ギーシュの奇妙な決闘 第四話 『決闘と血統』
ハルキゲニアの夜空に輝く二つの月。
二重の月明かりに照らされて、ギーシュはモンモランシーを伴って広場を散策していた。
医務室からの帰り道に、付き添いをしてくれるというモンモランシーの申し出に、ちょっとした下心を出した結果の、散歩であった。
月夜の散歩で格好良くエスコート! のはずだったのだが、扉でホームランされた後遺症が残っているらしく、あっちへふらふらこっちへふらふらとなんともしまらない有様だった。
「……ちょっと、ギーシュ大丈夫? 散歩なんかしないで、すぐに部屋に帰ったら……明日はモット伯に会いに行くんでしょう?」
「だ、大丈夫さ、このくらい……君が僕に笑いかけてくれれば、僕は何度でも立ち上がれるからね」
己の身をいたわってくれるモンモランシーの言葉に感激しつつ、ギーシュはバラの造花をキザったらしく構えささやきかけた。
実際、ギーシュからすればたいしたことはなかった。リンゴォの時に負った傷の痛みに比べれば、この程度はへのかっぱ。昔ならベッドから動けないくらいの痛みがギーシュを襲っていたが、なぜか気にせずに動き回る事ができた。
(一体、何がどうしたって言うんだろうな。僕は)
公正なる果し合いは精神を成長させる。
ギーシュが傷の痛みに耐えられるようになったのは、リンゴォとの決闘を経た成長の賜物なのだが、彼は気付かなかった。
先にネタバレしてしまうと、ギーシュは心の奥底ではリンゴォの生き様に憧れ、そこに至りたいという強い願望があるのだが……あくまでも潜在的なもの。表面上ではグラモンの名を侮辱したリンゴォという平民を、嫌いぬいていたりする。
「ギーシュ……」
君が云々の甘い囁きがハートを直撃したらしく、モンモランシーが、頬を赤らめて彼を見上げる。コレもギーシュが知る由もなかった事だが、リンゴォとの死闘を戦い抜いたギーシュの姿に、モンモランシーの好感度は大幅にアップしていたりする。
頬を染め、瞳を潤ませるモンモランシーの顎に手を添えて、二人は唇を――
ひひーーーんっ!
「お、おわっ! こ、こいつ……いう事を聞、ぎゃー!?」
どがしゃっっ!
馬のいななきと、悲鳴と、落下音。
無粋な音の三重奏が二人のいい雰囲気をキラークイーンで木っ端微塵にした。
時を、少し遡る。
シエスタがジュール・ド・モットという貴族のところに『買われた』。
そうマルトーから告げられた時、才人はその言葉の意味を判断しかねた……否、彼の頭脳がその言葉の正しい意味を認識する事を拒否してしまったために、事態の理解に時間がかかってしまった。
買う? 人間を??
そんな馬鹿な。
いつの時代の話だよ?
才人はトリステインと比べると平穏といっていい地球世界においてすら、『平和ボケした』と言われる日本の出身である。人身売買など実在しないものと思っていたし、実在したとしても遠い場所の出来事だと思っていた。
遠い場所……そう、ここは地球の東京ではなかった。あらゆる意味で遠く離れたハルキゲニアのトリスティン王国なのだ。しかも、この国では『メイジ』という権力実力共に並外れた存在が、平民の上に君臨している格差社会なのだ。
平和ボケに浸りきり、必死で現状を拒絶しようとしていた才人はその事に気づいてしまった。
メイジとは……あの、シエスタの細い手にナイフを突き立てて、笑っていられるような外道共の事だ。平民を人間と認識していない屑共の事だ。
平民を金で買うくらい、平気でするだろう……! するに決まっている!
「オールド・オスマンに訴えようにも、相手は貴族のトライアングルメイジ。しかも伯爵位で王宮の勅使ときてる。無碍に断ったりしたら、オールド・オスマンに迷惑がかかるって言って、シエスタは自分から奴のところに行ったのさ」
ギリリという歯軋りが聞こえなかったのは、マルトーが会話の真っ最中だったからに過ぎない。厨房で働く者達の手前悠然と構えてはいるが、彼の内心の悔しさは荒れ狂った嵐の如きものだった。
オールド・オスマンは貴族と平民わけ隔てなく接する学院の大物であり、学院に存在する全ての人間に尊敬されている人物だ。かく言うマルトーも、食いっぱぐれていたところを見出され雇ってもらった恩があり、それを返したいと思っていた。
その点シエスタは、ごくごく普通にメイドの採用試験に合格したのであり、オールド・オスマンに対しての恩義などこれぽっちもなかったのだが……彼女は知っていた。マルトーがオスマンに恩を返したいと思っている事を。
が、『 問 題 は そ こ で は な い ! 』
もしも、シエスタがオスマンに泣きついてこの話をなかった事にしたらどうなるか?
簡単だ。ジュール・ド・モットという男は何のためらいもなく権力を使い、オスマンの立場や学院の状況を悪化させるだろう。
そんな事になれば、学院にはシエスタの居場所がなくなってしまう! 最終的にシエスタはモット伯の元へ赴かねばならないのだ!
(あの野郎は……シエスタに選択肢すら与えなかった!)
この事実は、モット伯がシエスタを人間扱いしていないという事実を象徴していた。音に聞く奴の噂と合わせれば、メイドとして奉公する過程でどのような運命が待っているかは、自明の理だった。
才人に教えるわけには行かない。教えてしまえば、才人はわき目もふらずにシエスタを助けに往き、彼女の気遣いは全て無駄に終わってしまう。
それに。
「……なあ、『我等の剣』よ」
今この時点でさえ、目を血走らせて怒っているこの『いい奴』を、これ以上刺激する事もない。してはいけない。
「まさか、シエスタを力ずくで取り戻そうとか思ってんじゃないだろうな?」
「オレだって、そこまで馬鹿じゃない」
そんな事をすればかえってシエスタや回りの人間の迷惑になる事ぐらい、才人にも理解できる事だ。気に入ろうが気に入るまいが、貴族が平民の上に立っている事は純然たる事実だ。
悪辣な支配者の屋敷から少女を連れ戻す。絵面としてはこの上なく陳腐で美しいが、実行してしまえばあたりに与える被害が半端ではないものとなってしまう。
「ただ、何とかシエスタを開放してもらえないか、交渉してみようとは思ってますけど」
「……なんとまあ」
それでも。現実の無常を理解してもなおシエスタ救出を諦めない才人の在り方に、マルトーは脱帽した。子供じみて見えるかもしれないが『諦めない勇気』は人間がその尊厳を守るうえで重要な要素のひとつなのだ。
えてしてプライドに固執するという醜悪な行動につながる事もあるが、才人のそれに陰湿的なものは一切ない。
ないだけに、止めても聞きはしないだろうと予想が出来てしまう。
「無理するなよ。『我等の剣』」
だから、マルトーは励ますだけにとどめたのだ。
ふっと笑って才人の肩を叩きながら、この少年にはあの男のようにはなって欲しくないと想い、天にそれを願う。
シエスタから明るい笑顔を奪ったあの一件は、マルトーの貴族嫌いをより深刻な領域へと進ませていたのだ。彼からすれば、リンゴォの決闘を止めなかった時点で、ルイズがリンゴォを見殺しにしたとしか感じる事ができなかった。
――彼がその男の名前を出した事を、誰が攻められるだろうか。彼は只、忠告しただけなのだ。
「くれぐれも気をつけろよ。リンゴォみてーになったら、許さねえからな!」
「――リンゴォ? 誰のことです?」
いきなりマルトーの口から吐き出された固有名詞に、才人は目を丸くして。
「誰って……聞いてないのか!? あのお嬢ちゃんから!」
そう叫んでから、リンゴォという男の事に関して、感情的な言葉を放ったマルトーを、誰が攻められるだろう。
「リンゴォ、ってのは、あのお嬢ちゃんが見殺しにした使い魔だよ!」
シエスタ救出に際して、才人の心の中には無意識の、ほんの僅かな『甘え』があった。
いざとなったら、ルイズやキュルケに事情を話して協力してもらおうという、甘えだ。
だが……才人は、マルトーが口にする偏見だらけの事の経緯を聞かされて……脳裏に思い描いた『協力者』の欄から、ルイズの名前を消した。
そして、時は動き出す。
「痛って~!」
馬から振り落とされた才人は、強かに打ちつけた背中の痛みに悶絶しながら、涙目で自分を振り落とした馬の姿を探した。
今、人を振り落としたとは到底思えない堂々とした姿でたたずんでいるのを発見し、憎たらしさが炸裂するが、八つ当たりであることに気付き、ため息でとどめる。
確かに乗馬の経験など絶無に等しい自分だったが……見よう見まねすら出来ないとは思わず、自分で自分が情けなくなった。
ともかく、馬が無理なら別の移動方法しかない。
(こうなったら、徒歩で行くしか……! いや、時間がかかりすぎる)
今にもシエスタが犠牲になろうとしているのに、一時間なんて悠長なタイムロスを見過ごしたら、それこそ取り返しの付かない事になりかねない。才人は、一刻でも早く貴族のろくでもない館からシエスタを助け出したかった。
背中にした剣の重みを確かめながら、才人は口の中でつぶやく。
(俺にできるのか……いや、やるしかない!)
背中にしたこの剣でシエスタを救い出す。
昼間、マルトーを前にして全力で否定した方法を、才人は今からとろうとしているのだ。
朝方にマルトーと会話してから今に至るまで、才人の心境にどのような変化が現れたのか?
凄惨な決意で雰囲気を荒ませながら、才人は再び馬に飛び乗って、
「ちょ、一寸待ちたまえぇぇぇぇぇっ!! それは! 僕の馬だぁっ!!!!」
続けて飛び乗ろうと馬具にしがみついてきた貴族の少年に気付かず、馬を発進させた。
全ての原因は、マルトーが才人に聞かせた私見たっぷりの『リンゴォ・ロードアゲイン』のエピソードにあった。
リンゴォという使い魔が、貴族に喧嘩を吹っかけられたのを主人のルイズは止めようともせず(否、止めたのだが無視されたのだ)、一対一の約束を破り集団で袋にし(ギーシュと彼の勝負は間違いなく一対一であったし、ギャラリーが放った魔法はリンゴォに傷一つつけられなかったので、正しくない)、殺した挙句に死体を埋葬すらせず消し去った(消し去ったつーか勝手に消えた)……
なんと言うか、突っ込みどころが多すぎる誤解満点の説明ではあったが、マルトーからすればこれ以外の解釈の仕様がない。
彼は件の決闘を遠くからしか見れず、詳しい事情や推移など知る由もなかったし、貴族達の強いた中途半端な情報規制は、マルトーに真実に辿り着かせるだけの情報を手に入れさせなかった。
その誤解満天の説明を……才人は信じた。
特に、彼の中のルイズに対する不信感は頂点に達しつつある。
自分に対する様々な扱いでさえあれだというのに、以前の使い魔を見殺しにしたと言うのは、到底受け入れられるものではなかった。
……実のところ、ルイズが才人に対してことさら辛く当たるのは、リンゴォのような事を繰り返したくないという恐怖と彼に対する思いやりの裏返しなのだが……それに気付けと才人に言うのは、無責任で残酷な言葉だろう。
故に、才人はルイズに対して、今回の一件の事を一切話さなかった。
(リンゴォとかって奴と同じように、見捨てられたら敵わない)
故に、自分ひとりの力で状況を解決するために努力した。
マルトーから教えてもらったモット伯の屋敷に向かい彼自身と交渉し、交換条件をもぎ取る事に成功する。
交換条件は、『ツェルプストー気に伝わる異世界の書物』……ツェルプストー! それがキュルケの苗字だった事を思い出し、才人は踊り狂わんばかりに喜んだ。
彼女ならば、理由を話して頼めば協力してくれるだろう! そのために何らかの条件を提示されたとしても、彼は嬉々として応えるつもりでいた。
貴族の家系の家宝がどれ程貴重なものか、理解は出来ないまでも予想は付いているつもりだ。たとえそれがキュルケの使い魔になれというものであっても、応える心の準備があった。
結果のみを言うと……そんな才人の思いは、スレ違いによって完膚なきまでに裏切られた。
家宝を譲ってくれ。
理由を話してから無礼なお願いをしてきた才人に、キュルケは心よく応じてから、「その代わり」……そう言って才人の頭を胸元に引き寄せた。
やはりそう来たか――あらかじめ腹をすえていた才人は、赤くなっただけで抵抗せずにキュルケに任せた。ただ、その時点で既に日は沈んでいて、このままキュルケとしっぽりしていたら、シエスタの救出が間に合わなくなる可能性がある。
その事を伝えた才人に対し、返ってきた言葉は……
『あら、そんなの明日でいいじゃない』
一気に。
友情や信頼、情欲の熱や興奮といった全ての感情が……冷めた。
ここでキュルケの名誉のために言っておくと、彼女がこういう言動をとったのは、彼女の生まれたゲルマニアという国の若い風土にある。
この国、恋愛に関してはことさら寛容であり、貴族が平民に恋し、平民が貴族にアプローチするという、トリスティンや他の国ではありえないような事が平然とまかり通っている国なのである。キュルケ自身がそうであるように、恋愛が身分思想の外にあるという、ある意味では才人のいた現代地球に近い感覚のある国だ。
そして、この国では平民が貴族に代われるという事は……絶望ではなく希望を、輝ける未来を奪うのではなく、輝ける未来を与える。
妾として買われた平民の娘が、その夜の技術によって正妻の座を力づくで奪い取る……そんな逸話が『シンデレラストーリー』の一種として伝えられているような国だ。妾になるという事は、その貴族との間に少なからぬ利害が発生するという事。跡継ぎでも生まれれば拍手喝采、跡継ぎでなくても、子に対する財産分与で恵まれた生活を送る事ができるのだ。
こういった恋愛にラフすぎる点が他国の貴族から軽蔑される大きな理由のひとつなのだが。
そんな国で生まれ育ち、その価値観を植えつけられたキュルケにとって、モット伯に買われたシエスタという少女は、『シンデレラストーリーの第一歩を踏み出した女性』なのである。
無論のこと、彼女自身も自分達の特異性は理解しており、トリスティン王国では限りなく異常な思考なのだという事くらい、わかっている。この国では妾が正妻になる事などありえない事も。
分かってはいるのだが……彼女の根底に根付いたゲルマニア人としての考え方は早々覆るものではないし、シエスタを助けようとする才人の行動に対して、理屈では理解し好意的にも捕らえているが、どうしても『おせっかいなんじゃないのか』という考えがぬぐえなかった。
そんな彼女の考え方が、先の発言につながったのである。
お前ら貴族は最低だ。
感情的などなり声なので聞き取れなかったが、おおよそそういう内容の言葉を突きつけられた事はわかった。
突き飛ばされ、ベッドに倒れこんだキュルケは、才人に対して失望したり怒ったりはしなかった。又、すぐに追いかけようともしなかった。自分が何故相手を怒らせたのか。それも分からず追いかけていっても、自体がこじれるだけだと考えたからだ。
何故いきなり逆上したのか、それを考えて……自分が無意識に口走った度し難い発言に思い当たり、頭を抱えた。
(か、完全にゲルマニアののりで喋っちゃった! ま、不味いわ!)
相手の好感度云々のレベルではない。明らかに、貴族の礼節を踏み荒らした下品な行い……何より彼女は、無意識のうちにシエスタの尊厳を傷つけるという暴虐を働いてしまったのだ。
その行いは、意識してのそれより断然重い。
キュルケはベッドから飛び上がると、件の書物を片手に、部屋を飛び出した。もはや損得勘定など気にしている場合ではない……! 己の所業の償いをするために、キュルケは走った。
が、とき既に遅し。
キュルケが部屋を飛び出したその瞬間、才人の馬は学園を飛び出してしまったのである。
「うわっ……! くそっ!」
馬を使って疾走する才人……という表現が使えれば理想的なのだろうが、生憎と今の才人は馬を走らせているのではなく、走っている馬にしがみついているような状態だった。
たずなを両手で握り、あっちこっちに引っ張って何とか馬を制御しようとするものの、腕の筋肉を酷使するのみで現実の好転になんら寄与しない。
もうすぐY字路にさしかかろうというのにこの様では、先が思いやられる。
(分かれ道で乗り捨てるしかないか!?)
一向に制御できない馬と己の手綱捌きに、才人はかなり無謀な決断を迫られた……この速度の馬から飛び降りれば、最低でも骨折は免れないだろうが。
後ろから伸びて手綱をとった手に、才人は骨折の危機を救われた。
「!?」
「――てんでなってない手綱捌きだな君は!」
驚愕に目をむく才人の胸元に、その人影はするりともぐりこんで、才人の手から手綱を奪取した。
そして――
ひひーーーーーーんっ!
「どぉーどうどうどうどう。落ち着くんだフェルデナント!」
驚いた事に。
あれほど荒れ狂っていた馬を、ほんの数秒で完全に御しきってしまったのである。
何を隠そうこのギーシュ・ド・グラモン。以前ちょっとした目的のために血の滲むような特訓をしたため、馬術ではちょっとしたものなのである。
……その理由が女の子と遠乗りに出かけるためとゆー、なんともアレな理由だったり、その訓練の折に、何度も落馬しかけて、一度など馬具に足だけ引っ掛けた状態で延々引きずられた事もあったりと、まあギーシュらしいエピソードが見え隠れするのだが。
ちなみに、馬具にしがみついた状態から走り出されて、そこから馬上の才人の前に潜り込めたのは、その時の苦い教訓から得た技術のおかげだったり。
「な、お前……え!?」
「始めまして、になるのかな? 馬泥棒の使い魔くん」
目を白黒させる才人と、呆れるギーシュ。
ギーシュ・ド・グラモンと平賀才人。後に親友となる二人の出会いは、こんな間の抜けた形でかわされたのだった。
「君の事は聞いているよ平賀才人。僕はギーシュ。ギーシュ・ド・グラモンだ。一応、昼間に一度あっているんだが……名乗ってはいなかったしね」
(こいつ……貴族!?)
才人のほうは、ギーシュの事など知る由もなかったが……月明かりに浮かぶその服装から、相手が貴族であることがうかがい知れたため、体を硬くした。唯一信頼していたキュルケに裏切られる形になった才人にとって、貴族というカテゴリそのものが敵意に価する存在になりつつあった。
「何故君が馬泥棒なんて働いたのかは大体想像がつく。だから……」
裁くとでもいうつもりか!?
貴族特有の傲慢さから出るであろう答えを予測し、身構えた才人にとって、ギーシュがとった行動は意外極まるものだった。
……手綱を振るい、馬を『進ませた』のだ!
「『協力』しよう!」
そして、ギーシュの声に応えるように、馬が加速を開始する!
「な、なんでっ!?」
いきなり事情も知らずに自分に協力すると言い出した貴族の男に、才人は驚愕の声をあげる事しかできなかった。相手があげた驚愕の声に、今度はギーシュが目を丸くして、
「何だ。
シエスタ、というメイドを助けに行くんじゃないのかい?」
「!? 何で知ってんだ!」
「じゃあ問題はない。何も、問題はない。
僕も、彼女を助ける理由があるんだからね」
モンモランシー経由でシエスタがモット伯に雇われたと聞いていたギーシュは、バラを咥えてふっと格好をつけた。バラ咥えた割に発音が正確なのは、血の滲む訓練の成果だ。唇にバラの棘が刺さりまくってそりゃあもうエラい事になった。
ギーシュとしては、明日屋敷まで直々に出向いてから、適当な理由をつけてシエスタを引き取り、あわせて謝罪しようと思っていたのだが……馬に引きずられながら才人ががむしゃらに急ぐ理由を察して、彼の論理のほうがレディを守る理屈としては正しいと悟って、協力する事にしたのである。
一日ぐらいなら大丈夫だろう? レディを守る薔薇が効いて呆れる怠惰な論理だと、ギーシュは自分が恥ずかしくなった。
加速していく馬、高速ですれ違う辺りの風景、体を撫でる風……そして、驚きと疑いでギーシュにつかまる事もできない才人。それらの気配を踏まえて、ギーシュは改めて会話を開始した。
考えてみれば、リンゴォという存在のせいで妙な親近感の沸くこの使い魔とは、今日この日がファーストコンタクトであり、会話すらしたことがないのだ。
「僕も男にしがみつかれる趣味はないから、しがみつくまいと努力してくれるのはありがたい。ただ、落ちられたら困るからね、出来れば馬具の後ろにしがみついてくれないかな。
それと……僕は彼女がモット伯に引き取られたという話しか聞いてないんだが……君はモット伯の屋敷に行って、どうするつもりなんだい?」
「…………」
ギーシュの質問に、才人は無言で馬具を掴んだ。掴んでから数瞬の沈黙を経て、答える。
「力ずくで」
言ってから改めて、己の言っている事の無謀さに愕然とした。
貴族に単独で喧嘩を売りに言って、勝てる道理があるのか? 訳のわからない能力の制御も出来てないのに?? もし勝ったとしても……その後の生活はどうする? 下手をすればシエスタの故郷にいる家族にすら類が及ぶかもしれないのに????
我ながら、己の無思慮ぶりに目眩を覚える才人だったが……彼が取れる選択肢は、それしかなかったのである。
いや、一日待ってでも、キュルケから本を譲ってもらったほうが良かったのか? それとも、あえてプライドと命を捨てて、ルイズにも事の次第を話すべきだったのか?
答えは、出なかった。
ただ、シエスタを無事に助け出したい。彼女の笑顔をこれ以上曇らせたくない。そんな思いだけが才人に取り付いて暴走していた。
「……いやはや、なんと言うか、無謀だね君は」
コレにはさしものギーシュも呆れてものが言えなかった。平民が貴族の館から人攫って逃げようなどと、よく思いつくものだ。
貴族が平民に挑む。
以前のギーシュなら鼻で笑う話しだし、今もそうしようとしたのだが……ふと、脳裏にある男の存在が浮かび上がってきた。
リンゴォ・ロードアゲイン。
平民にもかかわらず妙な力を持ち、貴族に挑んだあの男の存在が。
先述したように、ギーシュ・ド・グラモンはリンゴォの事が嫌いだったが、深層心理においては尊敬し、敬意すら払っていた。
だから、彼は自分自身の心の動きに戸惑いつつも、こう言ったのだ。
「君は……リンゴォという男を知っているかい?」
「確か、ルイズが見殺しにしたっていう」
「どうしてそういう事になるのか知らないが……それは違うとだけ言っておこうか。もしそう考えているのだとしたら、それはあの男に対する酷い侮辱だからね」
「侮辱、って……」
「彼はこう言っていたよ『公平なる果し合いは人間を成長させる』と。少なくとも、そう言った瞬間のあの男は、君が決闘で倒したボーンナムなんかよりずっと誇り高い姿だったように思える。
直接決闘者として相対した身だからこそわかる」
貴族が平民に劣るわけがない。
そんな優劣間に満ちた考えをギーシュは捨てていなかったが、ボーンナムがリンゴォよりも上等な人間だとは間違っても思えなかったし、この点だけは例外だとも考えていた。
「直接決闘!? それって……」
「僕は直接見ていたからそういう風に例外だと理解出来るけど、彼ら二人を知らない貴族は、決して認めないよ。
本当なら君の事も殺したくてたまらない連中は多いだろう。ボーンナムの家の人間とかは……けど、決闘を挑んで負けた挙句に勝者に罰をなんて、貴族の名誉を汚すからね。したくても出来ないのさ」
「…………」
「で、僕が何を言いたいのかというと、だ」
問い返しを見事にしかとされ沈黙する才人に、ギーシュは手綱を握る手を片方放した。そして、手にしたバラの花を才人に見えるように左右に振って。
「決闘を挑むんだよ、平賀才人」
「……は?」
「だから、決闘だ。君がモット伯に決闘を挑んで、勝てば全てが丸く収まるんだよ」
「そ、そんな事していいのかよ!」
「大丈夫さ」
貴族が平民に決闘を挑む。
一件無茶苦茶で自殺行為じみたこの話に、実は貴族側にとって意外な落とし穴がある事をギーシュは経験上知っていたのだ。
メイジという生き物は、平民に対してことさら力を誇示したがるものだ。決闘など挑まれれば、サディスティックな喜びを持って応えるだろう……BATしかし。
この決闘に負けた場合、貴族の側はマジで逃げ場が無くなってしまう……相手の要求に無条件に従わなければならないのである。
司法に訴えようにも、まさか『平民に決闘で負けたのが原因で……』なんぞと言おうものなら、良くて減領、下手すりゃ爵位剥奪の憂き目に会ってしまうからだ。最悪、才人が脅迫者にその身を堕したとしても、モット伯は何も出来ない。
命より名を惜しめ。グラモンの家訓であるこの言葉は、名誉を失う事が命に関わる貴族社会のあり方を端的に表していた。
貴族同士の決闘が禁止されていても、平民に対するそれは規制されていない。才人の主がルイズであるというのも、理想的な条件の一つだった。もし才人を口封じに殺害しようもんなら、面子を傷つけられたヴァリエール公爵家に喧嘩を売る事になりかねない。
そう……モット伯は己の血統ゆえに、決闘をうけ、なおかつそれを守らなければならないのである。
「決闘に君が勝ってしまえば、モット伯は何も出来ない! その事は、僕の名前と僕の家名に誓ってもいい! 立会人がいればなお完璧さ! しらばっくれる事もできなくなるからね……!」
「た、立会人って……」
「僕がなろう。僕はトリスティンのグラモン元帥の息子だ。立場的には申し分ない……それに、僕の父とモット伯はいわゆる政敵という奴でね」
「な!? じゃあ相手が決闘を受けない可能性もあるじゃねえか!」
「逆だよ平賀才人。だからこそモット伯は決闘を受ける。受けざるを得ないんだ。
平民相手に決闘するのを恐れた男と言われるのを恐れてね。そういう風に挑発すれば、乗ってくるだろう。
少なくとも、政敵の息子の僕が彼女を渡してくれと頭を下げるより、ずっと可能性は高いはずだ。
負ければ取り返しのつかない事になるが、勝てば全てが帳消しになる」
平賀才人の無謀な特攻は、ギーシュの策における致命的なリスク(自分が、モット伯の政敵に当たる事)すら、メリットに変えてしまっていた。
そして、ギーシュは興味がわいたのだ。
この、才人という少年に。
「それにもう一つモット伯が君を倒したがる理由がある」
「へ?」
「君が倒したボーンナム。彼のフルネームはボーンナム・ド・モット。
つまり、今僕らが向かっている屋敷の主は、彼の叔父にあたるんだよ。君は、甥っ子を打ちのめした憎い仇敵という事になる」
ボーンナム。その名前がギーシュの口から出るたびに、才人の気配は面白いほどころころ変わった。
感じられる感情の正体は、正に正しく……義憤と呼ばれうるもの。
自分をいたわってくれたメイドの少女を傷つけた、モット伯に対する怒りが、彼を突き動かしていた。
ああ、成る程。
ギーシュは今更ながら、背後にいる平民がいかに異質かを理解した。
この男は! 『決闘に至る過程をいかに処理するか』しか聞いてこない! 『決闘そのもの』を全く恐れていない!!
元からなのか、一度の決闘を経て成長したからなのかは分からないが、決闘に対する恐怖のなさにおいて、才人はリンゴォと完全に同質だった!
彼が勇気を持ったわけでもない。死を恐れていないわけでもない。
死の恐怖は確かにある! だが! 才人の貴族というカテゴリに対する強烈な怒りが! 彼の中の恐怖をかきけしていたのだ!
「会話の先導は僕がする。君は僕のいう事に合わせてくれ!」
「――なぁ、ひとついいか?」
「なんだい?」
あまりに親切に過ぎるギーシュの行動に、才人は不義理に当たるとはわかっていても不信感がぬぐえなかった。そりゃあそうだ。ギーシュと才人はコレが始めての会話であり、才人をそこまでしてフォローする理由などどこにもないのだから。
「お前、何でそこまで……」
「君のためじゃないさ。君の行いで救われるレディが少なくとも一人いる……コレを救うのは、グラモン家に生まれたものとしての義務だからね!」
ふっとキザに薔薇を咥えなおして……
ぷ す っ
「…………っっっっ!!!!!!」
「お、おい……どうした???」
「にゃ、にゃんでもない、にゃんでも!」
思いっきり唇をとげで突き刺し、唇からだらだら血を流す羽目になった。それを見た才人の中であいまいながら確定しかけていたギーシュの評価が、『カッコイイマトモな貴族?』から、『マヌケな貴族』にランクダウンした。
――目指すモット伯の屋敷はもうすぐである。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、その激動の夜の中をベッドの上で過ごしていた。
正確に言うなら、ベッドの上で何をするでもなく、ボーっとしていたのだ。その脳裏に揺らめくのは、先程どこかに行こうとするサイトを呼び止めた時の一連の会話だ。
才人がいない……!
夜中に目を覚ましその事に気づいたルイズは、顔面の血液をいっせいに後退させた。彼女の脳裏に真っ先に浮かんだのは、心臓を青銅の剣で突き刺されて、消えていった男のことだ。
まさか、彼に何かあったのでは? リンゴォのようにこの場から消えてしまうのでは?
才人の身の上を心配し、ルイズは慌てて着替えて……このとき、ブラウスが表裏逆になっていた事から、彼女がイカに慌てていたかがわかるだろう。部屋を飛び出して才人を探した。
……宿舎の入り口で才人を見つけたとき、ルイズの口から飛び出したのは相手を慮る言葉ではなく、怒りのお言葉だった。
『ちょっと! あんた何処に行くのよ!』
『……何処に行こうとお前には関係ないだろ』
『関係なくはないわよ! あんたは私の使い魔なんだから! どんな事情か知らないけど、ご主人様より優先すべきものなんてどこにもないのよ!?
あんな女のところへなんて行かせないわよ』
『…………!?』
この言葉でルイズを攻めるのはお門違いというものだ。
才人は調理場を飛び出したときに、ルイズの存在に気付いており、その事実から『彼女がシエスタのことを知っている』と推測し、確信していた。
しかし、ルイズはギーシュが扉でホームランされた後、ギーシュの運搬と料理長からの情報収集をモンモランシーに押し付け、才人の後を追いかけたのである。そう、彼女は『才人がしようとしている事どころか、シエスタが買われた事実すら知らなかった』のだ。
加えて、今の才人の体からは、キュルケの愛用している香水の残り香が漂ってきていた。ルイズは『あの女』はあくまでキュルケを指し示した言葉だった。
もうお分かりだろう。才人は『あの女』が指し示すのがシエスタの事だと連想してしまったのである。この誤解が、どれだけルイズの言葉を最悪なものにしたか。
二人は悪くない。だが、タイミングと選んだ言葉が最悪だっただけだ。
『なんなんだよそりゃあ……! お前ら貴族は何処まで最低なんだ!』
致命的な誤解に気付かず、才人は心の中に煮えたぎる怒りを、理性を通さずダイレクトに音声として吐き出した。
『そうやって! お前等は平民を使い潰す気かよ!』
『な、何を言ってるのよあんた……』
『そんな風にいうんだったら、使い魔なんてこっちからやめてやる!
代わりを召還したらいいだろ! お前が見捨てたリンゴォって奴の時みたいに!』
見捨てた。
その単語がルイズに与えた衝撃は計り知れなかった。
事実、その通りなのだ……! 使い魔の命を守るのならば、リンゴォがギーシュと決闘すると言ったあの時に、自分が間に割って入るべきだったのだ! たとえ、リンゴォ自身に軽蔑されたとしても!
才人が放った言葉の衝撃は、ルイズから全ての言葉を奪った。
使い魔契約の内容や、再契約の困難さを吐き出す余裕すらないほどに。
「ちょっと! ちょっとヴァリエール!」
――茫然自失の状態からルイズが戻ってきたとき、その場に才人はおらず。
変わりに、キュルケとタバサの二人がルイズの目の前に立って、声を荒げていた。
「……っ、ツェルプストー……」
「あなたの使い魔、今何処にいるか知らない!?」
自分より余程近い位置にいるはずのキュルケからの言葉で、ようやくルイズは完全に正気を取り戻し、逆に問い返した。
「……ちょっと! なんであなたが私に聞くのよ! あなたの所にいるんじゃないの!?」
その後のキュルケからの説明でようやく、ルイズは才人が何をしようとしていたか、何処を目指していたかという事の次第を聞かされたのである。
「ほぅ。誰かと思えば、あの種馬の倅ではないか」
ギーシュが門番に用向きを告げ、通された応接間にて……
現れたモット伯が、開口一番に言い放った言葉がそれだった。一緒に居る才人のこと黙殺だわ、相手馬鹿に仕切っているわで、普段の才人ならむっとする反応なのだが……
「それで? 貴様風情に割く時間は私には貴重すぎるのだが……何用かね?」
「……いえ、用があるのは私ではなく、こちらにいる平民でございます」
「ふん。流石に種馬の一族は品性下劣だな。平民の手足となって動くとは」
事前にギーシュから『会話は自分に任せろ、途中で君に対して無礼な発言があるかもしれないが、許容したまえ』と釘を刺されたので、ぐっと耐えた。
「いえ、彼はただの平民ではございません」
「ただの平民ではない!? では何だというのだ! 貴様が倒したという、悪魔と同じだとでもいうのか!」
「いいえ。ですが、似たようなものです」
「……?」
「この者は、『黒土』のボーンナムを決闘で打ち破った、ヴァリエール家の使い魔です」
「!? ほぅ……貴様が、わが甥を」
ギーシュが告げた瞬間、才人を見るモット伯の目つきがはっきりと変わった。あからさまな侮蔑から……明確な、敵意へと。
「この男が、自分の慕うメイドに手を出したのが許せないと、言って聞かないもので……」
「成る程。それで貴様昼間……ふん! そうか! そういうことなら話は早い!
我が甥への無礼をこの場で」
「お待ちくださいモット伯」
杖を構えようとするモット伯に、ギーシュは待ったをかけた。表面上はいつもどおりのくねくねした仕草だが、内心ではガチガチに緊張していた。
ここからが重要なのだ。
モット伯が才人に向ける殺意と優越感を利用して、なんとしても状況を決闘に持っていかないといけない。
「ボーンナムは仮にも決闘を挑んで敗れたのです。それを恨んで攻撃するなど、モット伯の栄光ある貴族としての名に泥を塗る事になりかねません」
「なんだと!?」
「僕自身、この平民の生意気な物言いには腹がったって仕方がないのです。あまつさえ、この男はボーンナムに勝ったことに味を占めて、あなたにまで決闘を挑もうとしている」
目をむくモット伯に、ギーシュは薔薇の杖をかざし、
「そこでどうでしょう? ここは『決闘』という形をとっては。これならば、ヴァリエール家も手出しできないでしょう」
「……ほう!」
モット伯は、それだけでギーシュが言いたい事……否、モット伯をだますために振りかざそうとしている詭弁に気が付いた。
要するに、ギーシュはモット伯にこう言っているのだ。
思い上がった小生意気な平民を、連中の流儀で完膚なきまでにぶちのめし、思い上がった鼻っ面を叩き折れと。
相手をあくまで薄汚い平民と罵る事に、ギーシュの策があった。今、モット伯は目の前にいる人間がグラモンの人間である事を忘れ、平民に対する優越感を共有してしまっているのである。今この場においてのみ、モット伯にとってギーシュは考えを同じくする同士であり、その言葉には聞くべき価値が発生していた。
「せめてもの哀れみに、そうですね……勝者が敗者に命令する権利を与えられては? この薄汚い平民にも、『希望』は必要でしょう」
「成る程な……いいだろう」
――よし、かかった!
――よっしゃ!
サディスティックに、醜い笑みを浮かべるモット伯の顔を見て、ギーシュと才人は心の中でハイタッチした。
「……さあ、コレで君の望みどおりだ平民。せいぜいつかの間の希望に酔いしれたまえ」
「ああ、ありがたくって涙が出るぜ」
「さて。モット伯。そうと決まれば……立会人は僕がさせていただきますよ」
内心の歓喜を押し隠し、二人は表面上そっけない会話を交わした。
決闘という条件が整ったからといって、才人がモット伯に勝てるのか? と聞かれてしまうと、首を傾げざるをえないだろう。
だから、ギーシュはこの決闘に更なる仕掛けを施すのだ。
「あー、それとモット伯」
「なんだね?」
唐突に思い出したように、ギーシュは訝しげなモット伯にその仕掛けを告げた。
「相手は薄汚い平民です。それ故に、貴族の決闘の作法は通用しないでしょう。貴族の決闘なんてそっちに有利だ、などと言い訳されても困ります。
僕たち貴族が平民の決闘に合わせるなど論外です」
「まあ、確かにな」
才人の面差しを見てモロに嘲笑するモット伯。ギーシュは、バラの花をぴっと立てて、
「そこで、です。ここは、平民でも貴族でもない、第三者の決闘の流儀に沿わせるのはいかがでしょう?」
「第三者?」
「はい。僕が先日打ち倒した、悪魔の流儀にあわせてはいかがでしょう」
「ほう! 悪魔の……!」
「はい」
興味深いとばかりに声を上げたモット伯に、ギーシュはにっこりと笑って、
「直接聞いたわけではありませんが、戦ってみてわかったことは、悪魔の決闘は、『公正なる果し合い』なのです」
「公正だと……? メイジと平民でか!」
「ええ。単純に、己の持つ全ての能力を予め提示するだけなのですがね。戦う前に、悪魔は『公正にするため』に己の能力を僕に提示しました。
お互いが死ぬまで続けるあたりが悪魔らしいといえばらしいのですが……ここでは、杖を落とすか『参った』と言うかが敗北条件という事で。平民相手に命を奪うなど、スマートではありませんし」
「成る程! 面白い! その方式でいこうじゃあないか!」
手を打って喜び、ギーシュの進言をモット伯は受け入れた。彼の中では己の勝利は既に確約されたものであり、後はどれだけ才人を惨めに殺すかしか頭になかった。
「我が二つ名は波濤! 水のトライアングルメイジであり、貴族たるもの!
私は宣言しよう」
モット伯が手にした杖を振りかざし、応接間の隅に転がっていた花瓶が倒れた。柔らかいじゅうたんに受け止められた花瓶は割れることなく、その中身の花と水をぶちまけて……
水が、うごめいた。
「私はこの人掬いの水を操り、君を殺そうじゃないか! 平民!」
「……えっと、じゃあ」
いきなり堂々と宣言し始めたモット伯にあっけに取られ、口ごもってしまう才人に、ギーシュは呆れながら歩み寄った、そしてその耳元に口を近づけ、
「君の能力を包み隠さず話たまえ。それが、油断を呼ぶ」
「――っ! わかった」
「やれやれ。平民はコレだから……伯爵。せめてもの情けに、応接間から人を払っていただけませんか?」
「うむ。まあそうだな」
アドバイスした事など微塵も感じさせず、ギーシュは肩を竦めて両者から距離をとった。その間に、モット伯に支持された使用人達が椅子やテーブルなどの家具を移動させ、応接間に拾いスペースを作る。
「俺は……平賀才人だ。
能力はよくわからないが、一時的にゴーレムでも何でもあっさり倒せるくらいに身体能力が上がる。条件がわかってないが、発動するかもしれない。武器は、この剣だ」
「はっ! 条件もよくわからない能力か!」
もはや、平民という枕詞すらつけずに、モット伯は嘲笑を浮かべ……
「双方準備は整ったようですね」
屋敷の三人しかいない応接間を舞台に。
「では――初め!」
決闘が、始まった。
ハルキゲニアの夜空に輝く二つの月。
二重の月明かりに照らされて、ギーシュはモンモランシーを伴って広場を散策していた。
医務室からの帰り道に、付き添いをしてくれるというモンモランシーの申し出に、ちょっとした下心を出した結果の、散歩であった。
月夜の散歩で格好良くエスコート! のはずだったのだが、扉でホームランされた後遺症が残っているらしく、あっちへふらふらこっちへふらふらとなんともしまらない有様だった。
「……ちょっと、ギーシュ大丈夫? 散歩なんかしないで、すぐに部屋に帰ったら……明日はモット伯に会いに行くんでしょう?」
「だ、大丈夫さ、このくらい……君が僕に笑いかけてくれれば、僕は何度でも立ち上がれるからね」
己の身をいたわってくれるモンモランシーの言葉に感激しつつ、ギーシュはバラの造花をキザったらしく構えささやきかけた。
実際、ギーシュからすればたいしたことはなかった。リンゴォの時に負った傷の痛みに比べれば、この程度はへのかっぱ。昔ならベッドから動けないくらいの痛みがギーシュを襲っていたが、なぜか気にせずに動き回る事ができた。
(一体、何がどうしたって言うんだろうな。僕は)
公正なる果し合いは精神を成長させる。
ギーシュが傷の痛みに耐えられるようになったのは、リンゴォとの決闘を経た成長の賜物なのだが、彼は気付かなかった。
先にネタバレしてしまうと、ギーシュは心の奥底ではリンゴォの生き様に憧れ、そこに至りたいという強い願望があるのだが……あくまでも潜在的なもの。表面上ではグラモンの名を侮辱したリンゴォという平民を、嫌いぬいていたりする。
「ギーシュ……」
君が云々の甘い囁きがハートを直撃したらしく、モンモランシーが、頬を赤らめて彼を見上げる。コレもギーシュが知る由もなかった事だが、リンゴォとの死闘を戦い抜いたギーシュの姿に、モンモランシーの好感度は大幅にアップしていたりする。
頬を染め、瞳を潤ませるモンモランシーの顎に手を添えて、二人は唇を――
ひひーーーんっ!
「お、おわっ! こ、こいつ……いう事を聞、ぎゃー!?」
どがしゃっっ!
馬のいななきと、悲鳴と、落下音。
無粋な音の三重奏が二人のいい雰囲気をキラークイーンで木っ端微塵にした。
時を、少し遡る。
シエスタがジュール・ド・モットという貴族のところに『買われた』。
そうマルトーから告げられた時、才人はその言葉の意味を判断しかねた……否、彼の頭脳がその言葉の正しい意味を認識する事を拒否してしまったために、事態の理解に時間がかかってしまった。
買う? 人間を??
そんな馬鹿な。
いつの時代の話だよ?
才人はトリステインと比べると平穏といっていい地球世界においてすら、『平和ボケした』と言われる日本の出身である。人身売買など実在しないものと思っていたし、実在したとしても遠い場所の出来事だと思っていた。
遠い場所……そう、ここは地球の東京ではなかった。あらゆる意味で遠く離れたハルキゲニアのトリスティン王国なのだ。しかも、この国では『メイジ』という権力実力共に並外れた存在が、平民の上に君臨している格差社会なのだ。
平和ボケに浸りきり、必死で現状を拒絶しようとしていた才人はその事に気づいてしまった。
メイジとは……あの、シエスタの細い手にナイフを突き立てて、笑っていられるような外道共の事だ。平民を人間と認識していない屑共の事だ。
平民を金で買うくらい、平気でするだろう……! するに決まっている!
「オールド・オスマンに訴えようにも、相手は貴族のトライアングルメイジ。しかも伯爵位で王宮の勅使ときてる。無碍に断ったりしたら、オールド・オスマンに迷惑がかかるって言って、シエスタは自分から奴のところに行ったのさ」
ギリリという歯軋りが聞こえなかったのは、マルトーが会話の真っ最中だったからに過ぎない。厨房で働く者達の手前悠然と構えてはいるが、彼の内心の悔しさは荒れ狂った嵐の如きものだった。
オールド・オスマンは貴族と平民わけ隔てなく接する学院の大物であり、学院に存在する全ての人間に尊敬されている人物だ。かく言うマルトーも、食いっぱぐれていたところを見出され雇ってもらった恩があり、それを返したいと思っていた。
その点シエスタは、ごくごく普通にメイドの採用試験に合格したのであり、オールド・オスマンに対しての恩義などこれぽっちもなかったのだが……彼女は知っていた。マルトーがオスマンに恩を返したいと思っている事を。
が、『 問 題 は そ こ で は な い ! 』
もしも、シエスタがオスマンに泣きついてこの話をなかった事にしたらどうなるか?
簡単だ。ジュール・ド・モットという男は何のためらいもなく権力を使い、オスマンの立場や学院の状況を悪化させるだろう。
そんな事になれば、学院にはシエスタの居場所がなくなってしまう! 最終的にシエスタはモット伯の元へ赴かねばならないのだ!
(あの野郎は……シエスタに選択肢すら与えなかった!)
この事実は、モット伯がシエスタを人間扱いしていないという事実を象徴していた。音に聞く奴の噂と合わせれば、メイドとして奉公する過程でどのような運命が待っているかは、自明の理だった。
才人に教えるわけには行かない。教えてしまえば、才人はわき目もふらずにシエスタを助けに往き、彼女の気遣いは全て無駄に終わってしまう。
それに。
「……なあ、『我等の剣』よ」
今この時点でさえ、目を血走らせて怒っているこの『いい奴』を、これ以上刺激する事もない。してはいけない。
「まさか、シエスタを力ずくで取り戻そうとか思ってんじゃないだろうな?」
「オレだって、そこまで馬鹿じゃない」
そんな事をすればかえってシエスタや回りの人間の迷惑になる事ぐらい、才人にも理解できる事だ。気に入ろうが気に入るまいが、貴族が平民の上に立っている事は純然たる事実だ。
悪辣な支配者の屋敷から少女を連れ戻す。絵面としてはこの上なく陳腐で美しいが、実行してしまえばあたりに与える被害が半端ではないものとなってしまう。
「ただ、何とかシエスタを開放してもらえないか、交渉してみようとは思ってますけど」
「……なんとまあ」
それでも。現実の無常を理解してもなおシエスタ救出を諦めない才人の在り方に、マルトーは脱帽した。子供じみて見えるかもしれないが『諦めない勇気』は人間がその尊厳を守るうえで重要な要素のひとつなのだ。
えてしてプライドに固執するという醜悪な行動につながる事もあるが、才人のそれに陰湿的なものは一切ない。
ないだけに、止めても聞きはしないだろうと予想が出来てしまう。
「無理するなよ。『我等の剣』」
だから、マルトーは励ますだけにとどめたのだ。
ふっと笑って才人の肩を叩きながら、この少年にはあの男のようにはなって欲しくないと想い、天にそれを願う。
シエスタから明るい笑顔を奪ったあの一件は、マルトーの貴族嫌いをより深刻な領域へと進ませていたのだ。彼からすれば、リンゴォの決闘を止めなかった時点で、ルイズがリンゴォを見殺しにしたとしか感じる事ができなかった。
――彼がその男の名前を出した事を、誰が攻められるだろうか。彼は只、忠告しただけなのだ。
「くれぐれも気をつけろよ。リンゴォみてーになったら、許さねえからな!」
「――リンゴォ? 誰のことです?」
いきなりマルトーの口から吐き出された固有名詞に、才人は目を丸くして。
「誰って……聞いてないのか!? あのお嬢ちゃんから!」
そう叫んでから、リンゴォという男の事に関して、感情的な言葉を放ったマルトーを、誰が攻められるだろう。
「リンゴォ、ってのは、あのお嬢ちゃんが見殺しにした使い魔だよ!」
シエスタ救出に際して、才人の心の中には無意識の、ほんの僅かな『甘え』があった。
いざとなったら、ルイズやキュルケに事情を話して協力してもらおうという、甘えだ。
だが……才人は、マルトーが口にする偏見だらけの事の経緯を聞かされて……脳裏に思い描いた『協力者』の欄から、ルイズの名前を消した。
そして、時は動き出す。
「痛って~!」
馬から振り落とされた才人は、強かに打ちつけた背中の痛みに悶絶しながら、涙目で自分を振り落とした馬の姿を探した。
今、人を振り落としたとは到底思えない堂々とした姿でたたずんでいるのを発見し、憎たらしさが炸裂するが、八つ当たりであることに気付き、ため息でとどめる。
確かに乗馬の経験など絶無に等しい自分だったが……見よう見まねすら出来ないとは思わず、自分で自分が情けなくなった。
ともかく、馬が無理なら別の移動方法しかない。
(こうなったら、徒歩で行くしか……! いや、時間がかかりすぎる)
今にもシエスタが犠牲になろうとしているのに、一時間なんて悠長なタイムロスを見過ごしたら、それこそ取り返しの付かない事になりかねない。才人は、一刻でも早く貴族のろくでもない館からシエスタを助け出したかった。
背中にした剣の重みを確かめながら、才人は口の中でつぶやく。
(俺にできるのか……いや、やるしかない!)
背中にしたこの剣でシエスタを救い出す。
昼間、マルトーを前にして全力で否定した方法を、才人は今からとろうとしているのだ。
朝方にマルトーと会話してから今に至るまで、才人の心境にどのような変化が現れたのか?
凄惨な決意で雰囲気を荒ませながら、才人は再び馬に飛び乗って、
「ちょ、一寸待ちたまえぇぇぇぇぇっ!! それは! 僕の馬だぁっ!!!!」
続けて飛び乗ろうと馬具にしがみついてきた貴族の少年に気付かず、馬を発進させた。
全ての原因は、マルトーが才人に聞かせた私見たっぷりの『リンゴォ・ロードアゲイン』のエピソードにあった。
リンゴォという使い魔が、貴族に喧嘩を吹っかけられたのを主人のルイズは止めようともせず(否、止めたのだが無視されたのだ)、一対一の約束を破り集団で袋にし(ギーシュと彼の勝負は間違いなく一対一であったし、ギャラリーが放った魔法はリンゴォに傷一つつけられなかったので、正しくない)、殺した挙句に死体を埋葬すらせず消し去った(消し去ったつーか勝手に消えた)……
なんと言うか、突っ込みどころが多すぎる誤解満点の説明ではあったが、マルトーからすればこれ以外の解釈の仕様がない。
彼は件の決闘を遠くからしか見れず、詳しい事情や推移など知る由もなかったし、貴族達の強いた中途半端な情報規制は、マルトーに真実に辿り着かせるだけの情報を手に入れさせなかった。
その誤解満天の説明を……才人は信じた。
特に、彼の中のルイズに対する不信感は頂点に達しつつある。
自分に対する様々な扱いでさえあれだというのに、以前の使い魔を見殺しにしたと言うのは、到底受け入れられるものではなかった。
……実のところ、ルイズが才人に対してことさら辛く当たるのは、リンゴォのような事を繰り返したくないという恐怖と彼に対する思いやりの裏返しなのだが……それに気付けと才人に言うのは、無責任で残酷な言葉だろう。
故に、才人はルイズに対して、今回の一件の事を一切話さなかった。
(リンゴォとかって奴と同じように、見捨てられたら敵わない)
故に、自分ひとりの力で状況を解決するために努力した。
マルトーから教えてもらったモット伯の屋敷に向かい彼自身と交渉し、交換条件をもぎ取る事に成功する。
交換条件は、『ツェルプストー気に伝わる異世界の書物』……ツェルプストー! それがキュルケの苗字だった事を思い出し、才人は踊り狂わんばかりに喜んだ。
彼女ならば、理由を話して頼めば協力してくれるだろう! そのために何らかの条件を提示されたとしても、彼は嬉々として応えるつもりでいた。
貴族の家系の家宝がどれ程貴重なものか、理解は出来ないまでも予想は付いているつもりだ。たとえそれがキュルケの使い魔になれというものであっても、応える心の準備があった。
結果のみを言うと……そんな才人の思いは、スレ違いによって完膚なきまでに裏切られた。
家宝を譲ってくれ。
理由を話してから無礼なお願いをしてきた才人に、キュルケは心よく応じてから、「その代わり」……そう言って才人の頭を胸元に引き寄せた。
やはりそう来たか――あらかじめ腹をすえていた才人は、赤くなっただけで抵抗せずにキュルケに任せた。ただ、その時点で既に日は沈んでいて、このままキュルケとしっぽりしていたら、シエスタの救出が間に合わなくなる可能性がある。
その事を伝えた才人に対し、返ってきた言葉は……
『あら、そんなの明日でいいじゃない』
一気に。
友情や信頼、情欲の熱や興奮といった全ての感情が……冷めた。
ここでキュルケの名誉のために言っておくと、彼女がこういう言動をとったのは、彼女の生まれたゲルマニアという国の若い風土にある。
この国、恋愛に関してはことさら寛容であり、貴族が平民に恋し、平民が貴族にアプローチするという、トリスティンや他の国ではありえないような事が平然とまかり通っている国なのである。キュルケ自身がそうであるように、恋愛が身分思想の外にあるという、ある意味では才人のいた現代地球に近い感覚のある国だ。
そして、この国では平民が貴族に代われるという事は……絶望ではなく希望を、輝ける未来を奪うのではなく、輝ける未来を与える。
妾として買われた平民の娘が、その夜の技術によって正妻の座を力づくで奪い取る……そんな逸話が『シンデレラストーリー』の一種として伝えられているような国だ。妾になるという事は、その貴族との間に少なからぬ利害が発生するという事。跡継ぎでも生まれれば拍手喝采、跡継ぎでなくても、子に対する財産分与で恵まれた生活を送る事ができるのだ。
こういった恋愛にラフすぎる点が他国の貴族から軽蔑される大きな理由のひとつなのだが。
そんな国で生まれ育ち、その価値観を植えつけられたキュルケにとって、モット伯に買われたシエスタという少女は、『シンデレラストーリーの第一歩を踏み出した女性』なのである。
無論のこと、彼女自身も自分達の特異性は理解しており、トリスティン王国では限りなく異常な思考なのだという事くらい、わかっている。この国では妾が正妻になる事などありえない事も。
分かってはいるのだが……彼女の根底に根付いたゲルマニア人としての考え方は早々覆るものではないし、シエスタを助けようとする才人の行動に対して、理屈では理解し好意的にも捕らえているが、どうしても『おせっかいなんじゃないのか』という考えがぬぐえなかった。
そんな彼女の考え方が、先の発言につながったのである。
お前ら貴族は最低だ。
感情的などなり声なので聞き取れなかったが、おおよそそういう内容の言葉を突きつけられた事はわかった。
突き飛ばされ、ベッドに倒れこんだキュルケは、才人に対して失望したり怒ったりはしなかった。又、すぐに追いかけようともしなかった。自分が何故相手を怒らせたのか。それも分からず追いかけていっても、自体がこじれるだけだと考えたからだ。
何故いきなり逆上したのか、それを考えて……自分が無意識に口走った度し難い発言に思い当たり、頭を抱えた。
(か、完全にゲルマニアののりで喋っちゃった! ま、不味いわ!)
相手の好感度云々のレベルではない。明らかに、貴族の礼節を踏み荒らした下品な行い……何より彼女は、無意識のうちにシエスタの尊厳を傷つけるという暴虐を働いてしまったのだ。
その行いは、意識してのそれより断然重い。
キュルケはベッドから飛び上がると、件の書物を片手に、部屋を飛び出した。もはや損得勘定など気にしている場合ではない……! 己の所業の償いをするために、キュルケは走った。
が、とき既に遅し。
キュルケが部屋を飛び出したその瞬間、才人の馬は学園を飛び出してしまったのである。
「うわっ……! くそっ!」
馬を使って疾走する才人……という表現が使えれば理想的なのだろうが、生憎と今の才人は馬を走らせているのではなく、走っている馬にしがみついているような状態だった。
たずなを両手で握り、あっちこっちに引っ張って何とか馬を制御しようとするものの、腕の筋肉を酷使するのみで現実の好転になんら寄与しない。
もうすぐY字路にさしかかろうというのにこの様では、先が思いやられる。
(分かれ道で乗り捨てるしかないか!?)
一向に制御できない馬と己の手綱捌きに、才人はかなり無謀な決断を迫られた……この速度の馬から飛び降りれば、最低でも骨折は免れないだろうが。
後ろから伸びて手綱をとった手に、才人は骨折の危機を救われた。
「!?」
「――てんでなってない手綱捌きだな君は!」
驚愕に目をむく才人の胸元に、その人影はするりともぐりこんで、才人の手から手綱を奪取した。
そして――
ひひーーーーーーんっ!
「どぉーどうどうどうどう。落ち着くんだフェルデナント!」
驚いた事に。
あれほど荒れ狂っていた馬を、ほんの数秒で完全に御しきってしまったのである。
何を隠そうこのギーシュ・ド・グラモン。以前ちょっとした目的のために血の滲むような特訓をしたため、馬術ではちょっとしたものなのである。
……その理由が女の子と遠乗りに出かけるためとゆー、なんともアレな理由だったり、その訓練の折に、何度も落馬しかけて、一度など馬具に足だけ引っ掛けた状態で延々引きずられた事もあったりと、まあギーシュらしいエピソードが見え隠れするのだが。
ちなみに、馬具にしがみついた状態から走り出されて、そこから馬上の才人の前に潜り込めたのは、その時の苦い教訓から得た技術のおかげだったり。
「な、お前……え!?」
「始めまして、になるのかな? 馬泥棒の使い魔くん」
目を白黒させる才人と、呆れるギーシュ。
ギーシュ・ド・グラモンと平賀才人。後に親友となる二人の出会いは、こんな間の抜けた形でかわされたのだった。
「君の事は聞いているよ平賀才人。僕はギーシュ。ギーシュ・ド・グラモンだ。一応、昼間に一度あっているんだが……名乗ってはいなかったしね」
(こいつ……貴族!?)
才人のほうは、ギーシュの事など知る由もなかったが……月明かりに浮かぶその服装から、相手が貴族であることがうかがい知れたため、体を硬くした。唯一信頼していたキュルケに裏切られる形になった才人にとって、貴族というカテゴリそのものが敵意に価する存在になりつつあった。
「何故君が馬泥棒なんて働いたのかは大体想像がつく。だから……」
裁くとでもいうつもりか!?
貴族特有の傲慢さから出るであろう答えを予測し、身構えた才人にとって、ギーシュがとった行動は意外極まるものだった。
……手綱を振るい、馬を『進ませた』のだ!
「『協力』しよう!」
そして、ギーシュの声に応えるように、馬が加速を開始する!
「な、なんでっ!?」
いきなり事情も知らずに自分に協力すると言い出した貴族の男に、才人は驚愕の声をあげる事しかできなかった。相手があげた驚愕の声に、今度はギーシュが目を丸くして、
「何だ。
シエスタ、というメイドを助けに行くんじゃないのかい?」
「!? 何で知ってんだ!」
「じゃあ問題はない。何も、問題はない。
僕も、彼女を助ける理由があるんだからね」
モンモランシー経由でシエスタがモット伯に雇われたと聞いていたギーシュは、バラを咥えてふっと格好をつけた。バラ咥えた割に発音が正確なのは、血の滲む訓練の成果だ。唇にバラの棘が刺さりまくってそりゃあもうエラい事になった。
ギーシュとしては、明日屋敷まで直々に出向いてから、適当な理由をつけてシエスタを引き取り、あわせて謝罪しようと思っていたのだが……馬に引きずられながら才人ががむしゃらに急ぐ理由を察して、彼の論理のほうがレディを守る理屈としては正しいと悟って、協力する事にしたのである。
一日ぐらいなら大丈夫だろう? レディを守る薔薇が効いて呆れる怠惰な論理だと、ギーシュは自分が恥ずかしくなった。
加速していく馬、高速ですれ違う辺りの風景、体を撫でる風……そして、驚きと疑いでギーシュにつかまる事もできない才人。それらの気配を踏まえて、ギーシュは改めて会話を開始した。
考えてみれば、リンゴォという存在のせいで妙な親近感の沸くこの使い魔とは、今日この日がファーストコンタクトであり、会話すらしたことがないのだ。
「僕も男にしがみつかれる趣味はないから、しがみつくまいと努力してくれるのはありがたい。ただ、落ちられたら困るからね、出来れば馬具の後ろにしがみついてくれないかな。
それと……僕は彼女がモット伯に引き取られたという話しか聞いてないんだが……君はモット伯の屋敷に行って、どうするつもりなんだい?」
「…………」
ギーシュの質問に、才人は無言で馬具を掴んだ。掴んでから数瞬の沈黙を経て、答える。
「力ずくで」
言ってから改めて、己の言っている事の無謀さに愕然とした。
貴族に単独で喧嘩を売りに言って、勝てる道理があるのか? 訳のわからない能力の制御も出来てないのに?? もし勝ったとしても……その後の生活はどうする? 下手をすればシエスタの故郷にいる家族にすら類が及ぶかもしれないのに????
我ながら、己の無思慮ぶりに目眩を覚える才人だったが……彼が取れる選択肢は、それしかなかったのである。
いや、一日待ってでも、キュルケから本を譲ってもらったほうが良かったのか? それとも、あえてプライドと命を捨てて、ルイズにも事の次第を話すべきだったのか?
答えは、出なかった。
ただ、シエスタを無事に助け出したい。彼女の笑顔をこれ以上曇らせたくない。そんな思いだけが才人に取り付いて暴走していた。
「……いやはや、なんと言うか、無謀だね君は」
コレにはさしものギーシュも呆れてものが言えなかった。平民が貴族の館から人攫って逃げようなどと、よく思いつくものだ。
貴族が平民に挑む。
以前のギーシュなら鼻で笑う話しだし、今もそうしようとしたのだが……ふと、脳裏にある男の存在が浮かび上がってきた。
リンゴォ・ロードアゲイン。
平民にもかかわらず妙な力を持ち、貴族に挑んだあの男の存在が。
先述したように、ギーシュ・ド・グラモンはリンゴォの事が嫌いだったが、深層心理においては尊敬し、敬意すら払っていた。
だから、彼は自分自身の心の動きに戸惑いつつも、こう言ったのだ。
「君は……リンゴォという男を知っているかい?」
「確か、ルイズが見殺しにしたっていう」
「どうしてそういう事になるのか知らないが……それは違うとだけ言っておこうか。もしそう考えているのだとしたら、それはあの男に対する酷い侮辱だからね」
「侮辱、って……」
「彼はこう言っていたよ『公平なる果し合いは人間を成長させる』と。少なくとも、そう言った瞬間のあの男は、君が決闘で倒したボーンナムなんかよりずっと誇り高い姿だったように思える。
直接決闘者として相対した身だからこそわかる」
貴族が平民に劣るわけがない。
そんな優劣間に満ちた考えをギーシュは捨てていなかったが、ボーンナムがリンゴォよりも上等な人間だとは間違っても思えなかったし、この点だけは例外だとも考えていた。
「直接決闘!? それって……」
「僕は直接見ていたからそういう風に例外だと理解出来るけど、彼ら二人を知らない貴族は、決して認めないよ。
本当なら君の事も殺したくてたまらない連中は多いだろう。ボーンナムの家の人間とかは……けど、決闘を挑んで負けた挙句に勝者に罰をなんて、貴族の名誉を汚すからね。したくても出来ないのさ」
「…………」
「で、僕が何を言いたいのかというと、だ」
問い返しを見事にしかとされ沈黙する才人に、ギーシュは手綱を握る手を片方放した。そして、手にしたバラの花を才人に見えるように左右に振って。
「決闘を挑むんだよ、平賀才人」
「……は?」
「だから、決闘だ。君がモット伯に決闘を挑んで、勝てば全てが丸く収まるんだよ」
「そ、そんな事していいのかよ!」
「大丈夫さ」
貴族が平民に決闘を挑む。
一件無茶苦茶で自殺行為じみたこの話に、実は貴族側にとって意外な落とし穴がある事をギーシュは経験上知っていたのだ。
メイジという生き物は、平民に対してことさら力を誇示したがるものだ。決闘など挑まれれば、サディスティックな喜びを持って応えるだろう……BATしかし。
この決闘に負けた場合、貴族の側はマジで逃げ場が無くなってしまう……相手の要求に無条件に従わなければならないのである。
司法に訴えようにも、まさか『平民に決闘で負けたのが原因で……』なんぞと言おうものなら、良くて減領、下手すりゃ爵位剥奪の憂き目に会ってしまうからだ。最悪、才人が脅迫者にその身を堕したとしても、モット伯は何も出来ない。
命より名を惜しめ。グラモンの家訓であるこの言葉は、名誉を失う事が命に関わる貴族社会のあり方を端的に表していた。
貴族同士の決闘が禁止されていても、平民に対するそれは規制されていない。才人の主がルイズであるというのも、理想的な条件の一つだった。もし才人を口封じに殺害しようもんなら、面子を傷つけられたヴァリエール公爵家に喧嘩を売る事になりかねない。
そう……モット伯は己の血統ゆえに、決闘をうけ、なおかつそれを守らなければならないのである。
「決闘に君が勝ってしまえば、モット伯は何も出来ない! その事は、僕の名前と僕の家名に誓ってもいい! 立会人がいればなお完璧さ! しらばっくれる事もできなくなるからね……!」
「た、立会人って……」
「僕がなろう。僕はトリスティンのグラモン元帥の息子だ。立場的には申し分ない……それに、僕の父とモット伯はいわゆる政敵という奴でね」
「な!? じゃあ相手が決闘を受けない可能性もあるじゃねえか!」
「逆だよ平賀才人。だからこそモット伯は決闘を受ける。受けざるを得ないんだ。
平民相手に決闘するのを恐れた男と言われるのを恐れてね。そういう風に挑発すれば、乗ってくるだろう。
少なくとも、政敵の息子の僕が彼女を渡してくれと頭を下げるより、ずっと可能性は高いはずだ。
負ければ取り返しのつかない事になるが、勝てば全てが帳消しになる」
平賀才人の無謀な特攻は、ギーシュの策における致命的なリスク(自分が、モット伯の政敵に当たる事)すら、メリットに変えてしまっていた。
そして、ギーシュは興味がわいたのだ。
この、才人という少年に。
「それにもう一つモット伯が君を倒したがる理由がある」
「へ?」
「君が倒したボーンナム。彼のフルネームはボーンナム・ド・モット。
つまり、今僕らが向かっている屋敷の主は、彼の叔父にあたるんだよ。君は、甥っ子を打ちのめした憎い仇敵という事になる」
ボーンナム。その名前がギーシュの口から出るたびに、才人の気配は面白いほどころころ変わった。
感じられる感情の正体は、正に正しく……義憤と呼ばれうるもの。
自分をいたわってくれたメイドの少女を傷つけた、モット伯に対する怒りが、彼を突き動かしていた。
ああ、成る程。
ギーシュは今更ながら、背後にいる平民がいかに異質かを理解した。
この男は! 『決闘に至る過程をいかに処理するか』しか聞いてこない! 『決闘そのもの』を全く恐れていない!!
元からなのか、一度の決闘を経て成長したからなのかは分からないが、決闘に対する恐怖のなさにおいて、才人はリンゴォと完全に同質だった!
彼が勇気を持ったわけでもない。死を恐れていないわけでもない。
死の恐怖は確かにある! だが! 才人の貴族というカテゴリに対する強烈な怒りが! 彼の中の恐怖をかきけしていたのだ!
「会話の先導は僕がする。君は僕のいう事に合わせてくれ!」
「――なぁ、ひとついいか?」
「なんだい?」
あまりに親切に過ぎるギーシュの行動に、才人は不義理に当たるとはわかっていても不信感がぬぐえなかった。そりゃあそうだ。ギーシュと才人はコレが始めての会話であり、才人をそこまでしてフォローする理由などどこにもないのだから。
「お前、何でそこまで……」
「君のためじゃないさ。君の行いで救われるレディが少なくとも一人いる……コレを救うのは、グラモン家に生まれたものとしての義務だからね!」
ふっとキザに薔薇を咥えなおして……
ぷ す っ
「…………っっっっ!!!!!!」
「お、おい……どうした???」
「にゃ、にゃんでもない、にゃんでも!」
思いっきり唇をとげで突き刺し、唇からだらだら血を流す羽目になった。それを見た才人の中であいまいながら確定しかけていたギーシュの評価が、『カッコイイマトモな貴族?』から、『マヌケな貴族』にランクダウンした。
――目指すモット伯の屋敷はもうすぐである。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、その激動の夜の中をベッドの上で過ごしていた。
正確に言うなら、ベッドの上で何をするでもなく、ボーっとしていたのだ。その脳裏に揺らめくのは、先程どこかに行こうとするサイトを呼び止めた時の一連の会話だ。
才人がいない……!
夜中に目を覚ましその事に気づいたルイズは、顔面の血液をいっせいに後退させた。彼女の脳裏に真っ先に浮かんだのは、心臓を青銅の剣で突き刺されて、消えていった男のことだ。
まさか、彼に何かあったのでは? リンゴォのようにこの場から消えてしまうのでは?
才人の身の上を心配し、ルイズは慌てて着替えて……このとき、ブラウスが表裏逆になっていた事から、彼女がイカに慌てていたかがわかるだろう。部屋を飛び出して才人を探した。
……宿舎の入り口で才人を見つけたとき、ルイズの口から飛び出したのは相手を慮る言葉ではなく、怒りのお言葉だった。
『ちょっと! あんた何処に行くのよ!』
『……何処に行こうとお前には関係ないだろ』
『関係なくはないわよ! あんたは私の使い魔なんだから! どんな事情か知らないけど、ご主人様より優先すべきものなんてどこにもないのよ!?
あんな女のところへなんて行かせないわよ』
『…………!?』
この言葉でルイズを攻めるのはお門違いというものだ。
才人は調理場を飛び出したときに、ルイズの存在に気付いており、その事実から『彼女がシエスタのことを知っている』と推測し、確信していた。
しかし、ルイズはギーシュが扉でホームランされた後、ギーシュの運搬と料理長からの情報収集をモンモランシーに押し付け、才人の後を追いかけたのである。そう、彼女は『才人がしようとしている事どころか、シエスタが買われた事実すら知らなかった』のだ。
加えて、今の才人の体からは、キュルケの愛用している香水の残り香が漂ってきていた。ルイズは『あの女』はあくまでキュルケを指し示した言葉だった。
もうお分かりだろう。才人は『あの女』が指し示すのがシエスタの事だと連想してしまったのである。この誤解が、どれだけルイズの言葉を最悪なものにしたか。
二人は悪くない。だが、タイミングと選んだ言葉が最悪だっただけだ。
『なんなんだよそりゃあ……! お前ら貴族は何処まで最低なんだ!』
致命的な誤解に気付かず、才人は心の中に煮えたぎる怒りを、理性を通さずダイレクトに音声として吐き出した。
『そうやって! お前等は平民を使い潰す気かよ!』
『な、何を言ってるのよあんた……』
『そんな風にいうんだったら、使い魔なんてこっちからやめてやる!
代わりを召還したらいいだろ! お前が見捨てたリンゴォって奴の時みたいに!』
見捨てた。
その単語がルイズに与えた衝撃は計り知れなかった。
事実、その通りなのだ……! 使い魔の命を守るのならば、リンゴォがギーシュと決闘すると言ったあの時に、自分が間に割って入るべきだったのだ! たとえ、リンゴォ自身に軽蔑されたとしても!
才人が放った言葉の衝撃は、ルイズから全ての言葉を奪った。
使い魔契約の内容や、再契約の困難さを吐き出す余裕すらないほどに。
「ちょっと! ちょっとヴァリエール!」
――茫然自失の状態からルイズが戻ってきたとき、その場に才人はおらず。
変わりに、キュルケとタバサの二人がルイズの目の前に立って、声を荒げていた。
「……っ、ツェルプストー……」
「あなたの使い魔、今何処にいるか知らない!?」
自分より余程近い位置にいるはずのキュルケからの言葉で、ようやくルイズは完全に正気を取り戻し、逆に問い返した。
「……ちょっと! なんであなたが私に聞くのよ! あなたの所にいるんじゃないの!?」
その後のキュルケからの説明でようやく、ルイズは才人が何をしようとしていたか、何処を目指していたかという事の次第を聞かされたのである。
「ほぅ。誰かと思えば、あの種馬の倅ではないか」
ギーシュが門番に用向きを告げ、通された応接間にて……
現れたモット伯が、開口一番に言い放った言葉がそれだった。一緒に居る才人のこと黙殺だわ、相手馬鹿に仕切っているわで、普段の才人ならむっとする反応なのだが……
「それで? 貴様風情に割く時間は私には貴重すぎるのだが……何用かね?」
「……いえ、用があるのは私ではなく、こちらにいる平民でございます」
「ふん。流石に種馬の一族は品性下劣だな。平民の手足となって動くとは」
事前にギーシュから『会話は自分に任せろ、途中で君に対して無礼な発言があるかもしれないが、許容したまえ』と釘を刺されたので、ぐっと耐えた。
「いえ、彼はただの平民ではございません」
「ただの平民ではない!? では何だというのだ! 貴様が倒したという、悪魔と同じだとでもいうのか!」
「いいえ。ですが、似たようなものです」
「……?」
「この者は、『黒土』のボーンナムを決闘で打ち破った、ヴァリエール家の使い魔です」
「!? ほぅ……貴様が、わが甥を」
ギーシュが告げた瞬間、才人を見るモット伯の目つきがはっきりと変わった。あからさまな侮蔑から……明確な、敵意へと。
「この男が、自分の慕うメイドに手を出したのが許せないと、言って聞かないもので……」
「成る程。それで貴様昼間……ふん! そうか! そういうことなら話は早い!
我が甥への無礼をこの場で」
「お待ちくださいモット伯」
杖を構えようとするモット伯に、ギーシュは待ったをかけた。表面上はいつもどおりのくねくねした仕草だが、内心ではガチガチに緊張していた。
ここからが重要なのだ。
モット伯が才人に向ける殺意と優越感を利用して、なんとしても状況を決闘に持っていかないといけない。
「ボーンナムは仮にも決闘を挑んで敗れたのです。それを恨んで攻撃するなど、モット伯の栄光ある貴族としての名に泥を塗る事になりかねません」
「なんだと!?」
「僕自身、この平民の生意気な物言いには腹がったって仕方がないのです。あまつさえ、この男はボーンナムに勝ったことに味を占めて、あなたにまで決闘を挑もうとしている」
目をむくモット伯に、ギーシュは薔薇の杖をかざし、
「そこでどうでしょう? ここは『決闘』という形をとっては。これならば、ヴァリエール家も手出しできないでしょう」
「……ほう!」
モット伯は、それだけでギーシュが言いたい事……否、モット伯をだますために振りかざそうとしている詭弁に気が付いた。
要するに、ギーシュはモット伯にこう言っているのだ。
思い上がった小生意気な平民を、連中の流儀で完膚なきまでにぶちのめし、思い上がった鼻っ面を叩き折れと。
相手をあくまで薄汚い平民と罵る事に、ギーシュの策があった。今、モット伯は目の前にいる人間がグラモンの人間である事を忘れ、平民に対する優越感を共有してしまっているのである。今この場においてのみ、モット伯にとってギーシュは考えを同じくする同士であり、その言葉には聞くべき価値が発生していた。
「せめてもの哀れみに、そうですね……勝者が敗者に命令する権利を与えられては? この薄汚い平民にも、『希望』は必要でしょう」
「成る程な……いいだろう」
――よし、かかった!
――よっしゃ!
サディスティックに、醜い笑みを浮かべるモット伯の顔を見て、ギーシュと才人は心の中でハイタッチした。
「……さあ、コレで君の望みどおりだ平民。せいぜいつかの間の希望に酔いしれたまえ」
「ああ、ありがたくって涙が出るぜ」
「さて。モット伯。そうと決まれば……立会人は僕がさせていただきますよ」
内心の歓喜を押し隠し、二人は表面上そっけない会話を交わした。
決闘という条件が整ったからといって、才人がモット伯に勝てるのか? と聞かれてしまうと、首を傾げざるをえないだろう。
だから、ギーシュはこの決闘に更なる仕掛けを施すのだ。
「あー、それとモット伯」
「なんだね?」
唐突に思い出したように、ギーシュは訝しげなモット伯にその仕掛けを告げた。
「相手は薄汚い平民です。それ故に、貴族の決闘の作法は通用しないでしょう。貴族の決闘なんてそっちに有利だ、などと言い訳されても困ります。
僕たち貴族が平民の決闘に合わせるなど論外です」
「まあ、確かにな」
才人の面差しを見てモロに嘲笑するモット伯。ギーシュは、バラの花をぴっと立てて、
「そこで、です。ここは、平民でも貴族でもない、第三者の決闘の流儀に沿わせるのはいかがでしょう?」
「第三者?」
「はい。僕が先日打ち倒した、悪魔の流儀にあわせてはいかがでしょう」
「ほう! 悪魔の……!」
「はい」
興味深いとばかりに声を上げたモット伯に、ギーシュはにっこりと笑って、
「直接聞いたわけではありませんが、戦ってみてわかったことは、悪魔の決闘は、『公正なる果し合い』なのです」
「公正だと……? メイジと平民でか!」
「ええ。単純に、己の持つ全ての能力を予め提示するだけなのですがね。戦う前に、悪魔は『公正にするため』に己の能力を僕に提示しました。
お互いが死ぬまで続けるあたりが悪魔らしいといえばらしいのですが……ここでは、杖を落とすか『参った』と言うかが敗北条件という事で。平民相手に命を奪うなど、スマートではありませんし」
「成る程! 面白い! その方式でいこうじゃあないか!」
手を打って喜び、ギーシュの進言をモット伯は受け入れた。彼の中では己の勝利は既に確約されたものであり、後はどれだけ才人を惨めに殺すかしか頭になかった。
「我が二つ名は波濤! 水のトライアングルメイジであり、貴族たるもの!
私は宣言しよう」
モット伯が手にした杖を振りかざし、応接間の隅に転がっていた花瓶が倒れた。柔らかいじゅうたんに受け止められた花瓶は割れることなく、その中身の花と水をぶちまけて……
水が、うごめいた。
「私はこの人掬いの水を操り、君を殺そうじゃないか! 平民!」
「……えっと、じゃあ」
いきなり堂々と宣言し始めたモット伯にあっけに取られ、口ごもってしまう才人に、ギーシュは呆れながら歩み寄った、そしてその耳元に口を近づけ、
「君の能力を包み隠さず話たまえ。それが、油断を呼ぶ」
「――っ! わかった」
「やれやれ。平民はコレだから……伯爵。せめてもの情けに、応接間から人を払っていただけませんか?」
「うむ。まあそうだな」
アドバイスした事など微塵も感じさせず、ギーシュは肩を竦めて両者から距離をとった。その間に、モット伯に支持された使用人達が椅子やテーブルなどの家具を移動させ、応接間に拾いスペースを作る。
「俺は……平賀才人だ。
能力はよくわからないが、一時的にゴーレムでも何でもあっさり倒せるくらいに身体能力が上がる。条件がわかってないが、発動するかもしれない。武器は、この剣だ」
「はっ! 条件もよくわからない能力か!」
もはや、平民という枕詞すらつけずに、モット伯は嘲笑を浮かべ……
「双方準備は整ったようですね」
屋敷の三人しかいない応接間を舞台に。
「では――初め!」
決闘が、始まった。