ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

茨の冠は誰が為に捧げられしや 『魅惑の妖精亭』編

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匿名ユーザー

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ギーシュ・ド・グラモンは憂鬱そうに溜息をついた。
机の上には財布から出された硬貨が広げられている。
それを数えて自分の計算が間違っていない事に再び落胆する。

「……どうしよう。今月も赤字だ」

ハッキリ言うが良家であろうともグラモン家の家計は芳しくない。
父親が元帥といえば聞こえはいいが名誉職であってそれに相応しい給金が与えられる訳ではない。
それどころか戦時には自腹を切って役職に相応しい戦支度をせねばならないのだ。
売れるような調度品はあらかた手放したし、生活だけなら裕福な平民の方が遥かに良い暮らしをしている。

そういう訳でギーシュのお小遣いなど雀の涙。
ルイズにいくらか教えたら“それって一日分?”と言われる事請け合いだ。
しかも世界が違えど女性との付き合いにお金がかかるのは変わらない。
ましてや見栄っ張りのギーシュと貴族のお嬢様方ならば尚の事。
しかし、今まではどうにかなっていた。
安定した生活を覆した要因は唯一つ。

「大変じゃのう」
「他人事みたい言うなァ! 君の所為だろうが、君の!」

フルーツ満載のタルトを頬張りながら平然と答えるジョセフに
我慢の限界を超えたギーシュが声を張り上げる。
そう。散財の最も大きな要因はこの使い魔なのだ。
例の件以来、調子に乗って当然のようにたかり続けた結果がこれだ。
生活費が一人分増えるなどと誰が予想しただろうか。
こうなれば実力で追い出しにかかろうかと不穏な考えが頭を過ぎる。

「そもそもの原因を作ったのは誰じゃったかな?」
「ごめんなさい」

思わずギーシュは床に額を擦り付けた。
自らの不誠実が招いた事態だと誰よりも本人が理解していた。
さすがのギーシュもこれには反省せざるを得ない。
その情けないギーシュの姿を見ながら、
ふむと鬚を撫でてジョセフはポンと掌を叩いた。

「しかし、このままでは儘ならぬな。
よし、儂が何とかしてやろう。他ならぬ主の為だ」

ジョセフが跪いたギーシュへと優しげに差し伸べる。
それは初めてジョセフが取った使い魔らしい行動だった。
見上げるギーシュの眼には慈悲に満ちた始祖の顔に映る。
期待に満ちた眼差しと歓喜の篭った声がジョセフを捉える。

「ほ、本当かい?」
「勿論だとも。儂が今まで嘘を付いた事があるか?」

『ええ、数え切れないほどに』彼を良く知る人物ならばそう答えただろう。
しかし付き合いの短いギーシュには彼の性格を知る術はなく、
“貧すれば鈍し”の言葉が指し示すように生活にも困る彼には気付けない。
主であるギーシュの困窮は即ち彼自身の生活も脅かすという事に。
美談などでは断じてない。ギーシュの財布(モノ)はジョセフの財布(モノ)。
ジョセフは自分の為にギーシュを助けようとしているのだ。

世界が変わろうともこの男は決して変わらない。
どこの世界であろうとも、その中心にいるのは常にジョセフ・ジョースター。
究極なまでの自己中心主義はたとえルーンであろうとも曲げられない。

「ここじゃよ」

そうしてギーシュが連れて来られたのは一軒の酒場だった。
トリステイン魔法学院から馬で2時間、王都トリスタニアの裏通り、
チクトンネ街にあるといえば、どんな店かは想像に難くない。
名前も『魅惑の妖精亭』と如何わしさに拍車をかける。
呼び止めようとするギーシュを無視してジョセフは店へと足を踏み入れる。
躊躇いながらも彼もそれに続く。どのみち戻った所で何の解決にもならない。

それにギーシュ・ド・グラモンは青少年である。
ならば、この手のお店に興味を持つのは至極当然。
いや、むしろ覗こうと思わない方が逆に不健全なのだ。
期待に満ち溢れた彼の眼に飛び込んできたのは未知の世界。
否。前代未聞、空前絶後、筆舌に尽くしがたい未知のモンスターであった。

派手な発色をしたピンク色のレオタードと純白のフリル。
丸太じみた上腕筋に熊のように毛深くて巨大な体躯。
水と油に等しく、決して交わる事のない二つが融合した怪生物。
子供が目にしたならトラウマになりかねない魔物、
それが腰をくねらせながらこちらへと歩み寄ってくる。
理解を超えた状況にギーシュの脳のヒューズが焼き切れる。

「あ~ら~ジョセフちゃん、お久しぶり~!」
「おお、相変わらず暑苦しいの、マスター」
「ノンノン、マスターじゃなくてミ・マドモワゼルよ」

ギーシュの思考が停止してる間も二人は抱擁を交わす。
やがて引き剥がすように離れるとジョセフはギーシュを紹介した。

「これが儂の主人のギーシュ・ド・なんちゃらじゃ」
「まあ可愛い! キスしたくなっちゃう!」

迫る死の危険にギーシュの身体……いや、全細胞が覚醒を促す。
現実を棚上げして目の前に迫るオカマの唇を両手で押して食い止める。
男とキスすると考えるだけで全身を生理的嫌悪が駆け巡る。
いや、ジョセフとは、その、したのだが、既に忘却の彼方である。

「以前、ボーイが足りんと言っていたじゃろ。
そこで彼を雇ってもらいたいのじゃが」
「待て! 聞いてないぞ!」
「お金がないなら働くのは当然じゃろう」
「それは分かるけど、よりもよってこんな店に!」

本題を切り出すジョセフにギーシュが当惑する。
しかし、そんな反論には耳も貸さずに話を進め続ける。
平民の仕事は当然ながら実入りが少ない。
それでは満足する生活費を稼ぐ事は出来ない。
そう思っていたのだがジョセフが提示した給金を聞いて、
思わずギーシュもぐびりと喉を鳴らした。
『魅惑の妖精亭』の盛況ぶりはチクトンネ街でも随一。
妖精さん(この店での女の子達の呼び方)に支払われるチップも、
日に10エキュー超える事も珍しくない。

給料が良くて可愛い女の子が一杯のアットホームな職場!
これほど素晴らしい楽園を放って置く男はいない!
普通ならば就職希望者が列を成して群がっただろう!
――ここの店長、スカロンさえ居なかったならば!

気に入った男の子しか雇わず、
そして、そういった子に行われる熱烈アプローチという名のセクハラ。
必然的に『魅惑の妖精亭』に残る者はいななくなるという寸法だ。

お金と貞操の合間で揺れるギーシュの天秤。
しかし、ブンブンと頭を振るって彼は正気を呼び起こす。
薔薇をこよなく愛する彼ではあるが、決してそういう意味ではない。

「第一、学院をサボってアルバイトなんて出来るわけないだろ!」
「大丈夫じゃよ。夕べオスマンとここに呑みに来た時に許可は取ったからの」

最後の望みが目の前で絶たれる。
というか、あのエロジジイ、こんなお店で夜な夜な遊んでいるのか。
いや、それよりもその飲み代って間違いなく僕の財布から出てるよね。
そんな事しなければ普通に生活できたんじゃないのか。

大きく項垂れるギーシュと、にこやかな笑みを浮かべるジョセフ。
その二人を見比べながら「はぁ…」とスカロンは溜息を零す。

「ごめんなさいね。ついさっき、ボーイの子を雇っちゃったの」

手を合わせて本当にすまなそうに答えるスカロン。
その瞬間、二人の態度が入れ替わったかのように急変した。
「それじゃあ仕方ない」と俯くジョセフとガッツポーズを見せるギーシュ。
売り飛ばされて店先に吊るされる運命と諦めていた彼に差す一筋の光。
やはり始祖は天より人々の行いを具に見ていらっしゃるのだ。
人身売買じみた契約は白紙となり、道を誤りかけた少年は開放される――はずであった。

「せめて、この子が女の子だったらね~」

このスカロンが何気なく呟いた一言が発端であった。
瞬く間に三人の間を電流にも似た閃きが走る。
ニヤリとジョセフとスカロンから零れる邪悪な笑み。
両者の瞳が獲物を狙う猛禽の如く鋭く光る。
その気配を感じ取ったギーシュが刺激しないようにそっと離れようとする。
しかしジョセフがギーシュの左肩を、スカロンが右肩をがっしりと掴む。
そして、そのままズルズルと店の奥へと連行されていく。

「まあまあまあ……もう少しゆっくりしていこうじゃないか」
「うふふふ。久しぶりに腕が鳴るわね。うちの子達も手伝わせましょう」
「儂も手伝うとしよう。もう大分昔の事なんでやり方は忘れちまったがね」
「放せー、放せー、後生だから放してくれー」

泣き喚こうとも二人の歩く速度に変化はない。
店の出口が彼の前から無情にも遠ざかっていく。
伸ばした腕が宙を掻き、やがてぐったりと地面へと垂れる。
抵抗を諦めた少年が人形のように部屋に運び込まれる。

この時を境にギーシュ・ド・グラモンを死を迎え、
そして『魅惑の妖精亭』には可憐な花がまた一輪……。



夜が更ける。だが、ここではそれは一日の終わりを告げるものではない。
王都トリスタニアには昼には昼の、夜には夜の喧騒がある。
太陽と月が主役を入れ替えるように大通りからは人気が絶え、
裏通りには眠らない街を象徴するような活気に満ち溢れる。

『妖精さん』が共同で利用している控え室。
辺りに化粧品や衣装が散乱する中、少女が一人佇む。
果実のように鮮やかな紅で彩られた唇。
腰まであろうかという金糸じみた髪が清流の如くそよぐ。
清純をイメージさせる白いワンピースから垣間見える華奢な足首。
肩が上下する度に豊満な胸が弾むみたいに揺れる。

姿見の前でくるりと少女は一回転した。
髪と裾が舞い踊る様はさながら舞台に立ったダンサーのよう。
鏡の向こうに映る少女が何の屈託もない明るい笑みを浮かべる。
直後、少女は床に四肢をつけて項垂れた。

「何をやってるんだ、僕は」

少女の口から零れたのは絶望に浸かったギーシュの声。
変わり果てた自分の姿を見ても湧き上がるのは自己嫌悪のみ。
出来栄えの良さに少しだけノってしまった事実が更に追い討ちをかける。
もはや彼の身体で原型を留めているのはそれと顔の輪郭、後は見えない箇所だけ。
どうしてこうなったのか、彼は後悔と苦痛に満ちた記憶を呼び起こす。


「その口紅取って。そっちじゃなくて、そう、それよ」
「あら、思ったよりも肌が綺麗なのね。手入れが行き届いてるわ。
これだったら厚く化粧するよりも、顔立ちを際立たせた方がいいわね」
「胸に何か詰めた方が良いんじゃない?」
「そうね。布じゃバレバレだから水枕なんてどう?
ついでに新入りの子にも薦めてみる? あの子は女の子だけど」

きゃあきゃあと女性達の姦しい声が響く。
ギーシュを部屋に運び込んだ後、事情を説明するスカロンに黄色い悲鳴が上がる。
久しぶりに手に入った新しい玩具に彼女達は眼を輝かせた。
ハイエナが群がるようにギーシュを奪い取ると、
用済みとばかりに忽ちスカロンとジョセフは部屋から追い出された。
こういった時に発生する女性のパワーは異性には及びもつかない。
まるでフランケンシュタインでも作るかのように始められた化粧という名の改造手術。
こうなったらとことんまで追求しようと彼女達は理想の女性を作り上げていく。
我先にと争うようにギーシュに施される思い思いのメイク。

「いやだー、やめてくれー、お婿にいけなくなるー」
「大丈夫よ、その時はお嫁にいけばいいのよ」


そうして出来上がってみれば何処に出しても申し分のない淑女がいた。
もう一度、何の偏見も無しに鏡を覗いてその技術に感動を覚える。
ギーシュも美容には気を遣っていた方だが女性のメイクというのは正に魔法だ。
―――その刹那。彼の脳裏に戦慄が走った。
もしやモンモランシーやケティの美貌もメイクの賜物なのか。
化粧を落とした下の素顔はまるで別物だったりしないだろうか。
がくがくと恐怖に膝を震わせながらギーシュは頭を抱える。
少年は隠された真実の一端に触れて少しだけ大人に近付いたのだ。

「ローザちゃ~ん、お仕事の時間よ~」

コンコンと扉をノックする音にギーシュは我に立ち返る。
それはそれ、これはこれ。現実を嘆いても何も変わらない。
今は頭を白紙にして“薔薇の妖精ローザ”として振る舞うしかない。
蹲って服についた汚れを払い落としながら扉に手を掛ける。
はあと大きく息を吸い込んで呼吸を整える。
これから先は未知の領域だ。何が起きるか全く分からない。
心を落ち着けて不測の事態にも対処できるようにしなければ。

……いや、よくよく考えてみれば最近の僕は予想できない事の連続だ。
もう何が起きようとも動揺するなんて事はそうそう無いだろう。
ある意味、達観にも似た耐性が備わっている自分に嫌気を感じる。
一番警戒すべき事は知り合いとの遭遇だが、それは絶対に無い。
こんな時間では生徒達は全員寮で就寝しているし、
オールド・オスマンが通い詰めている以上、他の先生も来ないだろう。
躊躇もなしに扉を開く。ほら、変な事なんて何も―――。

「い、い、い、いらっしゃいませー」

そこで目にしたのは引き攣った笑みと声で接客するルイズの姿。
思わぬ不意打ちにギーシュは清掃の行き届いた床にスッ転ぶ。
強かに打ち付けた頭をさすりながら再びその光景と向き合う。
見間違いようもない。あの桃みがかったブロンドの髪は彼女の物だ。
それにあの壊滅的なまでに成長性皆無の胸が何よりの証拠。
あそこまで平坦にするのは熟練の石工や土メイジでも難しいだろう。
他の妖精たちと同じ肩や太腿を大きく露出させた魅惑的な衣装も、
彼女が着ると途端に痛ましさを感じて止まなくなる。
そもそも見せる部分が無いのだから露出を増やしても仕方がない。

(……それより、なんでこんな所にいるんだろう?)

ヴァリエール家の三女という身分を考えれば生活に困るとは到底思えない。
それに働き口だって他にも色々あるだろうし、わざわざこんな所を選ぶ理由も見当たらない。
よくよく見ればサイトもボーイとして皿洗いなどの雑務をこなしている。
その隣には気立ての良さそうな美人。和やかに談笑しつつ胸元から決して目を離さない。
次の瞬間、飛来した酒瓶がサイトの後頭部へと突き刺さる。
もんどりうって倒れたサイトは白目を剥いて完全に意識を失っていた。
介抱する為に隣にいた女性が彼に肩を貸して運んでいく。
慌てたスカロンが彼女を落ち着かせようと休憩を促す。

そうして、控え室の前に立っていた僕と彼女が顔を付き合わせた。

突然の邂逅に言葉は出てこなかった。
鼻息も荒く肩を震わせる彼女の姿に思わず怯む。
それを目にしてようやくルイズが己の形相に気付く。
ヴァリエールの人間としてあるまじき失態を反省し、
深呼吸を繰り返して何とか淑女の態を取り戻して一言。

「ごめんなさい。別に脅かすつもりはなかったの。
ついカッとなって思わず手が出ちゃった」

うん。手じゃなくて瓶だよね、それも中身の入った。
無粋な突っ込みは胸の内にしまってギーシュも“淑女”として振る舞う。

「大丈夫です。ぼ……私もそんなに驚いていませんから」

何しろ魔法学院では日常風景だから、とは付け加えずに口元を隠して微笑む。
それはギーシュが付き合ってきた女性たちの仕草を真似たものだった。
しかし、そんな貴族の女性に見られる特有の所作にルイズは気付く。
そういわれて見れば彼女からはどことなく気品が漂っている。
湧き上がる親近感に瞳を輝かせながらルイズは親しげに話しかけた。

「私、ルイズって言います。入ったばかりの新人ですけどよろしくお願いします」
「ボ……私はローザ。そんなに肩肘張らなくていいわよ。私も同じだから」

こちらを気遣い安心させようとするローザの言動にルイズは感銘を覚えた。
しかし何故、彼女のような人がこんないかがわしい店にいるだろうか。
それを考えた瞬間、彼女の脳裏を稲妻の如く電流が駆け巡る。

ああ、なんていう事だろうか。
彼女はきっと生活に困った家族に売り飛ばされたのだ。
いや、もしかしたら悪い男に騙されて財産を奪われたのかもしれない。
そんな悲しい過去を背負いながら健気に微笑んでいるんだ。

勝手に他人の過去を妄想し、そのあまりの悲劇にルイズは涙した。
まあ微妙に合っているが、あえて言うなら悲劇ではなく喜劇だろう。
理由も分からないままに泣き出すルイズをよしよしと宥める。
むしろ泣きたいのは彼女よりギーシュの方である。

「……………?」

ローザの胸に飛び込んだルイズに違和感が走る。
全くと言っていいほど弾力を持たないその感触は明らかに胸とは違う。
それに冷たい。まるで水の中に指を突っ込んだみたいだ。
ちい姉さまの胸に顔を沈めた時はもっと気持ち良かったはずなのに。

じとりとねめつけるようにルイズは目を配らせる。
上質な髪の下から僅かに覗く金色の地毛。
そして、どことなく見覚えのある顔の輪郭。
恐る恐る薄氷の上を歩くようにルイズは訊ねた。

「え………もしかして貴方、ギーシュ?」
「な、何の事でしょう? 私には皆目検討が……」

内心、滝のような冷や汗をかきながら必死に誤魔化す。
言葉の端々には淀み。その返答にルイズの不審が募っていく。
鋭さを増していくルイズの視線に耐え切れなくなったギーシュが視線を外す。
それが決め手となった。物的証拠は無いが確証だけはある。
信じられない物を見るように目をぱちくりさせながらも、ずかずかと歩み寄る。

「あ……あ、あ、アンタ、何でこんな所に、じゃなくて、そんな格好で!」

ギーシュの脳裏に浮かぶ“破滅”の二文字。
今、間違いなく彼は貴族として人として社会的な死を迎えた。
これからは魔法学院で徹底的な虐めに合い、
街を歩く度に後ろ指を差されて実家からも勘当されるだろう。
何故こんな事になったのか、もう少し別の道があったんじゃないのか。
ただ僕は幸せに成りたかっただけなのに、どうしてこんな事に。
ガラガラと足元から崩れ落ちていく錯覚がギーシュを襲う。

「……まさかそんな趣味があったなんてね。
ともかく伝統あるトリステイン魔法学院に変態は不要よ。
追放よ、追放。この事はオスマン学院長に伝えて厳正なる罰を与えてもらうわ」

「その学院長から許可を貰っとるんじゃが」

びしりと指を突き立てるルイズの背後でジョセフが呟く。
彼女が振り返るとギーシュの使い魔である老紳士がテーブルに着いていた。
ワインを満たした杯を片手に、ちゃっかり客として居座っているようだ。
しかも周りには可愛い女の子数人を侍らせてゲームに興じている。
唖然とする二人を余所に手にしたワインを一気に呷って喝采を浴びる。

「オールド・オスマンが? 許可を?」
「そうじゃよ。なにしろ常連さんじゃからのう」

きっぱりと言い返すジョセフにルイズは痛くなりかけた頭を抱えた。
あのエロジジイだったら大いに有り得そうだと納得してしまう自分が怖い。
もはや失望する余地さえもなく虚しい溜息だけが洩れる。
しかし残った気力を振り絞って彼女は糾弾を続ける。
貴族の誇りや人としての尊厳を踏み躙ったギーシュには罰が下るべきなのだ。
何よりも女装しているギーシュの胸が大きいというのは何事か!

「オスマン学院長が許しても私が許しはしないわ! 追放するって決めたんだもの!
学院の皆にバラすわ! まずは手始めにモンモランシーとケティ、ついでにマリコルヌね!」

“あの”マリコルヌが知れば3日以内に学院中に触れ回ってくれるだろう。
そうなれば居た堪れなくなって学院から出て行くだろう。
というか下手をすれば自ら命を絶ちかねないがそれも已む無し。
トリステイン魔法学院に女装趣味の生徒がいたという汚点は完全に消し去らなければ。
悲鳴を上げそうになったギーシュには構わずジョセフは平然と言い放つ。

「そうなったらお嬢ちゃんも困るんじゃないかのう?」
「へ?」
「こんないかがわしい店で働いてたなんて知れたら実家から大目玉じゃろ」

ハッとようやくルイズは自分が置かれた境遇に気付いた。
それはまずい。もし実家にバレたら監禁される、多分1年ぐらいは平気で。
いや、それだけでは済まされない。あの姉様が知ったらどんな目に合わされるか。
以前アカデミーで退屈凌ぎに作ったという『全自動頬抓り機』を持ち出すかもしれない。
あまりの危険性にお蔵入りにされたが三十路手前で切羽詰った姉ならやりかねない。
恐怖に慄くルイズの傍らでギーシュはゆらりと顔を上げる。
その口元には不敵な笑み。そして眼光は鋭く輝きを取り戻す。

ギーシュとルイズが真っ向から対峙する。
張り詰めていく緊張感に互いの頬を冷たい汗が伝う。
その光景はさながら核を突き付けあう米ソの冷戦を思わせる。
両者の武器は共に一撃必殺。抜き放てば最後、どちらも生きてはいまい。
それを理解しているから双方とも身動きが取れないのだ。
やがて息の詰まりそうな睨み合いが終わりを告げる。

最初に動き出したのはどちらだったか。
二人は同時に相手へ向かって歩を進めた。
互いの額が触れ合うほどの至近距離まで踏み込む。
そして、両者の間で熱い握手が交わされた。

「きっと他人には言えない事情がある……そう理解するよミス・ヴァリエール。
たとえ他の誰も信じなかったとしても僕だけは君を信じる」
「ええ、私もよミスタ・グラモン。そんな姿を晒してまで成し遂げないといけない事がある。
見た目が変わろうとも貴方は誇り高い貴族のままよ」

互いの耳元に小声で囁かれる心根にも無い美辞麗句。
両者が選んだ道は『打算ずくめの和解』だった。
そこには個人の感情など一片も入る余地は無い。
健全で合理的な社会運営に本音は必要ない。
相手が変態だろうと黙って受け入れなければならない時もある。
大人は建前というスーツを着込んで社会に出て行くのだ。
それは貴族社会においても言わずもがな。
トリステイン魔法学院の生徒達はまた一歩大人への階段を上ったのだ……。


「じゃあいつも通りツケで」
「はいはーい」

そんな計算で成り立つ麗しき友情を深める二人に胸を熱くさせながら、
ジョセフは手馴れた様子で支払いを己が主に回していた。



『魅惑の妖精亭』の控え室は店内の華やかさとは裏腹に死屍累々たる惨状だった。
足の踏み場もなく散らかる衣装と化粧道具、そして四肢を投げ出して床に転がる生ける屍が3つ。
片や貴族の紳士淑女、片や裕福な日本の学生。まともに働いた事の無い3人に接客業は厳しかった。
にこにこと愛想良く笑ってお酒を注いで話を聞く程度と高を括っていたのがそもそもの間違い。
チップを貰うにはそれなりのテクニックと努力と根性とその他諸々が必要になるのだとルイズは悟った。
口を開けば罵詈雑言、酒を注げと言えば眉根を寄せ、セクハラに対しては容赦ない鉄拳制裁。
当然の事ながら気位の高い彼女が他人に諂うなどそれ自体が有り得ない。
容姿が端麗であろうともそんな彼女にチップを払う奇特な客などまずいない。

また平賀才人も麗しき妖精たちに囲まれた中で男性従業員が一人という、
世の男性が聞いたならば羨み妬み呪詛を撒き散らしかねない職場がパラダイスではない事に気付いた。
広いフロアの掃除に食器洗い、山のような衣服やシーツの洗濯、薪割りにゴミ捨てと、
次から次にやるべき雑用が増えていき、それの処理に追われて本来の任務である情報収集さえ覚束ない有様。
普段ルイズに押し付けられている仕事が十数倍に増えたのだから当然の帰結である。

そしてギーシュ・ド・グラモンも力尽きて倒れ臥した。
胸に詰め込んだ水枕は予想外に重く、上下に揺れる度に両肩には絶大な負担を掛かる。
常日頃こんな物をぶら下げて生活している巨乳の女性達に、彼は心の底から敬意と賞賛を覚えた。
しかし、そんな苦労も解さずにミス・ヴァリエールは羨望と敵愾心の篭った眼差しを胸元に向ける。

「ギーシュ。アンタ、チップいくらぐらい貰ったの?」
「……多分100枚ぐらいじゃないかな」
「100!?」
「ほとんど銀貨だよ。新人さんへのご祝儀みたいな物さ。ジェシカ達とは比べ物にならない」

そうつまらなそうに呟くギーシュの横でルイズは殺意を滾らせた。
なにせ彼女はその誰でも貰えるご祝儀にさえありつけなかったのだ。
他の妖精たちに負けるのは仕方ない。彼女達には一日の長があり、男心をくすぐる術を知り尽くしているのだから。
だが! しかし! ギーシュは正真正銘、男である! それに負けたルイズの自尊心はズタズタだ!

ゆらりと幽鬼の如く立ち上がるとむんずとギーシュの胸倉を掴んで引き起こす。
見下ろした先には熟れた果実のように豊わな膨らみ。
それを鷲掴みにして声高に叫ぶ。

「や、や、やっぱり胸か! 胸なのね! 胸さえ付いてれば男でもいいのね!」
「……あるに越した事はないんじゃないかな。僕は勘弁だけど」
「要らないわよ! そんな邪魔くさい物!」

半ば冷ややかな目を向けるギーシュを床に叩きつける。
そうして姿見の前に向かうと髪を掻き揚げたり、
胸元を寄せてみたりと他の妖精たちの仕草を見よう見まねで演じる。
もっとも、どれを取ってもも妖艶さの“よ”の字も窺えない。
やがて自分に魅力が無いと気付いたのか、それとも虚しい行為だと気付いたのか、
諦めて視線を落とした彼女の目に飛び込む一枚の布。
恐る恐るそれを手に取り、意を決して絶壁のような胸へと押し込む。

「これでどう!?」

ルイズは最後に残ったプライドを勝利の為に投げ捨てる!
コンプレックスを克服した今、私は無敵になった! 弱点はもう無い! 
“究極の淑女”(アルティメット・ルイズ)の誕生よ!

勝ち誇って胸を反らしたルイズのキャミソールから布が落ちる。
さもありなん。元々が平坦なのだから落ちていく布を抑えられるはずもない。
かといってギーシュのように水枕を下から布で縛って固定しようにも、
ルイズのような露出の多いキャミソールでは外から丸見えである。

たった10秒足らずで終了を告げたルイズの絶頂タイム。
無様を晒したルイズが先程の視線のまま固まる。
しかし、いつものお約束に突っ込む気力が今の二人には無かった。

「さてと、オチがついた所で皿洗いに戻らねえと」
「僕もいつまでも休憩してたら注意されるね」

やれやれと言った風情で腰を上げて部屋を出て行こうとする二人。
その傍らで恥辱に顔を赤く染めたルイズがプルプルと震える。
からかわれるのも腹立たしいが、まるっきり放置されるのも相当キツイ。
ついに耐え切れなくなったルイズの飛び蹴りが両者の後頭部を力強く打ち抜いた。

昏倒した二人を引きずりながらルイズが部屋を出ると店内は剣呑な雰囲気に包まれていた。
さっきまであった活気は失せ、ホールの中央は囲うように人だかりが出来ている。
とても尋常な様子じゃないと判断したルイズは屈強な肉体をくねらせてうろたえるスカロンにしかけた。

「何があったんですか?」
「それが、さっき徴税官のチュレンヌがやって来て……」

徴税官とは国に代わって税を取り立てる役人を指す。
地区の税率を取り決めたりと事業者に対する権限が強く、
法外な税金を掛けて店を取り潰す事も可能となる。
チュレンヌはその権威を笠に着て横暴な振る舞いをしているのだと言う。
貴族にあるまじき所業に憤慨するルイズを宥めながらスカロンは話を続ける。

「満席だから帰ってもらおうとしたら客を追い出し始めて、そうしたら」

ちらりとスカロンが視線を向けた先へとルイズも目線を動かす。
そこには杖を手にした男達が一人の老人を取り囲む光景。
ルイズはその老人に見覚えがあった。
老体には似つかわしくない巨躯……間違いなくギーシュの使い魔だ。

耳元で怒鳴る男達に“はあ?”と聞き返すジョセフ。
手には未だ栓を開けていない酒瓶を手にしたまま。
ここに居座る気満々といった様子を窺わせる。
その態度にチュレンヌも焦れ始め、今にも爆発しそうだ。

「起きなさいギーシュ! アンタの使い魔が大変な事になってるわよ」

ぺしぺしと頬を張ってギーシュを叩き起こす。
眠たげに目を擦りながら起きた彼が最初に目にしたのは、騒動の渦中にあるジョセフの姿。
さあーと血の気が引く音と共に突きつけられた現実に一気に目が冴えていく。
見なかったことにしようとするギーシュの耳に鈍い音が響いた。
倒れ臥すジョセフと彼に突きつけられたレイピア状の杖。
それは彼等が言葉で解決するのを諦めた証であった。

その瞬間、ギーシュは反発するかの如く飛び出した。
怒り、焦り、不安、様々な感情が去来したがそれも忘却の彼方に消える。
ジョセフは彼にとっては使い魔にすぎない。
それも自分を敬わず、脅迫したり、騙したりと碌でもないジジイだ。
だけど今日まで共に過ごしてきた彼との間には確かな友情が芽生えていた。
錯覚かもしれない感情がギーシュに告げる……“友を救え”と!

「待ちなさい! 杖を持たずに……」
「僕を誰だと思っている? 貴族なら杖は肌身離さずに持っているものだ!」

胸元に差した造花を引き抜いて振るう。
舞い散る花弁が床に吸い込まれて消えていく。

「やれやれ、ようやくか」

汚れを叩きながらジョセフはテーブルに手を掛けて起き上がる。
杖無しでは歩く事さえままならぬ老体がよろめく。
だが、その眼には年齢を感じさせない眼光があった。
それに若干戸惑った男達が彼に問いかける。

「何の事だ?」
「お前さん達が先に手を出したって事じゃ。
これでブチのめされたって文句は言えんのう」

ジョセフの妄言とも取れる言葉に男達はざわめき立つ。
相手は老いぼれ一人。それもメイジでさえないただの平民。
あからさまな挑発にチュレンヌは激昂して叫ぶ。

「そのジジイを冬のナマズみたいに黙らせろ!」
「ナマズはお前さんの顔じゃないのか?」

命令を受け護衛たちは軽口を叩くジョセフへと杖を向けて呪文を唱える。
直後、竜巻のように現れたロープが四肢を絡めとらんと迫る。
しかし、それはジョセフの身体に届く直前にくるりと行き先を変えた。
気が付けば老人へと向けた杖の先は主であるはずのチュレンヌを指している。
スタンド使いではない彼等は気付かない、その杖に絡まった紫色の茨に。

「ぐぅぅええええぇええ!!」
「チュレンヌ様!?」
「な……何をしておる、早くそいつを……冬のナマズのように……」

ヒキガエルを踏み潰したような鳴き声が響く。
放ったロープはチュレンヌの首を締めながら巻き付く。
何が起きたのかも理解できぬままロープを解こうと護衛が近寄る。
そしてロープを握った瞬間、今度は茨がその護衛の足を引っ張った。
転倒する護衛の手に握られたロープが更にチュレンヌの首を締め上げる。
断末魔にも似た声がチュレンヌの喉から吐き出される。

「ぐぎゃあああああ!!!」
「ハッ!? 申し訳ありません、決してそのようなつもりは!!」
「ばやぐ、ぞいづを、冬の……ナマヂュ!」

次の瞬間、レビテーションで飛ばした椅子が方向を変えてチュレンヌの顔面を捉えた。
足の先端が顔面へと食い込み、槍で突かれたような惨状を晒す。

目の前で展開される不思議な光景に周りの人間は一斉に首を傾げる。
傍目にはチュレンヌの部下達が魔法を失敗しているようにしか見えない。
否。見えるのではない、ジョセフがそう見せているのだ。
まるで人形でも繰るかのようにジョセフは茨を周囲に走らせる。
杖の向きさえ操作してしまえばメイジの放つ魔法など恐れるに足りない。
問題は接近戦を仕掛けられた場合だ。
足を引っ張る程度なら可能だが捕らえられるほどのパワーはもう無い。
一斉に飛び掛られたらジョセフでは手も足も出ないだろう。
―――だが、それも杞憂に終わる。

ジョセフに気を取られている間に勝負は付いていた。
ギーシュの作り上げた青銅の戦乙女が彼等の四方を取り囲む。
その拳は次の呪文を唱えるよりも早く杖を掴み肺を穿つだろう。
ようやく自分の置かれた状況に気付いたチュレンヌが声を上げた。

「ゴーレム!? 一体誰がこんな物を!」
「貴族の道を踏み外す者あれば、それを正すのも貴族の務め」

そこに待ってましたとばかりにギーシュがテーブルの上に仁王立ちする。
カツラを外し、口紅を拭き取り、素顔を晒して造花の杖を口に咥える。
そして着替える時間の無かったワンピースが風を孕んで靡いた。
あらゆる意味で予想外の人物の登場にチュレンヌは目を丸くする。
だが、変態であろうと現実は現実。彼も大人の一員として気を取り直して更に問い続ける。

「貴様は何者だ!? 女王陛下の忠実なる徴税官に杖を向けて無事でいられると思うてか!」
「フッ、忠実とは片腹痛い。陛下の権威を盾にした狼藉、このギ――」

そこまで口にしてピタリとギーシュは止まる。
彼は気付いてしまった……“本名出しちゃダメじゃん”
つい勢いで飛び出したので何も考えていなかった。
どうしよう、とだらだら全身から冷や汗を流すギーシュ。
周囲を取り巻く人たちから集まる不審の眼差し。
窮地に陥った彼にルイズは手を差し伸べる。

「私たちは女王陛下から特別な任務を与えられたエージェントよ!」

ギーシュ同様、テーブルの上に飛び乗ってアンリエッタの許可証を突きつける。
そこに書かれたサインと印は紛れもなくトリステイン王室の物。
チュレンヌの目が仰天に見開くと同時に戦慄が走る。
自分のような木っ端役人などとは格が違いすぎる。
機嫌を損ねればそれだけ命を奪われかねないと彼は悟った。
なんとか許しを請おうと平伏してゴマ手をする。

「し、失礼しました。まさか女装してまで潜伏していらっしゃるとは……それもお二方も」

轟音と爆風、そして深夜にも関わらず街中を迸る閃光。
降って湧いた天変地異にチクトンネ街は元より他の場所からも人が集まる。
そうして騒ぎの中心と思われる『魅惑の妖精亭』の前まで辿り着くと、
そこにはボロ雑巾と化したチュレンヌとその部下達の哀れな姿があった。
常日頃、横暴な振る舞いをしていた彼等の情けない姿にどっと笑いの渦が巻き起こる。
黙らせようにもそんな体力などある筈もなく、ひいこらと傷だらけの身体を引きずるのが精一杯。
痛快な笑いが木霊する店外と打って変わり、店内では勇敢なる二人を讃える喝采が響く。

この物語は後に英雄伝として脚色されて舞台でも上演されるのだがそれはまだ先の話。
確かなのは、ギーシュとジョセフの絆が契約に基づいたものだけはない事、そして―――。

ギーシュの給料の大半が誰かさんのツケに消えた事と、
また新しい弱みをジョセフに握られた事ぐらいだろうか。

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