「才人、さん……?」
モット伯にシエスタが待機させられていた部屋――吐き気のすることに、モット伯の寝室だった――に才人が入った時、シエスタは最初、その姿を信じられないものでも見るかのように呆然と見つめていた。一緒についてきたギーシュは、気を利かせて扉の陰に隠れていた。
その脳裏に、どれ程の絶望がよぎったのだろう。どれ程の悲しみが去来したのだろう。
それを考えると、才人はいたたまれない。
「もう大丈夫だシエスタ……モット伯とは、話をつけてきたから。
帰ろう」
「――!」
現実は物語のようにはいかない。
シエスタは才人の名前を大声で叫んだりはしなかった。ただ、無言で才人の胸の中に飛び込んできて、そのまま泣いた。
恐怖と諦めから解き放たれた喜びを涙でのみ表すかのように、泣いた。
才人はそんなシエスタの肩を、赤子をあやすようにさすっている……内心では、女の子に抱きつかれているという事実と、シエスタの着ている際どいメイド衣装。そして、胸元に感じる柔らかな双球に、着実に理性を刺激されていた。
「才人さんっ……ありがとうございます……っ」
辛うじて漏れた、再開して初めての言葉。泣きながら笑顔を作るシエスタを見て、不謹慎ながら才人は思った。
今まで見てきたどんな笑顔より、今この笑顔が彼女の笑顔の本質に近いんだろうな、と。
(できる事なら、もう少し隠れていたいが)
「おや、無事で何よりだ」
あまり長居する事はできないと思い直し、ギーシュは扉の影から、さも今やってきたかのように顔を出して、シエスタに一声かけてから、
「才人、そろそろ行こう。モット伯の治療も終わっているころだろうし」
「あ、ああ。わかった」
我に返って自分がこの貴族を嫌っていた事を思い出してしまい、才人はなんとも名状しがたい表情を浮かべた。そして、シエスタを促そうと彼女の顔を覗き込み……眉をひそめた。
シエスタの表情が……ギーシュを見たままの形で、固まっていた。
何度も何度もくどいと思うが、先に行っておこう。シエスタに非はない!
彼女にとってギーシュは自分がきっかけになってしんだリンゴォという男の存在を思い出させる恐怖と罪の象徴であり、自分が今から犯されるのだという恐怖に固まっていたシエスタにとって、その存在は強烈過ぎた。
ギーシュの存在と犯されかかったという事実。その二つが、シエスタをトチ狂わせたのだった。
そう! 彼女は硬直をとくとすぐに! 屋敷全体にとどろく声で叫んだのだ!
「いぃぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!
オーカーサーレールーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
『な、なんだってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?』
ギーシュと才人の二人も、この反応は予想できなかった! つーか、予想できたら凄い!
……何が悲しくて助けに来た相手にそんな事叫ばれなければならんのか。
そんな二人の内心の驚愕も知らず、シエスタはなおも泣き叫ぶ。
「いやいやいやいやいやぁぁぁぁぁっ!! はじめてはさいとさんがいいのこんなきんぱつはいやなのくねくねしたのはいやなのおおおおおおおおお!!!!」
「し、シエスタ落ち着いて! だ、大丈夫だから! ギーシュは何もしないから!」
「こないでぇぇぇぇぇぇぇぇ! れいぷまぁっ! おんなたらしぃっ! うわああああああああああああああんっ!!!!」
「一寸待てきみぃっ! さっきから僕の尊厳を傷つけるよーな失礼極まる事ばっかりさけんでないか!?」
「さいとさんたすけてええええええええええええええ、ふええええええええええええええええええっ」
「ちょ、ちょ! シエスタ! 抱きつかないでなんで服を脱ぐー!?」
「こんなやつにうばわれるくらいならさいとさんにささげたいんですううううううううう!!!!」
「だからっ! さっきから失礼な事を言うのはやめたまえぇぇぇぇぇっ!!!!」
えっと。
この状況を一言で表そうとするなら、ぴったりの単語があるだろう。
それすなわち『阿鼻叫喚』。状況が混沌としすぎて、収拾が付かない状態であった……が!
いつの世も、やまない雨がないように、終わらない騒ぎもない。
肝心なのは、才人がシエスタを羽交い絞めにしているという事と、その正面でギーシュが目を血走らせているという事。どう見てもアレな現場です本当にありがとうございました。
半裸のシエスタを才人が押さえ込み、ギーシュが詰問するという状況に、終止符を打つものが現れたのだ。
「―― い ぬ ?」
「―― ギ ー シ ュ ?」
その声は、大きくはなかった。むしろ、小さすぎるくらいに小さかったが……その声を聞いて、才人とギーシュの狂乱の熱は一気に冷めた。
代わりに胸襟を満たすのは……『恐怖』。
ぎぎぎぎぃっと、さびたおもちゃのような動きでそちらを見る二人……そこには……
「いやねぇ……助けに来たメイドの痴態にむらむら来て押し倒すなんて。そんな犬にはお仕置きが必要ね♪」
「うふふふ……ギーシュ。私はあなたがどんなクソヤロウであっても愛する自身があるわ。だって、欠点は去勢すればいいんですもの♪」
鬼がいた。
しかも二人。
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨と震える空気なんて序の口序の口ぃ。
なんか、鬼だろうが始祖ブリミルだろうがはだしで逃げ出しそうな神々しい笑顔だけがその顔に張り付いていた。
その笑顔を見た瞬間、才人とギーシュは相手の説得を断念した。言っても無駄だと、魂が理解した。
そうでなくてもこの状況は……不味い。申し開きなど出来る状況じゃあない。
右にルイズ。左にモンモランシー。
ルイズは杖を。モンモンは棍棒を。それぞれ構えて、二人に歩み寄ってくる……
幸いというか、シエスタはキュルケとタバサが即座に横合いから連れ出したので、被害を受ける心配はなかったが。
せめて、せめてと才人は口を開く、
「ひ……ひと思いに右で……」
それに対して、らんらんと光るルイズの瞳が応える!
――NO NO NO !!!!
「じゃあひ……左かい?」
ギーシュのつぶやきに今度はモンモンの瞳が応える。
――NO NO NO !!!!
『りょうほーですかあああ~!?』
被害者二人の声がはもり、加害者二人の意思も重なって
――YES YES YES !!!!
『もしかしてオラオラですかーッ!?』
暴虐の宴の、幕が上がった。
『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァー!』
「YES YES YES “OH MY GOD”……」
「?」
「いや、なんかそう言わなきゃならない気がして」
上の階から聞こえてくる衝撃音と爆発音、そして悲鳴のオーケストラを聴きながら、キュルケはつぶやいてから一人ごちた。
「メイドの様子とダーリン達のケガの具合考えたら、誤解だってわかりそうなものなのにねえ……恋って難しいわね、タバサ」
普段なら聞き流す親友の問いかけに、今回ばかりはコクリと頷き返したのだった。
もっとも、ルイズのそれが恋なのかどうかは、二人にも全くわからなかったのだが。
「才人……」
「何だギーシュ……?」
二つの月が発する、二重の月明かりの下。
学院の宿舎の軒先から連れ去れた、二つの『簀巻き』は声を掛け合っていた。何故か、親しげに名前を呼びあって。
「僕は、今なら君の事を親友と呼べるような気がするよ……」
「奇遇だな……俺も、リンゴォの事は抜きにして、お前に誇りのようなものを感じたよ……」
しばし。
二つの簀巻きは、無言で月を見上げて……
『親友(とも)よ……!』
圧倒的な暴虐を生き抜き、学院に帰ってきた事で連帯感のようなものが、芽生えたらしい。体が自由だったなら、涙を流して暑苦しい劇画調で抱き合った事だろう。
――後の歴史書『ガンダールヴ列伝』において、『未来の元帥と英雄は、月明かりの下お互いの傷を慮りながら義兄弟の契りを交わした』などとご大層に描かれているが。
伝説の真相など、大概こんなもんである。
ギーシュ・ド・グラモン:簀巻きから回収された後、医務室に直行。
モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ:誤解だったことからギーシュを献身的に介護し、謝ったらしい。
平賀才人:ギーシュと同じく医務室直行した。己の看護をするルイズのツンデレ振りを可愛いと思い、若干の関係改善が見られたらしいが、以前ギスギスしたまま。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール:才人の看護をツンデレで行った結果、謝ろうとするたびにツンが発動してしまい、完全な関係の修復には至らず。
シエスタ:一日眠って正気を取り戻したが、前日の半狂乱ぶりは何一つ覚えていなかった。一応、ギーシュから謝罪を受けた。
キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー:ルイズ主従の関係修復に協力するために、才人のお見舞いに行かなかったのに、あまり改善していない様を見て脱力。以降、積極的にアプローチ。
タバサ:いつもどおり本を読んでいた。
マルトー料理長:才人からギーシュがシエスタ救出に協力したと聞き、貴族嫌いが少し直ったらしい。
そして、ジュール・ド・モットは……
(くそっ! あの忌々しい餓鬼共が!)
ずきずきと痛む体をベッドに横たえながら、モット伯は歯噛みをしたかった。が、したくても出来なかった……ワルキューレに砕かれた顎が、完全に治りきっていなかったのである。歯噛みすら出来ない苛立ちを、モット伯は胸に溜める事しか出来なかった。
本来ならけが人の彼の面倒を見るメイドの一人もいてもよさそうなものだが……みっともない姿を見られる事を恐れた伯爵の命令によって、室内には彼一人しかいなかった。
彼が寝ている場所は、彼の寝室ではなく……本来なら来客用に使う別の部屋だった。寝室のほうは、あの忌々しい餓鬼共にぶち壊されたのである……!
しかも、その餓鬼共が自分に対して本当に最低限の治癒しかしなかったために、少なくとも今日一日はこの激痛を伴侶として夜を過ごさなければならない。
普通ならば、このような乱行王室に報告すれば綺麗に解決するのだが……!
出来ない。出来るはずがない!
報告をするには詳細な前後の事情を話す必要があり、たとえ自分が嘘八百で誤魔化したとしても、やつらのほうからきっと真相が漏れる!
平民に決闘で負け、禁じられているはずの貴族との決闘を行い敗北した。しかも、相手はドットメイジだ。
こんな恥を明るみに出したらどうなる事か……!
(そんな事になったら……私の家は取り潰しだぁっ!!)
ならばどうするか? 応えは……泣き寝入りしかない!
(くそぉっ! 何で私がこんな目に合わなければならないんだ!)
モット伯は気付かない。
そもそもの原因が、自分が同じように一人の少女を理不尽でねじ伏せようとした事にあるという事を。自分がメイド達に行ってきたのと、全く同じ所業だという事に。
そんな事だから、更に気付けないのだ。
自分を恨むものが、決して少なくないという事実を。
動きもとれず、苛立ちを募らせるしかないモット伯は、どうにかして暇がつぶせなモノかと思案した。出来れば、この苛立ちを晴らせるような暇つぶしはないものか。
そこまで考えたところで、
「やれやれ……下種野郎ってのは、包帯越しでもその表情がわかっちまうもんだな」
い る は ず の な い 第 三 者 の 声 を 聞 い た !
「――!?」
慌てて声のしたほうを振り返ろうともがくが、動けない。何せ、全身をガチガチに固定しているのである……動かせるはずがないのだ。更に動こうとしたショックで全身に痛みが走り、痛みにもだえたところで更に……という悪循環が巻きこる。
「……てめーは、その汚ねえ包帯の下で何を言ってやがるんだ?
『何者だ』って俺のことを聞いてんのか?
『誰かいないか』って助けでも呼んでんのか?
まあ、死に行く下種野郎に対する最後の花だ。両方に応えてやるぜ」
こつこつと。絨毯の上を足音が移動してくる……モット伯の見れない部屋の隅から、モット伯の正面に向かって。
「まず、俺が何者か……俺はな、殺し屋だよ。てめーを殺すために雇われたな」
「――!」
モット伯のミイラ男のような体が、傷みではなく恐怖に震える。
「誰かいないかって質問は、ノーだぜ……この部屋の周りにはいつも通りメイドが詰めてる。ただ悲鳴が響いたとしても誰もここにはこねーよ」
「っ! っ!」
じたばたもがくベッドの上のミイラ男に、『暗殺者』はなおも言葉を続けた。
「誰の依頼だってとこか? 今度のお言葉は。
さっきの質問とも無関係じゃねえし、応えてやるぜ。
俺達の依頼人は……この館のメイド『 全 員 』だ」
「!?!?!?!?!?!?!」
「何をびびってやがる? テメー、まさか自分がメイドたちから慕われてるなんて思ってたんじゃねーだろーな。あの子達は大半が、テメーが無理やり掻っ攫ってきた娘達じゃねーか。
それとも、何か」
瞬間……ただでさえ凄味のあった男の声が、更なる威圧感を持ってモット伯に襲い掛かった。
「てめー、恨まれる『覚悟』もなしにこんな真似をしてたっつーんならよぉ~……許せねえよなぁぁぁ」
男は、覚悟もなく言葉を振りかざす人間が嫌いだった。
かつての自分を思い出させるから。
ゆらりと。
ようやく、声の主がモット伯の視界に入り込んできた。
それは、奇抜な格好をした男だったが……何よりも目に付いたのは、格好よりも……
「『寸刻みでなぶり殺しに』『私達の苦しみに報いを』『惨めな死を』『豚のような悲鳴を上げさせて』ってぇのが依頼人一同のリクエストだ」
その男が手にした、見たこともない形の『釣竿らしき何か』だった。
それが、モット伯が生涯で見た最後の映像だった。
「寸刻みにして豚みてぇな悲鳴を上げさせてやるぜ――
ビ ー チ ボ ー イ ッ !」
叫びと共に飛来した『釣り針』に両の目を抉り取られ。
モット伯は……豚のような悲鳴を上げてのた打ち回った。
悲鳴が、二回に片隅にある主の部屋から、屋敷全体に響き渡る。
だがしかし、本来ならば真っ先に主の心配をするべきメイド達の胸に去来したのは、安堵だった。
一度、奉公したら最後、故郷においても傷物扱いを受ける(事実、そうなのだが)この屋敷の主の悲鳴に、彼女達は哀れみを一分子も持ち合わせていない。
彼女達は全員が全員、何かを失っていた。故郷、恋人、家族……全てはこの屋敷の主によって。
故に彼女達は主の悲鳴に不の感情を抱かない。
只、この地獄のような生活が終わるという安堵と……憎むべき相手が死んだという爽快感だけが、一同の胸を満たしていた。
「……よぉ、ペッシ。上手くやった見てぇじゃねえか」
「あ、兄貴ぃー! 見てくださいよコレ! きっちりぶっ殺してる最中でさあ! 約束どおりなぶり殺しです!」
「…………」
ばきぃっ!!
「い、いて! あ、あにきぃ! なにすんですか!?」
「やかましぃーっ! 何度言わせりゃわかるんだ! ぶっ殺すなんて台詞は使うんじゃねぇー! 大体一人の時はしっかりしてんのに、何でテメーは俺と一緒だとマンモーニに戻っちまうんだ!? ええ!?」
「しょぉーがねぇなぁぁぁぁぁぁペッシは……そう怒るなプロシュートよぉ。つまりこいつは、それだけオメーを頼りにしてるっ事だろーが。
一人の時は一人前なんだから、そうかっかすんな!」
「甘やかすなホルマジオ。俺からすりゃあこいつはまだまだマンモーニだ」
「あ、兄貴ぃ……ひでぇ」
「あたりめーだろーが! てめー、向こうで最後の最後に下種野郎に成り下がったのを忘れたんじゃねーだろーな!」
「やれやれ……しょうがねーなーぁー二人ともよぉ。それよりペッシ、仕事は速く済ませたほうが良くねーか? このままだと、ほっといただけで死んじまうぜ? 標的」
「あ! い、いけねっ!」
「ほんっとにしょぉぉぉぉぉがねぇぇぇぇなぁぁぁぁぁぁぁぁ……プロシュート、そっちの首尾はどうだった?」
「誰に向かっていってやがる。今頃、メイド以外の男連中は全員死んで……いや、行方不明だ。後には、身元不明の爺の死体の山が残るだけだ」
「自分達の悲劇をだまって見過ごしてた野郎共にも、死の制裁を……女ってーのは怖いねー」
「時々混ざってたらしいからな。あたりめーだろ。そーいうてめーはどうなんだ? こっちに来たって事は失敗したのか?」
「おいおいおいおい。何言ってんだよ。どんな力も用は使いよう……ばっちり盗んできたぜぇぇぇぇ……言われた通りのもんをよぉ」
「そうみてーだな。
やれやれ。まさか、こいつもこっちに来てたとはな。
それで? リゾットはそれを、何処に持って行けって?」
「ん? おお……確か……」
「トリスティン魔法学園とか言ってたな」
ジュール・ド・モット:バラバラの無残な死体になったのがメイドによって発見され――再起不能(リタイア)
モット伯にシエスタが待機させられていた部屋――吐き気のすることに、モット伯の寝室だった――に才人が入った時、シエスタは最初、その姿を信じられないものでも見るかのように呆然と見つめていた。一緒についてきたギーシュは、気を利かせて扉の陰に隠れていた。
その脳裏に、どれ程の絶望がよぎったのだろう。どれ程の悲しみが去来したのだろう。
それを考えると、才人はいたたまれない。
「もう大丈夫だシエスタ……モット伯とは、話をつけてきたから。
帰ろう」
「――!」
現実は物語のようにはいかない。
シエスタは才人の名前を大声で叫んだりはしなかった。ただ、無言で才人の胸の中に飛び込んできて、そのまま泣いた。
恐怖と諦めから解き放たれた喜びを涙でのみ表すかのように、泣いた。
才人はそんなシエスタの肩を、赤子をあやすようにさすっている……内心では、女の子に抱きつかれているという事実と、シエスタの着ている際どいメイド衣装。そして、胸元に感じる柔らかな双球に、着実に理性を刺激されていた。
「才人さんっ……ありがとうございます……っ」
辛うじて漏れた、再開して初めての言葉。泣きながら笑顔を作るシエスタを見て、不謹慎ながら才人は思った。
今まで見てきたどんな笑顔より、今この笑顔が彼女の笑顔の本質に近いんだろうな、と。
(できる事なら、もう少し隠れていたいが)
「おや、無事で何よりだ」
あまり長居する事はできないと思い直し、ギーシュは扉の影から、さも今やってきたかのように顔を出して、シエスタに一声かけてから、
「才人、そろそろ行こう。モット伯の治療も終わっているころだろうし」
「あ、ああ。わかった」
我に返って自分がこの貴族を嫌っていた事を思い出してしまい、才人はなんとも名状しがたい表情を浮かべた。そして、シエスタを促そうと彼女の顔を覗き込み……眉をひそめた。
シエスタの表情が……ギーシュを見たままの形で、固まっていた。
何度も何度もくどいと思うが、先に行っておこう。シエスタに非はない!
彼女にとってギーシュは自分がきっかけになってしんだリンゴォという男の存在を思い出させる恐怖と罪の象徴であり、自分が今から犯されるのだという恐怖に固まっていたシエスタにとって、その存在は強烈過ぎた。
ギーシュの存在と犯されかかったという事実。その二つが、シエスタをトチ狂わせたのだった。
そう! 彼女は硬直をとくとすぐに! 屋敷全体にとどろく声で叫んだのだ!
「いぃぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!
オーカーサーレールーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
『な、なんだってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?』
ギーシュと才人の二人も、この反応は予想できなかった! つーか、予想できたら凄い!
……何が悲しくて助けに来た相手にそんな事叫ばれなければならんのか。
そんな二人の内心の驚愕も知らず、シエスタはなおも泣き叫ぶ。
「いやいやいやいやいやぁぁぁぁぁっ!! はじめてはさいとさんがいいのこんなきんぱつはいやなのくねくねしたのはいやなのおおおおおおおおお!!!!」
「し、シエスタ落ち着いて! だ、大丈夫だから! ギーシュは何もしないから!」
「こないでぇぇぇぇぇぇぇぇ! れいぷまぁっ! おんなたらしぃっ! うわああああああああああああああんっ!!!!」
「一寸待てきみぃっ! さっきから僕の尊厳を傷つけるよーな失礼極まる事ばっかりさけんでないか!?」
「さいとさんたすけてええええええええええええええ、ふええええええええええええええええええっ」
「ちょ、ちょ! シエスタ! 抱きつかないでなんで服を脱ぐー!?」
「こんなやつにうばわれるくらいならさいとさんにささげたいんですううううううううう!!!!」
「だからっ! さっきから失礼な事を言うのはやめたまえぇぇぇぇぇっ!!!!」
えっと。
この状況を一言で表そうとするなら、ぴったりの単語があるだろう。
それすなわち『阿鼻叫喚』。状況が混沌としすぎて、収拾が付かない状態であった……が!
いつの世も、やまない雨がないように、終わらない騒ぎもない。
肝心なのは、才人がシエスタを羽交い絞めにしているという事と、その正面でギーシュが目を血走らせているという事。どう見てもアレな現場です本当にありがとうございました。
半裸のシエスタを才人が押さえ込み、ギーシュが詰問するという状況に、終止符を打つものが現れたのだ。
「―― い ぬ ?」
「―― ギ ー シ ュ ?」
その声は、大きくはなかった。むしろ、小さすぎるくらいに小さかったが……その声を聞いて、才人とギーシュの狂乱の熱は一気に冷めた。
代わりに胸襟を満たすのは……『恐怖』。
ぎぎぎぎぃっと、さびたおもちゃのような動きでそちらを見る二人……そこには……
「いやねぇ……助けに来たメイドの痴態にむらむら来て押し倒すなんて。そんな犬にはお仕置きが必要ね♪」
「うふふふ……ギーシュ。私はあなたがどんなクソヤロウであっても愛する自身があるわ。だって、欠点は去勢すればいいんですもの♪」
鬼がいた。
しかも二人。
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨と震える空気なんて序の口序の口ぃ。
なんか、鬼だろうが始祖ブリミルだろうがはだしで逃げ出しそうな神々しい笑顔だけがその顔に張り付いていた。
その笑顔を見た瞬間、才人とギーシュは相手の説得を断念した。言っても無駄だと、魂が理解した。
そうでなくてもこの状況は……不味い。申し開きなど出来る状況じゃあない。
右にルイズ。左にモンモランシー。
ルイズは杖を。モンモンは棍棒を。それぞれ構えて、二人に歩み寄ってくる……
幸いというか、シエスタはキュルケとタバサが即座に横合いから連れ出したので、被害を受ける心配はなかったが。
せめて、せめてと才人は口を開く、
「ひ……ひと思いに右で……」
それに対して、らんらんと光るルイズの瞳が応える!
――NO NO NO !!!!
「じゃあひ……左かい?」
ギーシュのつぶやきに今度はモンモンの瞳が応える。
――NO NO NO !!!!
『りょうほーですかあああ~!?』
被害者二人の声がはもり、加害者二人の意思も重なって
――YES YES YES !!!!
『もしかしてオラオラですかーッ!?』
暴虐の宴の、幕が上がった。
『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァー!』
「YES YES YES “OH MY GOD”……」
「?」
「いや、なんかそう言わなきゃならない気がして」
上の階から聞こえてくる衝撃音と爆発音、そして悲鳴のオーケストラを聴きながら、キュルケはつぶやいてから一人ごちた。
「メイドの様子とダーリン達のケガの具合考えたら、誤解だってわかりそうなものなのにねえ……恋って難しいわね、タバサ」
普段なら聞き流す親友の問いかけに、今回ばかりはコクリと頷き返したのだった。
もっとも、ルイズのそれが恋なのかどうかは、二人にも全くわからなかったのだが。
「才人……」
「何だギーシュ……?」
二つの月が発する、二重の月明かりの下。
学院の宿舎の軒先から連れ去れた、二つの『簀巻き』は声を掛け合っていた。何故か、親しげに名前を呼びあって。
「僕は、今なら君の事を親友と呼べるような気がするよ……」
「奇遇だな……俺も、リンゴォの事は抜きにして、お前に誇りのようなものを感じたよ……」
しばし。
二つの簀巻きは、無言で月を見上げて……
『親友(とも)よ……!』
圧倒的な暴虐を生き抜き、学院に帰ってきた事で連帯感のようなものが、芽生えたらしい。体が自由だったなら、涙を流して暑苦しい劇画調で抱き合った事だろう。
――後の歴史書『ガンダールヴ列伝』において、『未来の元帥と英雄は、月明かりの下お互いの傷を慮りながら義兄弟の契りを交わした』などとご大層に描かれているが。
伝説の真相など、大概こんなもんである。
ギーシュ・ド・グラモン:簀巻きから回収された後、医務室に直行。
モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ:誤解だったことからギーシュを献身的に介護し、謝ったらしい。
平賀才人:ギーシュと同じく医務室直行した。己の看護をするルイズのツンデレ振りを可愛いと思い、若干の関係改善が見られたらしいが、以前ギスギスしたまま。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール:才人の看護をツンデレで行った結果、謝ろうとするたびにツンが発動してしまい、完全な関係の修復には至らず。
シエスタ:一日眠って正気を取り戻したが、前日の半狂乱ぶりは何一つ覚えていなかった。一応、ギーシュから謝罪を受けた。
キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー:ルイズ主従の関係修復に協力するために、才人のお見舞いに行かなかったのに、あまり改善していない様を見て脱力。以降、積極的にアプローチ。
タバサ:いつもどおり本を読んでいた。
マルトー料理長:才人からギーシュがシエスタ救出に協力したと聞き、貴族嫌いが少し直ったらしい。
そして、ジュール・ド・モットは……
(くそっ! あの忌々しい餓鬼共が!)
ずきずきと痛む体をベッドに横たえながら、モット伯は歯噛みをしたかった。が、したくても出来なかった……ワルキューレに砕かれた顎が、完全に治りきっていなかったのである。歯噛みすら出来ない苛立ちを、モット伯は胸に溜める事しか出来なかった。
本来ならけが人の彼の面倒を見るメイドの一人もいてもよさそうなものだが……みっともない姿を見られる事を恐れた伯爵の命令によって、室内には彼一人しかいなかった。
彼が寝ている場所は、彼の寝室ではなく……本来なら来客用に使う別の部屋だった。寝室のほうは、あの忌々しい餓鬼共にぶち壊されたのである……!
しかも、その餓鬼共が自分に対して本当に最低限の治癒しかしなかったために、少なくとも今日一日はこの激痛を伴侶として夜を過ごさなければならない。
普通ならば、このような乱行王室に報告すれば綺麗に解決するのだが……!
出来ない。出来るはずがない!
報告をするには詳細な前後の事情を話す必要があり、たとえ自分が嘘八百で誤魔化したとしても、やつらのほうからきっと真相が漏れる!
平民に決闘で負け、禁じられているはずの貴族との決闘を行い敗北した。しかも、相手はドットメイジだ。
こんな恥を明るみに出したらどうなる事か……!
(そんな事になったら……私の家は取り潰しだぁっ!!)
ならばどうするか? 応えは……泣き寝入りしかない!
(くそぉっ! 何で私がこんな目に合わなければならないんだ!)
モット伯は気付かない。
そもそもの原因が、自分が同じように一人の少女を理不尽でねじ伏せようとした事にあるという事を。自分がメイド達に行ってきたのと、全く同じ所業だという事に。
そんな事だから、更に気付けないのだ。
自分を恨むものが、決して少なくないという事実を。
動きもとれず、苛立ちを募らせるしかないモット伯は、どうにかして暇がつぶせなモノかと思案した。出来れば、この苛立ちを晴らせるような暇つぶしはないものか。
そこまで考えたところで、
「やれやれ……下種野郎ってのは、包帯越しでもその表情がわかっちまうもんだな」
い る は ず の な い 第 三 者 の 声 を 聞 い た !
「――!?」
慌てて声のしたほうを振り返ろうともがくが、動けない。何せ、全身をガチガチに固定しているのである……動かせるはずがないのだ。更に動こうとしたショックで全身に痛みが走り、痛みにもだえたところで更に……という悪循環が巻きこる。
「……てめーは、その汚ねえ包帯の下で何を言ってやがるんだ?
『何者だ』って俺のことを聞いてんのか?
『誰かいないか』って助けでも呼んでんのか?
まあ、死に行く下種野郎に対する最後の花だ。両方に応えてやるぜ」
こつこつと。絨毯の上を足音が移動してくる……モット伯の見れない部屋の隅から、モット伯の正面に向かって。
「まず、俺が何者か……俺はな、殺し屋だよ。てめーを殺すために雇われたな」
「――!」
モット伯のミイラ男のような体が、傷みではなく恐怖に震える。
「誰かいないかって質問は、ノーだぜ……この部屋の周りにはいつも通りメイドが詰めてる。ただ悲鳴が響いたとしても誰もここにはこねーよ」
「っ! っ!」
じたばたもがくベッドの上のミイラ男に、『暗殺者』はなおも言葉を続けた。
「誰の依頼だってとこか? 今度のお言葉は。
さっきの質問とも無関係じゃねえし、応えてやるぜ。
俺達の依頼人は……この館のメイド『 全 員 』だ」
「!?!?!?!?!?!?!」
「何をびびってやがる? テメー、まさか自分がメイドたちから慕われてるなんて思ってたんじゃねーだろーな。あの子達は大半が、テメーが無理やり掻っ攫ってきた娘達じゃねーか。
それとも、何か」
瞬間……ただでさえ凄味のあった男の声が、更なる威圧感を持ってモット伯に襲い掛かった。
「てめー、恨まれる『覚悟』もなしにこんな真似をしてたっつーんならよぉ~……許せねえよなぁぁぁ」
男は、覚悟もなく言葉を振りかざす人間が嫌いだった。
かつての自分を思い出させるから。
ゆらりと。
ようやく、声の主がモット伯の視界に入り込んできた。
それは、奇抜な格好をした男だったが……何よりも目に付いたのは、格好よりも……
「『寸刻みでなぶり殺しに』『私達の苦しみに報いを』『惨めな死を』『豚のような悲鳴を上げさせて』ってぇのが依頼人一同のリクエストだ」
その男が手にした、見たこともない形の『釣竿らしき何か』だった。
それが、モット伯が生涯で見た最後の映像だった。
「寸刻みにして豚みてぇな悲鳴を上げさせてやるぜ――
ビ ー チ ボ ー イ ッ !」
叫びと共に飛来した『釣り針』に両の目を抉り取られ。
モット伯は……豚のような悲鳴を上げてのた打ち回った。
悲鳴が、二回に片隅にある主の部屋から、屋敷全体に響き渡る。
だがしかし、本来ならば真っ先に主の心配をするべきメイド達の胸に去来したのは、安堵だった。
一度、奉公したら最後、故郷においても傷物扱いを受ける(事実、そうなのだが)この屋敷の主の悲鳴に、彼女達は哀れみを一分子も持ち合わせていない。
彼女達は全員が全員、何かを失っていた。故郷、恋人、家族……全てはこの屋敷の主によって。
故に彼女達は主の悲鳴に不の感情を抱かない。
只、この地獄のような生活が終わるという安堵と……憎むべき相手が死んだという爽快感だけが、一同の胸を満たしていた。
「……よぉ、ペッシ。上手くやった見てぇじゃねえか」
「あ、兄貴ぃー! 見てくださいよコレ! きっちりぶっ殺してる最中でさあ! 約束どおりなぶり殺しです!」
「…………」
ばきぃっ!!
「い、いて! あ、あにきぃ! なにすんですか!?」
「やかましぃーっ! 何度言わせりゃわかるんだ! ぶっ殺すなんて台詞は使うんじゃねぇー! 大体一人の時はしっかりしてんのに、何でテメーは俺と一緒だとマンモーニに戻っちまうんだ!? ええ!?」
「しょぉーがねぇなぁぁぁぁぁぁペッシは……そう怒るなプロシュートよぉ。つまりこいつは、それだけオメーを頼りにしてるっ事だろーが。
一人の時は一人前なんだから、そうかっかすんな!」
「甘やかすなホルマジオ。俺からすりゃあこいつはまだまだマンモーニだ」
「あ、兄貴ぃ……ひでぇ」
「あたりめーだろーが! てめー、向こうで最後の最後に下種野郎に成り下がったのを忘れたんじゃねーだろーな!」
「やれやれ……しょうがねーなーぁー二人ともよぉ。それよりペッシ、仕事は速く済ませたほうが良くねーか? このままだと、ほっといただけで死んじまうぜ? 標的」
「あ! い、いけねっ!」
「ほんっとにしょぉぉぉぉぉがねぇぇぇぇなぁぁぁぁぁぁぁぁ……プロシュート、そっちの首尾はどうだった?」
「誰に向かっていってやがる。今頃、メイド以外の男連中は全員死んで……いや、行方不明だ。後には、身元不明の爺の死体の山が残るだけだ」
「自分達の悲劇をだまって見過ごしてた野郎共にも、死の制裁を……女ってーのは怖いねー」
「時々混ざってたらしいからな。あたりめーだろ。そーいうてめーはどうなんだ? こっちに来たって事は失敗したのか?」
「おいおいおいおい。何言ってんだよ。どんな力も用は使いよう……ばっちり盗んできたぜぇぇぇぇ……言われた通りのもんをよぉ」
「そうみてーだな。
やれやれ。まさか、こいつもこっちに来てたとはな。
それで? リゾットはそれを、何処に持って行けって?」
「ん? おお……確か……」
「トリスティン魔法学園とか言ってたな」
ジュール・ド・モット:バラバラの無残な死体になったのがメイドによって発見され――再起不能(リタイア)