ルイズはベッドの中で夢を見ていた。
トリステイン魔法学院から馬で三日ほどの距離、生まれ故郷での夢だった。
幼い頃のいルイズは屋敷の中庭を逃げ周り、植え込みの陰に隠れて、追っ手をやり過ごす。
ルイズは出来のいい姉たちと比較されては、物覚えが悪いと叱られていたのだ。
「まったく、ルイズお嬢様にも困ったものだねえ」
「上の二人はあんなに素晴らしいメイジなのに……」
幼い頃のルイズは、いつもこうやって屈辱を受けていた。
召使いたちですら、自分が聞いていないと思って、こんな事を言う。
魔法が使えないのは事実だが、召使いにまで馬鹿にされるのが悔しくて仕方がなかった。
ルイズは植え込みの中を移動し、あまり人の寄りつかない中庭に移動した。
中庭には池があり、そこには小舟が浮かんでいる。ルイズは小舟に乗り込んで池の真ん中まで移動した。
叱られたルイズはいつもここに逃げ込む。そして、誰かがルイズの元を訪れるのだ。
「泣いているのかい? ルイズ」
「子爵さま…」
幼いルイズは慌てて顔を上げたが、すぐに顔を隠した。ルイズの元にやってきたのは、憧れの人なのだ。
泣き顔を見られてしまうのはいくら何でも恥ずかしい。
「今日はきみのお父上に呼ばれたのさ」
憧れの人は、幼いルイズを抱き上げようとする。が、突然憧れの人との距離が離れた。
「子爵さま!」
驚いて声を上げるルイズ。
夢の中でルイズは、他の誰かに抱き上げられてしまったのだ。
夢の中で子爵は、ルイズが誰かに抱き上げられているのに、何も言わない。
笑顔一つ崩れることがなかった。ルイズはその表情に、一抹の不安を覚えた。
ルイズが自分を抱きかかえている人は誰なのか見上げる
ルイズを抱き上げているのは、どこかで見たことのある銀色…
いや、白金に輝く筋骨隆々とした男だった。
ルイズを抱き上げた彼は、まるで、迫り来る敵を警戒するかのように、ルイズの憧れの人を見ていた。
さて、ルイズが不可解な夢から目覚めて、欠伸をしている頃、オールド・オスマンの秘書であるミス・ロングビルは、宝物庫の状態を調査していた。
宝物庫は、壁も扉もスクウェアメイジによる『固定化』の魔法がかけられており、トライアングルクラスのメイジではまったく歯が立たない。
それどころか、中にあるもう一枚の扉は、スクウェアメイジでも一人では破ることも出来ないだろう。
この宝物庫は国家の宝物もいくつか預かっているため、最重要の宝物が収納された奥の扉は、スクウェアメイジが複数人…おそらく五人以上で固定化の魔法を掛けられている。
教師のコルベールは、物理的な力を使えば破壊することも不可能ではないと言っていたが、『土くれのフーケ』が作り出すゴーレムが力づくで殴っても、破ることが不可能なのは明らかだった。
ふう、とため息をついたロングビルは、宝物庫の扉を小突く。
この中には、国中の貴族が驚くようなお宝が沢山眠っている。
それを盗み出すことが出来れば、国中の貴族はおろか王族にも一泡吹かせられるだろう。
オールド・オスマンの秘書にしては、危険すぎる思考を巡らせるロングビル。
「おい」
そこに、突然声を掛けられた。
驚いて振り向くと、そこには黒マントをまとった長身の人物が立っていた。
薄暗い宝物庫の中で、白い仮面に覆われて顔の見えぬ男に、突然声を掛けられたのだから驚く。
その上マントの中から、メイジの証である魔法の杖が突き出ているのが見えた。
「だ、誰かしら?仮面を被ったお客さんなんて、珍しいですわね」
仮面を被った男、声の調子からして男だろう。そいつはわざとらしくサイレントの魔法を唱えると、こう言った。
「『土くれ』だな?」
「………」
警戒するロングビルに、その男は両手を開き、敵意がないことを示した。
「話をしにきた」
「は、話? 何の用でしょうか。私はただの秘書ですわ」
「マチルダ・オブ・サウスゴータ」
ロングビルの顔が真っ青になる。焦りを顔に出してはいけない。そう言い聞かせたが、体が言うことを聞かない。
心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。
しばらくの静寂の後、男は小声で
「再びアルビオンに仕える気はないかね?」
と言った。
ルイズは、怖いと評判の教師、ミスタ・ギトーの授業を受けていた。
シュヴルーズ先生やコルベール先生が教室に入ってきても、すぐには静かにならない。
しかしこの先生は別だ。オスマン氏にも『君は怒りっぽくていかん』と言われる程である。
疾風のギトーという二つ名を持つその教師は、長い黒髪と黒いマントを特徴とする。
ハッキリ言って不気味だ。
「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」
「『虚無』じゃないんですか?」
「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いてるんだ」
このように、いちいち引っかかる言い方をする。
生徒からの人気がないのも仕方がない。特にキュルケはこの教師を嫌っていた。
「火に決まってますわ。すべてを燃やしつくせるのは、炎と情熱…」
キュルケの言葉を遮るかのように、ギトーは杖を抜いて言い放つ。
「残念ながらそうではない。この私にきみの得意な魔法をぶつけてきたまえ」
ギトーはキュルケを挑発するように言う。そこまでされて黙っていられるキュルケではない。全力でぶつけるのつもりでキュルケは呪文を詠唱する。
掌の上に現れた小さな炎が、直径一メイル(m)ほどの大きさになるのに時間はかからなかった。
それを見た生徒達は慌てて机の下に批難し、それを合図にしてキュルケは魔法を放った。
しかしギトーは剣を振るかのように杖を振り、風邪の魔法を放ち炎の玉を霧散させ、キュルケをも吹き飛ばした。
「諸君、風が最強たる理由を教えよう。風は偏在し、すべてを薙ぎ払う。試したことはないが、『虚無』の魔法でも吹き飛ばすことが可能だろう。それが風の魔法だ」
生徒達は机の下から出て、席に座り直す。キュルケも立ち上がり、不満そうにしながらも席に着いた。
「でも、ゼロのルイズなら…」
少々太り気味の生徒、風上のマルコリヌが、ぼそっと呟いた。
それを聞いたギトーは眉をひそめる。
マルコリヌはギョっとしたが、ギトーは眉をひそめたままルイズを見たので、マルコリヌはほっと胸をなで下ろした。
しかし、ルイズの方を見ると、ルイズは明らかな殺意を持った目でマルコリヌを見ていた。
その目つきに驚いたマルコリヌは、ルイズからの『爆破予告』を受けた気がして、失神した。
ギトーの視線がルイズから外れ、教室の扉に向けられると、ギトーは軽く杖を振った。
開かれた扉の向こうで、オールド・オスマンの秘書である、ミス・ロングビルが少し驚いたような表情で立っていた。
ロングビルが「失礼します」と言いながら教室に入ろうとすると、ギトーが「授業中です」と言って咎めた。
「学院長からの伝言をお伝えします。ミス・ヴァリエール、この間の件について、至急事情を聞きたいとの事です。
至急学院長室に来てくださるようお願いします」
「は、はい」
ルイズは内心で、助かったと思いつつ、急いで教室を離れるのだった。
「失礼します」
「おお、ミス・ヴァリエール、待っておったぞ。早速じゃが…」
オールド・オスマンは、ルイズが学院長室に入り扉を閉めると、すぐに扉の鍵を閉める呪文を唱え、次に部屋の音を外に漏らさない呪文、最後にルイズの体にマジックアイテムが仕掛けられていないか探知する呪文を唱えた。
その真剣さにルイズは驚き、硬直していたが、すぐに気を取り直して姿勢を正した。
「ミス・ヴァリエール、まずは謝らせてもらう。事情を聞くというのは嘘じゃ」
ルイズは黙ってそれを聞いた。
「火急の用、それも密命じゃ。今すぐに厨房脇の倉庫から馬車に乗り込んでもらう。食材を調達する馬車なので窮屈じゃが我慢してくれ。馬車には使用人の服が準備されておるので移動中に着替えて、その後は指示を待つんじゃ」
ルイズは驚いた。平民に変装して移動するなんて、まるで命を狙われた没落貴族だ。
しかし、更に驚いたのは、オールド・オスマンの机の上にある一枚の書状だった。
「アンリエッタ姫殿下直々の花押じゃ。この密命は確かに伝えたぞい」
オールド・オスマンは、火の呪文を唱え、そのばで書状を燃やした。
書状を燃やすという行為は、恐るべき不敬であるが、オスマン氏の真剣な表情が『なりふり構わない状態』であることを告げていた。
ルイズはオスマン氏に一礼すると、学院長室を出て、急いで厨房に向かった。
オスマン氏は、学院の生徒が王宮の都合で使われることが好きではない。ふぅ、とため息をつくと立ち上がり、神妙な面持ちで窓の外を見上げた。
ガタガタ、ガタガタと、揺れる馬車の中。
馬車は幌が被さり外から見ることは出来ない。
トリスティン魔法学院の所属であることを示す紋章すら、この馬車には一つも描かれていなかった。
馬車の外で手綱を握っているのは、料理長のマルトーで、中にはルイズとシエスタが乗っていた。
シエスタはルイズの着替えを手伝っていた。マルトーの耳にはルイズとシエスタが楽しそうに着替える声が聞こえてくる。
マルトーはそれを訝しく思っていたが、ルイズの着替が終わりシエスタと手綱を交換すると、いつもシエスタが話す『一風変わった貴族』ルイズのいる馬車の中に入っていった。
ルイズはシエスタが手綱を扱えることに驚いていた。馬に乗るのならまだしも、二頭の馬を操って馬車を引く経験もあるとは思わなかったからだ。
「シエスタって、何でも出来るのかな」
そう呟くルイズに、マルトーが言った。
「貴族様は魔法をお使いになるじゃありませんか」
マルトーは貴族に対してあまり良い印象を持っていない。それどころか毛嫌いしている節もあった。
しかし、シエスタから話を聞いている『ルイズ』の存在は、マルトーにとっても気になる存在だったのだ。
万能の魔法を使い、平民を動物と同列に扱うのが貴族だと思っていたマルトーは、メイジとは思えないルイズの発言に驚いたのだ。
マルトーはルイズのあだ名を思い出し、あっ、と小さな声を上げた。
『ゼロのルイズ』に対して、今の発言は喧嘩を売っているようなモノだ。
マルトーは貴族嫌いではあるが、正面から喧嘩を売るようなマネをして殺されるのは、いくら何でも遠慮しておきたかった。
だが、ルイズの言葉は、自分を責めるモノではなかった。それがマルトーを更に驚かせる。
「塩を錬金できるメイジは沢山居るわ。でも、美味しい食事は錬金できないもの」
この言葉はカトレアからの受け売りだった。
体が弱く、外に出られなかったカトレアに、母親は旅先で作らせたドレスや調度品を土産として渡し、寂しさを紛らわせようとしていた。
しかし、ある日ルイズにこんな事を言ったのだ。
錬金によって、精巧な黄金のオブジェを作り出すメイジもこの世には存在する。
しかし、黄金を加工して糸を作り、見事なカーテンやドレスを縫える職人技は、その微細さ故にスクウェアクラスのメイジでもなかなか再現できない。
どんなに魔法が優れていても、私は外でルイズのように遊ぶことができない。
本当に魔法は、メイジは、貴族は優れているのだろうか…と。
馬車を走らせるシエスタの後ろ姿を見て、カトレアが一番欲しいはずの『健康』を備えたその姿が、とてもまぶしく感じれた。
マルトーは、驚き、感動し、少し疑った。
ルイズの言葉が、いつも自分が言っている言葉に似ていたからだ。
『料理は食材を美味しくする魔法なんだ』
マルトーはそう言って、自分の料理を自慢していた。
しかし、貴族に心を許せないのは事実。シエスタがルイズに利用されるのではないかと危惧していたのも事実だ。
マルトーは、目の前にいる貴族、『ルイズ』を信用して良いのか、判断できなかった。
馬車が予定の場所に到着すると、そこには王宮の雑務その他をこなすメイド達が使う、小さな馬車が待っていた。
その馬車の手綱を引くメイドは、ルイズにこちらに乗り換えるように告げた。
シエスタに「ありがと」と小声で礼を言って、馬車を乗り換えたルイズ。
馬車の中で彼女を待っていたのは、懐かしい人の抱擁だった。
「久しぶりだ、ルイズ! 僕のルイズ!」
「…ワ、ワルド様…ワルド様!?」
憧れの人に抱きかかえられたルイズは、夢のような再開の喜びに酔いしれていた。
今朝見た夢を忘れてしまうほどに。
トリステイン魔法学院から馬で三日ほどの距離、生まれ故郷での夢だった。
幼い頃のいルイズは屋敷の中庭を逃げ周り、植え込みの陰に隠れて、追っ手をやり過ごす。
ルイズは出来のいい姉たちと比較されては、物覚えが悪いと叱られていたのだ。
「まったく、ルイズお嬢様にも困ったものだねえ」
「上の二人はあんなに素晴らしいメイジなのに……」
幼い頃のルイズは、いつもこうやって屈辱を受けていた。
召使いたちですら、自分が聞いていないと思って、こんな事を言う。
魔法が使えないのは事実だが、召使いにまで馬鹿にされるのが悔しくて仕方がなかった。
ルイズは植え込みの中を移動し、あまり人の寄りつかない中庭に移動した。
中庭には池があり、そこには小舟が浮かんでいる。ルイズは小舟に乗り込んで池の真ん中まで移動した。
叱られたルイズはいつもここに逃げ込む。そして、誰かがルイズの元を訪れるのだ。
「泣いているのかい? ルイズ」
「子爵さま…」
幼いルイズは慌てて顔を上げたが、すぐに顔を隠した。ルイズの元にやってきたのは、憧れの人なのだ。
泣き顔を見られてしまうのはいくら何でも恥ずかしい。
「今日はきみのお父上に呼ばれたのさ」
憧れの人は、幼いルイズを抱き上げようとする。が、突然憧れの人との距離が離れた。
「子爵さま!」
驚いて声を上げるルイズ。
夢の中でルイズは、他の誰かに抱き上げられてしまったのだ。
夢の中で子爵は、ルイズが誰かに抱き上げられているのに、何も言わない。
笑顔一つ崩れることがなかった。ルイズはその表情に、一抹の不安を覚えた。
ルイズが自分を抱きかかえている人は誰なのか見上げる
ルイズを抱き上げているのは、どこかで見たことのある銀色…
いや、白金に輝く筋骨隆々とした男だった。
ルイズを抱き上げた彼は、まるで、迫り来る敵を警戒するかのように、ルイズの憧れの人を見ていた。
さて、ルイズが不可解な夢から目覚めて、欠伸をしている頃、オールド・オスマンの秘書であるミス・ロングビルは、宝物庫の状態を調査していた。
宝物庫は、壁も扉もスクウェアメイジによる『固定化』の魔法がかけられており、トライアングルクラスのメイジではまったく歯が立たない。
それどころか、中にあるもう一枚の扉は、スクウェアメイジでも一人では破ることも出来ないだろう。
この宝物庫は国家の宝物もいくつか預かっているため、最重要の宝物が収納された奥の扉は、スクウェアメイジが複数人…おそらく五人以上で固定化の魔法を掛けられている。
教師のコルベールは、物理的な力を使えば破壊することも不可能ではないと言っていたが、『土くれのフーケ』が作り出すゴーレムが力づくで殴っても、破ることが不可能なのは明らかだった。
ふう、とため息をついたロングビルは、宝物庫の扉を小突く。
この中には、国中の貴族が驚くようなお宝が沢山眠っている。
それを盗み出すことが出来れば、国中の貴族はおろか王族にも一泡吹かせられるだろう。
オールド・オスマンの秘書にしては、危険すぎる思考を巡らせるロングビル。
「おい」
そこに、突然声を掛けられた。
驚いて振り向くと、そこには黒マントをまとった長身の人物が立っていた。
薄暗い宝物庫の中で、白い仮面に覆われて顔の見えぬ男に、突然声を掛けられたのだから驚く。
その上マントの中から、メイジの証である魔法の杖が突き出ているのが見えた。
「だ、誰かしら?仮面を被ったお客さんなんて、珍しいですわね」
仮面を被った男、声の調子からして男だろう。そいつはわざとらしくサイレントの魔法を唱えると、こう言った。
「『土くれ』だな?」
「………」
警戒するロングビルに、その男は両手を開き、敵意がないことを示した。
「話をしにきた」
「は、話? 何の用でしょうか。私はただの秘書ですわ」
「マチルダ・オブ・サウスゴータ」
ロングビルの顔が真っ青になる。焦りを顔に出してはいけない。そう言い聞かせたが、体が言うことを聞かない。
心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。
しばらくの静寂の後、男は小声で
「再びアルビオンに仕える気はないかね?」
と言った。
ルイズは、怖いと評判の教師、ミスタ・ギトーの授業を受けていた。
シュヴルーズ先生やコルベール先生が教室に入ってきても、すぐには静かにならない。
しかしこの先生は別だ。オスマン氏にも『君は怒りっぽくていかん』と言われる程である。
疾風のギトーという二つ名を持つその教師は、長い黒髪と黒いマントを特徴とする。
ハッキリ言って不気味だ。
「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」
「『虚無』じゃないんですか?」
「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いてるんだ」
このように、いちいち引っかかる言い方をする。
生徒からの人気がないのも仕方がない。特にキュルケはこの教師を嫌っていた。
「火に決まってますわ。すべてを燃やしつくせるのは、炎と情熱…」
キュルケの言葉を遮るかのように、ギトーは杖を抜いて言い放つ。
「残念ながらそうではない。この私にきみの得意な魔法をぶつけてきたまえ」
ギトーはキュルケを挑発するように言う。そこまでされて黙っていられるキュルケではない。全力でぶつけるのつもりでキュルケは呪文を詠唱する。
掌の上に現れた小さな炎が、直径一メイル(m)ほどの大きさになるのに時間はかからなかった。
それを見た生徒達は慌てて机の下に批難し、それを合図にしてキュルケは魔法を放った。
しかしギトーは剣を振るかのように杖を振り、風邪の魔法を放ち炎の玉を霧散させ、キュルケをも吹き飛ばした。
「諸君、風が最強たる理由を教えよう。風は偏在し、すべてを薙ぎ払う。試したことはないが、『虚無』の魔法でも吹き飛ばすことが可能だろう。それが風の魔法だ」
生徒達は机の下から出て、席に座り直す。キュルケも立ち上がり、不満そうにしながらも席に着いた。
「でも、ゼロのルイズなら…」
少々太り気味の生徒、風上のマルコリヌが、ぼそっと呟いた。
それを聞いたギトーは眉をひそめる。
マルコリヌはギョっとしたが、ギトーは眉をひそめたままルイズを見たので、マルコリヌはほっと胸をなで下ろした。
しかし、ルイズの方を見ると、ルイズは明らかな殺意を持った目でマルコリヌを見ていた。
その目つきに驚いたマルコリヌは、ルイズからの『爆破予告』を受けた気がして、失神した。
ギトーの視線がルイズから外れ、教室の扉に向けられると、ギトーは軽く杖を振った。
開かれた扉の向こうで、オールド・オスマンの秘書である、ミス・ロングビルが少し驚いたような表情で立っていた。
ロングビルが「失礼します」と言いながら教室に入ろうとすると、ギトーが「授業中です」と言って咎めた。
「学院長からの伝言をお伝えします。ミス・ヴァリエール、この間の件について、至急事情を聞きたいとの事です。
至急学院長室に来てくださるようお願いします」
「は、はい」
ルイズは内心で、助かったと思いつつ、急いで教室を離れるのだった。
「失礼します」
「おお、ミス・ヴァリエール、待っておったぞ。早速じゃが…」
オールド・オスマンは、ルイズが学院長室に入り扉を閉めると、すぐに扉の鍵を閉める呪文を唱え、次に部屋の音を外に漏らさない呪文、最後にルイズの体にマジックアイテムが仕掛けられていないか探知する呪文を唱えた。
その真剣さにルイズは驚き、硬直していたが、すぐに気を取り直して姿勢を正した。
「ミス・ヴァリエール、まずは謝らせてもらう。事情を聞くというのは嘘じゃ」
ルイズは黙ってそれを聞いた。
「火急の用、それも密命じゃ。今すぐに厨房脇の倉庫から馬車に乗り込んでもらう。食材を調達する馬車なので窮屈じゃが我慢してくれ。馬車には使用人の服が準備されておるので移動中に着替えて、その後は指示を待つんじゃ」
ルイズは驚いた。平民に変装して移動するなんて、まるで命を狙われた没落貴族だ。
しかし、更に驚いたのは、オールド・オスマンの机の上にある一枚の書状だった。
「アンリエッタ姫殿下直々の花押じゃ。この密命は確かに伝えたぞい」
オールド・オスマンは、火の呪文を唱え、そのばで書状を燃やした。
書状を燃やすという行為は、恐るべき不敬であるが、オスマン氏の真剣な表情が『なりふり構わない状態』であることを告げていた。
ルイズはオスマン氏に一礼すると、学院長室を出て、急いで厨房に向かった。
オスマン氏は、学院の生徒が王宮の都合で使われることが好きではない。ふぅ、とため息をつくと立ち上がり、神妙な面持ちで窓の外を見上げた。
ガタガタ、ガタガタと、揺れる馬車の中。
馬車は幌が被さり外から見ることは出来ない。
トリスティン魔法学院の所属であることを示す紋章すら、この馬車には一つも描かれていなかった。
馬車の外で手綱を握っているのは、料理長のマルトーで、中にはルイズとシエスタが乗っていた。
シエスタはルイズの着替えを手伝っていた。マルトーの耳にはルイズとシエスタが楽しそうに着替える声が聞こえてくる。
マルトーはそれを訝しく思っていたが、ルイズの着替が終わりシエスタと手綱を交換すると、いつもシエスタが話す『一風変わった貴族』ルイズのいる馬車の中に入っていった。
ルイズはシエスタが手綱を扱えることに驚いていた。馬に乗るのならまだしも、二頭の馬を操って馬車を引く経験もあるとは思わなかったからだ。
「シエスタって、何でも出来るのかな」
そう呟くルイズに、マルトーが言った。
「貴族様は魔法をお使いになるじゃありませんか」
マルトーは貴族に対してあまり良い印象を持っていない。それどころか毛嫌いしている節もあった。
しかし、シエスタから話を聞いている『ルイズ』の存在は、マルトーにとっても気になる存在だったのだ。
万能の魔法を使い、平民を動物と同列に扱うのが貴族だと思っていたマルトーは、メイジとは思えないルイズの発言に驚いたのだ。
マルトーはルイズのあだ名を思い出し、あっ、と小さな声を上げた。
『ゼロのルイズ』に対して、今の発言は喧嘩を売っているようなモノだ。
マルトーは貴族嫌いではあるが、正面から喧嘩を売るようなマネをして殺されるのは、いくら何でも遠慮しておきたかった。
だが、ルイズの言葉は、自分を責めるモノではなかった。それがマルトーを更に驚かせる。
「塩を錬金できるメイジは沢山居るわ。でも、美味しい食事は錬金できないもの」
この言葉はカトレアからの受け売りだった。
体が弱く、外に出られなかったカトレアに、母親は旅先で作らせたドレスや調度品を土産として渡し、寂しさを紛らわせようとしていた。
しかし、ある日ルイズにこんな事を言ったのだ。
錬金によって、精巧な黄金のオブジェを作り出すメイジもこの世には存在する。
しかし、黄金を加工して糸を作り、見事なカーテンやドレスを縫える職人技は、その微細さ故にスクウェアクラスのメイジでもなかなか再現できない。
どんなに魔法が優れていても、私は外でルイズのように遊ぶことができない。
本当に魔法は、メイジは、貴族は優れているのだろうか…と。
馬車を走らせるシエスタの後ろ姿を見て、カトレアが一番欲しいはずの『健康』を備えたその姿が、とてもまぶしく感じれた。
マルトーは、驚き、感動し、少し疑った。
ルイズの言葉が、いつも自分が言っている言葉に似ていたからだ。
『料理は食材を美味しくする魔法なんだ』
マルトーはそう言って、自分の料理を自慢していた。
しかし、貴族に心を許せないのは事実。シエスタがルイズに利用されるのではないかと危惧していたのも事実だ。
マルトーは、目の前にいる貴族、『ルイズ』を信用して良いのか、判断できなかった。
馬車が予定の場所に到着すると、そこには王宮の雑務その他をこなすメイド達が使う、小さな馬車が待っていた。
その馬車の手綱を引くメイドは、ルイズにこちらに乗り換えるように告げた。
シエスタに「ありがと」と小声で礼を言って、馬車を乗り換えたルイズ。
馬車の中で彼女を待っていたのは、懐かしい人の抱擁だった。
「久しぶりだ、ルイズ! 僕のルイズ!」
「…ワ、ワルド様…ワルド様!?」
憧れの人に抱きかかえられたルイズは、夢のような再開の喜びに酔いしれていた。
今朝見た夢を忘れてしまうほどに。