ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

第六話 『向かうべき二つの道』前編

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『チャンスをやろう……『向かうべき二つの道』を……』
「!?」

 いきなり耳に聞こえた音にルイズはぎょっとした。その声は才人の後ろから聞こえてきた……ルイズと才人、二人しか居ないはずのステージから。
 第三者の居るはずのないステージ上……誰かが居る!
 自分の肩から生えたこの手と関係があるのだろうか?
 辺りを探そうと目線を振りまくと……才人の影の中に、『それ』がうずくまっていた。それを目視したルイズは、思わず声を上げてしまった。

「な、何……こいつ」

 黒いマントを羽織り、同色の大きな帽子を被った、白い怪物……!
 その人影は、ゆっくりとした動作で歩き始めた……才人に向かって。

『ひとつは、生きて選ばれる者への道……さもなくば』
「才人! 逃げてぇっ!」

 こいつは『ヤバイ』!
 いまだかつて感じた事のない気配を放つ、白黒の怪物とそれに狙われているであろう才人に、ルイズは叫んだ。
 一体何が起きているのか? そんな事はどうでもよかった!
 こいつは、明らかに正常な幻獣や生物の類ではない! こいつが才人に何をするつもりなのかはわからなかったが、絶対に近づけさせてはならない!
 そんなルイズの気持ちも知らず、才人はルイズに向かい、こう言い放った

「動くなルイズっ! 今、何とかしてやる!」
「えっ!?」

 その視線はあくまでルイズの肩から生えた手に注がれていて。
 真後ろに迫る化物の存在など見えていないかのように、デルフリンガーを抜き放ち、構えた。

(才人、まさか――)

「そいつは……『灯の悪魔』はメイジにしか見えんっ!!」

 オスマンの絶叫が、呆然とするルイズとあくまでルイズを助けようとする才人の鼓膜を叩く。デルフリンガーも、その悪魔から才人を逃がそうと、必死で声を張り上げた。

「才人君には見えておらんのじゃあ!!」
『馬鹿っ! 相棒、そっちじゃねえ! 後ろだぁっ!』
「ええ!?」

 見えないだの悪魔だのと、それの存在を視認出来ない身ではちんぷんかんぷんな言葉が飛び交い、才人はその動きを一瞬止める。
 ――その一瞬が、命取りだった。

 がしぃっ!

 白黒の悪魔の腕が、才人の体を捉え、余りにもあっさりとその魂を引きずり出し――

「!? な、なんだ……か、体がうごかねえ!」
『相棒!? こいつ、魂を……!』

 悪魔の口が開き、伝説にある『槍の舌』が覗く……

『もう一つは……『死への道』!』


 最初は、ほんの偶然だったのだ。『それ』を見つけたのは。
 メイド達の依頼を受けてモット伯を暗殺するために、屋敷の間取りを調べていたホルマジオが、宝物庫で見つけた『それ』……『ポルポのライター』。
 最初にそれを目にした彼は、隠密活動中という事も忘れて、思わず嫌そうな声を上げてしまったものだ。

 『再点火』をしたものを全員『矢』で射抜く悪魔『ブラックサバス』。その性質がどれだけ厄介なものかは、彼らの仲間全員が知っているのだ。

 本当ならば、盗み出そうなど間違っても考え付かない類の危険物であった。が、召還された反動なのか、完全な『一人歩き方』スタンドとなり、本体の死後も存在し続けるそれに、彼らは利用価値を見出したのである。

 フーケが盗もうとする『モノ』は、学院の宝物庫の中に厳重に保管されている……メイジの行うありとあらゆる魔法に対して耐性を持つその宝物庫から宝を盗もうとするならば、相当な手間がかかる。
 リゾット達の能力を使えばかなり楽が出来る事は確かだったが、それでもかなりの時間がかかる上に、隠密性は0に等しい。
 確実に盗もうと思えば、長時間かつ多くの人目をひきつける陽動が必要不可欠であった。

 ……その陽動の任務に、『ブラックサバス』はぴったりだったのだ。

 ゼロのルイズという、ある意味で一番注目されている人物のステージで再点火を行った事で、この場に集ったほぼ全員が『再点火』を目撃してしまっている。
 生徒も、教師も、騎士団も、姫殿下も……全員が、ブラックサバスにとっては『選ばせる対象』であった。

 ブラックサバスは――その全てに『矢』を突き刺すまで、止まらない。


 才人が悪魔につかまろうとしていたまさにその時……

(『灯の悪魔』だって!?)

 ギーシュ・ド・グラモンは、生徒達の群れの中で、オスマンの口にした固有名詞に衝撃を受けていた。
 『灯の悪魔』……彼が子供の頃、当時軍の重鎮だった父の目を盗んでこっそりと見た軍の資料の中に、その名前があったのだ。

 100年前……オールド・オスマンが20人のトライアングルメイジを率いて討伐に赴き、オスマン以外の全てのメイジの命と引き換えに封印されたと言う悪魔。
 オスマン自身もその時に決して深くない傷を負ったという……その後、悪魔が封印された入れ物は行方不明になったと記録されていたが。

(それがっ! 今! 何故こんなところに!?)

 オールド・オスマンが苦戦した悪魔……! どれ程強大な存在だと言うのか!
 背筋を伝う冷たい汗、己の心にうごめく黒い恐怖に、ギーシュは身震いする。

(恐怖に震えている場合じゃあないぞ! ギーシュ・ド・グラモン! 僕の記憶が確かなら、あの化物は『点火』を見た全ての人間に襲い掛かる!
 ――そして恐らく、あの点火はこの場に居る全員が目撃した! 多くのレディ達も!)

 以前の自分ならば、この身を覆う恐怖に負けていただろう。しかし、今の彼にはその恐怖を跳ね除ける強さがあり、悪魔を滅ぼすという漆黒の意思がある。

(この身を盾にしてでも! レディ達を守りきって見せる!)

 ――まず、やらなければならないのは、才人の救出!

 ギーシュは造花の杖を取りながら立ち上がり、その花びらを舞わせ――

「タバサっ! 風をっ!」

 『ミス』の敬称略をつける暇すら惜しみ、叫んだ。
 叫ばれたタバサは、ギーシュのほうにちらりと視線を送り、舞う花びらとモット伯邸で見たその戦い方を思い出し――その意思を全て了解した。

「――!」

 小さな体に不釣合いな大きな杖を振りかざし、魔力を乗せて風に干渉し、ギーシュの周りに突風を巻き起こす!

 ゴ ウ ッ !

 突風に煽られた薔薇の花びらはそのままステージに向かって吹き飛ばされ……その中でステージの上、才人と怪物の一番近くに落ちた花びらに向かい、ギーシュは杖を振り下ろした!

「『ワルキューレ』ッ!」

 唱えられた魔法に応え『錬金』された青銅の女騎士は、開きつつあったブラックサバスの口……その顎を盛大に蹴り上げる!

 ばぎゃぁっ!

『――!』

 さらにそれによって僅かに仰け反ったのを見逃さず、今度は才人の背中に威力を抑えた蹴りを撃つ!

 どすぅっ!

「っ! ギーシュ! 助かった!」

 ブラックサバスの高速から脱出する才人。蹴られたと言う事実よりも、動きを取り戻した事を喜び、己を助けた男に感謝の言葉を送る。
 サイトはその蹴られた勢いのままルイズに向かって突っ込み……ルーンを、発動させた。
 毎夜の訓練によって短時間発動が可能になったルーンの力で、才人は一層加速して、

「――え?」
「どう考えても! こいつのせいだろ!」

 手にしたデルフリンガーを――その肩から生えた『手』に向かって振り下ろす!
 怪物の姿が見えない才人にしてみれば、自分が動けなくなった事とこの手が無関係とは到底思えなかったのだ。

 ザンッ!

 才人の一閃によって斬り飛ばされた手は、中の物を落とすと、そのまま物理法則に従って落下していき……掴まれた。

 がしぃっ!?

「きゃぁっ!」

 ルイズの傍らに現れて、落ちた手を掴んだ『ソレ』に、ルイズは距離をとろうとして……腰から後ろに転ぶ結果となる。
 手を掴んだのは、才人の後ろに居たはずの、ブラックサバス。

『お前も……『再点火』したなっ!』
『ぎ、ギィッ!』

(な、なんで――!?)

 まるで瞬間移動したかのような唐突な出現に、ルイズは思わずブラックサバスが居たはずの場所を振り向いて、言葉を奪われた。
 そこに転がっていたのは……ぐしゃぐしゃに叩き潰された、ワルキューレらしき物体。決して弱くはないギーシュのワルキューレを、この悪魔は一瞬であそこまで叩き潰したと言うのか。その上で、超スピードで移動し手をキャッチしたと言うのか!
 そうこうしている間に、ブラックサバスはその口を開けて『槍の舌』……『矢』のような物体を、手に突き刺した!

『――ィギィィィィィッ!?』

 刹那、『手』は不気味な悲鳴を上げて、痙攣を始める。

『……この魂は、選ばれるべき魂ではなかった……』

 途端に興味を失い、ブラックサバスは『手』を放り投げた。捨てられた『手』はしばらく痙攣した後に動かなくなるのだが……手のほうを見るものは、誰もいない。
 場に居る全員が、悪魔のその姿に釘付けだった。

 あまりに突然の事に固まっていた一般の生徒達の頭脳が、ようやく動き出す。

 ――なんなのだ? これは?

 ギーシュのように予備知識がある者、タバサのように実戦経験がある者、キュルケのように動揺しない精神力を持つ者。
 彼らのような人間は本当の意味での例外であった。大半の生徒は――モンモランシーも含めて――いきなり現れた怪物の存在に戸惑うしかなかった。


 時間を、オスマンがルイズに叫んだ直後まで撒き戻す。

(何故――何故アレがここにおるんじゃ!)

「騎士団の諸君!
 生徒達がパニックを起こす前に広場の中央へ避難させるんじゃ! 日当たりの一番いい場所を選んでな! 決して日陰には入らせるな!
 姫様におかれましては、動かれませぬよう!」

 心の中では困惑しようとも、オールド・オスマンは義務を忘れたりはしなかった。
 明らかな越権行為的命令と、洗濯物の場所を指示するようなおかしな内容に騎士団は困惑したが……ジョリーンから放たれる無言のプレッシャーに、すぐさま行動に移る。
 出来る事なら悪魔の事を詳しく教えたかったが、時間が無いし万が一生徒に聞かれたらパニックが発生しかねないので、心苦しかったが自重した。
 展覧台を駆け下りていく騎士団員達を見送って、ジョリーンはオスマンに問いかけた。簡潔に。

「――なんでアンリエッタを避難させないの?」
「途中で、アレがこっちに来る」
「知ってるの? あれ」
「――知っておる、わしが100年前に封じた悪魔じゃ。
 その時は20人のトライアングルメイジが犠牲になった」
「凶悪って事ね」
「しかも、あの筒に火が点くところを目撃した人間を、片っ端からあの『舌』で突き刺すんじゃよ。この状況だと、この場におる全員じゃな。
 日光に弱い所だけは典型的な悪魔じゃ。
 とにかく、避難が終わり次第ここから騎士団やコルベール君に指示を出して、滅するしかあるまいて」
「盛り上がってるところ悪いんだけどさ、あれ悪魔じゃないわよ」
「わかっておるわい」

 おどけるような会話を交わしながら二人の視線はあくまでステージ上の『ソレ』に釘付けだった。オスマンは皮肉気に笑い、

「『傍らに立つ使い魔』――君達の言うところの、スタンドじゃね」
「……遠距離自動操縦型のスタンドね。100年前から存在してたってことは、多分本体が既に死んでいる一人歩き型でもある」
「最悪じゃのー」

 オスマンも、彼らに関わる中で『スタンド』に関する知識は持っていたから、彼女のコメントがどれだけ最悪な事実を告げているかが理解できてしまった。本体が死んで一人歩きしているのでは、スタンド自体を滅するしか手が無い。

 それにしても、とオスマンは歯噛みする。
 何処の誰があの悪魔の封印を解いて、この場でぶちまけたのかは知らない……相当に脳みそのぶっ飛んだ輩が相手であることは変わりない。
 こんな……百数十名の人間を皆殺しにしかねない事を仕出かすなど、いかれているとしか思えなかった。

 とはいえ、状況は『最悪』に近かったが、100年前に比べればまだましだ。昼間であり、晴天であり、奴の弱点がゴロゴロしている。
 あの時は本当に最悪だった……真夜中にあの化物とやりあったのだから。

「――っ!」

 静止した手が地面に落ちた事で正気を取り戻した才人は、ルイズに駆け寄ってその小さな体を抱えると、ステージから飛び降りた。
 ブラックサバスを視認出来ない彼にとって、この状況は一般の生徒たちにとってのそれに輪をかけてちんぷんかんぷんだったのだが……見えない化物が居る事と、そいつがかなり凶悪である事だけを理解し、彼なりに最善だと思う行動を選んだ。結果として、ソレは完全に、完璧すぎる程に正しかったのである。
 彼がルイズを抱えて飛び降りたそこは、『安全地帯』だった。
 落下の瞬間、ルイズをかばうように背中から落ちてから転がり、、手にしたデルフリンガーに、自分では見えない敵の所在を求める。

「デルフ! その見えないなんとかは!?」
『――大丈夫だぜ相棒! 野郎、あの場所から一歩も動いちゃいねえ!』
「どこらへんだ……?」
『相棒の右前方……カーテンの陰だ!』

 ひざ立ちになってステージの上を覗く才人に、デルフが実況中継する。ルイズがつられて覗き込むと、ステージの奥に何重にも張られたカーテンの、中途半端に開いた一番前のカーテンに隠れるように、ブラックサバスがいた。

「俺には見えないんだけどさ……ギーシュのゴーレムボッコボコにするほどごつい奴なのか?」
『いや、見た目は細いんだが……ん? なんであの野郎あそこから動かねーんだ?』
「俺に聞くなよ。見えないんだから……なあ、そいつ本当に敵なのか? 俺、押さえつけられただけだぞ」
『それは間違いねーよ。
 相棒は気付かなかったみてーだが、あの野郎相棒の魂引きずり出して、矢みたいな舌で突き刺そうとしてやがったんだぜ?』
「うへぇ……」

 言い合う彼らの後ろでは、生徒の避難が始まっている。騎士団に先導されて、多くの生徒は素直に広場の中央に集められ、肩を寄せ合って困惑していた。パニックに陥る云々以前に、ブラックサバスの凶悪性が理解できず、ただ困惑するしか出来ないのだ。
 ……だからといって、全ての生徒が素直に先導に従ったわけではなかった。

「――ダーリン! 大丈夫!?」
「君は平民にしておくにはもったいないな才人」

 慎重にステージから後ずさる才人の傍に、駆け寄ってきたのはキュルケだ。その後ろにはタバサが無言で続き、ギーシュがキザったらしく薔薇を咥えて、

「ヴァリエールというレディをこうまで完璧に守りきるとは、僕も思わなかったよ」
「守るって言うか、とっさに体が動いたって言うか……」
「……この様子だと、私たちも避難したほうがよさそうね」

 モンモランシーが辺りを見回すと、生徒用の観覧席に残っている生徒は、ここにいるいつもの面子意外には、避難が遅れた2、3人だけのようだった。モンモランシーはといえば、ギーシュに仕方なくついてきただけであり、これ以上ここに居る理由は無かった。
 離れた場所に騎士団に先導されて流れていく生徒たちを見て、モンモランシーは肩に手を当てて……と、思いっきり眉を跳ね上げた。

「あ、あれ!?」
「どうしたんだい? モンモランシー」

 慌ててばたばた自分の服を叩きながら、何かを探すモンモランシーに、労わるように声をかけるギーシュ。彼女はしばらく一連の動作をリピートしてから、叫ぶように理由を言った。

「ろ、ロビンがいないの! さっきまで一緒だったのに!」


「――ジョリーン」

 それまで黙っていたアンリエッタ姫が口を開き、ジョリーンに向かって何か言おうとしたが……ジョリーン自身の手がそれを押しとどめた。

「あんたの言いたい事はわかるし、反論する気も無い。
 『私はいいからルイズを助けて』でしょ? 自分の命より他人を優先するそれ自体は尊い考え方よ。
 けど、それは自分の果たすべき義務を忘れなかった場合……あんたは王族としての義務を忘れちゃいけないんだ。
 アンタの今のソレは、『甘え』だよ」
「っ!」
「あたしだって本音を言えば今すぐあいつをぶっ飛ばしたいさ。けど、あたしはアンタの母さんや親父に、あんたの事を頼まれてるんだ。その責任を放り出すなんて、命令しないで欲しいわね」

 ジョリーンの放った正論に、アンリエッタは反論できなかった。
 わかっているのだ、彼女が今言った程度の事はわかっている……だが、それでも。

(ルイズ、ルイズ・フランソワーズ! どうか無事で居て!)

 眼下のステージ上で暴虐の化身と相対している親友のために、アンリエッタは祈った……それしか、彼女に許される行動は無かったのである。


「ど、どうしよう! あの子、一体何処に……!」
「落ち着くんだモンモランシー」
「あの子、絶対にさびしがってるわ! 私、わかるもの……!」

 血相を変えるモンモランシーの両肩を叩き、ギーシュはきょときょとと辺りを見回した。彼女から目線をそらしたかったとか、そういう理由ではなく、彼女の言う使い魔、蛙のロビンを探していたのである。
 一通り見回して見つからないという事は……ひょっとしたら、ステージの影に居るのかもしれない。

「――大丈夫だモンモランシー。今、僕のヴェルダンデに探させるから」
「え?」
「地面なら、あの化物も手出しできないはずだ」
「そ、それじゃああなたの使い魔が!」
「大丈夫。深い場所を潜らせるから、狙われようが無い」

 言いながら、感覚の共有を使い、ヴェルダンデにロビンの捜索を命じるギーシュ。ヴェルダンデはその命令を忠実に実行し、地面の中を駆け回り始めた。

「さあ、ロビンはヴェルダンデに任せて避難しよう。僕の記憶が確かなら、アレはトライアングルメイジ20人を一晩で殺した化物だ! 舌に毒があって、かすっただけでも死ぬそうだよ」
「はぁっ!?」
「ちょ、何で知ってるのよ!」

 初耳の情報に、驚愕の声を上げる才人とルイズ。

「父上の書斎で見た資料の中に、『灯の悪魔』に関する記述があったんだ。学長の叫んだ名前を聞き違えてなければ、間違いない!
 もう一つ言っておくと、その20人を率いていたのは、オールド・オスマンだよ」
「――大変!」

 今までギーシュの言葉を黙って聞いていたキュルケが、顔面蒼白になって叫んだ。思い出すのは、才人に駆け寄ろうとした時に、意気揚々と声をかけてきた一人の男の事――

「さっき、あの悪魔を倒してくるって走っていった奴が……!」


 ギーシュ・ド・グラモン。
 この名前は、以前までは一部の貴族から軽蔑の対象の代名詞のように扱われていた。本人は最下等のドットクラスの上、くねくねして気持ち悪く、親のほうはと言えば見栄ばかりの貧乏貴族だ。
 一部の由緒正しい家系の人間たちからは、内心快く思われていなかった。もてない男の僻みも、多分に含んでいたかもしれない。
 それが今ではどうだ? ゼロが召還した悪魔を倒した、注目株。先ほども、明らかに錬金不可能な距離でワルキューレを錬金してのけて、周りの生徒の度肝を抜いていた。
 そんな馬鹿な事があってたまるか――! 自分が、由緒正しい家系に生まれた自分たちが、あんな成り上がりの一門に負けるなど!

(――この場で証明してやる! あんな男よりも俺のほうが強い!)

 己の才能に対する過信と、ギーシュに対する嫉妬と蔑視……何より、『自分が死ぬわけが無い』という根拠に乏しい願望が、彼を無謀な行動へと走らせた。

「――い、いかーん! 戻れーーーーっ!」
「何やってんだお前らー! あの馬鹿止めろぉぉぉぉぉっ!!」

 オールド・オスマンの命令も、ジョリーンの声もプラントには届かない。いや、届いているのだが、彼を止めるには至らない。

「――僕は『土蔦』のプラント!」

 ステージへの階段を駆け上りながら、プラントは杖を振るい、ステージの板張りの下にある地面に干渉する。干渉された地面はステージを突き破り、蛇のように頭を出して――

「僕の名誉の為に! 貴様を倒す! 『アースバインド』!」

 カーテンの陰に居たブラックサバスに向かい、襲い掛かった!


「っ! ミスタバサ! もう一度だ!」

 造花の花を片手にするギーシュに、タバサはコクリと頷いて、杖を振るう。勝つための攻撃と言うよりは、暴走して先走ったプラントをフォローするためのそれであった。
 造花から放たれた花びらが、風に乗ってステージに舞い上がる……今度は、正確な精度でほぼ全ての花びらをステージ上に届け、

「『ワルキューレ』!!!!」

 7対のワルキューレが、ブラックサバスを囲むように降り立ち――

「 邪 魔 だ ぁ っ ! 」

 他ならぬプラントの触手攻撃によって、なぎ払われた! 思わぬ方向からの攻撃に抵抗も出来ず吹っ飛ばされるワルキューレ達を、呆然と見送るギーシュ。
 メイジの力は無限と言うわけではなく、限りがある。ギーシュの精神力は、おおよそワルキューレ21体分……今錬金したものを含めると、残り13体分である。
 あの悪魔の事を考えると極力温存しておきたかったのに……それが、助けようとした相手にぶっ壊されたのだ。

「なぁっ!?」
「……っ」

 ギーシュが声を上げ、タバサに無言でにらまれる中、プラントは吼える。

「うすみっともない貧乏人は引っ込んでろ!」

 返す蔦でブラックサバスを打ち据えるために、杖を振るおうとして……プラントは止まった。

「――!?」

 最初の、ワルキューレを払った一凪ぎでぼろ布と化したカーテン。ブラックサバスが居たはずの場所には……誰も居なかった。
 影になっていた場所に光が刺しているというのに、足跡一つ見当たらない。打ち据えようとした蔦が空中で静止し、カーテンの陰と蔦の影が交差していて……
 ブラックサバスは……消えた。
 いくら自意識が肥大化したプラントと言えども、『自分に恐れをなして逃げ出した』などと考え付くほど愚かではなかった。

「な、ど、何処だ!? 何処に居る!」

 慌てて己の蔦を引き戻し、自分の周りを旋回させるプラント。何処に敵が居ても、攻撃できるように、何処から敵が来ても対応できるように……

「何をしておるぅっ! 逃げるんじゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「お前ら早くあの馬鹿回収しろ! 急げ!」

 オスマンがプラントを逃がそうと必死に声を張り上げ、ジョリーンが部下たちを叱咤激励する。自分に向かって迫る騎士団の足音を聞いて、プラントは初めて焦りをその顔に浮かべた。

(早く! 早くあの悪魔を見つけて倒さねば! 学院中のいい笑いものだ!)

 学院長や姫殿下直下の騎士の制止を振り切っての暴走……悪魔を倒してもお咎めがくるこの行動なのに、倒せなかったとあってはどんな白い目で見られる事やら――

 焦りで視野狭窄に陥っていたプラントが気付けるはずもない。
 己の探す敵が、既に自分の展開した蔦の結界の内側に居る事など――

「ちょっと! プラント、あんた何やってるの――」

 あまりに自分勝手な旧友の行動に、キュルケは声を荒げて叱責しようとして……絶句した。
 彼女の位置からだと、起こった事がありのままに見えてしまったのだ。

 プラントの影から『手』が生えてきて……その足を掴み、

 がしぃっ!

『お前も……『再点火』したな!?』

「……っ!」

 ボ グ チ ャ ア ッ !

 そのまま、握りつぶす光景が!

「っぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 悲鳴と共に地面に転がるプラント。恐ろしい事に、足をもつれさせたとか何かに転んだとかそういうレベルの転び方ではなかった。
 握りつぶされぐしゃぐしゃになった足首が、自重を支えきる事ができずに『折れ曲がった』のである!
 凄惨な光景にキュルケは思わず息を呑み、ルイズは悲鳴を飲み込んで、モンモランシーは目をそらした。ギーシュと才人は絶句し、タバサは表面上は淡々としていたものの、内心ではそのパワーに驚愕していた。

『や、野郎……! 影の中に隠れてやがったのか!』

 沼から這い上がってくるような動作で影から這い出るブラックサバスの姿を見て、デルフリンガーが慄く。その動作の間も、ブラックサバスの手はプラントの足を握りつぶしたまま……いや、更に力をこめ続けていた!

 ぐちっ……ぐちゃ……

「あぎ、が、ぎぃぎゃああああああああああっ!!!!!」


 もはや、貴族の対面もヘッタクレも無い悲鳴を上げて、もだえるプラント。ただでさえ、転ぶ時に『捩れた』痛みで悶えていた所に、これである。
 引き続き握りつぶされ続ける自分の足が奏でる、不快な音……それによって発生する激痛の前に、薄っぺらな見栄等吹き飛ばされてしまっていた。

『チャンスをやろう……『向かうべき二つの道』を……』

 声が響く。
 例えるなら、『テープレコーダーに録音された声』のように、無機質で、無感情で、機械的な、『悪魔』の声が。

「う、うぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 プラントは赤ん坊のように泣き叫んで抵抗するが、ブラックサバスはものともしない。影から上半身だけを出した状態で、縄を引き寄せるかのように、プラントの足を引き寄せ――

 ぐちゃっ!

「――!!」

 引き寄せるために握る位置を変えるたび。

 ごぎゃっ! ぶちゃっ! ぐぎゃぁっ!

「!! っ!!!! っっっ!!!!!!!!」

 その箇所を『握り潰して』引き寄せていく!
 脛、膝、腿、腰……悲鳴を上げることすらできず、新しい箇所を握りつぶされる度に痙攣を繰り返すプラント……彼の股間はとっくの昔に失禁し濡れそぼっていたが、見る者全員がそれを笑う気はなれなかった。それ以上に驚嘆に値する事だが、全身の至る箇所を粉々に握りつぶされた激痛にのたうちながらも、プラントは気絶していなかった。

 そうして手繰り寄せたプラントの肩を掴んで、するりとプラントの魂を、プラントの体から引きずり出す。

『ひとつは、生きて選ばれる者への道……さもなくば』
『あ、ぎ、が……な、何が、どうなっ、て……』

 才人と違って魂が引きずりだされたことを認識しているプラントの魂の眼前で、ブラックサバスの口が大きく開き、その奥から『矢』が姿を現し――

『もう一つは……『死への道』!』

 ぐしゃぁっ!!!!

『!!?!!!?』

 ――プラントの魂の眉間を、無慈悲にぶち抜いた。


「――っ!!!!」
「ひぃっ!!」
「いやぁぁぁぁっ!?」

 コレには、豪胆で鳴らしたキュルケも思わず眼をそらさずには居られなかった。ルイズは掠れた、モンモランシーは布を裂くような悲鳴を、それぞれ上げる。
 プラントの魂は、まるで人間のものであるかのように、血と脳漿をあたりに撒き散らす。やがて、手にした魂が、かすれて消えていくと、ブラックサバスはアレほど必死になって押さえ込んでいたプラントの肉体を、ごみでも扱うかのように放り投げた。

『この魂は……『選ばれるべき者』では、なかった』

「……なあギーシュ。
 見えないんだけど、ひょっとしてえらい事になってないか?」
「……ああ、えらいことになってる」

 ブラックサバスや引きずり出された魂が見えない才人が、ギーシュに問いかけるが……懇切丁寧に説明している暇はなかった。

「――逃げる」

 ……タバサのつぶやきに反対する理由など、あろう筈がなかった。

「っっっっ!!!!」

 プラントの魂が矢で貫かれるのを目撃したオスマンの心に穴が開き、そこから後悔が湯水のごとくあふれ出す。例え愚かな貴族のボンボンでも、オスマンにとっては女王陛下からその身柄を承ったメイジの卵であり、守るべき生徒であった。

 ――自分があの悪魔の特性や強力さを叫んでいれば、あの生徒は救えたのではないか?

 いや、自分の判断に間違いは無かった筈だと、オスマンは首を振った。例え間違いだとしても今はそう考えなければ、部下たちに動揺が出るだろう。
 今は、犠牲者をこれ以上増やさない事こそが、重要な事なのだから。人の上に立つ者として、後悔はするだけでいい。決して、表に出してはならない!

「――ふぅ」
「アンリエッタ!?」

 凄惨極まりないステージ上の出来事は、アンリエッタ姫殿下の精神が耐え切れるものではなかったらしく、あっさり意識を手放し倒れるその体を、ジョリーンは慌てて支えた。
 脈を計り、呼吸を確認して、気を失っただけだとわかると、ジョリーンは嘆息して……オスマンを睨みつけた。いや、睨んだのではなく、単純に見ただけなのだが……彼女の中から溢れ出した気迫が、あたかも睨みつけているような印象を与えるのだ。

「おい爺……そろそろ、危ない理由とやらを説明してもらうぞ」
「あれは、影から影へ移動するんじゃ」

 淡々と説明を開始するオスマン……ジョリーンと同じく、彼の空気も殺伐とした激しいモノへと切り替わっている。

「逆に言うなら、影の中しか移動できんのじゃが……影の中を移動するスピードは、超素早い。奴自身のスピードのすっとろさを、十二分に補うほどにな。そして、自分が移動可能な影の範囲……その付近に目標が現れれば、すぐさま感知して移動してくる。押さえつけるパワーも、超強い。
 影から追い出して日光浴させてやれば消滅するんじゃが……
 そして、一番厄介なのは……あやつが今おる影……ステージのカーテンの影が、よくよく見ると、待機テントの影を中継して、この台の影に繋がっておるという事じゃ」
「……降りようとすれば、即襲撃ってわけね。それでアンを移動させる事が出来なかったわけか」
「そんな生易しくないわい」


 オスマンはちらりと背後を見て、展覧台の手すりと椅子が作る影を見た。彼らが居る影とは、全く繋がっていない影を。

「そこに近づいただけで、多分ぐわっと来るぞ……それを考えれば、わしら立つ位置が良かったんじゃな」
「やれやれだわ。私らは動かなかったんじゃなくて、動けなかったのね。
 騎士団の連中よく無事だったわね」
「彼らも危なかったが、逃げ切れる可能性が高かったからのう。才人君が逃げるのか刺されるのかはわからんかったが……『獲物』が次に切り替わる前に、その健脚で範囲外に逃げ切れたんじゃからな」
「姫様抱えて走る私たちじゃあ、間に合わない可能性が高かった、って事?」
「そうじゃ」

「――つまり奴をあの影から引きずり出せば、アンは避難させられるのね?」
「うむ」

 ジョリーンの言葉にこめられた決意に、オスマンは何も言わない。
 言える筈が無いのだ……彼女の血統は、一度重く決意した事は意地でも貫き通す正義の血統。その事を、彼女たちに近しい者たちは知っている。

「あたしがあいつを抑える。その間にアンを……アンリエッタを運んで頂戴」
「わかった」

 オスマンの返答を受けたジョリーンは、キッとステージ上の悪魔を睨みつけ……走り出した。
 背後にではなく、前に。階段の無い、地上まで10メートルはあろうかという、展覧席の手すりに向かって。

「『ストーンフリー』!!!!」

 瞬間、彼女に重なるように、半透明の存在がその姿を現した。
 女性的なフォルムを持つ、サングラスをかけたゴーレムのような『幽霊』……自分に付き添うように付いてくるそれを率い、ジョリーンは眼下の大地に向かって跳んだ!

 普通の人間が飛び降りれば無事ではすまない高さを飛び降りたにもかかわらず、ジョリーンの双眸に恐怖は無い。彫像にすれば『黄金の精神』と言うタイトルをつけられそうな凛々しい顔つきで、彼女は自分の『傍らに立つ使い魔』を操る。
 するとどうだろう。使い魔の体が、まるで毛糸を解すかのように、しゅるしゅると解けていくではないか! しかも、それにシンクロするかのように、ジョリーン自身の体も、糸がなくなったように減って行く!
 あれよあれよと言う間に、ゴーレムの糸はジョリーンの真下で毛玉に姿を変えて――

 ぼふっ!!!!

 落下するジョリーンの衝撃の大半を、吸収しきってしまった。
 己の体と同調した、変幻自在の糸……それが、ジョリーンの『ストーンフリー』であった。

(なんとかして、奴をアンリエッタのいる影から追い出さなければ!)

 自分自身の毛糸玉を抱え、しゅるしゅると『元』に戻しながら、ジョリーンは再び走り出した。


「うわすげえ! あの人あの高さから飛び降りて無事だぞ!」

 ジョリーンが飛び降りて走り出す姿が視界に入った才人は、走りながら声を上げる。ルイズ達と違って『傍らに立つ使い魔』が見えない才人にとって、それは驚嘆に値する光景だった。騎士団ってのはすげーんだな、と的外れな感想を抱いている彼に、ルイズの叱責が飛ぶ!

「現実逃避してないで走りなさい!!!!」
「――わかってるよ!」

 叫び返して、才人は足の回転を上げた……背中に背負ったルイズを落とさないように気をつけながら。その横では、ギーシュがモンモランシーをお姫様ダッコして、才人と同じように走っており、その一歩先をタバサとキュルケが並んで走っていた。
 ルイズとモンモランシー。この二人は、目の前で行われた残虐行為に腰が抜けてしまったために、それぞれのパートナーが運搬役を買って出たのである。

 一同が目指すのは、騎士団が生徒たちを集めている『安全地帯』だった。
 パニックを起こそうとする生徒たちを、騎士団の面々が必死に押さえ込んでいるのが見える。よくよく見ると、彼らの居る位置は全ての影から切り離された立ち位置で……キュルケの『推測』が正しければ、確かに安全地帯である。

 影から影へ移動する。もしくは、影の中を潜航して移動する――それが、影から出ようとしないあのバケモノに対する、キュルケの推論だった。
 キュルケからその推測を聞かされた時、一同は面白いほどに納得してしまったものだ。一箇所にじっとしていたり、一瞬で移動したりするトリックの疑問が氷解したし……それ以上に『影に存在する』と言う条件が、あの悪魔のイメージに怖いほど合致したからであった。

「ね、ねえ! 影繋がってないわよね!?」
「大丈夫だよモンモランシー!」

 ガクガクブルブルと震える腕の中のモンモランシー……彼女はギーシュの慰めも聞こえないかのように、ぎゅっとその首を抱きしめ、震えていた。

(あ、ああ……こ、この頬に感じる感触は……!)

 彼女が抱きつく事で押し付けられる膨らみの感触に、ギーシュはついつい状況を忘れてしまいそうになるが、踏みとどまった。
 今走る事をやめる事は、モンモランシーを危険に晒す可能性があるという事……それだけは、ギーシュ自身の誇りにかけてさせるわけにはいかない。

(今は彼女を一刻も早く安全な場所に――)

 そう決意するギーシュの頭上を……鳥たちが横切った。


 間が悪いことこの上なかった。

「――いかぁぁぁぁぁんっ!」
「クソッ……!」

 空を飛ぶ鳥の群れ……普段ならば自然の産物と気にも留めないそれに、オスマンは叫びジョリーンは舌打ちして走る方向を転換した。ステージ上を横切り、生徒達が避難している一体へと飛び去ろうとするその鳥たちを追って。
 一方、ステージの上転がる死体の影に居たはずのブラックサバスは……その姿を消していた。




 鳥が作る影がギーシュの影と交わり。

 がしぃっ!

「!?」
『お前も……』

 影から現れた悪魔が、ギーシュの足首を掴んだ!

『再点火したなっ!?』



「きゃぁぁぁぁぁぁっ!?」
「なにぃっ!?」

 いきなり現れた悪魔と、モンモランシーのあげた悲鳴に、ギーシュはパニックになりかけたが……とっさに、己に貸した使命を守ろうと、行動した。
 腕に抱いたモンモランシーを前に放り投げて、自分から遠ざけようと努力したのだ。その過程……放り投げられた彼女の無事を確認する過程で視界に入った影が、この悪魔の移動手段を直感させた!

「こ、こいつ……鳥の影に潜り込んで、ここまで……!」

 もしそれが事実ならば……あそこは決して安全地帯ではありえない。もしあの鳥が自分の上ではなく生徒の集団の上へ飛んでいったら、大惨事になっているところだ。
 初めて間近で見るブラックサバスのおぞましい姿に、ギーシュの心を、一瞬恐怖がよぎったが……それだけだった。
 視界に移るモンモランシーの、恐怖に染まった表情と、彼が彼自身に架した使命……『レディの盾になる事』という見栄が彼を恐怖に抗わせた。
 単純に彼女の前でみっともない所を見せたくない、と言うのもあっただろう。それでも、彼は恐怖に屈しなかった。

 ――このままでは、握りつぶされる!

 プラントの悲惨な姿を思い出したギーシュは、とっさに造花の杖を振るった。
 ギーシュの高級品の靴下が『錬金』され、ぬめる油へと姿を変える。サバスの手が滑ったその瞬間を見逃さず、ギーシュは両足を靴ごと引き抜いた。

 ぐちゃっ!

 案の定、ブラックサバスの手の中に残った靴は、一瞬で握りつぶされてしまった。

(こ、こいつは今僕の影に入っている! このまま逃げても、僕の影にしがみついてずっと憑いてきそうだぞ!)

 最悪の可能性が脳裏をよぎったギーシュは、再び造花を振るって、花びらを二枚切り離して――

「影を作れっ! 『ワルキューレ』!!」

 ブラックサバスと太陽の間にワルキューレを作り、自分の影とワルキューレの影を重ね合わせた。そして、もう一体真後ろに作ったワルキューレに、ギーシュのマントをつかませて、引きずり出させる!


 ならば、他に影を作って、そちらに押し付ければいい。
 こうして、ギーシュの影は無事に脱出し……ブラックサバスは、ワルキューレの作った影に閉じ込められた。とりあえずは一安心と、ギーシュは周りの人間を見回した。

「――ギーシュ!?」
「え? あ、おい! まさか……」

 ギーシュが転んだのを見て、ルイズは声を上げ、見えない才人は一瞬理解が遅れて立ち止まってしまう。
 ただでさえ腰が抜けていたモンモランシーは、今の突然の出現がとどめになってしまったらしく、顔面蒼白でガタガタ震えていた。
 先を走っていたキュルケとタバサは――立ち止まって、こちらを見ていた。

「ミス・タバサ! こいつ、鳥の影を使ってここに渡ってきた! 君のシルフィードでで――」
「わかった」

 ギーシュにみなまで言わせず、タバサは己の使い魔に、感覚の共有を使い通信を送った。

(付近一帯に侵入してくる鳥を追い払って。くれぐれも、影には注意して)
(きゅいきゅい! 了解なのー!)

「モンモランシー! 大丈夫かい!?」
「あ、ありがとう……ギーシュ……」

 モンモランシーの傍に駆け寄って、彼女の手を取りながら、ギーシュは慎重に己の内面に存在する、精神力の残量を認識しようとして……青ざめた。

(――ほ、ほとんど残ってない! 靴下を錬金したのがまずかったか!?)

 一般的に、錬金に使われる素材は、術者が構成を把握できる物質でなければならない。こういう物質をこういう物質に変換すると言う、明確なイメージこそが錬金には重要なのであり……構成を把握できずに錬金してしまうと、とてつもない精神力を消費する。ギーシュがワルキューレその他の錬金に薔薇の花びらを愛用するのは、そういう理由からなのだが。
 ギーシュにとっての先ほどの靴下は違った。布の構成など頭に無かった上に、とっさの錬金でイメージが纏まらなかったのも重なって、靴下の錬金はワルキューレ11体分の力を奪い取ったのである。

(と、という事は……僕は二体のワルキューレでこいつを何とかしなければならないのか)

 鳥を使って影から影へ移動する……そんな移動手段を持っていると知った以上、逃げる場所などどこにもない。上空をシルフィードが旋回しているのが見えたが、それとて全ての鳥を防げるわけではないだろう。いくらなんでも、影を作らないように気をつけながらでは警戒範囲が広すぎる。間をすり抜けてくる鳥が絶対に出てくる……!
 もし、モンモランシーをあそこに避難させて、万が一奴が何かの影に乗ってあそこに移動したら……考えたくも無い光景が想像できる。


(僕は彼女の盾として、彼女をありとあらゆる危険から『完璧』に守り通す義務がある! 鳥がシルフィードの警戒を潜り抜けてくる前に! 僕がこいつを何とかしなくちゃならない!)

 半ば自己陶酔入った決意と共に、ギーシュはブラックサバスを睨みつけ――いきなり気分がくじけた。
 思い出してしまったのである。先ほどステージ上で、自分のワルキューレが完膚なきまでに……それこそ、どう倒されたのか認識できないほど瞬時にぶっ壊されていた事実を。

 影にしているワルキューレを下手に動かせば、奴が誰かの影に潜り込んできかねない。ので、戦えるワルキューレは……自分を影から引きずり出した、一体だけ。

(ま……『全く同じ戦力』! こ、これでどう勝てと言うんだ!?)

 創意工夫という言葉がある。
 リンゴォと決闘する前のギーシュは『そんなものは平民が貴族に勝つためにひねり出した屁理屈、無駄な努力だ』と頭っから馬鹿にしていたが、最近とみにその単語に惹かれつつある。
 創意工夫。考えてみれば、自分はそれでモット伯に勝てたのではないか? 自分の魔法は、自分が思っているよりずっと複雑な事が出来るのではないか?
 考え始めたら、面白いように『応用』が考え出す事が出来て、ギーシュは自分で自分の頭脳に驚いてしまった。自慢じゃあないが、さっきの靴下を油に変えたのも、その時に考えた作戦の応用のひとつだった。

 が、事ここにいたっての精神力切れ……
 敗北必死の相手に、正面勝負しかできないと言う状況に、ギーシュは青ざめ、

(ん?)

 ふと、ある可能性に気が付いた。
 彼は知らなかったが……それはまさしく、ジョースターの血統に伝わる『逆転の発想』だった。

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