ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロいぬっ!-99後編

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匿名ユーザー

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トリステイン魔法学院の広場に一人の少女が立っていた。
夜の帳が下り、赤と青の月明かりが彼女を照らし出す。
月光を浴びて彼女のトレードマークである金色の巻き髪が一層鮮やかに映える。
舞台の主役のように一人立つモンモランシーは複雑な表情を浮かべていた。
時には憂鬱に、または不満げに、ともすれば心配そうに、その表情を百面相の如く変えていく。
冷えた夜風に当たっても気分は一向に晴れない。
理由は分からないけれど何故だが不安が治まらないのだ。
心がざわついて部屋に篭ってなどいられなかった。

原因は分かっている。あのバカの所為だ。
別に正式に付き合ってるわけでもないのに、
どうして私がアイツの事で悩まなくちゃいけないんだろう。
安否を気遣うこっちの気持ちを少しは分かりなさいよ。
どんなに格好つけても死んだらただのバカなんだからね。
頭の中が思いつく限りの愚痴に埋め尽くされる。
よし、戻ってきたら殴り飛ばそう。
勲章なんて付けていても全然関係ない。
それだけの権利はあると思うから思い切ってやってしまおう。
……だけど、もし戻って来なかったら。

直後、草を踏み締める音に彼女は現実に引き戻された。
寮の明かりも消えた宵闇の中でも、2つの月が訪れた人影を映し出す。
踏み出した足に、赤く艶やか髪が炎のように舞い踊る。

「……キュルケ」
「夜更かしは美容の天敵よ。あまり感心はしないわね」

ちっちと指を左右に振りながらキュルケは冗談めいた口調で話しかける。
キュルケの暢気な態度に声を荒げようとするも、それこそ恥を晒すだけだと彼女は抑えた。
ここでそんな姿を見せれば一生ギーシュとの仲をからかわれるだろう。
ぐっと言葉を飲み込むモンモランシーを見つめながらキュルケは明るく接する。

「大丈夫、大丈夫。実家の伝手でアルビオンの戦況を知らせてもらっているの。
上陸してからも連合軍は連戦連勝。もうしばらくすればギーシュも帰ってくるわよ」

“ま、勝ってるのは連合軍じゃなくてゲルマニア軍なんだけどね”
とついでにお国自慢をしつつ、その豊満な胸を見せびらかすように大きく反らした。
平時と変わらない彼女の図太い神経に、全くと呆れつつも感謝する。
これじゃあ取り乱している自分の方が馬鹿らしい。

「ありがとう」

一言お礼を言ってモンモランシーは夜空を見上げる。
キュルケとて不安を感じていない訳ではない。
そうでなければ、こんな夜更けに部屋を抜け出したりなどしない。
自分を気遣って気丈に振る舞う彼女の配慮に心より感謝を示す。
きっと真正面から言ったら鼻で笑われるから簡素な言葉に想いを託した。

どういたしまして、と軽く返すキュルケ。
想い合う者同士を示すかのような双月を二人で見上げる。
草木の鳴る音を耳にして、ただ静かに時間だけが流れていく。

「早く帰って来るといいわね」
「ええ、本当に」


モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ
……ギーシュとの関係が誤解により一時期最悪になるも、
才人とギーシュの決闘後、紆余曲折ありギーシュとの事実上の恋人となる。
しかし、その関係も一進一退。才人とルイズ同様に周囲をヤキモキさせる。

キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー
……タルブに参戦した事で絶縁も覚悟していたものの、
予想外の大勝利と女王陛下直々にお褒めの言葉を頂戴した事、
またタルブ戦においてゲルマニアが援軍を出さなかった後ろめたさもあり、
彼女を咎めるどころか同盟国を守る為に戦った勇敢なメイジとして表彰される。

ちなみに、縁談の相手はワルドを倒した彼女の武勇伝に恐れをなして撤回したらしい。


「きゅいきゅい! 今回のお仕事は簡単だったのね、いつもこうなら楽なのに」

タバサを背に乗せて楽しげにシルフィードは喚いた。
この高度では彼女たちの会話を聞き取れる者はいない。
日頃の鬱憤を晴らすかのように機関銃のようにシルフィは喋り続ける。
その一方で、タバサは命令書を再度確認する。
そこに書かれているのは、彼女の言うように単純で簡単な任務ばかり。
それを目にしてタバサは大いに首を傾げた。

北花壇の任務は基本的には汚れ仕事か、あるいは危険な任務だ。
時には処置に困るような面倒な仕事が舞い込む事があるが、
そういった例外を除いては命の危険を伴うようなものばかりだ。
なのに、ここに書かれている任務はメイジですらない兵士でも可能なもの。

そもそも任務を受諾しにプチ・トロワに向かった時、
従兄妹であり北花壇の団長でもあるイザベラの反応は明らかにおかしかった。
いつもなら厄介事を押し付けて、こちらが困るのを楽しんでいるようだったのに、
今回は苦虫を噛み潰した顔で命令書を突きつけるだけだった。

つまり、これは彼女が選んだ任務じゃない。
……じゃあ一体誰がそんな命令を出させたのか。
それが可能なのは唯一人。だけど、その意図がまるで掴めない。
意味がない任務に従事させて、それが何になるというのか。

「きゅい! お姉さま、無視しないで欲しいのね!」

思考の迷路に迷い込む主を見て、無視されたと勘違いしたシルフィが声を上げる。
ぎゃあぎゃあと大声で鳴きながら翼をばたばたとしきりに動かす。
それでようやく気付いたタバサが顔を上げて使い魔に答える。

「なに?」
「なにじゃないのね! いくらなんでも上の空はひどいのね!
ああ、わかった! きっと才人ね、才人の事を考えてたんでしょう!
きゅいきゅい! 遠く離れた二人は互いを想って……きゅい!」

ぱこーん、と小気味のいい音が響いてシルフィの妄想はあえなく断たれた。
ヒリヒリする頭を撫でながら恨みがましそうな目で振り返る。

「……いたいよう」
「自業自得」

大体、才人に対してそのような感情を抱いた事は……ない、と思う。
それに彼にはルイズがいる、主従の絆以上に強く結ばれた彼女が。
だから、その間に割って入るなんて私には出来ない。
……いつの間にか論点がずれている。そもそも割り込む必要などない。
なのに、私はどうしてそんな考えに至ったのか。
感情と計算。困惑する彼女の脳裏にふと閃くものがあった。

「戻って」
「え? 学院に帰るんじゃないのね?」
「違う。行くのはアルビオン」
「ど、ど、ど、どうして急に何でそんな所に!!?
ま、まさか本当に募る想いが乙女のリピドーを暴走させて……きゅい!」
「急いで」

さっきよりも力強く杖を頭に叩きつける。
渋々、方向転換するシルフィードの背中でタバサは唇を噛んだ。
彼女は深読みをしすぎていた。この任務は本当に何の意味も裏も無かった。
ただ、彼女をガリア国内に釘付けにするだけの時間稼ぎ。
そうまでして行かせたくない場所など彼女には一つしか思い当たらない。

逸る気持ちを抑えながらタバサはアルビオンへと向かう。
たとえ、それが間に合わないと分かっていながら。


タバサ(シャルロット・エレーヌ・オルレアン)
……キュルケ以外とは距離を置いていたが、次第にルイズや才人達とも打ち解け始める。
その所為か、よくシルフィードに才人との関係をからかわれるようになる。

見渡す限りの地平を埋め尽くすアルビオンの軍勢。
大気を震わせる雷鳴の音も、石飛礫のように降り注ぐ雨音も、
大地に根付いた木々さえも傾かせる暴風の音も、
七万の兵士が生み出す行軍の足音を掻き消す事は出来ない。
否。それを音と呼ぶのは些か語弊があった。
大地が弾む。まるで山が動くかの如く鳴動しているのだ。

松明さえも役に立たない嵐の中を魔法の明かりを目印に兵士達は歩く。
雨を凌ぐコートのような布を頭から被り、外の寒さに肩を震わせる。
役に立たない銃の代わりに槍を手に腰には剣を差す。
痛みさえ覚える雨粒に苛立ちを覚えながら、ぬかるんだ地面を固く踏み締める。

「なんでこんな天気で行軍しなきゃならねえんだ?」
「馬鹿が。“こんな天気”だからこそだろう。
今頃、連合軍の奴等は船も出せずに港で右往左往してるだろうぜ。
下手に時間を与えりゃあ、態勢を整えて反撃してくるかもしれねえしな」

不満を口にする若い兵士にベテランじみた風格の男が答える。
真正面から敵と殴り合うよりも進軍に支障が出ても楽に勝てる方がいい。
敵に最も損害を与えるのは追撃戦だ。ここで徹底的に叩けば勝敗は決する。
逆に逃がしてしまえば敵に反攻の機会を与えてしまう事になる。

さりとて現場の兵士にとっては、そんな上の事情など知った事ではない。
ただ命じられるがままに敵と戦う彼等にとって楽であればそれに越した事はない。
大軍であるが故の安心感からか、彼等の緊張は途切れかけていた。
それを繋ぎ止めようとベテランの兵士は餌をちらつかせる。

「手柄だって取りたい放題だ。港にゃあ爵位持った連中が唸るほど居るんだからな」
「そうは言ってもなあ、さっき、別の隊の連中に一番手柄持ってかれたばかりだしな」

ちらりと視線を向けた先には血塗れの元帥杖を奪い合う一団。
連合軍を指揮していたド・ポワチエ総司令官の遺体の傍に落ちていた物だ。
ハイエナのように群がった彼等は金目の物を剥ぎ取った後で、それをまるでトロフィーのように掲げる。
いくら手柄を立てようと総大将を仕留めた連中には遠く及ばない。そんな意気消沈が見て取れる。

「なあに、まだ一番手柄と決まったわけじゃない。
トリステイン王国のアンリエッタ女王もいるとの噂だ。
もし捕まえたら褒美は望むがままだ。爵位だって夢じゃない」
「本当に最前線に来てるのかよ? ただの噂だろ」
「いや、アンリエッタ女王はタルブ戦でも前線で指揮を取っていたと聞く。
ならば遠征中で士気も落ちる連合軍を見舞いに来てもおかしくないだろう」

とはいえベテランの兵士も絶対の確信などない。
タルブ戦といえば数ある戦いの中でも指折りの胡散臭さを誇る物だからだ。
結果こそ確かなものの、その記録内容は奇妙としか言い様が無かった。
従軍経験さえないアンリエッタ女王自ら采配を振るい、
最強と謳われたアルビオン艦隊は神と始祖の加護により壊滅したというのだから、
もう神代の時代の再現か、あるいは軍目付けの精神を疑うべきだろう。
他にも、この記録には不自然な点も多い。
“精強で知られたアルビオン兵が犬の遠吠えを援軍と勘違いして四散した”
“届く筈のない地上からの砲撃が何故か上空の艦隊を撃沈した”
“撃沈された筈の艦隊からは、ほとんど死傷者が出なかった”
その最たる物としてトリステインから離反したワルド子爵に至っては、
文官であるモット伯に討ち取られた上に自らの騎竜から転落死と、二度も死んだ事になっている。
恐らくは偶然の勝利を神懸り的な何かに演出しようとしたのだろう。
もし、これを書いたのが劇作家ならとっくに職を失っているに違いない。

疑いの眼差しを向ける兵士達に、やれやれと男は頭を掻いた。
やはり、こういった連中を動かすのはもっと目先の物でなければ。
その上で最も効果的な物を彼は長年の経験から熟知していた。

「じゃあ、こいつは知っているか。
今アルビオンにゃ兵士達の慰労の為に高級酒場が幾つも出張してるってな」

先輩の言葉に耳を貸さなかった兵士達の耳が動く。
彼等の視線は先行する彼へと向けられている。
それを感じ取ってニヤリと男は笑みを浮かべた。
結局の所、兵士を良く動かすのは出世欲や名誉欲ではない。
もっと純粋な三大欲求こそが彼等を突き動かすのだ。

「さすがに貴族の御偉方に手は出せねえが商売女なら話は別だ。
だがな、路地裏で客取ってるような安物じゃねえぞ。
伯爵様方も夢中になって金貨を落としていく最高級品だ。
いいか、早い者勝ちだ! 真っ先に港に辿り着いた奴から好きなのを選ばせてやる!」

男の言葉に兵士達は槍を手に雄叫びを上げた。
足取りは力強く、纏わりつく泥を跳ね飛ばしながら突き進む。
そこには先程までの重い足取りをした弱卒はいない。
今の連中は文字通り、飢えたケダモノどもだ。
“分かりやすく、そして扱いやすい連中だ”と呆れ半分で笑みを浮かべる。

その一方で士気の上がらぬ兵士達もいた。
新兵ならばそれも仕方ないと思ったかもしれない。
だが、その一団は貴族派だった頃からの正規兵達だった。
見れば顔は青白く、その身体は小刻みに震えていた。
それは雨風の冷たさばかりではなく内から込み上げる何かに起因しているように見えた。

「まるで分かっちゃいねえ! トリステインにはあの“ニューカッスルの怪物”がいるんだぞ!」

怯える兵士達の一人が耐え切れず、遂にその名前を口にした。
途端、血気に逸る若手達もそれを鼓舞する古参兵も全員が凍りついた。
“ニューカッスルの怪物”それはアルビオン軍では不吉の象徴とも言われる存在だった。
最初に現れたニューカッスル城では城内に進入した傭兵団を悉く殺し尽くし、
さらには包囲していた大軍にも襲いかかり多数の死傷者を出したと伝えられている。
またタルブ戦にも現れて何隻もの艦艇を沈めたとの逸話もある。
一時期、その怪物がトリステイン王国の生み出した生物兵器であるとの話も出てきた。
だが、それらはあくまで噂に過ぎない。

しかし、この兵団は“彼”の実在を知っていた。
彼等はニューカスル城に後詰として参加し、
城内と城外、無数に転がった人とも物とも区別の付かぬ肉塊を目にした。
かろうじて生き残った者達からは怪物が齎した身の毛もよだつ恐怖を聞かされ、
どこからともなく響く獣の遠吠えに身を竦ませた。
ニューカッスルも、タルブも、今も同じだと彼等は考える。
あと一息で敵を倒せるという時に、あの怪物は姿を現してきた。
だから、今この瞬間にも自分達の目の前に現れてもおかしくはない。
彼等はそう強く信じ込んでいた。

「何言ってやがる。ただの迷信じゃねえか」

彼等の言を一笑に付して若い兵士が先を急ぐ。
そんな兵器があるならとっとと前線に投入しているだろうし、
ただの理性もない怪物だとしたら操れるはずもない。
いるかどうかも分からない怪物に怯えるのは、
あるかどうかも分からない手柄に期待するよりも虚しい。
仮に、こんな事で手間取った挙句に失敗したら取り返しはつかないだろう。
半ば踝まで泥に埋まりかける足場を踏み分けて進んでいた、その最中。
彼の爪先が硬い何かにぶつかって止められた。
不意に足を止めて腰を屈め、その何かを確かめる。

それは倒れて意識を失ったアルビオン兵だった。
耳を近づけると雨音の中でも辛うじて呼吸が聞き取れた。
何があったのかを聞こうとして兵士は気付いた。
周りにはまだ何人もの兵士達が同様に地面に倒れている。

銃声はおろか魔法さえも目にしなかった。
こちらに軍勢が迫る気配も何もない。
なのに何故、彼等は倒れているのか。
困惑する彼の目の前で何かが蠢く。
降りしきる雨と宵闇に視界を遮られた中、
何者かの気配を感じて兵士は咄嗟に動いた。

「何者だ!?」

何が起こったのかを考えるよりも早く、
彼は威嚇の声を発して鋭く尖った槍を前へと突き出す。
直後、彼の槍先は瞬時にして失われた。
断たれた先端が宙を舞って弧を描く。
それに目を奪われた瞬間、彼の鳩尾に剣の柄尻が突き刺さる。
声を上げる間もなく沈んでいく兵士の陰から現れる、もう一つの影。

それが何かを理解するのは彼等には不可能だった。
連合軍の反攻はあるかもしれないと思っただろう。
だが唯一人。それも杖ではなく剣を手に乗り込んでくるなどとは考えもしない。
その理解できない『何か』は大地を飲み込まんとする大軍を前に正対する。
自身の常識を超えた存在の思わぬ出現に彼等は戦慄を覚えた。
そして、まるで弾けるように兵士達は外敵を排除しようと動き出す。

戦いというにはあまりにも一方的だった。
四方八方を取り囲み、さらには魔法が豪雨となって降り注ぐ。
人一人を殺すには過剰ともいえる暴力。
しかし、それだけの攻撃、それだけの殺意を向けられながら、
まるで小枝でも払うようにそれは陣中を切り進んでいく。
必死に繰り出される槍も剣も、魔法さえも切り払われて霧散する。
まるで現実感の伴わない光景を前に、立ち尽くした兵士が声を上げた。

「で……出た! ニューカッスルの怪物だ! 怪物が本当に出たぞ!」

恐慌状態に陥った兵士達が武器を捨てて後方へと逃げ出していく。
その彼等から齎された報が瞬く間にアルビオン軍全体へと伝わっていく。
それはまるで伝染病のような広がりを見せ、アルビオン軍は混乱に陥った。
そんな混迷を極める戦場の只中を平賀才人はひたすらに駆け抜けた。

主であり、そして恋焦がれた少女の為に走り続けた。

夢を見た。才人とアイツの夢だった。
才人がアイツを連れてどこかに行ってしまう。
その背中に追いつこうと必死になって走っても届かない。
大声を上げて呼び止めようとしても足を止めようとしない。
やがてアイツらは立ち止まってこっちに振り返る。
そして私に向かって手を振ると消えてしまう。
そんな怖いような、悲しいような夢だった。

胡乱な頭でベッドから起き上がる。
上半身だけを起こして辺りを見渡すも目に映るのは見覚えのない物ばかり。
学院の寮とも実家とも違う光景に頭がついていかずに戸惑う。

「……えーと」

寝ぼけ眼をこすりながら記憶を呼び起こす。
(そうだ。私達はアルビオンに……)
そこまで思い出して彼女は慌てて周囲を見渡す。
いない。どこにもいない。
部屋の中に才人の姿はどこにもなかった。

イヤな予感が胸の中を塗り潰す。
掛けてあったローブを引ったくって上から羽織ると、
そのまま船室を飛び出してルイズは駆け出した。

「……あのバカ!」

走りながら思い出すのは教会での一幕。
あの時に交わした杯の中に何かを入れたに違いない。
眠りに落ちる前の、優しげな才人の顔が目に焼きついている。
それがもし別れを決意したものだったとしたら……。
長い髪を乱しながら頭を振るう。
そんな事はない。まだ呼び止めれば間に合う。
二度も、二度も繰り返してたまるものか。
あんな悲しい別れは一度だって十分なのに。

息を切らせてルイズはようやく甲板へと辿り着く。
雨に濡れるのも構わず彼女は船縁へと走り寄る。
しかし、そこに見えたのは遠ざかっていく港だった。
もはやフライを使おうとも届くような距離ではない。
次第に小さくなっていく港の明かりを見ながら、
ぺたんと彼女はその場に力なく膝をついた。

もう間に合わない。
いえ、きっと追いついたとしても止められなかった。
雨ではない雫が頬を伝って零れ落ちる。
もう二度と失くしたくなくて、今度こそ私が守ろうと、
怖くても才人が生きていてくれるならとなけなしの勇気を奮った。
―――なのに、また私だけが生き残った。

悔しくて悔しくて何度も縁を叩きつける。
どうしていつも置いていかれるのか。
共に生き残る方法がないなら、
どうして“一緒に戦おう”と言ってくれなかったのか。
きっと残された私の気持ちを考えもしなかったのだ。
才人のいない世界で生きるのがどれほど辛く悲しいのかも。

「サイトの馬鹿!馬鹿!馬鹿ァァーー!!」

罵る相手を失った慟哭が虚しく響き渡る。
失って彼女はようやく気付いた。
自分にとって彼がどれほど大切な存在だったのかを。


「どうした相棒? 急にあさっての方を向いて」
「いや、ルイズの声が聞こえたような気がしてさ」

カタカタと鍔元を鳴らして話しかけてきたデルフに才人は答えた。
無論、空耳だというのは分かっている。
ここから港まで声が届くはずはない。
なのに、どこか心に妙な安堵感がある。
まるで傍らにルイズがいるかのような感覚。
それがある限りはまだ戦える、
否、戦わなければならないのだ。

「後悔はねえのか?」
「あるに決まってるだろ。まだルイズと一緒にいたかったさ」

そんでもって、あんな事やこんな事を…と妄想に耽りそうな頭を振るう。
だけど、それを運命は許してくれなかった。
生き残れるのは俺かルイズのどちらか一人だけ。
なら選ぶ余地なんて初めからありはしない。

平賀才人には何も無かった。
ハルケギニアに呼び出され、家族や友人、その他多くの物を失った。
いや、召喚される前の漫然とした日々でさえ確かなものは何も無かった。
そんな中で唯一つ確かなものはルイズだけ。
才人にとって彼女への想いだけが真実だった。

「やっぱり死ぬのかな、俺」
「さすがに七万の軍勢が相手じゃな。
前の相棒だったらどうにかなったかもしれねえけど」

そっか、と才人は溜息を漏らした。
ここまで運良く切り抜けてきたので、まるで実感は湧かなかった。
“ニューカッスルの怪物”の噂が兵士達の動揺を呼び、
そして視界を遮る豪雨により相互の連携が絶たれている事が幸いした。
敵の数も正体も他の部隊の現状も把握できずに狼狽する相手なら、
いくら数がいようともガンダールヴの相手ではない。

もしかしたら、このまま敵陣を突破して生き残れるかもしれない、
そんな淡い期待が才人の胸に込み上げていた。
しかし、きっぱりとデルフはそれを否定する。
幸運はここまでだ、と浮かれる相棒に鋭い釘を刺す。
指揮系統が機能していないのは末端までだ。
直接指揮を執っている連中の周りには万全の警戒が敷かれている。
その最中に切り込むのは火中に飛びいるに等しい。
この期に及んでまだ未練を残す自身に才人は苦笑いを浮かべた。

「まあいいさ。次があるって分かったからな。
後はそいつに任せる。ルイズと上手くやってくれるといいな」

ははは、と笑いながら自分が受けた仕打ちを思い返し、
きっと苦労するんだろうな、とまるで他人事のように呟く。
そんな相棒の姿を見ながらデルフは黙した。
確かに才人の言うように、彼が死ねば新しい使い魔は呼ばれるだろう。
だけど、そいつはそいつだ。才人ではない。
使い魔の代わりはいても、才人の代わりはいない。

(相棒……、きっと気付いちゃいねえだろうが、
嬢ちゃんにとってお前さんの代わりは居やしねえんだよ)

「なあ相棒。一つだけ約束してくれねえか」
「なんだよ、急に改まって」
「何があっても俺を手放さないと誓ってくれ」

万に一つ、いや、十万に一つもないだろう。
だが、少しでも可能性と呼べる物があるのなら賭けてみようと思った。
たとえ才人の意識が途切れてもデルフは彼の身体を操作できる。
剣を手放しさえしなければ、あるいは敵から逃げ遂せるかもしれない。
それに前の相棒の時のように離れ離れのまま別れるのは御免だった。
命を預けた相棒と最期まで共に戦って死ぬのならそれも悪くない。

「何か縛る物持ってないか? ハンカチでもいいけど」
「俺がそんな几帳面な奴に見えるか?」
「いや、聞いてみただけだ」

デルフに言われて、ごそごそとポケットの中を探る。
たとえ何かが入っていたとしても乱戦の最中に落としただろう。
ふと指先に何かを感じて、それを引っ張り出す。

「……………………」

偶然だったのか、それとも奇跡か。
才人のポケットから出てきたのは擦り切れ褪せた首輪だった。
それはお守りとしてルイズの部屋から持ち出した“彼”の持ち物。
呆然と首輪を眺めていた二人が、やがてどちらからともなく笑い合う。
ぐるりと手と柄を首輪で縛り、才人は握りを確かめて言う。

「それじゃあ一緒に行くか」

見据える先は魔法の明かりに照らし出された無数の軍勢。
大軍でありながら隊列の乱れや澱みのない行軍は、
陣中にそれを率いる指揮官が存在する事を示していた。
一個の生物として機能する軍隊はさながら巨大な竜のよう。
それに平賀才人は臆することなく立ち向かう。
まるで『イーヴァルディの勇者』がそうしたかの如く。

「出たぞ! “ニューカッスルの怪物”だ!」

視界の利かぬ中、動く人影を認めた兵士の一人が叫ぶ。
それに才人は雄叫びじみた名乗りを返す。
その称号を誇りと共に高らかに告げる。

「怪物じゃねえ! 俺は!俺達は……“ゼロの使い魔”だ!」

本陣に駆ける少年の姿をケンゴウは見送った。
四肢には立ち上がる力は無く、鳩尾にはくっきりと痣が残されている。
(……なんと脆き刃よ)
手には半ばで断たれた量産向けの剣。
しかし、彼が指したのはこの剣ではない。

少年の剣は決して褒められるような物ではなかった。
ただ速くただ重いだけの身体能力に任せた太刀筋。
先祖伝来の剣技を修めた自分ならば負ける相手ではなかったはずだ。
しかし、今の自分は数合も打ち合えず地に這わされている。

少年の話を盗み聞いてつくづく思う。
身に付けた剣も所詮、自分だけのもの。
多くの者達の想いを背負う少年に及ぶべくもない。
ましてや幾万の大軍に刃を向けられる気概など今の自分にはない。
その程度の志で天下に勇名を轟かせるなど遥かな夢。

「……修行のやり直しだな」

口の端に浮かぶのは笑み。
世界は広い、故に興味は尽きない。
杖を振るうメイジには野蛮、銃を撃つ兵士には時代遅れと揶揄された。
しかし、そんな剣に七万の大軍が翻弄されている。
その様に敵方だというのに爽快な気分が込み上げる。

ああ、恐らくは叶う事はないだろう。
だが始祖と神、そして先祖の住まう世界に居たという神仏に願う。
いつの日か、もう一度あの少年と心ゆくまで切り結ばせ給えと。


ケンゴウ(通り名)
……アルビオン戦役後、傭兵を辞めて流浪の旅に出る。
後に、クリスティナ・ヴァーサ・リクセル・オクセンシェルナと運命の出会いを果たす。
仕官した後は彼女を終生の主と仰ぎ、小さいながらも自分の道場を開く。



「前線より援護要請! 敵の反攻激しく、進軍を阻まれております!」
「観測所より通達! 連合艦隊はアルビオンを発ったとの事です!」

突然の奇襲に慌てふためく本陣に伝令が飛び込む。
アルビオン軍の敗北を知らせる2つの報告を耳に、
襲撃者である少年が去っていた方向をホーキンスは黙って見ていた。
追撃しようなどとは思わない。もはや少年が助かる見込みはない。
矢で射抜かれ、炎で焼かれ、槍に貫かれ、肉を裂かれた。
ここまで来た道程を少年の流した血が染めている。
たとえ水メイジの治癒であろうと間に合わないだろう。

勝っていた戦だった。
妨害があろうとも突破できるだけの戦力はあった。
それを覆したのはたった一人の少年だった。
剣を手に単騎で敵中を駆け抜けて本陣まで迫る。
炎も氷も風も土も、少年を阻む事は出来なかった。
今もホーキンスの眼には、目前で閃く少年の太刀筋が焼き付いている。

斬り飛ばされた帽子を拾い上げてパンパンと埃を落とす。
そして、それを被り直すと最初に報告に来た兵士を呼びつけた。

「あれが“ニューカッスルの怪物”か?」
「あ……いえ、その……」

ホーキンスの問いかけに、その兵士は萎縮して何の返答も出来なかった。
如何に腕が立とうとも相手はただの剣士、人間に過ぎない。
それを怪物が現れたなどと報告をすれば徒に混乱を招いたとして処罰は免れない。
実際に怪物騒ぎの所為で混乱を来たした部隊も少なくはない。
敗北に導いたと言いがかりをつけられても男には反論のしようがなかった。
加えて、アルビオン共和国の厳罰とは死罪を意味する。
蒼褪めていく兵士の顔を見据えながらホーキンスは続ける。

「槍で突けば傷付き、矢が刺されば血を流し、炎に焼かれれば火傷を負う。
あんな貧弱な物を人は怪物などと呼びはしない、違うか?」
「は……はい」
「では君はあれが何なのか分かっているかね?」

鋭いホーキンスの眼差しに男は竦み上がった。
もはや弁解の余地もなく、ただ言われた質問に答えようとした直後。
それを遮ってホーキンスは解答を口にする。

「あれはな、英雄と呼ばれるものだ」

ホーキンス
……神聖アルビオン共和国の将軍としてアルビオン戦役を戦い抜く。
終戦後、揉み消された平賀才人の功績をトリステイン政府に強く訴える。
後に、彼の回顧録はアルビオン戦役を知る上で最も史料価値が高いと評された。


「ねーちゃん! ねーちゃん!」
「どうしたんだい? 騒々しいね」

戦場から程近いサウスゴータの森の中。
がさがさと木陰から飛び出してきた子供達に、
やれやれといった態度でマチルダが答える。
雨の中でもはしゃぐ子供達に付き合う体力はない。
きっと、またイタズラして怪我でもしたのだろうと、
取り合わない彼女に子供達は切羽詰った様子で言い放つ。

「おばちゃんじゃなくて! ティファニアねーちゃんを呼んできてよ!」
「おば!!?」

困惑も一瞬、禁句に触れた子供へとマチルダの手が伸びる。
そして、あっと言う間に羽交い絞めにすると、
こめかみに拳を押し付けながらマチルダは問い質す。

「誰がおばちゃんだ! 誰が!」

その鬼気迫る表情に他の子供達も言葉を失う。
こんな事をしてる場合じゃないと分かっているが、
今のマチルダを止められるのは、この孤児院に一人だけ。
やがて騒ぎを聞きつけたティファニアが駆け寄ってきた。

「どうしたんですか、姉さん」
「年上に対する言葉遣いがなってないんでね、ちょっと教育してやったのさ」

心配そうに見つめるティファニア。
その視線に耐え切れずマチルダは捕らえた少年を解放する。
恨みがましそうに見上げる子供を睨みつけながら、
風邪を引かないように自分の着ていたローブを彼女に被せた。
ついでに言うと彼女の着ている服は薄手の布地で、
水に濡れると肌に張り付いて大変な事になる。
少年の情操教育に良くない物を隠していると、
子供達の一人が思い出したかのように声を上げた。

「大変だよ! 森の中に人が倒れてるんだ!
前の、竜のおじさんみたいに凄く血を流してる!」

その言葉に二人はすぐさま行動に移した。
少年の指差す方向へと走り出すと草木を掻き分けて進む。
やがて二人の前に目を覆いたくなるような凄惨な光景が広がる。
大木に寄り掛かる少年は正しく満身創痍だった。
傷口から流れ出た血は服を赤黒く染め上げ、
身体には何本もの矢が突き刺さったまま、
片腕は完全に黒く焦げて今にも崩れ落ちそうだった。

「………………」
「待ってて! 今助けるから!」

すぐに駆け寄るティファニアと裏腹に、マチルダは言葉を失った。
こんな偶然があるものなのかと思わず運命を信じてしまいそうになる。
マチルダにとっては敵同然だが何故か憎しみは湧かなかった。
それどころか、むしろ助かる可能性に安堵さえしている。

ティファニアが詠唱を行うと指に嵌めた指輪が光り、
致命傷と思われた才人の傷が次第に塞がっていく。
ふん、と鼻を鳴らすとマチルダは才人から目を背けた。
甘くなったのではない、ただ堪えられないだけ。
あの時のようにルイズが泣くのを見たくも聞きたくもない。
そんな自分勝手でつまらない理由。ただそれだけだ。


マチルダ・オブ・サウスゴータ(別名:土くれのフーケ)
……タルブ戦後、何食わぬ顔でオスマンの秘書として復帰。
その後、『破壊の杖』を強奪するも才人達に敗れて逮捕される。
しかしシェフィールドの手引きにより脱獄。
その代価としてクロムウェルより奪った『アンドバリの指輪』を引き渡す。
現在、アルビオンの孤児院にて慣れぬ子供の世話を勤める。

ティファニア・ウエストウッド
……孤児院で子供達の世話をしながら過ごしてきた。
今はまだ自分の運命を知らない。

顔が血色を取り戻すのを確認してティファニアは安堵の吐息を漏らした。
指輪に付いていた石はもう無い。それは力を全て使い切った証。
だが、彼女の顔に後悔はなく、むしろやり遂げたと思わせる表情を浮かべる。
ふと気付くと少年はうわ言のように何かを呟いていた。
失礼かもしれないと分かっていながら思わずティファニアは耳を傾ける。

「………ルイズ。待ってろよ、今帰るからな」


平賀才人
……ルイズの新しい使い魔としてハルケギニアに召喚される。
その後、ギーシュとの決闘、フーケとの戦いを通して戦いの経験を重ね、
前任者が託した想いを受け継いで精神的に大きな成長を遂げる。
―――彼の物語は、まだ始まったばかりだ。


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