清宮幸太郎

1999年5月25日生まれ 東京都出身
2017年に7球団競合の末にドラフト1巡目指名。

早稲田実業初等部から野球を始め、4年時に硬式野球(リトルリーグ)に転向。
中等部1年夏に3番で投打として活躍、リトルリーグ世界選手権優勝に貢献。その後シニアリーグでファーストとなる。
高等部へ進学後は1年春よりベンチ入り、入学式の3日後の試合に3番ファーストで初めて出場すると、プロ4球団の目前で勝ち越し打を放った。
この年の夏の甲子園にも出場するとホームランを2本放ち、同年のU-18ワールドカップ日本代表に選出。2年の秋に主将に就任。
3年春に選抜に出場、3安打を放つも2回戦で敗退、3年夏では地区大会決勝まで進むも決勝で敗れるもU-18代表に選出、主将を務めた。
予選ラウンド3戦まではわずか1安打だったが4戦目でようやくホームランが出た。その後もう1本出て高校通算111号となり、歴代最多を更新した。
帰国後に家族や関係者などと話し合いの末、同年9月22日に会見を行い、志望届を出すことを発表した(25日に提出)。
18年の新人合同自主トレで右手親指を負傷したが、同年の春季キャンプではルーキーからただ1人アリゾナ組に選出。負傷もあり当初は守備中心であったが、回復後にバッティングも行う。
沖縄では急性胃腸炎になるも驚異的に回復、練習試合では守備や代走が中心だったが、同年2月24日のオープン戦(対中日)にて打者としてデビューも空振り三振。同年2月28日の国際交流親善試合(vsLamigoモンキーズ)にて7番ファーストで先発&札幌ドーム初登場、第1打席でいきなりツーベースを放ち、結果2打数1安打1三振1死球であった(後述)。広島へ遠征中の同年3月12日に体調不良を訴えて帰京、限局性腹膜炎と診断も幸い、同年4月10日の2軍戦で実戦復帰。同年4月17日の2軍戦(対楽天)で公式戦初ヒットとなるツーベースを放ち、ホームベースも踏んだ。同年5月2日に1軍初昇格+対楽天にて即スタメン(6番DH)、第1打席でフェン直のツーベースを放った。同年5月6日の対ロッテにて内野安打を放ち、高卒新人で5試合連続安打となり新記録となり(これまでの記録は4試合連続安打で浅間AKDが最多であった)、同年5月9日の対オリックスでは好投手ディクソンから1軍初ホームランを放ち、初のお立ち台にも立った。同年5月25日の対西武の自らの誕生日にはプロ初の複数安打とタイムリーを記録した。同年5月28日に一度登録抹消後はイースタントップとなる15本のホームランを放つ(7月3日現在)。7月9~10日に一度再登録されたものの再び抹消。その後右ひじ痛が判明して下でも欠場が続いていた。同年8月11日の2軍対楽天にて指名打者として復帰、同年8月21日に再び1軍に昇格して25日の対楽天にて本拠地札幌ドームにて初本塁打を放つ(後述)も、右ひじ痛の為に打者のみでの出場にとどまった。
またこの年のフレッシュオールスターに選出、2つの三振を喫するも第2打席でホームランを放ち、これが唯一の得点となり優秀選手賞を獲得した。
19年シーズンはアリゾナ組、オープン戦の3月2日の対DeNAにてホームランを打ったものの、翌日の対DeNAにて9回裏の打席で右手首に痛みを訴える。翌日に病院での精密検査の結果、右手有鈎骨骨折と診断されて開幕は絶望(翌日手術、復帰まで3か月予定)、侍ジャパンにも選出されていたものの負傷のため辞退することとなった。更に10月には痛めていた右肘関節形成の手術を行った。
20年シーズンでは自身初の開幕メンバーに名前を連ねた。21年シーズンは2軍の生活の割合が多かったが、22年シーズンは自身初の規定打席に到達してプロ初の満塁ホームランを放つなど進化の1年であった。
23年のオープン戦ではホームラン5本を放ち単独トップに。同年4月1日の対楽天にて延長10回にサヨナラタイムリーを放ちお立ち台にも立った。

エピソード

  • 184cm101kg、堂々たる体格ながらも、50m走を6.3秒と足もある。
  • 父親はラグビージュビロ磐田監督で選手としても活躍した清宮克幸さん。
  • それもあってか小学校入学当初はラグビーもやっていた。
  • その父親と監督は旧知の仲である。
  • 好きなものは柿、指名あいさつの際に岩舘スカウトが手土産に高島屋の柿を持参していた。
  • 調布シニア時代に日本シリーズ第1戦目(東京ドーム)で始球式を務めた。この時からハムとの縁があったかも知れない(なおこの時の捕手を務めたのがツルであった)。
  • 鎌ヶ谷の施設見学の際にファウルゾーンの畑を見て不思議がっていた。
  • 同期評、田中瑛斗「思ったより話しやすくてこれから仲良くしゃべりかけられそう」、宮台「とてもいい好青年という印象」
  • 難波とは親交があり、LINEでプロ入りに向けて情報交換していた。
  • 寮生活でその難波から名前で呼び合おうと提案された際に下の名前を「ゆうすけ」と呼んでいた(正しくは「ゆうへい」)。
  • 18年2月のLamigoモンキーズとの国際交流試合で選手会長がタイムリーツーベースを放った後にホームへ帰塁した時、バットを拾ってベンチへ戻ってきた。
  • 登場曲はスターウォーズのテーマ。「みんな知っている曲だから」ということで自ら選曲、ちなみに好きなキャラクターはR2-D2である(理由は「かわいいから」)。
  • ホームランの際のキヨダンスのきっかけは、鎌ヶ谷でのウェートトレーニング室で音楽を聴きながら激しく首を振っていたところを目撃され、「首がすごく動いているのでホームランを打った後にやってくれ」と先輩たちにいじられたこと。両手を広げて首を振るインド映画でおなじみの踊りボリウッドダンスをまねたポーズを披露して郡先輩がまねたことであった。
  • 本拠地札幌ドームでの第1号のボールは女子中学生がゲット、球団関係者を通じて記念球が返却されたことに感激、「直接お礼が言いたい」ということで一家を札幌ドームに招待した
  • 23年のFFESにて「清宮フレンズ」として田中瑛北浦教授長谷川山本拓の同級生チームでジンギスカンダンスを披露、なおメイクも脱毛もしっかりしていた模様。
  • 23年のエスコンFにてXmas音楽祭に登場、KANさんの「愛は勝つ」をまいどのギター弾き語りで披露、またその前日23日にはインスタグラムを開設した。

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最終更新:2023年12月25日 21:17