ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロいぬっ!-97前編

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匿名ユーザー

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授業と授業の合間にある休憩時間。
魔法学院の廊下を愛らしい少女が楽しげに歩む。
両手に抱えられているのは図書室から借りてきた本。
そこに綴られた物語を思い返し少女は心を震わせる。
尻尾のように二つに結わえた髪が小刻みに揺れ、
冒険譚に弾む彼女の心を表現しているように見えた。
返しにいくのを惜しみながらも新たな出会いに胸膨らませる。
―――今度はどんな物語が待っているのだろうか。

そんな空想の世界に身を浸していたのが悪かったのか、
それとも次の授業に遅れまいと慌てていたせいか、
突然目の前の部屋から飛び出した人影に彼女は反応できなかった。

「きゃ……!」

どすん、と鈍い音が響いて彼女は床に尻餅をついた。
予想だにしなかった衝撃に目を回しながらも、
抱えた本を落とさなかったのを確かめて安堵の溜息を漏らす。

ふと気付けば目の前に映る二本の足。
それで、ようやく自分が人にぶつかったのだと気付いた。
“ごめんなさい”と言おうとして彼女はその人物の顔を見上げた。

だけど、喉からは何も出てこなかった。

見たことがない服装に手に握りしめた剣。
なんでトリステイン魔法学院の女子寮に男の人、
それも平民がいるのか判らなくて私は困惑していた。
だけど声を失ったのは、そんな些細な事じゃなかった。

ただ、その人が怖かったのだ。
倒れている私にも気付かない程、その人は怒っていた。
悔しくて、悲しくて、だけど自分ではどうしようも出来なくて、
その感情を怒りに代えて吐き出さなければ壊れてしまうのではないか、
そう思えてしまうぐらい彼は思い詰めた表情を浮かべていた。


「どうする気だ、相棒」
「決まってるだろ! 姫様の所に行くんだよ!
そんなふざけた命令、俺が絶対に撤回させてやる!」

部屋から飛び出した才人にデルフが訊ねる。
帰ってきた答えはデルフが予想していた通りのものだった。
相棒の鬼気迫る様子は赴くというよりは殴り込みそのものだ。
恐らくは阻む者全てを薙ぎ倒してでも相棒は行くだろう。
それが彼に真実を明かしたくはなかった理由の一つでもある。

才人には許せなかった。
ルイズの使い魔だった“彼”はルイズの為、
トリステインの為、そして皆の為に命を捨ててまで戦った。
なのに、その活躍も存在した証さえも消されたのだ。
これが“彼”への報酬だとしたらあまりにも報われない。
それでは何の為に彼は死ななければならなかったのか。
実験動物として辛い日々を生きてきた彼には誰よりも幸せになる権利があった。
なのに、それを失ってまで守ろうとしたものに裏切られたのだ。
……まるで使い捨ての駒か何かのように。

全身を駆け巡るのは尊厳を踏み躙られた事への怒り。
才人にとって“彼”は今聞かされただけの存在だ。
だが、それを才人は我が身のように感じていた。
人間と犬の違いなど些細な物でしかない。
同じ主人の使い魔として。
同じ世界からの来訪者として。
そして、同じ少女を好きになった者として。

「止めろ相棒。アイツのやった事を全部無駄にしちまうつもりか」
「っ………!」

諭すかのようなデルフの言葉に才人は足を止める。
感情に突き動かされていた身体を理性が食い止める。
才人とて無知ではない。今がどんな状況かも理解している。
アルビオン侵攻を前にゲルマニアとの連合が崩れれば、
それこそトリステイン王国の存亡に関わる。
そんな事になれば彼の努力も全て水泡に帰すだろう。
他ならぬ才人自身の手によってだ。

噛み砕かんばかりに力を込められた奥歯が悲鳴を上げる。
その身に宿すガンダールヴの力があったとしても、
突きつけられた現実の前では彼は無力な少年に過ぎなかった。

(ありがとよ、相棒)

若さ故の短気かもしれないが、それでもデルフは彼の行動を好ましく思う。
彼は会った事もない、前の相棒の為に体を張ろうとしてくれた。
ただルーンだけで繋がった存在でしかない“彼”の為にだ。
自ら主を選ぶ事が出来ない剣の身として、彼等と巡り会えた幸運に感謝する。
願わくば、もう少しだけこの時間が続かん事を。

才人の視線が倒れた少女へと向けられる。
ルイズの一つ下の学年の子だろうか、彼女はひどく怯えた表情を見せる。
それに戸惑いながら、ふと窓ガラスに映る自分の顔に気付いた。
(ああ……無理もないな)
そこにいたのは才人も知らない自分の姿。
怒りを隠そうともせず周囲に撒き散らす獣。
こんな顔を見せたら、きっと目の前の少女と同じく、
戻ってきたルイズにも驚かれるな。
そしたらデルフが語った事もバレてしまう。
小さく、しかし深く呼吸をして才人は自分を落ち着かせる。

「ごめんな」

少女が言おうとした言葉が才人の口から零れる。
彼女も何かを言い返そうとしたが、震える喉につかえて声にならない。
部屋の中に戻っていく悲しげな背中を、少女は黙って見送る事しかできなかった。
辛うじて搾り出した声は扉の閉まる音に掻き消された。

扉を背にしたまま平賀才人は立ち尽くす。
俯いて悔しげに一人拳を震わせる相棒の姿。
彼の姿がかつてのルイズと重なって映る。
……いや、あの時はもっとひどかった。
仕方がなかったとはいえ、相棒を失った直後に今度は存在そのものを抹消されたのだ。

絶望に打ちひしがれた彼女の姿は見るに忍びなかった。
ギーシュやキュルケ達が心配しようとも部屋を出る事はなく、
首輪をぎゅっと握り締めて、ただ相棒との思い出が綴られた日記を繰り返し読んでいた。
泣く事も笑う事もなく、無機物のように成り果てた痛ましい姿。
もう二度と以前の彼女に戻る事はないのではないかとさえ思った。
―――もしかしたら相棒の後を追ってしまうのではないかとも。

『なあ、嬢ちゃん。今は無理でもいい。
だけどいつか相棒がいた事を思い出して笑ってくれ。
……アイツがやった事が無駄じゃなかった証としてさ』

デルフリンガーの声に応える者はなく、
誰にも届かぬ言葉が虚しく狭い室内に響き渡った。


ルイズが一人部屋に閉じこもった頃、
トリステイン王国は“奇跡の大勝利”に沸きかえり、
城下町であるブルドンネ街では戦勝記念パレードが行われていた。
聖獣ユニコーンに引かれたアンリエッタの馬車を先頭に、トリステイン王国の勇士達が後に続く。
一目彼女の姿を見ようと詰め掛けた観衆が狭い街路は元より、
通り沿いの建物の窓や屋上、果ては屋根の上にまで溢れる。

「アンリエッタ王女万歳! トリステイン王国万歳!」

口々に叫ばれる歓声と舞い散る花吹雪。
数で勝る軍事強国を相手にした大勝利に、民衆の歓喜の声は高まるばかりだった。
自ら戦場に立ち勝利を収めたアンリエッタ王女は『聖女』と崇められ、
その人気の後押しを受けて王の死後、空位であった女王への即位も決まった。
興奮する民衆の声援を受けながら馬車の中でアンリエッタは憂鬱な表情を浮かべる。
それに気付いたマザリーニが声をかける。

「姫殿下……いえ、もう女王陛下とお呼びですべきでしょうな。
そのような顔をなされては民も不安になりましょう。
王の責務は重大なれど一人で背負う必要はありませぬ。
微力なれど我等が全力で補佐いたします」
「……いえ、そうではないのです」

戴冠する事への不安はある。
一国の命運を預かるという責任は少女の肩に担うには重すぎる。
しかし、彼女は望んでその道を選んだ。
己の立場を自覚し背を向けるのを止めたのだ。
何度失敗してでもいい、前へ進もうと決めた。
まだ未熟かもしれないけれど女王の責務をやり遂げてみせる。
だが、力強く前途への一歩を踏み出そうとする彼女の心には一片の翳りがあった。

「ミス・ヴァリエールの使い魔のことですな」

マザリーニの言葉に黙ってアンリエッタは頷いた。
トリステイン王国でもごく一部の人間しか知らなかった“バオー”の情報。
それが突然ハルケギニア全土で公表されるという事態に彼等は何の対応も取れなかった。
決断を迫られる中、アンリエッタはバオーという存在の抹消を決めた。
それがどれほど自分の親友を傷つけるかは判っていた。
だけど国一つと引き換えには出来ない。
罪悪感に苛まれながら彼女は己の責務を全うした。

きっとルイズは私を許さないでしょう。
引け目のあった彼女たちを利用して戦場へと送り込み、
使い魔を死なせたばかりか、その功績さえも揉み消したのですから。

如何なる罰を受けようとも許される事ではない。
面と向かって罵倒された方がどれほど救われるか。
生きる気力さえも無くした彼女を見るのは、
どのような苦痛よりも耐えがたく辛いものだった。

「なればこそ笑顔で。民に元気な姿を見せるべきです」
「え?」
「過ぎた事は変えられません。
失われた命はたとえ始祖の御業とて戻らない。
だからこそ人はそれを尊いものと感じられるのです」

振り向いた先にいたマザリーニの姿にアンリエッタは戸惑う。
それは彼女を案じて苦言を呈する小うるさい老人ではなく、
前国王より託されたトリステイン王国を守る為に奔走する政治家でもない。
少女の告解を聞き遂げ、それに答える神父としてのマザリーニがいた。

「“彼”だけではありません。
タルブでの戦いで多くの者が命を落としました。
この勝利は彼等の犠牲の上に成り立っているのです」

武器を手に己の血を流し尽くして戦った英雄達。
しかし、この行列の何処にも彼等の姿は無い。
軍の共同墓地に埋葬されたか、
あるいはまだタルブの草原で朽ちた体を晒しているのかもしれない。
民衆の賞賛の声も永久の眠りについた彼等には届かない。

「散っていった者たちの為にも振り返ってはならないのです。
彼等が守ろうとしたものを生き延びた者が受け継ぎ、
過去は変えられずとも未来ならばと強く信じ、己の成すべき事を成す。
少なくとも私はそうしてきました、そしてこれからも……」

アンリエッタは彼の言葉に耳を傾けながら思う。
前国王が亡くなってから彼は何度、苦渋の決断を迫られたのか。
その決定により何人もの人間が不幸になったかもしれない。
多くの誹謗中傷が飛び交おうとも、それでもマザリーニは自分の責任を放棄しなかった。
その強さに、責任を負う立場となって初めてアンリエッタは気付いたのだ。

「生きる者の責務、ですか」

ポツリと呟き、アンリエッタは窓の外へと手を振る。
直後、ブルドンネ街は割れんばかりの喝采に包まれた。

「凄い熱気だな。これではまるで建国記念だ」

賑々しい凱旋の一行を中央広場の片隅で見ていたボーウッドが呟いた。
他のアルビオン軍の貴族達も同意するように頷く。
思わず口走った言葉だが、あながち的外れではない。
若き女王の即位は伝統に縛られたトリステイン王国に新しい風を吹き込むだろう。
それを証明するように、タルブ戦で活躍したアニエスという女性兵士が親衛隊長に抜擢され、
平民でありながら騎士として貴族の仲間入りしたらしい。
新興のゲルマニアならともかく格式に拘るトリステインでは考えられなかった事だ。

「まるで春の到来だな。いや、春風にしては些か強烈だったかな」

その隣で彼の友人である老士官が笑いながら大仰な仕草で声を上げた。
とても敗軍の将とは思えぬ態度に、傍に立っていた監視の兵が苦笑いを浮かべる。
まるで『これではどちらが捕虜か判らない』と言わんばかりに。
その様子にボーウッドをはじめ仲間の貴族達も頭を抱える。
しかし彼の相も変らぬ態度に幾分か救われたのも事実だ。

監視の目こそあるものの、杖を取り上げられただけで、
彼等は拘束もされず他の見物客同様に勇壮な行進を眺めていた。
捕虜宣誓を行った以上、その誓いを破る事は貴族にとって最大の汚名であり、
名誉に傷を付けるぐらいならば彼等は進んで自らの命を絶つ。
それを互いに理解しているからこそ捕虜宣誓は成り立ち、
貴族にはそれに相応しい礼を尽くした対応がされるという訳だ。

しかし、それは貴族だけで平民はそうはいかない。
念の為にボーウッドは近くにいた兵士に自分の部下の処遇について訊ねた。
兵士が言うには、反抗する者は少なく彼等には軍役か強制労働のいずれかが課せられるという。
暴動騒ぎも食事の心配もないと聞かされ、ようやくボーウッドは胸を撫で下ろした。
恐らく捕虜のほとんどは軍役に就く事を望むだろう。
幸い、と言うべきかどうかは判らないが。
アルビオン軍に当初の戦意は残されていなかった。
無理もない。艦隊を壊滅させたあの光を目の当たりにしたのだ。
そして何よりも大きかったのはクロムウェル議長の死だ。
神聖アルビオン共和国の総大将にして命を操る『虚無』の使い手であった彼の死によって、
アルビオンとトリステインの戦いの趨勢は決まったと言っても過言ではない。
後は最小の犠牲でこの戦争が終わってくれることを祈るだけだ。
―――今度は勝者の側ではなく、敗者の側として。

「見なよボーウッド。トリステインの『聖女』様がお通りになるぞ」

ホレイショに言われて視線を起こした先には、ユニコーンに引かれた絢爛たる馬車。
その窓から次期女王が手を振った瞬間、観衆の興奮は最大限にまで上りつめた。
背後に続く女性騎士も彼等に応えるように手を振る。
こちらも女王にこそ負けるものの、人だかりから盛大な歓声が上がった。
平民から貴族へと登りつめた彼女は民衆にとって大きな希望だ。
眩く輝いて見える彼女達を感慨深そうに眺めた後、老士官は口を開いた。

「そうか、いや実に素敵だ。彼女は栄光を掴み取ったのだな」
「どうしたんだ? まるで自分の事のような喜びようじゃないか」
「嬉しいに決まっているだろう。彼女が出世してくれなければ、
私は『大軍を率いながら平民の女性に負けた役立たずの無能者』として、
延々と後世に語り継がれてしまうではないか。そんなのはごめんだね」

口と頭が直結しているとも思える戦友の言葉にボーウッドは肩を竦めた。
素直ではないな、で聞きとれないほど小さな声で呟く。
武装と数において圧倒するアルビオン軍相手に奮戦した彼女達の活躍。
それが認められた事を本心では喜んでいるのだろう。
……この戦いでも多くの兵士達の命が失われた。
なればこそ讃えられるべき者に相応しい名誉をと切に願う。

ふと沸きかえる観衆へとボーウッドは視線を移した。
老若男女を問わずに盛り上がる中、彼はそこに一人の人物を見出した。
これは偶然か、それとも意図的な物かは判らない。
ただ、この機会を逃せば恐らく二度と再会する事はない……そんな気がした。
意を決しボーウッドは先程の衛兵を再び呼びつけた。

「すまない。少し外したいのだが構わないかね」
「残念ですが私の一存では何とも……」
「なに、今日は祭りだ。多少、羽目を外しても問題ないだろう」

そう言うとボーウッドは衛兵の手に金貨を握らせる。
それに衛兵の頬が緩むのを確かめ、
“君の同僚たちの分だ”とさらに数枚の金貨を積み重ねる。
衛兵も立場上そう言ってはいるがボーウッド達が逃げないと判っている。
礼は尽くしたつもりだが捕虜になってから不自由もあっただろうと衛兵は思い、
酒を飲むぐらいなら問題ないだろうと判断した。

「では我々一同、ご厚意に甘えさせて頂きましょう」

衛兵の笑みにボーウッドも笑みで返す。
そして何食わぬ顔で熱狂に沸く見物客に紛れ込んだ。
遠ざかっていく彼の背中を見送りながら衛兵は金貨を確かめた。

「……これは!? ボーウッド卿!」

直後、違和感に気付いた衛兵が声を上げた。
しかし既に彼の姿はなく、衛兵の声に振り返る者はいない。
再度、衛兵はまじまじと一枚の金貨を眺める。
通常の金貨とは少し違うが、純金で鋳造された立派な品だ。
恐らくは偽造したのではなく手違いで作られた物だろう。
ならば使っても大丈夫だろうと再び金貨を見やる。

「それにしても珍しいな。両方表の金貨なんて」

アンリエッタの馬車の後方、そこに付き従うようにアニエスはいた。
毛並みのいい白馬に跨り、騎士の正装を纏った彼女に女性達の黄色い声が浴びせられる。
彼女の凛々しい顔立ちは正しく一度は乙女が憧れる騎士そのもの。
厳つい顔つきに野暮ったい髭を伸ばした他の騎士は既に視界の外に追いやられている。
かつてはワルドをはじめとする衛士隊に向けられた視線は彼女に集中していた。
元々、城下町の警備を担当していたという地元意識も影響したのだろうが、
それでも話題の中心にあったのはアンリエッタ女王と彼女だった。
だが、当のアニエスは浮かない表情で馬を歩ませていた。

「…………はぁ」

思わず彼女の口から漏れる溜息。
直後、彼女の背中に大きな掌が叩きつけられた。
盛大な音と共に電流が走ったような痛みが背中全体に広がる。
じんじんと痺れる痛みを背中に感じながら落馬しそうになったのを必死に堪える。
「何をする!? 場を弁えよ!」
目に涙を浮かべながらアニエスは抗議の声を上げて振り返る。
しかし犯人を目にした瞬間、彼女の時間は停止した。

「いかんな。祭りの主役がそのような顔をしていて他の者が楽しめんぞ」

豪快に笑い飛ばしながら、そう言い放った人物の顔に彼女は覚えがあった。
そう。あれは王宮で行われた騎士の宣誓式の時だ。
立会いにマザリーニ枢機卿ら数名の高級貴族が居合わせ、
その中に彼の姿があったのをハッキリと憶えている。
トリステイン王国にあって最高の栄誉の1つとされる元帥の座にある名門貴族、
グラモン伯爵その人であった。

声も出せず、ぱくぱくと動くアニエスの口。
同じ伯爵でもモット伯とは比較にすらならない。
どれだけ違うかというとトカゲとサラマンダーぐらい。
無礼な態度を取れば、たちまちに騎士剥奪されてもおかしくない。
しどろもどろになる彼女の姿に、グラモン伯爵は毅然とした態度で伝える。

「親衛隊隊長と元帥ならば同格だろう。もっと胸を張りなさい」
「しかし、私には過ぎた名誉と……」
「確かに勇戦したとはいえ此度の戦いでの勝利だけでは不足かもしれん。
だが、任務に失敗したとはいえ内戦中のアルビオンに潜入し、
貴重な情報と一緒にヴァリエール家の三女を無事に連れ帰った。
これを評価に値する功績と認めた上で、信頼の置ける人物として女王陛下がお決めになった事だ。
我々は口を挟まんし、そのつもりもない。それとも何か不満があるのかね?」

自分に向けられたグラモン伯爵の眼にアニエスは押し黙った。
不満などある筈がない。一介の兵士から騎士、それも近衛隊の隊長にまで登りつめた。
一つずつ踏み出していこうとした階段を十段飛ばしで駆け上がったのだ。
討つべき仇はもはや手の届く場所にある。後は襟を掴んで引きずり倒し同胞の無念を晴らすのみ。
たとえ宮中で『成り上がり者』『身の程知らず』と呼ばれようと構わない。
そのような雑音や児戯にも似た嫌がらせなどどうでもいい。
私が生き残ったのは……そして今、私が生きているのは全て復讐の為。

ならば喜ぶべきだと分かっていながら私の心は晴れない。
それどころか向けられた歓声さえ叱責にすら聞こえてくる。
どうしてかなど、そんな理由なんて考えるまでもない。
この栄光は私が掴んだ物ではなく横から奪い去った物だから。
本当に讃えられるべき者は此処にはいない。
どこまで続くかのような凱旋の行軍。
その何処を探しても、あの小さな主従は存在しないのだ。

「『ここは自分が居るに似つかわしくない場所だ』……まるでそう言いたげだな」

心中を見透かされたアニエスが視線を落として俯く。
彼がアニエスの胸中を察する事が出来たのは経験者が故だった。
グラモン伯爵も元帥に昇りつめるまでに多くの戦友を失っていた。
ある者は撤退する部隊の殿を務め、また、ある者は生きて帰れぬ任務と知りながら笑って別れを告げた。
文字通り全てを国に捧げて戦った者達が忘れられていく中、
自分が元帥の地位にいていいのかと彼も葛藤していた時期があった。

「胸を張れ。大切な者を失ったなら尚の事だ。
彼等の意思を継ぐ者として、その生き様に恥じぬように誇れ。
想いを守り伝えていく事が出来るのは生き延びた者だけなのだからな」

厳しくも温かみを感じさせる声がアニエスの胸に響く。
傭兵として戦場を渡り歩いていた頃は仲間の死など気にも留めなかった。
元より彼女にとって仲間と呼べるのは炎の中に消えた村の皆だけ。
しかし、今は違う。彼女は気付いてしまった。
復讐だけを誓ったのに、今の自分にはかけがえのない者たちが出来てしまった事を。
そして、その内の一人を失ってしまった事に。

馬車の窓から覗く女王の手。
それに反応して観衆から地響きにも似た歓声が上がる。
彼女に倣い、アニエスも同様に沿道の民衆に手を振った。
アンリエッタにこそ及びはしないが、それでも盛大な祝福が彼女に向けられる。
それを真っ向から受け止めて彼女は決意した。
復讐は成し遂げる。だけどそこで終わりはしない。
生の続く限り、ルイズたちを見守っていこう。
今度こそ大切な者を失わないように私はもっと強くなる。

「いい眼だ。これからも公私ともにギーシュの事をよろしく頼む」
「はい! お任せください!」

顔を起こしたアニエスにかけられた伯爵の言葉。
それに快く応じた彼女にグラモン伯爵は笑みを浮かべて先を行く。
アニエスの瞳に映る大きくて広い背中。
彼はその背に多くの物を背負って前へと進むのだろう。
その姿が子供の頃に見た父親と重なって映る。
ふと彼の言葉を疑問に感じたアニエスが首を捻る。

「はて? 公私ともに、とはどういう意味だろう?」

彼女がこの言葉の意味を知るのは数週間後。
二人の仲を勘違いしたグラモン伯爵が用意した見合いの席での事だった。

「きゃー! アニエス様が私に手を振ってくださったわ!」
「何言ってるのよ! 私によ!」
「決めたわ! 私、兵隊に志願する! アニエス様のお傍で働くの!
ウチのボンクラだって務まるんですもの、きっと成れるわ!」

沿道の最前列でかしましい娘達がやんやと騒ぎ立てる、その後ろ。
そこには必死に背を伸ばして行列を見ようとする少年がいた。
父親の手伝いで城下町まで行商に来ていた彼は、
一生に一度あるかないかの大パレードを見ようと奮闘していた。
彼が住んでいるのは王都どころか碌に馬車も通らない田舎町。
この機会を逃せば次はないと確信していた。

しかし意気込んで沿道に乗り込んだものの人の波には逆らえなかった。
押され蹴飛ばされ何とか最前列近くまで来たがここが限界。
彼の眼に映るのは女性達の頭だけだ。
こんな事なら、なけなしの小遣いをはたいてでも、
テラスのある喫茶店に入れば良かったと後悔するも時既に遅し。
肉の壁に埋め尽くされて戻ろうにも戻れない。

最後の抵抗として、ぴょんぴょんとその場でジャンプを試みるが何も見えない。
その直後、着地しようとした彼の足が隣にいた男性の靴を踏みつけた。
あ、と思わず少年の口から声が漏れた。
見上げた視線の先には杖を差した屈強な青年の姿。
その袖から覗く白い包帯が戦争に参加していたことを雄弁に語る。

自分を見下ろす青年の眼に少年は完全に凍りついた。
パレードを見物する前に父親から受けた忠告を思い出す。
『戦争から帰ってきたばかりの兵隊は気が立っているから注意しろよ』
時にはそれで命を落とす事があるかもしれない、とまで脅かされていたのに。
周囲の熱気に当てられていた少年は今の今までそれを忘れていたのだ。
興奮が急速に醒めていき、彼は自分が置かれた状況を怖いぐらいに実感した。

自分に向けられる青年の腕に少年は耐え切れず目を瞑った。
ゆっくりと体が持ち上げられていく感覚。
ここから地面に叩きつけられるか、それとも殴られるのか。
いや、相手はメイジだからそんな程度で済まされるわけがない。
恐怖に耐えかねた少年が目蓋を開いた瞬間―――。

世界はそこに拓いていた。
花吹雪が舞い散る中、勇壮な衛士や騎士たちが列を成し悠然と行進する。
彼等を讃える凱歌が響き、割れんばかりの声援が大気を揺らす。
豪華な意匠をこらした馬車が聖獣ユニコーンに引かれていく。
その護衛には平民から騎士になったアニエスという凛々しい女性騎士。

少年は興奮を抑えきれず、思わず息を呑んだ。
絵本の中でさえ見た事がない、夢のような光景が広がっていた。

邪魔をする人の壁はなく、眼下に彼女らの頭が見えるだけ。
ふと隣に目を移せば、そこには先程の青年の姿。
自分が居たのは他ならぬ彼の肩の上だった。
慌てて降りようとした少年に彼は問いかける。

「ちゃんとその眼に焼き付けたか?」

彼の問いに頷きながらも少年は惜しむように行進を見やる。
その姿に青年は込み上げる笑みを堪えられなかった。
肩に担いだ少年は、かつての自分だった。
王都で見た英雄達の行進が今も目蓋に焼き付いている。
『烈風』と呼ばれた騎士の姿を目にし、その背を追おうと決めたあの日を。

「ねえ、僕も騎士に成れるのかな」

だから少年が言い出す言葉も分かっていた。
同じ事を言って叔父に笑い飛ばされた過去の記憶が過ぎる。
ましてやメイジでもない平民が騎士になるのは並大抵の苦労ではない。
アニエスとて内戦中のアルビオンに赴き、苛烈な戦場を乗り越えて掴んだものだ。
一時の憧れで辿り着けるような生易しい場所じゃない。
だから少年の体をポンと叩きながら答える。

「成れるかじゃない、成るんだろう?」

その答えに少年は満面の笑みを浮かべ大きく頷いた。
憧れを捨てずに歩き続ければ、いつかはその背中に追いつける。
―――そうやって俺は此処まで来たのだから。

去っていく青年の背中を少年は見送った。
目に焼き付けたのはパレードではなく彼の背中。
傷を負いながらも戦い、誰からも讃えられずに去っていく。
その姿が誰よりも騎士らしく彼の目に映っていた。


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