ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

第五話 『灯(ともしび)の悪魔』

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ギーシュの奇妙な決闘 第五話 『灯(ともしび)の悪魔』

 トリステイン魔法学院から徒歩で一時間ほどの位置にある、一軒の屋敷。昨日までは『モット伯の屋敷』だと表現できた屋敷なのだが今では過去形で表現しなければならないだろう。
 主が死亡し、使用人が全員行方不明という状態では、屋敷と呼ぶのもおこがましいだろう。モット伯の死に様の壮絶さを考えると、たと領地の整理が終わったとしても、この屋敷に住もうなどと考える貴族はいないに違いない。
 今は内装が豪奢で綺麗なだけの、『空き家』。
 数日もすれば内装品の全てが処分され、後数年もすれば、立派な廃屋になる事だろう。

 貴族がここまで凄惨に殺害された上に、使用人全員行方不明。
 前代未聞の大惨事に王室は揺れに揺れた。是が非でも犯人を捕らえなければ、王室の権威に傷が付くとして、捜索に少なくない数の騎士達が借り出されたのだが。
 なにせ、事情を知る使用人達が根こそぎ行方不明なのだ。男は殺され女達は通報した後に暗殺者達の手で逃がされたのだが、そこまで把握しろというのは神ならぬ身には酷というものであった。
 情報が全くなかったために、捜査は開始直後にいきなり頓挫してしまった。精鋭たる騎士団の諸君は、数少ない情報の前で云々唸る事となる。

 ……さて、そんな中にもかかわらず、騎士団諸氏からその存在を黙殺されたひとつの情報がある。

 何という事はない、あまりにちっぽけ過ぎて無関係だと思われたという、そういう類の情報。騎士団たちは有能であるが故に情報の取捨選択を正確に行った結果、跳ね除けられた情報だった。

 モット伯が面白半分で買ったアンティークの一つが、消えたというものだ。
 大方行方不明になった連中が、行きがけの駄賃代わりに持っていったのだろう。それが貴重この上ない代物だというのなら、行方不明の連中を探索する証拠にもなるだろうが……騎士団が途方にくれている間に時は過ぎ、この事件は迷宮入りする事になる


 だってそうだろう?
 悪魔が入っているなどといういわくだけの骨董品など、どう捜索しろというのだ!



「おい! 『我等の剣』!!」
「?」

 一方。
 怪我も治り、日課であるシエスタとの洗濯に精を出していた才人は、後ろからかけられた声に振り向き、驚いた。
 声をかけてきたのはマルトーであり……豪快で知られる彼が、珍しい事に狼狽して、こちらに走りよってきているのである。
 只それだけで、尋常ならざる事態だと理解したシエスタは、思わず体を強張らせた。

「ど、どうしたんですか、マルトーさん!」
「おお、シエスタも一緒か。ちょうどいい!」
「丁度いいって……」
「いやな。今さっき、貴族連中が話してる事を聞いたんだが……」

 思わず洗濯の手を止める才人に、マルトーは一語一語かみ締めるように告げる。

「お前らが前に乗り込んだ、モット伯って奴は覚えてるか?」
「え、ええ」

 才人は無意識のうちに頬を引きつらせ、記憶のそこから浮かび上がろうとした惨劇の記憶を必死に思い出すまいと努力した。
 あの事件は、才人にとっても様々な意味で忘れられない事件だった。そのモット伯が殺されたと聞いたとき、彼はそれなりにショックを受けた。
 何せ死んだのがギーシュ達が突撃したその日だ。疑われては敵わないと、一連の事件は他言無用と口裏を合わせたのだが……

「その事で騎士団が、とうとうお前らの事に気付いたらしい」
「!」
「ええ!?」

 才人は音もなく顔をこわばらせ、シエスタは悲鳴を上げる。
 そりゃあそうだ、彼らはモット伯を殺していないが、目撃者が一人もいない以上、犯人だと言われたとしても言い逃れが出来るはずがない。

「詳しい事はわからねぇが、今オールド・オスマンのところに騎士団の連中が来てる。そして騎士団の用件はモット伯の殺害事件についてだ。
 ……まだ、確定したわけじゃねえが、耳に入れておくに越した事はねぇと思ってな。来てるのは憲兵騎士団の中でも凄腕の連中だって事だしな」
「わかりました。ありがとうございます……」

 礼を言いながら、才人はシエスタの手を握り締めて、表情も引き締める。
 いざとなればシエスタを連れて逃げよう……そういう意思が、才人の中に確かにあった。そしてこうとも思う、ギーシュ達なら自分達で何とかして今うだろうと。
 ルイズやモンモランシーはともかくとして自分と共にあの地獄を行きぬいたあの戦友は、『何をやっても』死にそうになかったので。


 場所は移り変わって、学長室。
 結論から言うと、才人の心配は全くといっていいほど的外れなものであった。なにせ……

「とまあ、コレがモット伯と我が生徒が起こした諍いです」

 呆然とする騎士団員達の前で、オールド・オスマンはえへんと胸を張って見せた。

『しゃらぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!』

 彼らの目の前においてある姿見の鏡の中では、ギーシュがワルキューレによる一成攻撃を指揮している姿が映し出されており、騎士団員達の度肝を抜いている。
 種を明かせば何という事はないのだ。
 このじい様、あの夜ギーシュと才人が抜け出したのを知覚で感じ取ってすぐに鏡を発動させて、悪趣味にも彼らの行動を観賞していたのである。自分の生徒を疑う騎士団員達にそのときの映像を見せているのだ。
 ……ギーシュ達は夜中に出て朝帰ってきたという醜態を晒したにもかかわらず、何のお咎めも無い矛盾に気付くべきだった。

 オスマン自身もシエスタを無理やり連れ去ったモット伯の行動には鶏冠にきていたので、いざとなったら鏡越しの魔法でモット伯を攻撃するつもりだったし、実際に手助けもした。

 そう、才人のルーン発動……アレが実は、オスマンの魔法による後押しの結果だったのである。しかし、後押ししたのはほんの少しだけで、ガンダールヴを扱いきったのは間違いなく才人のセンスのなせる業だった。
 今画面に展開している光景においては、正真正銘なにもしていない!

(グラモンのところの馬鹿息子がメイドのために動いたのも驚きじゃが、モット伯に勝つとはのぉ)

 ドットメイジがトライアングルメイジに勝利する。
 常識では考えられない事をやってのけたギーシュに対して、オスマンはにわかに興味を抱いたのだ。

「そして、この後。この者達は伯爵を治癒してから帰途についております……残念ながら、わしがわかるのはそこまでですが……
 只ひとつだけ確実に言えるのは、我が学院の生徒達はモット伯殺害について何一つ関与していない事です」
「し、しかし!」

 騎士団員の中で一際若い男が、物言わんとばかりに立ち上がって、オスマンに食って掛かった。
オスマンは知らなかったが、ギーシュ達が事件当日にモット伯の屋敷を訪れていた事を調べ上げたのは、この若い団員であった。
 血気にはやった若者らしく、是が非でも手柄が欲しいという欲求が、若者を立ち上がらせた。

「今この映像の中で! ギーシュ・ド・グラモンは禁止されている貴族同士の決闘を行いました! コレは重大な規約違反……」
「お若いの」


 ゆっくりとして、落ち着いた口調で、オスマンはその若者に話しかけた……が、オスマンの両目から放たれるただならぬ眼光に、動けなくなる。

「君は、ここに何をしに来たのかのぉ。わしが覚えておる限りでは、君達は『モット伯の殺害』を調べにきたのであって、『決闘規約違反者』を摘発しに着たのではなかったはずじゃ。
 それとも……決闘規約違反で引っ張ったら、後から殺害容疑を自供したとか、そういう筋書きなのかのぉ」
「……っ!」

 暗にフレームアップの可能性を示唆され……そのつもりだっただけに、若い騎士は激昂しそうになるも、しなかった。
 耐え切ったとかそういう理由じゃあない。単純に、オスマンの視線を恐れたのである。
 彼は極一般的な貴族らしく、自分は偉大でありそのなす事は全て正しく、他人は無条件でそれに迎合すべきだという傲慢な思想を持っていた。それゆえに、人格的な威圧感で圧倒され、論破されたという事実は、彼の自尊心を強かに傷つけた。

「……事情はわかった。今のはこちらの無礼だった……すまない」

 更に追い討ちをかけたのは、彼が常日頃から軽蔑の意思を隠そうともしない、平民出(しかも前歴がわからず得体の知れない)の自分の上官が自分の意見を間違ったものとして、勝手に謝罪した事だった。
その上、その男から放たれた無言の威圧感に押され、怯えてしまい……結局、若い騎士はその場に着席する事となった。

「わかってもらえればえーんじゃよ。ミスタ・ジョシュジョ」
「…………無理やり約すのはやめてくれ」

 変わった帽子を被ったその男は、明らかに意図的にへんな呼び方をしているオスマンに対し、眉を顰めた。
 そして周りの部下達を見回して、

「お前達は先に帰れ……俺は、オスマン氏と話がある」
「ミス・ロングビル。君も少し席を外してくれんかの」

 隊長とオスマン二人に言われてこの室内に残ろうとするものはいない。まずは騎士団たちが敬礼と共に部屋を辞して、それに続くようにミス・ロングビルが一礼をし……ふと、何かを思い出したように、口を開いた。

「オールド・オスマン。それでは、本日就任予定のメイジとの面会はいかがいたしましょう?」
「む!? そういえばそんな用件があったの……むー……そうじゃ、ミスロングビル。
 手続きその他は君が受け持ってもらえるかな」

 本来ならば第一優先すべき用件を彼方に追いやってまでシュヴァリエである隊長との会話を優先したいらいい。

(余程、重要な事なのかしら?)

「かしこまりました。では、『イカシュミ・ズォースイ』氏との顔合わせは、明日の早朝にしておきます」
「うむ。よろしく頼むぞ、ミス・ロングビル」

 思うところは多々あったが、ここは有能な秘書としての仮面を捨てるわけには行かない。ロングビルは優雅に一礼して見せた後、学長室を辞した。
 聞き耳を立てたい欲求がないわけではないが、彼女はオールド・オスマンのセクハラ爺を過剰評価も過小評価もしておらず、盗み聞きなどすれば致命的なミスを生みかねない事を承知していた。

(セクハラにかこつけて私のことをちょくちょく監視してるぐらいだものね……まぁ、そこはあんたに任せるわ)

 傍に立てかけてあった鏡に向かい、髪を直すようなしぐさをしながら、彼女は方目を閉じる……鏡の奥でサムズアップをした不気味な人影に気付いたものは、ミス・ロングビル只一人だった。

「さて。『イカシュミ』先生を迎えに行かなきゃ」

 そして、くすくすと笑いながら、歩き出す。まるで、自分が口に出したその男の名前が、可笑しくてたまらないとでも言うかのように。


「……イカスミ雑炊?」
「明日からこの学院に赴任してくるメイジでな」

 この世界で耳にするはずのない単語に眉をひそめる隊長に、オスマンは杖をかざして、あたりの物体に『ディテクト・マジック』を仕掛けながら説明した。

「なんでも、ゲルマニアの貴族だった祖父が発掘した書物に書かれていた文字からつけた偽名らしい」
「偽名だとわかっているのに雇うのか?」
「貴族位を剥奪されて野に下ったメイジが、本名で動けるはずもないじゃろう。ミス・ロングビルも保険医の爺さんも偽名じゃよ。
 しばらくは監視つきじゃし、本人もそれは覚悟の上じゃ。
 ミス・ロングビルとて、未だに監視付じゃしな……わし自身の手で♪」
「……やれやれだぜ」

 いささかセクハラ気味の発言だったが、隊長はそれについては何も言わなかった。
 貴族の師弟が多く学びに繰るこの学院は、犯罪者達にとっては文字通り金のなる木だ。貴族に関わるもの云々の前に、そこらに転がる調度品一つちょろまかして売っただけで、平民が遊んで暮らせる程度の金は手に入るだろう……故に学園に勤めるメイドや料理人を雇う場合は、厳格な試験でふるいにかけるのだが。

 ミス・ロングビルや保健室の老医のように、『貴族位を剥奪されたメイジ』の扱いはいささか厄介だった。
 落ちぶれた貴族の行き先は対外が盗賊や強盗のなどの犯罪者か、傭兵のように犯罪者に片足突っ込んだ仕事しかない。マトモな職に付こうにも、貴族の職業につけるはずもなく、平民の職業は様々な問題があり、はっきり言えば犯罪者か犯罪者予備軍かの二者択一なのだ。

 装飾品ぐらいならともかく、王室から預かった秘法が数多く眠る宝物庫の存在を踏まえると、偽名を使って侵入してくる泥棒の可能性を常に疑ってかからねばならなかった。
 ならば、最初から没落貴族など雇わなければいいのだし、事実騎士団の人間達は事あるごとに没落貴族を首にしろ、あるいは権威のない地位につけろなどと言ってくる。
 だが、オスマンは二つの理由から彼らを軽々しく扱うつもりはなかった。
 ひとつは、教職員役のメイジの少なさだ。
 そもそもからして、メイジという役職は全員が貴族であり、働かなくても食っていける連中である。加えて、学院の仕事は基本的に安月給。コルベールのような研究熱心な人間やシュヴルーズのように教育熱心な人物ならともかく、疲れる上に時間の縛られるのを受け入れ、なおかつ指導者たるにふさわしい実力を持つメイジとなると、滅多にいないのが現状だった。
 片方だけ重視してスカウトしても、生徒と教師双方の不幸を呼ぶだけである。
 第二の理由、これはオスマンの精神的な理由なのだが……彼はそもそも、平民だの貴族だのを気にするような人間ではない。
 『没落貴族』というだけで犯罪者扱いは『悲しい』。そう思ったから、彼はミス・ロングビルのような人間を、登用するのである。

 登用される没落貴族の側も自分達がいかに怪しいか自覚しているため、監視つきの生活に特に反感は抱かない。ようやく得る事ができた正当な仕事を前に、馬鹿な事をするものがいるはずもなく……爆弾を意図的に胸元に引き寄せるようなこのシステムは、実のところ上手く回っていた。

「それで? あんたは俺にセクハラ談義をするために状況を整えたのか?」
「まさか――ふむ。盗み聞きをするような悪い子はおらんようじゃの」

 一通りあたりを調べ終わると、オスマンは改めて目元を細めて隊長を見た。
 その体から発せられる威圧感は、先ほど若い騎士に放ったとは性質が違っていた。先ほどは若い騎士を沈黙させるのが目的であり、これは気を引き締めたがゆえに滲み出る自然の産物……!

「単刀直入に聞こう……この一件、君が、『星屑騎士団』(スターダストクルセイダーズ)が担当すべき事件……すなわち、『傍らに立つ使い魔』が関わっているのではないかな?」


 才人がシエスタと駆け落ち(?)の覚悟をし、オスマンと隊長が緊迫した会話を交わした翌日。
 学院長に呼ばれる事もなく、騎士団にとっつかまる事もなく、ギーシュ達は屋外で行われる実習授業に参加していた。

「ねえねえ聞いた? 今日新任の先生が授業するんですって!」
「えー! どんな人かしら?」

 隣に並んだ女生徒達の噂話を聞きながら、ギーシュは手元にある薔薇の花びらを弄び、思考をここではない彼方へ押し遣っていく。
 思い出されるのは、自分がモット伯を『ぶっ飛ばした』時の光景だ。
 モット伯殺害容疑でいつつかまるかとビクビクオドオドしていた最中にようやく気が付いたのだが、あの時の自分はテンションもさることながら、『何か』がおかしかった。

 最たるものが……
 ひらり、と手で弄んでいた花びらを、吹きすさぶ風にゆだねるギーシュ。彼はその花びらが、自分の間合いの外である空に舞い上がったのを確認した後、ぽつりとつぶやいた。

「……『錬金』」

 間合いの外。自分の魔力が支配する外にあるはずの花びらに向かって、呪をつむいで……

 ひゅっ……

 影響を受けないはずの花びらは、空中で小石にその姿を変じて地面に……

「あだっ」

 ……否、生徒達の中でボーっとしていたマリコルヌの頭上に落ちた。
 友に心の中で詫びつつも、ギーシュは思考の海から出ようとは思わなかった。

(明らかに、僕は魔力があがっている……不自然なくらいに。
 それでいて、メイジのランクは上がっていないし)

 そもそも、可笑しいと思うべきだったのだ。
 モット伯をぶちのめした、ワルキューレ……あれ程の遠距離にある対象をワルキューレのような複雑なものに錬金するなど、以前の自分では考えられない事なのだから。

(……一体、僕はどうしたっていうんだ? リンゴォに呪われているのか?)

 明らかに異常な魔力の成長は、ギーシュにとって決しての望ましい物ではなかった。むしろ、自分の体が自分のものでなくなったかのような感覚がして、寒気がする。
 『使い魔品評会』という、学院において大きなイベントを控えた身なので、どーせなら使い魔のヴェルダンデがパワーアップして欲しいと思う。

「――はい。みなさんこちらに注目してください!」

 思考に没頭している間に、時間は過ぎていたらしい。
 ロングビルの声に我を取り戻した時には、草原に座る生徒達の半円の中央に、二人の人影が立っていた。
 その人影を見て……ギーシュはぎょっと目をひん剥いた。


「こちらが、今日より皆さんに『基礎魔術』の授業を教えることになる先生です!」
「…………」

 傍らの男を紹介するミス・ロングビルはいい。いつもどおり眼鏡の似合う知的で美しいレディだ。
 それはいいのだ。問題は……傍らに立つ男のほうだった。

 ……黒かった。

 何が黒いって、全身が。変な飾りの付いた帽子から身に羽織ったマントから、全部が全部。いや、格好だけなら良く見れば、普通の格好なのだが……目が、白目黒目が逆転したかのように、黒かったのだ。

(???? 何で僕はあの人を黒いと思ったんだ? 確かに黒っぽいがそこまでじゃあないというのに)

「? ? ?」

 ギーシュと才人、二人はその男に関して全く同じ感想を抱いたらしく、二人して必死に目元をこすっていた。生徒の群れの中の二人に気付かず、男はポツリと己の名を告げた。

「『イカシュミ・ズォースイ』だ。二つ名は『砂鉄』」

 ぽつりと。言葉少なに、だが要点を抽出してつぶやくその姿は、何処となくタバサを連想させた。まあ、アレほど無愛想で無口ではなかろうが……

「イカ墨雑炊????」

 ヴェルダンデとリンクした知覚から、才人のささやきが聞こえたが、ギーシュは後回しにした。
 貴族階級を示す『ド』が名前についていない事と、明らかに偽名らしい変わった名前から、没落貴族だとすぐに看破できた。生徒達の中から嘲笑と侮蔑が僅かに立ち上ったのを、イカシュミは丁重にスルーした。
 その姿にある男を重ねて、ギーシュはおやと思って眉をひそめる。
 この男の貴族に対する反応……どこかが、リンゴォに似通っていた。

「まず最初に言っておくと、俺はドットであり、一つのことしか出来ない、レビテーションすら出来ない欠陥メイジだ。だが、君達には俺と同じ事は出来ないと、断言しておこう」

 言うと、量を増した侮蔑の気配など存在しないかのように、足元においてあった箱を手に取った。中には、山盛りの砂があり、イカシュミはそこに向かって杖を振った――瞬間!


 ジャキンッ!

『……!』

 その場にいた全員が、息を呑む。
 一瞬。
 杖を振るという実に単純かつ安易な行動たった一つで、イカシュミは砂山を『鉄のナイフ』に錬金してのけたのだ!
 コレが岩塊だというのならばわかるのだが……イカシュミはほぼ無詠唱で砂粒を集中させての錬金するという、スクウェアクラスでも出来ない技をやってのけた。
同じことをやろうと思えば、魔法で砂を集め、魔法で砂を固めて、魔法で錬金すると言う、3つの魔法を使用する必要があるだろう。

 錬金というものを知る人間なら、驚かないはずがない代物だったが……その中で唯一、一歩引いた目線をもっていたタバサが、首をかしげた。
 確か、今日この授業は、基礎魔法の授業ではなかったか? 錬金なら屋内で行うはず。

「……言い忘れたが、コレは錬金じゃない」

 驚愕で息を呑む生徒達に、イカシュミは更なる壁を彼らの前に提示した!

「魔力で砂鉄を固めてナイフの形にしているだけだ。ついでに言うと魔力を極端に抑えているから、ディテクトマジックでも反応しない」

 ――いや、もっと無理です。

 一同を代表して心の中で突っ込んだのは誰だったか。
 単純に砂を固めるのならば普通のコモンマジックで十分出来るが、砂鉄だけを抽出して固める、しかもそれを無詠唱で行うなどオールド・オスマンでも出来るかどうか。

 『一芸しか出来ないのに教師なんて出来るのか?』という生徒達の感想は、いまや『この一芸ならば教師になれる』というものに逆転していた。それでもドットメイジの没落貴族に対する侮蔑感を捨てきれない生徒はいたが、ほんの一握りだった。
 現金にもいきなり尊敬のまなざしを向けてくる生徒達をイカシュミは又もスルーした……どうやら、相手にどう思われようと気にしたい性質らしい。

「いきなりコレが出来る様になれとは言わない。出来るようになるとも思わない。
 だが、こういう技術が存在する事を知る事は、君達にとって決してマイナスにはならないはずだ……そう請われたからこそ、俺はこの学園で教師をすることにした。
 ミス・ロングビル。お願いできますか?」
「はい」

 イカシュミの求めに応え、ロングビルは己の杖を振るった。呪文を詠唱し、その杖の先を生徒達のほうにかざすと、傍らに詰まれた袋の中から飛び出した砂が、生徒達一人ひとりの前で山を作った。

「どんなに時間をかけてもいい、どんなに小さな形でもいい。一瞬しか形が保てなくてもかまわない。ディテクトマジックで感知されるなとも勿論言わない。
 まずは、その砂の中から『鉄の塊』を作って見せてくれ。それが今日の俺の授業だ……ヒントはあえて出さない……ああ、勿論錬金は禁止だ。
 『成功』ではなく、『成功をするための失敗をつむ』事が今回の授業の目的だ」

 おごったところを何一つ見せず、簡潔に。イカシュミは一同に告げる。

「これは、全ての魔術の基礎、魔力の操作と、自由な発想で魔法を使う応用力の授業だ。
 コレを極める事ができれば、君達の魔術の手腕は少なからず上がるはずだ。大切なのは、基礎なのだから。コレが出来るのと出来ないのとでは、ランクが同じでも大分違う。
 その事を肝に銘じておいてくれ。俺からは、以上だ」
「さーみなさん!」

 イカシュミの言葉が終わるのと同時に、ミス・ロングビルが両手を叩き、

「成功しなければ帰れないというわけではありませんので、安心してください。
 落ち着いてやりましょう」

 その声に、ドットに授業を受ける事にプライドを傷つけられたらしい一部の生徒は、しぶしぶ目の前の砂の山に杖を向ける……ここでようやく、ギーシュはこの場にミス・ロングビルがいる理由に気が付いた。
 基礎魔法が出来ないリゾットのフォローと、プライドばかり高い連中を抑えるために、彼女はここにいるのだ。

 ……周りからは、『う、うろたえなぁぁぁぁい! トリスティンのメイジはうろたえなぁぁぁぁい!』だの『錬金すると思った時! 既に錬金は終わっているはずなんだ!』だのという情けない悲鳴が上がっていて。
 だから錬金じゃないって……

「やれやれ。じゃあ僕も始めるとしようか」

 キザったらしい仕草で薔薇の杖を振りかざしながら、ギーシュは薔薇の杖を振りかざす。
 何故か。
 今の彼には、『この授業が終わるまでは小さな塊ぐらいは作れているはず』という妙な確信があった。


(ど、どうしろって言うのよこの私に!)

 ギーシュが奇妙な確信と共に杖を振りかざしていた頃。
 我らがツンデレヒロインルイズは、目の前に詰まれた砂の山を見つめプルプル震えていた。当たり前である。
 彼女は知る人ぞ知る『ゼロのルイズ』であり、魔法学院で唯一魔法成功率0の女だった。レビテーションや錬金すら出来ない彼女に、魔力の操作など出来るわけがなく。
 結局、周りの人間から密やかに笑われ蔑まれる事役30分。使い魔品評会を前に、自分の使い魔が思いのほか役に立たない事で苛立っていた彼女は、とうとう追い詰められた末に決断した!

(ええい! 駄目で元々よ!)

 自分の決断がどれだけ周りに被害をもたらすかを忘却の彼方にふっとばし、ルイズは覚悟を決めた。杖を構え……

「お、おわああああああっ!? ルイズッ! お前何してんだ! 爆発すんだろ!」
「わきゃっ!?」

 ……使えない駄使い魔が、思いっきり人の恥をぶちまけてくれました。
 使い魔が戯れている後方からの声に悲鳴を上げて思いっきりのけぞるルイズ。その滑稽な有様に、周りの生徒からは失笑と嘲りがダイレクトに彼女にぶつけられた。
 恥ずかしさと屈辱で顔を真紅に染めながら、ルイズは振り返って才人を怒鳴りつける!

「こ、この犬ぅぅぅっ!!!! ご主人様の邪魔するなんて何考えてんのよぉーーーーーーーー!!」
「い、いやだって……邪魔っつーか! お前今呪文唱えようとしてただろ! そんな密集地帯でお前が爆発起こしたら、死人が出るだろーがっ!」
「ぬぁぁぁぁんですってぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」

 売り言葉に買い言葉。どっちかってーと、ルイズのほうが過剰に売り込んでる気がするが、気にしない。
 その光景に大半の人間は失笑を浮かべ、キュルケとモンモランシーは嘆息し、タバサは無反応。ギーシュにいたっては、余程作業に没頭しているらしく、反応すらしない。
 うるさくは思っても、誰も珍しくは感じていなかった。
 というのも、ルイズと才人の衝突は、ここの所日常茶飯事になりつつあるのだ。

 モット伯から才人をルイズがかばった事で、才人の中のルイズに対する深刻すぎる軽蔑の念は消えて、ルイズのほうにも才人のほうに歩み寄ろうとする姿勢を見せ始めていたのだ。
 が、ルイズも才人も肝心な事をまだしていなかった。モット伯の一軒のときお互いがお互いにした行動――ルイズの『あの女~』発言や、才人の『見殺し~』発言の弁明や謝罪を、一切行っていないのである。
 正確には……看病や看護などで二人きりになった時に、謝罪しようとはしたのだが。その度にツンが発動したり、誰かの邪魔が入ったりで、ずるずるとタイミングを逃す結果になった。
 こういうタイミングというものは、一度逃すと極端に言いにくくなるものなのに、それが何度も続いてはもはや絶望的で。
 結果、二人の中に漂う空気は、微妙な低気圧を描く事になり、小さな衝突が絶えないのだ。


「あんたっ! 飯抜き! 絶対抜き! メイドからまかない料理でも何でももらってなさい!」
「望むところだよっ! お前にもらうやつよりかシエスタにもらったほうが旨いし栄養価もあるんだからなっ! ……って、おいルイズ! 後ろ……!」
「あんたっ! ご主人様を敬う気持ちってもんが……?」

 口論の真っ最中にいきなり自分の後ろを指差した才人の行動に眉をひそめ、ルイズはちらりと後ろを振り向き……ぎょっと目をひん剥いた。

「…………」
「……ず、ズォースイ先生!」

 新任教師イカシュミ・ズォースイが、無言でルイズを見下ろし、たたずんでいたのである。
 彼は無言で砂山とルイズを見比べ、次に才人とルイズを見比べ……叱責を覚悟するルイズの手を取ると、その上に黒い磁石を乗せた。

「へ!?」
「……君の事は聞いている。昔の俺と同じように、魔法が得意ではないらしいな」

 あまりに唐突に手を取られ、反応できないルイズに、イカシュミは淡々と、

「だが、気にする事はない。俺や君は、人より少しスタート地点が違うだけだ。
 俺も昔は何一つ出来ない落ちこぼれだったが、今はオールド・オスマンに見出されるほどにまで成長できた。
 ……その磁石で砂鉄を集めて、その集まる様をつぶさに観察しておくといい。いつか君が魔法が使えるようになったとき、役に立つ。
 出来なかったとしても……全ては発想の転換だ」
「発想の、転換……」
「君は魔法を使うと爆発するそうだな。なら、まずはその爆発を完全に使いこなす事を考えるといい。俺も、『物を集める』しか出来なかったからこそ、それを磨き上げた」

 今まで嘲笑の対象でしかなかった自分の失敗魔法に対し、真摯に答えてくれるイカシュミの双眸に、ルイズは息を呑んだ。単に爆発を使いこなせといわれたなら反感も抱いただろうが……目の前の男は自分と同じような立場にあり、それを実践した『先達』なのだ。

「だが、君はまだ俺のような欠陥メイジだと決まったわけでもない……まだ、諦める必要はないだろう」

 いい終わると、イカシュミはすたすたとロングビルの元へと戻っていった。その背中を、ルイズは只呆然と見送っていた。

 結局、授業時間内に鉄の塊を生成できたものは一人もおらず、それをあっさり成し遂げるイカシュミの凄さを、生徒達はまざまざと体感する事になる。
 余談だが、奇妙な自信を持って砂の山に挑んだギーシュは、結局砂鉄一つ回収できずに、夕日に向かって体育座りして、ヴェルダンデと一緒に黄昏たそーな。


 夜、二重の月を見上げ、ミス・ロングビルは髪をすく。湯上りで火照った体を、開け放った窓から流れ込んでくる風が、心地よく愛撫してくれる……この季節の夜風を風呂上りに浴びる事は、ロングビルの密かな楽しみの一つだった。

「…………ふぅ」

 まだ水分の残る髪を櫛ですきながら、ミス・ロングビルは嘆息した。鏡に映る自分の美貌には、いささかのかげりもないが……

『……いやー、湯上りは色っぽくてディモールト・イイ! な』

 否。
 自分の美貌を防ぐものはいなくとも、自分の気分を最悪にする『変態』が鏡の中に移りこんでいた。
 場所はミス・ロングビルがオールド・オスマンに貸し与えられた『没落貴族』用の部屋の一つ。ごくごく普通の室内インテリアからは想像も付かないが、第三者が侵入できないように、また脱出も出来ないようにと特別に学院内に作られた、『牢獄』のような場所だ。
 彼女はその部屋に『一人』でいる。にもかかわらず、鏡の中には男が二人、しっかりと映りこんでいた。

「……イルーゾォ」
『悪ぃ。止め切れなかった』

 別の場所で仕事に取り掛かっているはずの男の存在を説明しろとばかりに、鏡の世界の支配者をジト目で睨むロングビル。

『おいおいおい。そう怒るなよ……『仕事』はきっちり済ませてきたぜ。
 今頃、ターゲットの成れの果ては粗大ごみとして焼却処分されてるはずだ。お前さんの色っぽい風呂上りを見るために、頑張ってきたんだぜぇ~』
「それならいいけど……」
『そっちの首尾はどうだ?』
「私がこうやって普通に話してるのを見ればわかるでしょう?
 オスマンの鼠は今リゾットに張り付いてるわ……今のところ、私は完全にフリーよ。まずは、第一段階成功ってとこね」

 変態ではないもう一人の男の問いに、ロングビルは答え、にやりと笑った。学院の関係者が今の彼女の笑みを見たら、驚愕する事だろう。日常の彼女が浮かべている笑みとは全く違う、凄味のある笑顔だった。

 ミス・ロングビルのもうひとつの顔……『土くれ』のフーケとしての、笑みだった。

「そっちはどう? 宝物庫の中には入れた?」
『……いや、駄目だった。確かに鏡の世界なら見張りを無視できるが、あそこまできっちり隙間なく守られてちゃあ無理だ。鏡の世界でもの動かすと、現実でも動いちまうしな。
 大体、ホルマジオが入れる隙間すらねぇーってのは、どういうこった……ペッシのビーチボーイならまだ手があるんだろーがよ』
「魔法って言うのは、あなた達が思ってるよりずっといろいろ出来るから。対策立てようとするとそうならざるをえないのよ。学院長みたいに鼠を使い魔にする奴もいるから、穴なんて開けられるはずもないし」
『ペッシは他の仕事だし、隙間がないとなるとどうしようもない。
 ギアッチョのホワイトアルバムなら何とかできそうだけどなぁ』
「無理よ。少なくとも魔法であれ、なんであれ『四属』の攻撃だと歯が立たないわ」
『俺の息子の能力も、生物相手じゃないとからっきしだしな。と、なると……あの作戦しかねぇってわけか』
「出来れば使いたくなかったけどね」


 予め教えられていた『作戦』を脳裏で反芻し、フーケは嘆息する。
 自分が基礎を提案し、鏡の中にいる連中が仲間と共に鬼畜外道に固めていった作戦……下手をすれば、学院の人間の4分の1を虐殺する事になるであろう、とてつもない作戦だった。
 確かに彼女は貴族が嫌いだが、何も一方的に虐殺されろなんて思っているわけではない。

 ――だからといって、己の目的を諦められるほど大切だというわけでもなく。
 作戦発動によって出る犠牲者達の事を屠所の豚を見るような感覚で割り切って、フーケは実務的な話を再開した。

「で? 例のものは?」
『ああ……さっき、ホルマジオから受け取ってきた』

 鏡の中の支配者は、手にした箱をかざすと、フーケ……鏡の『外』に向かって放り投げた。すると……その箱は、鏡面をそのまますり抜けて、フーケの手に収まる。
 それは、フーケが部屋においてある化粧箱にそっくりの箱であり、実際中身も新品の化粧品で満たされていた……只一つ、二重底の底に隠されたあるものを除いて。
 それと引き換えとばかりに、フーケの目の前で鏡台の上の化粧箱が消失し、イルーゾォの手の中に納まる。

『繰り返し言うが、慎重に扱えよ? 間違って自分で使ったら、命の保障はできねーんだからな』
「わかってるわよ……と、そういえばホルマジオは?」
『先に帰った……メローネの依頼の報酬の受け取り役だからな。
 おっと、肝心な事を忘れてた。
 昼間、ジジイとあの隊長の会話を聞いてたんだが……案の定、俺達の目当てのものに近い会話をしてやがったぜ』
「――本当!?」
『ああ。『破壊の杖』を保存している箱に、折り曲げて入れてあるらしい』
「破壊の杖!? ラッキー! ちょっとしたお宝よ! それ!
 ……そうだ!」
『?』
「箱ごと盗んで『領収書』に破壊の杖の名前だけ書けば、オスマンをかく乱できるかもしれない!」
『……! 成る程。知ると知らないのとじゃあ、あっちの対応も変わってくるからな』
「そういう事……っ!」

 言いかけて、フーケは表情を、『フーケ』から『ミス・ロングビル』に改めた。そして、鏡の端をコンコンと指先で叩く。
 その合図を見た鏡の中の男達の反応は、早かった。すぐさま鏡の世界の中を走り、風を入れるために開けておいた窓から飛び降りる。
 鏡の世界とはいえ、高さの概念まで歪むわけではない。彼女の部屋の高さを考えると、飛び降りたりすれば死んでも可笑しくないのだが、彼らならなんとかしてしまうだろうと、ロングビルは確信する。

 ちゅぅっ!

 間一髪のタイミングだった事を示す『泣き声』が、部屋の隅からロングビルの耳朶を叩いた。オールド・オスマンの使い魔、鼠のモートソグニルである。
 リゾットの方に貼り付けてあるはずが、異様に戻ってくるのが早い。
 どうやら、二人の監視はオスマン一人で完璧にやり遂げるつもりらしい。
 彼女の表立った『秘書』という、学院の機密に根深く携わる立場から言えば、仕方のない扱いである。むしろ、リゾットのほうの見張りをオスマンが続けているのが、うれしい誤算であった。

(リゾットの堅気じゃない気配を警戒してるのね。
 これ以上の打ち合わせは、手紙でするか)

「あらオールド・オスマン。こんな夜中に使い魔越しで何の御用でしょうか?」

 内心でオスマンの行動を警戒しつつ、ロングビルはにっこりと鼠に微笑んだ。さも、着替えを覗かれて怒ってますというニュアンスを込めて。
 内に秘めた野心の事など、おくびにも出さずに……


 使い魔の鼠が遠ざかったのを感じ取り、イカシュミ……リゾット・ネェロはようやく一息ついた。
 コキコキと肩をならしながら、彼は冷静に己に割り当てられた役割を再確認する。

(俺は、囮だ)

 トリスティンの姫君が行幸する直前のこの時期に『没落貴族』のメイジとして学院に就任する事で、普段ロングビルに貼り付けられている監視の目を引き付ける。そうして、『土くれ』のフーケの盗みをフォローするのが役割だった。
 いざ実際に見張られてみると、人権侵害するレベルではないくせに、犯罪者として自由に行動しようとするとなると、途端に不自由になるという、絶妙なレベルの監視である。恐ろしい事にリゾットでさえ自由には動けない。
 リゾットでなくとも誰でも良かったのだが……能力的に『メイジ』になりきるのに自分が一番適していた、只それだけの事である。

(怪しまれる事は、していないはずだ)

 事前にロングビルから言われたとおりの『設定』を口にし、その『設定』ならばするであろう行動を、忠実になぞったつもりだ。魔法でもなんでもない現象を魔法でやらせるという、無意味な事をさせたことに罪悪感を感じないではなかったが……
 考えながら、リゾットは砂鉄を一山、慎重に鏡の前にこぼした。
 ――予定の変更がなければ、この砂粒は明日まで残っているはずである。予定が変更するのなら、イルーゾォが鏡の世界に引き込むのだ。

(見張りのせいで昼は話せなかったが……まあ、いい)

 直接作戦の内容を確認できないというのが一抹の不安ではあるが、作戦通りにいくのならば自分の出番はそうそう多くはないはずだった。この世界において自分の能力は、『暗殺』には有効だが、『盗み』では役に立たないだろう。

(透明になる魔法薬が、禁忌扱いとはいえ存在する以上、重要な宝物には対策が練られていると見ていいだろう。ここの宝物庫ならば、なおさらだ……ん?)

 思考に没頭していると、扉の向こうに気配が二つ、並んで現れた。通路の突き当たりにあるこの部屋に、誰かが向かってきている……?

(こんな深夜に、か?)

 ドットメイジを軽く見た連中がリンチにかけてくるかもしれない……フーケの忠告が脳裏をよぎり、リゾットは気を引き締めた。怪しまれない程度に迎撃して、お帰り願うのが一番いい。元傭兵と言う『設定』だから、完膚なきまでに倒しても怪しまれないだろうが、実力を隠しておくに越した事はない。

 それに。
 昨日今日と授業で見た限りでは、貴族連中はどいつもこいつも筋金入りの『甘ちゃん』ぞろいだ。マンモーニ時代のペッシにすら勝てないというレベルでしかない。
 例外は何人かいたが、そういう奴らは闇討ちなどしないだろう。他の甘ちゃん連中だったら、苦もなく撃退できる自信がある。否……自信がないのは、『相手を殺さずにお引取り願う』事にだった。

 気配が扉の前まで来たところで、リゾットは身構え……

 こんこん

「イカシュミ・ズォースイ先生。いらっしゃいますか?」
「……空いている。入りたまえ」

 律儀にノックしてから声を出した気配の主達に許可を出す。
 扉が開かれると、そこにいたのは意外な顔ぶれだった。

 一礼してから並んで部屋に入ってきたのは……

「ミス・ヴァリエール……と、君は……」
「……えっと、その使い魔の、平賀才人です」

 桃色の髪の少女の横でジト目で睨んでくる彼女に辟易しながら、才人は再び礼をした。


(ひらがさいと? この少年……まさかジャポーネか?)

「イカシュミ先生。昼間の授業はありがとうございました」

 才人の自己紹介に目をむくリゾットに対して、口火を切ったのはルイズだった。ぺこりと頭を下げる彼女に、リゾットはあくまで淡々と返す。余計な感情を入れて、教師の演技がばれては事だった。

「誰もが馬鹿にする私の魔法を、あんな風に言ってくださったのは、先生が初めてです」
「いや……気にする事はない。私は当然のことをしただけだ」

 それに、ルイズに言ったリゾットの言葉は、大半が実際の自分の体験であった。彼も自分の能力に目覚めたばかりの頃は、今のような使い方を思いつく事ができず、何故こんな弱い能力なのだと苦悩したものだ。

「諦めずに、一つの事を追求すれば、積み重ねた努力はきっと君の力になる……どんな力もようは使い方だ」

 言いながら、リゾットの意識は平賀才人から離れる事はなかった。
 ヒラガサイト。
 ハルキゲニアの人間としては明らかに異質な名前であり、リゾットの故郷でもかなり変わった名前だった……ただ、海ひとつを越えれば普通の名前だという事を、リゾットは知っている。
 すなわち、この少年は……

「あ、あの!」
「ちょ、ちょっと才人!?」
「ルイズは少しだまっててくれ!
 ……イカシュミ先生って、ひょっとして異世界から来たんじゃないんですか?」

 主人の制止を押し切って踏み出して才人が口にした問いを聞き、リゾットは納得したかのように首肯した。
 やはり、この少年も自分達と同じようにあっち側から来た人間なのだ。
 自分と同じ『能力者』なのだろうか? 自分達と全く同じとは行かないようだが……疑問は尽きなかったが、とりあえずリゾットは彼の疑問に答えることにした。
 故郷の存在がうれしいのが、テンパっている才人を眺めながら、

「……何故、そう思う?」
「だって、先生の名前がイカスミ雑炊って……それ! 俺の世界にある料理なんです! 国は違いますけど……! あ、俺異世界から来たんです! ルイズの召還で呼ばれて、それで……!!」
「成る程」

 ――『設定』の範囲内でだが。

「まず、最初に言っておくと……確かに偽名の由来は君の言う料理で間違いないが、正真正銘ハルキゲニアのメイジだ」
「……え?」
「……もう少し、話そうか。
 俺の祖父は、異世界から召還された品を熱心に研究していてな」

 才人の落胆をスルーし、リゾットはどこか懐かしく思っているような演技をしながら、才人の質問に答えていく。
 別に話す必要はなかったが、相手がスタンド使いかどうかを図るために、もう少し話をしても損はない。落胆する彼をこのまま放置するのも、多少気がとがめた。



「世界各地を回って、異世界から来た書物や、異世界に来た人間などをたずねて回って、その情報を調べていたんだ。祖父は酒を飲んでは自分の孫達にその研究成果を話した。
 だから、君が異世界から来たという話しを、俺は疑おうとは思わない。異世界の存在を疑おうとは思わない。事実、祖父が集めてきた品々は、ハルキゲニアの技術で作れないものだったし、召還に酷似した現象と共に現れたものが多かったからな。
 現に君の名前は、祖父が持っていた書物に記載されていた人名のパターンに酷似しているからな。
 俺の名前は……傭兵から足を洗うときに、今いった書物からつけた偽名だ。君の話からすると、あれは料理のレシピ集かなにかなのかもな」
「そ、そう……なんですか」
「君の聞きたいことは想像が付く。祖父が会った異世界の人間達も、同じ事を聞いてきたそうだから、恐らく君もそうなんだろう。
 自分の世界に返りたいのだろうが……正直、そんな方法は想像も付かないし、帰れた人がいるという話も聞かない。全員が、この世界に骨を埋めたそうだ。
 すまないな。どうやら、君をぬか喜びさせてしまったようだ」
「い、いえ……いいんです」

 落胆の度合いを深めて、肩を落とす才人。あまりの落胆具合に気の毒になったが、同時にうらやましくもあった。
 帰りたがるという事は、この少年には元居た場所に帰りを待つ人が居るのだろう。自分達にはいない、暖かい家があるのだろう。ギャングの、『暗殺チーム』などに居た自分達とは、大違いである。
 使い魔、などという不自由な立場では、ホームシックも一入だろう。

 ふと、先ほどから使い魔の言動に何も言わないルイズのことが気になり、リゾットは視線をそちらにずらした。ルイズは、心配そうに落胆する才人を見ていて、何か話し掛けようとしては黙る、という行為を繰り返している。

(? 仲が悪いんじゃないのか)

 昼間の喧嘩から、てっきり二人の相性が悪いのかと思ったが、そうではないらしい。この場にリゾットの仲間の一人が居たら、『人、それをツンデレと呼ぶ!』とでも説明してくれたのだろーが、朴念仁のリゾットにわかるはずもなく。
 結局、そのことに関するフォローは一切せず、微妙な空気を引きずる二人の背中を、淡々と見送る事となった。


 使い魔発表会。
 それは、トリスティン学園において毎年行われる、由緒正しきイベントである。
 毎年、二年生が己の使い魔を同級生の前で発表し、その優劣を競い合い……まぁ、要するに使い魔による一発芸のお披露目会だと思って間違いはないだろう。優勝者には、褒美と名誉が与えられる。これに、貴族の子弟達が夢中にならないはずがなかった。
 日の出から日の入りに至るまで、学院にある広場では、今年度の二年生達が己の使い魔と共に、芸の練習にいそしむ事となる。

 サラマンダーが炎を吐いて、風竜が空を舞う。梟が宙で一回転してから主の手に戻り、一つ目のバケモノが目から怪光線を放つ。
 うかつに踏み込んだら大怪我確実の混沌ゾーンを前に――片隅の木陰で、不釣合いなくらいに和やか~な空気で、それを眺めている集団があった。

 ギーシュと才人、モンモランシーとルイズである。
 いや、正確には……モンモランシーは己の使い魔、蛙のロビンの見栄えを良くしようとリボンを結んだりしてうんうん唸っているし、ルイズはルイズで苛立ちを隠さずに頬を膨らませているので、実際に和んでるのはギーシュと才人の二人組みだけである。

「――ギーシュ、お前はなにかやらないのかー?」
「うん?」
「いや、だから、品評会の練習」

 ぽへーっと目を横棒にしながら、才人の言葉に答えたギーシュは、ふっと薔薇を咥え、

「この僕と僕のヴェルダンデに練習など必要ないのだよ才人」

 何度も唇刺してるのによくこりねーなーと思いながら、才人はそんなギーシュを眺めた。目は横線のまんまである。イカシュミにあってから三日、ずっとこうだ。明らかに無気力すぎなのだが、ようやく掴んだ故郷の手がかりがスカだった事は彼の知り合いなら誰でも知っているため、シエスタやマルトーはおろか、ルイズですらこの無気力ぶりに何も言わなかった。
 何が愉しいのかと首をかしげたヴェルダンデが才人の真似をして目を線にする。

「僕のヴェルダンデの美しさなら、優勝なんて一発さ! ああ! 僕のヴェルダンデ! その美しさでアンリエッタ姫を虜にしておくれ!」

(ああこいつの優勝はなくなったな)

 傍らのヴェルダンデを愛おしそうに撫で回すギーシュの姿を見て、才人は確信する。


「そういう君は、何をするつもりなんだい? 才人」

 ヴェルダンデのふもふもした毛皮に背中を預け、ギーシュは薔薇を口元にキープしたまま逆に問うた。ヴェルダンデは体重をかけられるのが気持ちいいらしく(コリが解れるらしい)、もふーと体を伸ばしている。

「ん? ああ、俺は……スピーチでもと思ってるんだが」
「? あの『能力』は使わないのかい?」
「まあ……ちょっとなぁ」

 才人とて、それは考えないでもなかった。
 現に発表会の練習のため、先日夜中にこっそりデルフリンガー片手にルーンを発動させてみたら……思わぬところから待ったが入った。
 学院長直々に呼び出され、『滅多な事では使うな』と念を押されてしまったのである。

「学院長の話だと……なんか、使うと厄介な事が起きるらしくてさ」
「成る程……」
『っつーわけで、相棒は今回見物ってこった』

 才人の説明を補足するように、その背中に収まったデルフリンガーは刀身を震わせてカカと笑った。
 諦めると言うか、状況を好転させるために努力する気配の見られないその姿は、いつもならルイズの雷が飛んでくるような代物だったが……彼女は何故か、不機嫌そうな顔をするだけで何も言わなかった。

 今でこそただ、だれているだけに見える才人だが――イカシュミから話を聞いた直後は、それこそ死人かゾンビかと言う落ち込みようだった。聞きに行く直前までは故郷に帰れる手がかりなのかもと希望に満ち溢れていたためのに、たった十数分の会話で逆転してしまったのだ。
 このまま普通に『故郷には帰れないものだ』と思っていればここまで落ち込むこともなかったのだろうが、中途半端に与えられた希望が、彼の絶望をより根深いものにしていた。イカシュミから『帰る方法はない』と半ば断言されたような形だったのも、大きいだろう。
 何より、才人は気付いてしまったのだ。希望を絶望に切り替えられたことで、改めて……己は、一人なのだと。
 右を見回しても、左を見回しても、自分と同じ存在は何処にも居ない。正真正銘の孤独だ。それに気付いてしまうと、シエスタのやさしさも何もかも、焼け石に水だった。
 真の孤独を前に、言葉は無力なのだ。

 さしものルイズも、そんな状態の才人にあれしろこれしろなどと厳しく言うわけにもいかない。彼の絶望が自分のせいだという実感も確かにあるのだから。

 ……だからと言って、使い魔品評会に対する意気込みが全く無いというわけではないのだ。『能力』を持つ才人を品評会に出場させれば、自分の実力をあたりに証明できるし、ましてや今回の品評会には……!
 活は入れたい。けど今の才人にそこまで言いたくない。
 そんなジレンマが、彼女を苛立たせていた。

(こんな状況で使い魔品評会に出たら、どうなるのかしら)



 ルイズが木陰で歯噛みしていたちょうどその頃。

「…………品評会に、アンリエッタ姫が来るそうですね」

 学長室にオスマンを訪ねたリゾットは単刀直入に切り出した。

「俺を、姫の警護に回してもらいたいのですが」
「駄目」

 即答だった。

「君が就職する時にも話した通り、学園での没落貴族の扱いは、よくて監視、悪くすれば犯罪者予備軍扱いじゃ。
 心苦しい事じゃがなぁ……そこに居るロングビル君ですら、いまだ監視はとけておらん。品評会の当日などは、全員に厳重な監視をつける予定じゃよ。
 そこの所は君も納得しておったじゃろう?」

 机の上で書類にサインしていたオスマンは、書類から目を離すことすらせず、リゾットの言葉を聴いていた。そう、次に続くであろう言葉を聴いていた。
 オスマンはリゾットの事を頭の悪い男だとは思っていなかった。だからこそ、こう言い出したのには何か理由があると想い、待っているのである。

 オスマンの意思を了解したリゾットは、ゆっくりと口を開いた……台本どおりに。

「……先日も話しましたとおり、俺が学院に職を求めたのは、祖父の悲願を果たすためです」
「ふむ……フォン・ブラウンシュバイク男爵じゃったの」

 ちなみに、リゾットの祖父と言う人物は、縁もゆかりも無いものの、実在の人物の名前を使っている。
 異世界の研究を熱心に行っていた人物で、熱心すぎて『調査』のために他の貴族達の領地を平然と踏み荒らし、とうとう他国の王家の禁領地にまで踏み込んでしまったために、領地および爵位を剥奪された人物だった。
 都合のいい事に家族の消息が不明であり、一族の人数が多すぎて王室ですら把握し切れてない事から、騙るには丁度いい家系であった。

「このトリスティンにも『竜の羽衣』と呼ばれる異世界の産物と思われるものがあります。そして、王家の宝の中にも……『破壊の杖』と呼ばれるものがあると」
「――念のために聞くが、破壊の杖の事は誰に聞いたんじゃ?」

 破壊の杖。
 その名前が出た途端に、威圧感をますオスマン。それに対して傍らのロングビルは『怯えるフリ』をし、リゾットは欠片も揺るがずに応えた。

「昔取った杵柄です」
「ふむ……」

 傭兵時代の情報網というあいまいなものを示す事で、リゾットはオスマンの追求を封じる。
 さて、ここからが正念場である。というか、今までよりも今からする演技のほうが、リゾットが学園に就職した『本題』なのだ。


「譲ってくれ、だのと祖父のような事を言うつもりはありません……俺は只、一目見たいだけなのです」

 常日頃の自分より、心持必死に、オスマンに詰め寄るリゾット。
 ここで、是が非でも……『普段はクールだが、祖父から受け継いだ夢の事になると暴走しかねない男』というイメージを、オスマンに植えつけなければならないのである。

「それをわしに言われてものぉ……」
「ですから、姫様に直訴をと思いまして」
「それで、直属を申し出たのか……無謀じゃのぉ、君らしくも無い」
「……百も承知しております」
「ふむ」

 オスマンは己の長い髭を押さえると、目を閉じ黙考して……

「まぁ、まずは落ち着きなさい……気持ちはわからんでもないが、没落貴族を姫様の直属にするとなると、ワシはともかく王室側が承知せんよ」
「……っ」

 予測できていた答えだったが、リゾットは歯噛みして見せた。演技に夢中になりすぎて怪しまれないように、淡々と、淡々と。

「わかりました……失礼いたしました」

 脱力したように頭を下げ、リゾットは踵を返して学長室を辞そうとする。
 ――失敗したか。
 焦りも悔しさも無い、単純な諦観が脳裏をよぎった時、その背中に声がかかった。

「イカシュミ君」
「……?」
「くれぐれも、浅慮はせんようにな」

(――第二段階、成功)

 オスマンの言葉は、自分の中に暴発しかねない危険なものを見出した証拠……内心の諦観を成功の確信に摩り替えて。
 無言で首肯し、リゾットは学長室を後にした。

(後は、使い魔品評会を待つだけか)


 ――ルイズと才人の寝泊りする部屋に、その来客があったのは、品評会の前日。
 アンリエッタ姫の行幸におけるイベントの疲れをとるため、依然ギスギスしたままの空気を漂わせて横になっている時だった。

 こん……こん……こんこんこん……

 初めに長く二回。次に短く三回という、規則正しいリズムで扉が叩かれる。

「……はいはい!」

 ルイズとの間に漂う空気に辟易していた才人は、渡りに船とばかりに跳ね起きて、扉に駆け寄り、その客を出迎えた。
 入ってきた人影は……二人。
 頭巾を被った少女と、騎士団の服を改造したらしき、ラフな服装の女性だった。肩口から覗く星のあざが印象に残る。
 頭巾を被った少女のほうが人差し指を唇に当て、声を上げようとすルイズを制する。
 騎士団の女性は、その少女を『やれやれ』と言わんばかりの目で見据えている。
 女性の様子に舌をぺろりと出して詫びた少女は手にした杖を発光させ、あたりを照らした。

「――ディテクトマジック?」

 探知の魔法。
 何故、そんなものを使う必要があるのか。

「何処に目が光っているか、わかりませんから」
「――!?」

 少女の声を聞いたルイズの顔が驚愕に歪み。
 もしや、という疑問は、少女がフードを脱ぐと同時に確信に変わった!

「――姫殿下!」
「お久しぶり! ルイズ、ルイズ・フランソワーズ!」

 そこに居たのは……ルイズの親友であり、忠誠心の対象である、この国の姫アンリエッタその人であった。

「ああ、ルイズ! 懐かしいルイズ!」
「姫様。私は扉の外に居るから」

 感激してルイズに抱きつくアンリエッタに、女性が声をかけるが……

「い、いけません姫殿下! こんな場所に来られるなんて……!」
「そんな事言わないで! 私達お友達じゃないの!」

 聞いちゃ居ないらしい。
 苦笑して、女性は呆然としていた才人の襟首を掴んだ。

「! うえええ!?」
「はいはいおかえりはこちら~。ここに居ていいのは、あの二人だけだ」
「ちょ、ま……!」
「ミス・ヴァリエール」

 暴れる才人を片手でいなしながら、女性はルイズに視線を向けて、

「その子は、今色んな意味でボロボロなんだ……今日だけは友達として扱ってやってくれないか?」
「――え?」
「さあ、行くよボウヤ」
「お、俺は坊やじゃないっ!」

 恐ろしい事に、人並みのやわらかさを持つであろう細腕で才人を引きずって、そのまま扉の外へ出て行く女性。
 その背中に向けて、アンリエッタは小さく礼を言った。

「ありがとう……ジョリーン」



 一体何処に連れて行かれるのか?
 才人は引きずられながら戦々恐々としたが、それは極短い時間で終わった。
 なぜなら……ジョリーンと呼ばれた女性は、扉から出てすぐに才人を自由にしたのである。
 そして、後ろ手で扉を閉めて、そのまま背中を預ける。

「さて……二人の話が終わるまで、あたし達はここで待ちぼうけだ」
「っ!」

 しゃあしゃあと言ってのける女に、才人は食って掛かろうとしたが……すぐ思いとどまった。

 ――なんで、俺は部屋からつまみ出された事を怒ろうとしてるんだ?

 才人からすれば、あのギスギスした空間から助け出してもらって、感謝こそすれ迷惑に思う事などないはずなのに。なのに、才人の心は怒りで煮え立っている。

「……」

 自分の感情は理不尽だ。おk、納得しよう。
 深呼吸をして己の感情を制御すると、改めて目の前の女を見た。

「おいおいガンたれんなよぉ~。あたしだって別段あんたに喧嘩売ろうとしたわけじゃないんだから……へぇ、あんたあの娘の使い魔なんだ」

 ……訂正、いつの間にか睨みつけていたらしい。室内の会話に耳を立てていたらしい女性は、才人を見てさも面白そうに笑った。
 ……人を惹きつける、それでいて野性味にあふれたいい笑顔だった。思わず見ほれる才人に、女性は一言。

「なに? あたしに惚れた?」
「なっ!? 違っ……!」
「ぎゃははははははははっ! じょうーだんだって冗談!」
「…………」

 いきなり下品に笑い出した女性に、才人は文字通り止まった。その時見せた『気高さ』にあふれる笑みとは真反対の笑い方を見て、本当に同一人物かと疑わしくなった。

「あ、アンタ誰なんだ一体!?」

 何を言っていいかわからず、とにかく叫ぶ才人。結果、えらく月並みな質問になってしまったが……

「あたし? あたしはジョリーン。
 ジョリーン・シュヴァリエ・ド・クージョーよ」
「空条??」

 なにやら聞き覚えのある単語を反芻し、日本人かと疑う才人。日本人にしちゃ奇妙な名前だという事と、先にリゾットに思いっきり期待を裏切られたのとで、口にするのは憚られた。


「アンリエッタ姫殿下直属の『星屑騎士団(スターダストクルセイダーズ)』の団員兼彼女のお友達ってとこかしら。
 アンリエッタ姫殿下とルイズ・フフランソワーズは昔からの幼馴染なのよ……あたしは、親友に会いたいってわがまま言うお嬢様の子守役ってわけ。
 で、そういうアンタは何者? あー、立場についてはわかってるから、名前だけ」
「――平賀才人」
「平賀? ……ひょっとして日本人??」
「――!? あんた、俺と同じ世界の人間なのか!」

 諦めかけていた希望が再び目の前にぶら下げられるのを見て、才人は再び飛びついた。日本人なんて表現は、こっちの世界の人間では普通はしないはず……!

「ええ。アンタと違って、ちょいと訳有りでこっちに来た口だけどね――」
「は? 訳有り? 使い魔召還でこっちに来るのがか????」
「使い魔召還で……へえぇぇぇぇぇ、そりゃ珍しいわね。
 けど、あたし達に比べりゃなんて事はないわよ」
「達って事は……他にも何人か居るのか!?」

 自分と同じ境遇の人間たちが、他にも何人か居る……! その事実に、才人は歓喜せずにはいられなかった! そのことに比べれば『世界に来る方法の差』など矮小な事でしかない!

(やった! やったやった! 俺には仲間が居た! 俺は一人じゃない!)

 先ほどまでとは一転して、歓喜に包まれる才人。孤独と言う無味無臭の毒は、リゾットとの一件以来じわりじわりと才人の精神を冒していたのである。
 それが今! 完全に! 完膚なきまでに吹っ飛んだ!

「ええ。あたし達『星屑騎士団』は、全員がそう」
「そうか――そうか! はははっ……俺だけじゃ、なかったんだ!」

 余りの事に、才人は笑いが止まらなかった。
 孤独ではない。一人ではない。それが、コレほどまでにうれしいとは。
 うれしそうに笑う才人の様子を見て、ジョリーンはあえて何も言わなかった。彼の笑いの衝動が収まるのを確認してから、口を開く。

「……もとの世界に帰る方法とか、聞こうとしないんだな」
「ははっ……ふぅ……
 いや、その点はあんた達がまだこの世界に居る時点で、期待してないし。帰ってないってことは、帰れないってことだろ?」
「まーね」

 正確には、彼女も彼女の仲間も、ある目的を果たすまでは帰るつもりが無いのだが。

「それに――すぐ帰るつもりも無いし」
「何か遣り残した事でもあるわけ?」
「あるっていえばある」


 気が付けば。
 才人は、普段なら絶対口にしないような言葉の羅列を口走っていた。才人の中を蝕んでいた孤独がその姿を消した事で、一時的にハイになっていたのだろう。ルイズが不在である事で、素直になっているという事があるのかもしれない。

「恩返しがしたいんだよ」
「恩返し?」
「ん。いや、この間ちょっとしたごたごたがあったんだけど、俺、その時ルイズにかばわれちゃってさ。男が女にかばわれるなんて、情けない話さ」
「……あたしとしては、そういう決め付けはどーかとおもうけど」
「俺はそー思うの!
 ……でさ、俺、その時に怪我してあいつに看病されたんだ。その時使った薬も安くないって話だし……そしたら、なんかかわいーなーって」
「何? 惚れたわけ??」
「なの、かな……よくわかんねーけどさ。
 少なくとも、かばってもらった恩や薬使ってもらった恩くらいは、かえしたいんだよな」
「ふーーーーーーーーん」

 にやにやするジョリーンに、才人は気付かなかった。自分の発言に照れて床を見てしまい、相手を見ていなかったのである。
 ジョリーンは、感触で知っている……今、部屋の中に居る二人が、息を殺して聞き耳を立てていることを。でもって、想像できる。そのうちの一人、ルイズ・フランソワーズがその顔を耳まで真っ赤にしているであろう光景が。

「その時に、スッゲー誤解しちゃってひっでー事言っちゃったし。少なくとも、いつになるかはわからないけど……ルイズに貸しを返すまでは、帰るに帰れないなって気はします」

 それは、平賀才人の中で形にすらなっていない、漠然とした思いの結晶だった。霞のようなイメージがジョリーンと言う話し相手に出会い吐露した事で、その思いは明確な形を成し、才人の心に刻み込まれた。
 ルイズに貸を返す。
 その芽生えた思いは、瞬時に成長して明日行われる品評会に向かって、才人の心情を明確に変化させていた。



 才人の想い、ギーシュの願望、ルイズの願い、フーケ達の野望。
 陰陽様々な数多の人間の望みがない交ぜになって――使い魔品評会の、当日がやってきた。


 魔法で作られたステージの前には生徒達が並び、傍らに設けられた明らかにステージより高い台には、騎士団の清栄たちに囲まれて、件の姫様が笑顔を振りまいている。

 その姿を見上げ、リゾットはふむと感心した。
 姫の動きが、人を挽きつけるように計算しつくされたものであることを、彼は見抜いたのだ。
 本人が意図しているかどうか、好んでいるかどうかはともかく、それをアレだけ自然に使いこなす事ができるのは、一種の才能だろう。

(第三段階は……終了している、か)

 自分にぴったり張り付くように離れない鼠の気配を感じ、リゾットはふむと顎を撫でた。彼の目的は……品評会中にフーケに向けられるオスマンの監視の目を減らす事にあった。
 ここまでオスマンを自分に引き付ければ、フーケの見張りは別人がしているだろう……だが。そいつが何者であれ、これから起きる騒ぎに見張りの手を緩ませずにすむだろうか?
 否。そんな精神力を持っているのは、オールド・オスマン只一人だ。あの恩情家とリアリストの相反する仮面を整合させてしまっている老獪以外なら、どうにでもなる。
 ただ、姫の傍らに居る女が気にはなったが……今から連絡を取るすべは無い。

(なんにせよ、俺がすることはもうないな)

 スイッチが入れられる瞬間に、旨い事この場から消えるだけでいいのだ。
 これから仲間が散々苦労するであろうというのに、自分だけが楽な事のこの上ない立ち居地に居るのに気づいて、リゾットは眉をひそめた。



(くそっ! くそっ! くそっ! 畜生っ!)

 本来なら、騎士団員は全員姫殿下の警護を担当し、その場を離れる事などありえない。
 ありえないにもかかわらず……その若い騎士は、『見回り』と称して姫殿下の直轄から外されてしまっていた。
 苛立ちを隠そうともせずに歩く若い騎士の脳裏は、己にこの任務を押し付けた小娘の事で一杯だった。

 先日、自分が手に入れようとした手柄を、校長と一緒になってつぶした憎たらしい男の娘……自分と同い年にもかかわらず、小生意気にもシュヴァリエの階級を持つ、あの小娘!

(あの女、俺の中の輝ける貴族としての血に嫉妬してこんな任務を押し付けたに決まってる!
 よりにもよって、姫殿下の目の前で恥をかかせやがって!)

 実際には実戦経験が無かったので邪魔だし襲撃があったから確実に死ぬと考えたジョリーンの温情による処置なのだが、知る由も無い。
 だからと言って、この男無能と言うわけではないのだ。事実、手がかりなど皆無の中でギーシュ達の存在を調べ上げたのだし、現在もスキ無くあたりを哨戒し、その態度には一部のすきも無い。
 ジョリーンの父親もそこは認めていて、長い目で性根を鍛えなおしていけばいいと考えていたのだが……その有能さが、この日仇になった。

「っ!」

 辺りにある小石や草に八つ当たりしなかったのは貴族としての最後の節度か。
 と……その時だった。
 視界の端で、何かが動いた。

「……ん?」

 普通の騎士ならば見逃してしまいそうな些細な変化を、甘ったれながら有能なその騎士は見逃さなかった。
 見逃せなかった。見逃したほうが、幸せだった。

「……なんだ?」

 この騎士はこの日、行方不明となり……二度と人の前に現れる事はなかった。


 ――SHIT! メローネ、気付かれました。騎士のドグサレ野郎が俺に近づいてきます!

『周りに人はいるのか?』

 ――いません、この野郎一人みたいです。

『なら話は簡単だ……解体(バラ)せ』

 ――OKメローネ。解体完了です。野郎は砂利に変えてばら撒きました!

『よしよしよし。いい子だ息子よ……打ち合わせは覚えてるなベイビィフェイス。フーケからブツは受け取ったか?』

 ――YES! こいつをステージの上でぶちまけてKAMIKAZEすればいーんですね!

『その通りだ……GPO的に言うとHAYAKAZEだ。タイミングは最後の演目、ゼロのお嬢ちゃんの時だ。間違えるなよ』

 ――OKメローネ。


「ふぅ……流石に、自分から『母親』になってくれた女の息子だけはあるな。神風命令にも素直に応じてくれるとは……こいつが居なきゃ、作戦がかなり面倒になってたからなぁ」

 水面下で……
 邪悪ではない、だが冷酷非情な計略は、ゆっくりと動き始めていた。



 さて。その使い魔品評会。
 発表の終わったメイジたちが待機するテントに……負け犬の遠吠えが響いていた。

「何故だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!?」

 頭を抱え、地面に手をつく負け犬ギーシュに、モンモランシーはふっとため息をついた。『哀れすぎてなにもいえねえ』という奴である。
 彼女の発表は……バイオリンに合わせて歌う、蛙の使い魔ロビン。好評だった。

「何故僕のヴェルダンデに姫様はあんなリアクションをされたんだぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!?」
「そりゃあ、ねえ?」

 キュルケが困った顔で目線をそらす。彼女の発表は、自分の踊りに合わせて火を噴き、踊るサラマンダーの使い魔フレイム。
 ダイナミックな動きが大好評だった。
 そもそも頬に汗を浮かべるだけでなんともコメントをしていない賢いマリコルヌ君。梟の使い魔クヴァーシルを空に飛ばせて、そこそこ受けた。

 今演目をしているタバサ嬢。
 風竜シルフィードに載って縦横無尽に空を舞う……結果を見なくてもわかる。今の時点で超絶大好評だ!

 そして……そこでモグラに慰められている負け犬野郎ギーシュの演目は。

 タイトル『薔薇と僕と美しきヴェルダンデ!』
 モグラと一緒に薔薇を敷き詰めて寝そべる……『 だ け 』!!!!
 他に何もしない。寝そべるだけだ。正真正銘それだけだ。何一つ芸はしない。
 ……受けない。受ける筈が無いのだ。会場は、今までで一番の白け振りを見せたし、姫様は頬を引きつらせて笑っていた。無理やりに笑っていた。
 それを目にしてしまった為の、負け犬の遠吠えと言うわけである……先述したギーシュの願望と言う表現を変更しよう!
 妄想のほうが正しかった!

「ごめんよぉヴェルダンデぇぇぇぇぇぇっ!
 僕が、僕が未熟なばっかりに君の美しさを皆に認めてもらえないなんて~~~~!」

 自分に抱きついて泣き喚く主を困った顔でぽんぽん慰めるヴェルダンデ……もはや、どっちが主だかわかりゃあしない。
 モグラに抱きついて泣き喚くメイジっつーのもこの上なく不気味だし、そのメイジが下手に美形なだけに、反応にも困っていた。

 そんな彼に話しかける勇気があったのは……たった一人の少女だけだった。いや、話しかけると言うより、接触を持とうとしたと言うほうが正確だろうか。

 ぽんっ。

 泣きじゃくるギーシュの肩に手を置いて、彼女……演目を終えたタバサは一言……

「 邪 魔 」

 その後――生徒達の席の中で音も無くひざを抱えて泣きじゃくる負け犬が出現したと言う。


(そろそろか)

 時間とスケジュールを見合わせて、リゾットは予定通りに行動を開始する。
 あえて誰にも声をかけず、宝物庫の方へ足を向け……後は、迷っているようなそぶりを見せ付けてオスマンをひきつけ時間を潰し、適当なところで戻るだけだった。

(彼女には気の毒だが……誘蛾灯の役目、勤めてもらおう)



 使い魔品評会。
 親友であり忠誠の対象である、姫様の前で行われる由緒正しき式典で……ルイズは、全く緊張していなかった。そう、緊張はしていなかった。ただ……

(眠い……)

 あくびをかみ殺すのに精一杯で、とてもじゃあないが緊張している余裕など無い。
 というのも……あの後ろくすっぽ眠れなかったのである。才人のあのジョリーンに対する告白が思いっきりルイズの心臓を刺激したのだ。震えるハートが燃え尽きるほどにヒートし、血液の刻むビートが彼女を決して寝かせてくれなかった。
 まぁよーするに、恥ずかしすぎてベッドでもだえていたわけだが。
 今こうやって才人と並んで歩いているだけでも、頬が赤くなってしまう始末だ。
 犬の癖に! などと怒鳴ろうと思うともう駄目だ。先日の自分の非礼を詫びる潔い姿が必要以上に美化されてしまい、全身が灼熱してしまうのである。

「やれやれだわ」

 あくびをこらえるルイズの様子をオペラグラスで眺めていたジョリーンは、そう言って肩を竦めた。隣で座っていたアンリエッタも、親友の様子にくすくす笑みを浮かべる。

 自分が姫やその従者から笑われている事など露知らず、ルイズは才人と並んでステージに立った。
 何をするのか? それすら決まっていなかったが……となりに立つ才人の目は自信に満ち溢れていた。疑うのすら野暮だ、と言う目つきである……

(何する気か知らないけど……しっかりやりなさいよ、才人)

 些細な変化だったが……昨日ならば犬と呼ぶような状況で、彼女は確かに、しっかりと彼の名前を呼んだ。

 型どおりの自己紹介のために、ルイズが一歩前に出て――その時だった。



 ――メローネ。ルイズのマントに潜りました!

『よし! 今だベイビィフェイス!』


 ルイズの肩口にあるマントから、一本の手が『生えて来た』のは。
 それは、全てが和やかに終わるはずだった品評会を阿鼻叫喚の地獄絵図へと書き換える、悪魔の手だった。


 ルイズの役目は正しく誘蛾灯……人の目をひきつけ、そこに灯るであろう『灯』に集中させるためだけの飾り。

「ッ!」
「――ルイズッ!」
「きゃっ!?」

 体育座りしていじけていたギーシュが気配に立ち上がり、才人はルイズの名を呼んだ。タバサやキュルケも杖を片手に立ち上がり、その生えて来た『手』を注視した。
 普通ならばこのような反応はしなかっただろうが……今、この場にはアンリエッタ姫殿下が居るのである。

「アンリエッタ! 下がれ!」
「! ジョリーン……!」

 壇上では、ジョリーンがアンリエッタを背後にし、手の存在を注視する。姫と並んで壇上に居たオールドオスマンは、何も言わずに杖を構え、静かに戦う決意をした。
 だが、攻撃しようにもそれが存在するのはルイズの肩……下手をすればルイズを巻き込む以上、手を出す事ができなかった。

 メイジだからこそ、『わかる』事がある。感じ取れるからこそ、『理解できる』事がある―ルイズの肩に芽生えたそれは、間違いなくこの場に居るメイジたち全員の闘争反応を刺激するだけの、異様な気配を放っていた。
 正確には……その手が握っているモノが。



 リゾット達がやろうとしていることは、至極単純な事なのだ。
 すなわち、『陽動』……それも、学院中の戦力の9割以上を長時間釘付けにするほどの、ド派手な陽動が、『宝物庫』を破るためには必要だった。
 騒ぎを大きくするにはどうすればいいのか?
 巻き込まれる人間の数を増やせばいいのだ。そういう意味で、一学年丸々が一箇所に固まるこのイベントは、最適であった。
 騒ぎを長時間持続するにはどうすればいいのか?
 簡単だ。騒ぎの原因が一寸やそっと出は取り除けないものであればいい。死人やけが人が出れば、更に都合がいい。
 それらの条件を満たせる便利なものを、リゾットたちは知っていた。その上で使い捨てに出来る素敵なアイテムを!



(始まった、か)

 宝物庫に至る道を睨みつけながら、リゾットは心の中でつぶやく。

 それは昔々の御伽噺。
 あるところに悪魔が居てありきたりの悪事とありきたりの英雄の登場にて、小さな『筒』の中に封じ込められた、真っ黒な悪魔のお話。
 その悪魔は火がとてもとても嫌いで、自分の封じられている筒に火がつくととても怒る。

 ――メローネ! 準備完了しました!

『よし! ディ・モールトよしだ息子よ! 後は着火――いや『再点火』するだけだっ!』



 怒りすぎて……その悪魔は、封印を突き破って『火をつけた者』や『火をつけるのを見ていた者』を無差別に殺しつくすのだ。その、槍のように鋭利な『舌』で突き刺して。
 故にその名を、『灯の悪魔』……
 どこにでもある御伽噺だった。誰も信じることの無い物語だった。



 だが、しかし。
 この場に居並ぶ人間の中で――リゾット達にも計算外なことに――オールド・オスマンだけが知っていたのだ。
 その悪魔の存在が伝説などではなく、実在する事を!
 彼は知っている! その悪魔が解き放たれればどのような惨劇が引き起こされるのか!
 100年前その悪魔を封じたのは、ほかならぬ彼なのだから。



 『手』が動き、覆い隠されていた掌の内容物が白日の下に晒され。
 オスマンの脳内の記憶からで『それ』が悪魔に関わる品である事が即座に引き出され……気が付けばオスマンは人目を憚らず叫んでいた。

「 そ れ に 火 を 着 け さ せ る な ぁ ー っ ! ! ! !」

 絶叫だった。学院内の誰もが始めて聞くオスマンの絶叫だったが……それはあまりに遠く、遅すぎたのである。

 オスマンは知らない。それが異世界から流れてきたものだという事も、誰の持ち物だったのかという事も、現れる悪魔の名も。
 だが、火をつけさせてはまずいという事だけを、確信していた。



 『これ』の正式名称は『ライター』。異世界の着火道具。
 『これ』のかつて持ち主は『ポルポ』。異世界のギャング。



 シ ュ ボ ォ ッ !



 煌々とあたりを照らす灯に照らされた者の影に、現れる『灯の悪魔』は。



『貴様……『再点火』シタナッ!?』



 『灯の悪魔』の名は――『ブラックサバス』。

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