ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

仮面のルイズ-75

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ラ・ロシェールの街は、アルビオンとトリステインを繋ぐ港町として栄えているが、元々は戦争のために作られた砦であった。
現在は宿として使われているが、この街一番の宿『女神の杵』亭は砦を改装した店だと言われ有名である。

ふだんは旅行客と船乗りを相手にするラ・ロシェールの酒場も、神聖アルビオン帝国との戦いを目前に控えた現在、客層は兵士・傭兵・人夫・商隊がほとんどであった。

娼婦達も稼ぎ時だとばかりに馴染みの酒場へ出かけ、客をとっては宿へ行き、金のない者は倉庫で済ませ、あげく人気のなさそうな路地へと引き込むものもいる。
そんな娼婦達にも、近寄るべきではない場所というものがある。
たちの悪い盗賊や人攫いが、寂れていそうな酒場に集まると、すぐに女達の噂となり、ごく自然にその一角から姿を消していく。
彼女たちはお互いが商売敵ではあるが、互いの境遇から来る同情心と、身を守るための仲間意識を捨てた訳ではないのである。

だからこそ、女たちの近寄らない酒場の裏手から、華奢な女が出てくるというのは、同業者にしてみれば異常な光景なのであった。



(嫌な視線ね…)
ルイズは自分に向けられた視線を気にして、フードの端をつまみ深く被り直した。
とぼとぼと夜の街を歩きながら、自分がここに来た理由を思い出していた。

(表面上は平和でも、裏通りは油断のならない街だわ)
ラ・ロシェールを警備する衛兵達は、衛兵と自警団だけのは治安の維持に限界があると考え、市内の管理を任されているメルクス男爵に改善の措置を訴えていた。
しかし、提出された嘆願書はもみ消された。
アルビオン人(戦争前にアルビオンから疎開した者、戦時にアルビオンから逃げ出した者)と旧来のラ・ロシェール住民の間に、意図して対立を深めようとする第三者の行動があると分かっていながら、それを無視するのがどうにも不可解であった。

また、着の身着のままアルビオンを脱出した者は、行き場もなく飢えに苦しんでいる。
ウェールズの纏める亡命政権が、旧来のアルビオン民と連絡を取り合い救済に奔走しているが、食料も場所も用意できてはいない。
奴隷商人や人さらいの餌食になっているのが現状であった。

傭兵もまた、雇われたからといって、命令通りに戦うとは限らない。
商人と結託し、トリステイン軍の内情をアルビオン帝国に売ろうとする者も出てくるだろう。
最悪、補給線の崩壊もありうるのだ。


ラ・ロシェールの街は補給を行う上で重要な拠点だが、王宮の目が行き届かない場所でもある。
アンリエッタは戦争を機に、ラ・ロシェールに信頼できる銃士隊を送り込んで監督をさせようかと思ったこともあるが、ウェールズが反対した。
船乗りの集まる街の気風は、ウェールズのほうがよく知っている。
少しでも疑問があるなら念入りに調査するべきだが、監督という名目では現地の人間と軋轢を生むのは得策ではないと忠告した。
マザリーニもそれには同意見だが、どの貴族も戦争の準備で忙しい上、銃士隊も魔法学院の警備・訓練で手一杯。
魔法衛士隊やトリステイン軍を使って内偵を進めるにも、顔が広い貴族がいてはやりにくい。

なので、ルイズがこの件に興味を持ったのは渡りに船であった。

(それにしても、やっぱり、話し相手が居ないと寂しいわね)

ルイズは無意識のうちに、今は背中にない鞘の感触を確かめようと背後に手を回していた。

(お父様が時々呟いた言葉、今ならよくわかる)
ルイズの記憶には、父であるヴァリエール公爵の言葉がこびり付いていた。
『兵を食わせなければならない』単純だが、自分が生き血を必要とするように、普通の人間には食事が必要だと再認識すれば、その言葉はとても重くなる。
貴族・国家が集めた傭兵の数は膨大であり、食料の確保だけでも一つの事業と言える。
『まず食糧、次に人数』
そう言ったのは父だろうか、父と話している誰かだろうか、はっきりとは思い出せないが、とても重要な言葉だと思えた。
ずっと昔に父や、近しい人から聞いた話が今頃になって重要な話しだと解る。
おそらく自分が魔法学院に残っていたら、この記憶が引き出されることも無かっただろう。
皮肉にも父親から離れて初めて、父母や家庭教師の何気ない言葉が、大切な知識だと思えてくる。

でも、ウェールズやアンリエッタよりずっと自分は幸福な気がする。
たとえ会えなくても、家族は元気でやっているのだから。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



ラ・ロシェールの朝は早い。
北側の岸壁は朝焼けで赤く染まり、反射光が街中を優しく照らしだすと、夜を生きる人々は眠りにつき、昼を生きる人達は仕事の準備をする。
日が昇るにつれて人通りが多くなり、店の軒先には果物や野菜が並び始めた。
街道沿いの店で、今日最初の客がリンゴを買う、客はラ・ロシェールは初めてなのか、桟橋の場所を店主に聞いて店を離れていく。
店主は、今の客は旅慣れているようだが傭兵には見えない、貴族でないメイジかもしれない等とくだらない想像をめぐらして見送る。

そんな朝のひとときに、本日一軒目の事件が起きた。

「おう!こいつ、俺にぶつかって財布を盗もうとしやがったぞ!」
「なに、ふざけるな!」

店主が声の方を見ると、大柄で色黒の男が、身なりの良い男の腕をひねりあげている姿があった。
多くの人はこんな光景に慣れており、またスリが出たか、最近は特に多いな、と思う程度だった。
「それにしても身なりのよさそうな奴がスリなんてなあ、その服を売れば多少の金になるのに」
「おい、また泥棒が出たのか」
「またアルビオンの奴らか」
「いや、どうもそうじゃあないんだ、同じ奴が何度もやられたって叫んでるらしい」
「なんだそりゃあ」

どこからともなく聞こえてきたその噂は、静かにラ・ロシェールの街で広まっていった。


衛兵の詰所は世界樹に近い高台にあり、街道沿いの壁を繰り抜いて作られている。
奥には倉庫、牢屋、そして見張り台に通じる階段があり、そこからラ・ロシェールのほとんどを見下ろすことができた。

朝から見張りを続けている衛兵は、岸壁に映る影の角度から昼飯が近いのを知る。
そろそろ交代の時間だ、ようやく休憩だ、昼飯だ。と考えながら後ろの階段を見た。
丁度良く交代の衛兵が上がってくる、今日も時間ぴったりだなと言って、弓矢を壁際のテーブルに置いた。

「おいアルヴィン。交代だぞ」
「やっとか。今日は騒がしいみたいだな」
「さんざん騒がれたスリが、ついさっき捕まった。仲間割れを起こして何人か殺してるらしいぞ。休憩してる暇はなさそうだな」
「げえ、何て日だ。戦争も近いってのによう」
「早くいけよ、隊長にどやされるぞ」
「へいへい」

アルヴィンと呼ばれた衛兵が階段を降りると、詰所の正面に人だかりができているのが見えた。
入口前の歩哨が「見世物じゃないぞ」「さあ散った散った、通行の邪魔だ」と言って人だかりを散らしている。アルビンは興味なさそうに詰め所の奥へと入っていき、とっとと硬いパンを食べることにした。


詰め所の一番奥には牢屋があり、今しがた逮捕された男は手枷をはめられて牢屋に放り込まれている。
その目前には見張り用のテーブルと椅子があり、衛兵隊の隊長は銃士隊の女に椅子を譲って、事情を聞いていた。
隊長は白髪混じりの髪を後ろで纏めた初老の男性で、顔にはナイフで切られたような傷もあり、傭兵団の隊長と言われても違和感のない厳しい顔をしている。
銃士隊の女性は、戦えるとは思えない華奢な体付きをしているが、男を軽くひねり上げる実力はたった今証明されたばかりである。

「ご協力に感謝いたします。まさか銃士隊の方に来ていただけるとは思ってもいませんでした」
「成り行きとはいえ、これも仕事のうちよ」

この男を逮捕したのは銃士隊のロイズ(ルイズ)である、衛兵隊の隊長は逮捕の一部始終を聞いて呆れ返った。
銃士隊であるロイズをスリ呼ばわりしたので、股間を二三度蹴り上げて昏倒させ、衛兵の詰め所に連行してきたらしい。
うつろな目で宙を見ている犯人は、よほど強く蹴り上げられたのか、文句ひとつ言わず牢屋へと連行されていた。

「銃士隊の方が逮捕してくださるのは有難いですが、我が衛兵隊の不甲斐なさが露呈したようで大変申し訳無いことです。この男が根城にしていた酒場で死体が見つかりましたが、あなたが逮捕してくれなければ逃げられていたかもしれません」
「こいつがドジなだけよ、さっさと逃げずに欲をかいたのね」
「まったくです」
ところで隊長さん…ラ・ロシェールは衛兵が足りていないと聞いているわ。その点、どうなの?」
「おっしゃるとおり、自警団と協力しておりますが、平民ばかりでは限界があります」
「伯爵には訴えなかったの?」
「ラ・ロシェールは、メルクス男爵が実質的に統括しておられます。何度か窮状を訴えましたが、考え過ぎだとか、桟橋の警備で手一杯だと言われまして」
「それは…」
「人も金も足りないのは分かっているのです。しかし、現実にこういった争いが積み重なって、暴動に発展する恐れがあります、それだけは避けたいのです」

隊長の表情からは、苦労がにじみ出ていた。
「隊長さん、あなたにとっては大変つらい知らせだと思うけど…」



ロイズ(ルイズ)は、銃士隊である自分がここに来た理由を説明した。

衛兵たちが達が提出した嘆願書に応じてこの街に来たのではなく、嘆願書が破棄されていると報告があったので内偵に来た。
王宮へ届く報告書は『貴族の手で安全を維持され、万全である』という内容だが、この矛盾は何であるのかを調べるという。
場合によっては街の治安に関わるメルクス男爵の内偵も進めると聞き、衛兵隊長は両拳を握りしめて、悔しさに耐えていた。

「直属の上司たる男爵に疑いがあっても、我々には直接どうすることもできません。どうか、この街のためにも、真実を明らかにしてください」
「…あなたは、ずっと衛兵を? 失礼かもしれないけど、あなた言葉に品があるわ。執事の経験があるみたい」
「私の父はメイジの傭兵団で身辺の世話をしていました。私も父の手伝いをしていたので、よく可愛がられたものです。言葉遣いはその頃に習いました」
「だから嘆願書を書くなんて知識があったのね」
「ええ。傭兵団が解散した時、故郷であるこの街に戻って来ました。父は報告書を書くのに役に立つと言われ衛兵になり、私も同じ仕事しようと思っていました。この街は、私と父の思い出で溢れているのです」
「……そうなの」
ロイズ(ルイズ)は何か心に感じるものがあったが、それが何なのか言い表せなかったので、余計なことを考えないようにと表情を固くした。
「ええと、それじゃ、そろそろロバートって子を預かっていくわ」
「はい、あの子にも悪いことをしました」
「ねえ隊長さん。 …ロバートが財布をすったって話、信じたの?」
「言わないでください。私も、悩んだのです」




パンをかじっていたアルヴィンは、奥の部屋から隊長が出てきたのを見て、どっこいしょと椅子から立ち上がり敬礼をした。
「隊長。アルヴィンです。見張りをコーラスに引き継ぎました」
「ご苦労、しばらく休んだらリック達と『金の酒樽亭』に”掃除に”行ってこい」
「掃除…つーと、あのボロ酒場でまた?」
「喧嘩じゃないぞ。奥の倉庫で五人死んでる、盗賊の仲間割れだ。ひどい有様だよ」
「うへえ。了解しやした」
飯を食ったあとに死体を片付けるのは嫌だが、仕方がない。

「そういや、誰か捕まえたって話で?」
「ああ…それはな」
と、隊長が言いかけた所で、奥の扉が開き、フードを被った女が少年を連れて牢屋から出てきた。

「ほら、ロバート。胸をはりなさい。あんたの疑いは晴れたんだから」
「……」
女が少年の背中を軽く叩くと、少年は歯を食いしばりながらも、目の前に立つ隊長を見上げるようにして胸を張った。
「君の疑いは晴れた、もう行ってよろしい」
隊長がぶっきらぼうに告げると、女は不満気に腕を交差させた。
「あら、隊長さん、それだけ?」
「それだけ…とは? あ、いや、そうだったな。ロバートの名誉を回復することをここに宣言する。後ほど君が厄介になっている酒場へ行き、改めて説明させてもらおう」
「隊長さんはそう言ってるけど、あなたはそれでいい?」
女が少年の顔を覗き込むと、ロバートは汚れた袖で涙を拭う。
「いい、早く帰りたい」
ロバートはそう呟くと、ぐっと両手を握りしめた。

「…じゃ、後のことは任せるわ」
「はっ」
敬礼で二人を見送ると、隊長はふぅと息を漏らした。どうやらかなり緊張していたらしい。
「隊長?今の女はいったい?」
ためらいつつも、好奇心に負けたアルヴィンが聞く。
「ああ、あんまり本人に聞こえるようなところで言うなよ、ありゃ女王陛下直属の銃士隊だ。俺たちがちゃんと働いているか見に来たんだとさ」
「そりゃまた、厳しいことで」
アルヴィンが軽口を叩くと、隊長はふと思い出したように呟いた。

「そうだな、アルヴィン、これから話すことを休憩中にでも仲間に伝えてくれ。巡回中にもこの件について質問されればなるべく答えるように」
「へい」
「、アルビオン難民ならびに疎開民と、ラ・ロシェール市民の対立を目論んでいたらしい。ラ・ロシェールを荒らすよう雇われていると自白した」
「今のやつがですか」
「何者かに金貨で雇われたらしいが、その取り分で仲間割れを起こして『金の酒樽亭』に死体が転がってる。さっきの女は銃士隊の一員で、この件には偶然関わったんだと」
「なるほどねえ、この街にもアルビオン帝国の間諜が入り込んでるってことですかい」
「そうなるな。手口は、いわゆる狂言スリだが、なにせ被害者の数が多い、銃士隊からは『被害者の名誉回復に努めよ』ときつく命令されたよ」
「わかりやした」

アルヴィンは、道理で隊長のしかめっ面がいつもより厳しいはずだ、と納得して詰め所の仲間のもとに向かった。


隊長はそれを見届けると、緊張が解けたのか自然と深呼吸をしていた。
「つれぇなあ」
隊長は、誰に言うでもなく呟いた。無性にエールを飲みたい気がした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「ロバート!よく帰ってきたねえ、ほんとうに大変な思いをさせたね。お腹が空いているかい?すぐ何か作ってやるよ」
酒場の女将がうれしそうに目元をほころばせて、ロバートを抱きしめた。
ロバートは少し苦しそうだが、決して嫌そうではない。
「おばさん、苦しいよ。このお姉さんが屋台で買ってくれたから、食べ物はいいよ」
「ああ、ごめんよ。つい嬉しくてねえ。あんたもよくやってくれた。銃士隊のロイズさまさまだ、今日はいくらでも飲んでおくれ」

ルイズは自分がロイズと名乗っているのを思い出しつつ、女将の豪快な言葉に苦笑した。
「これも仕事のうちよ。まだやることがあるから夕食は遠慮するわ」
「食べて行かないのかい?そんなんじゃ筋肉はつかないよ」
「ややこしい用事があるから、また時間のあるときに来るわ。ロバートもその時また会いましょう、元気でね」
女将から解放されたロバートがルイズを見上げる。
「おねえちゃん、ありがとう。でも、俺だけじゃなくて、もっと嫌な思いをしてる奴が居るんだ。俺はコーラのおばちゃんを知ってたからいいけど、友達は、どこに行ったかわかんない。わかんないんだ」

ルイズは、思わずロバートの前に跪いて目線を合わせた。
「私はそれを調べに来たの。もし、あなたが知っていることがあれば、教えてくれない?」

「……人買い」
「人買い?」
「この街の、東の山間にある貴族の家、あそこに出入りしてる奴、人買いなんだ。絶対そうだ、あいつら、アルビオンから逃げてきた俺達を捕まえてるんだ」
「その話、もっとよく聞かせて」
ルイズの目付きが鋭くなったのを、女将は見逃さなかった。

「ロバート、その前にあんたは体を拭いて、着替えてきな。鼻声で何言ってるか分かりゃしないよ」
「う゛ん」
「ノミが付いてたら困るから、ちゃんと洗うんだよ」
ロバートはぐしっ、と鼻を袖で拭うと、酒場の奥へと駆け込んでいった。

「悪いね。この話は、あたしから先に伝えておこうと思ってね」
女将はいつの間にかワインを開けて、ルイズと自分の分を準備していた。
客の居ない酒場で、丸いテーブルの上に置かれたワインがふわりと香った。こんな酒場にあるのが不思議な上物のワインだとも分かる。
「一杯ぐらい飲みなよ」と言って女将が勧めるので、ルイズは酒の価値に気づかないふりをしつつワインを口に含んだ。確かに上物だった。女将なりの御礼なのだろう。

「本当はね。銃士隊だからといって信じられなかったんだ、あたしたちのためにロバートを取り返してくれるのか、どんな手で取り返すのか、それが疑問だった。悪いね疑い深くて」
「本当ならアニエスに来て欲しかったんでしょう? 銃士隊としてではなく、友人として聞いて欲しい話があった。違う?」
「その通りさ。そのへんを理解してくれると助かるよ。」
「…で、そこまで用心深くなる理由は?」

ルイズがそう聞くと、女将は神妙な顔つきになって、小声で話しだした。
「まず聞くけど…ロバートは狙われたのかい?それとも偶然に疑いをかけられたのかい?」
「偶然、よ。狙われる理由でもあるの?」
「ロバートと同じ時期に疎開してきたアルビオン人には子供もいたが、身寄りがなくてね、この街の実験を握ってるメルクス男爵の屋敷に連れていかれたのさ」
「男爵の屋敷に…どうして」
「仕事ができる場所や孤児院を紹介するって名目で連れていかれたのさ。だけどロバートは見ちまった。男爵の屋敷から、アルビオンで見た奴隷商人が出てくるのをね」
「それって、男爵と奴隷商人が結託してるって事?」
「ああ、その通りさ。ロバートはその子らに会って、ここから逃げようと説得したんだが、衛兵に追い出されてねえ。それから数日して、逮捕されたわけだから、あたしゃ肝を冷やしたよ」
「そういう事情があったのね…」
「あたしは、傭兵上がりってだけじゃ信用できなくてね。お偉い貴族に雇われていい気になる奴を見てきた、だから」
「アニエスに紹介された銃士隊といえど、すぐには信用しなかったって訳ね」
「悪いね」
「それぐらいの用心、アニエスなら『当然だ』で済ませるわよ」
ルイズは笑って答えると、ワインを飲み干した。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

夕方。

世界樹に停泊しているトリステイン軍の軍艦内では、トリステイン軍の軍議が開かれていた。
大型戦艦の中に設置された会議室では、教導士官、技術士官、軍参謀など、二十名ほどが集まり、物資搬入が予定通り行われているか、人員は、将軍はいつ乗艦するのかと報告を受け、最終的な打ち合わせをしている。

その中には、レキシントン号の艦長を務めた、サー・ヘンリ・ボーウッドの姿もあった。
彼は上官の命令に従い、反乱軍として王党派と戦ったが、トリステインとの戦いに負けて捕虜になった男である。
教導士官には相応しく無いという声もあったが、トリステインはアルビオン空軍の戦略、戦術を知る必要があった。
ウェールズ皇太子とはじめとするアルビオン亡命政権と、アンリエッタ女王陛下の助言、そして本人の強い希望により、ボーウッドは教導士官に任命されたのである。

もちろん皆が納得するわけではなかった、「敗軍の将は何をお考えですかな」と皮肉を込めてボーウッドに質問する将校もいた。
しかし打てば響くように、ボーウッドは軍務関係の質問であれば難なく答えてしまう、豊富な経験に裏打ちされた知識は、士官達の関心を引き、尊敬の念すら抱かせたのだ。

護衛として壁際に立つワルドも、ボーウッドの言葉には学ぶものがあった。
彼の上官が無能でなければ、トリステインは前回の戦で負けていただろう……素直に、そう思えた。



その日、月が高くなる時間になって、ようやく軍議が終わった。
士官達は、ラ・ロシェールの駐屯地に戻って行ったが、ボーウッドだけはラ・ロシェール領主から晩餐会に招かれ、領主の屋敷で宿泊することになっている。
晩餐会に出席させてやるから軟禁は我慢しろ、という意図があるのだが承知のうえである。
ボーウッドはワルドと共に馬車に乗り、屋敷へと向かっていった。

コツコツと蹄の音が、ガラガラと車輪の音が聞こえる馬車の中で、ボーウッドはふとワルドの顔を見た。
静かに馬車の外を見つめ、自分のことなど気にしているとは思えなかった。

「気になりますかな」ワルドが呟く。
「気にならぬといえば嘘になる。…正直に言えば、貴公とこのような形で同席するとは思わなかった」
「同意見です。見る者が見れば、おかしな組み合わせだと思うことでしょう」
ワルドは無表情で答えているが、どこか自嘲気味に見える。

「…祖国を裏切った者同士という事かね」とボーウッドが聞く、ワルドは今度こそ自嘲気味に笑った。
「はは、慣れませんか」
「慣れないな」

少しの間、がらがら、がらがらと馬車の音だけが響いた。

「私も、正直に言えば慣れません。しかし…」
「しかし?」
「裏切るよりも、辛い生き方を知りました。裏切り者として祖国の貴族から非難されても、大した事ではないと思えたのです」
「なるほど」

すこし間があって、膝に肘をつくようにしてワルドに顔を近づけたボーウッドが、重々しく声を出した。
「これは…私の個人的な興味として、聞いてみたいのだが。君は最初から二重スパイだったのか。それとも途中で?」
「後者です」
ワルドは躊躇わずに答えた。
それが予想外だったのか、ボーウッドの目に一瞬動揺が浮かんだが、すぐに気を落ち着けて背もたれに体を預けた。

貴族は名誉を重んじるが、名誉のためならば多少の不都合は目をつぶるという一面もある。
彼と、トリステインと、レコン・キスタの間にどんな関わりがあったのか、どんな理由があって彼が今の立場にいるのか、そんな事を聞いても正直に答えてくれるはずはないのだ。

「…余計なことを聞いたな」
「いえ」

それから間もなく、ボーウッドとワルドを乗せた馬車が、ラ・ロシェール伯の別邸へ到着した。
ラ・ロシェールは港という性質上、王宮が直接統治している土地であり、ラ・ロシェール伯爵はある種の名誉職として扱われている。
何百年も前に、トリステイン大公の別荘として立てられた宮殿を現在でも用いて、ラ・ロシェール伯の別邸として利用されているのである。

馬車が門をくぐり抜け、庭園を超えて正面玄関に到着すると、魔法衛士隊のマントを着たワルドが馬車から降り先導を務めた。
表情には出さないものの、晩餐会に招かれた貴族の中にはワルドを嫌うものもいる。
トリステインを裏切り、仲間を殺した男である以上、蔑むような視線は当然だろう。


晩餐会は立食の形式で行われた、ラ・ロシェール伯の挨拶が終わると、ボーウッドは空軍関係者に親しげに声をかけられて、歓談に興じた。
船上では、上官の命令に過不足なく答えることが唯一絶対であると聞いたが、そういった気風はトリステインもアルビオンも変わらぬらしい。
歴戦の勇士であるボーウッドは、間違いなく尊敬を集めているようだ。


「お客様、本日はガリア産のリキュールと、タルブ産のワインに良いものがございます」ワルドはふと、その言葉が自分に向けられたものだと気づいた。
銀製のトレイを持ったメイドに酒を勧められるなど久しぶりだが、ボーウッドの護衛と監視があるので酒は飲む気がしない。
「酒はいい。果実を絞ったものはあるか」
「赤いオレンジが冷えております、他にも…」
「それでいい」
「かしこまりました」

不思議と、飲み物をもらうだけの会話で、少し気が晴れる気がした。
「…僕に話しかけてくれるのは、メイドだけか」
カタカタとデルフリンガーが揺れ、ワルドだけに聞こえるような声でつぶやく。
『遍在じゃなく、自分が嬢ちゃんのところに行けば良かったんじゃねーか?』
「僕も今それを考えてた所だ」
デルフリンガーが人間なら、やれやれと言って首や手を振っていただろう。
『やれやれ、嬢ちゃんもおめーも、難儀な性格だ』


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


時を同じくして、ラ・ロシェールの酒場では、釈放されたロバートを一目見に自警団が集まっていた。
「ロバートの疑いが晴れた!ラ・ロシェール万歳!トリステイン万歳!アルビオン万歳!」
「「「「「おおーーー!」」」」」
女将のコーラは「自警団全員が酔いつぶれちゃ困るよ!」と怒鳴るものの、うれしさは隠しきれていない。
自警団の団長は服飾の卸をしている初老の男性で、仕事でも見回りでも革製のエプロンを愛用している。ぷはぁエールを飲み干し、自警団の仲間たちを一括した。
「おい!酔っ払うのは後だ、見回りに出るぞ!」
「へい!」「おう!」「もう一杯!」「さあ行くか!」
自警団の面々は気合を入れると巡回に出発し、酒場は急に静かになってしまった。
「コーラ、ロバートの疑いが晴れたのは嬉しいがよ。この街でアルビオン人とトリステイン人を喧嘩させようって企ては終わっちゃいねえ、これから酷くなるかもしれねえ」
「わかってるよ、この酒場が狙われるかもしれないってんだろ?いざとなればこの子だけでも逃がすよ」
「安心しな!そんな事はさせねえ、何かあったらすぐ俺達にも連絡がくるように、今夜から酒場への巡回を増やす。なにか怪しいことがあったらすぐ伝えてくれ」
「頼りにしてるよ」
この街で、お互い古くからの付き合いがあるのだろう。団長と女将の間には信頼関係が見えた。
ロバートが「おっちゃん、ありがとう」と言うと、団長はロバートの頭に優しくてを乗せた。
「おっちゃん達がおめえ達を守ってやるから、安心しな。おめえの友達も、見つけたらちゃんと教えてやるからよ、な」
「うん」

ロバートの返事に気を良くしたのか、団長ははははと笑って、巡回に出た仲間たちの後を追って出ていった。




自警団と女将のやりとりを聞いて、酒場の奥を借りているルイズが感心のため息を漏らした。
「ずいぶん仲がいいのねえ、酒場って、厄介な人も来るけど、こういう人も集まるのね」
「旅行者も盗賊も、アルビオンに向かうのならこの街を通るからな。強い結束でよそ者を排除する必要があるのさ」
相槌を打ったのはワルド、もっとも彼は今晩餐会に出席しているので、ここにいるのは風の遍在である。
二人は木箱の上に座り、一日の出来事を報告しあった。
「私が捕まえたのは金で雇われた盗賊よ、誰に依頼されたかは探れそうにないわ。その代わりロバートって子から、目当てに近い話を聞けた。…メルクス男爵の屋敷に人買いが出入りしてるそうよ」
「本当か?だとすれば、早くそのことを知りたかったな。今僕は晩餐会に出席しているから、聞き耳を立てるには調度良かったのだが」
「晩餐会?」
「レキシントンの艦長、サー・ヘンリ・ボーウッドが教導士官に任命されたのは知っているだろう。ラ・ロシェール伯が彼を招いたんだ」
「…ふうん。自領を攻撃した戦艦の艦長でしょう?晩餐会に招いて暗殺なんて、よくある話よ」
「可能性は無いと言い切れないが…ボーウッドは他の士官にも一目置かれ、この戦いの鍵を握るといっても過言ではない。伯爵も暗殺されては困ると理解しているさ」
「実際、あなたの見立てでは、どう?」
ルイズの質問に、ワルドはあごひげを撫でながらううんと唸った。
「…勉強になる。これが素直な感想だよ」
「いいなあ。私も勉強したいかな」

勉強したい、というルイズの言葉から、寂しげな雰囲気を感じたが、余計なことを言って気にさせるのも悪かろうと思い、聞かなかったふりをした。
二人が黙ってしまうと、酒場から聞こえてくる喧騒がやけに響く気がした。

「…ねえワルド、ちょっと考えたのだけど、私って子どもっぽいでしょう?」
「子供ではないよ。君は十分に大人だ。ミ・レイディ」
「いじわる。それじゃ子供扱いじゃない。でも今回はそれが役に立つと思うの。孤児として屋敷に入り込むなんて、いいと思わない?」
「しかし、病気の有無ぐらいは調べるだろう。男爵は水系統のメイジだと聞いているし、君の体のことが…」
「たぶん大丈夫よ。考えはあるから」
「ならいいんだが」
「心配、してくれるのね。ありがと」
「ああ」

「そうだ…せっかくだから、乾杯しましょ」
「次は本体で飲みたいね」
二人は話を終えると、安物のグラスで乾杯した。
ルイズは念のため、ワルドに酒場の警備を頼むと、自身は酒場の二階から抜け出してある場所へと向かっていった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



町外れにある通路は、獣道と見紛うような細い道となり、雑木林の奥へと続いていた。
ここまでくるとラ・ロシェールは巨大な岩山にしか見えない。街の灯は隠れ、見上げても世界樹はちょうど岩陰になっている。
この場所が隠されている理由はすぐに分かるだろう。
林立する石碑や、乱雑に置かれた石、そこら中に立てられた杭、そして鼻を突く腐臭…。

そう、ここは行き倒れや、身元の分からぬ者が埋められた共同墓地である。
「おうぅうう、おおお…」
幽鬼のような唸り声を上げて、墓場を徘徊する女がいた。
「どこ、どこにいるの」と弱々しく呻いては、石をひっくり返そうとしたり、手で地面を掘り返そうとしている。
エプロンは泥で汚れ、指先はぼろぼろに荒れていた。

「あううあああ、ああああああ」

四十前の彼女は、飢えと涙とで顔をくしゃくしゃにして、まるで老婆のような顔をしている。
この地に埋められた子供を掘り返そうとするが、手に力が入らない。
諦めてまた泣くが、すぐにまた地面に指を伸ばす。
それが延々と続けられていた。

「お父さんはどこに行ったの、エリーはどこにいるの、エリー、えりぃいいい…」

正気ではない女の背後に、ゆっくりと近づいていく。
小声でルーンを詠唱し、消すべき記憶を定めて、杖を向ける。
「…忘却」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「ああ、エリー、ここにいたんだね!ここにいたんだねえ、ああ、エリー、おおお…」
女は、娘を抱きしめて泣き出した。
女はひとしきり泣くと、娘の顔を月あかりに照らして、泥だらけになった顔を拭おうとした。
「…お母さま」
「ああ、エリー、よく顔を見せておくれ、泥だらけになっているよ」
そう言って子供の顔を拭おうとするが、女の手についた泥がつくばかりで、かえって顔を汚している。
「お母様こそ泥だらけよ、ねえ、もっと暖かい所へ。もっと明るいところへいきましょう」
「そうだねえ、明るいところへ行こうねえ、お前の文だけでもパンを貰ってくるから、もう少し我慢しておくれ」
「ありがとう、お母様。でも、お母様こそ食べて欲しいの」
「優しいんだねえエリーは、いいんだよ、私はお腹いっぱいだから…」
「お母さま…」
親子は手をとりあって、街へと歩いていった。




あとに残るのは、カラスの鳴き声と、掘り返されたエリーの遺体。顔のない遺体。髪の毛と顔が剥がされた娘の遺体。



「お母様、この街の男爵様が私たちを助けてくれるそうよ。きっと二人分のパンをくださるわ、行きましょう」

月明かりの中。仮面を被ったルイズのほほえみ、まさしく娘の微笑みだった。




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今回はここまでです。

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