上沢直之

1994年2月6日生まれ。千葉県出身。
読み方は「うわさわなおゆき」。11年に専大松戸高からドラフト6位指名。

13年3月31日vsヤクルト戦(ファーム)において6回、2安打/4奪三振/1四球/無失点でプロ初勝利をあげる。
そしてこの年のフレッシュオールスターズに選出、先発予定の投手にアクシデントがあり急遽先発を任され、
2回を2三振無失点に抑える。そして優秀選手賞も獲得。

14年シーズンは1軍キャンプスタート、そして4月2日の対ソフトバンク戦に1軍初先発、
6回まで投げて1失点と好投、もちろんプロ入り初勝利を果たす。
4月16日の対オリックス戦で6回までノーヒットという素晴らしい内容で3勝目をあげ、球団史上初のプロ入り3連勝(しかも先発で)を達成した。同年9月15日の対オリックス戦でプロ入り初完封勝利をあげる(受けたキャッチャーは同期の近藤)。結果8勝をあげてシーズンを終える。
シーズン終了後には21Uの日本代表として選出して2試合に登板、2次ラウンドは7回を投げて12奪三振と好成績を残し、ベストナインに選出された。
16年3月23日に右ひじ関節滑膜ヒダ切除手術を受け、当初は6月末頃復帰予定だったが予想以上に重症であり復帰が遅れ、同年8月に実戦復帰を果たす。
17年春季キャンプはアリゾナ組に選出。同年のシーズンは先発として登板しなかなか勝ち星がつかなかったが、同年7月2日の対ロッテで726日振りの勝利をあげた。その後はほぼ先発ローテに名を連ねていた。18年シーズンより背番号が15になることが発表。また同年12月14日に結婚を発表した。
18年は開幕投手候補に名を連ねたが同年4月3日のビジター戦(対楽天)の登板であった。同年6月5日(対広島)に1軍初ヒットを放ち、しかもマルチ。
またこの年のオールスターに監督推薦で初選出、2試合目の藤崎台にて6回より登板、2回を投げて1安打打たれるも1三振して無失点に切って取る。またこの年の侍ジャパンの日本代表に選出され日米野球の第2戦にて先発出場、5回を1本塁打を打たれるもそれを含め4安打7奪三振といい結果を残して勝利をあげた。
19年は自身初の開幕投手の役目を受けて先発ローテーションの大事な一角を担ってきたが、同年6月18日の対DeNAにて相手打者の打球が左ひざを直撃。その後左膝蓋骨骨折と診断され手術(左膝整復固定術)を受けてこのシーズンを終了。
20年春季キャンプは国頭よりスタート、リハビリに励む。その中で新型コロナの影響で開幕日が伸びたこともあり、何とか開幕に目途がつきそうな段階へ。同年6月2日の練習試合の対ロッテにて先発復帰、2回を2失点も最速144キロを投げて350日ぶりに復帰を果たし、同年6月30日(対ソフトバンク)に1軍昇格即先発登板、378日ぶりであったが5回1失点という内容であった。同年7月28日の対オリックスにて413日ぶりの白星を7回1失点という内容であった。
21年シーズンには開幕投手を務めたがシーズン初勝利が4月17日と遅かった。以降は11試合連続QS達成や初のオールスター選出などもあった。
22年シーズンはBIGGBOSSの方針などもありなかなか勝ち星に恵まれなかったが5月7日の初勝利を経て、同年5月27日の対巨人にて初完投勝利を挙げて自身初の月間MVPを受賞。同年7月16日の対西武にてバッターの打球を足に受けながらも8回途中まで登板して勝利投手になるも、翌日に抹消。精密検査の結果は右第3趾基節骨骨折となり手術。その後は2勝を挙げたものの勝利には恵まれなかった。それでも規定投球回には達した。オフにはポスティングを利用してのMLB挑戦を直訴した(後述)。
23年シーズン当初はなかなか調子があがらなかったが同年5月24日の対ソフトバンクにて1000投球回を達成、結果2桁勝利はならず9勝止まりであったがチーム最多勝利と170イニングをあげ、チームの貢献度からポスティングシステムを利用し海外移籍が容認されて同年10月28日に大リーグへ挑戦する事を発表した。またこの年に監督推薦ながらオールスターへ選出、2戦目のマツダスタジアムにて途中出場し3凡であった。
移籍期限が迫る中動向が注目されたが、24年1月12日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結ぶことが発表も、春季キャンプへの招待選手としての参加付きであり将来のメジャー昇格の可能性もあった中、オープン戦では4試合に登板、1敗で防御率13.03と振るわずに40人枠に入らなかった。
今後の動向が注目されていたが、同年3月28日にボストン・レッドソックスへ金銭トレードされることが発表された。

エピソード

  • 専大松戸高を選んだ理由は、高校名が刺繍された野球部のカバンを持っていると頭がよさそうに見えるだろうということらしい
  • ドラフト時の上沢の野球経験は中高のわずか6年だった。高校時代の監督には「上体の使い方が上手く、手先が器用だった」と賞されている。
  • ドラフト会議の際に「うえさわ」と名前を読み間違えられる
  • さらに12年度新入団選手歓迎式典において球団から名前を読み間違えられる
  • その式典において長州力、髙田延彦、アントニオ猪木などの格闘技ものまねショーをやって観客の笑いを取っていた
  • 谷口アナに「上沢くんってしゃべらなきゃモテるのにね~と言われるタイプじゃないですかね」と言われる
  • 13年の鎌ヶ谷新春マラソンにおいて松本しんご近藤を抑えて同期で1番になる。(16分56秒)
  • 13年キャンプでは大嶋たちと同部屋に。寝言で「楽勝です」と大声で叫んでいたことを大谷に暴露される。
  • 「大谷翔平の来た道」という番組のメッセージコーナーで「日本円は全て僕に置いて行ってください」と残した。
  • 新垣勇人とはよくチームのギャガーとして張り合っていた。お笑い担当の大先輩いわく、「今うちで前に出る面白いやつは上沢ぐらい。新垣は居なくなっちゃったし。」(エフファイブより)
  • 超がつく程のゲーマー。遠征に家庭用ゲーム機を持ち運んだりTwitterでもゲームについてツイート。
  • 17年の球団移転後1000勝目と18年の球団通算4500勝という節目で勝利投手になった。
  • 大田には「矢野さんのセレモニーで嗚咽する程泣いてた」と暴露された。
  • FFFFFの93年会(近藤松本石川ら仲良し高卒同期)の企画で出された小学生時代の上沢の写真は度々「老けすぎ」「上沢少年」と選手内でもネタにされている。
  • 「上沢少年」をイラストにし「ファイターズ選手似顔絵Tシャツ」に応募したキッズが現れた。そのシュールな作品は見事採用され、グッズ化し、本人も練習中に着たりしている。
  • 18年ファンフェスでは大トリの障害物リレーの早着替えで上沢少年のコスプレを披露。ポーズを決め、大爆笑の中アリーナを駆け抜けて行った。ちなみに近藤大明神も登場した。
  • 2020年4月、インスタの投稿にて上沢少年の写真の右端に写っていた上下赤のユニフォームの少年が宇佐見真吾であったことを公表した(投稿の少し前に知ったらしい)。なお、この年の6月28日の復帰後初勝利の際にバッテリーを組んだのも、その宇佐見であった。
  • 23年シーズンは本来は選手会長就任予定であったがメジャー挑戦を予定している事から新選手会長の補佐となるとの事。

モノマネ芸人上沢直之


新しい球種の習得は「マネしてたら出来た」や「教えて貰ったら使えた」など手先が器用な上沢。新入団選手歓迎式典の時からモノマネを至る所で繰り返してきた上沢のレパートリーは増え続け、ついに有名人のみならず自チームの先輩をネタにしだした。その影響は後輩にまで及び練習中に何故かモノマネ大会が開かれることもあった。先輩をコケにしているように思えるものもあるが先輩はこれを気に入っているようだ。基本大胆な誇張が入る。

  • バッターボックスに立つ中島卓也(登場曲にのせて)
  • 森内壽春の投球フォーム(やった後にガチトーンでもうやるなと言われ自粛)
  • 西川遥輝のバッターボックスに入る際のルーティーンから逆方向への本塁打
  • 中島卓也の一塁への完璧な送球
  • 有原航平の独特な投げ終わり
  • スクイズをしようとしたら球が高くてジャンプして当てに行ったものの飛びすぎて球がバットの下を通った大野奨太
  • 大野奨太のクセが強いバントの構え
  • ネクストバッターズサークルで左肩を気にする田中賢介(試合前にベンチで中島に披露し悪い顔で大爆笑していた)
  • すっごい狭い所でキャッチボールする中島卓也(中島曰く「それは有原」)
  • 10本目のホームランを打った大谷翔平
  • 杉谷拳士のフォーム
  • 外のスライダーをショートゴロにする大田泰示
  • サザエさんのアナゴさん
  • 福山雅治(家族になろうよ)
  • ビートたけし

もはやローカル番組では恒例のようにモノマネを要求される上沢、全国区番組では長身イケメンピッチャーなどと言われているが.....

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最終更新:2024年03月28日 19:55