久遠寺 那由他@ナニワアームズ商藩国さんからのご依頼品


 砂漠の地下に広がる、商工藩国ナニワアームズ。
 藩士久遠寺 那由他はその行政本部の談話室で、神妙な顔つきで座り込んでいた。
 凝視していると思しき目の前のテーブルには、桜色の小瓶がぽつりと置かれている。
 かち、かち、と安っぽい時計の音だけが、部屋に響いていた。
 そして、ノブを回す音と小さなきしみ音だけが開き、談話室の扉が開いた。
 那由他が、それに気づいた様子はない。 
「なーちゃー!」
 元気な声と共に、那由他の背中が重くなった。
 こんなことをする者は、ナニワにはひとりしか存在しないことを、那由他はよく知っている。
「やひろさん、こんにちは」
「うん! こんにちは! ねえ、なにしてたの?」
 那由他の背中におぶさるようにして張り付いているやひろに、那由他は微かに微笑んだ。
「考え事ですよ」
「かんがえごと。たいへんなこと?」
「そうですね、私にとっては。
 今度、我が隊長とお花見に行こうと思っていまして、お花見用の重箱に入れるお昼ご飯を、考えていたのですよ」
「じゅーばこ?」
「簡単に言えば、お弁当箱です。5段で、大きさはこのくらいですね」
 那由他は手で大きな直方体を作ってみせた。
 やひろの首が、那由他の手に合わせて上下する。
「おっきいねえ。おれもたべれる?」
「では、やひろさんの分も用意しておきましょう」
「わーい、やったー!
 ねえねえ、なにいれるの? おれ、なのはなすきー!」
「それは入りますよ」
 きゃー、っと歓声を上げながら、那由他に抱きつくやひろ。
「アスパラも入れましょう。ベーコンで巻いて。
 桜餅とあられもいいですね」
「わあー! たのしみだなぁ」
「ええ、私も楽しみです」
「えへー。はやくおべんとうの日にならないかなぁ」
 笑顔でもう一度やひろは抱きついた。
 よほど待ちきれないのか、体が軽くジャンプしている。が、ふと首を傾げた。
「ねえねえ、なーちゃ。あれはなあに?」
 あれ、と指を差して、机の上の小瓶を指さす。
「ああ、これですか。これは、桜の塩漬けですよ」
「さくらって、たべれるの?」
「そうですねえ。それは、当日のお楽しみ、ということで」
「わあー! じゃあ、たくさんたのしみにしてるね!」
 にこにこと笑うやひろを見て、那由他は思った。
 我が隊長も、こんな風に喜んでくれるだろうかと。



 5月23日、当日。
 那由他は大きな重箱を両手に春の園へ向かった。
 ちなみにその重箱は、実物をやひろに見せたところ、「こんなにおおきいの、4人でもたべられるかなぁ」と突っ込まれたほどの大きさである。
 待ち合わせの桜の木の下には、すでに我が隊長こと石田咲良が待っており、那由他は呼吸を整えてから丁寧に声を掛けた。
「こんにちは。我が隊長。本日はおいで頂きありがとうございます」
「あ。久遠寺だ」
 瞬間、硬直して舞い上がる那由他。
 そして、それを不思議そうに見る咲良。
 那由他は咲良の視線に気づくと、居住まいを正して口を開いた。
「あ、いえ、名前で呼んでいただいたのは初めてかな、と。はは」
「そうだった? 呼び方かえようか?」
「いいいえ、そのままで!」
「あ、うん……」
 那由他の勢いに驚いて、咲良は引き気味に返事をした。
 那由他は心の中で、落ち着け落ち着けと繰り返しながら、初めのように大きめに息を吸ってから再び話し始めた。
「あの、それでですね。今日はこちらでお花見でも、と」
「うん。私、花見好きだ」
「よかったです~。お弁当、作りました」
 ほら、という感じで、那由他が腕を上げて重箱を見せると、咲良はうん、と頷いて笑った。
「立派なお弁当だ」
「ありがとうございます。それでは、参りましょうか。
 お弁当を広げるのに、よい場所を探さなければなりません」
 陽気な気候、ほどよく散る桜の中で、場所はすぐに見つかった。
 大きな桜の木の陰で舞い散る桜が直撃せず、しかし日当たりも眺めもよく。
 緑の草の上は、座り心地も良さそうだった。
「久遠寺、こっちこっち!」
 咲良は待ちきれないと言わんばかりに駆けていくと、行儀よくそこに座って那由他を手招きした。
 那由他はくすりと笑って、早足で咲良のところまで行った。
 咲良の隣に腰を降ろし、重箱を早速広げ始める。
 わくわくとした様子で重箱を凝視する咲良を見れば、那由他も歌い出しそうな気分になる。
「お好きな物があると良いのですけれど。お飲み物は、桜湯と甘酒どちらになさいますか?」
 咲良はふるふると首を横に振って答えた。
「どっちも飲んだことない」
「では桜湯を差し上げますね。どちらもたくさんありますから、よろしければ後ほど甘酒の方もどうぞ」
 この日のためにと用意して慎重に持ってきた、薄い桜色の陶器の茶碗へ、那由他はあの小瓶から桜の塩漬けを取り出して入れた。
 それから、手早く魔法瓶から熱湯を注ぐ。
 湯を受けた桜の花が、ふわりと開花するように茶碗の中で再び咲いていく。
 咲良は珍しそうに、その様子をじっと観察していた。
「すごいね」
「はい。昔の人はこうして春を保存したんですね」
「飲めるの?」
「もちろんです。少し塩味がしますよ」
「じゃあ、飲んでみる!」
 両手の上に茶碗を載せて、咲良はそっと口をつけた。
 咲良の顔が、ぱっと笑顔になる。
「うん。これが桜の味かぁ」
「ふふ。良い香りがしますよね」
 自分の分の桜湯を用意し、那由他も茶碗の中の桜を眺めた。
 湯の中で開き、湯が揺れればゆらゆらと揺らされる桜の花。
 それは、ああ、私もそうかもしれない。我が隊長という湯に、揺らされてばかりだ。
 出逢う以前から。そして、出逢った後は、より。
「お料理の方もご遠慮なくどうぞ」
 桜湯を眺めて一日が終わりそうで、那由他は咲良に声を掛けた。
 咲良は笑顔で「うんっ」と答えると、そう、那由他も笑顔になる。
「おいしいね」
「おいしいですね~」
 おにぎり、からあげ。定番のものから、約束の菜の花に、自信作のタコさんウインナー。桜餅とおかきも、もちろん重箱に入っている。
 二人で重箱つつきながら、他愛もない素直な感想がこぼれていく。
「久遠寺は料理の天才だ」
「そんな。これで普段は全く料理しないんですよ」
 顔を真っ赤にして照れる那由他に、しかし咲良は気にせず疑問を返す。
「ほんと? なんで?」
「忙しかったり、その方が楽だったりで。自分のためだけの料理って、何か寂しいんです」
「葉月がいってた! 一人だと横になってるだけだって!」
「あはは。わたしと一緒ですね。締め切りが近いと横にすらなれませんけれど。
 誰かのことを考えると、料理をしている間も幸せです」
 咲良が首を傾げた。
「しめきりって、なに?」
「初めてお会いしたときに少しお話ししましたけど、専らお話を書いて糊口をしのいでいます。
 その締めきりにいつもぐるぐるしている感じですね」
「お話は先生もかいてる。凄い人だ」
「空先生、ですね。あの方のお話はわたしも好きです。凄い人ですよね」
 咲良は、自分が褒められたかのように、嬉しそうにうん、と頷いた。
 そして箸を置くと、体育座りをして桜を見上げた。
 那由他はざっと咲良の食べた量を見やり、その少なさに微かに顔をしかめた。
 だが、努めて平静に咲良に声をかける。
「あら、もうよろしいのですか」
「うん。一杯食べた」
「ありがとうございます。食べて貰えると嬉しいです」
「うん。私も嬉しい」
 少し諦めたように微笑み、那由他は咲良の隣に寝転んだ。
 わあ、と咲良が歓声を上げる。
「ねえ、気持ちいい?」
「こうしていると、落ちてくる花びらが雪のようで、桜色の空に浮いて行くみたいですよ。
 沢山の桜があると、やりたくなっちゃうんですよね。お行儀悪くてすいません」
 那由他の台詞に、咲良もごろんと仰向けになった。
 咲良はわー、っと先程よりも大きな歓声を上げると、にこにこと桜の空を見上げた。
「谷口がいたら怒るかなあー」
「お行儀にはうるさいですか?でも、今日は特別です」
 ひらひらと舞い落ちる桜に、那由他がそっと手を伸ばす。
 だが、届かない。
「なんでもうるさいんだ。いつも貴方のためだって言う……」
 頬を膨らませながらも、桜から目を離せない咲良。
「ああ、幸せです。お腹いっぱいで暖かくて、桜は綺麗」
「うん」
 どこか心あらずな咲良の返答。
 しかし、それが予測の範囲内である那由他は、気にも留めない。
 思うのは、咲良にとっての、谷口という存在の大きさ。それから、
 ――この幸せの隣には、我が隊長がいるんですよね。これでわたしは迷い無く征ける。
 那由他は咲良に視線を向けた。案の定、桜に見入っている咲良は気づきもしない。
 そして、だから那由他は微笑んだ。
 そのまま、咲良が目を閉じるところを眺め、しばらくしてから声をかける。
「我が隊長?」
 起こすためでもなく、呼びかけるためでもない、眠ったことのただの確認。
 応えるのは、静かな寝息。
 那由他は微笑んで体を起こすと、咲良の頭を自分の膝の上に載せた。
「まあるい玻璃の天蓋に きんいろ星辰 散りばめて きらきら さらさら くるり 廻して おはよう・こんにちは もういちど くるりで おやすみ・ごきげんよう」
 優しく子守歌を歌えば、その寝顔は、本当にただの幼子のようで。
 保母さんをするつもりはないと思ってはいても、私はあなたに揺られて、こうしてあなたの安らげるままに。
 それも確かに、那由他の本心ではあるのだが。
 那由他は桜を見上げた。
 桜湯の中に捕らわれた私。降る桜の花は、はらはらと落ちる桜の塩漬けが、私の周りでふわりと開いて咲いて、真っ赤に埋め尽くしていく錯覚。
 心地よい桜のジェイル。
 垣間見える虚空で、天使の青い髪が風になびいている。
 手は、まだ届かない。
「早く強く大きくおなりくださいませ。そして、わたしを……」
 微笑んで呟きながら、那由他は瞼の裏に己の望む未来を描いた。



 一方その頃。
 那由他に用意された重箱を、やひろはナニワ政庁の談話室で思いっきり広げていた。
 重箱、とはいっても、二段きりの可愛らしいものではあるのだが、ふたに風呂敷にと、あちこちに散乱し放題である。
 重箱に手が着けられた様子はない。
 やひろは重箱を広げるだけ広げた後、桜の塩漬けが湯に踊らされて広がる様子を、嬉しそうにじっと眺めていたのだった。
「すごいねー、すごいねー!」
 手を叩いて喜ぶやひろ。
 その様子はどこか咲良に似ていた。いや、咲良が似ているのかもしれないが。
 そして茶碗を揺らせて、たゆとう桜色の湖面に咲良と那由他の姿を見出すと、虚空にもうひとつの茶碗があるかのように乾杯の格好を取り、
 ああ、どうか二人がうまくいきますように、と優しく微笑んだ。



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ご発注元:久遠寺 那由他@ナニワアームズ商藩国様
http://cgi.members.interq.or.jp/emerald/ugen/cbbs_om/cbbs.cgi?mode=one&namber=661&type=591&space=15&no=


引渡し日:2008/07/20


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最終更新:2008年06月30日 23:47