ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

『Do or Die ―Final R―』

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匿名ユーザー

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『Do or Die―Final R―』

 深海から浮き上がる気泡のように、真っ黒だった意識がゆらゆらと引き上げられていくのを感じた。
「…………」
 深い眠りから目覚めたウェザーの視界は、未だぼんやりと霞がかかっており見えるものは白くぼやけていた。
 そこに、鮮やかな緑が入り込む。
「うわっ!あんた起きたのかい?」
 存分に驚きを含んだ声音につられてか、視界も徐々にハッキリとしてきた。そうしてようやく視界に移っていた鮮やかな緑は、フーケの髪色だと気付く。
「……ここは?」
「安心しな。あたしの部屋だよ」
 そうかと呟いてウェザーは体を起こそうとした。が、腕に力が入らずにベッドへ逆戻りとなってしまう。
 体を起こす。たったそれだけの行為なのに、ウェザーは酷い貧血に襲われた。
「こらこら、無茶しなさんな!あんた死にかけてたんだからね!」
「く……俺はどうなっていたんだ?」
 持ち上げてみる腕は重く、意識しても震えが止まらない。意思に反して体が思うように動かないもどかしさが、蟻の様に全身を這い回る。
「貴族街の外れの空き地でぶっ倒れてるのを見つけてね、あたしが運んできたのさ。衛士隊やら警邏隊なんかが街中にいたもんだから、見つかったら面倒だろ?」
 色々とさ、と付け加えるフーケ。
「あんたがそんなになるなんて、よっぽどの敵だったんだねぇ。敵もスタンド使いだったのかい?」
「ああ。それも暗殺者のような能力だったな。姿を見せない、恐るべき敵だった……」
「でも、勝ったと」
「……まあな」
 ウェザーはそう言ったが、小骨が喉に刺さったような、奇妙な引っ掛かりを覚えていた。
 出血量も限界だったが、何より血中の鉄分を奪われたのは致命的だと思っていたからだ。
 魔法で傷は治せても血液や、その鉄分まで元通りに出来るとは思っていない。輸血やビタミン剤なども、ウェザーの元いた世界ですら完全ではないのだ。
「でも、最初に見つけたときはもうダメだと思ったわよ。体中傷だらけで、額なんかバックリ裂けてるんだから!急いでゴーレムで知り合いのところに運んで、突貫で治療よ。
知り合いっても、貴族崩れの『水』のメイジでね、今はそれで怪我を治して生計立ててるみたいだけど――そういえばそいつ、傷の深さの割りに出血が少ないとか言ってたけど……」
「血……だと?」
「それも『ウェザー・リポート』の力なのかい?」
 ウェザーはゆっくりと首を振った。
「ふぅん……ま、それでも秘薬を奮発しなきゃならなかったんだから、少しは自分がどんな状況だったかわかった?」
「世話をかけたみたいだな。しかし、よくお前が金を出したな。高いんだろう、秘薬って?」
 申し訳なさそうにするウェザーに満面の笑みで返し、フーケは何かの袋をベッドの上に投げ出した。ボスッと重い音がして、その中身があらわになる。煌びやかな宝石たちが。
「これは……」
「組織の奴ら、結構溜め込んでたみたい。せっかくだからいただいてきたわ。それでも結構重かったから、かなり街に《ばら撒い》ちゃったんだけどね」
「あの中でよくもまあ……」
「あたしゃ盗賊『土くれ』のフーケ。転んでもただじゃあ起きないのさ」
 いつぞやのモット伯邸でもくすねていたことを知らないウェザーは、ここで改めて感心させられるのだった。
「それでもしばらくは安静にしてなきゃだめなんだからね」
「そうか……じゃあ、組織は……」
「ああ。トリスタニアを完全に包囲した衛士隊の目を逃れられた奴は一人もいない。本部も各地のアジトも検挙したみたいで組織は壊滅、残ってた資料から内通者もわかって、《一応》の解決ということにはなってるよ」
 フーケはそう言ったが、何か引っかかる物言いだとウェザーは尋ねた。
「《一応》――とはどういうことだ?」
「……組織のボスがまだ見つかってないのさ。手に入れた計画書や情報によると、あたしが倒した男がボスってことになってるし、それで解決に向かってるみたいだけど……あたしにはそうは思えない。あの男がここまで大きな組織を作ったとは思えないんだよ」
 それに、と付け加えてフーケはウェザーを窺うように続ける。
「だとしたらあんたは一体何と戦っていたっていうんだい?」
「何?俺を助けたとき、横にぶっ倒れていた男がいただろう。そいつがボスのはずだ」
「いや……あそこに倒れていたのはあんた一人だったけど?」
 その言葉にウェザーは目を見開かなければならなかった。様々な考えが一度に頭を過ぎる。
 ――倒したと思っていたボスは生きていたのか?いや、『ウェザー・リポート』は完全に体を貫いていた。傷は胸にまで達しているだろう。
 ――では仲間が助け出したのか?それも怪しい。衛士隊の包囲網の中を、瀕死の男を連れて歩くのは無理だ。姿でも消せるのならば別かもしれないが――それこそ、あの黒衣の男のように。
 険しい顔で考え込むウェザーを見かねて、フーケが肩を叩いた。
「でも、あんたは勝ったんだろう?やっぱり大したヤツだよあんたはさ!」
「…………」
「ど、どうしたのよ。もしかして肩痛かったとか?」
「いや、俺は勝ったのか……ってな。どうにも、勝った気がしない。どころか、もしかしたら俺は敵に情けをかけられたのかもしれない……」
 あの男は生きていて、倒れた自分に血を戻し、トドメも刺さずに去っていった。だとすれば、不気味過ぎるのだ。あの男が自分を助ける理由などないのだから。
 ウェザーの脳内は理解不能の四文字に埋め尽くされてしまった。
 俯き暗くなるウェザーだったが、その手にフーケの手が重なる。冷えていた手に人肌が温かく感じられた。
「あんたは生きて帰ってきた。それでいいじゃないか。あんたの自慢のご主人様もその仲間も、アニエスだって衛士隊だっているんだ。もう二度と奴らをこの国でのさばらせたりなんてしないさ。あんたに力を貸す人間は大勢いるよ」
 考え込むウェザーに気を使ったのだろう。明るくそういうフーケの気遣いが、ウェザーはただありがたかった。
「……アニエスのことを頼るなんて、随分仲良くなったみたいだな、お前ら」
「はぁ?私はただ自分が動くのが面倒だからあいつらにやってもらおうと……」
 何事か言い始めたフーケだったが、くつくつと笑うウェザーに気が付いてその額を小突いた。
「その様子だとアニエスのほうも無事だったようだな。今はいないのか?」
「アニエスならとっくに仕事に出たよ。肋骨折れてるってのにさ。そのまま飛び出しそうだったもんだから、それだけは治しておいたけどね。カッフェの方もこの街のみんなの協力で守れたって。全員軽傷だし、無事じゃないのはあんたくらいのもんだよ」
 そう言ってフーケが鏡を投げてよこしてきた。そこに移るウェザーの額には生々しい傷跡が残っていた。
「それだけはどうやっても消えなくてね。スタンドの力と魔法が反発でもしてるのか……まあ、帽子を被れば隠れるし、傷自体は治ってるみたいだから、もう少し休めば動けるみたいよ」
「そうか……」
 何か憂いを感じさせるように傷をなぞるウェザーに気を使ってか席を立つ。
「腹減ったろ。もう夕方だし、二日も寝っぱなしだったんだ。待ってな、食べる物を何か持ってくるよ。お粥でいいよな?食べやすいし」
 《お粥》という単語にウェザーの肩が震えた。
「いや……お粥はちょっと……なぜかあまり見たくない気が……」
「いい大人が好き嫌いするんじゃないよ」
 フーケは笑って部屋を出て行った。お腹が空いていたのは事実なので、食事が取れるのは素直に嬉しかった。
 開いた窓から一人残されたウェザーの耳に外の音が届く。穏やかな賑わいを知らせる喧騒と、人々の生活を示す匂いが、何よりもあの夜が終わったことを教えてくれた。
「力を貸す、か。確かに、今回もこいつには助けられたな」
 重い腕を上げて右手をかざす。
 ガンダールブが無ければ今回は死んでいただろう。重い体に鞭打たせ、死力を振り絞らせたのもこの文様だった。
 これを与えてくれたご主人様にはキスしてやりたいくらいだと、桃色の髪を揺らす少女の顔を思い浮かべる。
 そして同時に、ある言葉を思い出す。
「『どんなに惨めでも帰ってこい』……随分と難しい注文を受けてしまったものだ」
 それでも自分は生きて帰ってきた。《やる》か《死ぬ》かのあの夜を、生きて戻ったということは自分は《やった》のだろう。
 外は夏だが、窓からは心地いい風が吹いてきた。



 トリステイントとガリアの国境近くに豪邸が一つあった。
 中にいるであろう人物の身分を現すような荘厳な建物と、厳重な囲い。その門前には屈強な男が数人、甲冑を見に纏いまさに番人といった出で立ちで立っている。
 既に空には月が昇り、夏だというのに涼しい風が吹いていた。人々の喧騒も無く、静寂があたりいったいを包んでいた。
 その屋敷の庭先に椅子が一つ。そこに一人の男が座っていた。
 その容貌は三十歳前後だろうか、眩い美貌に青い髪と髭が特徴的である。
 片手には年代物のワインを持ち、まるで無音を楽しんでいるかのように目を瞑り耳を澄ましている。
 その耳に、男のものとは別の声が届いた。しかし姿はない。
「随分とのんびりしているようだな……」
「君か……相も変わらず心臓に悪い登場の仕方だな」
 男はそう言ったが、その様子には驚愕など一切感じられない。
「側に護衛も置かずにバカンスとは、余裕だな」
「君のように優秀な部下がいるおかげだよ。リゾット」
 リゾットと呼ばれた男がその姿を《現す》。闇からにじみ出たかと見紛うように、その姿を《現した》。
 月光の中でさえその姿が捉えにくい黒のコートに、錯覚を起こしそうになる白黒のストライプのズボン。何より印象的なのは黒い頭巾を被ったその顔に、鬼火のように怪しく光る目だった。
「しかし、護衛なら最低限の人数だがいたと思うのだが……」
「木偶の坊を護衛と呼ぶのであれば、成る程、奴らも立派な護衛だろうな」
 男の言うとおり、この屋敷には護衛として連れてきた者たちが配置されている。屋敷の入り口や廊下、特に門には特別手練を配置していた。
 だが、門番達は動かなかった。不審者が屋敷にいるというのに、直立不動の姿勢のままただそこに立っているだけである。
 しかし、それも仕方の無いことではあった。その門番達は既に事切れていたからだ。直立不動の姿勢のまま、何が起きたのか理解する間すらなく、一瞬にして絶命しているのだ。
 よくよく見れば、門番達の纏っている甲冑の額と胸の部分が凹んでいるのが見えただろう。そしてその甲冑をはずしたのならば、その内側が棘の様に尖り、脳と心臓を貫き赤く染まっているのが見れたことだろう。
 そして敷地内に配置されている者も誰一人このリゾットの侵入に気付けないでいるのだ。
「何人か始末してしまったが、構わないだろう?」
 それに男はワインを揺らして答える。
 リゾットの言葉からは、既にバカンスを楽しむ余裕などないであろう不穏な空気が匂い立つというのに、この男にはまるで動揺というものが見受けられなかった。
 ――違うな。
 リゾットは思う。この男からは感情というものが感じられないのだ。
 仕事柄多くの人間を見てきた。常に《ハイ》な奴やキノコが生えそうなくらいに暗い奴。感情の起伏が乏しい奴だっていた。
 だが、この男は何か違った。
 リゾットの思考を余所に男は尋ねる。
「しかし、君には重要な任務を与えていたはずだが……本来なら、そろそろあちらの方角が明るくなっていると思うのだが?」
 男が指差した方角はトリステイン。それも、首都トリスタニアがある方角である。
「……組織の中に裏切り者がいた。支部で問題を起こし、俺がそれの解決に当たっている間に乗っ取ったようだ」
「ほぅ……?」
「貴様が寄越した男、J・ガイルといったか。ふっ、俺の監視のためにつけた犬に手を噛まれるハメになるとはな、お笑いだ」
「ふむ……あの男が……そうかそうか」
 意外だった――というよりは、そういうものなのかと納得するような調子だ。
 リゾットはまたも奇妙な感覚を覚える。
「……不可解だな。計画の急進によってトリステインに情報は漏れ、組織自体も取り締まられた。武器から麻薬まで全て押収。この件を機に危険分子は一掃、トリステイン王宮の求心力は上がり結束は固くなった。
 ……出来すぎだな。お前の計画は水泡に帰し、ただ徒に敵国を強くしただけだというのに……お前の感情が見えないのは、なぜだ?」
 リゾットの問いに、男は目を見開いた。丸くなった目は、どこか子供のそれを想起させる。
「残念だとは思っているさ。だがまあ……天気のようなものだ。朝起きて空を見る。曇っているのを見て《今日は雨が降る》か《この後太陽が覗く》かを見るような感覚でいい。
 子供の頃、靴を投げてその表裏で天気を占ったことがあるだろう?当たるも八卦当たらぬも八卦という奴だな。何より、ゲームの相手は強い方が燃えるじゃないか」
 さも当然のように言ってのける男に、リゾットの口は思わず開いてしまっていた。
「貴様の《地位》からは到底吐けるはずのない言葉だな」
「だろうな。だから皆俺のことを《無能》と呼ぶ」
「これだけ大掛かりな計画を企て、最新の技術を取り入れて尚無能とするのならば、そうなのだろうな」
 リゾットは知っていた。この男が無能などではないことを。
 リゾットは感じていた。この男の不気味さを。
 だとすれば、この男のこの余裕は一体何なのか。まるで暗闇を掴む様な、手応えのなさをリゾットは感じ続けている。
「だが、まあよかったよ。君は捕まらなかったようだからね。君とはまだ話をしたいと思っていたんだ、リゾット」
「……俺を処罰するんじゃないのか?今回の作戦の責任者は俺だ。裏切りがあったとはいえ、任務失敗の責は俺にある」
「ああ、そんなことはどうでもいいんだ。それよりも俺は君と話がしたい。最初に会ったときは死人のようだった男が、今はまるで違う印象を受ける。俺には無い《何か》を君は知っているのではないか?俺はそれが知りたい」
「それを知ってどうする?」
「どうする?どうもしない。知るだけだ」
 男は続ける。
「何と言うべきかな……そう、俺は君に興味がある」
 リゾットは怪訝な表情で返すが男に気にした様子は見受けられなかった。
「《宝石を持っていた貴族を乞食が襲い宝石を奪った》。どう思う?おれは乞食を責めるつもりはない。それが摂理だからだ。人は己の持っていないものに惹かれる。そういうものだろう?」
 それはつまり、この男の求める《己の持っていないもの》が意味するところを示しているのだ。
「持たざるゆえの強欲か……史事においてさえ、未だ世界を手に入れたものはいないぞ」
「過去の話に興味はない。だから未来の話をしよう」
 そう言って男は笑う。その笑みはまさに無垢と呼ぶに相応しかった。
「俺はお前のことが気に入った。お前が望む報酬で飼ってやってもいいぞ」
 男の言葉にリゾットは自らの首をなぞる。
 そこに何も無いことを確認するように。
「それは無理だ。お前と会ったばかりの――魂のない俺だったなら、ただ従う兵隊としての、犬としての生も受け入れただろう。だが俺は生き返った。だからお前を許すことは出来ない……」
 温厚なはずの犬が突如牙を剥くように、内に秘めた激情が爆発する。
「貴様は《俺達》の誇りに首輪をかけたッ!《俺達》は闇に生き死を平等に振りまく暗殺者だッ!《俺達》を飼うことは誰にも出来ない。神だろうと!帝王だろうと!貴様だろうと!」
 気炎を吐き出してリゾットはナイフを作り出す。素早く静かに。そしてその柄を掴み、しなやかに正確にその切っ先を男の喉に向ける。
 冷たい刃がその白い喉を裂かんと放たれる瞬間、リゾットの手が弾け飛んだ。
 続けざまに腹部と胸を強い衝撃が襲った。横合いから殴りつけられたかのようにリゾットが飛ぶ。
 男は表情を変えない。
 だがリゾットは笑う。
 倒れ行く最中、己の肉体が、弾けた血が、男に向かって飛ぶのを見たからだ。
 しかし、その血液も男の体に届くことは無く、その手に持つワインの中に沈むに留まった。
 リゾットが倒れるのを待って、男は手を上げた。
 二人のいる場所より遠くの木の上に銃士がいた。その手には、かつてアンリエッタを狙った銃が握られている。だが、今回は壊れることなくその役目を果たしていた。
 銃士は男の指示によりその筒先をリゾットから外す。
 仰向けに倒れたリゾットの、その体を覆っていたコートがはだける。
 男はその姿を見て、初めて驚愕と呼べる感情を見せた。
「リゾット……お前……既に」
 リゾットのその体には空洞が空いていた。恐らくは計画の最中に付けられた傷だろう。腹部から胸部にかけて、まるで抉られたような酷い傷が走っているのだ。
 血などとうに流しきっていたのだろう。どう考えても、人間が生きていられる損傷ではない。
 だとすれば、なぜリゾットはここまで来て、なぜ男と対面したのか。
 なぜ――
「なぜだ?」
「言ったはずだ……貴様は《俺達》の誇りに首輪をかけた……それは、どうあっても許しては置けないことだ」
 憎悪が己を動かしたのか。誇りが己を動かしたのか。
 それはリゾットにさえわからなかった。
 わかっていたのは己がこの世界で最期に為すべき事。
 誇りを取り戻すための戦い。
「貴様のスタンド……ではないな。なぜ動ける」
「さあな……真夏の夜の夢だとでも思ってくれ……」
 吐き出す血も無いのだろう。咳き込むことも無く、穏やかな表情でリゾットは言う。
 男はリゾットの横に腰を下ろした。
 リゾットの血が溶けきらずに漂うワインを月にかざして眺めている。
 その様は、まるで道端で見つけた綺麗な石を、目を輝かせて眺め続ける少年のようだった。
「解せぬ」
 しばしの後に、男はそういった。
「俺には到底理解できない。だがそれゆえに惹かれるな」
 それから男はリゾットに向けて手を差し出した。
 だが、リゾットは夜空に浮かぶ月から視線を外さない。
「改めて言う。俺と来い、リゾット。俺には無いその《誇り》が俺は欲しい。俺はお前が欲しい」
 その言葉に裏は無く、邪気も感じられない。
 本当に、本心からの言葉なのだろう。
  ――この男の為す事の結末を見たい。
 僅かに、リゾットの心が揺れた。
 だがその程度の揺れでは揺るがない思いがリゾットにはある。
「すまんな。これから仲間と地獄の縄張り争いをしなくちゃならないんでな……」
 すると途端に男はその表情を暗くする。
 子供が欲しいおもちゃを手に入れられなかった時のそれだ。
「ではお前はこのまま死ぬんだな……?」
「ああ……だがただでは死なねえ……」
 その瞬間、ワインの中に漂っていた血がその形を針に変え、グラスを貫いて男の眉間を捉える。
 完全な不意打ちに、銃士の反応は遅れていた。
 だが、その針が男の脳に届くことは無かった。
 まるで瞬間移動でもしたかのように、リゾットの目の前から消えたのだ。
 リゾットは「まさかッ!?」と叫びたかった。だが、先の『メタリカ』が正真正銘最後の一撃だったのだ。既に言葉を発する力さえ残ってはいない。
 そしてダメ押しの銃弾がリゾットの頭を貫いた。
 沈み行く意識の中、リゾットは男の顔を見た。
 だが、そこには闇しかなかった。光さえ吸い込む深い闇。
 ――この男は虚無だ。轟々と音を立てて全てを吸い込むドス黒い空洞。虚無は何もない。
 ブラックホールはあらゆるものを吸い込む。その善し悪しに関わらず。
 そしてこの男の本質もそれだろう。
 その懐に収まるのであれば、害悪であろうと受け入れる。それは恐らく、己の死さえも。

 リゾットは最期に思う。
 俺と戦ったあの男は、この先も果たしてあの国を守りきれるだろうか。《誇り》に気付かせてくれた礼に血だけは戻してやったが、その先は責任が持てない。
 何より、この男の懐には、既に得体の知れぬ力が集まっていることだろう。
 だがまあ、どちらが勝とうとどうでもよかった。肩入れする気も無い。
 俺は俺達チームの味方だからだ。



 男は動かなくなったリゾットの横に座ったままだった。ただ先ほどから眉間をなぞり続けている。
 そこに銃声を聞きつけた護衛の兵達たちがようやく駆けつけた。
「も、申し訳ありません……」
「ああ。申し訳はいい」
 男はそういうと立ち上がり、屋敷の一角を見た。
 小さな影が消えるのが見えた。
「余計なことを……」
「は?」
「なんでもない」
 そう言って振り向いた男の目に飛び込んできたのは、兵たちがリゾットの死体を引きずろうとしている光景だった。
 途端に男は兵に怒鳴りつける。
「やめろ!その男にそんな扱いをするんじゃあない!慎重に運び丁重に埋葬するんだ!」
 男の言葉に兵たちは戸惑った。
 よもや己の命を狙った賊を、丁重に弔えなどとは思いもしなかったのだから。
 だが、兵たちは小さく溜め息を吐いてそれに従った。
 諦めと侮蔑を含んだ溜め息。
「了解しました。ガリア王ジョゼフ様」
 兵たちが去り、再び一人になった男――ジョゼフは再三額をなぞり考える。
 なぜ俺はこんなにもあの男に拘るのか。
 なぜ俺は命が助かったのに嬉しくないのか。
 俺はリゾットに殺されたかったのか?
 あるいは――
「死ねるのならば誰でも……か?」
 そう呟いた男の顔に、感情は宿っていなかった。
「――計画は失敗だ。だかプランに変更は無い」
 誰かに話しかけるように、だが一人でそう呟いて、男は屋敷に戻っていった。
 夏だというのに涼しい風が、その後に吹いた。




To Be Continued…


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