ルイス・ヒメネス

1982年5月7日生 ベネズエラ・ボバレ出身
実家はパイナップル農園。

09年春季キャンプに入団テストを受けに来日。
ラミレス、カブレラといった同郷の先輩から話を聞き、かつてから日本球界に憧れを持っていたという。
194cm120kgの巨漢。日本球界最重量選手である。テスト生時期はベニー(ロッテ)似のルックスにゴツい身体の中南米系と近年のハムにはいないタイプであり、獲得を望む声が絶えなかった。
当初は「打撃だけの選手」というふれこみであったが守備もこなし、09年2月16日に見事正式契約。

見かけによらず選球眼がよく、四球もよく選ぶ(何も考えず打てそうな球を振っているだけ、という説も)。
また足も速く、全速力で走塁するさまはさながら高速ブルドーザー。
動きのひとつひとつが妙にチャーミングで、解説者は必ず魅了される。
しかしながらこなせているという守備はあくまで見かけよりはと枕詞がつくレベルであり、凡ミスも多く、一軍レベルの守備ではない・DHなら一軍に置いていても良いが、という見方がヒメファンからもされるほど。
実況アナは誰もが必ず「巨体をゆらしながら」「巨体をノシノシ」と枕詞をつける。

意外といっては失礼だが、妻子持ち。

7月27日、突如解雇が発表。伊集院の予言(後述)がげんじつのものとなってしまった。
一部報道ではフロントが「日本で成功できない外国人の典型」とコメントしたなど報じられたが、イワケンさんによると練習態度などが原因ではなく、単純に戦力として考えると…とのこと。
ロッテ戦で千葉マリンスタジアムに来ていた一軍にわざわざ「お世話になりました」と挨拶に来たという。

2012年9月4日、シアトル・マリナーズでメジャー初昇格していた。

そして月日は流れて2015年11月、国際大会「プレミア12」で、ベネズエラ代表として久々に姿を見せた。
主にクリーンナップとして活躍し、公称110kgとはあるものの実際は150kg以上という情報も。確かに太ったな、ヒメちゃん…。
あの巨体で全力疾走は相変わらずで、かつてのハムファンを楽しませた。

エピソード

  • ラミレスが「ラミちゃん」と呼ばれていると知り、自ら「ヒメちゃん」と呼んで欲しいと志願
  • 一日5食。試みに3食にしてみたらぜんぜん足りなかったので1日に15個パンを食らう。
  • 自炊派。しかしイワケンさんに「野菜も食え」と叱られる
  • 姫はスキンケアにも気を遣います! 参考URL→http://www.fighters.co.jp/team/camp/2009/090227.php
  • ユニのズボンのあまりの太さに物議がかもされる。イワケンさんも「注意しないと…」 NHKが伝えるところによると、本人はノーコメントらしい。試合中継で実況アナ・解説者にダボダボズボンに言及されない日はない。09年4月23日のSB戦では3号スリーランを打った際、実況TBS小笠原アナが「ダボダボのままホームイーーーーーーーン!」と意味不明の絶叫。スレは爆笑の渦に包まれた。
  • じつはそのダボダボズボン、マイナー時代に粗悪な生地のユニを着ていたため洗濯を繰り返すとすぐに縮んでしまい、オーバーサイズにするのが習い性だった、というせつない理由がある。このエピソードは深夜の馬鹿力リスナーファックスでも読まれ、伊集院に「そんなに縮むまで日ハムにいられるかねw」と言われる。
  • スカイマークでの試合で、寒かったのかネックウォーマーを目元ギリギリまで上げて登場。忍者?テロリスト?ひとつ上の男?
  • 楽天戦で死球を当てられたジャーマンがヤタローを恫喝すると二人の間に入り腕組み仁王立ちでジャーマンを威嚇。その後稲葉と自分にすないぽされブチギレ、乱闘寸前の騒ぎとなる。ハムには珍しい熱さ。翌日この件に関して「仲良くやりたいのに睨み付けられて腹が立った。( ‘ Θ ‘ ) <ミルノダメー、ミルノダメー」とパンを食いながら語った。
  • 5月のKスタでカイロを握ったまま守備につき、うっかり落としたカイロが気になりエラー。守備重視派住民はあきれ果てた。
  • 4月4日楽天戦にて谷元のプロ初登板時、マウンドに集まった内野陣が守備位置に戻る中、一人だけマウンドのそばに残って谷元の投球練習を熱く見守る。まるで投手コーチ。

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最終更新:2015年11月16日 01:11