もう独りぼっちじゃない

柔らかな朝日に包まれていた教会の厳かな静寂が、常軌を逸した轟音によって粉砕される。
新しき朝を告げるにしては、あまりにも傍若無人に過ぎるその目覚めの鐘は
さらに教会のガラス窓の一角を突き破る無法をやらかし、そしてまだそれで終わらない
赤い影が敬虔な祈りを捧げる羊が座すであろう長椅子をいくつもまとめてブチ抜き
青い光が聖母を象った教壇のステンドグラスを叩き割って疾走する
入り乱れて何度も激突する青と赤の閃光は、共に教会の両端に飛び別れて着地した。
口元の血を不敵な笑みで拭う佐倉杏子と、鋭利な瞳で地面から剣を引き抜く美樹さやか
神に潔白を誓う教会にて、場違いに過ぎる乱痴気騒ぎが勃発していた。

ゆったりと頬の埃をマントで拭っていたさやかの姿が、一瞬で掻き消える
杏子は即座に後方に飛び退る。笑いの形に釣り上げたその口元は、余裕の無さを如実に現していた
両手で身を守るように構えた槍に、青い疾風となったさやかが激突する
体が反応するどころか、目で追うことすら困難だった。加速をかけたさやかは一瞬で敵手との距離を詰める
愚直に突っ込んでくると分かっているだけで、どうにか対応するので精一杯だった
杏子は体重を後方に逃し、体制を崩したさやかに追撃をかけようとするが、
その姿は一瞬でかき消えてしまい、またしても虚空を貫く。目を見張る視線の先には、疾走の体制にあるさやか。

攻撃の直後を狙い撃たれ絶好の隙を晒した杏子に、さやかは長剣を構えて突き進んだ
そのとき杏子の口元が偽りのない笑をかたどる。はっとするさやかの周囲の床から土煙が吹き上がる
のたうつ蛇のように伸長した多節槍が四方八方からその身を現し、さやかを雁字搦めにする
鉄鎖蛇の尾を掴む杏子は捉えた獲物を勢い良く教壇へと叩きつけた。
土煙を上げて倒れこむさやかにとどめを指そうと、教壇に歩み寄る彼女の死角である後方頭上から
一本の剣が襲いかかる。危うく回避する杏子の、さらに周囲を取り囲むように無数の刀剣が襲来する

さやかの能力の一つである刀剣生成。先程の一幕を再演するかのような展開に杏子は唇を噛む
しかたなく鉄鎖蛇を引き戻して、小さな嵐のように襲い来る刀剣群を弾き飛ばす
あらためて敵の姿を探し求める杏子の背中が、激痛に灼熱した。腹部からは鋭利な長剣が血を吸って生えている
歯を噛み締めて振り返ったすぐ後ろには、嚇怒の炎を灯すさやかの瞳があった

この戦いはさやかの方から挑んだものだった。親友である仁美が大怪我を負ったのだ
通り魔の仕業だと聞かされたが、さやかはどうにも府に落ちなかった
自分が想い人と親友の交際に絶望していた事、自分へ親切じみた接し方をする少女、その少女が過去に語った危険な主義
そして親友が負った怪我が普通の凶器で付けられたものではないという一点。
それらの符号は一つの許せない事実を指し示していた。そして今度は自分の方から呼び出したこの場所で
その少女はさやかの糾弾に、唇を釣り上げる獣の笑みで応えた・・・・。

勢い良く杏子の体が教会の床にたたきつけられ、何度もバウンドして車に轢かれた猫のように転がり飛び、
流血の絨毯を一面にひいて、長椅子に叩きつけられてようやく止まる。
死に体の敵へとさやかは宙空に無数に生成した刀剣を投げつけるが、満身創痍の杏子は信じられない素早さで飛び上がる
魔法少女の特性の一つ、痛覚遮蔽。彼女達にとって肉体とは単なるデバイスに過ぎず、好きなように使い捨てる道具なのだ
杏子の手にする槍が、身の丈を超えて彼女の伸長の3倍はあるだろう長大な剛槍へと変貌する
とっさに無数の刀剣を剣先を重ねた閉じた花びらのように盾として構え、剛槍の突進を受け止める
凄まじい衝撃にさやかの足が床に突き刺さる。物理法則を無視する荷重に空間が悲鳴を上げた。

巻き起こった豪風で二人共に吹き飛ばされる。散乱していた椅子の破片やガラスが竜巻になって教会内に吹き荒れる
そのなかで杏子はいち早く空中でくるりと体制を整え、歯を剥いて豪槍をさやかの顔面に突き刺す
勝利を確信した彼女の狂獣の笑いが、訝しげなものに変化する。全く何の貫通の手応えもない不気味な感触。
まるで永い時間を経て凝固しきった永久凍土に、アイスピックの侵入を拒否されたような
さやかの右顔面が、不気味な蒼い結晶で覆れていた。それが右半身を次々と侵食してゆき、彼女の剣を変異させて止まる
異形の剣士が右手の長剣を、むしろゆっくりと振りかぶる。
その姿に不安を覚えて、杏子は赤いトランプをいくつも繋げたような防護結界を張り巡らせるが、
蒼い刃はその障壁も敵が構えた剛槍もまとめてぶった斬り、左肩から右脇腹まで深々と肉の亀裂に引き裂く

蒼い結晶は彼女が刀剣生成で生み出した武器と同じものだった。
ただし武器で肉体を覆うのではなく、肉体そのものを武器に変える
人間の、己の身体を別物に造り替えるという常軌を逸した魔法
人体が生命活動を継続するために必要な部分を鉱物化するという外法を、さやかの超回復能力が可能にしてしまった。
そんなことをすれば本来は凄まじい嫌悪感と激痛で精神を破壊されるはずだった。
しかし魔法少女の悲しい真実がそれを可能にした。彼女のその体は、もはやただの肉の塊に過ぎないのだ
ただの道具、ただの抜け殻、ただの入れ物、もとはわたしであって、もうわたしではない「物」。
今日はじめて痛覚遮蔽を試みた杏子は、目の前の「ソレ」ほど巧みには痛覚を制御しきれなかった
杏子はこの力の恐ろしさを理解していた。痛覚を捨てることは、肉体を捨て、最終的に自我を放棄することなのだ
もはや人としての感覚を捨て去ったと言いたげな無表情で歩み寄ってくる魔人に、杏子は嘲笑を返す
肉体の痛みも心の悲しさも、全部捨てたってんなら、アタシがもう一度思い出させてやる・・・・・。

人の意思を感じさせない不気味な足取りのさやかの歩みが、突如停止する。ありとあらゆる全身に違和感
次いで右腕を引き千切られたような激痛。思わす膝をつくと今度は両足を捻り切られたような痛みが襲う
魔人としてのさやかの表情が崩れる、次々と襲う痛みと呼ぶこともできない脳髄を突き刺す衝撃
彼女の肉体のどこにも損傷はなかった。意識を振り絞って痛覚遮蔽を再度試みるが、全く変化は訪れず絶叫する
「幻痛・ファントムペイン」
ゆっくりと立ち上がりながら、杏子は床で激痛に体を丸くするさやかを見下ろす
他人の心を操ることを願って魔法少女になった彼女の、忌まわしき固有能力
他人に寛容さと許容を求める力は、彼女の希望が潰えたときに本来望んでいたものとは対極な力に変貌した
耐えがたい痛みに涙を流して苦しむさやかに、杏子はどこか優しさを含んだ悲しい表情を浮かべる

さやかの心に今まで他者へ与えていた痛みが襲いかかる。幾度も切り裂いた魔女達、今日幾度も杏子に与えた傷
それはやがて肉体的な痛みの域を脱し、精神への心への痛みに転化する
さやかの脳が記憶している他者への加害行為が、全てそのままさやか自身へ牙を剥いているのだ
そして何度も彼女は精神を殺された。何度も何度も殺されて殺傷されて殺害された。
痛みとは異なる衝撃にさやかが目を見開く。その反応に杏子は致命的な失敗を悟って舌打ちを漏らす

幻覚の世界で、彼女から想い人を奪った仁美を誰かがメッタ刺しにして殺していた
幻覚の世界で、彼女の愛に気づかず通りすぎていった上條恭介を誰かが四肢を切り裂いて殺していた
それだけではない、大切な家族も、ずっと一緒にいた友達のまどかも、無関係なあらゆる人間を、誰かが殺し尽くしていた
その誰かが振り返る、それはいつも鏡の中で見慣れている誰か。壊れた笑い声を上げる美樹さやかの哄笑が響き渡る
ふと自分の姿を見下ろすと、それは厚い鎧に覆われた巨大な異形の姿に成り果てていた

絶叫を上げる自分の声でさやかは正気に返る。正気に返ってしまった
視線の先には唇を噛み締める杏子の姿。彼女に向かって弱々しい笑い顔を向ける
仁美を殺そうとしたのはさやか自身だったのだ。杏子がその前に彼女を襲ってしまったため、
その狂気は自覚される前に消えたのだ
なぜ仁美は傷つけられるだけで殺されなかったのか、そこ気付くべき・・・・いや、気付かぬべきだったのだろう
自分の心を守ろうとしてくれた杏子に感謝をしようとして、それよりも謝罪のほうが圧倒的に相応しいことに思い至る

もう手遅れだった、ソウルジェムが急速にドス黒く染まってゆく。
これが黒く塗り潰されたときに何が起きるのかは分からないが、確実に望ましいことではないのだろう
自分が歩む道のりの先には、必ず絶望が待ち受けているのだから。
さやかの心のなかに急速に凝固して結実する殺戮への衝動は、もう押し留められなかった
もう自分自身でも止められない、だれに責任転嫁もできない自業自得、それでももし図々しい願いを聞いてくれるのならと、
涙を流しながらの笑顔で見つめたさやかの視線を、同じような歯を剥いた泣き笑いの杏子の強い瞳が受け止める

剣だけを、しかし先程までの数倍の蒼甲結晶で巨大化させた大剣を、同じく紅躯大蛇と化した多節槍が迎撃する
巨大すぎる大蛇は教会を容赦なく傍若無人にぶち抜きながら獲物に襲いかかる
大気を切り裂きながら突き進むさやかの体が急停止して、蒼い三日月となって大蛇を幾節にも解体する
バラバラに解体されて落下する槍と、亀裂が入って半ばからへし折れる剣
交わし合う狂戦士と狂獣の狂った笑い顔、血と肉と相手の死を求める咆哮
さやかは背後に翼のように出現させた9つの蒼甲結晶の剣を、両手で構えた本来の長剣に融合させ、
一振りの必殺の超大剣を生み出す。
杏子の立つ地面が激震し、もはや蛇とは言えない巨体が地面を割いて姿を表し、手に構える槍と連動して鎌首をもたげ、
一頭の必滅の巨躯龍を顕現させる。


"悪いね、わたしの身勝手につきあわせちゃって。わたしって結構、頼られる方だと思ってたんだけどなあ・・・"

"そんなザマで何言ってんのさ。いいさ、別に。たいした面倒でもないよ"

"・・・・・なんでさ、わたしのこと気にかけてくれたの?"

"ムカついたからだよ、誰かさんを見てるようでさ。ただそれだけさ"

"それだけなの?"

"ああ、それだけさ"


蒼い剣と紅い龍が激突して、轟音と共に爆散する。吹き荒れる魔法発光の中から二人の姿が剣と槍を構えた姿で現れ
お互いのソウルジェムを打ち砕いた


"じゃあさ?またわたしがバカやらかしたときに、止めに来てくれる?"

"やらかすの前提かよ。面倒見切れねえよ。・・・・・・・いいよ"

"いいの?わたしバカだから、絶対懲りずにまた似たような失敗するんだよ。それでもいいの?"

"いいつっての!だってさ・・・その、アタシらってさ"

"「もう友達だろ?」とか?"

"・・・ッ!?ちっげーよ!バカ!!ぜったいちげーーーからな!!!"


静寂が戻った教会に、涼やかな鳥の声が聞こえてくる。
その中心でもたれかかるように眠りに付く二人の少女たちの姿があった
涙を流して幼子のよう縋りつく少女と、優しい笑顔で母親のように抱きしめる少女
愛情を求めて戦い、すべてを失った者達の悲しみは、癒されることなく、ただ安らかな眠りの中に消える
だが、もうその静寂は二度と脅かされることはない
その穏やかな眠りを、ただやわらかな朝の日差しだけが、
やさしく見守り続けていた・・・・。



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最終更新:2011年04月23日 16:40