大野奨太

1987年1月13日生まれ 岐阜県出身 O型
2008年、實松以来10年ぶりの捕手としてドラフト1巡指名。
遠投110mの強肩と巧みなリード、主将としての統率力を買われたものである。

2009年 将来のハム正捕手候補として、日夜中嶋コーチとマンツーマンで修行中。
afo多田野先発のときはスタメン捕手として出場した。
2010年 勝さん八木などの左腕やウルフを主に担当、ツルの牙城・ダルビッシュとも息はまったく合わなかったもののバッテリーを組むなど、着々と正捕手の座を掴みつつある。

打者としては打率こそ振るわないものの長打力があり、意外なところで1発が出る。(ごく一部でサネの後継者とも囁かれる)
ルーキー当時はバントも上手くなかったが、近年では無難にこなせるようになっている。

12年シーズン序盤、4月は30打数以上で僅か2安打と大苦戦。7月には打撃不振やきょうだしゃの出現で、故障以外ではプロ初の登録抹消も経験。
2013年より背番号が28番から「2」に変更、正捕手への期待は依然として大きい模様。
13年シーズン終了後選手会長に就任、なおかつ鶴岡がFA移籍で正捕手へ前進、思いきやキャンプ中にねんざを発症、出遅れるもののなんとか復帰。
同年5月17日の対ロッテ戦にてプロ入り初のサヨナラホームランを放つ。
14年キャンプの練習試合の走塁中に足をねんざして出遅れるも何とか治して出場。オールスターに監督推薦で初出場を決める。
15年シーズン終了後に2015年プロ野球最優秀バッテリー賞を大谷で受賞する。この年に国内FA権を取得して去就が注目されていたが、同年10月26日に権利を行使せず残留が決まり、(2年契約)キャプテンに就任が決まる。
16年シーズンは自己最多の109試合に出場も、17年シーズンは右ひじ痛の影響等もあり83試合にとどまる。シーズン終了後にひじを手術。同年11月9日に海外FA権を行使して宣言、宣言残留も認められていたものの同年12月9日に中日と契約に合意して移籍が決まった。


エピソード

  • 勉強熱心で真面目、22歳に思えぬしっかりとした性格は「俺22の時あんなにしっかりしてなかったよ…」とハム専住人をちょっと切ない気持ちにさせる。
  • 高校入学時は三塁手、その後捕手に転向する。
  • 東洋大時代はソフトバンク・大場、ロッテ・上野とバッテリーを組み、東都リーグ4連覇と明治神宮大会2連覇、大学野球選手権優勝に貢献。
  • 3年生春から4季連続ベストナイン、4年生春に捕手としては22年ぶりとなる最高殊勲選手に選ばれた。
  • 浅尾きゅん(中日)、岸きゅん(西武)にもじって、ハム専では大野きゅんと呼ばれる事がある。
  • その女性人気?を当て込んで独身抱き枕4人衆に選ばれるが、2010年11月26日婚姻届を提出。この日は付き合い始めた記念日で、夏ごろ結婚を決めていたとのことで、企画時は既に他人のものだったのかと毒女ファンを嘆かせる。
  • 普段あまりにもしっかりしているため、ビールかけとなったらどうなるのか注目されていたが、やはりビールを浴びながらも相変わらずインタビュアーに対し丁寧に受け答えしていた。しかし結局記憶を失うほど泥酔したらしいが翌日猛打賞。ハム専内であぶさんキャラが定着する。
  • 最近二岡と同じクルマを購入。(ただし色違い)
  • 酒席でよっぱらい賢介先輩に呼び捨てで呼べと強要され、何のためらいもなく「賢介ー!」と呼び捨てる。更には「はぁ???」とも言ったらしい。ちなみに賢介は何故か大喜びしてたとの事。
  • 2011年6月に第一子誕生。ダル同様にできちゃった婚である。
  • 固形チーズが苦手。
  • 二岡の戦力外通告の翌日、本人不在のプレイヤーズスペシャルの日には、打席に入る際の登場曲に「Sky High」(二岡の登場曲)を使用した。
  • サメさんに「もし引退したら27番を下さい」とお願いしていたら27番をつけることとなった。

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最終更新:2017年12月09日 21:44