ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロいぬっ!-99中編

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匿名ユーザー

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息せき切らしてアルビオン軍の伝令が陣中を駆け抜ける。
歓喜とも困惑とも取れぬ表情を浮かべながら天幕の中へと入り込む。
左右には衛兵が立ち、その中央では二人の男がテーブルに地図を広げて軍議を行っていた。
アルビオン軍と連合軍の配置を示す白と黒の駒。
数に勝る連合軍はアルビオン軍を半包囲し、戦の趨勢も決したかに見えた。
しかし、それを覆す報が伝令より齎される。

「報告します!連合軍内にて叛乱が発生した模様です!
詳細は不明ですが敵軍は混乱し、中には同士討ちを始める者達も!」

その報告にホーキンスは思わず耳を疑った。
優勢な状況にある連合軍で内部分裂など有り得ない。
何が起きたのかを把握しようとする彼の隣で、
表情一つ変えないまま総司令は報告された地点の駒の配置を動かす。
ホーキンスが見下ろした先には、アルビオン軍によって包囲される連合軍の縮図が広がっていた。
もし、このまま完全に包囲し殲滅する事が出来たならアルビオンの勝利は確定する。
息を呑むホーキンスの横でアルビオン軍総司令は呟いた。

「さもありなん。所詮は目先の利益で繋がっていた連中に過ぎない。
勝利を前にして主導権を握らんと、どちらかが仕掛けたのだろう。
いくら御題目を立てようと正義は我等にある。アルビオンの民もそう気付いたはずだ」

果たしてそうだろうか、とホーキンスは疑念を払拭できずにいた。
レキシントンでの戦いの時も『ロイヤル・ソヴリン』号が反旗を翻すなど、
貴族派が苦境に立たされると何故か戦局を覆すような反乱が起きた。
もし、それが誰かの意志によって引き起こされたのだとしたら我々は何の為に戦っているのか。
信念も誇りも何の意味も持たない、ただの駒ではないのか。
かつて憧れた理想との落差にホーキンスは悔しくて唇を噛んだ。

「これより我が軍は追撃戦に移る。陣頭指揮は任せたぞホーキンス。
この天候では軍船も容易に出港できまい、アルビオンから一人として生かして帰すな」
「はっ! ……ですが、本当によろしいのですか?
トリステインのアンリエッタ女王は陛下の従兄妹君……いえ、それ以上の」
「ホーキンス」
「出来すぎた真似をしました、お許しを」

低く響いた声にホーキンスは身を固くして頭を下げた。
しかし、それを窘めもせず頭を上げるように促すと彼は続けた。

「私とて彼女を信じたかった。だが、現に彼女はアルビオンに侵攻した簒奪者なのだ。
正統たるアルビオンの継承者である私が戻ったにも関わらず彼女は軍を退こうとはしなかった。
私は私情は捨てたのだ。貴族派も王党派もなく、ただアルビオンを守る為に。
それが私を匿ってくれたクロムウェル司教へのせめてもの手向けだ」

私情を捨てた……か。
時折、人とは思えぬ冷たさを感じたのはその所為か。
アンリエッタ女王が軍を退けなかったのも仕方あるまい。
巨費を投じて侵攻しておきながら何の成果も上げずに帰還したならば、
トリステイン王国は諸侯貴族や平民の反発を受け、その権威を失墜させただろう。
同盟国のゲルマニア帝国との兼ね合いもある。
恐らくは彼女は身を引き裂かれる想いで戦っていたに違いない。

だが、同情できるほど我々は優位に立っていない。
ここで連合軍を逃せば一時的には勝利しても、
最終的には圧倒的な国力の差に平伏す事になる。

「それでは行って参ります。ウェールズ陛下」
「ああ、吉報を期待している」

恭しく礼をして天幕を立ち去る。
用意してあった軍馬に跨ったホーキンスが全軍に指示を飛ばす。
反乱を起こした兵を加えれば総勢七万という途方もない軍勢。
大地を踏み鳴らしながら迫り来るその姿は、さながら山が動いたようにさえ見える。
それを天幕の傍らで眺めながらウェールズは呟いた。

「どうせ人形ならば自由意志など無い方が楽というもの」

否。それはウェールズの口を借りた繰り手の言葉。
死を迎えても尚、ウェールズの身体は悪夢に囚われたままだった。

ウェールズ・テューダー
……死後、トリステイン王国の宮廷内にある霊廟に安置されるも、
シェフィールドの手により奪われ、生ける屍として彼女の手駒にされる。
王党派と貴族派を束ね、神聖アルビオン共和国の議長として君臨する。


夜が到来したかのように立ち込める暗雲。
暴風が吹き荒び、張り詰めた帆が悲鳴じみた声を上げる。
軍勢から逃げ惑い、船へと殺到する人々で港は埋め尽くされた。
その狂乱と悲鳴を背に受けながら一隻の船が港から離れようとする。
遠ざかっていくアルビオンの大地を船室からアンリエッタは見た。
見捨てられたと思い、乳児を抱いて飛び降り自殺を図った母親を兵士が止める。
なんとしても船に乗り込もうと軍艦に押し寄せる民衆とそれを防ぐ兵士達。
誰もが口々に助けを求め、絶望の中を這いずり回っていた。

「船を止めなさい! 私は最後まで残ります!」
「女王陛下、それはなりませぬ!」
「何を言うのです! タルブの時と同じく、
王家の者が威光を示さねば誰が従うというのですか!?」
「なればこそ! 誰よりも先にこの場を離れるべきなのです!
陛下より先に逃げ出したとなれば彼等の名誉は失われましょう!」

アンリエッタの言葉をマザリーニは力強く遮った。
多くの軍備と兵、物資に本国から伴ってきた民衆。
失われる物は確かに大きい。再起までには長い時間と労力を要するだろう。
だが、決して取り返しのつかない物ではない。
真に恐れるべきはアンリエッタ女王を、
トリステイン王家の正統な血筋を絶やしてしまう事に他ならない。
要を失えばトリステインは瞬く間に瓦解する。

「非難や中傷に耐えられぬというのならば、この私をお斬りください!
全ては矮小な枢機卿のしでかした事と、広場に首を晒せば皆納得するでしょう!」
「………………」

死を厭わぬマザリーニの決意にアンリエッタは返す言葉が見つからなかった。
命よりも重いとされる名誉さえも捨てて汚名を被ろうとする忠臣に、
どうやって引き下がれと命ずる事が出来るだろうか。
己の重責を新たに感じ取りアンリエッタは確認するように呟いた。

「……生きる者の責任ですか」
「御意」
「ならば私は罪を負いましょう。民を、兵を、罪無き人々を見捨てた罪を」
「お供します。たとえ、その先が地獄であろうとも」

視界の端に消えていくアルビオンを眺めてアンリエッタは告げた。
ここで失われたものを決して忘れる事はないと。
神と始祖に縋るように伸ばした手を振り払った事を、
哀願する彼等の視線を振り切って背を向けた事を、
思い出す度に彼女は後悔し続けるだろう。
地獄に等しい責め苦を受けようとも、それでもアンリエッタは生きる道を選んだ。

アンリエッタ・ド・トリステイン
……タルブの勝利を国威啓発に利用した軍部により、やむを得ずアルビオンとの開戦を決断。
前の使い魔の頃には出来なかった分、平民である才人にもルイズと変わらぬ扱いで接する。
生涯独身を貫きハルケギニア有数の名君として後世に名を残す。

マザリーニ
……アンリエッタの腹心として誠心誠意仕える。
時に無鉄砲になりがちな彼女を抑え、よき相談役となる。
ただ、才人を重用する事には些か疑問を抱いており、
貴族の特権を軽んじるアンリエッタと度々衝突する。
彼もまた、アンリエッタと共にハルケギニア史に足跡を刻む。


「ダメだ! 許可無き者は船に乗せられない!」

停泊している軍艦に押し寄せる者を兵士達が妨げる。
船の数は十分に足りているものの、荒天で作業が一向に捗らない。
その合間にもアルビオン軍はすぐそこまで迫って来ているのだ。
出港の準備を整えた艦に乗せてもらおうと詰めかける。
しかし、最優先で逃がされるのは高級貴族の士官で、
身分の低い者はとても乗せてくれそうにない。
多くの者が諦めて別の船を捜す中、ギーシュは一人の少女を抱えて兵士に歩み寄った。

「志願兵か。残念だがこの艦は満員だ。他のを当たれ」
「僕じゃない! 彼女を乗せてくれ、今すぐだ!」

叫ぶギーシュに兵士は彼の腕の中へと視線を下ろした。
桃みがかったブロンドの髪の可愛らしい少女が静かに寝息を立てている。
それを見て、兵士はギーシュの気迫に納得した。
恐らくこの少女は彼の恋人なのだろう。
ここに残ればアルビオンの連中にさんざ嬲り者にされた挙句、
殺されるか奴隷として売り飛ばされるに違いない。
なら、我が身を犠牲にしてでも助け出したいという気持ちは良く分かる。
だが規則は規則。そのような感情論で語れば、ここにいる全員を助けねばならない。

「すまないがそれは出来ない。軍規には従ってもらおう」
「彼女はラ・ヴァリエールの三女だ!」

ギーシュの言葉に兵士は声を詰まらせた。
こちらを見据えるギーシュの眼差しに曇りはない。
もし、彼の言う事が本当だとしたら……?
顔を強張らせる兵士に畳み掛けるようにギーシュは続ける。

「もし、彼女の身に何かあってみろ!
彼女を見捨てたアンタは間違いなく処刑される!
いや、アンタだけじゃ済まされない! その累は家族や友人にまで及ぶ!
他に誰も乗せられないなら、まずアンタが降りるべきだろう!?」

権威を傘に着た悪辣な笑みを浮かべてギーシュは兵士に迫る。
たじろぐ兵士の姿にギーシュは勝利は確信した。
慌てた兵士が艦長へ伝令を遣すと返事は呆気ないほど早く返ってきた。

「ラ・ヴァリエール嬢の乗艦を認めます。
この艦は間もなく出航します。さあ、こちらへどうぞ」
「ああ、ありがとう」

横に退いて乗艦を促す兵士にギーシュは礼を告げた。
そしてルイズを兵士に預けると安心したように彼は艀を降りていく。
当然ギーシュも乗るものだと思っていた兵士は目を丸くさせて呼び止めようとした。

「“任せとけ”彼女が起きたら才人がそう言ってたって伝えてくれ!」

ギーシュはそう叫んで大きく手を振った。
彼は才人にルイズを託された。
ギーシュが認めた親友の願いだったから、
あの時と同じ様に、また彼を助ける事は出来なかったから、
せめてルイズだけは、彼の一番大切なものだけは守りたかった。
満足げな笑みを浮かべて艦を見送るギーシュに、兵士は心よりの敬礼で示した。

「あ、ちょっと待った! もし僕が逃げられなかったら
“実に勇敢な最期だった”って学院に居るモンモランシーに……」

嵐に紛れて遠ざかっていく軍艦にかけた声はもう届かない。
彼女に格好つけ損なったとギーシュはがっかりしたように肩を落とす。
そんな彼の周囲をトリステイン魔法学院の生徒達が取り囲む。
全員が志願兵としてアルビオンとの戦争に参加した連中だ。
恨みがましい目でギーシュを睨みつけると彼の襟を荒々しく掴む。
「どうして“ゼロ”だけ行かせたんだ!
上手く言えば俺達も乗せてもらえたかもしれないだろ!?」
「そうだ。いくらラ・ヴァリエールだからって特権を振りかざしていいものか!」

貴族として特権を振りかざす人間の言う事か、そう言おうとしてギーシュは口を噤んだ。
どうも悪友と付き合いだしてから口が悪くなったような気がする。
だが気分は悪くない。ああいう風に生きられるならどれほど楽だろうか。

「僕達にあの船に乗る権利はない」

神経を逆撫でると知っていてギーシュは平然と口にした。
激昂する彼等を見上げながら、それだけはどうしても譲れなかった。
ルイズを船に乗せたのは、彼女を守る為に残った才人の『権利』。
命も名誉も何も残らない戦いに望む、彼の当然の権利だ。
それを知っているからこそギーシュは船には乗らなかった。

鈍い音が響きギーシュの身体が投げ出された。
頬に走る痛みと熱。それを実感して初めて殴り飛ばされたのだと理解した。
拳を鳴らしながら志願兵達が倒れたギーシュへと詰め寄る。
その眼には憎悪の炎を灯し、まるで親の仇にでもあったかのような殺意を滾らせる。
否。正確には自分達の仇だろう。ギーシュが助かるかもしれない望みを断ち切ったのだから。

「てめえ、もしも逃げ遅れたら俺達は……」
「間に合うさ」

再び殴りかかろうと拳を振り上げる男を前に、ギーシュはさも当たり前のように呟いた。
彼だって命は惜しい。本当に危険なら我先に逃げ出していただろう。
だけど彼は知っていた。アルビオン軍は追いつかない。
七万だろうが百万だろうが、そんなのは関係ない。
走り出したアイツを止められる奴なんていやしない。

「アイツが“任せとけ”って言ったんだ、間に合うに決まってるさ」

なあ、そうだろう……才人。


ギーシュ・ド・グラモン
……タルブ戦後、すっかりやさぐれるものの、
モンモランシーの香水を巡り才人と決闘、前任と同様に彼を認めるようになる。
今ではすっかり気の合う悪友として無理やり遊びに付き合わせている。
サウスゴーダでは一番槍を果たし精霊勲章を授与される。
後に水精霊騎士隊の隊長に就任し数々の武功を立てる。


「これは何の真似だね?」

後甲板で作業監督をしていたボーウッドは訊ねた。
彼の周りには杖を向ける船員、その多くは魔法学院からの志願兵だ。
トリステイン軍が窮地に陥った事でアルビオンの兵達は裏切るのではないか、
もしかしたらこの船と船員を手土産にするつもりかもしれない、
そんな妄想に取り憑かれた彼等は暴発するように反乱という行動に移したのだ。
それはアルビオンの士官だったボーウッドが自分達の上官という耐え難い屈辱もあったのかもしれない。
いつアルビオン軍が襲ってくるかもしれない状況で新兵が冷静を保つのは困難だった。

杖を突きつけられているのに平然と振る舞うボーウッドに対し、
彼等の手は震え、杖の先端も定まらずに揺れ続ける。
呆れ顔でそれを見つめながらボーウッドは溜息混じりに聞き返す。

「それで? 私を殺した後は誰が指示を出す?」
「え?」

思わぬ問いかけに全員がお互いの顔を見合わせる。
そんな事、言われるまで考えもしなかったという表情を見せる。
ここにいるのは皆、操船経験のない素人の集まりにすぎない。
的確な指示を貰わなければ満足に船も動かせない。

「この中に近辺の岩礁の位置を把握している者は?
視界の利かない嵐の中で正確な航路を辿れる者はいるか?」

ボーウッドの言葉にざわめきが小波のように広がっていく。
元々、計画的な反乱ではない彼等に今後の見通しなどある筈もない。
うろたえる彼等を一通り見回した後、ボーウッドは大きく息を吸い込んだ。

「全員、直ちに所定の位置に戻らんかァ!
マリコルヌ、スティックス、貴様等は大砲と砲弾を外に運び出せ!
余分な荷物は全て破棄する! 可能な限り外の連中を艦に収容する!」

天を揺るがさんばかりの怒号に蜘蛛の子を散らすように船員は走り出した。
特に名指しで呼ばれた二人は青い顔をしながら慌てて作業に取り掛かる。
まさか、これだけの船員がいるのに一人一人の名前を憶えていたとは。
それに杖を向けられていながら揺るぎもしない豪胆さ。
ボーウッドとの格の違いを思い知らされ彼等は身震いした。

(……どうにも私には戦運がないようだな)
混迷の様相を呈する港を見下ろしながらボーウッドは一人ごちる。
圧倒的な軍勢を率いながらトリステイン王国に敗北し、
優勢なトリステイン側に付けば今度はアルビオン大陸から追い出される始末。
早々に隠居してしまった戦友を恨めしく思う。
元々アルビオンの軍人である彼にはこれ以上トリステイン王国の為に戦う義理はない。
タルブ戦での借りはアルビオン上陸戦で存分に果たしたと言っていい。
この混乱に紛れて姿を消したとしても誰も疑いはしないだろう。
どうするべきかと悩むボーウッドの耳に竜の羽ばたきが響く。
見上げた先にはアルビオン王国の紋章を掲げる竜騎士が数騎、
荒れ狂う暴風の中を隊列を乱すことなく飛び立っていった。

サー・ヘンリ・ボーウッド
……タルブ戦後、捕虜となりトリステイン軍に士官として従軍。
経験不足の新生トリステイン艦隊に協力し、アルビオン上陸戦において多大な貢献を果たす。
アルビオン撤退戦において脱出船団を先導して無事に帰還を成功させる。
その功績に免じ、アンリエッタ女王から軍役の終了を告げられ自由の身となる。
以降、軍を引退して幸せな余生を過ごす。


「隊長、これからどうされるおつもりですか」

飛礫の如く降り注ぐ雨音にも掻き消されぬように隊員が声を張り上げた。
多分、そのような質問をしたのは後にも先にもこれっきりだろう。
常ならば撤退するトリステイン艦隊を護衛するべきだ。
だがウェールズが存命しており、さらにはアルビオンの実権を取り戻したという報が彼等の心を乱した。
もし事実だとするならトリステイン王国に加担する理由などない。
彼等は誇り高きアルビオン王直属竜騎士隊、王に刃を向ける事は有り得ない。
夢にまで見た王国の復権、それを前にして平静でいられるはずもなかった。

「……それを決めるのは俺じゃない、お前達だ」

一際大きく羽ばたいて隊長の火竜はその場で滞空する。
静かに告げた言葉が激流にも似た嵐の中で透き通って響く。
振り返り、隊の全員を眺めながら彼は話を続けた。

「ウェールズ陛下の下に戻りたい者がいるなら止めはしない。
このままトリステイン王国に残るのもいいだろう、自分で決めろ」

彼の突然の言葉に隊員達は己が耳を疑った。
隊員達にとって正しいのは王と隊長の命令、それだけだった。
常に先陣を切って戦場を駆け抜ける彼の姿が灯台の光のように道を示してくれた。
しかし彼は自分で決めろと言った。隊長としてではなく戦友として。
戸惑いながらも一人の隊員が彼に聞き返した。

「隊長は……ウェールズ陛下が生き延びたとの話を信じていないのですか」
戦場で虚報が飛び交うのは当然の事であり生存説はその最たる物だ。
その多くは敵を混乱させる物であったり誤解から生じる物など様々だ。
その問いかけに隊長は歯を食いしばりながら答えた。

「出来るなら信じたい。何度もそうあって欲しいと願った。
トリステイン王国の霊廟で陛下の遺体を目にした後もな」

手綱を掴む隊長の手が震える。
アルビオンから生還し、絶望的ともいえるタルブ戦を潜り抜け、
そうして再会した物言わぬ主の姿を前に彼はどれだけ嘆いただろうか。
死んだと分かっていたとしても目の前に突きつけられた真実は重すぎた。
叶うならば持てる全てを犠牲にしてでも蘇って欲しいと願った。
かつてワルドが母親の遺骸の前でそう願ったように。
そしてアンリエッタがウェールズの亡骸の前で思ったように。

しばらくして二騎の火竜が大きく羽ばたいた。
火竜の見据える先は連合軍のいる港ではなくアルビオン軍のいる内陸。
他の隊員が困惑する中、隊長と二人は互いに敬礼を交わす。
それはここまで共に戦ってきた戦友との訣別を示していた。

「今まで御世話になりました隊長。御武運をとは言えませんがお達者で」
「ああ。さらばだ戦友」

次第に小さくなっていく二騎の火竜を彼は見つめる。
たとえ敵味方に別れようとも彼等は間違いなく戦友だ。
しかし、これから戦うべき相手に言う事ではないとあえて黙した。
そして残った連中へと振り返り再度訊ねた。
「それでお前達はどうする? 今ならまだ追いつけるぞ」
「ウェールズ陛下が生きているかどうかは分かりません。
ですが、陛下の下された最後の命令はまだ生きていると確信します」

笑みを浮かべて隊員の一人はそう答えた。
『アルビオンから脱出する船を護衛せよ』
あの時とは状況も意味も違うがトリステイン王国は紛れもなく同胞だ。
それを討たんとするウェールズの行動は命令を下した時とは真逆。
ならば己の内に存在する陛下の御心に従うべきだと彼等は判断した。
そうか、と満足げな笑みを浮かべた隊長が彼等と敬礼を交わす。
隊員達が港へ引き返そうと火竜を反転させる。
しかし続くと思われた隊長はまだその場に留まっていた。

「どうされたのですか? 何か騎竜に不調でも?」
「お前達は先に行け。俺はやる事が残っている」

そう言いながら彼は火竜を全力で駆けさせた。
誰が信じるだろうか、七万の大軍を相手に一人で殿を務める大馬鹿野郎の存在を。
もうとっくに殺されているかもしれないが、それでも彼は竜を飛ばす。
タルブの時の無念が心に染み付いていたからかもしれない。
遠ざかっていく隊員達の声を背に受けて彼は力強く答えた。

「英雄殿を迎えに行くんだよ!」

アルビオン王直属竜騎士隊
……王党派残党の脱出およびタルブ戦で大半が戦死。
生き残った内の2名は神聖アルビオン共和国へと下った事が判明、
隊長以下3名は追撃する先遣竜騎士隊と遭遇、
これと交戦した以降の消息は不明。


軍艦に群がる兵士達とは別に、港のやや離れた場所からそれを窺う一団があった。
誰もが厳つい風貌をし、野盗と見紛わんばかりの彼等はトリステインに雇われた傭兵達だった。
中でも彼等は一人一人がそれぞれの傭兵団を抱える頭目。
その彼等は船に乗り込もうとはせずに黙って成り行きを見届けている。
脱出が優先されるのは高級貴族、次いで中流貴族、下級貴族、正規兵、志願兵……、最後に傭兵だ。
どんなに慌てても順序が入れ替わる事はないだろう。
それを知っているからこそ傭兵達は動かないのだ。

「どうするよニコラ。このままじゃ俺ら皆殺しだぜ?」
「いっその事、あの船やっちまうか?」

だが危機が差し迫っている状況に変わりはない。
リーダー格の男に今後の相談を持ちかける中、
一人が出航の準備を続ける戦列艦を指差して銃の引き金を引く仕草をする。
それは空賊や海賊が好む、襲撃を意味するサイン。
乗せてもらえないのなら奪ってしまえばいい。
短絡的な行動かもしれないが傭兵達の中にはそれを副業とする者も多い。
手馴れた奴がいればたとえ正規兵だろうと混乱している相手に遅れは取らないだろう。
僅かに現実味を帯びた提案にニコラは静かに首を振った。

「やめとけ。港を出た所で沈められるのがオチだ。
仮に逃げられたとしても脱走兵を受け入れる所なんてありゃあしねえよ」

既に何隻かは出航しており船団を組む為に沿岸に待機しているはずだ。
上手く奪えたとしても素人が操船する軍艦なんざ鴨を撃つよりも容易く沈められる。
ニコラの返答に一同は大きく溜息を零した。
彼が無理と言った以上、それはどう足掻こうとも無理だと悟ったのだ。
しかし、すぐに別の者達が新たな提案を持ち出す。
「じゃあ、あっちの民間船はどうだ?
あれなら連中もそれほど目くじら立てたりしねえだろ」
「それよりも、いっそアルビオンの方に付かねえか?
適当な貴族を手土産にすりゃあ邪険にされねえと思うが」

彼等の提案を耳にしつつ、ニコラは思案に暮れた。
もし貴族や正規兵がいれば人道に悖ると反発しただろう。
だが彼等は傭兵であり、優先されるのは金銭と自分達の命だけだ。
名誉などという形のない物に執着する事はない。
いざとなれば雇い主さえ裏切って生き延びるに違いない。

悴む手に息を吐きかけながら視線を配らせる。
視界さえも遮る豪雨のせいか、自分達に注意を払う者はいない。
算段を巡らせるニコラの視界にふと何かが目に留まった。
それは一人の少年を取り囲む集団の姿。
罵るような大声が雨音に消される事なくここまで響く。
見覚えのある少年の姿、そして会話の内容を聞いてニコラは立ち上がった。
ざわめく仲間を無視して、つかつかと少年達に近付いていく。
歩み寄るニコラに、少年をリンチしていた集団の一人がなにやら叫ぶ。
恐らくは警告か何かのつもりだったのだろう、
その少年が迎える最期を察した傭兵達が合わせたように十字を切る。

直後、少年の顎に叩き込まれるニコラの拳。
血飛沫に混じって歯が何本か飛び散る。
泡を食って逃げ出す集団には目もくれず、
ニコラは暴行を受けていた少年に自分のコートを被せた。
やがて傭兵達の所に戻ると笑みを浮かべて告げた。

「いや、もっと良いアイデアがある。
アルビオンの連中をここで撃退しちまうのさ」

突然のニコラの発言に、傭兵達は戸惑いを隠しきれなかった。
敵は七万、傭兵達の数は多く見積もってもせいぜい数百。
どう足掻いたって勝てるとは到底思えない。
困惑する彼等を前に、雨風に負けぬよう声を張り上げてニコラは説明する。

「勝つ必要はねえ。追撃しても無駄だって連中に思わせればいい。
防塁を築く資材だって十分にあるし建物だって使える。
それに武器だってここには幾らでも揃ってるぜ」

くい、とニコラが顎で示した先には、
覚束ない足取りをした太っちょに運び出される大砲。
雨に濡れぬよう防塁越しに横一列に並べて砲撃すれば、
かつてニコラがギーシュに語った通り、それがたとえ大軍であろうと足は止められる。
しかし圧倒的な戦力差を前に動こうとする者は誰もいなかった。
どうしてそんな無謀な賭けに歴戦の戦士であるニコラが挑むのか、
彼等には何一つとして理解できなかった。
そして、ついに堪りかねた傭兵が声を上げた。
「無理に決まってるんだろ! 敵は七万だぞ!
そんな大軍相手に足止めなんて奇跡でも起きない限り……」
「奇跡なら起きただろ、あの時もよ」
「……タルブの戦いか!」

ニコラの言葉にハッと思い出したかのように傭兵達は顔を上げた。
このアルビオン戦に参加している傭兵の中にはタルブの戦いを経験した者も多かった。
正に奇跡というべき逆転劇を目の当たりしていた彼等に一筋の光明が差す。
それを眺めながらニコラは楽しげに話を続ける。

「そうだ。憶えているだろ、公の記録から消されちまった『ラ・ヴァリエール嬢の使い魔』。
そのたった一匹で大軍を蹴散らした怪物がよ、今度は七万相手に一騎駆けしてるんだとよ」

吹き荒ぶ嵐にも似たざわめきが傭兵達の間に広がっていく。
実際にその光景を目にした者も、また風聞でしか知らない者も、
また奇跡が起きるかもしれないと信じ始めていた。
全てを倒せなくとも統制を乱した相手ならば足止めも不可能ではない。

「上手くすりゃあ楽して大手柄だ。一生使い切れないぐらいの恩賞に与れるぜ」

親指と人差し指で輪を作りながらニコラはにやりと笑みを浮かべる。
その一言で傭兵達の腹は決まった。次々と自分の傭兵団へと指示を下していく。
せっせと作業に取り掛かる彼等を眺めながら、
ニコラは雨に濡れた自分の頭をがしがしと掻いた。
(まあ、嘘は言ってねえよな、嘘は)
たとえばラ・ヴァリエール嬢の使い魔が犬から人に代わってたとか、
そういうのは聞かれたら答えればいい事であって説明の必要はないだろう。
ガキの頃、神父に口酸っぱく『嘘だけはつくな』と叱られたので言いつけは守っている。
地獄に落ちると脅されても、これっぽっちも信じちゃいないが神父との約束だから仕方ねえ。
もちろん、神様も始祖も英雄も奇跡だって信じちゃいねえが。

「……大将、アンタの幸運に賭けてみよう」

平民の少女に助け起こされるギーシュを見つめながらニコラはそう呟いた。

ニコラ
……タルブ戦後、ギーシュの副官としてアルビオン戦役に参加。
戦闘経験のないギーシュを補佐し、彼にサウスゴータ一番槍を取らせる。
撤退戦では傭兵部隊を指揮し、アルビオン軍の追撃を押し留めるも包囲されて逃げ場を失う。
もはやこれまでと覚悟を決めて一人でも多く敵兵を道連れに……とは露ほども考えず直ちに降参。
鉱山で仲間に愚痴を聞かされながら強制労働に勤しむ。


民間船の中は足の踏み場もないほどすし詰め状態だった。
元々、軍港の大半を軍艦が占めていて数が少ない上に、
近くを通りがかった船も危険を察知して引き返している状況だ。
アンリエッタが民間船を買い取らねばこの船もすでに港から離れていただろう。
絶望的な状況に恨みがましい声や悲嘆に暮れる声があちこちで響く。
そんな彼等を勇気付けようと船員達が励まして回る。
「……なんでアルビオンに来るといつもこうなんだよ」
「ご安心ください。船長はかつてアルビオン軍の追撃からも逃れた事があるベテランで……」
それらの声を無視してシエスタはギーシュを船内へと運び込む。
狭い船内でありながら負傷者や病人を手当てする空間は辛うじて残されていた。
そこにいた医者にギーシュを診察してもらいながら彼女は尋ねた。

「才人さんは!? ミス・ヴァリエールはどうされたんですか!?」

ゆさゆさと彼の両肩を揺すりながら医師の制止も振り切って尋問する。
言わなければ殺されるかもしれない位の迫力に呻きながらギーシュは答えた。

「才人は殿を……。ルイズを避難させて欲しい、と僕に預けて…」
「そんな!?」

パッとシエスタが手を離した瞬間、ギーシュは床に後頭部を打ち付けた。
文句を言おうとしたギーシュを踏みつけてシエスタは駆ける。
しかし甲板へと出て行った彼女が目にしたのは遠ざかるアルビオンの港だった。
彼女がギーシュを運んだ後すぐに船は出航していたのだ。
もはや彼の下に向かいたくとも港に戻るすべはない。
泣き崩れるように彼女はその場に膝をついた。

「また、会えますよね……?」

シエスタの瞳から零れた大粒の涙が雨に混じって流れ落ちる。
ぎゅっと彼女はポケットにしまっていたお守りを握り締めた。
それはいつもシエスタが“彼”にかけていたブラシ。
ルイズが首輪を隠していたように彼女もまた思い出を守り通した。
あの日の別れを思い出しながら彼女は呟く。

「まだ、お別れを言っていないんですから……また会えますよね」

願いにも似た言葉は吹き荒ぶ嵐と雷鳴に消える。
一人戦場で剣を振るう少年に、その声が届く事はなかった……。

シエスタ
……“彼”に受けた恩を才人に返そうと優しく接するうちに愛が芽生える。
今ではルイズに張り合って才人を奪い合うような関係に発展している。

武器屋の親父
……逃亡中に路銀が底をつき、戦時中の稼ぎを見込んでアルビオンへ。
そこそこの売り上げが出たものの敗戦で売り物を捨てて逃げざるを得なくなった。

『マリー・ガラント』号船長
……トリステイン王国より得た恩賞を元手に新たな船を購入、
アルビオンとの連絡船として難民や行商人を運ぶ仕事に就く。
船名は今も『マリー・ガラント』号のまま。


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