよー、もう休みー?」コートから誰かが言った。
「ボールとられるよー」風住はちらりと目を向けて答えた。
「隙ありっ!」先ほど飛び込んだ子がボールをとっていった。
「え、あ、こらっ!」
 再び騒がしくなるコート。もう外に気をとられている余裕はなく、彼らは息を切らしながら再びボールを追いかけ始めた。
 風住はふー、とため息をつくとぐるりと体育館を見渡した。全ての窓と扉が開け放たれ、オレンジ色に染まる体育館。天井から垂れ下がる緑のネットで仕切った向こうでは、バドミントン部が白い球をはじきあっている。じっとしていると、外から吹き込む風が汗の臭いにまみれた空気を運び去り、代わりに新鮮で冷たい空気を残していく。
 そんな中、風住はきょろきょろと目をあちこちに向けていた。それがボールの動きを追っているわけではないのは、コートの動きと目の動きがまったく違っていることを見れば誰にでも明らかだ。
「むぅ」
 しかし、ここ最近目当ての人はいないのである。風住はやや口をとがらせると、体育館の隅に置かれた給水器から水を飲んだ。そしてもう一度辺りを見回すが、見あたらない。
「鷺坂なら今日も学校休みだぞー」
 そんな声が聞こえた次の瞬間、コートからボールが飛び出してきた。それをキャッチして、追いかけてきた人物に返す。バスケ部の主将である。勿論、先ほどの台詞も彼が言った物だ。すらりとした美形で、大層もてることで知られている。
 もっとも、時々少し口が軽すぎるのだが。
「ええ、知ってます」
「何かあった?」
「……なにも」
 やや躊躇いつつも、風住は断言した。思い当たる節はない。が、だからといって、それで彼の事を全部理解しているなどと言うつもりもなかった。
「ふむ。ところで」主将は唐突に晴れやかに笑った。「ついに認めたね?」
「え?」
「鷺坂を探してるって」
「……あっ!」
 いや。まあ。隠しているわけでは無かったのだけれど。少し恥ずかしかったというか。いやいや、そうじゃない。一緒にいるのはいいのだけれど、こう、探していると思われるのが恥ずかしいというか。
 コートの中から「はやくボールいれろよー」と催促の声がくる。主将は「悪い、悪い」と返しながらボールを投げ入れ、再びゲームに戻っていく。風住は反論の機会を永遠に失ったことに気付いて内心で悔しがった。
 あ、でもこれで良かったのかしら?
 彼には以前告白されたことがある。あの人物のことだ、鷺坂との関係もこれですっかり飲み込んだだろうし、それなら、もう、誤解されるような行動はとらないだろう。何しろなかなか恋の多い人だという話だから。慣れているんだろう。たぶん。
 考えすぎ?
 とか考えているうちにも、また目があちこちを見ている。そして、学校に来ていないんだからいるわけないじゃないと小さくつぶやくと、軽くため息をついた。
 ところで。鷺坂は本当にどこにいるんだろう?


 彼は宇宙にいた。
 舞台はEV116である。冒険艦蝦天号の艦橋、操縦席の一つに彼は腰掛けている。シートは柔らかくストレスを感じさせない良い物だ。もっとも、そもそも戦場で寝られるほど図太くはないのだけれど。鷺坂はこりこりと顎を掻き、ぐるりと目を回した。
「冒険艦に乗るのも久しぶりねぇ」
「なつかしいね、あんまりいい思いではないけど」
 すぐそばの席に着いている広瀬都とちゃきが言う。二人とも、何となく遠い目をしているような、目を逸らしているような、微妙な表情である。たぶん鏡を見たら自分も同じような表情をしているんだろうな、と言う気がした。ちなみに、彼の隣にいる古河切夏の頭には猫耳が据え付けられている。眠っていることに気付いたちゃきによる陰謀であった。どうでもいいが、かくいうちゃきもこのしばらくあとに自ら猫耳をつけている。さらにどうでもいいが、都についている猫耳は自前であった。
「早く終わらせて戻らないと出席日数が……」
 鷺坂は遠い目をしている。よもや再び学生をやる日が来ようとは。
「ああ。はっきーはまだ学生だっけ」
 都が言った。なお、はっきーとは伯牙という名前から来た愛称である。
「何でかまた学生で。ううう、中間テスト……」
 うなだれる鷺坂。早く向こうの世界に帰らないと。


 結局、部活が終わる頃になっても鷺坂は来なかった。だからいるはずないって、という心の声に風住はややため息をつく。今日はうまくいった所もいくつかあったが、それ以上に、うまくいっていないところが多かった。自分ってこんなに下手だっただろうかと心配になったほどだ。
 そして片付けをして、部活が終わると、彼女はさっさと帰り始めた。バスケットボールを入れた袋を手に、のんびりと歩く。片付けをしている間に火照った体はずいぶん冷えて、たくさんかいた汗もすっかり引いている。夕焼けから夜に移り変わる空を長めながら、歩道をのんびり、一人で歩いた。
 走ろうか、と思ったけれど、部活の後が大概そうであるように、足といわず腕と言わず、体がすっかり重たい。充分に運動した後の疲れ切った体だ。これは、今日の風呂はさぞかし気持ちいい事だろう。
 しばらく歩いて、商店街に入った。もう魚屋や八百屋も暇そうだ。夕食の買い物に来る人たちの時間帯ではない。彼らはもう少ししたら、店を閉めて、自分たちの食事を始めるだろう。いくつかの明るい店の脇を抜けて住宅街に向かう頃には、外灯の明かりがつき始めていた。夕闇に沈む家のいくつかからは、おいしそうな香りがもれてくる。
 しかし。それくらい薄暗くなっていたからだろう。
 ふと、視界の端を白い何かが駆け抜けていったことに風住は気付いた。彼女は目を少し大きくしてそちらを見る。と、物陰にいた小さな姿はひゅんひゅんと、切り返しながら道の向こうへと走っていく。
「あ、あのときの……」
 電子ライター動物。鷺坂は雷獣と言っていたような?
 しばらく先に行くと、雷獣は立ち止まり、振り返ったようだった。ぱちっと音が鳴り、白い光が一瞬目をやいた。風住は目が回復するまで立ちすくんだ後、雷獣を見た。
「ついてこいって事?」
 言葉が聞こえたのか、雷獣は再び走り始めた。
「えー……うーん」
 少し考える。今は夕暮れ。もうすぐ夜。おなかは空いた。足は疲れている。
 でも、もしかして。
「よしっ」
 決めた。決めたとなれば早い。風住は勢いよく走り始めた。


 作戦は終了。現在は帰還ルートをオートで航行中。
 まれに見る大勝利だった。鷺坂はふーとシートにもたれかかり、これで試験勉強に専念できると思って、むしろ憂鬱になった。
「伯牙ー、そろそろ到着するぞ?」
「え? もうですか?」
 古河の声に鷺坂は振り返った。その後ろの方では、ちゃきと都に捕縛された猫士たちが「もっふもふwwwwもっふもふwwww」と言われながら抱きしめられてうへーとしている。
「……終わったら、好きなだッけたーげっとろっくおんすればいいとかいったのが間違いだったかな?」
 心の中で猫士にあやまる鷺坂。古河はその発言はあえて気にしないことにした。どうしようもな(くふれがた)いことも世の中にはあるのだ。
「もう大気圏の中だし。準備しろよ?」
「え、準備、ですか?」
「ほれ」
 どん、と床に置かれたのは巨大なリュックとおぼしき物。頑丈なベルトで体に取り付けるタイプの物だ。そしてゴーグル、ヘルメット。ついでに分厚い上着。
「……え?」
「ほら、ちゃっちゃとつけて。ちゃきさーん、都さーん。手伝って」
「はいはい」
「おーけー」
「……え?」
 なおも混乱している鷺坂にちゃくちゃくと装備を取り付けていく一行。そして準備万端となるやいなや、降下用ハッチまで連れていく。
「ちょっと待ってください。これはいったい?」
「いや、はっきーだけ神々の宴世界だから。ここでお別れ?」古河が言った。
「まじすか」問う鷺坂。
「マジです」すかさず頷く都。
「がんばってー」猫士の背後から手を振りながら言うちゃき。
「まあ二十万の竜の対空砲火をくぐり抜けるわけじゃなし。余裕だろ?」古河は気軽に言った。
「……いや、なんというか」
 ――いろいろ言いたいことはあったけれど。
 示し合わせたように輝く笑顔を浮かべる三人を前にすると、何を言っても無駄なような気がした。


 そして雷獣を追いかけてくれば、浜辺にまで来てしまっていた。もうあたりは真っ暗である。ついでに言えば、雷獣の姿もついに見失ってしまった。一体何がしたかったんだろう? 風住はとぼとぼと浜辺を歩きながら思った。
 今日の海は穏やかだ。潮騒の音は耳に絡みつき、何かを洗い流していくような心地良い音を立てている。砂の大地は土やアスファルトと違ってどうしても足を取られる。ここを歩く度に、砂浜で走るのは大変だな、といつも思うのだ。
 雷獣の姿をもう少し探そうか、考える。だがどう見ても、もう姿は見えなかった。ここにくるまでは、あまりに距離が離れると待ってくれたり、発光してどこにいるか教えてくれたりしたのだけれど、最後にこのあたりでぴかっと強く光った途端そういうことは無くなってしまった。ついでに言えば、以前見たおっさん、もとい雷神の姿もない。
 当てが外れたかな。風住はすっかり暗くなった天を仰いだ。夜空に、星が瞬き始めている。そこにはぽっかりと穴が空いたような黒い影が。
 ――だんだん近づいてきていた。
「え?」
 落ちて来ている? 風住はぽかんとしてそれを見た。今度は何だろう。風神? それとも雷雲にのって雷神がやってきたとか?
 しかしそれが近づいてくると、だんだんとそれがパラシュートだという事がわかってきた。もしも日差しの中だったなら、それが遙か上空を飛んでいる謎の飛行物体から落ちて来たものだということも、勿論、パラシュートをつけているのが誰かと言うこともわかったに違いない。
 ただこのときは夜であり、彼の姿は当然目視できるはずもなく。
 パラシュートは風住から二十メートル離れた砂浜に音を立てて着地した。ばさっと落ちてくるパラシュートが、下にいる人の姿を隠す。
「うわっ。えっと、見えないな。どこだろ、ここ」
「……えー」
 聞き覚えのある声を、聞いた、気がした。
 気のせい……じゃないよね。
 風住はさらに途方に暮れながらもぞもぞと動くパラシュート周辺の影を見ていると、先ほどの声色を証明するように鷺坂が姿を現した。分厚い上着を脱いで、ふぅとため息をつき肩を回している。彼はこちらを見ると、近づいてきた。
「あ、君がさっき着地点を教えてくれたの? ありが――」
「鷺坂、どうしたの?」
「え」
 凍る鷺坂。あまりに聞き覚えのある声に、瞬間、脳が死んだ。
 二秒後。いやまさか、と考える余裕を取り戻すと彼は一つの名前を口にした。
「……風住?」
「うん」大きく頷く風住。
「マジですか?」
「マジです」
「……嘘ー」
「嘘じゃない。というかどうしたのそれ!?」
 風住は思わず詰め寄っていた。鷺坂はあーうーと言いながらすでに影も形もない冒険艦を空に見つけようとした。あるいは、単に困って目を逸らしただけかもしれなかった。
「えーと、ちょっと、ね」
「スカイダイビング?」
「う、うん」鷺坂は笑った。「そうなんだ。実はこう、はめられて、つい普通に帰ってくると思ってたのにこういうことに」
 かなり真実の事を言ったのだが、むしろ真実に聞こえない。風住はえーという顔をした。
「それよりさ、もう暗いよ。一緒に帰らない?」
「それを持って?」風住はパラシュートをさした。
「あー……うん。まあ」そういえばこれどうしようと鷺坂は考えた。
 風住はしばらくの間鷺坂を見ていたが、やがて小さく肩をすくめると、わかったと言った。
「手伝う。その代わりに、学校サボっている間何があったかゆっくり聞かせてもらうから」
「わかった、明日……」
「今夜は、このままうちで食事」
 喜ぶべきか悲しむべきか、鷺坂は悩んだ。その目の前で、風住は鷺坂が脱ぎ捨てた分厚い上着をたたんで抱えている。
「楽しい話が期待できそう?」風住は笑った。
「んー。まあ、がんばるよ」鷺坂は苦笑した。
 さて、これは誰の罠なんだろう。鷺坂はそう考えてから、パラシュートを片付ける事にした。その間に、風住に聞かせられる話を、何か考えなければならない。


作品への一言コメント

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  • 素敵なSSありがとうございますー。NWにはアルバイトで小笠原から出てることになってたりなので、話せるしっかり考えたいと思います。(笑)/この度はありがとうございましたー。 -- 鷺坂祐介 (2008-07-20 23:07:36)
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引渡し日:2008/07/20


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最終更新:2008年07月20日 23:07