ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

一章十五節~使い魔は空を見る 土くれは壁を見る~(前編)

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「全員、杖を遠くに投げなさい」
 フーケの命令に、ルイズらはしぶる様子を見せた。
 貴族、メイジといっても、杖なしではただの人間である。いま杖を捨てるということは、唯一の対抗手段を奪われるということだった。しかし『破壊の杖』を向けられていたのでは、結局どの道もない。皆大人しく杖を投げた。
 それを見届けると、フーケは懐から杖を取り出して振った。するとひとの背丈ほどもある、さきほどのゴーレムを思わせるような土で出来た腕があらわれる。腕は地を滑るような気味の悪い動きをすると、ルイズたちの杖を掴み取って操り主の足元まで運んだ。わざわざそんなことまでするあたり、フーケも用心は怠っていないらしい。
「あんたも、その折れた剣を投げるのよ」
 リキエルにも声がかかった。フーケにしてみれば、自慢のゴーレムの攻めをことごとく避けられ、挙句には受け止めまでされたのだから、当然といえばそうかも知れない。
 ここでもリキエルは、まるで自失した人間のように口を半開きにして空を眺めていたが、やがて緩慢に視線を移して、手の中の剣の柄を見た。それから、これものんびりとした動きでフーケを見、瞬きふたつ分ほどの間が経ってから、その足元めがけて無造作に柄を放り投げた。
 それから間もなく、リキエルの左手が輝きを失った。全身の傷の痛みが戻って来て、ひどい苦しみがあるはずだが、リキエルはそれをおくびにも出さなかった。悠然ともいえる態度で、フーケを見返している。
 その視線を不気味に思ったか、フーケは一瞬リキエルから目を外したが、自身の有利を思い直したようにまた強い目を向けた。
「この、嘘つきッ」
「いったいどうして!」
 少しでも時間を稼ごうという算段なのか、それとも単純に怒りがそうさせたものか、キュルケとルイズが前後して叫んだ。
 それを受けたフーケは、小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、動じる様子もなく淡淡と言った。
「義理はないけど、まあいいわ。教えてあげる。私ね、この『破壊の杖』を奪ったのはいいけれど、使い方がわからなかったのよ。でも、わからなければひとに聞けばいいだけなのよね」
「学院関係者なら、それを知ってるだろうって?」
「そうよ。まさかあなたたちみたいな学生が出張るとは思わなかったし、あまり期待もしていなかったけど、たまたま偶然、アタリを引いたみたいでよかったわ」
「……わたしたちの誰も、知らなかったらどうするつもりだったの?」
 眉をひそめながら、ルイズが聞いた。
「そのときは、全員ゴーレムで踏み潰して、次の連中を連れて来るだけよ。いい考えでしょ」
 ま、その手間もこうして省けたわけだけど。フーケは酷薄に笑って、あらためてルイズ達に見せつけるように、『破壊の杖』を乗せた肩を揺すった。
「さ、質問タイムはもう終わり。そろそろお別れのお時間かしらね。全員、もう少し後ろに下がってちょうだい。こんなに近くで使うと、私まで巻き込まれてしまうわ」
 なら自分が下がればいい。顔にそう書きながらも、ルイズたちはフーケの言いなりになって後退しはじめた。せめてもの抵抗というように、ひどく遅遅とした動きであった。
 タバサなどはここに来てもフーケの隙をうかがって、反撃の糸口を探る様子だったが、賊もさる者で、喋っている間もそういったほころびを微塵も見せなかった。どうやら本当にお手上げである。
 しかしそんな中で、やはり様子の違うやつがひとりいた。むろんリキエルである。こんなときだというのに、顔色ひとつ指一本たりとも動かさず、奇怪なほどの落ち着きを見せる姿は、体を這う蟻を気にしない牛といった風情である。あるいは純然たる馬鹿野郎にも見えなくはなかった。
「リキエル、あんたはずいぶんと落ち着いてるのね」
 揶揄するようにフーケが言うのに、リキエルは少し首を傾けた。
「存外に勇気があるのかしら」
「さあなァ。それほどでもねーと思うがな、自分では。ただ、必要ないと思ってはいるな。お前の言うことに唯々諾々と従う必要はな」
「この状況がわかってないわけじゃないわよね」
「ちゃあんと、わかってるぜ。たぶんこの場にいる誰よりもなぁああ」
 リキエルは腰に手を当て、挑むような口調で言った。口は笑っている。皮肉っぽさはなく、代わりにぎらぎらするようなものがあらわれていた。
 対してフーケは、つかの間目を細めたものの、こちらも艶の乗った笑顔で返した。
 ルイズたち三人は、ほとんど蚊帳の外といった体だった。特にルイズはまだ混乱が収まっていないようで、まったくもってちんぷんかんぷんという顔をしている。他のふたりが厳しい顔で成り行きを見守るのと対照して、どこか間の抜けた顔で、フーケとリキエルとの間に視線を彷徨わせるばかりである。
 フーケが言った。
「そうでしょうね。……そしてそんな余裕のあんたは、いまこう思ってるんじゃないかしら。『こいつには破壊の杖が使えない』なんてふうにね」
「……ムッ」
 リキエルは笑みを消して、射るような視線をフーケに向けた。
 肩から『破壊の杖』を下ろしながら、フーケは続けた。
「あまり、私を甘く見ないで欲しいわね。この『破壊の杖』を最初に手に取ったとき、見た目や感触より全然軽いんで驚いたわ。でもね、いまこうして持った感覚は、それよりまた少し軽い。これはどういうことなのかしら」
「…………」
「さっき、あんたがわたしのゴーレムを吹き飛ばすのを見ていて、ひとつ気づいたことがあったわ。ゴーレムに向かって飛んで行ったものは、あれは魔法とかじゃないわね?」
 聞くというより、確かめる口調でフーケは言った。もう種は明けているとでも言うような、不敵な物言いである。リキエルが驚いたように軽く目を見張っているために、フーケはごく上機嫌なようでもあった。
「それを併せて考えてみたらね、わかったのよ。威力は二段も三段も違うけど、この『破壊の杖』は、きっと平民の使う銃みたいなものなんでしょう。しち面倒に弾を仕込まなきゃならない、あの銃」
「いや、本当に……甘く見ていたぜ」
 仏頂面でそれまで黙っていたリキエルが、唐突に言った。
「その通りだ、確かに一発。そいつが撃てるのはそれだけなんだと」
「何よりあんたの態度が腑に落ちなかったわ。こんな物騒なもの向けられてるのに、あんたは顔色ひとつ変えなかったわね。欠点を知ってたら、怖いわけもないわ」
「鉄くずと同じだからなァ、銃と違ってよォ~~。怖くもなんともねーってのは、その通りだな」
 フーケは渋い顔をした。薄々気付いてはいたが、改めて手に入れた宝がゴミになっていると言われ、気落ちを抑えられなかったようである。
「ええと、なんだっけな。いま思い出したんだが、そういや最近なんかで見たんだ。いや、読んだんだっけ? 確か、ずいぶん昔から使われてる兵器とかで――」
 失望のまま軽くため息をつきながら、フーケは胸のうちに、もやもやと腑に落ちないものを感じていた。さっきから、リキエルがやたらとよくしゃべっている。
 フーケはいま、自分はリキエルよりも一段上にいると思っている。『破壊の杖』が使えないのを看破したことで、裏の裏をかいたと確信している。念を入れて、小娘たちの杖もリキエルの剣も奪ってあるわけだから、実質的な立ち位置から何から、たしかにすべて上と言ってよかった。
「Mなんとかかんとかって名前でよお、使い捨て目的で製造されたんだと。……どうしてだろうな、使い捨てとか聞くとよォォォオ、無性に勿体なく思えてくるぜ。貧乏性なのか?」
 だがリキエルは、まったく焦りを見せていなかった。『破壊の杖』のことを言っても、多少驚いた様子を見せはしたが、ことさら動じたふうではない。そしてまた、観念したようでもない。
「そうだ、M72 LA……W軽ロケットランチャーだ。所詮は付け焼刃だしなァ、抜け落ちて行ってるようだぜ、脳みそから。正直なところ、どうでもいいことだしなァ~~」
「ちょっとリキエル! さっきからなんの話してるのよ!」
「ルイズゥ~、……ひとの薀蓄は黙って聞くものだぜ、どんなにうざったらしくてもな。そうしてやるのが、人間の優しさってものだぜ」
 また、たまりかねたというように怒鳴ったルイズに、リキエルは肩をすくめて、いなすような口をきいた。場の逼迫した空気から、このふたりだけが奇妙にズレている。
「と言うよりもだな、お前には緊張感ってものがないのか? 見ろよ、キュルケにタバサを」
「あんたってばッ! 緊張感ですって? どの口がそれを言うのよ!」
「落ち着けってよオオ――ォ。それなら、倒すか? そろそろ捕まえるんだな? これからこの、『土くれ』のフーケをよおおお」
 耳を疑ったのはフーケである。そして彼女は次に、リキエルの正気を疑った。
『破壊の杖』が役に立たなくとも、依然フーケには魔法がある。対してリキエルは丸腰であって、ために使い魔の能力がなく、まして軽くない負傷までしているのだから、いまはただの人間以下と言えた。よしんばフーケに魔法がなくとも、勝てる見込みは薄い。ひっくり返しようがない。それにつけても、リキエルの自信に満ちた言動は異様だった。
「聞き捨てならないわね。あんたは満身創痍じゃないの。まして武器も持たずに、どうやって私を捕まえるって……倒すって言うのかしら」
 鋭くフーケが言った。声には苛立った響きがある。
 ルイズとどこか滑稽なやりとりをするリキエルだったが、再びフーケと向き合ったときには、その弛緩した感じは消えていた。
 リキエルは、フーケに向かって軽く指さした。
「オレにはいま、奇妙なことだが……『確信』がある。お前が魔法を使う前に、杖を落とせるという『確信』だ。得意科目のテストを受けるときのように、出来て当然だという感覚があるのだッ。……お前は自らの手で、その杖を落とすことになるだろうッ!」
 だらりと両腕を下げると、リキエルは無造作に歩き出した。大した意気も見られない動きだったが、フーケはわずかに飛びのくように足を引いて、杖を構え直した。リキエルは意に介さない。ただ視線だけを、まっすぐにフーケの手元に向けている。初めのうちはそれなりに開いていた距離が、見る間に縮まって行く。
 末広がりの厚い雲がゆったりと流れて来て、その端が傾きを大きくしはじめた日にかかり、一帯に濃い影を落とした。影はすぐに過ぎて行って、またさらりとした春の陽射しが地面に降り注いだ。既にリキエル、フーケのどちらもが、相手の間合いに誤魔化しようもないほど入り込んでいる。
 追い詰められたような形で、フーケは杖を振り上げた。と、胸元まで引き上げたところでその動きが唐突に止まった。ルイズたちは、何事かというように半端な格好で固まってしまったフーケを注視したが、フーケ自身、なぜ腕が止まったのかわからないような、唖然とした顔になっている。
「一本!」
 そう呟きながら、リキエルが右手の人差し指を伸ばした。すると何がどうなったのか、まるで歯車の噛み合った機械どうしのように、フーケの右人差し指が同じようにまっすぐに伸びる。
「えッ」
「あ…ゼロ本……。あ…ゼロ本」
 言葉に合わせて、リキエルは拳を握りこんだり、考え直したように開いたりする。フーケの拳も、またそれと同じに動いた。小振りな杖が、その手からあっけなく滑り落ちた。
 意に沿わない動きをする自分の指に、息を詰めて瞠目するフーケだったが、つぎの動きは素早かった。大きく跳びすさってしゃがみ込むと、左手にいくつか小石を握りこんで、リキエルに投げつける。 フーケは、それでリキエルをどうにかしようなどとは思っていなかった。何がどうなっているのかは見当もつけられないが、どうやらまずい状況になりつつあるのを理解しているだけである。ともかくいまは、リキエルから離れなければならない。注意を逸らさなければならない。ただそれだけを考えていた。
 小石たりとはいえ、半ば力任せに投げられたものだから、その速さはなかなか避けられるものではない。そういうものが五、六個ほどまとめて、リキエルめがけて思い切りよく飛ぶ。そのうちでも一番大きな礫は、まさにその顔面を襲おうとしていた。
 リキエルを除いた四人が、いよいよ目を見張ったのはそのときである。リキエルの鼻柱に叩きつけられるかに見えた小石が、急に軌道を変えて、あらぬ方向へと吹っ飛んで行ったのだ。風に巻かれてというような動きでは――そもそもから大風もない小春日和である――なかった。石はリキエルを避けるように、不自然な反発を見せたのである。
 この奇怪な現象に際しても、リキエルは指一本動かさないどころか、小揺るぎもしない。目の奥に灯火して、ほとんど無思慮に見える格好のまま、前に前にと出て行くばかりである。
 他方フーケは、立て続けに起きる奇妙を目の当たりにし、転がるように優勢の体を失って、いまや頬を赤く染めて額に汗している。目はせわしなく動いた。右へ左へ、リキエルの顔へ、ルイズらの方へ、またリキエルの顔へ。なんでもいい。状況を打開するものを探した。
「やめたほうがいいな、それは。逃げようってのはな」
 静かにリキエルが言った。
「もう一度、杖をとってみるか? お前の方が杖には近いからな。オレがお前にたどり着くのより、多分だが、お前の方が早いだろう。やってみなよ。オレは足を怪我してもいるしな」
「…………」
「だが無駄になる。きっとだ。大人しくしたほうがいいな、水の中のスッポンみたいにだ」
 フーケは一瞬身体を震わせたが、すぐに意を決したように、自分の杖に飛びついた。どうせ一八の賭けである。残された道はなかった。
 そしてそれは、リキエルの言ったように実を結ばなかった。つぎに地面を踏んだとき、フーケの足首から先は、これもどういったわけかは知れないが、痺れたように力が伝わらなくなっている。重心の置き所を見失ったフーケの身体は、見えない力に抑え込まれたように前のめった。
 なんとか踏みとどまって顔を上げたフーケの視線の先に、剣の柄を拾うリキエルの姿があった。
「いらないだろうと思ったんだが、やっぱりよぉ、あんまりちゃんと動けなかったな。これを手放してしまってはな。時にフーケ、腹の中に子供なんかいないよな? お前いま、妊娠しているか?」
 一瞬、フーケは言葉を失った。言われた内容が唐突に過ぎて、呆気に取られている。
「どうなんだ? ン? 妊娠、懐胎、出来ちゃってるのか?」
「何よ、その質問は。この期に及んでハラスメント? 舐めくさってくれて!」
「ちょっとした確認をしているのだ。オレはいまから、『土くれ』のフーケ、お前の腹を殴って昏倒させるつもりでいる。もし胎児がいるのを知らずにそんなことをしてしまえばだ、それはすごく心苦しいことだからな」
 フーケはからかわれているのかと思った。しかしリキエルの顔を見れば、ふざけているようでもなかった。他意がないことは、それもおかしなことだが、わかった。
 肩口から、力が抜けていくようだった。
「……身重で泥棒が務まるもんか。それにわたしは、こう見えて身持ちは固いのよ」
 あまり抑揚のない声で、フーケは言った。
「そうか。なら問題ないな」
「ええ、ひと思いにやってほしいわね」
「その前にだ。悪いんだがな、もうひとつ聞いておきたいことがある。これもオレにとっては重要なことだ。質問させてもらうぜ」
「もうこっちは腹を決めてるってのに。まあいいわ。で、何かしら」
 リキエルは無造作にフーケに近寄り、つかの間、世間話のように言葉を交わした。距離があって、ルイズたちにはその会話は聞き取れなかった。
 やがてリキエルは、得心したように頷いた。そしてまた二言三言すると、やおら息を詰めて、フーケの腹に剣の柄を打ち込んだ。声もなく、フーケの全身から力が失われた。

◆ ◆ ◆

「盗人を、捕らえてみれば、美人秘書、だったのじゃな。ミス・ロングビル、彼女がのう」
 いかめしい顔で、オスマン氏は言った。横にはコルベールがいて、前にはルイズ以下、フーケ討伐から帰った四人の顔が並んでいる。
 オスマン氏は、さりげなくリキエルの方に目をやった。三人娘がけろりとしている一方で、リキエルだけはいくつもの手傷を負っている。応急処置はきちと済ませてあるようだが、それでも見過ごし出来ない傷は多い。無茶をしたらしいのと、オスマン氏は心うちで唸った。
 実際、フーケを倒した後にリキエルが立っていられたのは、ひとえに使い魔の能力によるところであった。そしてそれがありながらも、勝利に沸いたルイズらが抱きついた途端に、その身体は朽木のように傾いだのである。
 馬車を繋いだところまで戻ってきたときには、リキエルは隠れもなく身体をがたつかせていた。それを見かねたタバサによる『水』の魔法で、一応の処置がなされたのであった。ちなみに、昏倒したフーケを手際よく縛り上げたのもタバサである。
 そのフーケは、今は学院の門脇に設けられた詰め所に押し込められている。明日の昼か、早ければ朝のうちに、王宮の魔法衛士に引き渡されることになっている。
 目線を宙に放って、髭をなぜながら、オスマン氏は先の言葉に繋げて言った。
「なんの疑いもせずに秘書にしてしまったが……ふむ」
「いったい、どこで採用したのですか?」
「んん。彼女と出会ったのは、そう、街の居酒屋じゃった」
 コルベールが聞くのに、オスマン氏は目を細めて応じた。
「は、居酒屋?」
「私は客で、彼女は給仕をしておったのだが、ついついこの手がお尻を撫でてしまってな」
 そのときのことを思い出して、威厳を保つのも忘れてだらしなく鼻の下をのばすオスマン氏に、コルベールは冷たい目を向けた。
「で?」
「それでも怒らないので、秘書にならないかと、言ってしまった」
「すみません、学院長。よく飲み込めませんで、いま少し詳しくお願いします」
「いやあ彼女、美人じゃったし、おまけに魔法も使えるというもんでな。で、採用」
 呆れた話だった。身辺怪しからずや否やの調べもなしに、ろくに話したこともない人間を酔った勢いで秘書になどとは、学院の長を担う身にあってあるまじき失態といえた。それまで相槌をうっていたコルベールも、聞いて損したというように顔をしかめている。
 はっきりと軽蔑した口調で、コルベールは吐き捨てた。
「話はわかりました。オールド・オスマン、さしあたって死んだほうがいいのでは?」
「そう怒らんでもよかろう。それに、そうじゃ。今になって思うに、あれも学院に潜り込むためのフーケの手じゃった。愛想を振りまき、世辞を言い、媚を売って来る。しかも、尻を触ってもけろりとして、いやむしろ照れたように微笑んどった。いや、もう、老い先短い耄碌ジジイを騙すのには十分じゃろ? あ、こりゃ惚れてる? とか思っても仕方なかろ?」
「耄碌しきる前にさっさと辞職しては?」
「そう冷たい目で見てくれるなよ、コルトパイソン君。私は悲しい。それに君も男ならわかるじゃろう? 美人というものは、ただそれだけでいけない魔法なのじゃ。な、そうじゃろうッ! カァーッ!」
「異論はありませんが聞く耳も持ちません。それと私はコルベールです。いやさ、そんなことよりオールド・オスマン。そろそろ話を戻しましょう」
 言ってコルベールは、ルイズたちを示した。そちらに向き直ったオスマン氏は、憤まんや呆れ、軽蔑に満ちた四つの顔にぶつかった。
 沈黙して二、三度髭をいじると、オスマン氏は次第にいかめしい面構えに戻って行った。十秒前の醜態は、幻にでもするつもりらしい。
「さてさて、よくも『破壊の杖』を取り戻してくれたの、諸君。ならびに盗賊フーケの捕縛、まことにご苦労じゃった。ありがとうの、めでたく一件落着じゃ」
 オスマン氏はもう一度、ありがとうと言った。リキエル以外の三人は、それだけでさっきとうって変わって明るい顔を見せ、頭を下げた。ルイズなどは感極まったように顔を赤くして、口元を震わせている。
 そんな彼女たちを見てオスマン氏は微笑んだ。それから、いま思い出したといったふうに、ルイズとキュルケに対する『シュヴァリエ』の爵位申請を、既に同位を持つタバサへは『精霊勲章』の授与申請を、それぞれ宮廷に申し入れした旨を話した。ルイズらはよりいっそうの喜びに顔を輝かせた。
 ――甲斐があったな、この様子なら。
 それまでつまらなそうに突っ立っていたリキエルも、オスマン氏のように微かに笑った。喜びに沸く彼女たちを、特にルイズを眺めていると、全身の傷の痛みも悪くなく思われて来るようだった。
 ただ、当の本人はそうでもないらしかった。自分たちに向いたリキエルの視線に気づくと、ルイズは少し鼻白んだようになり、そのままオスマン氏に向き直って言った。
「オールド・オスマン。リキエルには、何もないんですか?」
「……ふむん」
 オスマン氏は困惑したようにうなり、眉間の皺を深めた。
「残念ながら、彼は貴族ではない」
「でも、リキエルは――」
「いや、いいんスよ。オレは別に」
 何か言いかけようとするルイズをさえぎって、リキエルはそう言った。本音では、ちょっとくらい何がしかの褒美を貰っても罰当たるまい、と思ったりもした。しかし、爵位とか勲章はあんまり大袈裟で、金品では大っぴらにそう言うのもはばかられる。実際に受け取ることを考えても気が引けた。
 ルイズはまだ何か言いたげだったが、リキエルが顔と手を横に振ると、ようやく引き下がった。
 それを見届けると、オスマン氏は手を叩いて仕切りなおしにかかった。
「さてと、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃな。フーケの件も収まったしの、祝勝も兼ねて、予定どおり執り行うこととする。当然、主役は君たちじゃ」
 キュルケが叫んだ。
「そうでしたわ! すっかり忘れておりました!」
「うむ。ここはもうよいから、部屋に戻って用意したまえ。せいぜい着飾るとよいじゃろう。なにせ主役じゃよ、主役。より取り見取りもいいところじゃよ、主役」
 キュルケは礼もそこそこに、タバサの襟首を引っ掴んで部屋を飛び出して行った。
 それに続いて、ルイズとリキエルも部屋を出ようとする体だったが、オスマン氏に引き止められた。
「ミス・ヴァリエール、すまんがリキエル君をお借り出来るかの」
 主従二人は一瞬目を交し合ったが、リキエルが扉のほうを示して、ルイズを促した。訝しげにしながらも、ルイズは深い礼を残して学院長室を後にした。
「コルベール君、君も席を外してくれんか」
「はあ、私もですか」
「うむ。そのむかし、私が東方の地で修めたパズス流柔術の奥義を、彼に授けようと思うのじゃ。門外不出なのでな、君にも見せられん。わかってくれ」
 コルベールは苦笑とも呆れともつかない顔をして、しょうがないですなとこぼしつつ、出て行った。

「さて、君に残ってもらったのは他でもない。ちょいと聞きたいことがあるでな。それと、話したいこともじゃ」
 悪いの、と言ってオスマン氏は笑い、腕を組んで考える姿になった。話したいこととやらを、頭の中で整理している様子である。それから間もなく、オスマン氏は静かに語り始めた。
 いまから三十年ほども前、オスマン氏はある森を散策しているとき、ワイバーンに襲われた。見たこともないほど巨大な、雌の個体だったという。折も折で体調を崩していたオスマン氏は、逃げるのがやっとだった。
 あっという間に追いつかれ、オスマン氏はやむなく杖を抜いた。あるいは軽くない手傷を負うだろうが、倒せる自信はあった。だがそうなれば、付近に人里の気配も見えない深い森であったから、後は野垂れ死ぬに任せる他にない状態だった。
 ここで死ぬや否やと腹をくくりながら、オスマン氏はワイバーンと正対する機をうかがった。勝機があるとすれば、それは不意討ちだった。
 そしてワイバーンが、オスマン氏にそのひとの腕ほどもある牙を剥いたときだった。オスマン氏は耳を飛ばすような大音を背に受けた。振り返ったオスマン氏は、逆に射す陽の光の中に二つの筒――『破壊の杖』を抱えた、大柄なひとの形を認めた。そしてそうかと思う間に、その人影はゆらりと傾いで倒れた。
 彼は傷を負っていた。オスマン氏は直ぐに彼を学院に連れ帰り、手厚い看護を施したのだが、手遅れだった。傷はそう深くもかったのだが、ずいぶんと前に、そこから悪いものが入り込んでいたらしかった。三日して、彼は死んだ。
「そのときの『杖』は、彼の墓に一緒に埋めた。そしてもう一本は、恩人の形見っちゅうことで、勝手に拝借させてもらった。それが今回、君らの取り戻してくれたものじゃ」
 オスマン氏は、懐かしむようにしばし目を閉じてから、リキエルに目を向けた。穏やかだが、どこか刺すようなものも孕む視線だった。
「ところでじゃ。つかぬことを聞かせてもらうがの」
「はあ」
「君は、どこから来たのだね? 包み隠さずに言うてほしい」
「オレは――」
 そこで言葉を切って、リキエルはしばし考えたが、結局は正直に言うことにした。隠すことでもないと思った。ただ、自分でも与太話に思えるような出来事を、目の前の学院長が信じるかはわからないとも思った。
「オレが来たのは、こことは違う世界なんスよ。あるときちょっとしたことがあって、気を失っちまったんスけど、次に目が覚めたら、ルイズに召喚されてたってわけです」
「ふむ、そうか。そうなのじゃな」
 リキエルの案に反して、オスマン氏は得心したように頷いた。
「信じるんですか? オレは確かに事実を言ったつもりだが、冗談みたいな話だ」
「おお、信じるとも。というよりもな、わかった気がしたのじゃよ。……いま話した彼のことじゃが、死ぬ間際まで、うわ言のように言っておった。元の世界に帰りたいとな」
「…………」
「何のことだか、私には見当もつかんかった。じゃが、君が召喚されて来た後でな、あのコルベール君が興奮して語ってくれたのじゃ。君と一緒に召喚された奇妙な形をした物体を、君から借り受けたとな。それで、死んだ彼と彼の持っていた『破壊の杖』が思い起こされた。もしやと思うた。彼や君は、このハルケギニアとはまったく別の場所から来たのでは、と」
 問いかけて来るようなオスマン氏の視線を受けて、リキエルは答えた。
「オレの住んでたところは、アメリカって国のフロリダって州です。話を聞く限りじゃ、その恩人もアメリカ人なんじゃねーッスかね。そして、ロケットランチャーいくつも抱えてるなんてよォー、尋常じゃあないぜ。どこかで、紛争だか戦争やってたんだ、きっと」
「戦争か。それで彼は傷を負ったか。まだ若い身空でのぉ、さぞ国に帰りたかったじゃろう」
 改めて悼むように、オスマン氏は深く息をついた。それから顔を上げると、リキエルに笑いかけた。
「すまんかったな。老いぼれのために時間を割かせてしまったの」
「いや、いい時間を過ごせたんじゃねーかと思いますよ。たぶん、互いに」
「重畳じゃな。よければこの後のパーティーも、楽しんでくれたまえ。君も主役の一人じゃ」
「せいぜいそうさせてもらうかな。料理なんかは期待大だ。……ああ、そうだ。こっちからもよォ~、一つ聞きたいんスけど、いいですか?」
 踵を返しかけてとどまり、リキエルがたずねた。オスマン氏は鷹揚に頷いた。
「確認みたいなもんなんスすけどね。オレのこの左手の、これ。武器なんかを持つと光って、体が軽くなったりするんスけど、使い魔の能力ってやつなんですか?」
「いかにもそうじゃ。そのルーンをつける者は『ガンダールヴ』といってな、強力な使い魔じゃ。そして、ここだけの話――」
 オスマン氏はそこで区切りをつけた。そしてリキエルに、もっと近くに来るよう手真似した。さらにリキエルが側に来ると、机の上に身を乗り出して、必要もないのに声をひそめて続けた。
「伝説の使い魔の証でもある」
 リキエルは眉を上げた。オスマン氏の大仰な態度からして、話半分で聞くべきことかも知れなかったが、それ以上に興味をひかれた。
「伝説? それじゃあ、オレは伝説の使い魔か」
「うむ。なぜそのルーンが君についたのか、それは皆目わからんがな」
 無責任に言って、オスマン氏は元のように椅子に納まった。それから何事か思いついたように、そうじゃそうじゃと呟き手を叩いた。
「何も褒美が出せん代わり、と言ってはあれじゃが、これを受け取ってくれんか」
 言いながらオスマン氏は、机の引き出しを開けた。
「これも、彼の形見の品じゃ。『固定化』があるとはいえ、さすがに土の下に埋めるのもはばかられたのでな」
 オスマン氏が差し出して来たものを、リキエルは反射的に受け取った。
 手のひらに余るくらいの、一冊の本だった。別段、読書家というわけでもないリキエルにとっても、その題名はある種の馴染み深さを感じさせるものだった。版はかなり古く、ところどころがよれてしまっているが、聖書である。オスマン氏の恩人とやらは、よほど信心深い人間だったのだろう。
 しげしげと書を眺めるリキエルに、オスマン氏は言った。
「どうやらそれも、君の世界のものらしいの。私には読めんかったよ。まあ、本は読める人間の手元にあった方がよいじゃろうて」


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