五歳ほどの少女が、息を切らして森の中を駆けていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
荒い息が、とっぷりと日の暮れた森の中に響く。
少女は後悔していた。母の忠告が甦る。
「恐ろしいのはメイジだけじゃない。そのメイジに使える使い魔も同じだ」
そう言っていた母が、大丈夫だよ、と笑っていた父が、
彼女の目の前でメイジに殺された時のことを思い出した。
風の刃で切り裂かれた母と、巨大な火球で焼き尽くされた父。
ぶるりと身を震わせながら、少女は森の中を走り続けた。
……二ヶ月前から、この近くで少女は狩りをしていた。
獲物を喰らわねば、いずれは死ぬ。『人』と同じだ。
こんな姿でいれば、相手は油断し、容易く狩ることができる。
そう思っていたのに、今、彼女は獲物だったはずの存在から追われている。
『ガガガッ』
「ひぃっ!」
彼女の真後ろに、氷の矢が突き刺さる。
それを放った存在は、確実に彼女を追い詰めていく。
美しい金髪を振り乱し、愛らしい顔をぐしゃぐしゃに歪ませ、
こけつまろびつしながら少女は森の中を逃げ続けていた。
「死にたくない、死にたくないよぉ……!」
自分は悪くないのに、どうしてこんな目に遭うのか。
後ろから自らを切り裂こうと襲ってくる存在は、答えては、くれない。
「助けて! 助けてぇ!」
彼女がそう叫んだ瞬間。木陰から、ぬっと手が伸び、腕を掴んだ。
「いやあああああああっ!」
絹を裂くような悲鳴を上げると、少女は気を失った。
「はぁ、はぁ、はぁ」
荒い息が、とっぷりと日の暮れた森の中に響く。
少女は後悔していた。母の忠告が甦る。
「恐ろしいのはメイジだけじゃない。そのメイジに使える使い魔も同じだ」
そう言っていた母が、大丈夫だよ、と笑っていた父が、
彼女の目の前でメイジに殺された時のことを思い出した。
風の刃で切り裂かれた母と、巨大な火球で焼き尽くされた父。
ぶるりと身を震わせながら、少女は森の中を走り続けた。
……二ヶ月前から、この近くで少女は狩りをしていた。
獲物を喰らわねば、いずれは死ぬ。『人』と同じだ。
こんな姿でいれば、相手は油断し、容易く狩ることができる。
そう思っていたのに、今、彼女は獲物だったはずの存在から追われている。
『ガガガッ』
「ひぃっ!」
彼女の真後ろに、氷の矢が突き刺さる。
それを放った存在は、確実に彼女を追い詰めていく。
美しい金髪を振り乱し、愛らしい顔をぐしゃぐしゃに歪ませ、
こけつまろびつしながら少女は森の中を逃げ続けていた。
「死にたくない、死にたくないよぉ……!」
自分は悪くないのに、どうしてこんな目に遭うのか。
後ろから自らを切り裂こうと襲ってくる存在は、答えては、くれない。
「助けて! 助けてぇ!」
彼女がそう叫んだ瞬間。木陰から、ぬっと手が伸び、腕を掴んだ。
「いやあああああああっ!」
絹を裂くような悲鳴を上げると、少女は気を失った。
腕を掴んだ男は、そのままそっと彼女を抱き上げた。
涙や泥で汚れた顔を、布で拭って綺麗にする。
「……さて、お前の主はどこだ」
梢に止まった追跡者を、睨み付けた。
鋭い眼差しの猛禽類。体の大きさ的には、ハヤブサに分類されるだろう。
追跡者――こいつの名はペット・ショップ――は、
目の前に突如として現れた男を前に逡巡していた。
今仕えている主からの命は『標的の殺害。但し他者へ危害を加えてはならない』だ。
この男が、彼女を抱えている限りその命の達成は不可能である。
こんなことなら、久しぶりの闘争と殺戮に心躍らせ、
じわじわと相手を追い詰めるような狩りをするのではなかった。
自らの行いを反省しながら、彼は一際高い声で鳴いた。
主を呼び、その指示を求めるためである。
涙や泥で汚れた顔を、布で拭って綺麗にする。
「……さて、お前の主はどこだ」
梢に止まった追跡者を、睨み付けた。
鋭い眼差しの猛禽類。体の大きさ的には、ハヤブサに分類されるだろう。
追跡者――こいつの名はペット・ショップ――は、
目の前に突如として現れた男を前に逡巡していた。
今仕えている主からの命は『標的の殺害。但し他者へ危害を加えてはならない』だ。
この男が、彼女を抱えている限りその命の達成は不可能である。
こんなことなら、久しぶりの闘争と殺戮に心躍らせ、
じわじわと相手を追い詰めるような狩りをするのではなかった。
自らの行いを反省しながら、彼は一際高い声で鳴いた。
主を呼び、その指示を求めるためである。
「あなたは、一体何?」
年若い少女は青いウロコをした竜から降りると、杖を構えた。
この年にして、すでに数え切れぬ修羅場を潜ってきた少女は察する。
目の前の男は、只者ではない、と。
「……人に名前を尋ねる時は、自分から名乗るのが礼儀ではないかね」
闇夜に溶け込むような黒髪をした男は、少女へ告げる。
「……タバサ。ガリア王国北花壇騎士団七号、タバサ」
この名が、裏ではわりと知られた通り名であるという自覚はある。
だから、あえて北花壇騎士、と名乗った。
「成程。凄腕の騎士がいると以前一緒に仕事をした傭兵仲間に聞いたよ。
そいつも、北花壇騎士でね。セレスタンというのだが知らないか?」
「質問に答えて。あなたは、一体何。何故、その子を助ける」
「森の中で、子どもが助けてと叫んでいたら助けるものだろう」
嘯く彼に、タバサは告げる。
「その子は吸血鬼。この先にある村を襲っていた。
私は村人の依頼で、その子を倒さなければならない。邪魔をしないで」
彼はしばらく押し黙っていたが、やがて笑みを見せながら答えた。
「だが断る、と言ったら?」
その口元には、鋭い牙が覗いていた。
「……ッ! あなたも、吸血鬼!」
タバサは咄嗟にルーンを口ずさむ。空中の水分が凍結し、氷の矢となり、彼を襲う。
それに呼応するように、ペットショップも氷柱を吐き出した。
一瞬の土煙。晴れたそこに、彼は見当たらない。
「そんなに怖がることはないだろう。……少し、話をさせてもらいたい」
タバサは慌てて後ろを振り向いた。気がつけば、そこに彼が居た。
いつの間に、と思う。声も出なかった。
魔法を唱えても、この位置であれば彼に攻撃される方が先だろう。
ペットショップもそう思うらしく、ただ彼を睨むだけだ。
「話とは、何」
どうにか隙を作ろうと、タバサは彼に問いかけた。
「この子を、私に預からせて欲しい」
「何のために」
男は、ふっと笑うと腕の中の少女の頭を撫でた。
金色の髪を白い指先で優しく撫で梳く。
パパ、と小さく呟いて、少女が頬を彼の胸にすり寄せた。
「実は、先程の君たちの会話を、聞かせてもらっていた。
この子は、エルザは親を亡くしているのだろう?」
タバサがこくりと頷いたのを見ると、彼は話を続けた。
「ずっと以前。私がまだ吸血鬼になる前の話だ。
……おや、ずいぶん驚いたみたいだね?
私の居た場所では、人間が吸血鬼になることもあったんだ。
私は、知り合いに託されて、一人の女の子を育てていた。
彼女は吸血鬼に両親を殺されて、吸血鬼をとても恨んでいた。
自分の親を殺した、自分と異なる存在を恨む……。
不思議なほどにエルザと彼女が、重なってみえた」
彼は遠い昔に学んだ知識を思い出す。
エルザの綴りは彼の知る限りでは『Elsa』。
そしてそれは、彼がかつて育てた娘の名前の略称の一つであった。
「そう思えてしまったら、どうしても見過ごせなくなった。
彼女に、決して罪の無い人間は襲わせない、と誓おう」
だから、と彼は告げた。
「どうか、私達を見逃してくれ」
男が頭を下げる。タバサはじっと彼を見つめた。
そして、自身の選択を知らせるため口を開いた。
年若い少女は青いウロコをした竜から降りると、杖を構えた。
この年にして、すでに数え切れぬ修羅場を潜ってきた少女は察する。
目の前の男は、只者ではない、と。
「……人に名前を尋ねる時は、自分から名乗るのが礼儀ではないかね」
闇夜に溶け込むような黒髪をした男は、少女へ告げる。
「……タバサ。ガリア王国北花壇騎士団七号、タバサ」
この名が、裏ではわりと知られた通り名であるという自覚はある。
だから、あえて北花壇騎士、と名乗った。
「成程。凄腕の騎士がいると以前一緒に仕事をした傭兵仲間に聞いたよ。
そいつも、北花壇騎士でね。セレスタンというのだが知らないか?」
「質問に答えて。あなたは、一体何。何故、その子を助ける」
「森の中で、子どもが助けてと叫んでいたら助けるものだろう」
嘯く彼に、タバサは告げる。
「その子は吸血鬼。この先にある村を襲っていた。
私は村人の依頼で、その子を倒さなければならない。邪魔をしないで」
彼はしばらく押し黙っていたが、やがて笑みを見せながら答えた。
「だが断る、と言ったら?」
その口元には、鋭い牙が覗いていた。
「……ッ! あなたも、吸血鬼!」
タバサは咄嗟にルーンを口ずさむ。空中の水分が凍結し、氷の矢となり、彼を襲う。
それに呼応するように、ペットショップも氷柱を吐き出した。
一瞬の土煙。晴れたそこに、彼は見当たらない。
「そんなに怖がることはないだろう。……少し、話をさせてもらいたい」
タバサは慌てて後ろを振り向いた。気がつけば、そこに彼が居た。
いつの間に、と思う。声も出なかった。
魔法を唱えても、この位置であれば彼に攻撃される方が先だろう。
ペットショップもそう思うらしく、ただ彼を睨むだけだ。
「話とは、何」
どうにか隙を作ろうと、タバサは彼に問いかけた。
「この子を、私に預からせて欲しい」
「何のために」
男は、ふっと笑うと腕の中の少女の頭を撫でた。
金色の髪を白い指先で優しく撫で梳く。
パパ、と小さく呟いて、少女が頬を彼の胸にすり寄せた。
「実は、先程の君たちの会話を、聞かせてもらっていた。
この子は、エルザは親を亡くしているのだろう?」
タバサがこくりと頷いたのを見ると、彼は話を続けた。
「ずっと以前。私がまだ吸血鬼になる前の話だ。
……おや、ずいぶん驚いたみたいだね?
私の居た場所では、人間が吸血鬼になることもあったんだ。
私は、知り合いに託されて、一人の女の子を育てていた。
彼女は吸血鬼に両親を殺されて、吸血鬼をとても恨んでいた。
自分の親を殺した、自分と異なる存在を恨む……。
不思議なほどにエルザと彼女が、重なってみえた」
彼は遠い昔に学んだ知識を思い出す。
エルザの綴りは彼の知る限りでは『Elsa』。
そしてそれは、彼がかつて育てた娘の名前の略称の一つであった。
「そう思えてしまったら、どうしても見過ごせなくなった。
彼女に、決して罪の無い人間は襲わせない、と誓おう」
だから、と彼は告げた。
「どうか、私達を見逃してくれ」
男が頭を下げる。タバサはじっと彼を見つめた。
そして、自身の選択を知らせるため口を開いた。
「お姉さま! ダメじゃないの!」
背に主人を乗せた青い竜――シルフィード――はぷりぷりと怒りながら首を横に振った。
「もう! あの吸血鬼が本当にいい奴かもわからないのに!
ほいほい言うことを信じてしまうなんて、呆れるのね! きゅいきゅい!」
結局。タバサは彼の言うことを信じて、エルザを託したのだ。
あの占い師の親子が吸血鬼だった、と村長をはじめ村人には説明した。
親子には申し訳ないが、そう説明するのが一番簡単だったからだ。
「おじいちゃん、今までありがとう」
エルザは、ぎゅっと村長の首に抱きついた。
彼女は厚手のローブをまとっていた。日に当たらないためだ。
「彼女のことは、私が面倒を見ます」
エルザの親戚の振りをした男は、エルザを抱えると去っていった。
「彼の……『ストレイツォ』の目は嘘をついていなかった。信用できる」
本を読みながら、タバサはこともなげに答える。
彼らは、これからアルビオンを目指すのだという。
あそこでは戦争をやっている。人の血に不自由はしないだろう。
吸血鬼の力があれば、そうそう死ぬこともあるまい。
「きゅいきゅい。本当、お姉さまったらお人よし!」
未だに腹を立てるシルフィードへ向けて、ペットショップが鳴く。
どうやら、主の選択を非難する彼女を咎めているようだ。
「うう、わ、分かってるのね。お姉さまがお人よしだったから、
あんなことになってたシルフィも助かったのね。
まったく、ペットショップのお兄さまったら手厳しいですわ、きゅいきゅい」
風韻竜であるシルフィードは、伝説旧の奇特さ故に竜と認識されず、
暴走したガーゴイルとして扱われ、倒されそうになったのだ。
それを、タバサがかばい、今ではすっかりお姉さまと慕うようになったのである。
なお、ペットショップよりタバサとの付き合いは長いが、彼の眼光に負け、
以降、彼のことはお兄さま、と呼んでいる。
「……ふーんだ。シルフィ、本当のことを知ってるからいいんですわ」
すねたように、シルフィードが呟いた。
「あの人、人間の目から見ればとっても整った顔立ちをしてらっしゃいましたよね」
ぴくり、とタバサが身を震わせる。
「お姉さまったら、『面食い』でいらしたのねー、きゅいきゅい」
「違う」
タバサは否定する。
「違わないのね~お姉さまは面食い~る~る~るる~」
からかうように、シルフィードが歌う。
その頭を、タバサは杖で小突いた。
「あ、痛い、本当のこと言われたから怒ってるのね!」
「違う」
「違わない」
「違う」
言い争いを始めた二人を、ペットショップは眺め、退屈そうに欠伸をした。
まあ、こんな穏やかなのも、悪くは無いな、と思いながら。
一人と一頭と一羽の賑やかな空の旅だった。
背に主人を乗せた青い竜――シルフィード――はぷりぷりと怒りながら首を横に振った。
「もう! あの吸血鬼が本当にいい奴かもわからないのに!
ほいほい言うことを信じてしまうなんて、呆れるのね! きゅいきゅい!」
結局。タバサは彼の言うことを信じて、エルザを託したのだ。
あの占い師の親子が吸血鬼だった、と村長をはじめ村人には説明した。
親子には申し訳ないが、そう説明するのが一番簡単だったからだ。
「おじいちゃん、今までありがとう」
エルザは、ぎゅっと村長の首に抱きついた。
彼女は厚手のローブをまとっていた。日に当たらないためだ。
「彼女のことは、私が面倒を見ます」
エルザの親戚の振りをした男は、エルザを抱えると去っていった。
「彼の……『ストレイツォ』の目は嘘をついていなかった。信用できる」
本を読みながら、タバサはこともなげに答える。
彼らは、これからアルビオンを目指すのだという。
あそこでは戦争をやっている。人の血に不自由はしないだろう。
吸血鬼の力があれば、そうそう死ぬこともあるまい。
「きゅいきゅい。本当、お姉さまったらお人よし!」
未だに腹を立てるシルフィードへ向けて、ペットショップが鳴く。
どうやら、主の選択を非難する彼女を咎めているようだ。
「うう、わ、分かってるのね。お姉さまがお人よしだったから、
あんなことになってたシルフィも助かったのね。
まったく、ペットショップのお兄さまったら手厳しいですわ、きゅいきゅい」
風韻竜であるシルフィードは、伝説旧の奇特さ故に竜と認識されず、
暴走したガーゴイルとして扱われ、倒されそうになったのだ。
それを、タバサがかばい、今ではすっかりお姉さまと慕うようになったのである。
なお、ペットショップよりタバサとの付き合いは長いが、彼の眼光に負け、
以降、彼のことはお兄さま、と呼んでいる。
「……ふーんだ。シルフィ、本当のことを知ってるからいいんですわ」
すねたように、シルフィードが呟いた。
「あの人、人間の目から見ればとっても整った顔立ちをしてらっしゃいましたよね」
ぴくり、とタバサが身を震わせる。
「お姉さまったら、『面食い』でいらしたのねー、きゅいきゅい」
「違う」
タバサは否定する。
「違わないのね~お姉さまは面食い~る~る~るる~」
からかうように、シルフィードが歌う。
その頭を、タバサは杖で小突いた。
「あ、痛い、本当のこと言われたから怒ってるのね!」
「違う」
「違わない」
「違う」
言い争いを始めた二人を、ペットショップは眺め、退屈そうに欠伸をした。
まあ、こんな穏やかなのも、悪くは無いな、と思いながら。
一人と一頭と一羽の賑やかな空の旅だった。