ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

10 泣き虫の唄 後編

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匿名ユーザー

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 木々の向こうで何かが崩れる音が響いた。
 風に揺れる葉が森の外の音を吸収して届かなくしているが、耳を済ませて小さな音さえ聞き逃さないように気をつけていれば、絶対に聞こえないものでもない。
 とはいえ、常に音ばかりに意識を集中していられる人間など多くは無く、その音を聞いていたのは極一部の人間だけであった。
「建物が崩れた……?ということは、そろそろ終わりかしら」
 五感そのものは人間と大差は無いものの、多少鋭くはある。そのお陰で遠く響いた小さな音を聞き取ることに成功したエルザは、何が起きたかを悟って小さく呟いた。
 音は、竜騎士隊の攻撃によって炎上した建物が崩壊する時のものだろう。
 指揮官であるワルドを失ったアルビオンの竜騎士隊ではあるが、指揮系統が崩壊したというわけではない。こういう時のために副隊長は存在しているし、階級という上下関係がある。そのため、任務の遂行に支障は無く、タルブの村の制圧は順調な様であった。
「空さえ飛んでなければ、逃げ隠れしないで止めに行けるんだろうけど……」
 言っておいて、詮無いことと肩を竦める。
 竜騎士の恐ろしい所は、一撃離脱の戦法と竜の火力だ。空を縦横無尽に飛び回る生き物を仕留めることは容易ではなく、急降下と急上昇の合間に行われるブレスの攻撃は、地上を這うしかない人間達を簡単に炎の海に沈めることが出来る。
 対空兵器なんて存在しないハルケギニアでは、地道に魔法で撃ち落すか、それとも大砲に散弾を詰めて面制圧をするか、あるいは、同じ空を戦場に出来る部隊で対抗するしかない。それにしても、魔法は滅多に当たらないだろうし、大砲は高価であるにも関わらず射程の問題から大した戦果を上げてはくれないだろう。結局の所、竜騎士と戦うなら同じ空で決着を付けるしかないというわけだ。
 まったくもって、厄介な相手である。
 地上に引き摺り下ろすことさえ出来れば、話は違ってくるのだが。
「余程の間抜けでもない限り、戦場で地上に降りてくる竜騎士なんて居やしないか」
 ゴーレムに叩き潰された間抜けの存在なんて知るはずも無いエルザは、独り言を終えて膝を抱える少女の顔をちらりと覗き見る。
 すん、と鼻を鳴らして、泣きながら籠に入れられた木苺を食べ続けるシエスタがそこに居た。
「アンタもいい加減泣き止みなさいよ。馬鹿みたいに心配してるときほど、心配されてる方は退屈持て余してバカ面晒してるもんよ?それに、アンタが何を思ってたって、別に何かが変わるわけじゃないでしょ」
「ひょれは、ひょうかもひれないけど……」
 シエスタが、木苺を沢山詰めた口を動かして返事をする。
 餌を頬袋に大量に詰めたリスのように頬を膨らます様は可愛らしいものだったが、内情は意外と切実だ。何せ、エルザが持ち込んだ薬の苦さが余りにも酷く、こうでもしないと泣いている理由が変わってしまうくらいなのだから。
 視線を少し動かして村人達の様子に目を向ければ、皆が揃って何かしら甘いものや刺激の強い食べ物を口に詰め込んでいる姿が確認できる。水を飲んで苦さを洗い流そうにも、舌の上で苦味が張り付いて取れないのだ。偶然、ティファニアが配り歩いていた木苺の甘さで多少は誤魔化せることが判明してからというもの、自生している実を穫り尽くしそうな勢いでかき集めて、こうして実を食べまくっているのであった。
「……んー」
 あっちでもぐもぐ、こっちでもぐもぐ。そうやって食べている姿ばかり見ていると、自分も同じ事をしなければならないのではないのかと思ってしまうのが集団心理。
 触発されたエルザは、シエスタの傍らに置かれた籠から木苺を一つ掠め取り、それを口の中に放り込んで仄かな甘味に頬を緩めた。
 だが、浮かんだ笑顔も長くは続かない。
「ぐすっ……、すん……」
「まだ泣くか」
 激しく泣くわけではないが、目元の涙と鼻水は止まらないらしい。
 よくもそこまで感情が長続きするものだと感心するが、親しい身内や想い人の危機ともなればそんなものかもしれない。ただ、どこか気まずそうな、それでいて申し訳なさそうな雰囲気も感じ取れるから、泣いている理由は心配ばかりでは無さそうであった。
 シエスタが己の欲望に負けて、才人とジェシカを元に邪な妄想を抱いていた、などということがエルザに分かるはずもなく、疑惑の視線はすぐに消える。
 このまま泣き虫に長く付き合う気になれないエルザは、適当に切り上げることを決めていた。
 ジェシカの使った獣道を逆走してきたために話しかけられたのが縁の始まりだが、言ってしまえばそれだけの関係。耳障りな泣き声を聞き続ける理由にはならない。
 このまま適当に理由をつけて逃げ出そう。
 そう思ってエルザが立ち上がろうとすると、スカートが何かに引っ張られた。
「……スカートが脱げそうなんだけど」
「あ、ごめんなひゃい」
 そう謝りはしたものの、シエスタはエルザのスカートを放そうとはしない。
 これは、引き止められているのだろうか?
 泣き腫らして後に落ち着いてくると、一人が寂しいと感じるときがある。誰かに傍に居てもらいたいのに、避難民達は皆忙しく動き回っている。だから、その場の流れとはいえ、傍に居てくれたエルザを放したくないのかもしれない。
 エルザにしてみればいい迷惑なのだが、それを言って泣かしでもしたら、余計に面倒なことになる。
 はぁ、と溜め息を付いて、エルザは再びシエスタの横に並んで座り込むと、また籠から木苺を取って口に放り込んだ。
「ねえ、ちょっと訊いてもいい?」
「ん?」
「サイトって、どういう奴?」
 ラ・ロシェールで、ホル・ホース同様に異世界から来た人間であることはエルザも知っている。逆に言えば、それしか知らない。だから、あえて見知らぬ相手であるかのように、シエスタに問いかけていた。
 ごくり、と頬を膨らませていた大量の実を無理矢理飲み込んだシエスタは、遠い空を見上げて記憶を掘り起こす。
 ああ、これが恋する乙女の目って奴なのね。
 才人のことを聞かれた瞬間、キラキラと輝きだしたシエスタの瞳を見て、早速エルザは聞く気を無くしていた。
「そうね……、とっても勇敢で、貴族様が相手でも一歩も引かず、メイジだって倒しちゃう凄い人よ」
「へえ、それは凄いわね」
「でしょ?ちょっと無鉄砲な所もあるけど、誠実っていうか、素直って言うか……」
「うんうん」
 ぽっと頬を赤くして、ペラペラと喋るシエスタに、エルザが適当な相槌を打つ。
 泣く子を黙らせるには、やはり興味のあることや好きなことをやらせるのが一番だ。想いを寄せている相手のことを語らせれば、年頃の女なんて一時間以上も平気で喋り続けるもの。
 若干、邪魔臭さが増したものの、泣かれるよりはいいだろうというこの作戦は、早速効果を上げ始めていた。
「美味しそうにご飯を食べてる姿がとっても可愛いのよ?あっちこっちに手を出して、すぐ口の中をいっぱいにするの。それでもぐもぐって、一生懸命噛んでるところを見ると、小さい動物みたいで……」
「へぇ、なるほどなるほど」
「食べ終わると、必ず美味しかったって言ってくれて……、それがもう、マルトーさん達が気に入っちゃって気に入っちゃって。隠してたワインまでポンポン開けちゃうんだから。で、舞踏会なんかで出した食事なんて、こんなに美味しいものを捨てるなんて、ってお腹いっぱいなのに無理して食べて……、また気に入っちゃって、ミス・ヴァリエールの使い魔じゃなかったら俺の養子にしてるところだ!なんて言い出すのよ?それでね、それでね……」
「はぁん、へぇ、ふぅん」
「ミスタ・グラモンとの決闘だって、ボロボロになっても一歩も引かず、剣を握った瞬間、こう、風みたいに動いて、ずばー!ばさー!って、凄い早かったんだから!で、剣をこう突きつけて、貴族様に謝らせちゃったのよ。凄いでしょ?ね、ね!それから……」
「へえ。ほー。あー、はいはい」
 想いを寄せている相手のことを語らせたら、年頃の女なんて一時間以上も平気で喋り続けるもの。
 そう、そのことはあらかじめ分かっていた。分かっていたのに、実際に聞かされる身になると、それがどれだけ辛い立場なのか、エルザは理解していなかった。
 自分の興味が多少でも重なれば、この苦痛も半減するのだろう。しかし、他人の好いた男のことなど心底どうでもいいエルザにとって、シエスタの口から次から次へと飛び出てくる惚気話は延々と鞭打ちされるのに匹敵する拷問であった。
「それでサイトさん、ご主人様のミス・ヴァリエールと喧嘩しちゃってね、わたし、これは神様が与えてくれたチャンスだと思ったの!サイトさんってば、普段からなんだかんだと言っていても、ミス・ヴァリエールのことばかり考えてて……。だから、これ以上二人の絆が深くなる前に、きちんと既成事実を作ってしっかり掴まえておこうと思って……」
「わかった!分かったから!アンタがサイトのことをどれだけ好きか、よーっく分かった!でも、なんか段々と生々しくなってきたし、この辺にしておきましょう!」
 自分で話を誘導しておきながら、耐え切れなくなったエルザが強引に話の中断を切り出す。
 このまま聞いていたら、一時間どころか日が暮れるまで続いてしまう。実際、適当に相槌を打っているだけで空に上っている太陽がいくらか傾いていた。
 意気揚々と話していたシエスタは、まだ語り足りないのか、不満そうに表情を変える。それでも泣きながら木苺を食べていた時の陰鬱な雰囲気は消えて、いくらかすっきりとした顔で深く息を吐いていた。
「と、とりあえず、目的は達したわね……」
 肩で息をしながら、エルザはシエスタの様子にニヤリと笑う。
 泣き虫は旅立ち、代わりに幸せの青い鳥が飛び回っている。高揚した気分を抱えたシエスタが再び泣き出すことは、多分、無いだろう。
 少し重い帽子を被り直して、気を取り直したエルザは、さっさとこの場を離れようと立ち上がった。
 つん、と腰が後ろに引っ張られ、移動していた上半身は腰を基点に半回転して地面に落ちる。
 擬音を並べるとしたら、ずるっ。べしゃ。だろうか。
 顔面から地面に飛び込んだエルザは、見事にずり下がったスカートと端を掴むシエスタの姿を睨むと、何事も無かったかのように元の位置に戻ってスカートを直し、シエスタの胸倉を掴み上げた。
「なに?まだ、なんか用があるわけ?」
「えっと、そういうわけじゃないんだけど……。凄い下着つけてるのね?」
「ンなことはどうでもいいから。用件を言え」
 ちら、とエルザの機嫌を伺うように上目遣いに見て、シエスタは少し恥ずかしそうに笑った。
「まだ、名前も聞いてなかったから」
「……ああ、そういえばそうだっけ」
 状況に流されて放している間に、自己紹介をする機会を失っていたのを思い出す。
 名前を言う必要は特に見当たらなかったが、コレも一つの縁だろう。人脈は築いておいて損は無い。多少の手間は将来への投資だと割り切るのが世の中を上手く生きるコツだ。
 しかしながら、築いた縁も忘れられては意味が無い。折角名乗るのであれば、しっかりと記憶に焼きつかせておかなければ。
 時間と共に草臥れていくドレスの皺を伸ばし、ぱん、と大きな音を立てて土汚れを払ったエルザは、少し考えて、くるっとその場で一回転した。
「わたしは美幼女戦士☆エルザちゃん!純な小さなお友達も汗ばんだ大きなお友達も、みんな仲良くしてね!」
 舞い上がるスカート。ふわりと浮く金髪。そして、顔の横で作られた横向きのVサイン。最後にはウィンクまで飛ばしていた。
 ハルケギニアには特撮ドラマも無ければ、漫画もアニメもヒーローショーも無い。いったい何処でこんなポーズを覚えてきたのか、何故か妙に様になる機敏な動きで決めたエルザは、ぽかん、と呆けたシエスタの反応に顔を真っ赤にすると、激しく咳き込んで言い直した。
「わたしの名前は、エルザよ。好きに呼んでいいわ。それと、今のは忘れて」
「あ、うん。わたしはシエスタ」
 何か鬱憤でも溜まっていたのだろうかと首を傾げたシエスタは、自分が原因だなどと考えもしないでエルザと握手を交わす。こういうとき、深く追求せずにさらりと流すのが、気難しい貴族の子供を相手に働くメイドの必須技能であった。
「それで、エルザちゃんのお父さんとお母さんは……?」
「話はそこまでにして貰おう」
 低い声が言葉を遮り、シエスタの細い首に銀色の光を添えた。
 肩に落ちる赤い液体に悲鳴を上げることも出来ず、全身を硬直させるしかないシエスタの後方で、血塗れのワルドが右手に握ったレイピアを突きつけている。その体は満身創痍と言うに相応しく、左腕は肩の辺りで削げ落ち、右の足も引き摺るようにして立っていた。
「幼女とか言った瞬間に出てくるとか……、流石はロリペド子爵」
「……俺を覚えていたか、吸血鬼。だが、減らず口には気をつけることだな。お仲間や友人が死ぬことになるぞ?……勿論、貴様自身も、な」
 エルザが背後で何かが動く気配を察したときには、既にもう一人のワルドがレイピアをエルザの後頭部に向けていた。
 首の裏筋に向けられる冷たい視線に冷や汗を垂らし、そうと悟られないように横目に後ろの気配を探る。
「風の遍在ね……。他にもいるのかしら?」
「見ての通り、余裕がなのでね。これで精一杯だ」
 言い終えると同時に、シエスタの背後に立つワルドが咳と一緒に血を吐いた。
 なにかのカモフラージュに重傷を演出している、というわけではないらしい。本人のコピーを作る遍在が示すように、エルザの背後に立つワルドも左腕は無く、全身が傷だらけだ。
 誤魔化しは無いと見ていいだろう。しかし、そうなると何を目的にこの場に現れたのかが分からなかった。
 ワルドは、あと十分か二十分か、その程度放置するだけで失血死する。最も大きい傷口である左肩の部分は焼いて出血を止めているようだが、それ以外の部分の出血も酷いのだ。立っているだけで足下に血の滴が落ちて小さな水溜りが出来ていた。
 さっさと味方に合流して治療を受ければいいものを、自分の命と引き換えにしてでも欲しいものがあるのか。それとも、ここに生き延びる為の手段が存在しているとでもいうのか。
 どちらにしても、エルザやタルブの村人達にとって、厄介な存在であることに変わりはなさそうだった。
「吸血鬼……?エルザちゃん、どういう……」
 首筋の冷たさに頬を引き攣らせて顔を真っ青にしたシエスタが、迷子の子供のようにこの理解出来ない状況の説明をエルザに求める。
 だが、それに答えている余裕はエルザには無かった。ワルドの突きつけるレイピアと殺気は本物で、邪魔になると判断されれば、自分もシエスタも一瞬で命を落とすことを確信していたからだ。
 ワルドも余計な話に付き合うつもりは無いらしい。
 レイピアの刃をシエスタの首に押し付けて無理矢理黙らせると、また一度咳をして、何かを探すように周囲を見回した。
「そこのお前、何をしている!」
 エルザたちの状況に気付いた村人の一人が、ワルドに向けて怒声を上げる。
 それをきっかけに、ワルドの存在に気付いた村人達が大小さまざまな悲鳴を響かせた。
「少々五月蝿くなってきたが……、これは好都合だ」
 最初に怒鳴った男が近付いて来ると、ワルドはシエスタの首筋から一瞬だけレイピアを離して、風の魔法の詠唱を一息で完成させる。
「エア・カッター」
 注視しても見ることの出来ない風の刃が、男の首と胴を切り離した。
「イヤアアアアァァァァァァァッッ!!」
 血の飛沫と一緒に足元に転がってきた男の頭部を直視したシエスタが、悲鳴を上げた。
 連鎖的にあちこちで鼓膜を刺すような叫びが飛び出し、我先にと逃亡を始める。小さな子供は大人の足に蹴られ、転がり、力の無い女は男の腕に捻じ伏せられて地面に倒される。まだ体調の戻らない病人達を助けようとする手は少なく、多くは置き去りになっていた。
 そんな中、散り散りになるタルブの村人達の間を縫って、前に出てくる人影がある。
 年は二十を越えたばかりか。長い黒髪の幼い顔立ちをした素朴そうな女性だ。それが、顔をぐちゃぐちゃにして、もはや何も反応を示さない亡骸にしがみ付いた。
 繰り返される男の名前。
 女性は、男の妻であった。
「静まれ!逆らわなければ生かしておいてやる!それとも、この男のようになりたいか!」
 死者に縋る女に目もくれず、ワルドは空に向けて光を放つ。
 “ライト”の魔法を応用した閃光弾だ。
 空がオレンジ色に染まり、光の欠片が木々の頭上でキラキラと輝く。それを目印に、タルブの村を焼いていた竜騎士隊が集まり始めた。
「女を……、エルフの女を連れて来い!ここに居るのだろう!?」
「アンタ、なんでティファニアを……!?」
 事前に示し合わせたように竜騎士隊が森の周囲を焼き、逃げ場を失った村人達が怯えながらワルドを見る中、エルザは背後の殺気に当てられながらも疑問を口にする。
 それに、ワルドはニタリと粘つくような笑みを浮かべ、ほう、と息を零した。
「やはり居るようだな?サウスゴータの娘がモード大公の娘を保護している事は知っていたから、もしやと思ったが……」
 鎌をかけられたとエルザが気付き、口を抑えた時にはもう遅かった。
 ティファニアの存在に確証を得たワルドは、シエスタの首にレイピアを押し付け、要求を告げる。
「ティファニアという、エルフの女を連れて来い!耳は長く、金髪の若い女だ!早くしろ!」
 ワルドが声を張り上げると、様子見をしていた村人達が一斉に動き出して、病人達の並ぶ一角へと殺到した。
 すぐに悲鳴が聞こえてくる。声質からして、間違いなくティファニアのものだ。
「……もうすぐ死ぬくせに、何が狙いなわけ?」
 恐怖に取り付かれた民衆を制するには強力な力が要る。今の自分にはティファニアを守る術が無いことを知っているがために、エルザは服を強く握り締めて憤りを耐え、ワルドから情報を引き出そうと問いかける。
 しかし、そんな行動すら狙っていたように、ワルドは見下した目をエルザに向けると、逆に質問をぶつけた。
「我慢強いが、感情的でもある。少なくとも、友人や知人を傷付けられることを簡単に許容できるタイプではないようだな?」
「だからどうだって言うの?」
 努めて冷静に振舞い、相手に自分の情報を与えまいと仕草の一つにすら気をつける。
 そんなエルザの努力が、ワルドの中にあった疑いを確証に変えていた。
「生きているな?忌々しく、認め難い事実だが……!ホル・ホースとか言う傭兵と、ウェールズ王子の二人は!」
「……!」
 一瞬強張ったエルザの顔に、ワルドは笑みを深めた。
「クッ、ハハハ、分かりやすい反応だ……!決戦の後に見つけた魔法人形の件で、疑念が生まれた。サウスゴータの丘に調査隊を向けたが、死体は回収されず、埋められた形跡も無い。この手に残った肉を貫いた感触は生存の可能性を否定していたが、時折聞く生存を臭わせる噂話が気にかかったのだよ。そこで、昔読んだ本の記述を思い出した……」
 ティファニアの悲鳴と子供の泣き声、それを覆い尽くす様な罵声と悪態。
 近付いてきた喧騒にちらりと目を向ければ、数人の大人に両手を引き摺られたティファニアが、亡き夫に縋りつく女性の隣に放り出された所だった。
「先住の魔法には、瀕死の者さえ瞬く間に癒す力があるそうじゃないか?あの場には、それを使える人間、いや、エルフが居た!そう、だからこそ、生きていたからこそッ、お前は俺を見ても冷静で居られるのだ!違うか吸血鬼ッ!?」
「ティファニアは、そんな魔法使えないわ!」
「いいや、使えるね!あのエルフの母親が強力な治癒の力を持っていたことは、使用人の残した手記に書かれていた!それに、娘も先住魔法を使うことは、既に知られているのだよ。始祖の残した魔法には無い、記憶を削る魔法を使うのだろう?」
 何処まで執念深く調べたのか。
 真相にまで辿り着いてこそ居ないものの、そこに至る材料は揃っている。ただ、ティファニアの力の根幹について誤解があるだけだ。
「この人殺し!アンタのせいで!夫を……、あの人を返してよ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 夫の亡骸に縋り付いていた女性が、今はティファニアを責め立てている。まったく非の無い筈のティファニアは、それを甘んじて受け、ただ謝罪を繰り返すのみ。
 周囲の村人達は悲壮な表情を浮かべながらも、幾人かはエルフを村に受け入れたことが過ちだったと賛成に回った人々を口々に罵り、箍の外れた人間はティファニアへ石を投げつけようとしていた。
「あっちの娘は吸血鬼らしいぞ」
「あの見た目で騙して、俺たちを食うつもりだったのか?」
「さっきの薬も偽物かもしれない!」
「そうだ、あの苦さは毒かも……」
 矛先が自分にも向けられ始めたことにエルザは表情を苦々しいものに変え、苛立ちと物哀しさに混じった感情を腹の底に押し込める。
 故郷を追われ、蔓延する病に精神的に追い詰められていた村人達が、こうして烏合の衆と化すことは想像するに難しくない。見知らぬ相手、特に亜人に対して同情するなんて事は普通はありえないのだ。だから、これは予測の範疇。誤解は後で解けばいいし、どうせ根無し草なのだから、村一つに拘る理由も無い。
 今はただワルドの動向に注視し、生き残ることがエルザの全てであった。
「エルフ、こっちに来い!」
 血の混じった唾を吐いて、ワルドがティファニアを呼ぶ。
 元々気の弱いティファニアは、その声に怯えた様子を見せると、助けを求めるように村人達の集う背後を見て、頭に小石をぶつけられた。
「きぅっ……、痛い」
 痛みの走る部分を押さえてふらふらと歩き出したティファニアは、ワルドの前に立って緊張した様子で血に濡れたワルドの顔を見詰める。
 村人達は緊張した面持ちで様子を眺め、先程まで夫に縋り付いていた女性は胸を押さえて顔を俯かせていた。
「さあ、俺を先住の魔法で治療しろ。このまま戻って生きる屍に変えられるわけにはいかんからな」
 レイピアをシエスタの喉元から離さず、ティファニアに詰め寄ったワルドは治療を急かす。
 それに対し、ティファニアは首を振って、小刻みに震える体の前で祈るように両手を重ねた。
「わたし、使えません。先住の魔法なんて……」
「下らない言い訳を聞く気は無い」
 言い終える前に、ワルドの遍在が握るレイピアの先端が白い肌を切り裂いた。
「っああああぁ!このっ、やりやがったわね!!」
 背後から足首を斬られたエルザが地面に転がり、痛みに声を嗄らしてワルドを睨む。
 踵の上、アキレス腱の部分が綺麗に二つに分かれ、大量に出血を始めていた。
「な、なんてことをするの!?」
「貴様がさっさと治療すれば、こうはならなかった。次は、この娘の首を掻っ切るぞ?」
 白刃がシエスタの喉を浅く裂き、走る痛みにシエスタが呻きに似た悲鳴を漏らした。
「だから、出来ないの!もう指輪の力は残っていないのね!」
「指輪?……指輪だと!?見せろ!!」
 シエスタを押し退けて、ワルドがティファニアの指を凝視する。
 左手の中指に嵌った台座だけを飾った指輪。ワルドの記憶にあるそれは台座に美しい水色の石が乗っていたが、それを除けば同じものと思ってしまうほどに酷似していた。
「まさか……、クロムウェル!」

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