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涼宮ハルヒの経営I 仮説5 電気ストーブ

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hiroki2008

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仮説5 電気ストーブ

仮説4の一部だったが仮説5の亀の登場のために修正された話
元々は亀ではなく電気ストーブのループだった



 翌日の夕方、朝比奈さんが緑色の物体を抱えてきた。
「なんですかそれ。えらく懐かしいストーブですね」
「スイッチが入らなくなくなっちゃって、直せないかしら」
未来には家電店がないんだろうか。それとも古すぎてメーカーが修理してくれないとか。近頃じゃ燃えたり煙が出たりしてリコールになるストーブが多いんだが。
「これってもしかしてハルヒが映画のスポンサー料とかいって電器屋さんからせびったやつじゃ」
「ええそうよ。ってこれをわたしにくれたのキョンくんじゃ……」
そうでしたっけ?俺はカンダタがぶら下がっていたのよりはずいぶんと細い記憶の糸をたぐりよせたが、いっこうに覚えがない。
「あっ、ごめんなさい、このときはまだ……」
朝比奈さんがぺろりと舌を出して自分の頭をコツンと叩いた。前にも似たようなシーンを見たな。俺はこっそりと耳打ちした。
「もしかして未来の情報ですか」
「えっと、禁則事項です」
朝比奈さんはそう言っていつものウインクをした。これは楽しいことが起こりそうな予感がする。オラなんだかワクワクしてきたぞ。
「あらっ、なんだかすごくレトロな家電じゃないの」
未来から来たのかお前は。ハルヒがキラキラ目で俺たちの電気ストーブを見た。
「何かと思ったら北高の部室にあったやつじゃないの。これもらうの苦労したんだから」
倉庫に眠っていた去年のあまりモノをもらっただけだろ。
「今は朝比奈さんのものらしい」
「あらそうなの。まあいいわ、みくるちゃんにはいろいろ楽しませてもらったしねぇ。ボーナスとして進呈するわ」
ハルヒはキヒヒ笑いをしていた。あの日俺がいない間になにをやってたんだ。あのとき俺はハルヒにいいつかって通学路の坂道を延々と下り、電車にふた駅乗って商店街まで行き、ストーブを受け取ってその足でまた坂道を登って学校まで取って返したのだ。雨が降っていて寒かったのを今でも忘れないぞ。
「怪訝な顔をしてるところを見るとまだバレてないみたいね」
ハルヒが朝比奈さんにウィンクした。朝比奈さんは困った顔をして笑っていた。な、なにがあったのか知りたい、すごく知りたい。古泉、お前は知ってるんだろ、と顔を見てみたが肩をすくめて笑うだけだった。
「電源入らないの?」
「ええ。昨日からつかなくなっちゃって」
「キョン、ちょっと祝川商店街まで行って修理してもらってきなさい。おたくで買った電気ストーブ壊れてるわよって」
な、なに言い出すんだお前は。七年も前の電気ストーブでしかもタダで進呈を受けといてあつかましいにもほどがある。
「とにかく行ってきなさいよ。修理代は経費で出してあげるから」
その経費は俺たちが汗水たらして働いて得た金なんだが。やれやれ、俺はあいわらずハルヒのパシリか。どうせ駅ひとつだ、散歩のつもりで行ってくるとするか。
「じゃ行ってくるわ」
俺がネクタイを緩めて背広を羽織ると、長門が椅子から立ち上がって自分も行くと言い出した。すぐそこだから別に気を使わなくていいぞと言ったが無言でロッカーからダッフルコートを出してついてきた。
「ダッフルコートはまだ暑くないか?」
「……」
まだ十月だし、そんな厚着をするほど寒いってこともないと思うんだが、もしかして最近の長門は冷え性なのか。

 ひと駅分の乗車券を二枚買い、電車に乗り込んだ。ちょうど下りの通勤客が込み合う時間で、俺と長門はつり革にぶら下がっていた。

「こんちわー」
大森電器店の奥に呼びかけるとご主人が出てきた。あれから七年ほど経っているが白髪が少し目立つようになっただけでほとんど変わりはなかった。
「どうも、ご無沙汰しております」
店の主人は、はてどこかで見たような顔だなという表情をし、頭の上に乗っていたメガネをかけなおしてまじまじと俺と長門を見た。
「失礼、どちらさんでしたかな。最近物忘れがはげしくて」
「ええと、だいぶ前に北高の文化祭で映画を撮ったときにスポンサーをお願いした……覚えてらっしゃらないかもしれませんが」
「ああ、ああ。思い出した、あの元気な娘さんの、バニーガールの」
ご主人は両手でうさぎの耳の格好をしてみせた。バニーガールだけは忘れろといわれても無理だろう。
「その節はいろいろとお世話になりました」
「いやぁ懐かしいな。その後どうしてました」
「まあふつうに大学に行きまして、あいつは今会社作って遊んでます。俺たちはその社員で」
「そうなのかぁ。いやぁ、あの娘さんはなにかやる人だとと思ってたが、今は社長さんか。はっはは」
なにやら感心されている。ええまあ、なにをやりたいのかよくわからん会社なのですが。
「それで、あのときいただいたこの電気ストーブなんですが、スイッチが入らなくなったので修理に出せないかと」
「あ、あはは。これもまた懐かしい。売れ残りで申し訳ないと言ったんだが是非にと言われて。七年も使ってくれて嬉しいねぇ」
「は、はあ。あのときは涼宮がご無理を言ったみたいですいませんでした」
「もう十分モトは取れたでしょう。新しいのにしませんか」
ご主人はショーウィンドウに飾ってあるファンヒーターを指差した。それもそうだなと考えたんだが、これはSOS団の歴史の遺産よとごねるハルヒの顔が脳裏に浮かんだので修理を頼むことにした。
「すいません、これには特別な思い入れがあるらしくて、なんとか修理できませんか」
「ああ、わかるよ。昔の家電には思い入れがあるんだよね。最近じゃ買い替えが進んで愛着すら湧かない」
ご主人は奥から工具箱を持ってきて、プラスドライバーでストーブを分解し始めた。
「すぐ修理できそうですか」
「たぶん五分くらいで直るよ。この手のはスイッチが炭化して接触が悪くなったとか、ヒューズが切れた程度のもんだから」
昔の家電は単純でいい。メンテナンス性抜群だ。
 結局溶けたヒューズを交換して、たまったホコリを掃除してもらい新品同様に戻った。部品代だけでいいよと言うので財布を探ったんだが、おかしなことに一円玉が四枚しか入ってなかった。なんで四円しか……。
 長門に立て替えてもらって俺は何度もお礼を言って店を出た。量販店で買うより、こういう一対一で会話が出来る店のほうがなんだかココロ暖まるよな。

「どっか寄って帰るか?」
思ったより時間が余ったので長門に聞いた。
「……行きたいところがある」
「いいよ。時間あるし」
長門は少しだけうなずいて先を歩いた。たぶん図書館か本屋だろう。

 日も暮れかかり、吹きぬける風がそろそろ冷たくなってきた祝川駅のホームでじっと登りの電車を待った。暖かくて甘いものを食って帰りたい気分だ。
「善哉でも食って帰らないか。北口駅前に新しく甘味屋ができたらしいぜ。あんみつでもいい」
「……そう」
 あんまり甘いのを欲しがるたちではないんだが、疲れてるのかななどと考えつつベンチに持たれていると、どこからか地響きがしてきた。ダンプでも通りがかったのかと思ったがそうではない。聞こえてくるのははるか線路の下りの方角だ。
「な、なんだあの音」
空自の戦闘機でもあんな音はしないぞ。戦車でもないし、あれはどっちかというともっとのどかな、古き良き日本の風景を思い出させるような……ってなに悠長なこと言ってんだ俺は。遠くで汽笛が鳴った。え、汽笛?
 俺が電気ストーブを抱えたまま音の主を探してキョロキョロしていると、長門がベンチからスクと立ち上がった。
「な、長門、あれはいったい何だ?」
長門はなにも答えず、ホームの客車の乗り口の矢印の下でピタリと止まった。
 ホームから西を見ると汽笛の主は、モクモクと黒い煙を吐き、白い蒸気を漏らしながら走ってくる蒸気機関車だった。な、なに考えてんですか、蒸気機関車つったら山口とか北陸とか磐梯会津とか、それもシーズン中に走るだけでしょうが。
「長門、なにやってんだ、蒸気で蒸し焼きになっちまうぞ」
「……」
長門は俺に向かって、猫のように手招きをするだけだった。
 轟音を響かせながらホームに入ってきた機関車は、砂をかませてレールをきしませながらどっこいしょという感じで止まった。機関車もだが客車もえらく古い、長門は木製のドアを手で押して開けている。手動かよ。
「……乗って」
乗ってって、こいつどこに行くんですか。もしかして行き先に天国行き片道とか書いてませんか。長門が何度も手招きするので足が勝手にギクギクと動いて客車に入った。客室に入ると、なんだか、ずっと前にかいだ記憶があるような、油の匂いがする。床も木製、シートは青い布張りに木製の枠。
 長門は車両の真中あたりのシートにすとっと座った。俺も電気ストーブを抱えたまま、向かい側に座った。長門を見るがなにも答えず、窓の外を見ている。
 俺たち、いったいどこに連れて行かれるんだろう。落ち着け俺、よく考えろ、この状況は前にも、いや一度も似たような経験はない。ここは閉鎖空間ではないし、平行世界でもない。まわりを見回してみたが、客は俺たち以外誰も乗っていない。これは完全に天国行きが決まったな。俺は自分の記憶に最も身近な電気ストーブをぐっと抱きしめた。俺の正気を保つにはお前だけが頼りだ。
 オロオロと考えをめぐらせていると汽笛が鳴って、客車がガクンと揺れて動き出した。連結器の錆びついた金属が擦れる音をさせながら、機関車はゆっくりと力強く俺たちを引き始めた。
 長門がやっと俺のほうを向いた。
「……いつか、あなたと旅をしたかった」
それにしちゃあこんな唐突に、しかも時代錯誤はなはだしい石炭を焚いて走る列車にしなくても、と思ったが、そうだな、確かに長門を旅行に連れて行ったことがいまだかつてない。それにしてもこの古めかしい車両なんかで……、いや、もうよそう。どうせ一駅だ、五分とかからん。これはたぶん、長門のちょっとした遊びなのだ。

 窓の外は蒸気の名残を残しつつホームを離れ、町の風景に変わっていった。長門は窓際の小さいテーブルに肘を乗せ、窓の外を見ている。これはいい絵だ。
「それにしてもSLってのは迫力あるな」
「C56形、一九三五年より一九三九年まで、百六十台が製造されたうちの一台」
もしかして長門は鉄ちゃんなのか。
「……そうでもない」
ミリタリヲタだったり鉄ヲタだったり、いろいろ趣味があんのな。俺より多趣味かもしれん。
 俺もまねをして窓の外見ていたのだが、流れる風景を見るにつけてだんだん不安になってきた。たった今、駅の看板が駿足で走っていったぞ。
「長門、北口駅を通り過ぎたんじゃないのか」
「……そう」
「もしかしてこれ特急ですか」
「……落ち着いて」
「はい。落ち着いた」
北口駅を抜けたってことは始発駅まで行ってしまいそうだよな。まあいい、そこで降りて折り返せばいいだろう。しかし私鉄のこの路線でSLが走るなんて前代未聞だぜ。駅員も客もぜんぜん驚いた顔してなかったが、あれが現代人の無関心ってやつか。
 北口駅からさらに駅をひとつ飛ばして、なぜか列車は下り坂になった。え?窓の外を見るといきなり壁が迫ってきて真っ暗になった。おいおいこんなところにトンネルがあるなんて聞いてねーよ!もしかして地下乗り入れか?ってこの路線の地下化は数年先の話だろう。窓ガラスに長門のなんでもないという表情の顔が映りこんでいて、俺と目が会った。なんだか笑ってるような気もする。
 ゴトゴトとレールの継ぎ目を車輪がまたぐ音がリズミカルに聞こえ、窓ガラスがガタガタと揺れた。上を見上げるとぼんやりと明かりが灯っていた。蛍光灯じゃなくて、で、電球ですか。えらく懐古趣味だな。

 窓の外のトンネルはまだ終わらない。このまま行けば隣の県にまで達してしまいそうだ。
「長門、なんだか寒くないか。この車両暖房効いてるのかな」
「……暖房は、ついていない」
俺は凍えそうだよ。長門がダッフルコートを着てるのはそれでだったのか。窓に息を吹きかけると白く水滴が広がった。急激に室温が下がっていた。

 県境の長いトンネルを抜けると……雪国だった。脳の底が白くなった。信号所を過ぎたあたりで思考が止まった。もう驚かねえ。これはなにかの夢なんだ。随分昔に見た映画が俺の夢の中で再現されてるだけなんだ。俺は急に風景が変わった窓の外を凝視して、目をこすった。列車は森の中を走っていた。杉の木の上に降り積もった雪がこんもりと丸く固まり、機関車の巻き起こす蒸気と風で地面に落ちてゆく。木の枝が窓のそばまで迫っては離れていった。前の車両から汽笛が淋しく聞こえてくる。
「そろそろ教えてくれないか。どこへ行く気なんだ」
「……未来へ」
「この機関車で?」
「……これは時間移動している」
なんと、石炭で走るタイムマシンなのか。デロリアンよりローテクノロジーだな。
 俺が寒さでガタガタ震えていると、長門が立ち上がってダッフルコートを脱いだ。いいって、お前が寒いだろと言おうとしたのだが、コートをシートの背もたれにかけ、右手を上げて詠唱した。カシミヤのコートが一枚の毛布に変わった。なるほど。
 長門は毛布を俺と自分の肩にかけて、隣に寄り添った。これは暖かい。
「ありがとよ」
「……」
俺は長門の肩を抱き寄せた。そういえばこんなふうに二人だけでいる時間が、このところあまりなかったよな。

 外を見ると、森を抜けて平地を走っていた。見渡す限りの大雪原だった。ゆるいカーブを描いて盛り上がった白い大地の上に、葉が落ちて裸になった木々が針のように伸びていた。うす曇りの天から舞い降りた雪がどんどん後ろに流れていく。
「なあ長門」
「……なに」
「古泉が言ってたことがあるんだが、この世界って誰かが見ている夢みたいなものかもしれんな」
「……」
 俺たちの乗った列車は、いくつかの丘を越え、いくつかの鉄橋を越え、それからいくつかのトンネルを抜けた。毛布一枚を分け合う俺たちは互いの体温をいとしいばかりに感じあい、うとうとと眠りについた。列車の心地よい揺れに合わせて、足元で電気ストーブがコトコトと音を立てた。俺たちいったいどこまで行くんだろう。ずっと二人でいられるんだろうか。それとも、たいていの男と女がするように心変わりするんだろうか。居眠りしながらこんなふうに未来を案じたことを、二人でしみじみと話す日が来るんだろうか。

 この列車がたどり着く先に、もしかして俺たちがいるのかもしれない。長門は相変わらず本を読んでいて、その隣でうたたねしている俺がいるのかもしれない。流れる窓の外を見ながらぼんやりと未来の俺たちのことを考えていた。
 乗車券を拝見します、という声で我に返った。俺と長門以外でこの列車に誰かが存在していることが不思議で、俺は伸び上がって前の車両のドアを見た。車掌はふつーにその辺にいそうな中年のおっさんで、別に目が光ってたり機械っぽい様子はなかった。車掌は俺の私鉄のキップをまじまじと眺め、スタンプを押してよこした。スタンプには丸い赤で囲まれた4と押されていた。長門のほうはチラと見て会釈しただけで、キップを見なかった。そのまま音も立てずに後ろの車両に行ってしまった。
「なんだあいつ。長門のはいいのか」
長門は何も言わず微笑んでいた。もしかしてこの列車、長門の親玉が動かしてるのかな。

「……起きて」
どれくらい眠っていたのだろう、長門の声で目が覚めた。列車の揺れもレールのきしみも止まっていた。
「着いたのか」
「……そう」
ここはいったいどこなのだろう。窓の外を見たが、あいかわらずの雪景色だった。俺は旅は道連れとなった電気ストーブを大事に抱え、毛布から元の姿に戻ったらしいダッフルコートを着た長門の後についていった。俺と長門の体温を残した青いシートを、なぜか名残惜しく感じた。
 木のドアを開けると、冷気が入り込んできて俺はぶるっと震えた。ホームに下りると、厚く積もった雪の上に足跡を深く刻んだ。革靴の外から雪に温度を吸い取られて、足が冷たかった。
 機関車はモクモクと黒い煙と蒸気を吐いていた。いったい誰が運転してるんだろうか、さっきの車掌が運転手兼任してるのかなと機関室を覗こうとしたが、汽笛が鳴った。そろそろ出発の時間らしい。
「行っちゃうけど、いいのか」
「……いい」
 ゆっくりと、雪に埋もれたレールを掻き分けながら機関車は動き始めた。蒸気を吐き吐き、自らの重い鉄の塊を前に押し進めていく。大きな駆動輪に繋がったシャフトが前に後ろに動き、雪のホームを離れていった。流れていくほかの客室にも人は乗っていなかった。列車はやがて音と共に小さくなり、地平線の向こうに消え、遠くで物悲しく汽笛が響いた。あとには静寂だけが残った。
「行ってしまったな。ここ、なにもないけどどうするんだ?」
一面白い風景の中、ポツリと緑の家電を抱えてた野郎と小柄な女の子がひとり、ホームにたたずんでいる。そのホームも少しずつ白く覆われそうだ。
「……人を待っている」
誰か迎えに来るのかな。

 雪の向こうから人の影がこっちに歩いてくる。小型の蒸気機関車のようにはっはっと白い息を切らしつつ、雪を掻き分けて進んでいる。
「キョンくん、長門さーん、やっと会えたんだぁ」
「あれれ、朝比奈さんですか!」
こめかみから汗を垂らし、顔を真っ赤にしながら朝比奈さんがやってきた。かきわける雪が深くてなかなか進まない。頭に毛糸の帽子を被り、赤い半纏を着ている。履いているのはモンペに雪靴ですか。そのコスプレ渋すぎますよ。
「会いたかったぁ」
朝比奈さんは俺と長門に抱きついた。さっき会ったばっかりなのにこの感動の再会は、っていったいいつの時代の朝比奈さんなんでしょうか。どっちかというと朝比奈さん(小)っぽい感じがするんですが。
「随分待ったのよ。あの機関車って三ヵ月に一本しか来ないんだから」
「あんまり便利そうじゃないタイムマシンですね」
「うふふ。時間移動列車はレトロ趣味と鉄道ヲタクの人向けなのよ」
どうりでやたら古くさい客車でしたよ、暖房ないし。
 朝比奈さんは思い出したように半纏の袖を振って見せた。
「どうかしらこのレトロ雪国スタイル」
レトロというか、俺たちの時代の北国ならふつーにいると思いますけど、似合ってます。
「寒いでしょう、気象コントロールのせいでこのところ雪が続いてね。とにかくうちに行きましょう」
「気象コントロールって、未来では人工的に雪を降らせてるんですか」
「そうよ。来月から地上で冬季オリンピックがあるの」
なーんだそういうことか、はっはっは。よく分からないまま俺と長門は朝比奈さんの後についていった。ホームのあった場所が見えなくなって三十分くらい歩いたところ、雪の中にぽつりとドアが立っていた。ドアというよりエレベータの箱っぽいんだが。朝比奈さんが手をかざすとそれは開いた。
「二人とも乗って」
なんか前にも似たようなシーンに出くわした覚えがないでもないですが。このエレーベータはまったく揺れなかった。ボタンらしいものもなく、右上に赤いカウンタがついているだけだった。あれはもしかして深度表示か。三十秒ほどするとカウンタが二〇〇になり、まさか二百メートルの地下じゃなかろうなと思ったらやっぱりそうらしい。ドアが開き、そこにあったのは超巨大空間だった。天井に青空の映像が映っている。
「うおあああ」
思わず声を上げてしまった。町ひとつくらいは軽く入りそうな空間がそこにあった。
「未来では地下に住むのが流行ってるんですか」
「地上は少し前の時代まで汚染されてたの。自然を保全するためにわたしたちは地下に潜った。地上に建物を建てるのは禁止されてるの」
なるほど。賢い選択かもしれない。
「こっちよ、迷子にならないでね」
朝比奈さんは野菜を栽培してるっぽい畑を抜けて、水の流れる公園を抜け、さらにいくつもの建物を抜け、自宅らしき集合住宅に案内した。なんで出来てるのだろうか、建物はセメントではなく、硬いけど滑らかな材質だった。ドアがいくつも並んでいて、こりゃワンルームのアパートくらいの部屋だろうなと思わせるくらい密集していた。地下に住んでるとなりゃ、一人あたりの使える面積は狭くなるだろうな。
 道々に一般市民らしい人々を見かけたが、特に未来人らしい格好はしてなかった。服装はシンプルにはなっているようだが、たいして変わらないらしい。てっきりスピードスケートの選手が着るような上下ぴったりの衣装みたいなやつかと思っていた。
 朝比奈さんの部屋は4号室だった。建物には4号って、ふつー存在しないはずなんだが、未来では縁起かついだりしないのか。朝比奈さんがドアに片手を触れると、すうとドアが消えた。
「さあ、入って。わたしの部屋よ」
「おじゃましま……」
入ってみて、こりゃたまげた。部屋の広さと、ドアと隣のドアの隙間を見比べた。この広さは物理的におかしい。どう考えても隣のドアを抜けちまってる。何度もドアの外と内側を見比べていると、朝比奈さんがクスクス笑っていた。長門も口のはしで笑っている。
「……これは、空間を閉じ込める技術」
なるほど、外からの見た目より中のほうが広くできるんだな。これは土地の狭い日本ならではの技術かもしれん。
「ともかく入って、お腹すいたでしょう?」
俺は靴を脱いで入った。なんだか妙に懐かしい感じがする。
「もしかしてこれ、長門んちと同じ間取りですか」
「そうそう、長門さんのマンションと同じね。いつもは壁と間仕切りがないんだけど、二人が来るから今朝模様替えしたの」
なるほど、自在に変更可能なんですね。実にうらやましい。俺はリビングに案内され、こたつに座って足を突っ込んだら床が凹んでいた。掘りごたつですかこれ。
「いまお茶を入れますからぁ、ゆっくりしてね」
朝比奈さんはぱたぱたをスリッパの音をさせてキッチンへ消えた。二人で部屋を見回した。花が飾られ、絵が掛けられ、長門の部屋よりずっと女の子らしい装飾をしている。花柄のカーテン、窓には、たぶん立体映像だろうけどイギリス風の庭園が見えていた。ちょろちょろと小川の流れる音も聞こえる。
「いいところに住んでますね」
「そう?ありがと」
朝比奈さんは嬉しそうだった。
「あれ、このこたつ電気が入ってないですね」
「それはイミテーションなの。ここは床暖房」
そうなのか。でもなんだか寒くないですか。
「昨日から暖房が壊れちゃっててね。だからこんなかっこしてるの」
朝比奈さんは半纏の袂を恥ずかしそうに振って笑った。
「暖房といえば、これ使えますよ。小さいですけど」
俺は持ってきた電気ストーブを見せた。長門がコードをコンセントに差し込んでスイッチを入れた。
「もしかしてこれのためにわざわざ時間旅行したのか」
「……そう。これは既定事項」
なるほどね。俺たち三人はぼんやりと灯った電気ストーブの赤いヒーターに手をかざした。
「この、ほの淋しくて暖かい光、懐かしいわ。こうやってると部室を思い出しますね」
「それはそうと、朝比奈さんはいつの朝比奈さんなんです?つまり、俺が北高を卒業して大学に入ってハルヒが会社作って、」
「涼宮さん会社作ったの?すごいわぁ」
ということは今俺たちのところに出張して来ている朝比奈さんより以前の朝比奈さんってことか。
「ええと、白雪姫の話をしてくれました?」
「白雪姫?そんな話したかしら?」
あらら、それより若いんだ。どうりで朝比奈さん(小)っぽい名残が。
「七夕のとき、光陽園駅前公園で茂みの中に潜んでました?」
「えー、あのときはずっとベンチに座ってたはずじゃ」
これ以上喋るのはやめとこう。禁則事項だ。
「ということはええと、俺はこれからいろいろとお世話になるわけです。未来に飛んだり過去に飛んだり」
「そうなの?知らなかった。わたしが知らないところでいろいろと活躍してたのね」
「いえまあ、ほとんどは朝比奈さんに言われてやっただけなんで。どういう理由でやってたのは今でも分かりません」
「わたしもずっと上司の言うことだけなにも知らずにやってたから。出来の悪い常駐員だったわ」
その上司はあなた自身なのですよ、と教えてやりたかったが、たぶんそのうち分かることだ。って待てよ、朝比奈さん(大)を指示していた上司がいるってことだよな。誰なんだろう。やっぱり朝比奈さん(特大)みたいな人がいるんだろうか。
「今はどうしてるんです?」
「もっぱら時間移動理論の研修ね。それから歴史の勉強とか、」
朝比奈さんはガバと立ち上がって台所に走り去っていった。な、なんだろ。
「善哉作ってるの忘れてたわ。二人とも食べるでしょ?」
「え、まじですか。今日ちょうど善哉を食いたいなと思ってたところなんですよ」
「……小豆は、好物」
朝比奈さんがお盆に載せて運んできた漆塗りっぽい器に、善哉と、その上には餅が乗っていた。素晴らしい、こんな寒い日にはこれに限る。
 三人でいただきますを言って善哉を食った。小豆の粒々がうまい。
「長門さん、おかわりあるからね」
「……うん」
心なしか長門の頬は緩みっぱなしなようである。長門はその後もおかわりを続けていたが、俺は二杯目でやめといた。胃の中で餅が膨れ上がりそうだ。

 それから三人で学生の頃の話に花が咲いた。赴任した当初はハルヒにいじられてつらかったけど、慣れたら快感になってしまって困ったと。きっと自分にはMっ気があるんだろうと。俺は朝比奈さんはSのタイプだと思ってたんだがな。
 俺は腕時計を見た。見ても現地時間に合わせているわけではないので意味はないのだが、そろそろ帰る時間じゃないかと思ったのだ。
「そろそろおいとましたほうが」
「あら、せっかく来たんだから泊まっていって。ちゃんと寝巻きも着替えもあるわ」
「え……」
まさか朝比奈さんちに泊まるとは考えていなかった。
「いいでしょ、長門さん」
「……泊まる」
長門のひとことで決まった。まあ、たまにはこういうのもいいか。
「帰るときはどうしたらいいんですか。あの列車って三ヵ月に一本ですよね、まさか三ヶ月もお邪魔するわけには」
「明日、発車時刻に合わせて駅のホームに連れて行くわ」
なるほど、未来でもタイムトラベルですね。え?

「じゃあ、今日はおでんでもしましょうか」
俺はあんまり食えそうにないが、長門はまだまだ食えるだろう。朝比奈さんは大根をもらいに行ってくると言った。未来じゃ食料品店とかないんだろうか。
「ここでは経済の仕組みがお金じゃなくてね、必要なものはジェネレータで生成するの。でも野菜を作るのは無理だから栽培所にもらいにいくの」
「お金がなかったら、ずいぶん平和でしょうね」
「そうでもないの。昔の生活がよかったと思う人たちもいてね」
まあ、未来人には未来人の苦労がある、と。
 長門が台所で手伝おうとするのを、朝比奈さんは「だめだめ、お客様だから」といって追い払った。前にも似たようなシーンがあったな。
 カセットコンロや卓上IHクッキングヒーターらしきものはなく、それ自身で発熱するという世紀の発明品らしい鍋でおでんをつついた。おでんはたいてい朝から仕込みをするわけで、朝比奈さんが大根を輪切りにし始めてから三十分くらいしか経ってないはずだが、なぜか実にいい味に染みていた。これも時間テクノロジーの恩恵か。長門はモクモクと食べ、俺はねりからしに涙し、そんな様子を朝比奈さんは微笑んで見ていた。

 腹が膨れて丸まってる長門がすやすやと寝息を立てる横で、俺と朝比奈さんはビールをすすった。
「長門さん幸せそうね」
「ええ」
「付き合ってるのね」
「ええ。朝比奈さんが卒業してしばらくしてからですかね」
「うらやましいわ……」
俺はほんとはあなたが好きだったんですよ、なんて言ったらえらいことになるだろうから言わなかった。朝比奈さんのことは卒業式できっぱりと忘れたんだから。
「あの、あれからどれくらい時間が経ったんです?」
「今は西暦で数える年号はなくなったんだけど、だいたい三百年後ね」
そ、そんなに未来だったんですか。
「じゃあハルヒとか古泉とかは」
「ええ。三百年だもの、もう亡くなってるわ」
「長門はどうなったんです?」
「それが、記録がまったく残ってないの。キョンくんと長門さんはある日突然、消息不明に」
うーむ。俺と長門にどういう未来が待ってるんだろうか。
「ふふ。どこか遠くの世界で、二人で仲良く暮らしてるのかもね」
遠くってどこだろう。続きが気になる。
 ボソボソと、懐かしき高校時代の話をした。SOS団の中でも俺と朝比奈さんにはなにか特別な、腹を割って話せる親しさがあったと思う。長門に男と女の間に友情は成立するか疑問があると言ったことがあるが、もしかしたらこれがその友情なのかもしれない。枝豆を口に放り込みながら、その後遅くまで話し込み、あくびを四度したあと隣の部屋に敷かれた布団に潜り込んだ。眠り込んだ長門の両足をひっぱって朝比奈さんの部屋に引きずっていった。

 夢のような一日だった。翌朝、目を覚ましても場所は変わっていなかった。三人で朝食を食べ、それから部屋を出た。
「……電気ストーブは、置いていく」
「壊れたら持ってきてください。そういう既定事項らしいですから」
「え、これくれるの?ありがとう、大事にするわ」
「よかったら毛布を貸してもらえませんか。あの列車の中すごく寒くて」
「いいわよ。二枚でいい?」
「ええ、助かります」
借りるといっても次いつ来れるか分からないのだが。

 来た道を逆にたどって、公園を抜けて野菜畑を抜け、エレベータで地表に出た。ドアが開くといきなり風と雪が舞い込んできた。外は吹雪いていた。
「今日は吹雪がひどいから、三ヶ月先に飛びましょう」
俺と長門は朝比奈さんと手を繋いで時間を超えた。三ヵ月先は雪がなかった。真っ青な晴れ渡る空に、見渡す限りの草原だった。まだ肌寒いが、春にはこんな風景だったんだな。緑の丘の上にぽつんと白いホームがあった。体中についた雪をはらうと、溶けて雫になった。
 草を踏み分けつつホームまで歩いた。昨日来たときよりさくさく歩き、十五分くらいでたどり着いた。
「もうすぐ来るわ」
朝比奈さんが腕時計らしいものを見た。例の電波時計だろうか。遠くで汽笛が聞こえた。地平の彼方から地響きと蒸気を吐く音を響かせてSLが走ってきた。ずっしりと重い鉄の巨体がホームに止まった。
 俺と長門はドアを開けて中に入った。窓を降ろしてホームにいる朝比奈さんと別れの言葉を交わした。
「時代と場所は分かったから、またいつでも遊びに来てね」
「ええ。ぜひ長門と一緒に来ますよ」
「……ごはん、食べに来る」
朝比奈さんはにっこりと微笑んだ。まあこれからは朝比奈さんのほうが俺の時代にちょくちょく来ることになるのだが。学生の頃の俺をよろしくおねがいしますよ。
 汽笛が鳴った。列車がゆっくりと動き出す。俺は一瞬だけ朝比奈さんの手を握って、放した。無人のホームにぽつんと小さな朝比奈さんがいつまでも手を振っていた。見えなくなるまで振っていた。

 窓を閉め、俺と長門は毛布を被ってまた眠った。二枚あったが重ねて寄り添った。外の景色を楽しむより、こうしていたかった。互いの体温を毛布で包み込んでそれを確かめるように眠った。

「……起きて」
「着いたのか。え……」
目を覚ますと、いつもの電車に乗っていた。え、夢オチ?出発のメロディが鳴り始めて俺たちは慌てて電車を降りた。北口駅だった。
「あれれ、夢だったのか」
なんだか気の抜けた気分だ。俺は頭をかきかき、どこまでが本当だったのか思い出そうとしていた。電気ストーブは持っていなかった。手にあったのは丸まった毛布だった。顔を埋めてみると、朝比奈さんの部屋の匂いがする。
「……この世界は、誰かが見ている夢のようなもの」
長門が少しだけいたずらっぽく、少しだけ微笑して言った。
「あそうだ。思ったんだが、朝比奈さんに時間移動で送ってもらえばよかったんじゃないのか」
「……わたしは、あなたと旅がしたかった」
長門が口を尖らせた。スマンスマン、俺はいつまでも無粋なやつだ。今度世界旅行にでも連れてってやるからな。長門はコクリとうなずいた。

 俺と長門は職場に戻った。ハルヒに電気ストーブはどうしたのかと聞かれて、古すぎて部品を取り寄せるのに時間がかかるらしいから預けてきたとごまかした。俺は朝比奈さんにこっそり耳打ちした。
「朝比奈さん、実は電気ストーブは戻ってきません」
「ええ、知ってるわ。よく考えたらそうなのよね、あれを持ってきてくれたのはキョンくんと長門さんだもの」
代わりに毛布を渡すと、朝比奈さんはずいぶんと懐かしいものを見つけたかのような表情をした。
 出どころを考えると頭が痛くなりそうな、あのループする緑色の電気ストーブはいったいどこから現れたのか、今でも謎だ。

暗転。
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