武田勝


1978年7月10日生まれ 愛知県出身 B型
05年社会人ドラフト4巡目指名で日本ハムに入団。


立正大学を卒業後、シダックスに入社。
球速はないが抜群の制球力を持つ技巧派投手。
三振奪っても四球出してもHR打たれても、さらには骨折してもポーカーフェイスを貫いている。
唯一、ポーカーフェイスを崩したのは04年のドラフト秋。
同僚の野間口貴彦と共に巨人に指名される予定だったがチーム事情によりドラフト辞退を余儀なくされ、
当時のシダックス監督・野村克也の目の前で号泣したという。チーム内でついたあだ名は「残留」だったとか。

06年開幕2戦目の楽天戦で先発江尻慎太郎のあとを受け、プロ初登板初勝利を飾る。
その後も、投手陣の台所事情に応じて中継ぎと先発をこなし活躍した。
08年は開幕4戦目に先発してから負け無しの3連勝。凄すぎる援護運に加えて対戦した先発投手がその後必ず二軍落ちするので、吉川光夫を生け贄にして黒魔術を行っているのでは…とネタスレで噂される。が、4月29日の試合前練習で外野をランニング中、ロッテ・ベニーの打撃練習の打球を不注意にも左手親指に受けて骨折。
チームでもトップクラスの実力がありながら、07年は無援護、08年は前述の故障で、プロ入り後3年間は2桁勝利?何それおいしいの?状態であったが、09年にとうとう2桁勝利達成。記念におでん1000個を贈呈される(本当はその日のヒーロー賞)。
10年はシーズンを通して先発ローテーションを守るどころか、ソフバンを手玉に取り、西武相手に89球完投など文句ない左のエースぶり、チームの「勝ち頭でーす」となった。
11年も文句ない左のエースっぷり。6月防御率ダルを抜き楽天まさおに次ぐリーグ2位に。が、あんなことこんなことに襲われ、8月にはウィルス性胃腸炎にもやられて結局11勝12敗でシーズン終了。しかし負け越しはもちろんマサルさんの責任ではない
ハムファンにとっては永遠のファンタジスタ、猫科いきもの、マサルさんどうでしょう・・のイメージがあるが実はダルの陰に隠れてなにげにすごいピッチャーである。プロ通算与四死球率1点台、四死球率&K/BB両リーグトップ、防御率2010年リーグ2位(1位はダル)。2011年は連続無援護記録で知名度も大幅UP!
12年も開幕から好調を維持。4月は完封2含む4勝、「実質エース」の座を揺るぎないものに。その成果もあり3・4月の月間MVP賞投手部門で見事初受賞となる。
この年の契約更改で2億円プレーヤーの仲間入りを果たす。
そして8年目となる13年。開幕投手(3/29@西武ドーム)を務めることとなった。 
「全てのピッチャーを考えて、去年チームが(パ・リーグで)勝ったのもあるし、王道を真っすぐに進まないとと考えて、絶対的信頼を置く武田勝に決めました。去年勝ったのは勝のおかげ」(監督談)。その際に監督から、「日本のエース 武田勝で開幕 お願いします」という手紙を受け取った。
ここ2シーズンは1軍での登板機会も減少、15年シーズンは序盤はよかったものの途中から2軍で投げることが多くなる。
FAでの去就が注目されていたが、15年11月2日に16年シーズンもハムでプレーすることを表明、だが16年シーズンは2軍暮らしが長くなる。
9月中旬に一部スポーツ紙が引退を報じられていたが、同年9月23日に現役引退を表明した。「11年はあっという間。本当に幸せな時間でした」
同年9月30日の対ロッテにて先発で登板、先頭打者を3球三振に仕留めて引退登板を飾る。
同年12月14日に球団に籍を置きながら石川ミリオンスターズにてVice President(バイス・プレジデント)としてフロント兼総合コーチへの就任が発表、将来の指導者修行がスタート。
18年シーズンより監督に就任、19年シーズンまで務め最高順位は2位(19年後期)。19年10月21日に監督を退任して同日に1軍投手コーチとして古巣への復帰が発表された。
22年シーズン途中より2軍投手コーチへ配置転換、同年10月23日にて契約満了の為に退団が発表された。

「大事なのは自分のスタイルを維持すること。ほかの人は変化を求めるのでしょうけど、ボクは変化しないことを求めていく。」

勝解体新書

  • 自他共に認める猫科の生き物。
  • 計算されたボケトークを得意とする一方で、斜め上を行く伝説(蝶々を追いかける、打撃練習中の打球が利き手に直撃、ドーム球場で蝉に襲われるetc)を生み出し続ける天然ファンタジスタである。
  • 甘いモノ大好き。
  • 自称ドS。
  • 体脂肪率の高さはチーム1位で、現在貫禄の4連覇中。(2009年時点)
  • 酒が苦手で、スシジマさんと寿司屋に行くとコーラを飲みながら寿司を食べていたらしい。武田久曰く「勝はコーラで酔えますから」。
  • 学生・社会人時代に何度か左ヒジを故障しており、現在も左ヒジはロックされた状態で完全には曲がりきらない。そのため、左ヒジに負担のかからない独特の変則フォームになっている。
  • ノムさんの教えを忠実に守る野村門下の優等生。監督推薦で11年オールスター初出場が決まった際には、ノムさんから「これほどのピッチャーになるとはな」とのお言葉をいただく。
  • テレ玉のLIONS CHANNELで、浅村や平尾などに武田勝の投球術が絶賛される
  • 09年シーズン序盤に武田一浩に勧められて以来ずっとEASTON社のグラブを愛用している。
  • 水曜どうでしょうの大ファンで、自身の選手登場曲に「1/6の夢旅人2002」を使用している。
    • 番組関係者とも交流があり、勝ファンのスタイリスト小松や谷口アナからはどうでしょうグッズをプレゼントされることもしばしば。
    • TV番組の企画で藤村Dとの対談も果たし、その放送を観ていた鈴井貴之が勝さんを気に入った模様。
    • 簡易onちゃん(自前)を着けた写真を自らのホームページに載せているほどのonちゃん好き。
    • 13年の水曜どうでしょう祭りのビデオレターで、鶴のコスプレを着用して平岸高台公園にて「祭りはシーズンオフにやってもらいたい」などと発言。どうでしょう藩士のハートをしっかりキャッチした模様。
  • 虫が大の苦手で、ゴキブリに遭遇すると悲鳴を上げて飛び上がり逃げ回る。ドーム球場なのにどこからか迷いこんできたセミが近寄ってきた時は珍しく慌てた様子を見せた。 ポーカーフェイスとして有名なせいもあってか、新聞やニュースサイトでもセミとのツーショット写真付きでネタにされてしまう。
  • チーム内でも有名な愛猫家であり、いつもウイニングボールは愛猫のみー太郎に捧げている。例外として、夫人の実家で飼っていた仔猫が亡くなった際には仔猫にウイニングボールを届けるために先発勝利を挙げた。また、10年シーズン6勝目のウイニングボールは入院中だった高橋信二に捧げている。
  • 同い年の高橋信二とは「信ちゃん」「まー君」と呼び合う仲。信二が死球で離脱後は、ヒーローインタビューで「信二のために」と優しいんだかイジっているのだかわからないコメントを繰り返すのがちょっとだけお約束。(参考動画⇒123)
  • 1年間に約30万匹の捨て猫が殺処分されている現状を受けて、自身のグッズの販売収益を動物保護団体に寄付することを宣言した。また、春季キャンプの時に怪我をしていた猫を拾い病院に連れて行き治療費を出して治してあげたこともあるらしく、後日菊地和正がツイッターでこのエピソードを紹介。猫大好き優しい勝さん。
  • 2010年ファンフェスで、満を持してみー太郎グッズ販売
  • 佑ちゃんと自分との共通点は「練習があまり好きではないところ」とのこと。
  • 試合に負けた時の気分転換はプロ野球ゲーム(育成もの)をやることで、しかも自分を育成。自分ではなかなか出せない150㌔のストレートを投げさせたりもして、負けたら消したりしたらしい。
  • 引退会見後にドームに現れて円陣に参加、その際に「俺のために優勝しろ」と一筆書いた(後述)。
  • 最終戦での引退セレモニーにおいて出囃子としている曲(1/6の夢旅人)に樋口了一さんがやってきて一緒に歌おうと誘ったが頑なに歌わなかった。
  • 応援大使がきっかけとなりオカリナをお立ち台で吹くと公約していたが、ようやく引退セレモニーで公約を達成した。
  • その「俺のために優勝しろ」Tシャツがグッズとなると売れ行きも好調、チームのみんなでそのTシャツを着用してメッセージを書いていた。有原には「王手をかけろ!」と書いたが、アドバンテージの1勝を忘れていたことが判明した(実際2勝1敗の第3試合で勝利して実現してしまった形となる)。


勝天然伝説

  • 入団契約の際、緊張のためハンコを二度押す
  • 入団会見で「M武田と呼んでください」と発言、苦笑を誘うも本人は至って真面目
  • 二軍スタートだと思い込み鎌ヶ谷付近に部屋を借りるもまさかの一軍スタート。札幌では寮
  • 中日との交流戦の際、実家に出向くも引っ越しており実家の行方がわからなかった →ファイターズプレスによると、「引っ越したのは知ってたが、忘れてて元の家に向かってしまった」らしい
  • 怪我からの復帰戦、自らの勝ちを勘違いし武田久に「勝ち投手おめでとう」と声をかける
  • サインがわからなかったため大暴投を試みる
  • レギュラーシーズン1位通過のビールかけにて風邪をひく
  • 日本一になり新庄を胴上げした際のコメントは、 「うろうろしてたら(胴上げの輪の)真ん中にいって、右手で上げることができた」。(日刊スポーツ)
  • 北海道で好きな場所はペットランド(猫(アメリカンショートヘアー)を見に行くため)
  • ハムファンが詰めかけた空港で、オバサンに「これから誰か来るんですか?」と尋ねられた
  • 自分のガッツポーズをVTRで見て「(ガッツポーズをしている自分が)気持ち悪い」と感想を漏らす
  • 新庄とのエピソードを聞かれ「お前、地味、暗い」と言われたことを披露
  • 2006年日本シリーズ第3戦、三振を取りガッツポーズをしながら吼えた際「武田勝、大きく呟きました!」と実況される
  • 2007交流戦対中日1回戦、ヒットとバントで2塁進塁、続く賢介センター前ヒットを打つも動けず依然ランナー1・2塁(賢介、平野コーチ爆笑)
  • 登板前の睡眠時間は8時間強
  • 試合前と試合の間にコーヒーを飲まないと、試合中に寝ちゃう
  • 07/06/16の練習場にてチョウチョを追いかける
  • ヒロインでセギノールにお姫様だっこされ、「抱かれたのは初めてなのでどうしたらいいかわからなかった」とコメント
  • 自らのピッチングを「ちょっと気持ち悪い投法」と命名
  • 去年、奥さんの9月の誕生日には白星をプレゼント。「白星はタダですから」
  • トークショーネタの被り物実現を期待するおじさんの野次に対して、サラサラヘアーを指差し「もう被ってます」と発言
  • プロ野球コンベンション、日本代表激励式において立ち位置を間違える
  • 週べにて「愛車がハイオクでガソリン代が高くて困ってるので、レギュラーの車を買い足したい」
  • 年俸2800→8500と予想外の大幅アップに「宝くじに当たりました」「この先が怖い」
  • 奥さんとのお小遣い交渉に関して、「ここからが戦いです。ここは通過点。五輪切符より難しい」
  • オーストラリア旅行にて、餌づけインコと触れ合う山本を撮ろうとデジカメ構えるが、餌も持ってないのにインコに襲われる
  • 08/01/06鎌ヶ谷に突如出現したダルに対して「まさかダルがいるとは…。緊張しました」と発言
  • 関東地方での先発試合後はどんなに遠くても自家用車で帰る勝さんは、 試合後アイシング中、敵地に置き去りにされた久をホテルまで送迎
  • 着メロは「いざゆけ若鷹軍団」。ホークス戦は大好物。
  • 多田野藤井と共に行ったラーメン屋で、二人の分まで勝手に注文してしまう
  • 2008年ファンフェスの卓球大会で優勝候補と目されるがまさかの予選敗退、野球の試合では決して見せたことのない落胆振りを示す
  • 2008年ファンフェスティバルのドリチャリレースにて無表情で素晴らしいライディングを見せる。レース終了後もわざわざ乗ったままドリチャリを定位置に戻していた →後日トークショーにて『表情に出しちゃいけないって言われたんですよ、野村監督に。 表情に出してしまって叱られたことがあるので。 だからドリチャリも冷静に』(会場爆笑)
  • 愛車のサイドミラーに“幸せの青い鳥”が止まっているのを見て「自分の車だけに止まってくれた」と大感激。しかしサイドミラーに大量のふんをかけられる
  • 09年春満を持して公式サイト開設&ブログデビュー。しかし開設当初のヘッダは無題ドキュメント。ギャラリーには試合中の写真に混じってみー太郎が登場。ブログではなぜか全く同じ文章を二度くり返す。
  • 勝った日はブログにみー太郎うp。負けた日はトイプードルうp。
  • 自宅でのポジションはみー太郎よりも下
  • 09年4月16日、プロ入り初の完投勝利。打ち取った瞬間、信二に抱きついていいものか迷う。公約であった被り物は広報との連絡ミスで持ち越し。被る被る詐欺か?
  • 学生時代運動会の50m走で、3位だったのに1位だと大勘違いしたまま1位の旗のところに行ってしまう
  • ツメが割れて途中降板した日の談話「次回は鉄分とカルシウムを取ってよく寝れば、大丈夫ですよ」 ツメの主成分はたんぱく質です。
  • 31歳の誕生日に「タコ星人」の被り物をプレゼントされ感激する
  • 09年9月27日、今季一番のチェンジアップをよりによって牽制で投げる→サード高口捕れず、二塁走者のオーティズ生還
  • 09年最終戦プロ入り初の二桁勝利を挙げるも、ヒロインは省略される
  • 09年日刊優勝速報号の集合写真ポスターにて、菊地の影にすっぽり隠れて一人だけ行方不明状態になる
  • HTB本社にて勝ファンのスタイリストから「どうでしょうのヅラ」を贈呈され、しずかーにふつーにヅラを装着したまま重役達と挨拶を交わし、スタイリストに「あれはカッコよかった!」と興奮される
  • 09ファンフェス
  • クリスマスイベントでサンタ・サンタトナカイ糸数と共にトナカイに扮する。他の2人はさっさと着ぐるみを脱いだがマサル1人だけずっとトナカイ。写真では試合中にはまったく見られないやる気まんまんの表情。
  • 09V旅行で被り物の公約を果たせなかった代わりに全身タイツを着ると宣言→予想をはるか斜め上回るすっごい全身タイツで登場
  • 先発の前日に必ずやることは、猫と会話すること
  • 自宅では嫁と猫と川の字になって寝る
  • ドーム球場なのに何故か大嫌いなセミが右肩に止まり動揺するものの、「ミン!」と鳴き返し左手ではらいのける。直後にピッチャー返しを間一髪で避け「当たらずに済んだのはセミが助けてくれたんです」と発言。蝶を追い蝉に追われる男。
  • 2010年、大野とのバッテリーは息ピッタリ。本人いわく「奨太ありがとうございます」「身内かのごとく優しい声掛けてもらって」「既に気持ち悪い位仲が良いので、今後も気持ち悪くなります」
  • 2010年オフ、水曜どうでしょうの藤村ディレクターに「地味」「オーラがない」「サラリーマンに夢を与える」と言われ放題
  • チームの勝ち頭となり年俸大幅UPで1億円プレイヤーの仲間入り。会見で「何を買いますか?」と聞かれ、「車のフロントガラスにヒビが入ったので直します」
  • 人見知りで同じチームのダルに話しかけられない。「そっとしといてください」「ボクはダルを見てるだけで幸せなんです♥」
  • お立ち台で後輩の大野に「33ですけどまだ若いんで先発したら完投するだけの体力をつけてください」とあおられると、次の先発試合で久しぶりの完投を果たし「一週間でやってみました!あとで大野に上から目線で言ってやります!」
  • 鎌ヶ谷屋内練習場の片隅で息を引き取った小鳥を見つけ、寮の裏の土手に穴を掘り手を土で真っ黒にしながら小鳥を手厚く埋葬した。
  • 大野小谷野と3人で出席したファンミーティングで、第一子誕生の大野と結婚の小谷野が会場から「おめでと〜」と祝福されると、勝さん「なにもないけどおめでとうって言ってもらっていいですか?」
  • その時司会をやっていたT口くんに「開幕投手どうですか?」とあおられ、「行っちゃいますか!?…オープン戦の」とボケる。
  • ラジオのトーク番組でみー太郎のエサの缶詰くださいとファンにリクエストする
  • 名護キャンプで、グラウンドに迷い込んだカニを拾い上げ、外野フェンスから外へと逃がしてあげる
  • 佑ちゃんに)「野球はしょうがないんですけど、ゴルフだけは絶対に負けたくない」
  • 吉井投手コーチのブログより
    • 「ドクターのようなあの冷静な顔に、すっかりだまされました。 最近わかったが、勝君は、小さいことは気にしないタイプだったのです。」と書かれる
    • 「あいつは猫のような奴だから」と書かれる
    • (12年9月2日ホークス戦をTV鑑賞していた時の会話)福良ヘッド 「こっちのは、ええなぁ」 勝「ホークスの武田もいいですよ」
  • 2012年5月10日vsロッテ戦の試合前練習中、異常気象で雹が降るほどの悪天候の中「雹、ちょうだい」と植村にせがみ雹を拾いに行ってもらう
hochi_baseball報知プロ野球取材班

【日本ハム】マリンの風速が17メートルに達しました!雹に雷の異常気象ぶり。
武田勝投手が「雹、ちょうだい」と植村投手にせがみ、拾いに行く一幕も!

  • 13年キャンプ、投手小屋の地面の隙間に、どこからか迷い込んだ仔猫をちび谷と発見。エサや猫じゃらしでしばし戯れ、小屋に戻ろうとするまさるさんの後に子猫がついていった。にゃーん。みー太郎の兄弟になるのではないかと期待が高まったが、その後猫がたくさんいるとされる森へ子猫を返しに行った。なんてやさしい僕たちのまさるさん。(参考・フォトギャラリー1枚目
  • 13年4月28日の勝利時のヒロインのインタビュアー担当のお子様にマイクを渡され、「丸投げ?」と言ってしまう。
  • 同年5月5日の西武戦にて、試合途中にカラスvsハトという自然界の戦いに敗れたハトがマウンドに落下のハプニングにも関わらず、冷静に投げ切った。
  • 移籍してきたきさぬこに対して「キャラかぶってる」、「メモなんて取ってねーだろ」などと言いながらもきさぬこが完封した時には4色ボールペンをプレゼント。しかも4本。
  • スポニチ65周年パーティーのお祝いVTR出演するも、ハッピーバースデーの眼鏡をかけてクラッカーを鳴らし関係者の度肝を抜く。
  • 13年8月17日帯広の森野球場で外野ダッシュ中に右足首に白い蝶が止まり、練習を終えてベンチに戻ってきても蝶は右足に止まったまま離れなかった。
  • 14年春季キャンプにおいて自腹で購入した猫のエサを野良猫にあげるのが日課だった。DeNAとのオープン戦での出番が終わった直後に球場裏の海岸沿いにいる野良猫にエサをあげにいった。
  • 2014年の公約はヒロインでオカリナを吹くこと。
  • 同年の交流戦においてパリーグのホームで投手も打席(セと逆)に立つことになりマイバットを新調。本人いわく「武田勝モデル」。
  • 同年5月21日の対中日戦において第1打席で流し打ちを連発しなんと11球粘る。ベンチだけでなくお客様大喝さい。その代わりに手首を痛めてしまった。

勝ちゃんを救う会

11年シーズン序盤、防御率1点台後半を維持しながらも誰も援護してくれず、1950年の2リーグ分立以降では初となるパリーグ新記録「5試合連続完封負け」を達成。プロ野球界としては68年ぶりであり戦後初となる歴史的無援護であった。
試合後勝さんは「申し訳ないくらい謝ってくれている。そういうのも好きじゃないし、みんなで笑顔でやりたい」と話し、そのぐう聖っぷりに多くの者が涙した。
球場で観ていたファンからは「お祓いが必要なのでは」と真顔で心配され、他球団ファンからも心配され、吉井ブログには「こんな不運な投手を見るのは初めてです」と書かれ、更にはネタ系スレからも同情されたうえに「勝ちゃんを救う会」を結成される有様。
5/29 ついに待望の援護点を貰い(実に43イニングぶり。でもたった1点)、7回まで無失点投球を披露して久しぶりの勝利。
ポーカーフェイスな勝さんにしては珍しくガッツポーズが出るなど、内心では相当嬉しかった様子。
継投でピンチを迎える展開に試合後のヒロインで「胃が痛い試合」と本音を吐露。
その後はファンの「また無援護で負けてしまうのでは…」という不安をよそに着々と勝ち星を重ねる。
7/15の完投勝利時点では勝敗の付かなかった一試合を除いて6連勝。「1点でも援護のある試合では必ず勝つ」という揺るぎないエースっぷりを遺憾なく発揮している。


┏━━━━━━━━━━━━━┓武田勝ちゃんは生まれつき勝ちにめぐまれず
┃、      ,.ィTTT.i‐.、      .  ,┃一ヶ月以内に勝ち星が必要です。
┃ ` 、,  . //.l l l l l lヽヽ   ,. - ' ┃しかし勝ちを付けるには莫大な援護点がかかります。
┃ ` 、,` '‐-'.⊥l⊥l⊥'-‐ ' ´ ., - ' ┃武田勝ちゃんを救う為どうか協力をよろしくお願いします。
┃ .  ,..-`,:ー--.,..== 、,.--‐:':´>,   .┃4/15○ 7回1失点 援護点4
┃  (:*。:>:':´::::::; ;:::::::`:':<*:) ..┃4/21○ 7回0失点 援護点2
┃   ,ィ>f:-:、::::::::::; .;::::::::_;;::、<::ヽ  .┃4/27● 5回5失点 援護点0
┃  ,//::;;i( ̄`ー-‐´ ̄ )ヽヽ:\.┃5/04● 8回1失点 援護点0
┃ :././l::::';:;' | ○     ○':::iヽヽ::: ┃5/11● 7回1失点 援護点0
┃ノ./ l:i ....└ ___  .l::;;ヽヽ/┃5/17● 7回2失点 援護点0
┃'‐'.-リl::::::::'ヽ       /イ::::〈 ヽ┃5/23● 7回2失点 援護点0
┗━━━━━━━━━━━━━┛5/29○ 7回0失点 援護点1(※43イニングぶりの援護点)

2011年オールスター伝説

2011年、監督推薦でオールスター初出場。
第1戦ではオリ寺原に次ぎ、2番手として登板。折しもこの日解説はノムさんで、「目に入れても痛くない」とか絶賛発言をしていたが、2イニング目、なんとワンアウトからツーラン、スリーラン、ツーラン、ソロと4本塁打を浴び、1イニング4被本塁打8失点と見事な大炎上。本人「気持ちよく打たれました。いい勉強になりました。」秋山監督「武田(勝)があれだけ打たれるのは珍しいよな。シーズン中は考えられない」。
翌日、記録的な大炎上で逆に開き直ったのか「球宴に二軍落ちはないんですか?ホームラン競争の投手やりますよ」とのたまう。
ちなみに2011年前半戦はパリーグ2位楽天・マーくんの1.23、セリーグトップ読売・内海1.50を抑え、堂々の12球団トップの防御率1.21という好成績。

数々のオールスター新記録をつくる。さすがだよマサルさん。
▼イニング連続打数被安打8=武田勝(日本ハム)=連続打席
▼ゲーム最多被本塁打4=武田勝(日本ハム)
▼イニング最多被本塁打4=武田勝(日本ハム)※なおそれまでの記録はafo持っていた模様
▼イニング最多失点8=武田勝(日本ハム)
▼ゲーム最多失点9=武田勝(日本ハム)

しかし本人にとっては相当辛かったようで、2011年を表す言葉は「辛」「オールスターはつらいよ!」

勝被り物コレクション

2007年
B☆Bヘッド
簡易onちゃん(自前)
トナカイの着ぐるみ
3色全身タイツ(スタイリスト小松が勝さんのために制作・プレゼント)
2010年
B☆Bヘアー
タコ星人の着ぐるみ(スタイリスト小松がry)
たっくんの衣装一式(スタイリスト小松がry)
みー太郎ヘッド(スタイリスト小松がry)
2011年
兎年にちなんで兎の口(道新スポーツ1月1日付新春対談にて。ちなみに小谷野も巻き込まれた)
2012年
タコ星人ポンチョ(投手会釣り大会で着用。自前)
ゴールドのボーリングピン(投手会ボーリング大会の罰ゲームで着用)
2013年
鶴のコスプレ(スタイリスト小松がry)

オフィシャルサイト http://www.masaru-takeda.com

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最終更新:2022年10月23日 20:25