ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

一章十四節~使い魔は上を向いて立ち上がる~(後編)

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 リキエルもまた、すぐに同じように駆け出したが、今度のそれはルイズを助けるためというより、怒鳴りつけるためという色合いが強かった。それほどリキエルは苛立っている。しかし、さっきと違ってルイズとは大きく距離があった。抱え上げて、ゴーレムの腕をかいくぐって逃げるのはどうも無理そうだと、走りながら思った。
 ――おい、まずくないか本当に。これは……。
 やばいんじゃあないのか。ルイズへの苛立ちが、たちまち不安に取って代わった。リキエルは度を失いつつ走った。いまちょっとでも足を止めたら、きっとルイズは死ぬと思った。
 ルイズの前まで走り込んだとき、ゴーレムの腕はもう目の前にあった。やはり、ルイズを抱える暇は無いようである。あの土と鉄の塊を、受け止めるほか無かった。
 リキエルはとても無理だという内側からの声を聞いたが、一蹴した。迫ってくるゴーレムの拳を睨むような目で見据えると、剣を大きく肩上に構え、渾身の力でもって振り下ろした。いわゆる野球の大根切りである。
 両の腕に、手応えと負荷が伝わってきた。思っていたほどの衝撃はなかった。だが、拮抗出来ているわけでもなく、力は明らかにあちらが上だった。リキエルは、体が少しずつ後ろに滑っているのを感じた。踏ん張りが足りていないのだ。
「W……UUUWWW……!」
 それでもここが踏ん張りどころだった。自分とルイズとが、生きるか死ぬかの瀬戸際であった。死んで、死なせてたまるかと思った。リキエルはいっそう腕に力をこめて、ゴーレムの腕を押した。
「W……RYYYYYYYYYY――――ッ」
 数瞬の間を置いて、ゴーレムの腕が左にそれた。
 と同時に、ぱぁんと耳を突き刺すような音を残して、シュペー何某鍛えの剣が鍔元からへし折れた。鉄をも切り裂くという触れ込みだったが、さすがにゴーレムの鉄の拳には、耐えがもたなかったようである。ただ、それでも剣ということになるようで、リキエルの左手のルーンは光りっぱなしだった。
 リキエルは腕を伸ばして、すぐ後ろのルイズを抱き寄せようとした。その感触で、右腕がいかれているのがわかった。痛みが薄いからよくはわからないが、肉離れくらいはやったかも知れない。仕方なしに両腕でルイズを抱き上げた。
 そしてすぐに走り出したが、思うように速くは走れなかった。疲労も当然あるのだろうが、どうやら足のほうにも、少しばかりはばかりが生じているらしい。
 しゃにむに走って汗だくになりつつ、炭焼き小屋のあったところまで来て、リキエルは半ば倒れるようにして膝をついた。そのままルイズも投げ出してしまいたいような気持ちが動いたが、そこはきちと理性がはたらいた。周囲には大小の瓦礫が散乱していて、手をつくのにも躊躇が生まれるほどである。
「……こんなことを、よぉ~! よくも――」
 リキエルはふらつきながらも立ち上がり、荒い息で言った。
「やってくれてるんだ、この小娘がッ! お前には学習能力ってものがないのか? 犬猫畜生にもあるものが? 欠けているのかァ~~!? 一度死ぬ寸前まで行ったのにまた同じことを繰り返そうとするのは、賢い人間のすることじゃあないよな? だよな? 馬鹿みたいに動物の血を吸おうとして潰される、ノミや蚊と変わらないよなァ――ッ」
「…………」
「オレが囮をやったのは、お前にとってははた迷惑なだけの無駄な行為だったのか? まとわりついてくるハエなんかを優しく窓から逃がしてやるような、なんの益にもならない無駄なことだったって言うのか? どうなんだ。黙ってんじゃあない!!」
 ほとんど息継ぎしないでまくしたてた。昨夜からのルイズの態度や、その頑固さといったものに対する憤りは、リキエル自身思っていたよりも、よほど積み重なっていたようである。
 リキエルはルイズの手元に目をやった。なんの役にも立たなかったのに、逃げている間も後生大事に抱えていたそれに、八つ当たり気味に糾弾の矛先を向けようとしていた。噴出した憤りと、この期に及んでも口をきかずに、こちらを強く見返してくるだけのルイズに対する苛立ち、そしてひどい疲れが、リキエルを異常なほど大人気なくさせている。
「そんなものを持って――」
 言ってやろうとした言葉は、しばし喉であぐらをかいた。ルイズの抱えていたものが、この場に、というよりもこの世界にそぐわない、奇妙なものだったからだ。
 なんとロケットランチャーである。どうやらそれが『破壊の杖』の正体であるらしかった。
 少しの間動きをとめたリキエルだったが、次の瞬間には、怒りも新たに目をすがめた。ルイズはそんなに物騒なものを、あろうことか、ぶんぶんと振り回していたのである。
「どうする気だったんだ? 使い方がわかってないなら、どうしようもないだろうが! のこのこと出て行ったら潰されるしかないってことも、わからなかったと言うのか!」
「…………」
「さっきのこともそうだッ。そんなにフーケとかいうのを捕まえたいか!」
「…………」
「命と引き換えになるようなもんじゃあないだろう、そんなことはッ」
「なるわよ。わたしにも、ささやかだけどプライドってもんがあるのよ。ここで逃げたら、ゼロのルイズだから逃げたって言われるわ!」
「なんだと……!?」
 リキエルは閉口した。今まで沈黙を通してきたルイズが、急に怒鳴り声を浴びせてきたのもそうだが、その内容にも驚かされ、動揺している。ルイズは命よりもプライドだと、きっぱり言ってのけたのである。
 意地っ張りもここまで来ると手に負えないが、ここで引くわけにはもちろんいかない。リキエル自身、引っ込みはつかなくなっている。
「この……だが、死んだら元も子もないだろうが! それに、見てなかったのか? キュルケやタバサが軽くあしらわれていたんだぞッ。真正面から向かってったんじゃあ、勝てやしないんだ! あんなのにはなッ」
「そんなこと、あんたに言われる筋合いじゃないわ!」
 リキエルの剣幕にもひるむ様子も無く、ルイズは甲高く言い返した。
「あんたは逃げなかったじゃないの!」
「何がだ! 何の話をしてるッ」
「ギーシュのことよ!」
「ギーシュだとォオオ~~? あいつが――」
 なんの関係があると言いかけて、リキエルはまた口をつぐんだ。そしていまいましげに、視線を四方にさまよわせた。ルイズが、あの決闘を引き合いに出していることがわかったのである。
 ギーシュとの決闘の際、リキエルはやめるよう言ってすがりついてくるルイズに、ここで逃げるわけにはいかない、というようなことを吐きつけてその制止を無視した挙句、何日も寝込まねばならない状態になるまで、むちゃくちゃにギーシュへと突っ込んで行っている。あるいは死んでもおかしくなかったらしいことも、再三にわたって言い聞かされている。
 それは一つの事実として、動かしようもなくあった。たしかに、ルイズの無謀を咎められる義理ではないかも知れない。だが、ギーシュのちっぽけなゴーレムとフーケの巨大なそれとでは、危険の度合いがまるで違うのも事実である。決闘のときのように、無理を通して道理を押し込めるようにはいかないのだ。
 そう言おうとしてリキエルは口を開いたが、ルイズの顔を見直して三度絶句した。
 ルイズは、鳶色の目に涙を浮かべていた。それは間もなく大きな瞳をいっぱいにし、長いまつ毛を濡らすとついには溢れ出て、薄桃の頬をつたい落ちていった。
「おい」
 やっとのことでリキエルは声を出したが、二の句は継げなかった。さっきとは比べものにならない動揺で、脳天からしびれている。
 そんなリキエルに代わるように、ルイズが口を開いた。
「わたしは、ずっと馬鹿にされてきた。魔法が出来ないって、ゼロだって」
 また、いきなり何の話だとリキエルは思ったが、口には出さなかった。そんな気が失せるほど、ルイズの声音は悲愴なものを孕んでいた。声に限らず、その気配は表情や所作、果ては息遣いにも表れている。痛ましかった。
「学院に入る前も入ってからも、必死に勉強したわ。けどやっぱり、どんなに勉強しても、簡単なコモンマジックもうまくいかなかった。肉刺が破れて、その上からまた肉刺が出来上がるまで杖を振っても、爆発しか起きなかった。そのたびに、ゼロだからって馬鹿にされたわ」
「…………」
「家族からだって――」
 と言ったところで、ルイズは聞く者の耳に痛いほど声を裏返らせた。一緒に後の句も切れる。それからたっぷり十秒ほど、ふううと小さく猫のように唸ってから、
「期待を、かけられたことさえない」
 そよ風にもかき消されそうなか細さで、ようやく言った。
「姉さま方や父さま母さまが、本当にごくたまにだけど、手紙を寄越してくれるの。中身は長かったり短かったり、励ましだったり叱責だったりいろいろよ。それでわかるの。家族の誰も、わたしに期待なんかしてないし、力を認めてくれてもいない」
 言いながら泣いた。激しさはなかったが、絞り出すような泣き方だった。背を丸め、肩を過ぎるほど突き出し、小刻みに震わせる。スカートを、指の関節が紫になるほど強く握り締める。
「そしてそれは、ぜんぜん、間違ってないわ。わたしはいまだ……に、なんの魔法も、使えないもの。
……リキエル、あんたを召還して契約した、あの、二つの魔法が……う、くぅ……初めて成功、した、魔法なのよッ」
 つっかえつっかえそこまで言うと、ルイズはひくひっくと続けざまにしゃくりあげて、一際大きな涙の粒をこぼした。
 ぽつぽつと、泥を吐くように自分の心情を吐露してくるルイズに、あのめっぽう意地っ張りなのがと驚く裏で、リキエルは思考をめぐらせた。頭は急速に冷え始めていた。目の前で泣いているルイズをどうすればいいかわからず、手を出しあぐねてはいるが、それで逆に、胸のざわつきがおさまる時間が出来たようだった。
 思い当たることがあった。思い出すことがあった。ひと月と経たない間のもろもろに、見えてくるものがあった。
 たとえば、手紙を見たからと飯を抜かれた一昨日の出来事だ。いまにして思えば、あのときルイズは家族からの手紙を読み返していたのだろう。目の赤さは寝不足などではなく、おそらく泣き腫らした跡だったのだ。リキエルにはこちらの文字がわからないから、門違いと言えばその通りである。しかしナイーヴなところに触れられたと思っただろうルイズの剣幕は、さもありなんと言えた。
 そこでもうひとつ思い出した。ルイズが、最近遅くまで部屋に帰って来なかったことだ。テストでもあるのかと思っていたが、もちろんいまでは、その推量が的外れだろうことがわかっている。勉強をしていたというのもたしかにあるだろうが、たぶんルイズは、ずっと魔法の練習をしていたのだ。
 そう思う理由は、これは少し曖昧だが、制服である。掃除のときに見つけた、ぼろぼろのルイズの制服のことだ。そのときは魔法で失敗したのだろうと漠然と思っただけだが、リキエルは最初の授業以後、ルイズが魔法を使うところを昨日の夜まで目にしていない。すると人目につかないところで、ひとり魔法の練習をしていたのだということは想像に難くなかった。それも、最近放課後にルイズを見ないというキュルケの言をすり合わせて考えるに、放課後から夜がふけるまでの間ずっとである。
 あらためて、まじまじとルイズを見てみた。顔も手も足も土で汚れて、今度はかばいきれなかったらしく、ところどころ軽いすり傷などもあり、見た目にひどいありさまだった。それでみっともなく粘性の薄い鼻水を垂らして、時折しゃくりあげながら嗚咽を漏らすと、ルイズの姿は常にも増して稚く映るようでもある。
 ――そうだったんだよなァ。
 どこにでもいるただのガキなのだ、ルイズは。
 迂闊だった、とリキエルは我と我が身を呪いたくなった。ルイズが教卓を吹き飛ばした、その片付けでのことをようやく思い出していた。あのときルイズのかもし出した異様なほどの陰鬱さは、昨夜やいまの姿に通じる部分が多々あった。馬車の上で、何か忘れていると感じたのは、思い過ごしなどではなかったのだ。
 そのちっぽけな身に、ただの小娘が背負うには荷が勝ち過ぎるような、重苦しいものを抱えていることは知っていた。いつでも気丈に振舞っていられるような、強いだけの娘でないことはわかる筈だったのだ。
 そんなやつを、ずいぶんと持ち上げてしまっていたなと、リキエルは己の浅はかさを省みた。あまり悩まないたちなどとは、よくも抜け抜けと考えたものである。悩みのひとつやふたつ、持ってないわけがねーんだ、年頃の小娘がよォ。
 それだけではない。討伐だ捕縛だなどという荒事にも、ルイズは本来、まるで不向きな人間なのである。怒りっぽく、ひねたようなところはあっても、その胸のうちに優しさも根を張っていることをリキエルは知っている。筋合いもないのに寝ずの看病をしてくれ、身の危険も考えずに救おうとしてくれ、パニックに陥ったときに手を差し伸べてくれ。常の高慢さが嘘のような振る舞いを、何度となく見ている。
 そういうルイズが、しかしこんなことを言うのである。
「けど、諦めたくない。ゼロのまま諦めたくなんかない。だってそれは、自分からゼロになるということだものッ。……そんなのはいや。そんなことをしたら、皆に笑われるだけじゃない、ヴァリエールの家に、本当に顔向け出来なくなる! わたしのプライドが、絶対にわたしを許せなくなるッ!」
 そう叫んで、ルイズはシャツの袖で顔全体をぐいとぬぐった。シャツは泥で汚れていたから、いっそうひどい顔になったが、不思議と清麗でもあった。
「それに、わたしは貴族よ」
 ぐしゃりと濡れた目を細めて、ルイズはリキエルを睨みつけた。
「魔法が使える者を、貴族と呼ぶんじゃないわ。敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」
「…………」
 リキエルはルイズの瞳に、いつもの意固地な色を見て取った。ただ、それだけではなかった。焦燥や苛立ち、悔しさといったものが、一緒くたに渦を巻いているようだった。
 ルイズもそう馬鹿ではない。身ひとつでフーケのゴーレムと渡り合えるとは、まして魔法のひとつも扱えない身と知っていれば、本気でそう思っているわけではあるまい。ただ、いまは向上心と同居する焦りや、負けん気に意地、プライドといったものが暴走してしまっている。ルイズ自身が歯止めを利かせられなくなっている。
 そして、ルイズをそうさせた原因が、リキエルにはわかる気がした。
 ――たぶんルイズは、オレを羨んでいたのだ。
 命がけでギーシュとやりあったり、発作を起こしながら、ひとりだけゴーレムから逃がすよう促したり、またいま身体を張って、ゴーレムとやりあったり。そういう態度が、ルイズの目には力強く映ったのだろう。それも、たぶん自分の不甲斐無さと引き比べてだ。誰がそう言わずとも、ルイズ自身がそう考え、自分を追い詰めてしまっている。
 口をきかなくもなるだろう。そんな不甲斐無い自分を意識しては、しかもそう意識させられる相手が使い魔となれば、ひっかかりを覚えずにはいられまい。昨夜のことは、そのことを表面化させる、ほんのきっかけになったに過ぎないのだ。
 そんなふうに考えてしまうのは、あながち的外れとも自惚れとも言えないだろう。なぜと言えば、リキエルも似たような状態にあったからだ。
 ――いや、いまもそうだ。
 オレはまだどこへも進んでない、とリキエルは思った。
 依然として片目は上がらないし、息苦しさも消えてはいない。いつもなら、という場面で例の発作が起きなかったのも、単に尾を引いていた高揚感で、風邪の微熱に頭浮かされるようにして、つかの間忘れていたに過ぎない。突然のパニックへの恐れは、薄まりこそすれ解消される気配はない。
 あのときに変わったものは、とリキエルはあらためて考えてみた。すると、すぐに一つのことが思い当った。血統と父親に関する悩みが消えたことである。しかしそのことで手に入ったものは、ごく小さな心の平安だけだった。
 それ以外には何も得ていない。何も変わっていない。決闘からこちら、熱に浮かされたように、根拠もなく都合のいい方向へとばかり物を考えていたのは、そのちっぽけな安堵にいつまでも浸って動こうとしない、自分の怠惰でしかなかったことがいまはわかる。
 ギーシュとの決闘を経て、多くのものを乗り越えた気になっていた。成長した気になっていた。しかしそれが、都合のいい錯覚でしかなかったことにリキエルは思い至った。
 無意識のうちに、顔が上を向いていた。霞の一つもない空色が視界いっぱいを埋め、さらにどこまでも、際限なく広がっている。殴りたくなるほど遠い、とリキエルは思った。どうにも思い知らされた。
 ――オレは、前を見たというだけに過ぎなかったのだ。伏せって、うなだれて、下ばかり向いていたのが顔を上げた、ただのそれだけだったのだ。そうして目の当たりにした景色に満足して、しかも根拠もなしに、その中に自分が立っているような、そんな気になっていたのだ。
 そうなりたい、そうありたいと思い願うだけでは意味がないのだ。そんなものは理想や願望でしかない。あたかも現実であるかのように思えても、夢は夢でしかない。明確な意志を持たなくては、どれだけ夢想を重ねようと無駄でしかない。
 ルイズはそういう意志を、ハングリーさとでも言うべきものを、それも生半でなく強いものを胸のうちに抱いている。だから、それがいまのように暴走してしまうと、身命を投げてでもゴーレムに向かって行く無茶をするし、それを失うことを命と秤にかけるほどの恐怖を感じる。それほどの意識は、やはり自分にはないものだとリキエルは思った。
 それでわかった。どうして昨夜、ゴーレムからルイズだけでも逃がそうなどと思ったのか。
 自分にないものを持ち、ために苦しみもがいているやつを、助けてやりたかった。守ってやりたかったのだ。生きる希望に向かって進もうとしているやつに、それを害そうとするものを少しでも減らすことで、力添えがしたかった。
 ――だがそれも……
 逃避に過ぎなかったのではないかと、リキエルはまた自らを省みた。結局のところ、それもルイズの成長に自己を投影しようとしただけではないのか。
 何も変わらなくて当然だった。心の欠けた部分を満たす、目的や希望といったものを自分から手に入れようとしないのでは、そんな軟弱な精神でいたのでは、成長も変化も望めたものではなかった。
 ――成長。……いまだ、いつかじゃあなく。
 立ち上がらなくちゃあならない。うねるような思いが胸のうちに広がった。
 それは血に乗って全身にめぐり、焼け付くような感触とともにまた胸に入り込むと、急に腹の底辺りにすとんと腰を下ろした。快い感覚だった。自分の身体が初めて自分のものになったような、あるいは、懐かしいものがやっと戻って来たような、満たされた心地がした。
「ルイズ」
 リキエルは上を向いたまま声をかけた。
「何よ」
「お前は言ったな。おぼえてるか? 教室の片付けのときだ。あの、ミセス・シュヴルーズの授業のあとのだぜ。お前は諦める気はないと、言ったんだったよなァ~~」
「……ええ、言ったわね」
「オレはなァ~ルイズ、あのとき羨ましかったんだ、お前が。前向きなこいつに比べて、オレなんかはなんにも出来ないで、ってなァ」
 陶然としたように話すリキエルに訝しげな視線を送りながら、ルイズが聞いた。
「何が言いたいのよ」
「ルイズ、お前はあいつを、あのゴーレムをどうしたい?」
 問いには答えず、リキエルはゴーレムのほうへ目を移しながら言った。そういえば追いかけて来ないなと思えば、タバサがまた、竜と一緒になって足を止めてくれていた。
「倒したいんだよな? そうだよな?」
「…………」
 ためらうように一瞬口を閉じたルイズだったが、すぐにはっきりと頷いてみせた。
「土くれのフーケとかいうやつを、ひっ捕まえてやりたいんだろ?」
「そうよ。あいつを捕まえれば、誰ももう、わたしをゼロのルイズとは呼ばないもの」
「わかった。それじゃあな、もうひとつ聞くぜ、ルイズ。オレがあいつを倒しても、お前の手柄になるんだよな? オレがお前の使い魔ならよぉ~~」
「……あんた」
 ルイズは呆気にとられたような顔をした。リキエルの言わんとしているところに察しがついて、その上で理解が出来ないという感じだった。
「まさかあのゴーレムと闘うつもりなの?」
「そうだ」
 頷くリキエルに、ひるんだように眉をひそめながら、ルイズは声を荒げた。
「さっきと言ってることが違うじゃない! あんなのどうやっても倒せるはずがないって、あんたが言ったんでしょ! 死ぬ気なの!?」
「お前こそさっきと言ってることが違うな。いま逃げるくらいだったら、死ぬほうがマシなんじゃあなかったのか?」
「茶化さないでよッ」
 不気味なほど落ち着いた口調と態度をとるリキエルにむかが立つのか、ルイズは涙の残る目を怒らせながら、食ってかかるように言った。
「あれは、半分は勢いで言ってしまったことだし……だいたいわたしの都合なんだから、あんたを付き合わせる気はないの! あんたには関係ないことなのよッ!」
「いいやあるぜ。オレの手柄はお前の手柄なんだろ? やっぱり、それなら十分に関係してる」
「それはそうだけど、そういうことじゃなくてッ――」
「言っておくとだ、ルイズ。これはオレの能力についての話なんだ。オレに何が出来るのかという話だ。方法ならばよォー、考えてみりゃあ、ちゃんとあったんだ。あの土くれをバラす手段はな」
 言いながらリキエルは、ようやく真正面からルイズを見下ろした。するとまだ何か言いたげにしていたルイズが、また呆気にとられたような顔になった。さっきは清麗だと思ったが、こうしてまた見ていると、やはり世辞も言い難くなる程度には小汚くなってしまっている。
 瞳だけは相変わらず宝石のように強く光を返すが、そのほかは常からの見目が麗しいばかりに、いまはひどくみすぼらしい。リキエルにはそれが、ルイズの傷つきやすさや脆い部分の表れに見えた。驚くほどの意気地を見せながら、一皮剥けば薄氷のような危うさがある。その不安定さは本来、支えられねばならないものだった。
 そういう考えをもめぐらせながら、リキエルは滔滔と思うままを言い続ける。
「そしていいか? これはオレの意志なんだ。『オレが』ここで退くわけにはいかないんだ。さっきお前は、いま逃げたらゼロになると言ったな。そんなのは死んでも嫌だとも。オレもかなりそう思う。
なぜってオレにとっても、ここは分かれ道だからだ」
「リキエル、あんた」
「オレは前の、もしかすればその後さらに何度もだが、道選びをしくじった。いや、しくじったというのはおかしいかな。いちおう正しい道を選んだわけだからな。だがそのことに満足して、肝心なことが出来ていなかったということだ」
「あんた、それ――」
「今度の分かれ道は、その道をきっかりと進むのか、それともまたボサっとマネキンみたいに立ってるだけになるのか、その分かれ道だ。オレは今度こそ、進むつもりでいる」
「目……両目ともよ」
 まだ涙のあとの残る目を、ルイズは信じられないというふうに瞬かせた。
 心の中に、また幸福なものがあふれて来るのをリキエルは感じた。わかりきったことでも、喜ばしいことを自分以外の人間にあらためて指摘されると、気分がいい。勘違いでもない、紛れもないことなのだと実感出来る。
 両のまぶたをそれ以上はないほど引き上げながら、リキエルは口端を歪めて笑った。
「そうだ……おれのまぶたが上に上がったぞ? 何もかもがッ! この目で今見えるッ!」
 言ってから、リキエルはルイズに向かって手を差し出した。
「ルイズ、そいつを貸してくれ。『破壊の杖』だ」
「でも、これ使い方がわからないわ」
「だろうなァ。だがオレにはわかる」
 リキエルはそう言ったが、根拠はなかった。兵役をこなしていたわけでもないから、ロケットランチャーの扱い方など、どこで教えられたこともなければ、聞いたこともない。そもそも実物を目にしたことが、今日この日が初めてのことだ。
 しかし、それでもなぜか確信が持てた。いまの自分なら、何も問題はないと思った。何より、いまはゴーレムを倒そうという気持ちが、身体を半ば以上勝手に突き動かしていた。ぶち砕いてやるぜ、あの、土人形をよォおおお。
 自信に満ちたリキエルの顔を見るうちに、あるいはこちらもなんとはなしにかも知れないが、ルイズはリキエルに任せる気になったようである。あっさりと『破壊の杖』を差し出して来た。
 それを受け取ると、リキエルはゴーレムのほうへと足を踏み出した。それとわかっていたわけではないが、やっぱりなという気がした。『破壊の杖』を手にした瞬間、その名称、扱い方、性質からくせから何から何まで、あらゆる情報が勝手に頭の中に入って来た。これもたぶん、武器に反応する使い魔の能力の一端なのだろう。至極都合がいい、勝手のいい能力である。
「近寄るなよォ~~ルイズ。大火傷したくないんならなぁ」
 まったくの自然な動作でもって、リキエルは『破壊の杖』を構えた。


 ゴーレムが土の山になったと思うや、いままでどこに隠れていたのか、まったく姿を見せなかったキュルケが駆け寄って来て、リキエルの肩に飛びついた。
「リキエル! すごいわ! やっぱりダーリンね!」
 リキエルは苦々しく目を細め、やんわりとそれを引き剥がした。あのゴーレム相手では仕方のないことかも知れないが、それでもタバサのように援護をくれるわけでもなく、いまのいままでドロンを決め込んでいた薄情小娘が、よくも言いやがると思った。
 ちなみにそのタバサはといえば、シルフィードから降りてからは、リキエルの顔をずっと無言で見つめている。どうにも感情の色がうかがえない、動きの薄い顔だったが、リキエルはなんとなくそこに、恨みがましさが混じっているように思えた。
「なんだ、さっきから」
「目がチカチカする」
「…………」
「耳鳴りもする」
 風竜とそれに騎乗したタバサは、ゴーレムをひきつけるために、ぎりぎりのところでちょこまかと動き回っていた。だからゴーレムにロケット弾が命中爆発したときには、その閃光と轟音を間近で味わうことになった。
 リキエルが『破壊の杖』を使うのを見て取って、タバサはとっさの判断でゴーレムから離れたようだったが、それでなければ耳か目がいかれていたかも知れない。ゴーレムを倒すことに躍起になって、タバサのことをすこんと失念したリキエルには責がある。
「あ~、いや、悪かった。このとおりだ」
「頭痛がする。吐き気も」
「すまなかった。ってなんだそのしょうもない嘘は。さてはお前、もうなんともないな?」
 リキエルは呆れた声を上げた。この無表情も、だいたいに妙な少女である。
「と、油を売ってる場合じゃあなかったんだな。フーケ探さなきゃあ」
 そうどこにともなく水を向けながら、リキエルはルイズに近寄った。
「大丈夫か?」
 ルイズはさっき立っていた場所でへたり込んでいた。ゴーレムが玉砕するのを目の当たりにしたあと、緊張の糸が切れたのかどうなのか、急に力を失ったのである。それからは呆れと驚きの混じったような顔で、ずっとゴーレムの残骸を見つめるばかりだった。
 それが声をかけられて、ようやく正気に戻ったようだった。ルイズは、リキエルを見返して言った。
「ええ、大丈夫よ。なんともないわ」
「立てるか? それとも、やっぱりどこかけがしたか」
「大丈夫だってば。ちょっと疲れただけよ」
「疲れたですって。本当は腰を抜かしてたんじゃないの?」
 立ち上がって埃を払い落とすルイズに、キュルケがさっそく茶々を入れた。
「あのゴーレムが、怖くてたまらなかったんではなくて?」
「どっちがよ。尻尾巻いて逃げ隠れしてたくせにッ」
「は~、元気なこったな」
 また諤諤とやり始めたふたりから目を外して、リキエルは上を向いた。
 高揚感は、まだ燻る気配も見せずに腹の中でたぎっていた。確かめるように一度、二度、何度も両目を瞬かせた。その都度なんの違和感もなく、ぱちりとまぶたが上がり下がりするのが、叫び出したくなるほど嬉しかった。まったくなんの不足もなく、網膜にものが映るのが、泣けるほど喜ばしかった。空が青く、雲が白い。そんなことが、この上もなく素晴らしく感じられた。
 ――見える、『見える』ぞ。ギーシュとの決闘の、最後のあのときもいい気分だったが……これほどまでにッ! 絶好調のハレバレとした気分ではなかったなァ……。
 ルイズのおかげだ。本当によく『見える』ッ! しかしこんなんじゃあ、こいつらを元気だなんだと笑えない、とリキエルは思った。
 そのときだった。リキエルは、こちらへ走って来るロングビルの姿を認めた。
 キュルケたちもそれと気づいたらしく、口々に言った。
「あ、ミス・ロングビルだわ」
「あら本当。ねえ、ミス・ロングビル! フーケはどこからあのゴーレムを操っていたのかしら」
 ほんのり頬を上気させ、かすかに喘ぎながら、ロングビルは全員に目を配ると、今度はその目を伏せて、心苦しげに首を横にした。
「申し訳ありません、あのゴーレムが姿を現した途端、度を失ってしまいまして。……わたくし、仕事をおろそかに」
「無理もありませんわ。そんなに気を落とさずに」
「なんも見なかったんスか? それらしい人影とかもよォー」
 リキエルがこう聞くのにも、ロングビルは残念ながらと首を振り、そうしながら手を差し出して来た。その手の上に、反射的に『破壊の杖』を乗せながら、リキエルはふぅんと唸った。
 あのゴーレムの動きから鑑みて、盗賊がごく近くに、恐らく森の中にいたのはまず間違いない。それをむざむざ逃したのだから、悔しくないと言えば弱冠の嘘である。それにゴーレムを倒すことが出来たのはよかったが、その操り主に逃げられたのでは、その意味も半減してしまうというものだった。
「顔も何も、結局は拝めなかったな。手がかりはなしか」
 未練がましい口調でリキエルは言った。
「もうトンズラこいちまったろうなぁ」
「かも知れませんね、また襲ってくる様子もありませんし」
「それじゃあ、お手柄は半分だけってこと?」
 キュルケがつまらなそうな声を上げる。
「なんだか興ざめね」
「まあ、残念と言えばそうだな」
 ルイズのほうをちらりと見ながら、リキエルが呟くように答えた。
「でも皆さん、よく頑張られましたよ」
 ロングビルがそう言ってかすかに笑い、早足気味に歩き出した。
「本当にご苦労様でした」
 もう馬車に戻るということだろうか、とリキエルらが考えたのはつかの間だった。ロングビルはあとの四人が動き出す前に振り向き、どうしてか眼鏡を外し、懐にしまった。それから、あろうことか『破壊の杖』を肩にかけたのである。当然だが、照尺はリキエルらをとらえている。
 直後に反応したのは、またもタバサだった。飛ぶように一足前に踏み出て、面前に杖を引き上げ、ルーンを唱えようとする。だがそれも、ロングビルのひと睨みで押し止められた。いまさっきまでとはまるで別人のような空気が、ロングビルの全身を包んでいる。
「…………」
「そう、動かないほうが身のためよ。これの力は、さっき目にしてよく知ってるわね?」
 状況に考えが追いついていないらしいルイズとキュルケが、滑稽なほど似通った動きで、タバサとロングビルを交互に見た。
「え、何? どういうこと?」
「……そういうことよ。彼女がそうだったんだわ」
 気の抜けたような声で呟くルイズに、キュルケが言った。驚きは去っていないし、信じ難い気持ちもまだかすかにあった。だが事実こんな状況に陥っているし、ロングビルも態度を豹変させている。何より親友がこういう目をするのなら、そういうことなのだ。
「ええ、そう。さっきのゴーレムを操っていたのは、わたし。わたしが『土くれ』のフーケよ」
 そっけない告白に、ルイズは息を飲んだ。キュルケは冷ややかにフーケを睨みつけ、タバサは微動もせずに目を細める。
 完全にだまされていたわけだった。そのことへの動揺や怒りといったものが内部を駆け、また目の前の盗賊に対する敵愾が、ルイズたちの心をめぐった。その一方で、いま『破壊の杖』を向けられていることが、底冷えのする感覚をとめどもなく呼び起こす。三者は三様に顔を青くした。
 そんな状況の中で、リキエルだけが静かに空を見ていた。その瞳は、時折何かを追いかけるようにしてせわしなく動いた。
 フーケが、四人から距離をとり始めた。リキエルはそれも意に返さず、ただ青い空に眼を向けて立ち続けた。


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