ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

第十三章 悪魔の風

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第十三章 悪魔の風

「ゲス野郎め……」
虚空から現れたリゾットはもう一度呟いた。ルイズはリゾットを見て、悟る。
リゾットは心底怒っている。以前、自分に対して見せた怒りなどとは比べ物にならないほどに。
その怒りに気圧されたのか、ワルドは杖をひき、リゾットから距離をとった。
「馬鹿な…今までどこにいた…?」
ワルドは思わず呟く。『風』属性のメイジであるワルドは、常人よりも遥かに気配や音に敏感だ。
どこかに誰か潜んでいれば、わずかな気配や音で気付いたはず。
「お前がアルビオン貴族派…『レコン・キスタ』に内通していることは分かっていた……。だから、皇太子に『サイレンス』をかけてもらった上で能力で潜んでいた……」
ある一定範囲の音を消去する風属性の魔法『サイレンス』は空気の振動を多少、抑制する効果がある。
その内側で隠密の達人であるリゾットが完全に気配を絶てば、もはやそこは何者もいない空間と同じだった。
だが、ワルドはまだ気にかかることがあった。
「裏切っていることを分かっていた、と言ったな? いつからだ? それに、分かっていたなら何故今までこうやって攻撃しなかった?」
「物取りを名乗る連中を尋問したときからだ。奴らは傭兵で、俺たちを狙っていた。
 あの時点で王女の密命を知っていて、なおかつ誰かに傭兵たちを雇わせることの出来る時間があったのは、俺の知る範囲ではお前だけだ」
「ち…、金ばかり掛かって何の役にも立たん奴らだ」
吐き捨てるように言う。もはやワルドは仮面を脱ぎ捨て、野望のために全てを踏み台にする本性を剥き出しにしていた。

「俺がお前を今まで始末しなかったのは証拠がなかったからだ。
 それにルイズはお前を信頼していた…。アンリエッタもこの大任を依頼するからにはお前を信頼していたんだろう……。
 だから、万が一……万に一つでもお前が裏切っていない可能性があるなら……俺はそれに賭けてみたかっただけだ」
「ふ……それでわざわざ今まで隠れてこそこそやっていたわけか。ご苦労なことだな……」
嘲笑うワルドに、一歩一歩、踏みしめるようにリゾットが近づく。
「お前は利用した挙句、踏みにじったんだ……。ルイズの信頼を……、アンリエッタ王女の信頼を……、ウェールズ皇太子の信頼を……、
 まるで遊び飽きた玩具を捨てるように…、古くなった衣服を捨てるように……」
組織に利用されるだけ利用され、最後は殺された自分たちのチームが重なり、リゾットのかみ締めた奥歯が鳴った。
「決して許さん……。お前は今! 彼女たちの心を『裏切った』!」
「こちらから信じてくれといった覚えはない。信じる者が間抜けなのだよ」
その言葉にリゾットが斬りかかる。だが、ワルドは羽がついているかのように高く跳躍し、刃をかわすと始祖ブリミル像の横に着地した。
「無駄だよ。君の素人剣術など、如何に速くとも当たらん」
「ルイズ…、ウェールズ皇太子と一緒にここから避難しろ。こいつは俺が片付ける」
「嫌よ!」
「そうだ。私も戦う。このような侮辱を受けて黙っていられるものか!」
リゾットの言葉にルイズ、ウェールズが反対する。
「奴の狙いはお前たちだ! ここに居られて万が一でもお前たちがやられちゃ困るんだよ……。それに皇太子、お前には指揮を待つ部下がいるんだろう!
 指揮官として生きることを決めたなら、最後まで指揮官の役目を果たせ!」
ウェールズはその言葉にはっとなり、ルイズに促して外へ移動する。

「必ず勝ちなさいよ!」
「任された……」
ルイズが礼拝堂の入り口で言った言葉に背を向けたまま手をあげて応える。
「逃さん!」
ワルドが地を蹴り、風のような速さで出口に殺到する。が、突然足に痛みを感じ、転倒した。
「何だ…と?」
みると、足に針が突き立っている。ワルドはリゾットをにらみつけた。リゾットは右袖をワルドに向けている。
「貴様ァ!」
針を引き抜き、すぐさま跳ね起きる。
「あくまで貴様一人で私に勝つつもりか……。スクウェアクラスの私に」
リゾットは答えない。ただ、剣を構えることで意思表示した。その態度を見て、ワルドも冷静になる。
(気になるのは、今の針だな…。注意していたはずだが、飛んで来る針が何故読めなかった…?)
リゾットが再び突進してくると、用心のために後方に跳躍しつつ、杖を振る。『ウィンド・ブレイク』の突風が礼拝堂の長椅子を巻き込みながら吹き荒れた。
飛来する長椅子を一つ二つと回避したものの、風に足を取られ、リゾットは転倒した。そこへ首へ向けて風の刃が飛ぶ。
「!」
横に転がり、腕の力を使って跳ね起きる。右腕に鈍痛が走るが、リゾットは痛みを無視した。
「『ライトニング・クラウド』のダメージが残っているようだな……。よくそんな状態で私に勝とうと思ったものだ」
ワルドが興味深げに笑う。
「一つ、尋ねたいんだが……お前にとって、命を賭けてまでルイズを救うことに何の意味がある? あの娘がお前に何かしてくれたか? お前の献身に少しでも報いたか?」

「……命を救われた…。そして心もな…」
「なるほど。だから命を賭けると言うわけか。お前を蔑む女のために」
だが、リゾットはその言葉に首を振った。
「お前と戦うのはルイズへの恩義ではない……」
「ほぅ、では何のためだ?」
「……お前のようなゲス野郎を野放しにするのは……俺の『誇り』が許さないからだ!」
叫ぶと同時に右腕から針を撃ち出し、同時にワルドとの距離をつめる。
「無駄だ!」
ワルドは杖で針を叩き落しながら詠唱を完成させ、再び『ウィンド・ブレイク』を放つ。だが、今度はリゾットは突風をかわした。
「何!?」
驚愕するワルドの鳩尾にリゾットの左拳がめり込む。身体を折ったワルドの顎に、膝が入った。
「ぐぅ…あっ!!」
急所に連続で打撃を受け、よろめきながら後退するワルドをリゾットは冷淡に見下ろした。
「二度も連続して同じ魔法を使わないことだな…。杖から扇状に風を巻き起こすその魔法は、至近距離では威力も高くなるが、かわされやすくもなる…」
「何故追撃してこない?」
「前にも言ったが……俺を余り舐めるな…。『風の遍在』を使って全力で来い」
リゾットは淡々と告げると、ワルドは一瞬、驚いた後、感心したような表情を浮かべた。
「! 平民の癖に随分博識じゃないか……」

「桟橋で襲ってきた男とお前の身のこなしが余りにも似ていた上に、隠し針に対してあらかじめ知っていたように避けたからな……。
 ウェールズ皇太子に尋ねたところ、すぐに教えてくれたよ……。自分と同じ能力を持つ分身を作る魔法をな…」
「ふ……仮面で隠す程度では誤魔化しきれなかったということか……。いいだろう。風が最強と呼ばれる由縁を見せてやる」
ワルドが杖を構え、呪文を詠唱し始める。
「ユビキタス・デル・ウィンデ……」
リゾットは手を出すことなく、それを見ていた。そんなリゾットにデルフリンガーが声をかける。
「相棒、何でわざわざ奴に奥の手を出させてやるんだね?」
「……あいつはルイズたちの信頼を裏切った……。なら、あいつも相当の対価を支払うべきだ。全力の奴と戦い、奴の自信とプライドごとそれを打ち砕く」
「おでれーた! 相棒、冷静なだけかと思ったら、存外熱いね! 暗殺者らしくねーぜ!」
「ただ殺すだけならもう終わらせている。これは暗殺じゃない……。彼女たちの尊厳を取り戻すための戦いだ……」
デルフリンガーが興奮したのか、カタカタと揺れる。
「くーっ! 惚れ直したぜ、相棒! ところで、今、思い出したことがあるんだが…」
「何をごちゃごちゃ話している」
五人に増えたワルドが、リゾットの前に立ちふさがった。
「…五人か……。ウェールズ皇太子は四人以上になれるメイジはそういない、と言っていたが…」
「スクウェアを甘く見てもらっては困る。風の遍在…。風の吹く所、何処となくさ迷い現れ、その距離は意思の力に比例する」
言うなり、五人はばらばらに動きながら呪文を詠唱し始める。リゾットは一人に斬りかかるが、杖を使って捌かれ、瞬く間に呪文が完成する。
「これだけの数の魔法、避けきれるか!!」
五人が次々と魔法を繰り出す。

至近距離で放たれた突風をかわし、右から来る風の槌を身を屈めてやり過ごし、左から来た電撃を跳躍して回避する。
「空は『風』の領域…。貰ったぞ! ガンダールヴ!」
残り二人のワルドから風の刃と電撃が放たれる。
「相棒、俺で受けろ!」
デルフリンガーが叫び、その刀身が光りだす。メタリカを発動しようとしていたリゾットは、その声に咄嗟に魔法へとデルフリンガーを振るった。
「無駄だ! 剣では防げぬ!」
ワルドが叫んだ。だが、リゾットにとどめを刺すはずの魔法はデルフリンガーの刀身に触れるなり、その中に吸い込まれる。
そして魔法を吸い込んだデルフリンガーは今研がれたかのように、光り輝いていた。
「デルフ、何をした?」
リゾットが驚きの目でデルフリンガーを見つめる。
「いやあ、てんで忘れてたぜ。テメエの本当の姿って奴を。詰まらんことばっかりだったからなあ。
 ま、安心してくれや、ガンダールヴ。こっからは俺がちゃちな魔法は全部吸い込んでやるよ。この『ガンダールヴ』の左腕、デルフリンガー様がな!」
興味深そうに、ワルドはデルフリンガーを見つめる。
「なるほど…。やはりただの剣ではなかったようだな…。決闘の時、こちらの『エア・カッター』の効果が薄かった時に気づくべきだったか」
余裕を失うことなく、ワルドのうち二体が呪文を唱え、杖を青白く光らせた。
「『エア・ニードル』。杖自体が魔法の渦の中心だ。その剣で吸い込むことは出来ぬ!」
高らかに宣言すると、二人が杖で近接戦を挑み、残りの内、二人が攻撃のための呪文を詠唱する。だが、リゾットは動じない。
冷静に一人に向かって右腕の袖を向け、針を撃ち出す。
「馬鹿め! 知ってさえいればそのような仕込み弓にかかるものか!」
最後に残ったワルドが魔法を発動させ、風の障壁によってことごとく針は反らされる。

接近されたリゾットはデルフリンガーで応戦するが、右腕は完治しておらず、二対一である。徐々に防戦一方になる。
「やばいぜ、相棒! このままじゃやられる!」
デルフリンガーの叫びもむなしく、やがて攻撃のために呪文を唱えていた二人が詠唱を完成させた。接近していたワルドが退くと同時に突風が吹き荒れる。
リゾットはデルフリンガーにそれを吸わせたものの、再び詰めてきた二人のワルドの杖に、脇腹と肩を切り裂かれた。同一人物ならではのコンビネーションだ。
血が飛び散り、ワルドの衣服を汚す。膝を突いたリゾットを見下ろし、ワルドは楽しそうに笑った。
「平民にしてはやるではないか。流石は伝説の使い魔といったところか。しかし、やはりただの骨董品であるようだな。風の『遍在』に手も足も出ぬようではな!」
二人のワルドが発光する杖を振り上げる。
「これで終わりだ。今度こそ殺す!」
だが、二人のワルドの杖が振り下ろされることはなかった。
「忠告してやる……。『殺す』なんて言葉は使わないことだ……。使うくらいなら、その前に相手を確実に殺せ」
リゾットが普段と変わらぬ調子で言う。眼前の二人のワルドの杖を持った手は鋭利な刃物によって切り裂かれ、背中には無数の針が突き立てられていた。
「き、貴様……!?」
背後のワルドたちは見ていた。風の障壁によって反らされ、床に落ちたはずの針が、一人でに浮き上がり、遍在体に向かって飛んで行く様を。
もちろん、後方のワルドは何が起きたか分からないまでも、もう一度風の障壁を張ってそれらの針を反らした。だが、反らしたはずの針は再び吸い寄せられるように遍在体の背に突き立ったのだ。
(……どうやら風の遍在には鉄分が少ないようだな……。時間をかけて集めて、手の一本をどうにかするのが精一杯か…)
ワルドには分かるはずもない。付着したリゾットの血と共にメタリカがワルドの遍在体に潜行し、落ちていた針を磁力で引き寄せたなどと。軌道を反らせようと、磁力で引き寄せ続ける限り、必ず針は突き立つのだ。
「な、何を…した?」
「………」
消えていく二人の遍在体を驚愕と恐怖の表情で見ながら、ワルドが問う。しかしリゾットは答えない。
裂かれたはずのその脇腹と肩の出血は既に止まっている。リゾットの体内に無数に潜むメタリカが空気中の鉄分を使用して止血したのだ。

うめき声をあげ、二人の遍在が完全に消滅した。ワルドは今の攻撃を理解できなかったが、自分がメイジとも平民とも伝説の使い魔とも違う、異質な存在を相手にしていることは理解できた。
「何なんだ…貴様…? まさか、今のは先住魔法か?」
ハルケギニアの人間にとっての恐怖の象徴である、杖を必要としない魔法を呟いた。だが、リゾットはゆっくりと首を振って否定する。
「先住魔法ではない……。これはスタンドだ……」
一歩一歩、リゾットがワルドに向かってゆっくりと近寄る。ワルドは得体の知れないものを相手にしている恐怖に駆られ、じりじりと後退し始めた。そこで、あることに気が付く。
「さあ、信頼を裏切った報いを受けてもらおうか……」
「報い? 貴様如き平民が、この私に? それは出来ないな…。なぜなら…!」
残った遍在体の一人が杖を掲げ、リゾットに襲いかかる。リゾットは剣で受けた。同時にもう一人の遍在体が風のように礼拝堂の入り口に走る。
「きゃっ!?」
「ルイズ……!?」
そこにはルイズがいた。一度逃げたものの、リゾットが心配になり、戻ってきたのである。分身し、六つの眼を持つワルドだからこそ気付いた、起死回生のチャンスだった。
閃光のように杖をひらめかせると、護衛としてウェールズがつけたメイジの側頭部を打って昏倒させ、ルイズの背後に回りこんで首に杖を突きつける。
「動くな! 動けば貴様の主人の首を貫く!」
「てめえ、汚えぞ!」
デルフリンガーが怒りの声を上げるが、ワルドはそれを嘲笑した。
「何とでも言え! 今から死ぬ者の言葉など聞く耳もたん!」
距離は約12メイル。リゾットのメタリカの射程外だった。如何にガンダールヴのスピードを持ってしても、ワルドがルイズの喉に杖を突き立てるより速く距離を詰めることはできない。
(さて……どうするべきかな……)

そこに悲しそうな声が響いた。ルイズだった。
「ワルド、どうして……? なぜ、ハルケギニアの貴族である貴方が、『レコン・キスタ』に力を貸しているの?」
「我々はハルケギニアの未来を憂い、国境を越えてつながった貴族の連盟さ。我々に国境はない。ハルケギニアは我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのさ」
ワルドはあくまでリゾットに注意を向けながら、ルイズの問いに答える。ルイズはうつむいた。それにあわせ、少しだけワルドの杖が引かれる。
「昔は…そんな風じゃなかったわ。何が貴方を変えたの?」
「月日と、数奇な運命のめぐり合わせだ。それが君の知る僕を変えたが、今、ここで語っている場合ではないな」
「そう……。一つだけ聞かせて、ワルド。貴方は何を犠牲にしても、そこにたどり着くのね?」
「無論だ。そのためなら、僕はあらゆる汚名を着よう」
それきり、ルイズは黙った。だが、リゾットはルイズの手の杖が徐々に持ち上げられるのに気付いた。ワルドはリゾットに全神経を向けているせいか、気付かない。
ルイズはリゾットと船の上でかわした約束を覚えていた。
『次にルイズが人質にとられるようなことがあったら、今度は自分も戦う』というその約束を。今がその時だ。せめて、脱出は自分の手で果たす。
「ワルド……。目的のために誰も彼もを犠牲にしようとする貴方はもう貴族じゃないわ……。だから……、さよなら!!」
杖を振り上げ、最も簡単な魔法の一つ、『レビテーション』を背後のワルドにかける。
くぐもった爆発音が響き、ワルドの遍在体は消滅する。だが、その至近距離での爆発はルイズ本人をも巻き込んだ。
よろめくルイズに、リゾットとルイズ、どちらからも距離があったワルドの本体が風の刃を放つ。
「やめろッ!」
叫ぶリゾットの声も届かず、風の刃はルイズを切り裂いた。ルイズの鮮血が舞う。
リゾットの脳裏で、倒れていくルイズが、ソルベに、ジェラートに、ホルマジオに、イルーゾォに、プロシュートに、ペッシに、メローネに、ギアッチョに重なり、最後に再びルイズに戻る。
視界が真っ赤に染まり、リゾットは自らの感情を抑える箍が外れる音を遠くに聞いた気がした。

ルイズに魔法を撃ったワルドの本体は、短い断末魔を耳にし、そちらを向いた。体中から針を生やした己の分身が消滅していくところだった。
リゾットの左手のルーンが今までにない輝きを発していた。その光を受け、デルフリンガーが光る。
「それが『ガンダールヴ』の力だ、相棒…。怒り、悲しみ、愛、喜び、何だっていい。とにかく心を振るわせれば、それが強さになる……。相棒?」
リゾットは聞いていなかった。その口から獣のような唸りが漏れる。
ロオオオオオオオオォォォォォドオオオオオオオオォォォォォロオオオオオォォォォ……。
見えるものが見れば見えたであろう。彼の体に潜むメタリカが、叫ぶようなうめき声を上げている様が。
尋常でないリゾットの様子と、ルイズを人質に取ることに失敗したことから、ワルドは敗北を悟った。
「くそ……この『閃光』がよもや後れを取るとは……」
右腕で杖を振り、宙に舞いあがる。その途端、ワルドの左手が爆発した。正確には、爆発するような勢いで吹き出た無数の刃物によって細切れになった。
「え……?」
ワルドは呆然と失われた左手を見る。落下していく途中、刃物は再び鉄分に戻り、消えていく。ワルドには何が起きたのか理解できなかった。
だが、原因がリゾットだということは、生物の危険を感じ取る本能で直感した。そしてこの場からすぐに逃走しないと、確実に命がないことも。
「う……ぐぁ…!」
ワルドは苦痛の呻きをもらしながらフライの速度をあげ、礼拝堂の天窓を破って逃走した。が、すぐに濃い疲労が体を包んでいることに気付く。ただでさえ戦闘で息が上がっているところに、鉄分が一気に失われたせいだった。
仕方なく、指笛を吹いてグリフォンを呼び、その背に跨り、飛び去った。

一方、リゾットはすぐにはワルドを追わなかった。ルイズに駆け寄り、傷を確かめる。風の刃が当たる直前、自ら倒れこんだせいか、幸い、急所は外れていた。
リゾットはメタリカを使い、空気中の鉄分を集めてルイズの傷を塞ぐ。先ほど昏倒させられたメイジが呻いているのを見ると、引き起こして活をいれる。
「ルイズを頼んだ」
意識を取り戻したメイジにそういうと、リゾットは去っていくワルドのグリフォンを見つめた。

「お、おい、相棒。どうするつもりだよ…?」
デルフリンガーの声に応えず、滑るように走り出す。
「おい! 相棒! 無理だよ! あいつは空飛んでるし、間に城壁だってあるんだぜ!?」
確かにすぐに城壁に突き当たった。だが、リゾットは両手を壁に付き、メタリカを発動すると、城壁の中の鉄分を媒介に自分自身の手足を貼り付け、壁を駆け上がるように登る。
あっという間に城壁を登りきると、目を丸くしてみている衛兵を尻目に、城壁を飛び降りた。ナイフとデルフリンガーを城壁に刺し、減速しながら一気に降りる。
当然、『レコン・キスタ』軍はこの奇妙な闖入者に矢を射掛けるが、矢は全てリゾットの周りに見えない球体があるかのように反らされる。
リゾットのメタリカが矢が飛んでくる方向に反発磁力を展開し、矢の軌道を反らしているのだった。
そのままデルフリンガーとナイフを構えて『レコン・キスタ』軍へと駆けて行く。遠くからでさえほとんど視認不可能な、電光のような速さだった。
その場を受け持っていた不幸な傭兵たちはこの駆けてくる何かを取り囲もうとしたが、近づいた途端、全身から無数の刃物を噴出し、血液をおぞましい黄色に変えて死んだ。
かつてない怒りによって能力が飛躍的に上昇したスタンドと、同じく怒りによって増幅されたガンダールヴのルーンによる、恐るべきメタリカのパワーだ。
磁力には本来、隙間が存在しない。全く方向性を制御されていないメタリカは、敵も味方も区別せず、リゾットの三百六十度全方位に死を呼ぶ磁力を発していた。
もっとも、幸いなことに、リゾットが駆けていく方向には敵である『レコン・キスタ』しか存在しなかったのだが。

猛スピードで黒い何かが駆けると、その周辺にすべてを切り裂く風でも吹き荒れているようにメイジも傭兵も関係なく、例外なく人が死ぬ。
リゾットが突然城壁を降りて奇襲してきたこともあり、正体を把握できる者は誰一人おらず、その一帯は大混乱に陥った。
何人かのメイジは混乱の中、黒い影にしか見えない『それ』を何とか認識し、魔法を放ったが、命中したと思った途端、魔法はかき消された。
あるいは、命中したはずなのに、まるで意に返さないように『それ』は動き続けた。
呆気に取られるメイジたちにも次の瞬間にはその影は迫ってきていて、やはり体中を切り裂かれて死んだ。
元々反乱した貴族たちが集まった烏合の衆である。裏切りが出たとの誤報を信じ、同士討ちを始める者たちまで出た。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図である。
リゾットの暴走はワルドが完全に見えなくなるまで続いた。

さて、何とかグリフォンに乗って逃れたと思ったワルドは、眼下の自軍が大混乱を起こしているのを見つけ、それがリゾットによって引き起こされているものだと思い当たった。
(自分を追ってきている…!!)
それに気付いたとき、ワルドは迎えに来た『レコン・キスタ』の竜騎士の風竜を奪い取ると、恥も外聞もなく全力で逃げ出した。
ワルドは恐ろしくてたまらなくなったのだ。あの黒衣が。あの暗黒の眼が。あのどこからか吹き出す刃物が。
知らず、ワルドは叫びを上げていた。恐怖の叫びだった。

一方、正門にて指揮を執り、決死の抵抗をしていたウェールズは、急に攻撃の手が休まったことに首をかしげつつ、態勢を立て直していた。
リゾットの奇襲によって大混乱に陥った『レコン・キスタ』は、一度退かざるを得なくなったのだ。
そこに伝令が入る。ラ・ヴァリエール嬢の使い魔が突如城壁を越え、『レコン・キスタ』軍に大打撃を与えたと。
「馬鹿な。彼は平民だぞ? いくら腕が立つとはいえ、一人で何ができるというのだ」
「し、しかし、ラ・ヴァリエール様につけた護衛からも証言が入っております。あのリゾットという使い魔が瞬く間に城壁を越え、その向こうに突撃して行ったと」
「それでは叛徒、ワルド子爵はどうなったのだ?」
「奴は逃げた…」
声に振り向くと、リゾットが壁にもたれて立っていた。全身にいくつかの傷を負っているようだったが、奇妙なことにほとんど全ての傷からの血はとまっているようだった。
「使い魔殿! その怪我は…?」
「問題ない…。火の魔法は極力避けたが、風や氷までは吸い込みきれないのがあっただけだ」
「では……やはり使い魔殿が?」
リゾットは否定も肯定もしなかった。そこにデルフリンガーがため息混じりに呟く。
「全く、相棒は無茶しすぎだぜ。もう身体、ほとんど動かねえだろ?」
「ああ……。傷はそこまで重くはないはずだが……」
「ガンダールヴの力は無限じゃねえんだ。無茶すればそれだけ『ガンダールヴ』として動ける時間は減るぜ。何せ、お前さんは主人の呪文詠唱を守るためだけに生み出された使い魔だからな。
 ま、あそこまで動けたのはお前さんが普段から訓練を欠かさないで培った並外れた体力と精神力のお陰だろ」
主人という単語を聞いた瞬間、リゾットの口は勝手に動いていた。
「皇太子……ルイズは?」

「ラ・ヴァリエール嬢なら無事だ。水のメイジの治癒を受けて、今は安静にしている。一度意識を取り戻して、君の行方を聞いていたよ」
「そうか……。こんな戦場で貴重な治癒をかけてもらって、感謝する」
「何の。国賓を見殺しにしたとあってはわが王国の最後に泥を塗るようなものだからな。君も治療を受けたまえ」
そういって、無理に微笑む。リゾットも分かっていた。『イーグル』号は既に出航しており、ワルドのグリフォンは飛び去った。逃げる方法はないのだ。
いや、リゾット一人ならば何とかなったかもしれない。だが、リゾットは恩人を見捨てて逃げる気はなかった。
「ああ……治癒をかけてもらったら、俺も戦う」
「そうか……」
ぴくぴくとデルフリンガーが震える。
「ま、仕方あるめーよ。相棒は『ガンダールヴ』で、貴族の娘っ子は相棒の主人だしなあ。短い付き合いだったが、楽しかったぜ、相棒」
「ふざけたことを言うな、デルフ」
「あん?」
「俺はまだ『栄光』を掴んでいない。そして地球に戻ってやるべきことを果たしていない……。ルイズを守って、必ず生き延びる」
「五万……いや、もうちょっと少なくなったか……相手で、もう相棒の体力は底をついてるのにか?」
「『恩人を守る』……、『栄光を掴む』……。『両方』やらなきゃいけないのが辛いところだが…。そんな奴を相棒に持ったことを不幸だと思って覚悟を決めろ、デルフ」
「いや、やっぱり相棒はすげぇわ。そうこなくっちゃな。なぁに、五万くれーなんとかなるさ。俺とお前は伝説だものな」
それを見ていたウェールズは苦笑した。
「やれやれ、君たちはあくまで希望を失わないんだな……。ともかく、ラ・ヴァリエール嬢のところへ行ってあげたまえ。水のメイジもそこにいる」
「ああ……」
足を引きずるようにして立ち去ろうとしたリゾットを、ウェールズが呼び止める。

「そうだ…。君にこれを…。君の働きにはそれだけの価値がある」
そういって、指に嵌めていた風のルビーを、リゾットに手渡した。
「……俺はお前たちのために戦ったわけじゃない」
「そうだろうね。だが、結果的にしろ、五万を足止めしてくれたことに対するお礼の気持ちだよ。礼をしたくとも私には他に渡すものがないのだ」
「分かった……」
「君がここに戻ってくるまでに、ここが持ちこたえるかどうか分からない。だから、さらばだ。勇敢な使い魔殿」
「ああ……。始祖ブリミルの加護があらんことを…」
リゾットは神を信じているが、神に頼ったことはない。暗殺者が神に縋るなど不遜だと考えていた。
それでもリゾットはこの瞬間、会った事もない始祖ブリミルの加護がウェールズにあることを祈った。死ぬことを決めた人間に、他に何をしてやればいいか分からないからだ。

眠るルイズの下に行き、水のメイジに『治癒』を施してもらう。治癒をかけたメイジは自らも戦場へと出立していった。
リゾットはすぐに全快するわけではないので、そのまま安静にして体力の回復を図る。いずれ敵がやってくる、その時に備えて。やがて怒号と爆発音が城内に響き始めた。
「そろそろだな……」
「気楽に行こうか、相棒」
リゾットはデルフリンガーを掴んで立ち上がる。

その時、突然床石が盛り上がったかと思うと、巨大なモグラが顔を出した。
「お前は…ヴェルダンデ?」
数日前に見たギーシュの使い魔のジャイアントモールがそこにいた。続いてギーシュが顔を出す。
「コラ! ヴェルダンデ! どこまでお前は穴を掘るつもりなんだね! いいけど! って…」
ギーシュがリゾットとルイズに気付く。
「おお! 君たち! ここにいたのかね!」
「そちらこそ何故、ここにいる?」
「いや、何。あの仮面のメイジを撃退した後、僕たちは寝る間も惜しんで君たちの後を追いかけたのだ。なにせこの任務には、姫殿下の名誉がかかっているからね」
「どうやってこの大陸に……」
そこまで言って、リゾットは思い当たった。
「タバサのシルフィードか」
「せいか~い。さっすがダーリン。頭いいわね」
ギーシュの傍らにキュルケが顔を出す。
「アルビオンについたはいいが、何せ勝手が分からぬ異国なのでね。でも、このヴェルダンデがいきなり穴を掘り始めた。後をくっついていったら、ここに出たのさ」
巨大モグラは嬉しそうにルイズの指に光る『水のルビー』に鼻を押し付けている。
「すごい鼻だな。そんな遠くからでも『水のルビー』のにおいがわかるとは」
リゾットは素直に感心した。使い魔がほめられたのが嬉しいのか、ギーシュは誇らしげだ。
「ねえ、聞いて。私たち、あの仮面のメイジを逃がしちゃった。フーケの方は何故かこっちについてくれたんだけど、その場で別れたし。いいところないわね……。ごめんなさい」
キュルケが顔に付いた土をハンカチでぬぐいながら謝る。

「いや……あの傭兵たちをひきつけてくれただけで十分だ…。それよりも、敵が来る。逃げるぞ」
「逃げるって、任務は? ワルド子爵は?」
「任務は果たした。ワルドは裏切った。後は帰還すれば終わりだ」
「なぁんだ。よく分かんないけど、もう、終わっちゃったの」
キュルケがつまらなそうに言う。
リゾットはルイズを抱えて穴にもぐる。一瞬、ウェールズを呼びに行こうかと思ったが、無駄なことだと頭からその考えを追い払った。
祈ることの他に出来ることがあるとすれば、アンリエッタにその言葉を伝えることと、彼が生きていたことを覚えていることだけだろう。

ルイズは夢の中をさ迷っていた。
故郷のラ・ヴァリエールの領地の夢である。
忘れられた中庭の池に浮かぶ小船で、ルイズは佇んでいた。悲しいこと、辛いことがあると、ルイズはいつもここに隠れて寝ていたのだ。
そしていつもワルドが来て、ここから連れ出してくれた。
もう、ワルドはここにはやってこない。彼は貴族の誇りを捨て、薄汚い裏切り者に堕ちた。
ルイズは小船の上で立ち上がった。ここにいつまでもいるわけにはいかない。ここから出なくては。
だが、見渡すと、池は深く、オールもない。どうやって帰ればいいのだろう。
誰かに助けを求めようと見渡すと、岸に黒衣の男が座っていた。
「助けて…」
男にそういってみるが、彼は首を振った。

「そこに行ったのはお前だ。自分で戻れ」
「でも、オールがないわ…」
呟くと、男がオールを水面にすべるように流してきた。それを一生懸命漕いで岸に向かう。
何故か漕いでも漕いでも岸にたどり着けない。あと少しというところから進まない。
ついに疲れ果て、ルイズはオールを投げ出してしまった。
黒衣の男はため息をついた。
「何よ……」
その男…リゾットをにらみつけると、リゾットは水に入り、ルイズに手を伸ばした。
「来い」
相変わらず淡々と言うリゾットの手を取り、ルイズは岸に跳んだ。
「どっちがお屋敷だっけ?」
訊くと、リゾットは首を振る。
「お前の道だ。お前が決めろ。俺はついて行ってやる」
「何よ、使い魔のくせに『ついて行ってやる』、なんて生意気ね」
ルイズはぶつぶつ言いながら歩き出した。後についてくる気配を心地よく感じながら。

眼を覚ました。風が頬を撫でる。ギーシュ、キュルケ、タバサが見えた。風竜の上にいるのだと、すぐに分かった。
どうやら自分は助かったらしい。だが、それに安堵するより先に、リゾットの姿が見えないことが不安になった。
自分が気を失う前、リゾットとワルドは戦っていた。
今、自分が生きているということはリゾットが勝ったのだろうが、それで恩を返したと判断すればいなくなってしまうかも知れない。
そう思った途端、ルイズは跳ね起きた。
「どうした?」
後ろから淡々とした抑揚のない声がする。振り向くとリゾットが居た。
その相変わらずの無表情を見ると、安心するよりも先に何故だか怒りが湧いてきた。
ルイズはとりあえずリゾットに殴りかかる。簡単にかわされた。
もう一回殴りかかる。またかわされた。
「殴らせなさい」
「何故だ?」
「なんとなく」
「断る」
もう一回殴ろうとした。今度は拳を受けられ、手をつかまれた。顔が赤くなるのを自覚する。
「離しなさい」
「分かった」
あっさり離されると、何故かまた怒りが湧いてきた。殴りかかる。かわされる。

「……あの二人、何してるんだい?」
ギーシュが呆れて二人を見ていた。キュルケが笑う。
「じゃれ合ってるだけよ」
「コミュニケーション」
タバサが呟いて、風竜の速度を上げた。

アルビオンのニューカッスル城にて、王党派と貴族派が行った決戦は、貴族派の勝利に終わった。
だが、勝利した貴族派の蒙った損害は予想をはるかに越えるものだった。
王党派三百に対し、損害は五千。
王党派は皇太子ウェールズを始め、最後の一兵に至るまで抵抗し、文字通り全滅した。
だが、この戦いの最中、王党派が放ったという何者かの正体はついに判明しなかった。
それは突然現れ、目にも留まらぬ速さで戦場を駆け、魔法をかき消し、近づくもの全てを切り裂いたのだという。
この何者かの情報は上層部に報告として上げられることはなかった。
あまりに荒唐無稽で、信じてもらえるとは思えなかったからである。また、何者であれ、たった一人に軍が退けられたなどとは報告できるわけがない。
だが、その場にいた者たちで運良く生き延びたものたちは噂しあった。

アレはエルフの魔法剣士だ。
アレは伝説の幻獣だ。
そんなものはいない、ただの伏兵だ。

正体不明のそれは、やがてこう呼ばれ、レコン・キスタの兵の中に浸透していった。
『悪魔の風』と。


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