「電凸が引き起こしたすさまじい破壊力」
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毎日新聞社内で何が起きているのか(上)
公開日時: 2008/08/05 14:14
著者: 佐々木俊尚

電凸が引き起こしたすさまじい破壊力

毎日新聞の英語版サイト「毎日デイリーニューズ」が女性蔑視の低俗記事を長年にわたって配信し続けていた問題について、この一か月の間、毎日新聞社内外のさまざまな人と会った。

その結果わかってきたのは、この事件が毎日のみならず新聞業界全体に与えたインパクトた影響は皆さんが想像しているのよりもずっと大きく、その破壊力はすさまじい状況を引き起こしているということだ。これはインターネットとマスメディアの関係性を根底からひっくり返す、メルクマールとなる事件かもしれない。

何が起きているのかをざっと説明しておこう。まず最初は、ウェブサイトへの広告から始まった。ご存じのように毎日のニュースサイトである「毎日jp」の広告は、7月中旬から一時全面ストップした(現在は復活している)。毎日に広告を配信するアドネットワークを運営しているヤフーが、広告供給を停止したからだ。名前は公開できないが(以降、差し障りのある話ばかりなので、証言はすべて匿名になってしまっていることをお許しいただきたい)、あるヤフー社員は次のように証言している。

「スポンサーの多くから『毎日への広告を止めてくれ』と要請があったんです。我が社のアドネットワークは、複数のメディアに同時に広告を配信しているので『ひとつの媒体の広告だけを止めるのは技術的には難しい』といったんは断ったのですが、あまりにも要請が多く、押し切られたかたちですね」

この社員が語っているように、毎日に広告を出稿しているスポンサー企業や提携先、関連団体などに対して、広範囲な「電凸」(電話作戦)が行われた。その対象となった企業や組織の総数は、毎日社内の集計では二〇〇社以上に上っている。この結果、広告出稿の停止はウェブから本紙紙面へと拡大し、誰でも知っているような大企業も含めて相当数のスポンサーが、毎日紙面への広告を停止する措置をとった。

毎日広告局員の証言。「『おまえのところの不祥事で、うちのお客様相談窓口がパンクしてるんだぞ!』とスポンサー側担当幹部から怒鳴られ、広告を停止させられる処分が相次ぎました。いま現在、必死で幹部がスポンサーまわりをして平身低頭し、何とか広告を復活させてもらえるようにお願いにまわっているところです」





背景には新聞広告の衰退がある

なぜスポンサーがここまで怒っているのか。もちろん毎日の低俗記事配信は許し難い行為ではあるものの、実は理由はそれだけではない可能性がある。大手広告代理店の幹部はこう説明してくれた。「毎日は新聞業界の中でも産経と並んで媒体力が弱く、もともとスポンサーは広告を出したがらない媒体だった。たとえば以前、大手証券会社が金融新商品の募集広告を朝日と毎日の東京紙面に出稿し、どのぐらいの募集があるのかを調べてみたところ、朝日からは数十件の申し込みがあったのに対し、毎日からはゼロだったという衝撃的なできごとがあった。比較的都市部の読者を確保している朝日に対して、毎日の読者は地方の高齢者に偏ってしまっていて、実部数よりもずっと低い媒体力しか持っていないというのが、いまや新聞広告の世界では常識となっている」

 そしてこの幹部は、こう話した。「景気が後退し、そもそも広告予算そのものが削減される方向にある。それに加えてインターネット広告の台頭で新聞広告の予算はますます減らされる状況にある中で、毎日の広告など真っ先に削られる運命だった。そこに今回の事件が起きたことで、スポンサー側としては事件を口実にして、一気に毎日への広告を止めてしまおうという戦術に出ているようだ。これまで毎日は媒体力の低下を必死の営業で何とか持ちこたえてきていたが、今回の事件で一気に堤防決壊に向かう可能性がある」

 この毎日の現状は、他紙にも知られつつある。ネットの世界では「朝日や読売が漁夫の利で毎日を追い落とす口実に使うのではないか」といった声も出ているが、しかし業界全体をとってみても、そういう雰囲気ではまったくない。毎日を追い落とすどころか、「次はうちがやられるのではないか」という不安と恐怖が、新聞業界全体を覆いつつあるのだ。

恐怖感が新聞業界に蔓延している

別の全国紙社会部記者の証言。「毎日の低俗記事事件をきちんと報道すべきという声は部内でも多かったし、僕もこの問題はメディアとして重要な事件だと認識している。でもこの問題を真正面から取り上げ、それによって新聞社に対するネットの攻撃のパワーが大きいことを明確にしてしまうと、今度は自分たちのところに刃が向かってくるのではないかという恐怖感がある。だから報道したいけれども、腰が引けちゃってるんです」

 この事件のマスメディアでの報道が少なく、扱いも小さいのは、「同じマスコミ仲間を守ろう」というような身びいきからではない。この記者も言うように、不安におびえているだけなのだ。

 こうした状況に対して、毎日社内ではどのような受け止め方をされているのだろうか。

 知っている方もいらっしゃるかと思うが、私はかつて毎日新聞で社会部記者をしていて、社内に知人は多い。現在の朝比奈豊社長は二十年近く前、私が地方から上がってきて、憧れの東京社会部で初めて参加した『組織暴力を追う』取材チームの担当デスクだった。その後彼が社会部長となってからも、部下として良い仕事をたくさんさせてもらった。私が会社を辞めるきっかけになったのは、脳腫瘍で倒れて開頭手術を受けたからだが、このときもずいぶんとお世話になった。いわば恩師である。

 また法務室長は私が遊軍記者時代に直属の上司だった人だし、社長室広報担当は一緒に事件現場にいったこともある先輩記者だ。毎日新聞社前で行われたデモに対応した総務部長も、尊敬する先輩記者である。デジタルメディア局長は毎日時代はおつきあいはなかったが、ここ数年はとても仲良くさせていただいている人である。今回の事件では先輩や上司や恩師や、そういった私にとっては「身内」的な人が総ざらえで出演していて、なんだか悪夢を見ているような感覚がある。

なぜあり得ないほどひどい事後対応だったのか

しかしながら恩師や先輩や上司の人たちに背くようで申しわけないけれども、今回の事件に対する毎日新聞の事後対応はあまりにもひどすぎた。すでにあちこちで指摘されているが、まず第一に六月二十八日に本紙に掲載した「おわび」記事の中で、「インターネット上には、今回の処分とは全く関係のない複数の女性記者、社員個人の人格を著しく誹謗・中傷する映像や書き込みが相次いでいる。毎日新聞はこうした名誉を棄損するなど明らかな違法行為に対しては、法的措置を取る方針でいる」という文言が加えられていたこと。

 第二に、取材に対する対応があまりにも酷かったこと。たとえばこの問題をメディアとして最初に報じたJ-castニュースに対する木で鼻をくくったような対応や、PJニュースの市民記者に対する信じられない対応ぶりを見れば明らかだ。

 そして第三に、毎日社内でこの問題をどうとらえ、どのような議論が行われ、そして社員たちがどうネットからの反応を受け止めているのかといったことが、まったく表に出てきていないこと。7月20日には見開き二ページを使った検証紙面が掲載されてはいるのだが、この記事では事件を起こした経緯が書かれているだけで、その後の事後対応についての考え方についてはいっさい触れられていない。それどころか記事内では、ジャーナリスト柳田邦男氏の信じられないコメントが掲載されていた。「失敗に対する攻撃が、ネット・アジテーションによる暴動にも似た様相を呈しているのは、匿名ネット社会の暗部がただごとではなくなっていると恐怖を感じる」

 こうした対応だけを見ると、毎日社内は「反ネット」に凝り固まり、ネット憎悪の気持ちだけがふくれあがっているようにも見える。しかし現実の毎日社内はそれほどの一枚岩ではない。そもそもこの会社の特徴は、ガバナンス(内部統率)という言葉が存在しないほどに無政府的なことであって、まともな社論もなければまともな組織もない。ガバナンスがないから、異様なぐらいに天皇制を攻撃する変な記者がいたり、今回の事件でもオーストラリア人記者が上司の目のないところで低俗記事をまき散らしていた。要するに社員の大半は上司の命令など無視して、自分のしたいことを好き勝手にやっているだけなのだ。

 しかしそうしたガバナンスの欠如は、悪いところであるのと同時に、良いところでもある。毎日が調査報道に強く、新聞協会賞を数多く受賞しているのは、そうやって好き勝手な記者たちが自分のやりたいことをやり続けている結実でもあるからだ。実際、私にとっても毎日新聞という会社は自由で居心地の良いところだった。

ガバナンスの不在

そういう会社が一枚岩であるわけがない。だがーーそこがまたこの会社のきわめて中途半端なところなのだがーー今回のような事件が起きると、急に「ガバナンスをきちんと確立しないと」という機運が高まり、外部に対して情報を絞り、一元化しようとする。本当は無政府状態なのに、必死に一枚岩に見せようとして、結果的に「毎日はネット憎悪で凝り固まっている」というイメージを固めてしまう結果となっている。馬鹿としか言いようがない。

 しかし実際には、毎日社内にはかなりの論争が起きているというか、対立のようなものが発生している。端的に言えば、それはネットに対して歩み寄ろうとしている人たちと、ネットを批判している人たちの対立である。後者のネット批判者たちの中心には、昨年正月に毎日紙面に連載されてネットの言論空間でたいへんな物議を醸した『ネット君臨』に関わっている人たちがいる。

 『ネット君臨』について私の立場を言っておくと、昨年にはこのCNETのブログで、「毎日新聞連載『ネット君臨』で考える取材の可視化問題」、「毎日新聞『ネット君臨』取材班にインタビューした」という2本のエントリーを書き、毎日の取材を強く批判した。またこの一連の取材経緯は、昨年夏に講談社から刊行した『フラット革命』(講談社)という書籍でも詳しく書いている。

 そして朝比奈社長は言うまでもなくネット君臨派だ。彼はネット君臨の連載当時は、編集の最高責任者である主筆の立場にあり、柳田邦男氏や警察庁の竹花豊氏、ヤフーの別所直哉氏に加えて私も参加した「ネット君臨」識者座談会で司会を務めた。この座談会で私が「ネットの匿名言論には、会社の圧力などに負けて実名では発言できない人たちが、正論を言える場所として重要な意味がある」といった話をしたところ、彼は「そんな卑怯な言論に答える必要はない」と司会者の立場も忘れて反論を始めた。私が「匿名でしか発言できない立場の人間には有効なのではないか」と言い返すと、「そんな者の言うことは聞く必要がない。言いたきゃ実名で言えばいいんだ」と切って捨てた。

 朝比奈社長は一九六〇年代末、東大農学部の全共闘のメンバーだったと言われており、マスメディアには彼のような学生運動経験者が大量に流れ込んでいて、いまや編集、経営の幹部クラスに名前をぞろぞろと連ねている。彼らは「自分が時代の最先端を走っていると信じていて、自分が理解できないものはいっさい受け入れない」という全共闘世代の典型的な特徴を備えている。だからインターネットのような新しいメディアの本質を理解しようとしないし、歩み寄る気持ちもない。

「あの連中」という侮蔑的な呼ばわり

しかしこうした考え方は朝比奈社長のような全共闘世代の幹部たちのみならず、毎日の「ネット君臨」派の人たち全体に言える性質のようだ。中には三〇代の若い記者もいるが、しかし彼らは「ネットで毎日を攻撃しているのはネットイナゴたちだ」「あの連中を黙らせるには、無視するしかない」などと社内で強く主張していて、それが今回の事件の事後対応にも影響している。

 しかしこのように「あの連中」呼ばわりをすることで、結果的にネット君臨派は社内世論を奇妙な方向へと誘導してしまっている。「あの連中」と侮蔑的に呼ぶことで、「あんな抗議はしょせんは少数の人間がやっていることだ」「気持ちの悪い少数の人間だ」という印象に落とし込もうとしている。実際、今回の事件の事後対応で、ネット歩み寄り派の人たちが「事件の経緯や事後対応などについて、あまりにも情報公開が少ないのではないか。もっと情報を外部に出していった方が良いのではないか」という声が出たのに対し、彼らネット君臨派は「そんなことは絶対にするな。2ちゃんねるへの燃料投下になる」と強くたしなめたという。実際、情報を出せば2ちゃんねるに新しいスレッドが立つ可能性はきわめて高かったから、この「指導」は経営陣にも受け入れられ、この結果、情報は極端に絞られた。いっときは毎日社内で、「燃料投下」というネット用語が流行語になったほどだった。

 それが先に紹介したようなPJニュースなどへのひどい対応につながったわけだ。しかし皆さんもおそらくそう受け止めると思うけれども、彼らネット君臨派のの考え方は、明らかに間違っている。

 少しエントリーが長くなってしまった。まだ書くべき話はたくさんあるーー毎日幹部から私に対してある相談と要請があった話などーーが、次回エントリーに回すことにしよう。
最終更新:2008年08月11日 18:48