ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロいぬっ!-97後編

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匿名ユーザー

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沿道に連なる人垣を抜けて、少し離れた民家の壁に寄りかかる。
ここから窺う観衆はまるで一つの塊の様で、先程の少年の靴先さえ見えない。
歓声は遠く、パレード見物に熱中する市民に彼の姿は映らない。
疎外感にも似た感情が込み上げるのを感じながら、それに彼は納得を覚えた。
この勝利はトリステイン王国のものであり、余所者である彼に向けられたものではない。
身体を斜に傾けながら天を仰ぐ。見上げる先は遥か彼方、そこにある故郷を思い描くように。

「異国の地にて故郷を想うか、私も今はそんな気分だよ」

不意にかけられた言葉が、上の空だった彼を地上に引き戻す。
どこか懐かしい、アルビオン訛りの混じった響きに彼は振り返った。
竜騎士隊隊長の瞳に映ったのは、かつての宿敵ボーウッドの姿。
彼等が顔を合わせたのは、これが初めてではなかった。
しかし顔と名前を知っているだけの繋がりに過ぎなかった。
そして、両者が互いを意識し始めたのは内戦が始まってから。
アルビオンとトリステイン、幾度となく二つの空で衝突を繰り広げ、
誰よりも相手の存在を知りながらも、こうして言葉を交わすのは初めてだった。

「すまない。誇りがあるのならば自ら命を絶つべきなのだろうが、
今もこうして生き恥を晒し続けている。無様と笑ってくれて構わない」
歴史に残る不名誉な奇襲を仕掛け、トリステイン艦隊ごと多くの人命を奪った。
たとえ命令された事であろうと実行したのはボーウッド自身。
そして彼の部下である竜騎士隊を壊滅寸前に追い込んだのも彼の采配だった。
“もしかしたら自分を殺すかもしれない”
そう分かっていながらボーウッドは彼を追ってきた。
彼に討たれるならばそれも本望だと心に決意を秘めていたのだ。
しかし返ってきたのは嘲笑でも罵倒でもなかった。

「生き恥は俺も同じだ。アルビオン王家に忠誠を誓っておきながら、
トリステイン王国に身を窶している。騎士を名乗るのもおこがましい」
「な……何を言うッ! それは全て―――」
「『全てアルビオンを想えばこそ』……それは貴殿も同様の筈だ」

突然の切り返しにボーウッドは思わず息を呑んだ。
自分を見つめる彼の真摯な眼差しは反論の余地さえ与えない。
しばしの沈黙の後、ボーウッドは黙って頷いた。

サー・ヘンリー・ボーウッドは生粋の軍人であった。
内戦の発端となった『ロイヤル・ソヴリン』号での反乱。
その時、彼は艦の乗員として任に当たっていた。
艦の指揮権は既に貴族派にあり、それを止める事など出来なかった。
無論、テューダー王家への忠誠を忘れたわけではない。
しかし彼は軍人であって政治家ではない。
独断で行動した結果、祖国に招くであろう混乱を恐れていた。
個人の考えだけで軍を動かす事の危険性を認識していればこそ、
命令に逆らうよりも従い、内戦を早急に終わらせる道を選んだのだ。
内紛が長期化し、疲弊し切ったアルビオンが他国に侵略されるぐらいならばと、
心を鬼にし貴族派の人間として数多くの同胞達を死に追いやった。

だが、その結末はあまりにも無残なものだった。
信じていた議会は暴走し、異議を唱える者は次々と粛清され、
そして無謀とも言える軍拡を続けた挙句、今度は外にまでその野心を広げていった。
一人になる度にボーウッドは心中で幾度も己に問い質した。
“彼等の犠牲は何だったのか”“こんな戦いに意味などあるのか”と。

「私は過ちを重ねすぎた。償うにはあまりにも大きな罪だ。
いや、何をして贖えばいいのかさえ判らないのだ」
奪った命の代償など存在しない、クロムウェルのように『虚無』の力でもない限りは。
どのような謝罪の言葉も死んでいった者達には届かないのだから。
まるで懺悔にも似た言葉を洩らすボーウッドに彼は独り言のように呟く。

「トリステインは建造中の新造艦を中心に艦隊を再編するらしい」
「……それはアルビオンへの侵攻を目的としたものかね?」
「恐らくは。ただ、先の戦いで多くの空軍士官を失った彼等には、
艦隊を運用する人材も、それを鍛える時間も無いのは確かだ。
乗員も魔法学院の学生など急遽掻き集めた新兵ばかりだ」

「そして、アルビオンも同様、艦隊と貴殿をはじめとする優秀な人材も失った。
だが旧式艦ばかりとはいえ残存艦艇数だけならトリステイン・ゲルマニア連合軍に匹敵する。
アルビオン上陸戦では数と数をぶつけ合うだけの消耗戦が繰り広げられるだろう」
「それに手を貸せと言うのか、祖国を侵攻せんとするトリステイン艦隊に!
今一度この手を同胞の血で汚し、罪で罪を洗い流せと言うのかッ!」
激昂したボーウッドが彼の襟首を掴んで引き千切らんばかりに吊り上げる。
血走らせた彼の目を真っ向から見据えて竜騎士は頷く。
彼の憤慨を理解しながら、それでも冷酷に徹して彼は続ける。

「クロムウェルは倒れ、艦隊もその大多数を失った。
もはや神聖アルビオン帝国には当初の戦意など残されていない。
次の戦いで連合軍が圧倒的な勝利を収めれば講和に応じざるを得ない。
連合軍とて未だに何万もの兵を擁する地上軍との全面的な対決は避けたいはずだ」
より多くの命を救う為ならば多少の犠牲はやむを得ない。
騎士の、噛み締めた唇から赤い雫が線となって伝う。
空の大陸を祖国とする彼等にとっては手足をもぎ取られるにも等しい苦痛だ。
既に戦争を避ける手段は残されていない。
ならば一人でも多くの命を救う事だけを考えるべきだ。
彼の胸中を余す所なく理解したボーウッドが襟首から手を離す。
よろめくように壁に背を預け、来た時の彼と同様に天を仰ぐ。
「軍人になってから覚悟していたつもりだった。
だが今頃になってようやく気付いたよ、……命とは重い物なのだな」
「ああ。俺も死の間際まで判らなかった」

遠くに聞こえる喧騒を耳にしながら二人は沈黙を保った。
その静寂を打ち破ったのはどちらでもなく、こちらに近付く複数の靴音だった。
見れば、傭兵と思しき数人の男達が彼等の周りを取り囲んでいた。
穏やかではない空気の中、一回り長身の傭兵が口を開く。
「サー・ヘンリー・ボーウッド卿と、アルビオンの竜騎士隊長殿に相違ないな?」
確信を持って放たれた言葉に二人は頷いて肯定を示す。
誤魔化せるような状況ではないと判断したのだ。
彼等の返答に笑みを浮かべると、その男は背を向けて歩き始めた。
「少し付き合ってもらいたい。なに時間は取らせませんので」
それに従い、ボーウッド達は後ろから男に付いて歩く。
男の言葉は要請ではなく強制だと彼等は察していた。
振り返れば、退路を塞ぐように数人の男が彼等の背後についていた。

ボーウッドは彼等の目的を大体予想できていた。
恐らく人目に付かないところまで連れて行き、集団でリンチを加えるのだろう。
捕虜になったとはいえ、彼等の恨みが消えたわけではない。
むしろ、手を下す事さえ出来ずに歯痒い思いをしていたに違いない。
そこに監視も付けずに無防備に歩いていれば、こういう結果になるだろう。
視線を隣に移せば、竜騎士は自分の杖に手をかけていた。
それに手を当てて静かにボーウッドは首を振る。
無駄な血を流す必要はない、これ私の責任だ。
罪を犯した者は相応の罰を受けねばならない。
捕虜となった以上、命の危険はない。
ならば彼等の気の済むまで殴られてやろうと覚悟を決める。

「着きましたぜ」
案内されるがままに辿り着いたの一軒の酒場だった。
二階建ての上の階を宿とする典型的な造りで、
上品さの欠片もない、いかにも傭兵が好みそうな店だった。
店内に足を踏み入れる男にボーウッド達も続く。
そして、目にした光景に思わず彼等は息を呑んだ。
そこは正に兵士達の溜まり場だった。
決して狭くはないホール内に、まるで敷き詰められるように屈強な男達が屯する。
傭兵ばかりではない、休暇を与えられたであろう正規兵の姿も見受けられる。
その中にはトリステイン艦隊の生き残りもいるだろうとボーウッドは視線を落とした。
「連れてきましたぜ、ニコラの旦那」
「ありがとよ。おまえも席に着いてな」
男と入れ替わるように日焼けした浅黒い肌の傭兵が立ち上がる。
体格でいえば先程の男とは比較にならないが、保つ空気が貫禄を感じさせる。
呆然と立つ二人に近付き、杯を手渡してワインをなみなみと注ぐ。
それが終わると今度はホールに振り返り全員の手に杯があるかを確かめた。
やがて満足げな笑みを浮かべると彼は杯を天に掲げた。

「戦友に!」
そして唐突に叫び、一息にその中身を飲み干した。
「戦友に!」「戦友に!」「戦友に!」
彼に続くように次々と兵士たちも歓声を上げてワインを呷る。
突然の乾杯に驚く二人を余所に、彼等は杯を空けていく。
直後、ボーウッドの杯を持つ手が震えた。
自分がここに呼ばれた理由、言葉の意味に気付いたのだ。
あの杯はアルビオンもトリステインもなく捧げられた。
戦いで死んでいった両国の兵士、戦友であった者たちの鎮魂の為に。
さらには、戦いを終えて生き延びた者全てを戦友と呼び合い、
今この瞬間に酒を酌み交わせる事を至上の喜びとして祝杯を挙げた。
ホール中の人間の注目が集まる中、ボーウッドも杯を掲げる。
「戦友に」
言い終えると共に彼は喉の奥にワインを流し込む。
その飲みっぷりの良さに、酒場から割れんばかりの拍手が響いた。

(……見ておられますか、陛下)
竜騎士隊長は込み上げる涙を堪える事が出来なかった。
頬を伝う涙が杯の中に零れ落ちて波紋を呼ぶ。
貴族派も王党派も他国の兵士さえも肩を並べて笑い合う。
その姿が昔日のニューカッスル城の大ホールと重なる。
軍服を纏ったウェールズが告げた言葉を昨日の事のように思い出す。
“パーティーを延期して貰いたい! しばしの間、我等がこの手に勝利を収めるまで!”

(陛下。時間はかかりましたが、ようやくパーティを再開できました)
豪華な食事も高価なワインもなく寂れた酒場の片隅で、
彼もボーウッドに倣うように杯を持ち上げた。
ウェールズ陛下に『イーグル』号副長、竜騎士隊の隊員と五百人の仲間、
そしてトリステインから来た使者の少女たちと使い魔を思い浮かべて彼は高らかに告げた。

「我等が誉、偉大な戦友たちに乾杯!」


それとほぼ同時刻。パレードに沸き返る城下町からやや離れた豪奢な屋敷、
そのサロンでもささやかな祝宴が挙げられていた。
もっとも小規模なだけであって振る舞われる料理やワインは最高級品、
そして出席する貴族達も誰もが一度は耳にしたことがある有力貴族ばかりであった。
彼等は口々にアンリエッタへの不満を募らせる。
「全く、姫殿下には困ったものですな。我々が穏便に解決しようとしているのに臆病者だなどと……」
「その通り。勝ったからいいものの、あれで敗れていればどうなっていたか」
中には会議でアンリエッタに罵倒された者たちもおり、さらに怒りを滲ませる。
そんな彼等を宥めながら屋敷の主は微笑さえ浮かべて彼等に告げる。
「だが我々は勝利しました。アルビオンはもはや脅威ではない。
彼等から奪い取った領土は我々に新たな富を齎してくれるでしょう。
それに戦争に備えるという名目で増税する事により平民どもからも搾取できる」
まるで舞台の上で演ずるような身振りで、大仰に語る男の言葉に貴族たちは歓声を上げる。
しかし、その中の一人が若干不安の混じった声で本音を吐露する。
「消耗としているとはいえ、敵はあの軍事大国アルビオンだぞ。
果たして、あの怪物抜きで確実に勝てるという保証はあるのか……?」
その言葉に動揺したのか、互いの顔を見つめ合ってざわめき始める。
観衆の反応の良さに酔い痴れていたにも関わらず、
思わぬ邪魔が入った男は不満を露にしながら語気を強めた。
「何を言われるか! 連合軍の総戦力はアルビオン軍など遥かに凌駕している!
あのような不愉快な畜生の手を借りずとも竜が蟻を踏む潰すかが如しだ!」
「そうですぞ! 大体、奴はもうハルケギニアには存在しない!」
屋敷の主に同意するように喧々囂々と弱気になった男を詰る声が響く。
それに気を良くした主が再び襟を正して訂正を加える。

「いや、ここは“存在さえしていなかった”と言うべきでしょうな」
ミス・ヴァリエールの使い魔。犬の姿を装った怪物は記録の上でも、その存在を抹消された。
各国の非難を避ける目的で、彼等は全ての証拠を根こそぎ隠滅した。
だが、それは自分たちの保身を図る為だけではない。
敵であろうと貴族は始祖に連なる血筋の、選ばれた存在だと彼等は確信していた。
貴族とは絶対的な存在として君臨しなければならないとする彼等が、
まるで紙屑を千切るかのようにメイジを蹴散らすバオーの存在を容認できるはずもない。
魔法も使わず、それ以上の力を行使する怪物は、彼等にとってアルビオン以上の敵だった。
そしてアルビオンではニューカッスル城を包囲する大軍を撃退し、
タルブでは艦隊に大打撃を与えた上に、あのトリステイン最強のワルド子爵を倒すという、
決して無視できない戦果を上げ、さらにその脅威を強めた。
「あのままならば使い魔に爵位を与えねばならぬ所でしたな」
「そうなったら我等は犬と同列か。平民どもの物笑いの種だな」
冗談めかして誰かが言った言葉に爵位を持つ貴族が心底嫌そうな表情を浮かべる。
この中の誰一人として命を捨てて戦った彼に恩義を感じる者はいない。
大袈裟な振る舞いで屋敷の主は声を張り上げる。
「アルビオンも! 怪物も! 我等を脅かす者は全て去った!
さあ祝杯を挙げようではないか! 我々の輝かしい未来に!」


トリステインの国境よりおよそ千リーグ離れた内陸部に位置するガリアの王都リュティス。
その東の端に存在する壮麗な宮殿、ヴェルサルテイルの中心『グラン・トロワ』の玉座。
そこに鎮座するガリア王ジョゼフは退屈そうに杯を満たすワインを左右に揺らしていた。
やがて、それにも飽きたのか、傍らに置いてあった人形を手に取り語りかける。
「ミューズ、余のミューズよ。この退屈を紛らわせる楽しい話を聞かせてくれ」
その奇行に小姓たちは怪訝な表情すら浮かべず、ただ無表情を貫き通す。
もはや日常と化した異常な言動に一々反応する者など、この宮殿にはいない。

「報告いたします、我が偉大なる主ジョゼフ様」
その声を発したのは手にした人形ではない。
ましてや宮殿に人の声はなく、ただジョゼフの頭の中に響くのみ。
それは遠くトリステインの地にいる彼の使い魔シェフィールドとのルーンを介した会話。
他の誰にも聞こえない従者の言葉にジョゼフは耳を傾ける。
「トリステインは新造艦を中心に戦力を増強し、アルビオンに攻め込む姿勢を見せております」
彼女の言葉を耳にしてもジョゼフは表情を変えなかった。
そうなるように仕向けたとはいえ、あまりにも予定通りで面白みに欠けたのだ。
かといって自分の思惑通りにいかないのも腹立たしい。
この子供のような性格をジョゼフは自覚した上で“難儀なものだ”と自嘲する。

「全ては我が主の思惑通りに。全ては我が主の手の中に。
まさか、この戦いが全て『虚無の少女』を覚醒させる為の茶番だったとは、
アルビオンもトリステインも思いもしないでしょう」
それは恐怖か、それとも歓喜だったのか、
シェフィールドは身体を震わせながら己が主を讃えた。
『虚無』を目覚めさせるのに必要なのは、爆発的なまでの激しい感情。
ワルドもバオーもそれを引き出す為の生贄にすぎなかった。
少女と親しい関係にあったワルドを裏切らせ、様々な手段で彼女の心を傷つけたのもその為。
さらにはアルビオン艦隊という脅威を突き付け、『虚無』の力に頼らざるを得ない状況を作り出した。
この世界に運命を繰る神が居たとしても、我が主の足元にも及びはしないだろう。
「ミューズ、それは少し違うな」
感慨に耽っていた彼女をジョゼフの失望混じりの声が引き戻す。
冷たく言い放たれた言葉に、シェフィールドは死より恐ろしい恐怖に駆られた。
彼女にとって死を命じられるよりも恐ろしいのは、ジョゼフに見捨てられる事だ。
何が気に障ったのかを思案しながら彼女は主に謝罪しようとした。
しかし、それを遮るようにジョゼフは平然と呟く。
「余の目的は戦争を引き起こさせる事だ。『虚無』など連中をその気にさせる餌に過ぎん。
いや、戦争さえも手段だ。余はなハルケギニア全土が悲哀と憎悪で満たされるのを見たいのだ。
その最も効率的な方法が戦争であって、それ以上の物があるというならそちらを選ぶ」
狂気に満ちた主の返答に、シェフィールドの身体が再び打ち震えた。
彼女は確信した、この感情は畏怖だと。
王などという器で収まるような人物ではない。
己の意思一つで世界さえも揺るがせる、そんな彼に仕える歓喜が彼女を満たす。
彼女にとってジョゼフは神にも等しき存在であった。
「ミューズ、もう一度聞かせてくれ。タルブに血は流れたのか?」
「はい。斜陽で大地が赤く染まるように」
そうか、と嬉しげに答える主の声にシェフィールドは狂喜しそうになった。
彼を喜ばせられるのならハルケギニア全ての人間が犠牲になろうと構わない。
見下ろした先には、観衆に盛大な歓声で迎えられるパレード。
彼女らは知らない。自分達が誰かに操られているなどとは露にも思っていない。
(さあ踊りなさい人形達。互いに殺しあって我が主を楽しませるのです)
まるで人形を繰るかのようにシェフィールドは指を動かす。
この世界は舞台だ。彼女の主人であるジョゼフを喜ばせる為だけの舞台。
最高の悲劇を演出する為だけに全ての人間は存在し、与えられた役をこなす。
幕が下りた瞬間、舞台に役者が残っているかどうかなど彼女にはどうでもいい事だった。

その後、報告を続けるシェフィールドにジョゼフはふと訊ねた。
「盗まれた『アンドバリの指輪』だが、その行方はどうなった?」
「はい。“土くれのフーケ”を名乗る盗賊が保有しております」
「ふむ。クロムウェルに代わる“道化”だが、一つ面白い趣向を思いついた。
急ぐ話ではないが、機があるようならば取り戻せ」
悪戯を思いついた子供のように、ジョゼフは楽しげに笑みを浮かべる。
気を良くした彼の間隙を縫ってシェフィールドは疑問を口にした。
「それと例の使い魔の件ですが、あれでよろしかったのでしょうか?
必要とあれば残された証拠を使いトリステインを糾弾する事も可能ですが」
「ミューズ、余計な手出しは無用だ。あれはただの嫌がらせなのだからな」
珍しく自分の意見する従者にジョゼフは愉快そうに言い放った。
彼にはトリステインを混乱させる意図など毛頭なかった。
主の真意を掴めずにきょとんとしてシェフィールドは聞き返す。
「嫌がらせ、ですか?」
「そうだ。自らの手で使い魔の存在を抹消させる。
ただ、それを連中にやらせたかっただけだ」
シェフィールドの言うように全ては彼の思惑通りだった。
しかし、この戦いでの被害は想像していたものには程遠かった。
薄汚い傭兵どもの一方的な虐殺を目にした使い魔は人間に絶望したはずだった。
ニューカッスルを再現するように、タルブでも力の限りに殺戮を繰り広げてくれると期待していた
だが何を思ったのかは分からないが、奴は力を抑えて被害を最小に抑えたのだ。
そして、虚無の少女もまた同様に“虚無”を発動させながらも人を殺さなかった。
婚約者に裏切られ、騙され、傷付けられ、使い魔さえも殺されれば殺意に目覚めると考えていた。
もし“虚無”が艦内の人間を対象に発動していればタルブは地獄と化していただろう。
生き残ったアルビオンの兵士は恐慌状態と化してトリステイン軍に雪崩のように押し寄せ、
もはや互いに全滅させるより他に収拾のつかない事態に突入していた。
しかし、そのジョゼフの野望は脆くも虚無の主従によって打ち砕かれた。
彼女たちは黒幕の存在も知らないままジョゼフに一矢報いていた。
だが、それが彼の不興を買ってしまった。
“バオー”の情報を流布したのはルイズを追い込む為だった。
愛情を注いだ使い魔の存在さえも消し去らねばならない苦悩、それを彼女に与えたかった。
他に理由など無い。ただそれだけの、気まぐれによる思い付きだ。
「愛情か。俺には到底理解できんな」
一人呟くジョゼフに答える者は誰もいなかった。

シェフィールドとの会話が終わり、人形を戻したジョゼフが再び杯を手にする。
しかし、注がれた赤い雫を一滴も口にすることなく杯を倒す。
「タルブに血に染まった」
大理石の床に零れたワインがまるで鮮血のように広がっていく。
それを気に留めることなくジョゼフは小姓に杯を突き出す。
器に満たされるワイン。だが、それも飲まれぬまま床に捨てられた。
「だがまだ足りん。もっと、もっとだ」
小姓の手から瓶を奪い取り、その中身を全て床にぶち撒ける。
一面赤に染まったのを見届けて、ようやくジョゼフは満足げに笑みを浮かべる。
「この世界全てが悲しみで埋め尽くされれば、俺の心も悲しみで満たされるのだろうか」
ジョゼフの脳裏に浮かぶのは唯一人、彼に感情というものを芽生えさせた血を分けた兄弟の姿。
「そうすれば俺はまた泣けるのだろうか。シャルル、おまえを手にかけた時のように」


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