多田野数人

1980年4月25日生まれ 東京都出身 O型
07年ドラフトにて1位指名。

立教大時代にうっかりゲイビデオに出演したことが発覚し事実上日本球界を追放され渡米。
マイナーリーグ時代はジャンクフードと水で空腹を紛らわし、英会話習得と節約のため通訳を遠慮するなど辛酸を舐めたが見事メジャー昇格、超遅球イーファスピッチをモノにする。

1軍初登板は5月2日、勝さん骨折により先発のタマ不足となり怪我が完治しないままの登板となった(2009年シーズン終了後に骨折治療用プレートの除去手術を受けた)。
おりしもその日は西城秀樹が生YMCAを歌いまりもっこりもやってくるネタ満載デー。
異常なまでにテンポの良いピッチング、岩本勉に「ガチョーン」と言わしめた超変態フォーム、7回を被安打1、奪三振4、失点0、初勝利。
衝撃的なデビューでハム専住人の心をガッチリ掴んだ。
しかし夏場からスタミナ不足のため崩れ、ヤタローの前座と化す。

09年はシーズン初登板では連敗ストッパーとなったもののその後ふるわず鎌ヶ谷送りとなったが、7月10日久々の一軍登板では初心に帰り緩急の効いたピッチングでノーノー未遂、プロ入り初の完投完封勝利を得た。

10年は4月に1軍登板するもすぐに2軍落ち。その後の体調不良、故障もあってもっぱら放牧。
そして10月2日、戦力外通告となった。現役続行、次はどこであの変態ピッチを見せてくれるだろう。ありがとう、多田野。
…と思ったら、12月17日まさかの再契約。

11年は春キャンプから2軍スタート。キャンプ最初の紅白戦に登板→保父力松坂に2連続ホームランをぶち込まれ、気の早いハム専住人からは「多田野オワタ」の声多数。そんな声をよそに1軍開幕が遅れる間に2軍でクローザーとして実績を積み、見事1軍昇格。先発ではなくロングリリーフ(と言う名の敗戦処理)を担当した。

12年ケッペルのアクシデントにより1軍に昇格し、4/16の西武戦で3年ぶりに勝利をあげる。
その後は登録・抹消を繰り返されながらも裏ローテに定着。初の貯金を獲得しシーズンを終えた。

13年開幕先発ローテに食い込むも結果を残せず2軍落ち。先発陣不調のなか昇格を期待されるもなかなかチャンスを与えられず。しかし9月23日に昇格すると、ロングリリーフとして登板し5回2/3を1失点、更に先発として7回1安打無失点(ただし四死球6)と、どちらも勝敗付かずだが好投を見せた。
14年シーズンは中継ぎとして5月と7月に登録もわずか5試合の出場にとどまり、同年10月1日に退団が発表された。
15年シーズンにかつて木田GM補佐も所属していた石川ミリオンスターズにコーチ兼任で入団、17年まで在籍する。
18年シーズンよりチーム統括本部プロスカウトとして4年ぶりに古巣復帰、21年11月18日には2軍投手コーチとして現場復帰も22年11月3日に契約満了となり退任、同年11月25日にプロスカウトに就任。
23年12月26日に球団から退団する事が発表された。

エピソード

  • 実況スレは阿鼻叫喚の地獄絵図と化し本スレは壊滅状態、さらに08年早々自主トレ中に左手首骨折、とハム専住人の印象はあまりよろしくはなかった。
  • 良く響く美声と綺麗な手には定評があり、ハム専の中にも多田野の声フェチ・手フェチが数人存在する。(べ、別にダジャレじゃないんだからねっ)
  • 入団当初は表情も硬く、チームに馴染めるのか心配されたが、今では重要ネタ要員として欠くことのできない存在のひとりとなった。
  • 現役引退後は米マイナーリーグの球団経営が夢。
  • マイナーリーグ時代の03年、当時スポーツキャスターだったマロンさんが取材にやってきて食事に誘われ「なんでも食べていいぞ」と中華料理をごちそうになった。上記のように毎日ハンバーガーなどのジャンクフード生活だったので涙したそうだ。
  • しかしごちそうになった翌日、ホームランを打たれる。ちょうど1A→2Aに昇格したばかりのころで連続無失点記録を28イニング継続中だった時のことだった。
  • 後述のイーファスピッチや、08年交流戦でのセーフティバント(そして全力疾走)、09年4月7日のトリプルプレー指示など、野球脳の高さには定評がある。
  • 13.09.30のロッテ戦で先発として登板し7回無失点。「ファームで遊んできたわけじゃないというのは証明できた」という言葉に鎌ヶ谷の強い日差しで色あせたグローブも相まって涙不可避。
  • 14年シーズンで退団したのにも関わらず、球団にお願いして応援大使を務めた西興部村へ勝さんと共に訪問。なんというぐう聖。


イーファスピッチ

かつてメジャーでA・ロッドを三ゴロに打ち取った魔球。「チェンジアップのサインが出たけど投げたことがなかったので とりあえず遅い球を投げてみた。」
  • 日本初披露は08年6月18日の広島市民球場における広島戦にて、シーボルに対して。大きく山なりを描く軌道でカメラから見切れ、消える魔球と称された。
  • その試合は惜しくも負けてしまったものの、野球ファンは騒然、スポーツニュースは多田野のイーファス一色に染まった。その速度はスピードガンでは計測不能であり、48km/hとも39km/hとも言われる。
  • 本人いわく、流れを変えるために投げる。
  • ちなみにイーファスピッチとは「しょんべんボール」という意味。
  • 岩本勉は「スーパーガチョーン」と呼ぶが、まったく定着していない模様。
  • 墨田区出身ということもあり、2012年5月に開業した東京スカイツリーまで歩いて数分というところからイーファスボールを「スカイツリーボール」と某スポーツ紙に描かれる。本人もまんざらでない(らしい)がおそらく定着はしないだろう。
  • 一応サインは出ているらしい
  • 2012年5月8日のvsロッテ戦において福浦にイーファスを打たれてヒットにされる。
  • 意外に知られてないが、ホームの試合でピッチャーが三者凡退にしとめたときに流れる曲は、多田野がスローボールを投げたイニングの後は超スローで再生される。
  • 13年1月16日の「マツコ&有吉の怒り新党」内コーナー、『新三大○○調査会』において(この時はセパ各代表1人で二大○○)パリーグ代表として「球界を彩る“ふしぎなボール使い"」でイーファスが取り上げられる。おまけにせっかちぶりも若干取りあげられていた模様。
  • 2014年GW、鎌ヶ谷で5000人を超える観衆を前にイーファスを披露、大声援を浴びる。そして3回パーフェクトピッチングで勝ち投手に。

多田野ミステリー伝説

  • まばたきをほとんどしない。
  • 「そうですね」から話し出す事が多い
  • 体が人並みはずれて固い。小学生時代は相撲をやっていたが股割はまったくできない。超変態フォームも体が固すぎるせい。本人曰く「自分の中ではこれが普通」。
  • 08年シーズン前に駐車場のチェーンに足を取られ骨折したのも体が固すぎて受身が取れなかったからでは…と噂される。その噂を裏付けるように、09年春キャンプにてでつとフリスビーに興じた際に同じようにロープに足をとられ転倒、幸いケガはなかったものの、住民は冷や汗をかいた。
  • あまりにテンポの良すぎる投球でボーク王に輝く。吉井コーチに「投げる前に審判にウインクしろ」とアドバイスされるも、まばたきすら出来ない多田野にウインクなど…!
  • そのボーク癖、09夏からは影を潜めつつある。「アメリカじゃボークにならないのに」などと言っていたところサメコーチに「それならアメリカに行け!」と一喝され、そこから一転攻勢一念発起して修正したという。
  • オフに一人で旭山動物園に行く。観光ではなく視察で(大学でマーケティングを専攻していたので興味があるらしい)。さらに1人で小樽にも行く。
  • 交流戦後の手記で稲田を「頭の良い人」と評した。文章力には定評がある。
  • ものすごい負けず嫌い。バッターボックスに立つカブレラに何か言われ、物凄い顔でメンチを切りながら英語で言い返したこともある。本人曰く、何を言ったのか覚えていない。09春キャンプで稲葉のシート打撃に参加した際はバッピなのに緩急使って抑えにかかる始末。
  • メジャー帰りのせいでまだ英語が抜けていない。特に集中している時は自分が日本語で喋ったのか英語で喋ったのか覚えていないらしい。稲田が声を掛けに行った際も”Yah!”と英語で返事、デザートを自重するafoに”Why?”と問いかける。
  • かと思いきやチームメイトのウフルとの会話は話してるフリおよびわかってるフリだそう。「わかっているフリをするのも大事」らしい。
  • ハム将棋部に所属、負けず嫌いが嵩じてタテヤマンに「待っ多田野」と呼ばれる。多田野いわく「建山さんこそ待っ建山」らしい。
  • フェニックスリーグ派遣先の宮崎でほっしゃん松っちゃんの年下同期コンビを引き連れ、山では吊橋を揺らし海では深いところに引き込む…と恐怖のどん底に叩き落す。
  • 08年ファンフェスにてドッヂボールに出場、まいどの「出るか、スーパーガチョーン」の煽りで空気を呼んでドッヂでイーファス、あっさり捕球&ぶつけられ即死。「ドッヂボールでは通用しないことがわかりました」
  • 続いて出場したドリチャリレースでは体の固さゆえにまたがったまま微動だにせず、MCのヒロ福地に押されてようやく進むありさま。ゴール後4万人の大観衆の中屈めてない前屈&割れてない股割り大公開。
  • 人呼んで「いじられ王子」。後輩植村には北海道理容組合の次期モデルにプッシュされ、チームメイトには「ボーク、ボーク」と連呼され「そうじゃない!!」とムキになる。ハム再契約後まいどからの激励のメールに丁寧に返信するもそれすらラジオで「ごじゃいましたでござりまする、みたいな」といじられる。
  • 「動物は別に好きじゃない」と語るが、鞄にしろくまのマスコットをつけているツンデレ。→その後おサルさんのマスコットに変えたらしい。
  • 私服のセンスがアレ。いかつい顔と身体にそぐわないカワイイ系の服がお好みの模様。(参考)ある意味賢介と並ぶファッションリーダー。
  • 鎌ヶ谷にマイカーで現れると取材にきていたまいどに「多田野くんらしいオッサンくさい車」「ナンバープレートがくしゃくしゃ」といじられ、しまいには乳首をつつかれるというセクハラを喰らった。(実は車は実家の父親のもの。オッサンくさくて当然である)
  • 理想の女性は従順で半歩遅れて付いてくるタイプというとんでもない亭主関白タイプ…だったのが、どこからかリアクションがあったのか、「好きになった人が理想のタイプ」と軌道修正。
  • 09年シーズン後半はエレベーター先発陣のひとりだったが終盤滑り込みで昇格、ビールかけではいままで見たことのないはじけっぷりを見せる。09年パ・リーグペナントレース優勝参照。
  • ひちょりに自分の写真をネタに使われ、果てはその写真がブルペンのホワイトボードに貼り付けられたままにされてまるで死んだ人状態に。多田野本人はこのネタを後で聞かされて呆然。
  • 09年CS優勝決定試合後の楽天野村監督の胴上げで、人の輪の中に入ってはいるもののぼんやり立ちすくんでいるところをカメラに抜かれる。
  • 江尻いわく、「2010年シーズンで10ボーク達成したら記念Tシャツ作るよ!」がんばってください(どっちに?)。
  • 09オフ、狸小路現金つかみどりに登場。相方のお菊と「金に汚い」と笑顔でののしりあったり片手で80枚掴んだりと破竹の大活躍。
  • ちょっと暑くなるとすぐ痩せ細ってしまう体質。体重維持のためドーナツを常食するが、八木金森に盗み食いされる。肘の手術をして入院していたダースを見舞った時の手土産もドーナツ。ドーナツ好き?
  • そのドーナツ、10春キャンプにてホテルロビーで買い物に出る木田と出くわした際についでに買って来てくれるよう依頼して先輩をパシリに使う。
  • 10放牧中、極端な野手不足の中メンバー表交換直後に怪我人が出た為DH放棄、この日の先発ながら5番バッターとして打席に立つ。
  • 11年沖縄国頭キャンプで調整中の小谷野に『多田野会』を作られる。判明しているメンバーは多田野、小谷野の他尾崎榎下谷口。その実態は『ただの飲み会』と思われる。
  • 11年シーズン、4月下旬に1軍昇格。ひさびさの札幌ドーム登場、そして因縁のカブレラと対戦。貫禄のイーファスも、見ていたナッシー嫌な顔
  • 5月21日対読売戦にて2年ぶりにボークを記録。テレビ中継解説の古田に「止まっている」と擁護される。これで通算10ボークに。
  • 登板する前に注文する事が多いカレーライスはスプーンを使わずに箸で食べる。「自分はこっちの方が食べやすいんですよ」
  • 10月2日QVCマリンでの対ロッテ戦でリリーフカーを乗車拒否。自分の足でマウンドへ行くせっかち登板→最初の打者の井口からあっという間のせっかち被弾。
  • ダーツが好きでマイダーツを持つほど。やはり投げるのもせ(ry
  • 日シリで疑惑の判定で危険球退場となるも、文句一つ言わず去った漢の背中に(主にTDN専民が)涙した。
  • 12年ファンフェスでは破竹の大活躍。的当てゲームでイーファスを披露し見事100点の的に命中。しかし球威が無いためか的を撃ち抜けず物議を醸すも、見事じゃんけんに勝利し点を獲得。『正義は勝つ』という名言を残す。
  • 更に罰ゲームのヒゲダンスでは驚異的なリズム感の無さ+硬過ぎる動きを大公開。
  • 12年のファンミーティングによしおの急病により急遽参加することとなった(予定ではジムのプールで泳ぐ予定だったらしい)。

多田野せっかち伝説

多田野のせっかちぶりが暴露。
  • 2011年6月25日のFFFFF
    • 武田勝曰くフォーム、仕草、ボークの三拍子とのこと。
    • 投球するとすぐ返球を催促する。
    • 牽制がせっかち
    • ゴルフボールは置いたらすぐ打つ、結果はご想像にお任せします。
    • 1分1秒を大事にするあまり運転が荒い。鎌ヶ谷の敷地内でも猛スピード、バックも速い。
    • 麻雀でノーテンリーチをかけたらしい。
    • なお、本人はせっかち王を自覚しているが「せっかちなのは悪いことじゃない」とのこと。
    • ついでに本人評「ケチ」
  • 2012年12月15-29日のFFFFF
    • 投手会釣り対決においてスタートの合図の前に釣り開始、カレイを釣り上げてしまう。(当然ながらノーカウント)
    • その後のボウリング大会で投球後、ピンが倒れる前にも関わらずガッツポーズをしていた。
    • 12年の交流戦でもセーフティバントを決める(そしてやっぱり全力疾走)。更に2塁まで進むと、画面下に忙しなくリードを取る多田野の後頭部が映り込みハム専民の笑いを誘う。しかもその後ホームに還って来た。

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最終更新:2023年12月27日 15:23