稲葉篤紀

1972年8月3日生まれ 愛知県出身 O型

中京高校(現・中京大付属中京高校)

法政大学(実は中退)

ヤクルトスワローズ(1994年ドラフト3位)
2004年FA宣言

北海道日本ハムファイターズ入団

日ハムにやってきた元ヤクルト。FAでメジャー移籍を目指すも、メジャー球団のどこからも引きがなく、最後まで間口をあけて待っていた日ハム入団にいたる。

05年(入団1年目)は、充分なキャンプを送れなかったことが影響し不満足な成績ながらも、主力として活躍。
06年からは、ご存じの通り圧倒的な大活躍。特に得点チャンスでの勝負強さは異常。
07年、首位打者獲得。今や、押しも押されもせぬチームの主砲である。 
08年オフには再びFA権を取得するが行使せず、複数年契約。「生涯ファイターズ宣言」をする。 

09年WBCではダルビッシュとともに出場。DH4番や代打として活躍し日本の二連覇に貢献した。

外野守備も定評があり、09年シーズンまではライトが定位置。06年~09年は4年連続でベストナイン&ゴールデングラブ賞。
10年4月には「ライトゴロ」を完成させた事もある。これは以前よりファーストの信二と連携について話し合っており、2009.05.30の阪神戦ではライトライナーで飛び出した一塁走者の新井も刺している。
10年中盤からは信二の死球離脱やの台頭もあってファーストへ。以降ほぼ一塁手となりつつある。
2013年に一度だけレフトでスタメン出場した事も(後述)。
引退試合では、1回表のみ久々にライトの守備に就く(ただし守備機会はなし、2回以降はファーストへ入る)。

12年開幕から二番打者として抜擢され(その後五番に落ち着く)、打撃絶好調。
1試合に満塁HRと3ランHRで7打点を挙げたり、満塁時打率が10割と勝負強さは相変わらず。
そして4月28日鷲戦にて2000本安打、5月4日檻戦にて250本塁打、8月8日鷹戦にて1000打点達成とまさに記録イヤー。
大事な場面ではバントもこなすようになった。セーフティーバント気味に決めるのが特徴(「イナバント」とも呼ばれる)。
この年1塁手としては初めてゴールデングラブ賞を受賞(得票数134)。12月4日より外野手から内野手登録に変更となることが発表。
なおかつ選手兼任で打撃コーチも務める。
14年シーズンは選手専任でスタートも左ひざの痛みに悩まされ手術。同年7月12日に1軍昇格もひざの状態がなかなか回復せず
同年9月2日に今シーズン限りでの引退を発表した。引退後はひとまず侍ジャパンのコーチとしてスタート。
同年12月24日に球団と15年1月1日付でSCO(スポーツ・コミュニティ・オフィサー、後述)として、専属マネジメント契約を締結することが発表された。
(SCO…Sports Community Officer の略)
15年より工藤公康氏がソフトバンク監督に就任したのにともない、報道ステーションの野球解説者になることとなった。
13年WBC日本代表に内野手として選出され、同年11月からはコーチを務め、17年7月には侍ジャパン代表の監督に就任することが発表、同年9月のアジアプロ野球チャンピオンシップでは優勝となる。
その後第2回プレミア12でも初優勝に導いた。20年11月のフェニックスリーグでは実戦間隔を取り戻す為に古巣で指揮を執った。
21年は東京五輪の監督、金メダルを獲得した。その後ハムの監督候補に名前が出ていたものの、同年10月27日に吉村GMが統括本部長に専念することもありGMに就任することとなった。
23年11月18日に2軍監督への就任が発表された。

稲葉ジャンプ

  • 得点圏にランナーがいると、通常の応援歌の前にオプションとしてジャンプがつく(ファンファーレがつく)。
  • 内野席まで巻き込んでドームを揺さぶるスペシャル応援は、稲葉本人も大好きである。「だってジャンプの前に”稲葉”ってつくんだよ?」(本人談)
  • 「生涯ファイターズ宣言」をする大きな要因になったと考えられる。
  • 06年の交流戦後に鳴り物禁止の仙台での試合で生まれた、という説がある。
  • 余談であるが、09年のGAORA中継で、実況をしていた水谷勝海が「稲葉ダンス」と言い間違えた事も(それも複数回)。解説の光山に「稲葉ジャンプですね」とツッコまれるも、「なんだか踊っている人が居たようにも見えました」と言い訳。おそらく素で「稲葉ダンス」だと思っていたのだろう…。
  • 08年からはそれまで通常使用していた登場曲「I Was Born To Love You」がこのチャンス時のみに流れるようになったため、盛り上がりもすごい。
  • この雰囲気と稲葉ジャンプの振動は、対戦相手にとっても脅威である模様。
  • テレビ中継では、稲葉ジャンプ時にオーバーにカメラを揺らして放送するため、画面が揺れてちょっと具合が悪くなる。
  • はむせんではテレビテロップに地震速報が流れると「稲葉ジャンプだな」などという書き込みが見られる。
  • また、9回裏や延長戦などでは、チャンス以外で打席が回ってきても「I Was Born To Love You」&稲葉ジャンプが起きる事もある。
  • 11年シーズンは未曽有の大震災に配慮して自粛されたがCSファーストステージで再開決定。さっそく第1戦目でチャンス到来で稲葉ジャンプ復活。すぐヒットが出て2点目をあげる。
  • ごく稀にではあるが、稲葉ジャンプが始まってすぐに初球を打ち、ジャンプが終わる前にゴロで凡退する事もある。
  • 引退を発表した9月2日以降、ホームはもちろんのことビジター球場でも相手チームのファンからも稲葉ジャンプをする動きが出てきた。

エピソード

  • ヤクルト時代は色々あったが、今ではすっかりハム色に染まったさわやかさん。
  • 一時期は「エロ爽やか」というキャッチコピーがついていた。
  • 喋るとき間投詞「ね」をたくさん使う。ヒロイン時やテレビ出演時に住人は「ね」の回数を数えたり「『ね』が少ないよ、稲葉さん。緊張してる?」などのレスが並ぶ。
  • JR北海道など北海道ローカルCMにもいくつか出演。棒読みで商品名連呼、入浴シーン、背広モデル、ひよこちゃんと対談など関西仕事もいとわずこなす仕事選ばなさっぷりにも彼の謙虚さが現れている。(参考動画→)
  • その人柄は選手、ファンに愛されている。08年のオールスター第2戦でお粗末なパフォーマンスをし大顰蹙をかったゆうこりんに対し、大人のコメントをし、 他球団ファンからも賞賛の声があがった。
  • 北京オリンピックで結果を残せず帰国して、その復帰戦の札幌ドームでのファンの暖かい声援に「涙でボールが見えなくて三振してしまった」彼がファンを愛し、ファンが彼を愛していることを象徴するエピソードである。
  • イナバ物置のCMに出るのが夢だが今だ叶わず。
  • 古巣である、東京ヤクルトスワローズのマスコットつば九郎からは「なっぱ」と呼ばれている事が判明。そのつば九郎から引退に際しメッセージをもらう。ハム専民涙。
  • 蕁麻疹がでるので海老が食べられない。
  • 09年のWBCで一番仲良くなった他球団の選手は巨人の亀井。
  • 2011年オフに賢介小谷野中田が相次いで結婚ラッシュ。これにより、レギュラー野手陣では唯一の独身となった。稲葉さーん(涙)
  • 12年11月15日、ついに14歳年下の女性と入籍した。お相手は元モデル。やったね稲葉さん!
  • 愛煙家であったが2010年に禁煙に成功。
  • 選手納会の賞品であった美顔器を愛用中 。
  • 12年、40歳の誕生日を迎えた時にマロン監督より「32歳のようだ」と言わしめる。
  • 39歳最後の打席でヒットを打ち、40歳最初の打席でヒットを打つ。
  • FFFFFの15Voiceで「チーム内での汗っかきは?」で1位になる。ベンチには専用の扇風機(サーキュレーター)が置いてありそばにいるようだ。
  • 13年6月29日の西武戦、なんとレフトでスタメン出場。事もあろうに、初回先頭打者の秋山のファウルフライを落球というハプニングも。次打者の鬼崎のレフトフライは無事に捕球し、それだけでも大歓声&拍手。
  • 13年9月15日のソフトバンク戦においてスタベン投手をほぼ使い切り(翌日先発のムラマサを除く)、メッシと共にブルペン入りして待機していた。

稲葉語録

  • 「おばさんファンは裏切らない」
  • 「う~ん」
  • (因幡の白兎に対して)「僕は黒兎ですけどね」
  • (ゆうこりんのオールスターでの歌唱について)「野球のね、人気のね、ためにね、貴重な時間をつかって練習や準備などしていただいてね、非常にありがたいですね」
  • ピザ食うか?

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最終更新:2023年11月18日 21:04