石川直也

1996年7月11日生まれ。山形県出身。
2014年ドラフト4巡目で指名。

小学、中学と軟式野球を経験。
高校は山形中央高校に進学。1年秋から控え投手としてベンチ入り。
2年春の選抜大会前の練習時代でフライを追い、他の選手と衝突して右ほお骨下を怪我したものの、初戦からリリーフで投げ1イニングを無失点。
3年夏に甲子園に出場、先発と救援を経験(後述)。

15年4月1日のファーム戦(vsDeNA)で実戦デビュー。四球を1つ出したもののフライアウト3つで無失点だった。
同年6月の対侍ジャパン大学代表のNPB選抜に選ばれ、1イニングを2三振無失点に抑えた。
16年シーズンは主に中継ぎとしてファームで投げ、自分の背番号と同じ51回を投げる。同年9月30日の対ロッテにて1軍初登板、1四球を出したものの3つのアウトはフライアウトで抑えた。
17年春季キャンプはアリゾナ組に選ばれてそのまま1軍に帯同、同年3月15日の対DeNAにて先発加藤の体調不良で4回より2番手として登板、7回まで投げて1軍初勝利をあげる。
オープン戦でも活躍し、同年の開幕メンバーに初めて選出、当初は中継ぎ中心で登板していたが8月下旬に先発調整の為に抹消。2軍で2度の登板を経て同年9月3日に1軍昇格、同日の対ロッテで1軍初先発。5回まで投げて2安打3三振3四球2失点と初先発ながらまずまずの結果。
18年シーズンは「抑えをやりたい」というかなり強い気持ちでシーズンに臨む。開幕2戦目3戦目となかなか結果を出せなかったが、同年4月3日の対楽天にてようやく1軍公式戦初セーブをあげる。同年6月27日の対ソフトバンクにて9回表に登板、無失点に抑えるとその裏に味方の活躍でサヨナラ勝ちとなりプロ初勝利をあげた。途中セットアッパーの役目も担ったが6月下旬に再び抑えに復帰、セーブを挙げていたさなかの同年7月24日の試合に不調を訴え、右内転筋肉離れ(1度)と診断され戦線離脱。
19年シーズンは自己最多の60試合に登板しホールドも21と伸ばしたもののセーブ数が5と伸び悩んだ。
20年春季キャンプは名護スタートも、終盤に右腕の違和感を訴えノースロー調整。実戦復帰登板となった7月30日のイースタンでの対西武にて2番手で登板も、右肘に痛みを訴えて途中降板。同年8月20日に横浜市内の病院で右肘内側側副靱帯の再建手術(トミージョン)を受けた。
その後リハビリなどを経て21年10月31日にフェニックスリーグ(対巨人)にて1年強振りに実戦復帰。22年は5月8日対西武にて7回で登板、954日振り登板、同年5月26日の交流戦での対ヤクルトにて3年ぶりとなる白星をあげた。

エピソード

  • 191cm78kg、手足の長い長身細身の本格派右腕。
  • 髪は美容師であるお兄さんにカットしてもらっている。
  • ファンからは「王子」と呼ばれている模様。
  • 一時期マイメロディのリュックを背負っていた(ペットボトルなど)がリュックのセレクトは村田であった。
  • 20年3月に4歳上の一般女性と入籍した。
  • 高3の夏、甲子園で東海大四・西嶋投手(当時)と対決した事がある。なおその東海大四とは清水も1回戦で対戦しており、この2人が同じチームになるとは。
  • その同じ高3の夏の甲子園で東海大四と対戦した際、代打で登場した今川にヒットを打たれていた。6年の時を経てまさかチームメイトになるとは。
  • ファンの間ではと似ているという事で「達2世」との声があるとFFFFFで出ていたがそれに対し「僕が1世です。」
  • 22年シーズンオフに阪神とのトレードでやってくる斎藤先輩は山形中央時代の先輩後輩の間柄である。

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最終更新:2022年10月23日 20:17