大田泰示

1990年6月9日生まれ。広島県出身。
読み方は「おおた たいし」
2008年にドラフト1位で巨人に指名される。

父親の影響で小学1年生よりソフトボールを始め、5年より軟式野球に転向する。
中学時代は野球部で2年生時に優勝、シニアでは2年生で三遊間、3年生では投手であった。
東海大相模高(後述)時代の1年生よりベンチ入りして秋には4番、2年秋よりキャプテンとなる。
3年生の春にショートに転向。甲子園出場は果たせなかったものの、地方大会(神奈川県)では通算5本目のホームランを放ち、
高校通算では65本でうち満塁ホームランは5本であった。
巨人入団後、ルーキーイヤーの09年のイースタン開幕戦で3番サードで出場してフェン直のタイムリーツーベースを放ち初安打を記録。
同年6月17日に1軍に初昇格、3試合出場のちに再びファーム行となる。それでもファームでは101試合に出場した。
10年シーズンは1軍は2試合のみもファームでは101試合に出場して本塁打と打点はイースタン2位となり、第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選出。
11年シーズンは5月に昇格して1軍でプロ初安打を記録もその後は2軍、6月には外野手としてプレー、秋季キャンプより正式にコンバートされる。
12年シーズンは開幕1軍入りを果たすも4月に登録抹消、9月に再登録されると初のお立ち台や2試合連続本塁打を放つもCSや日本シリーズにはベンチ入りできなかった。
13年シーズンは開幕1軍も他選手の台頭で2軍暮らし、その後は他の選手のけがなどもあったが徐々に出場機会も増え、15年シーズンは138打席36安打と自己最多を記録、少ない打席数ながら4番で打率.379を記録した。
16年は2軍ながら123打席で.356を記録(80打席以上の選手では2位)。1軍でも大谷から本塁打を放った。
同年11月2日に公文と共に吉川石川慎との交換トレードでハム入りが発表された。

17年春季キャンプではアリゾナ組に選出、フリーバッティングで柵越えを連発していたが名護での2次キャンプの数日後に疲れから大事を取り試合も欠場。
同年3月4日の対巨人で8回裏に代打で登場した際に左わき腹を痛めてしまい、開幕は2軍でリハビリスタート。4月からようやくファームで復帰すると同年4月23日に昇格、対西武で即センターでスタメン。同年4月29日の対楽天にて札幌ドーム初ホームランを放ち(後述)、同年5月3日の対ロッテでは人生初のサヨナラヒットを放った。同年10月5日には自身初の4打点をあげる。
18年シーズンは2番に定着すると活躍していたが、同年7月8日の対ロッテ戦で左手にデッドボールを受けて翌日登録抹消、この年のオールスターでプラスワンに選出されるも負傷で辞退することとなった。シーズンオフの同年12月26日に背番号が5番となることが発表された。
19年はオープン戦からホームラン5本を放ち活躍が期待されたが開幕して不振を経験。徐々に調子をあげ同年4月24日の対楽天にて自身初の1試合5安打を放つ。同年6月9日の対阪神にて12球団からホームランを放った。
20年はリーグ2位となる7捕殺という結果を残して同年のゴールデングラブ賞を初受賞した。
21年シーズンは状態が上がらず、2軍暮らしとなることもあった。同年11月16日にノンテンダーとなり動向が注目されたが、同年12月20日にDeNAへ入団することが決定した。

エピソード

  • 家族は1歳年上の夫人。
  • 中学時代に原辰徳の主宰する野球教室で、スイングをほめられたのをきっかけに東海大相模への進学を決めた。
  • 16年3月29日の対西武(イースタン)において愛車(メルセデスベンツ)にファールボールが直撃された。しかも愛車は2週間前に購入したばかりであった。
    • ほかにも13年10月4日には自転車で通勤中に転倒して負傷、CS登録から外されたり、エディ・ジョーンズに日本一のフランカーにすると勧誘されたり、ファッションセンスが妙にチャラかったり、糸井さんほどではないが天然エピソードが多い。
  • 17年4月29日の対楽天にて初ホームランの後、守備につく際にファンから声援を送られたのにも関わらず、グラウンド上に落ちていたゴミが気になりどうしようか迷い、結局西川に頼んで捨ててもらっていた。
  • こうしたイメージに加えて原前監督をはじめとする巨人の指導者も「背番号55の後継」を作る重圧に苦しんだためか、フルスイングを強いるマスコミの記事がやたら多いが、好調な場合アベレージもついてくるタイプなので逆効果だったかもしれない。
    • ハム時代にも、金子コーチとの「強いスイングでのコンタクト」や「追い込まれてからの粘り」を語っていても見出しや記事の流れのなかで改変されたりすることが多かったが、実際にU田J三コーチに全打席フルスイングを強制された16年は119打席で45三振とエライ事になっている(それでも当時自己最高の4本塁打を記録したので、コーチの懐には出来高が入ったのかもしれないが・・・)。
  • 19年の北大の院内学級訪問にてお子様からの「好きな動物嫌いな動物」の質問に対し「好きな動物は犬。嫌いな動物は杉谷」と回答。なお実際はこの人からの耳打ちであり、もちろん回答後に「ウソだけどね」とフォローも忘れず。

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最終更新:2021年12月26日 19:43