中田翔

1989年4月22日生まれ 広島県出身 O型
2007年高校生ドラフト1巡目で3球団競合の末獲得する。

当初より背番号6を与えられ、期待の大砲候補として入団。
プロ1年目の08年は素行不良なども伝えられ、骨折を放置される不運も重なり鎌ヶ谷で過ごし、一軍出場なしに終わる。

そして2年目に一軍初昇格。09年5月23日、7番DHでプロ初出場。初打席でヤクルトの先発バレットからいきなり左安打。
翌日も代打で安打を打つなど、打撃はすでに一軍レベル。だが三振も多い事から、スタメンとしての出場は少なかった。
交流戦終了後、チーム事情もあり二軍に降格したが、降格後初戦で本塁打を含む2安打4打点といきなり大暴れ。
09年度フレッシュオールスター(7月23日@札幌ドーム)にて4番に座り、2二塁打2打点の大活躍でMVPに選ばれる。
この年から、三塁手から一塁手に転向しているが、まだまだ守備が課題とされていた。

10年は外野手に再転向し開幕スタメン。肩の強さを発揮できる外野の水が合ったのかはたまた開幕戦の大暴送球で肩の力が抜けたのか、すでに大打者の風格を漂わせつつあったが、二軍落ち早々試合中半月板を損傷。悩んだ末に手術を敢行。復帰後まもなく一軍昇格、7月20日札ドでのロッテ戦で待望のプロ入り初HRをブチかました。その後たった11試合で8本塁打。結局シーズン9本塁打で終わったが、来期に向け大いに期待を抱かせる結果となった。
11年はオープン戦で大当たり。オリ戦では敬遠もされる。シーズンは初めこそヒットが出ずに苦しむが、その後の活躍はご存知のとおり。小谷野故障で4番に座ると4番の役割もきっちりこなす。
この年のオールスターにファン投票で初出場を果たす。

12年開幕後しばらくはさっぱり打てず。25打席目でついに第1号HRで初安打。栗山監督を泣かせる。それからまた不振で長いトンネルへ。そして今度は久々のヒットを第2号のサヨナラHR。そしてまた不振でトンネル…を繰り返す。前年はチームの打点王だったが一転して不振が続く。「北の打てん王」となってしまうのか、がんばれ翔さん。昨年に続き、ファン投票で外野手部門で2度目のオールスターに出場する。
夏場に入ると好調モードになり、1割台だった打率も2割、8月下旬には2割3分台にまでのせる。序盤は「4番中田というハンデ」など散々叩かれたが、ようやく4番打者としての仕事をこなせるように。そして公式戦では自身初のフルイニング出場を果たす。

13年WBC日本代表に外野手で選出され、第2ラウンドの台湾戦では決勝打となる犠牲フライを打つ。
同年05.03の楽天戦で、1試合3本のホームランを放つ(自身初)。春先は打撃好調を続け、3試合連続猛打賞もあったりして、5月上旬には打率4位(上位3人はヘルマン、イ・デホ、マギー)、日本人では三冠王という状態になったりする。何があったんだ、翔さん!そしてオールスターにファン投票で3年連続選出される。

10年から挑戦した外野守備はすっかり安定してこなし、打てなかった時は「守備の人」と言われるほど。自慢の強肩かつコントロールで、本塁補殺はもちろん、一塁二塁三塁にもレーザービームのような好返球で走者を刺し、築いた補殺の数は19で両リーグダントツの1位。さすがだぜ翔さん。
しかし14年から突如サードへ転向。帰って来た白井塾で後輩と共に散々しごかれていた。しかしオープン戦で打撃が振るわず、再び定位置のレフトに戻る。もも裏の痛みに苦しめながらも同年8月5日のオリックス戦において2本のホームランを放ち、通算100号のメモリアル達成。この年のオールスターにファン投票2位で選出(外野手部門)、2戦とも代打での出場で1安打。
同年はけがに苦しみながらも積み上げてきた100打点は小谷野以来の打点王に。さらにベストナイン(外野手部門)も獲得、シーズンオフの契約更改では2億円プレーヤーとなった。
そしてこの年の侍ジャパンのメンバーにも選出。全試合4番で出場、4安打(1本塁打)3打点であった。
15年のオールスターではファン投票で内野手(1塁)で選出、2年連続100打点(102)超えと自身初の30本塁打を達成し、この年のプレミア12のメンバーに選出されて15打点をあげて打点王に輝き、なおかつベストナインにも輝く。また、自身初のゴールデングラブ賞、ベストナインも合わせて受賞。16年には2年ぶり2回目の打点王、ゴールデングラブ賞とベストナインも獲得する。
17年はWBCメンバーに選出されるなどもしたが、シーズンに入って調子が上がらずに同年6月10日の対巨人にて4番から3番に打順を変更、それだけでなく同年7月8日の対ソフトバンクにおいて、打順が1番となった。
同年8月17日に国内FAの権利を取得も、同年11月14日にFA権を行使せずに残留が決まる。18年シーズンよりキャプテンに就任することが同年11月26日のファンフェスにて発表。
この年のオールスターでは1試合目で6番ファーストでスタメン、ホームランを含む4-2で2三振、2試合目は8回表よりファーストの守備で登場した。
18年シーズンでは清宮もいることもあり、同年4月16日には途中だが公式戦で久々にレフト守備につき、5月4日ではレフトでスタメンにもついた。同年5月9日の対オリックスでは残り3本となっていた通算1000本安打を、この日は猛打賞で固め打ちをして達成、また同年8月24日の対楽天にて通算200号ホームラン(平成生まれでは初)も本拠地で達成、この年のゴールデングラブ賞も受賞した。海外FA権を取得しており去就が注目されたが、同年11月13日に権利を行使せずに3年契約を結んだことが発表された。
この年のオールスターでは監督推薦で出場、ホームランダービーにも選出されるも1回戦で敗退、本戦1試合目で4番ファーストでスタメンも左ひじ付近に死球を受け、2試合目は大事を取って出場しなかった。
19年シーズンは開幕カードで逆転満塁ホームランを放つなどしていたものの、同年7月31日の対楽天で右手を痛め以降は精彩を欠いた。同年8月13日に診断の結果、右手母子球部挫傷と診断されて2年ぶりに登録抹消。
20年シーズンは新型コロナの影響でシーズンが遅れて始まったものの、序盤からホームランを量産。同年9月10日(対ロッテ)にて通算250本塁打を達成、途中不振もあったこともあり、ホームラン王のタイトルこそは1本差で逃すも、打点は108打点をあげて4年振りのタイトル獲得、またファーストとしてベストナインにも選出、この年のゴールデングラブ賞にも選出された。
21年シーズンはいろいろ苦しんでいる模様(後述)。同年8月20日に無償で巨人へとトレードとの発表。急転直下の出来事となった。

翔さんジャイアン伝説

  • なんでもない凡プレーでも札幌ドームを沸かすスター性を持っている。
  • いかついルックスとマスコミ報道のせいでナマイキなクソガキというレッテルを貼られているが、実は老人や子供に優しく、素直で可愛げもある年齢相応の好青年。トークの高感度も上がり、ますます人気急上昇中。
  • 二軍試合後のトークショーで歌を披露(曲はエグザイル)。意外なほど上手く、ルックスにそぐわぬ甘い歌声を聞かせる
  • チャリティCDで松山千春のモノマネを披露。高音部を含めてそっくり。中田一人でCD出しても行けるんじゃないかと言う声も。
  • Fマガでのほっしゃんへの質問企画で「なんで髪が薄いの?」と剛直球、ほっしゃん涙目
  • スライディングパンツと相性が悪いので陰毛をバリカンで刈るのが日課(バットは少年)
朝の特守から居残り練習まで、野球少年のように白球を追い続ける今キャンプの
日本ハム中田翔内野手(19)。そんな彼の大事な部分も“少年”であることが判明した。

きれいな丸刈り頭を保つため、宿舎ではバリカンを使い髪を切る。2月2日にも1度
散髪を行っているが、散髪が済むと、もう1つのルーティンがある。そのままバリカンを
股間(こかん)へと持って行くのだ。ジョリジョリ。自慢の大砲? の周りの毛を、丹念にカット。
黒光りするほど焼けた肌と胸板の厚い上半身だが、下半身は…。ユニホームを脱げば、
大人と子どもの魅力が同居したアンバランスな姿なのだ。

決して変な趣味ではなく、理由は大まじめ。プロ野球選手はユニホームの下に
スライディングパンツを装着する。練習中に「擦れるし、(毛が)挟まって痛い」という。
極限まで集中するために、編み出した対策が“剃毛”の儀式だったのだ。
「僕だけじゃないっすよ。みんなやってるはず」と照れたが、ある選手は
「僕はしてませんけど」。…あれ?

何はともあれ、それだけ激しい練習をしている証拠。今季レギュラーに期待のバットマンは、
“バット”にもこだわっていた。

  • 憧れの清原に「非凡だな」と褒められ「非凡って何っすか?」
  • 鎌ヶ谷灼けに飽き足らず日焼けサロンに通い、東海の龍を呆れさせる
  • ヒメネスに「二軍で何本ホームラン打ったの?」と問われ、「トゥエンティーワン」と答えヒメネスを驚愕させる。でもホントは12本。
  • 09年ペナントレースも佳境に入った9月25日三度目の一軍昇格、鎌ヶ谷から空路福岡に向かうが、乗っていた飛行機が白煙噴き出しあわや大惨事。当日の試合は延長12回の壮絶な譲り合い、リリーフが底をつき、あやうくマウンドに登らされかける。
  • 10年新春早々自主トレに虎ヘアーで登場、大顰蹙を買う。その後自ら丸刈り。…件のバリカンで?
  • ダルビッシュからの愛され方が相変わらずハンパ無い模様。twitterアカウント取得もプロフィールもダルによるもの。
  • 10号ムランを打った時、糸井に「2ケタお先ッス」(糸井談)
  • オールスター初出場時のコメントで「1位にならないと出られないんですよね」と発言。外野手選出なので3位までおkだよ、翔さん。
  • 11年ビールのCMにも出て大人の仲間入り。
  • メジャー移籍のダルに、これからの4番を背負って立つ選手になってほしいとエールを送られる。
  • 12年1月、高校の同級生と結婚。女子アナでもタレントでもなく同級生というのがイイ!とハムファン以外にも好感度アップ
    • 自筆の似顔絵がかわいいと評判
    • 就活中の彼女に「働かんでええ」
  • 12年オールスターで第3戦でマルチヒットを放ち、敢闘選手賞を受賞する。
  • 12年8月4日、4回の先頭打者なのになかなかベンチ裏から出てこず、栗山監督も田中コーチも苦笑いで審判に説明&謝る。その真相はトイレで大物だったというもっぱらの噂。そしてスッキリした後、終盤の打席では2ランHRを放つ。
  • 12年日本シリーズの第2戦にて、巨人の澤村から左手にすないぽされ打撲と診断。それをこらえて試合に出続けて、第6戦に澤村からリベンジの同点3ランを放つ。後日、左手第5中手骨の骨折と判明し、ハム専住民やファンを驚かせた。翔さん…。
  • 12年の契約更改の際にお小遣い制であることを表明、「家に帰ってもうひとつの契約交渉が…」。たしかこの人も(ry
  • この年のハワイV旅行でのゴルフコンペにおいて寝坊し、サンダル姿で現地に。練習なしで本番に臨み、最終18番で民家に打ち込んでしまい住人に怒られてしまう。
  • 2013.04.11の楽天戦で、フェンス際でのジャンピングキャッチを「フェンスに当たって捕球」と見なされ、返球しない間に打者走者に三塁まで進まれ三塁打に。そして次の打者がレフトにフライを打ち上げ、それならばと怒りのレーザービームで先の三塁走者を本塁でアウトにしてみせる(参考動画)。
  • 2013年オールスターで出場後SMAP中居にインタビューされ大谷くんの話になった時、イジメたりしてませんか?と聞かれ、「イジメてませんよ、まだ」
  • 同じく2013年オールスターで大阪桐蔭の後輩の阪神藤浪と対戦した時。2球連続超スローボールを投げてきた(同高校の大先輩たちからの指令で投げさせられた)藤波に、バットを放り出して詰め寄ろうとする。後に藤浪いわく「殺されるかと思った」
  • 某後輩が可愛過ぎて「間違い犯しそう」とポロリ
  • キャンプ中。夜中の1時頃、同室の杉谷に「洗濯物とってくる」と言い残し部屋を出て、一時間かけてカブトムシを捕獲。それを寝ている杉谷の顔面に這わせ、無邪気な顔で「ねぇ見て拳士!カブトムシとってきちゃった!」と汗だくではしゃいだことをトークショーで暴露される。
  • 交流戦などでの広島遠征時には若手を実家に呼んで母親たちの手料理をふるまっていた。
  • 16年納会ゴルフではあまりの寒さに杉谷の防寒具を拝借していた。
  • 17年シーズン開幕当初、ユニフォームのストッキングを上げるオールドスタイルで登場。だがすぐにやめてしまった。
  • Instagramなどによく娘さんを上げる、いいお父さん。
  • 19年8月9日の野球(89)の日に第3児となる男の子が生まれていたことをインスタグラムで発表していたが、公に応援大使訪問の場で発表、お立ち台に上がる機会がなく発表しそびれたらしい。
  • 21年には次男が生まれた事を公表。
  • 同年にはぎっくり腰を発症、また同僚選手に暴力行為があったと報道される。

中田メーター

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  嘲笑    中田(笑)   しょこたん   中田小     中田翔     中田中     中田大   男の中の男   称賛の嵐

                                   三三三三三▲   <キタ━━━━━━━━!!


中田翔オフィシャルブログ「野球道」
http://ameblo.jp/nakata-sho

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最終更新:2021年08月20日 22:52