近藤健介

1993年8月9日生まれ。千葉県出身。
2011年にドラフト4位指名。

2012年7月4日のvsオリックス戦より1軍昇格を果たし代打で出場、6回裏よりマスクをかぶる。
同13日には佑ちゃんとバッテリーを組み初スタメンマスク。
7月27日にはプロ入り初安打をオリックスの寺原より放つ。
8月22日にはプロ入り初打点をオリックス戦であげる。(セカンドゴロ間ではあるが)

2013年にはフレッシュオールスターに選出、4番DHで出場して1安打を放つ。
そして夏頃に一軍に昇格、翔さんが死球骨折で離脱した翌日の8月22日楽天戦、突然「1番ライト・近藤」でスタメン。多くのハムファンが驚いた。
14年5月2日には、小谷野の負傷離脱により、なんとサードの守備に就いてそのまま定着。試合途中からではあるが、ショートに入った事もある。
同年5月16日にプロ入り初ホームランをロッテ戦で放つ。5月29日には人生初のグラスラをヤクルト戦で放つ(チームで最年少記録を更新)。
シーズン終了後には21U日本代表に選出、捕手登録ながら4番ファーストで全試合出場、8試合(予選ラウンド4試合・2次ラウンド3試合・決勝)で5安打(うち1本塁打)としてチームの準優勝に貢献した。15年シーズンは大野市川の負傷などもあり捕手としてプレー。
打撃がよいこともあって夏頃よりDHとしてスタメンに入ることも増え、成績も伸びて終わってみると打率3割を達成した。
16年シーズンより背番号が8へと変更、痛めた膝によりキャッチャー守備が満足いくようにできず、DHや外野守備が増える。同年5月13日の対西武でプロ初のサヨナラ打を放った。
17年シーズンは好調をキープ、打率4割を維持して同年6月1日の対DeNAでも安打を放ち、記録を47試合連続に伸ばして、張本勲さんの持つ球団記録を塗り替えた。このままシーズン終了まで夢の4割を、と思われたが
同年6月11日に右ふとももの張りを訴えて登録抹消、10日間での復帰を目指すも張りは消えず同時に腰の張りも訴えており診断の結果、同年6月22日に腰部椎間板ヘルニアと診断、保存療法も視野に入れていたが同年6月26日に手術することを発表、手術後リハビリ等後、9月中旬に2軍での実戦復帰を経て同年9月28日に1軍へ復帰、対楽天の第1打席でヒットを放った。シーズン終了後に侍ジャパンU-24代表に選出、全試合3番DHで出場、12打数7安打2四球と活躍してベストナインに選出された。
18年シーズンは5月1日にふくらはぎに炎症で抹消も5月15日に復帰、打撃は上位をキープ、一時成績を落とすものの終わってみるとリーグ3位(.323)の成績を残してこの年のベストナイン指名打者部門を受賞。
この年のオールスターで指名打者部門でファン投票で1位に選出、京セラDでは第1打席でヒットを放ち(3-1)、藤崎台では途中1塁コーチボックスから6回より打席に立ち3-2だった。
19年シーズンより外野手登録と変更、同年3月の侍ジャパントップチームでも外野手として出場、2戦ともスタメンで第1戦では3番レフトで1四球も無安打。第2戦では3番指名打者で1四球を選び、第3打席では代表初ヒットを放った。シーズンでは抹消はなく自己最多の138試合に出場したものの、夏場以降の状態があがらずに苦しむこともあった。その中でも試行錯誤しながら感覚を取り戻しつつ四球も選び(103四球)この年の最高出塁率のタイトルを獲得、プレミア12ではハムから唯一代表に選出されて全試合に出場(うち6試合先発)、21-4で9三振9四球1死球という成績だった。また、同年のオールスターにて指名打者部門でファン投票にて選出。第1試合は指名打者で先発出場も3-0。翌日は途中出場で2併殺だった。この年のシーズンオフで変動年俸制ではあるが3年の複数契約を締結。
20年シーズンでは2年連続となる最高出塁率のタイトルを獲得、また同年12月6日のファンフェスティバルにおいて新しく選手会長となることが発表、同年のベストナインに外野手として初受賞となった。
21年シーズン、監督推薦でオールスターに選出も体調不良で出場はならなかったものの、東京五輪では主に代打として出場、準決勝ではレフトでスタメンで出場して金メダル獲得に貢献した。
22年9月10日に1000安打を達成した翌日に1000試合出場を達成とメモリアルであった。同年に海外FA権を取得して交渉の結果同年12月12日にソフトバンクへの移籍が決定した。

エピソード

  • 横浜高校時代、アジアAAAの日本代表にも選出され、JAPANチームの正捕手として優勝に大きく貢献した。
  • 自身は「几帳面ではない」と言いながらも寮の部屋は比較的かたづけられているらしく、他の新人選手からも「近藤の部屋は落ち着く」と言われているらしい。
  • ルーキーからの直筆メッセージにおいて"北海道に行ったらやってみたいこと"で「海釣り」と書いていた。こんたツル、同期の森内とで釣り部ができそうな…
  • ルーキーイヤーから1軍に居る事が多かったり、クライマックスシリーズにもベンチ入り(出番は無し)するなど首脳陣の期待も大きいと思われる。
  • チームが得点を挙げた時などにベンチ前に出て満面の笑み&全身で喜びを表したり、陽とじゃれて盛り上がっていたりなど意外とムードメーカーの要素あり?
  • 12年パリーグ優勝のビールかけにおいて、未成年なので入口でその模様を見学していた。
  • 12年CS最終戦にて、引退するホークス小久保を胴上げする際に最前列で胴上げに加わっている所などをカメラに抜かれる。
  • 少年野球教室で水上殿に教わったことがあると本人に告白。水上殿いつも以上に褒めまくる。
  • おっさんの引退メモリアル試合でうわっちと共に号泣していた。
  • ムラマサの顔に憧れているらしい。
  • 18年のファンフェスにて近藤大明神のスタイルで出場し沸かせていた。
  • 19年のホワイトデーに同年代の女性と入籍した。
  • 19年8月25日の対オリックスにてセンターへのタイムリーと思われたが、相手野手の宗が捕球したかに見えたが、グラブからこぼれるもその際フェンスに一度当たってオリインプレ―。たいしが宗が捕球したと思い込んで1塁に戻ろうとするも2塁に送球されてアウトとなり、センターゴロ2打点という記録になった。

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最終更新:2022年12月12日 21:43