ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

13 奇策と秘策 前編

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匿名ユーザー

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「ふむ……、何故彼女がこんなものを持っていたのかは分からないが……」
 蝋燭の火が揺れる小さな執務室に佇む男は、机の上に広げた包みの中身を穏やかならぬ眼で見下ろして、引き絞った唇を弓なりに曲げる。
 紙に記されている文字の上を撫でる指先が、そこに宿る魔力の残り香を感じ取っていた。
「なんにせよ、これが表沙汰になるのは良くない」
 言って、男は陶器の器に書類を乗せて、蝋燭の火を近づける。
 チリチリ
 ちり……ちり……
 ヂヂ……
 部屋の天井を、立ち上った黒い煙が一筋触れた。



 大地を叩く重低音と金属を打ち鳴らす高音。痛みばかりで何を聞いているのかも分からない鼓膜は、心臓の音だけを浮き立たせて脳を揺さ振っている。両手に握っているはずの銃の重みは頼りなく、腰に下げた袋の中の火薬は焦燥感を煽り立てるばかり。
 地面を蹴る足に力は入らず、自分が前に進んでいるかどうかさえ危うかった。
 実戦をどれだけ繰り返しても、これだけは慣れる事が無い。特に、個人の力ではどうしようもない戦場は、流れ弾一つで命を落とすとあって肩の力は入り続けてしまう。
「全体止まれ!銃、構え!狙いは前方の槍部隊だ!味方に当てるなよ!!」
 三列に並んだ前衛の突撃隊が敵と接触したのを皮切りに、アニエスは号令を出して自分の部隊の足を止めると、その場で銃を構えた。
 平坦な土地を戦場としていた場合、射線が直線である銃器は扱いが難しい。前面に立たせなければ味方に当たるし、敵が近付けば銃を捨てて剣か槍を握る必要があるからだ。しかし、このラ・ロシェールの戦場は緩やかな斜面。微妙な曲線を描く坂が、直線でしか攻撃出来ない銃に味方の背に隠れながらも活躍の場を与えてくれる。
 射線は確保されているのだ。後は撃つだけで良い。そして、その的は、前衛部隊に足止めされて無防備な顔を晒していた。
「仲間とタイミングを合わせようなどと考えるな!弾が尽きるまで撃ちまくれ!!この距離で外したりなんてしたら、二度と的を外さないように毎日付きっ切りで指導してやるぞ!」
 悲鳴のような返事をして、四十名に及ぶ銃士隊は手にした銃の引き金を一斉に引く。
 大砲に負けない轟音が響いて、トリステインの前衛部隊を槍で突き殺そうとしていたアルビオンの兵士達が血を吹いて地面に倒れた。
 銃の訓練を詰んでいないカステルモールやウェールズも、鉛の弾丸を敵に当て、命を奪っていく。その威力に、平民の武器と侮っていたカステルモールは苦々しい表情となり、ウェールズは地位を追われたとはいえ、他国のために自国の民を手にかけたことに苦しげに眉の形を変えた。
「頭上に注意しな!でかいのが行くよ!!」
 様々な思いを抱く二人とは別に、やる気を見せだしたマチルダが地下水の後ろで杖を手にして声を張り上げる。その前に立つ地下水の手には大人が丸ごと入れそうな樽がしっかりと握られていて、まるで槍投げの選手のように空を見上げた形で振りかぶっていた。

「射線、良し!狙うは敵指揮官よ!」
「誘導は頼んだぜ、お嬢!」
「任せときなさい!」
 地下水の肩に乗ったエルザが空を指差し、地下水はその指示に従うようにしてミノタウロスの豪腕に力を籠める。
 足の踏ん張り、腰の回転、肩から腕に伝えられる力の流れ。その全てが、長く生きて他人を動かしてきた地下水だからこそ出来る絶妙なバランスで組み上げられて、握られた樽の推進力に変えられていた。
「樽爆弾、発射!ふぅんッ!!」
「いっけえええぇぇぇッ!」
 眼一杯に広げていたミノタウロスの全身を折り畳むように縮めて、その勢いの全てを乗せられた樽は天高く放られる。
 大砲の弾と鉄の矢、そして魔法が行き交う中に現れた樽の存在は、遠距離での戦いに集中していた兵士達の眼を奪い、一瞬その手を止めさせた。
 だが、その一瞬で放り投げられた樽は放物線を描き、重力に引かれて落ち始める。トリステインにしても、アルビオンにしても、それを撃ち落すという発想を得るだけの時間は、もはや存在しなかった。
「5、4、3、2、着弾……、今!」
 エルザが最後の言葉を口にした時、宙を舞っていた樽はエルザが操る先住の魔法で導かれるままに目標としていたアルビオン軍の後方、煌びやかな装飾に身を包んだ馬上の男の顔面に直撃し、馬ごと大地に押し潰していた。
 飛び散る樽の破片と、血の飛沫。
 それは、敵の指揮官を仕留めた証明であった。
「当たった!当たったわよ!アニエスちゃーん、特別報酬お願いねー!」
「そ、そんな無茶なやり方で大将を落とすな!!」
「目的は達したんだから、過程や方法なんてどうでもいいじゃない。いかにも偉いですって格好で目立ってる奴が悪いのよ」
 アハハハハ、なんて呑気に笑ったエルザに、アニエスは戦争とはこういうものではないはずだと、崩されそうな常識を保つ為に頭に手を置いて苦しげに眉根を寄せる。
 だがしかし、敵の大将を崩した事実は大きい。不意打ち臭いが、勝てば官軍というのはどの世界も同じなのだ。
 空飛ぶ樽の存在が余程目立ったのだろう。樽の行方を注視していた人々の多くがアルビオン軍の中核に致命的な一撃が入ったことを理解し、一方では士気を上げ、もう一方には激しい混乱が襲い掛かった。
 元々、数と地の利で差が有った戦いだ。優勢のトリステインがアルビオン軍の将を討ち取るなんてことになれば、それはもう勝敗の決定打となり得る。実際、交戦して間もないというのに、アルビオン軍の中からは逃走を始めている者の姿があった。
 早くも戦いが終わりそうな雰囲気が戦場に漂い始めていた。
「樽なんて、魔法一つで弾くなり破壊するなり、なんとでもなったはずだろう!?そ、それがなんて間抜けな……、こんなバカらしい戦争があるかぁ!!」

 人生の目標のために命がけで戦争に赴いているというのに、その覚悟の全てが根底から否定されている気分になる。
 思わず叫んだアニエスに、ミシェルや他の銃士隊の面々も複雑そうな表情で頷いて同意を示していた。
「叫んだって現実は変わんないわよ。ほら、第二投目、行くわよ!」
 ほぼ決着が付いたとはいえ、まだ戦いは終わっていない。
 しぶとく維持されるアルビオン軍の士気を挫くべく、勢いを増したトリステイン軍の猛攻は着実に戦線を押し上げ、戦場に死体の山を築いていく。傭兵として雇われたエルザ達も、これで終わられては褒賞が少なくなってしまうと、容赦のない攻撃を続けていた。
「樽爆弾、もう一発!」
 地下水が操るミノタウロスが、新たな樽を持ち上げて構えている。既に目標地点はエルザの目測で決定されており、地下水は大体の方向だけを合わせて投げるだけになっていた。
「あっちにも偉そうな奴が居るから、思いっきりぶっ飛ばすわよ!」
「行くぜオラァ!!」
 最初の一撃が成功したことで調子に乗っているのか、地下水が勇ましい声を上げて樽を放り投げる。
 再び戦場の空に現れた樽。
 思い出される一撃はトリステインの兵士達は希望を、アルビオンの兵士達は絶望を与える。
 だが、都合の良い展開は二度も続かなかった。
 アルビオン軍の後方から伸びた光が、吸い込まれるようにして空にある樽を撃つ。
 木と鉄で組まれただけの樽にそれを耐え凌ぐだけの耐久力は無く、無残に砕け、四散した。
「あら?」
 一度目の成果が二度目の成功さえも当然のものだと錯覚させていたのだろう。粉々になった
樽の姿にぽかんと口を開けたエルザは、しばしの硬直の後にミノタウロスの頭の毛を力任せに毟り取った。
「えー!なんでー!?そんなの卑怯よ!!」
「奇策が二度も通じるほど、戦場は甘くなんて無いってことだ!下らんやり方してないで、堅実に攻めることだな」
 やり場のない怒りをぶつけるように、ブチブチとミノタウロスの頭の毛を毟るエルザに、アニエスは弾込めの済んだ銃を構えて冷たく言い放つ。
「これ以外にわたしの出番ないんだから、止めたりなんてしないわ!撃ち落されるなら、撃ち落される以上の数をブン投げるだけよ!地下水、気合入れなさい!」
「ということらしい。姐さん、樽の準備頼むぜ」
 ムキになっているエルザを窘めることなく、地下水は自分の後ろに隠れるように立つマチルダに視線を送る。
 数体のゴーレムが戦場の後方から持ってくる樽に杖を振るって、マチルダが、ふん、と鼻を鳴らしてニヤリと笑った。
「こっちの準備は出来てるよ。じゃんじゃん投げて、じゃんじゃん撃ち落されな。その内、派手な花火の一つも上がるだろうさ」

「派手な花火……?ああ、真っ赤な花のように散るアレか。確かに樽に押し潰されればそうなるかもしれねえけど、表現がちょっとグロいぜ、姐さん」
 ふん、とまた鼻を鳴らしたマチルダを横目に、地下水は用意された樽を掴み、ミノタウロスの体に捻りを加えた。
「次はどこを狙う?」
「左前方、さっき樽を撃ち落したメイジに制裁を加えてやるわ!」
 訊ねた地下水にエルザは即座に答え、目標とする位置を指差した。
 地下水には分からないが、エルザには当のメイジの姿がはっきりと見えるのだろう。人の海の中で、指は妙に正確な位置を指したまま維持されている。
 そして、その正確さを証明するかのように、エルザの指差す方向から魔法の光が飛び込んできたのだった。
「うっひゃあぁ!」
 指差して意識を向けていたお陰か、高速で飛んできた冷たい色をエルザは仰け反るようにして回避する。その勢いで跳ね上がった足を振って空中でクルリと一回転すると、地面に着地するや、エルザは股先から首元まで一直線に裂けた服を見下ろして顔色を青く変えた。
 ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。
「ひゃあぁぁ……、反応があとちょっと遅かったら、胴に大穴が空いてたわね」
 そう言って、エルザは破れた服を摘んでヒラヒラと動かす。
 破れた生地の縁に霜のようなものが引っ付いているところを見ると、どうやら、樽を砕いたのは水系統を使えるメイジらしい。エルザを狙った魔法も樽を砕いた魔法も、恐らくはトライアングル以上の魔法に違いない。狙撃出来るだけの魔力は、ドットやラインクラスのメイジには難しいレベルであるからだ。
 先程、エルザは敵の将校に対して目立つ方が悪いと言ったが、エルザ自身もミノタウロスという巨体の上に乗って目立っているのだから、人のことを笑っていられない立場である。優秀なメイジは味方にしかいない、なんて幻想を無意識の内に定めていたのかもしれない。
 向こうにしてみれば、良い的だったことだろう。
「こ、こら!前を隠せ、前を!!」
 悪い意味で胸をドキドキとさせていたエルザに、慌てた様子のアニエスが駆け寄ってきた。
 前、と言われて改めて自分の体を見下ろしたエルザは、前面が真っ二つになった衣服とその下に見える白い肌を見て、ああ、と声を零した。
「下着はつけてるわよ?」
「そんなものは下着とは言わん!ベルトをやるから、とにかく前を何とかしろ!」
 腰に巻いていた革のベルトを押し付けるようにアニエスから渡されたエルザは、二つに裂けた服を引っ張って体の正面で重ね、その状態で留めるようにしてベルトを固定する。
 それでとりあえず、素肌が透けて見える薄い下着は見えなくなった。
「そんな怒鳴らなくてもいいじゃない。こんな貧相な子供の体に欲情する奴なんて、特殊な趣味の奴以外にはいないわよ。……いないわよ!!」
「お前は良くても隊の風紀に響く!というか、貴様はここが戦場だって事を忘れてるだろ!」
「良くはないんだけど……、あーはいはい。分かったわよもう」
 しつこいアニエスの怒鳴り声に対して、エルザはうんざりした様子で肩を竦めると、マチルダが放り出した銃を拾い上げて肩に担いだ。

 どこからか、また魔法が飛び込んでくる。
 大凡の位置を掴まれたのだろう。エルザの姿が見えなくても、ミノタウロスの巨体が目印となって攻撃されているようだ。
 直線で当たらないならと面での制圧を狙ったのか、無数の氷の矢が雨のように振ってくる。
 シャルロットも得意としている、ウィンディ・アイシクルの魔法だ。
「ウェールズ!カステルモール!」
「分かっている!」
 使い慣れない銃で戦っていた男二人に呼びかけると、二人は待っていたかのように杖を取り出し、風の障壁を周囲に張り巡らせた。
 魔法によって生み出された乱気流は、氷の矢の勢いを乱し、あらぬ方向へと弾き飛ばす。一度弾かれた氷の矢はもはや石ころと大きな違いは無い。味方の被害は微少で済むだろう。
 一瞬だけだが魔法で攻撃されたことに体を硬直させていた銃士隊は、パラパラと落ちてくる氷の破片を呆然と見上げ、ワッと沸き立つようにしてウェールズとカステルモールに賛美の声を送った。
「この馬鹿者ども!戦いは終わっていないんだぞ!?銃を構えないか!!」
 ミシェルの叱咤によって、攻撃の手を止めていた銃士隊は我を取り戻す。
 戦いは、確かに終わっていない。
 エルザと地下水の樽攻撃によって敵の指揮官の一人が倒れたが、たった一人倒しただけで戦いが終わるほど、戦争と言うものは甘くない。組織は数だ。頭が潰れても、代わりの頭が用意されているのは当然のこと。
 崩れかけていたアルビオン軍の士気は別の人間の手によって立ち直り、怯んだ分を取り戻そうと怒涛の攻めを見せている。その勢いは凄まじく、前衛に立ち塞がる部隊を押し潰すのも時間の問題に思えるほどだった。
「前衛の援護を続けるぞ!隊列変更、二列横隊!中央にミノタウロスと男二人を挟め!前列の一斉射撃と交代して後列が前に、下がった者は銃の弾込めだ!男二人は魔法で敵の攻撃から味方を守れ!!」
 エルザとのやり取りも一段落して気を取り直したらしいアニエスは、部下に強い口調で指示を下すと、その返事を聞くことなくエルザに近寄り、その肩に手を置いた。
「暇そうだな」
「指示があれば戦うわよ?コレは鈍器になるけど」
 言って、エルザは担いだ銃の表面を指先で二度叩く。
 引き金に指が届かないのだから、自動的にそうなると言っているのだろう。同時に、自分が戦えないという主張でもある。銃を鈍器にするということは、隊から離れて前に出るということだ。しかし、隊から離れればエルザは迷子の子供にしか見えない。敵味方を戸惑わせるだけの厄介者だろう。
 エルザ自身はそれでも良いが、だからと言ってアニエスがそれを許可するとは思えなかった。
「その銃は置いていけ。代わりに、これを貸してやる」
「あら?それって……」
 エルザの視線が、アニエスの手元に伸びる。

 そこにあるのは、銃身の短い短銃であった。銃士隊が使っている長身のマスケット銃よりも小さい、片手用の武器だ。
 以前、エルザがワルド相手に使って思いっきり外したものと同系統のそれは、なんとかエルザの手でも扱える暗殺用の隠し武器でもあった。
「私の予備だ。貴様の手の大きさのことを忘れていたからな……、特別だ。後で返せよ」
「確かにこれなら使えるけど……、こいつの命中率は怒鳴り散らしたくなるほどクソよ?」
「無いよりマシだろう?諦めて使え。貴様の隊列は私の後ろ。弾の補充は自分でやれ」
 それだけ言って、アニエスはミシェルの合図で一斉射撃を行っている部下達の端に並ぶ。
 ほぼ同時に響く射撃音に空気が揺れて、命が散っていく。それでも、アルビオンの攻勢は止まらない。立ち塞がるトリステイン軍の前衛部隊も数を減らしていて、一部では崩れた防衛線から突入してきたアルビオンの部隊と混戦状態になっている場所もあった。
 地下水の投げる樽の数は十を数えようとしているが、あれから一度も人を殺すことなく破壊され、その破片を散らせている。アニエス率いる銃士隊への攻撃は苛烈になる一方で、ウェールズやカステルモールの守りも永遠のものとはなりそうになかった。
 戦いが中盤に差し掛かろうとしている中、アニエスから渡された銃を見詰めたエルザは、くにゃりと首を傾ける。
「短銃……、銃?なにか、忘れてるような……」
「おおい、お嬢!そろそろ危ねえぞ!戦えるなら、こっち来て援護してくれ!」
 崩れ始めた前衛の様子に、地下水が白兵戦が近いことを覚悟して可能な限り敵兵の数を減らせるようにとエルザを呼ぶ。しかし、エルザはその声に応えることなく短銃を右手に握って引き金の位置に指を引っ掛けると、それを手元でクルクルと回した。
 右手から左手に銃を移して、回転を維持したまま腕を背中に回し、タイミング良く引っ掛けた指を放す。すると、短銃は回転しながら高く放られてエルザの頭上を越え、そのまま胸の前に持ってきていたエルザの手元に落下した。
 さらに一回転させて、エルザは両手で銃を握って照準から前方を睨む。
「こーゆー動きをどこかで見た気がするのよねえ……?」
「なんか知らんが、早く援護してくれよ!そろそろ、前の連中がヤバイ!!」
 悲鳴のような声で訴える地下水の言葉が届いたのか、エルザは勢い良く振り返り、次にアルビオン軍の方を見た。
 アニエス達銃士隊の前方を守っていた重装甲の兵士達が、獣のように突っ込んでくるアルビオンの兵士に馬乗りにされて頭を叩き割られる姿が見える。一人が倒れると、そこを狙って突入してきた敵兵に並んでいた兵士が倒され、穴が広げられた。
 堤防が崩れるようにして敵が雪崩れ込んでくる。
 慌ててエルザも隊列に入り、アニエスの背後に隠れるように立った。
「銃捨て、抜刀!銃士隊が銃だけに頼る軟弱者でない事を示すぞ!!」
 もう悠長に銃を撃っていられないと判断したアニエスが、銃士隊の象徴である銃を投げ捨てて腰に下げた剣を抜く。
 金属の擦れる音が響いて、二列に並んだ銃士隊の全員が剣を構えた。
「樽投げは終わりだな?だったら、後は思いっきり暴れるぞ!」
 地下水もまた、どこからか巨大な戦斧を持ち出して敵の接近に備える。

 太鼓をゆっくりと、強く叩くように心臓の鼓動が打ち鳴らされる。直接的な戦いは、銃による援護よりもずっと死傷率が高い。その事実が、銃士隊を緊張に飲み込んでいた。
 あと少し。もう少しで、敵が自分たちの攻撃範囲に入る。
 だが、その前にゆっくりとした足取りでマチルダが現れて、銃士隊の眼前を錬金の魔法で作り出した壁で遮った。
「残念だけど、花火を上げるのを忘れてるよ。直接ぶつかるのは、それからにすることだね」
「なにを……?」
 前を塞がられたことで困惑の表情を浮かべたアニエスは、マチルダの妙な行動の真意を問い質そうとして、突如耳に入った詠唱に伸ばしかけた手を止めた。
 土のメイジが、何故?とは思わない。アニエスには魔法の知識がないため、それがどんな魔法なのかの詳細までは分からないからだ。ただ、それは珍しい魔法ではなく、メイジの殆どが日常的に使うものの一つだという認識くらいはあった。
 だから、それが起こした現象に、絶句する。
 それはそういう魔法じゃなかったはずだったから。
「ウル・カーノ」
 その一言が、戦場に大きな花火を咲かせたのだった。


「な、ん、で、オレが!こんなところで!こんなことを!しなくちゃなんねえんだッ!?」
 体を貫くような衝撃に言葉を途切れさせながらそう叫んだのは、地面に立てた巨大な盾を必死に支えたホル・ホースであった。
 傷だらけの重厚な金属の鎧に身を包み、時折盾を回り込んで襲い掛かってくる剣や槍に肝を冷やしながら、それでも死にたくない一心で盾が潰されないようにとつっかえ棒のように全身を固めている。両隣も更に隣も、同じようにして盾を構えた男達が並び、彼ら全員が同じよう
な体勢で盾を支えていた。
 ハンマーで打ちつけるような衝撃が、盾の向こうから伝わってくる。
 盾の向こうにいるのは、突撃を仕掛けてきているアルビオンの軍勢だ。トリステインの最前列に並んでいた槍兵や小型のゴーレムの小隊は既に押し潰された後で、ここを突破されれば前衛の支援攻撃を行っていた部隊が白兵戦へと引き込まれることになる。そうなれば、もはや乱戦となり、陣形の意味が薄れていくことになるだろう。
 それは単純な突撃であったが、トリステイン側の有利を少しでも崩そうという、数に差のあるアルビオン側の少ない戦略でもあった。
「気張れ、若造!!あと少し辛抱すりゃあ、味方が突っ込んでくる馬鹿どもを一掃してくれるはずだ!」
「言われなくても十分必死だよ!ああクソッ!ホントに、なんでオレがこんなことを……!」
 隣で大量に汗を垂らすオッサンに言葉を返しながら、泣けてくるぜ、と呟いたホル・ホースは、ここに至る経緯を思い出す。
 自分の人生に疑問を感じている間に居なくなったアニエス。そして、いつの間にか雄叫びを上げて走り出すトリステインの軍勢。その中で、一人ぽつんと立っていたホル・ホースは、自分の所属する位置を見失った迷子の傭兵にでも間違われたのだろう。駆け抜ける人の波の中の誰かが自分の持っていた盾をホル・ホースに渡し、問答無用で首根っこを掴んで最前線へと引きずり込んだのだ。

 その、誰か、も流れてきた矢に頭を射抜かれて死に、いつの間にか前衛の部隊に紛れ込んでいたホル・ホースは、身を守るために死体から鎧を引っぺがして着込んだのである。何度か鎧と盾に命を守られている内に、最初に敵兵とぶつかった部隊が全滅。押し上げてくる敵軍に接触したため、慌てて周囲の人間の真似をして盾の壁を作ったのだ。
 状況に見事に流されているホル・ホースであった。
「ふんぎいいいぃぃぃぃぃっ!!」
「歯を食い縛るにしても、その声は止めろ!こっちの気が抜けるだろうがッ!!」
 人のことを若造、なんて呼んでくれたオッサンの奇声に抗議しつつ、ホル・ホースは現状の不味さを実感する。
 このオッサンは味方が敵を一掃してくれる、なんて言っていたが、今のところそんな様子は無い。それどころか、自分達と同じように盾を構えた陣列が崩されては足に潰され、命を落とす様子ばかりが見えている。
 味方の援護とやらは、多分、盾に突撃を仕掛けている敵よりも後方の、足止めされて密集している部分に集中しているのだろう。その方が効率が良いし、敵の長射程の武器を削る効果も得られる。そうすれば自分達の元に流れ矢が飛び込んでくる心配もないのだから、前衛の補助なんて後回しにするのは当然だ。
 壁が崩れれば、今目の前にいる敵が自分の所にやってくるなんて、あまり考えていないのだろう。そういう視野の狭いものの見方を矯正するのが指揮官の役割なのだが、少なくとも自分達を援護するはずの部隊の指揮官は、そのあたりの能力が欠けているらしい。
「どうすっかなあ……」
 このままでは、力尽きた時点で押し潰されるだろう。誰も、潰れたカエルのようになりたくは無い。
 しかし、構えた盾を動かすことさえままならない今、対処法さえないのが実情であった。
「こういう時のために連れて歩いてるはずだぜ、エルザも、地下水も。なのに、なんだって大事なときに姿が見えねえ!どこ行きやがったんだアイツらはよぉ……、んあ?」
 不意に、頬に冷たい滴が落ちた。
 見上げれば、厚い雲の広がる空が見える。朝からずっとそこにある重みのある黒い雲は、間違いなく雨雲だ。
 いよいよ雨が降ってきたのか。
 そう思ったホル・ホースは、しかし、別のものが顔に当たったことで結論を変えた。
「いてっ……、なんだこれ。木の破片か?」
 足元に落ちたそれに視線を落とせば、親指の先ほどの欠片が何かに濡れて転がっているのが見える。濡れているのは、先程頬に当たった滴の元に触れていたからだろう。
 手に取ってみればもう少し詳しいことが分かるかもしれないが、生憎と現在のホル・ホースにそんな余裕は無い。
 ただ、どこかで嗅いだことのある臭いがしたような、そんな気がしていた。
 最近嗅いだことのある、馴染みのあるなにかの臭い。だが、答えは出てこない。
 いったい、なんだっただろうか。そんな風に悩んでいる間に、ホル・ホースの意識は頭蓋と共に激しく揺さ振られたのだった。

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