ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロいぬっ!-98後編

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匿名ユーザー

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「ふう……」
ようやく屋敷の手前に差し掛かり、ここまでの疲れが出たのか、
女性は手に持った荷物をどさりと地面に下ろした。
汗だくになった額を袖で拭い、曇った眼鏡を拭き直す。
王都トリスタニアから最寄の駅まで馬を走らせ、そこからは荷物を抱えての徒歩。
女性の一人旅にしては優雅には程遠い、かなり過酷な旅だったと言えよう。
王都までの道程も人任せとはいえ荷馬車の乗り心地はあまり良いとは言えない。
ましてや舗装など碌にされていない辺境なのだから、その労苦は推してしかるべきだろう。
腰が痛む度に、伯爵へのお土産として受け取ったワインを投げ捨てようかと何度思った事か。
奇跡的に生き残ったワインを抱えて女性は屋敷ではなく、そこから少し道を外れた。

屋敷の傍らにある林の中、燦々と降り注ぐ日差しを緑のカーテンが遮って薄く影を落とす。
一応管理はされているものの、手入れをする人手も資金もなく放置された荒地。
かろうじて道と判るそれを雑草を踏み分けながら彼女は歩む。
辿り着いたのは、木々に囲まれた一際拓けた空間。
その中央には彼女の背の数倍はあろうかという石碑が建っていた。

そこに綴られているのは、これまで貴族の名門モット家が歩んできた足跡。
初代から始まり、上に書かれた文字ほど掠れて読み取れない。
無論、記録として残されている都合のいい事ばかりだけで
高級貴族として地位を確保する為に張り巡らせた謀略や奸計には触れられていない。
ジュール・ド・モット伯爵に関しても女癖の悪さや惚れ薬と窃盗の件も記されず、
ただ一言『タルブ戦において兵を率いて勇敢なる活躍をせり』とあるだけだった。
モット伯の秘書である彼女は石碑にワインを置くと恭しく頭を下げた。

「伯爵様。タルブへの巡業よりただいま戻りました」

それは戦場から戻ってきたモット伯の指示によるものだった。
施療院の簡素なベッドに横たわり、自身の待遇に不平を唱えるでもなく、
急にそんな事を言い出した主に彼女は目を丸くした。
自分の死期を察し犯した罪業の重さに後悔を感じたのだろうか。
今更、善行を積んだとしても彼の罪が消える事はない。
そんな打算で開くほど天国の門扉は軽くはない。
しかし、それでも間際の安らぎになるのならと彼女は了承した。
専用の馬車もなくタルブとの往復だけでも重労働だったが、
復興を遂げていく自然豊かな村とそこに住まう人々に触れて学んだ事、
そして絵本を心待ちにしている子供たちの笑顔は何よりの報酬だった。
そこだけは主に感謝しなければならないのだろう。

「いつまでそうしているおつもりですか」

眼前に立つ石碑に向かって彼女は問いかける。
しかし、返ってくるのは木々のざわめきと鳥の鳴き声だけ。
静寂の中で彼女は再度、力強く詰め寄る。

「もう十分お休みになられたでしょう。
いいかげんにしないと職務怠慢で処罰を受けますよ」
「何を言うか。私はもう一生分働いた、だから後は好きにやらせてもらう」
「そんなのは認められません。人は汗を流して働くからこそ、その日の糧を得られるのです。
何もしないで食事にありつこうとするのは始祖と神への大逆になります。
人には愛を。罪には罰を。労働には対価を。ついでに今月の給料もまだじゃないですか」

反論する主に、ちっちと人差し指を左右に振りながら澄まし顔で答える。
つらつらと並べ立てられる説教にモット伯は嫌気が差したように本へと視線を落とす。
徹底してサボタージュを決め込む主人の姿に秘書は深く嘆息した。
“目つきの悪い天使にあの世から叩き出された”との言葉どおり、
モット伯は致命的な傷を負いながら奇跡的な回復を遂げて施療院から出てきた。
しかし、とある事件により王宮に愛想を尽かしたのか、
体調不良を理由に、仕事もせずにこうして本を読んで日々を怠惰に過ごしていた。

「ここも見つかったとなると、どこにも逃げ場はないな」
石碑の影に隠れながらモット伯はぽつりと呟いた。
仕事もしないで屋敷にいるとジャベリンの如き冷たさと鋭さの混じった秘書の視線が飛んでくるので、
気の休まる場所を見つけて読書に耽っていたというのに、今では秘書とのかくれんぼだ。
まあ逃げ場もなくなったようなので、この辺で降伏すべきだろう。
ぱたりと本を閉じて、モット伯は両手を上げて秘書の前に歩み出る。
抵抗を諦めた捕虜の姿に、有能なる敵指揮官は腕を組んでうんうんと頷く。

「よろしい。貴殿の賢明なる対応に免じ、食事は一日3回差し入れよう。
豆のスープと固くて噛み切れないパン1個、虚無の曜日には代用肉を」

上機嫌で遊びに興じる秘書の目がモット伯の持つ本に留まった。
表紙に絵が描かれたその装丁から彼が読むには珍しく絵本だと分かった。
その視線に気付いたモット伯は手を下ろして本を開く。

「ああ、これか…。これは例の絵本だよ、ミスタ・コルベールに協力してもらった」

その言葉に秘書は静かに息を呑んだ。
少し前に、モット伯が作った一冊の絵本。
少女に命を救われた犬が彼女の為に奮闘するという、そんな何処にでもあるような御伽噺。
だが、“ある真実”を知る者にとっては決してありふれた話などではない。
挿絵の一枚、主人公である犬の絵に目を向ける。
口に剣を携えて巨大なゴーレムに挑む小さな犬の姿。
それは空想の世界の産物などではない。
実在し、そして存在を抹消された英雄の記録。

「こんな物を発行して大丈夫なんでしょうか?」
「なに、これはただの絵本だ。連中は絵本など読まんし、
気付いた頃に慌てて回収すれば真実だと知らせるようなものだ」
自慢の髭をいじりながら飄々とモット伯は答えた。
その楽しげな表情に秘書は“ああ、そういえば”と思い出した。
こと嫌がらせに関しては主人の右に出る者などいなかった、と。
ページを捲りながらモット伯は誰に言うでもなく呟いた。

「もしかしたら私と同じ様に考えた者が『イーヴァルディの勇者』を…」
「何かおっしゃいましたか?」
「いや、ただの独り言だ」

『イーヴァルディ』が存在したかどうかなど分からない。
頭の固い学者に言わせれば平民の夢物語と答えるだろう。
だが、その名と功績は伝説として今も語り継がれている。
彼は永遠となった。物語を通して人々に彼の勇気と優しさを伝え続ける。
それは、彼に助けられた誰かの切なる願いだったのかもしれない……。


ジュール・ド・モット
……タルブ戦での功績が認められるも、その後の職務怠慢により褒章を逃す。
辺境や山村を巡回して絵本を読み聞かせるなど平民の文学教育に貢献する。
死後、平民文学の開花への貢献から『平民文学の父』と称される。


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