ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

DISCはゼロを駆り立てる-05

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匿名ユーザー

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薄く目を開けて眠りから覚めたルイズは、今日もまた屈辱と虚構にまみれた一日が始まるのだと知って、魂を搾り出すような溜息を吐いた。
顔を洗いたいけれど、私は魔法を使えない。だから空っぽの桶を満たすには、平民と同じように広場の隅にある井戸まで行かなければならない。
暗鬱とした泥のような感情が噴出し、ベッドが底なし沼と化して体を飲み込んでいくように思われた。
息が詰まって胸が苦しくなり、ズキズキと胃を絞り上げられるような痛みが体内で暴れる。
無数の金属片を擦り合わせるような不協和音が頭の中で響き、ルイズは小さく唸りながら膝を立てて顔を埋めた。

不甲斐ない自分への怒りが、努力が実らない苛立ちが、常にルイズの傍らには存在している。どれだけ振り払おうとしても、それは絶対に消えはしなかった。
黒い炎に絶え間なく身を焼かれ続けている。その燃料は己自信の魂と肉の一部であり、歩んできた人生であり、また運命でもあった。
逃げられるはずも無い。この命ある限り、逃げ場はどこにも無い。
ルイズは死刑執行台に上っていく囚人のように、のろのろと時間をかけて身支度を整えた。

「おはよう、ルイズ」

平民のように鍵使ってドアを施錠していると、ルイズがこの世で自分の次に憎んでいる人物の声が聞こえてきた。
彼女はゲルマニアからの留学生。優秀な火のトライアングルメイジにして、ルイズのライバルでもあるキュルケだ。
相変わらず豊満に実っている胸を、ボタンを必要以上に多く開けて見せびらかしている。
酷すぎる自己嫌悪によって吐き気が込み上げ、筋肉が痙攣して喉が裏返りそうになった。それでも顔だけは平常を維持できるのが、ルイズの仮面の暑さを物語っている。
私には無い魔法の才能。私には無い女らしい体つき。私には無い女としての魅力。でも彼女は全てを持っている。それも当然のように、だ。

「それにしても、寂しくなるわねえ。ルイズともこれでお別れか」

「……? なにを、言っているのよ、ツェルプストー」

自分の惨めさに押し潰されそうになったルイズは、なんとかそれだけは言い返した。口喧嘩では勝てないと分かっていても、どうしても構わずには居られない。
胃酸が混じったのかすっぱい唾を飲み下して、折れ曲がりそうになった背筋を逆側から叩くように伸ばす。自分が取るに足らないゴミ以下の存在だと認めたくなかった。
挑発的な笑みを浮かべているキュルケの顔を、ありもしない胸を張ってルイズは見返す。

「ルイズ、あなた退学になったじゃないの。進級試験で、使い魔を呼べなかったから」

あっけらかんと言い放たれた彼女の言葉によって、ルイズは馬車を投げつけられたような衝撃を受けた。
足から力が抜けて、閉めたばかりのドアに背中がぶつかる。大きく見開かれたルイズの目に映った世界は、バラバラに崩壊を始めていた。
頭の中で誰かの声がする。認めるな、と。認めたら、お前は……と。

「え、な、そんな……。ほ、ホワイトスネイク! 出てきなさい!」

「どうしたのよ、ルイズ……、こんな朝から叫んだりして。
ショックなのは分かるけど、ね……? それに白蛇って、そのぼろっちい人形の事?」

ルイズの手の中には、いつの間にか白い人形が握られていた。
アルビオンへ旅行へ行った時に、お父様に買ってもらった人形だ。ルイズが最も大切にしている宝物の一つ。
元は勇者イーヴァルディを模して作られたのだろうが、長年の劣化によって色を失い、下手糞な継ぎ接ぎだらけのみすぼらしい姿を晒している。
これを縫ったのは誰だろうか。一瞬だけ浮かんだ疑問に、押し込められていた記憶が噴出して答えた。
自分の指に、真新しい包帯がある。昨日の夜に、人形を縫おうとして、針を刺してしまったから。

「そんなに怯えなくても……。これはあたしの使い魔のサラマンダー、フレイムよ。
噛み付いたりしないから、安心して」

いつの間にかキュルケの背後に居たのは、人間を軽々と食いちぎれそうなサラマンダーだった。
その雄雄しい姿を見て浮かぶのは嫉妬と羨望。自分にこれだけの力があれば、どれだけ幸せだっただろうか。
俯いていた視線を持ち上げると、相変わらず微笑んでいるキュルケの顔があった。
いや、笑っているのではない。彼女は私を哀れんでいる。ゼロで何もない可哀そうな奴だと思っている。

「そんな……わ、わたし、私は……」

懐から杖を出して、絞り出すようにして呪文を唱えた。「フライ!」だが何も起こらない。
次々に叫ぶ「錬金! ライト! コンデンセイション !」何も起こらない。
「さ、サイ、レント!  レビテー、ション……。ウィン、ド……ブレイク……」涙で視界が歪み、鼻が詰まって、唯一の自慢だった綺麗な詠唱すら出来なくなった。
完全に体から力が抜けて、ルイズは絨毯の上にへたり込む。裸でロマリアに放り出されたような寒気が襲い掛かってきて、ルイズは自分の体を強く抱きしめた。

「ああ、ルイズ……。僕のルイズ……、か。
昔は君の事が好きだったが、なんだね、そのざまは。16になってコモン一つ使えないとは」

「ワルド、さま……」

がたがたと震えながら、目の前で自分を嘲笑う婚約者を凝視する。
かつて自分に優しく接してくれた彼の姿は無く、そこにあったのは、ただその他大勢と一緒に自分を中傷する青年だった。
ワルドは汚いものでも見たように顔をゆがめ、大きく舌打ちする。ルイズの事など忘れたかのように、羽帽子を被りながら踵を返した。

「ルイズ、あなたは何をやっているのですか?!
ヴァリエール家の三女ともあろうものが、このような醜態を晒して! 恥ずかしい!」

「おかあさま……」

呆然とワルドを見送っていたルイズの背後から、ヒステリックな女性の声が響いた。
振り向かなくとも声の主が誰なのか、十分すぎるほどに分かっている。無数のウジ虫が背筋を這い上がっっていった。
ルイズは貴族の証であるマントを強く握りしめ、あふれ出した涙をそこに吸い取らせると、恐怖に押しつぶされそうになりながら視線を向ける。
果たしてそこにいたのは、ルイズが最も恐れ、そして最も愛している家族だった。

「ちびルイズ! まったく、本当に……」

「……ルイズ、私は貴方の事を信じていたのよ? でも……」

大好きなカトレアが悲しそうな目をしているのを見て、ルイズは全てを拒絶するために目を閉じる。
これが夢である事は分かっていた。目が覚めさえすれば、私は将来有望なメイジに戻れる。胸を張ってヴァリエールだと言えるようになるはずだ。

「なんで、なんで醒めないのよ……。もう、やだよ……」

しかしドアに頭を叩きつけても、夢は一向に消えはしない。誰もかれもがルイズに失望し、そして哀れむ。馬鹿にする。
裂けた額からは生暖かい鮮血がどろどろと流れ出して滴った。それなに夢は覚めてくれない。悪夢が終わってくれない。
胸を根こそぎ抉られるような虚しさと、頭の中をゴキブリが這い回るような不快感に蝕まれた。

「なんで、なんで努力しても無駄なの? わたしは、私はただ、普通の……」

爪が皮膚を突き破り、肉を深く切り裂いて血が流れる。荒れ果てた心情を映すように手足の肉が枯れていき、とうの昔に熱を失った体が崩れ始めた。
無数の破片になって落下していく自分の右腕。だがルイズはただ、根元から折れて砕けた薬指を無感動に眺めていた。
長かった地獄がやっと終わるのだ。人生の終焉に感謝こそすれ、拒絶するほどの力はもう残っていない。
両腕を失った体をドアに預けると、衝撃が不味かったのか左の肩が丸ごと落ちてしまった。脆すぎる体に苦笑し、光を失いつつある目で空を見上げる。
生憎と青空なんて言う気の利いたものはなく、人生の殆どを覆っていた暗雲が空まで閉ざしていた。
こんな時までつまらない人生だ、と小さく溜息を吐く。

「でも、最後に一度だけでいいから、魔法を使いたかったな……」

全てを失くした諦観の後で、消え入りそうな声でそう呟いた。
織り込まれた絶望はガリアの森よりも深く、望みはアルビオンより高かったが、何一つ叶わない。
とうとうルイズを構成していた何もかもが灰となり、後に残ったそれも強風に吹き散らかされ、何も残らなかった。





カーテン越しに差し込む星明りだけが照らす中、ルイズはいつもの悪夢から目を覚ました。
最悪の目覚めに大きく舌打ちし、ベッドから体を起こして頭を振っても、脳内にこびり付いた夢の残滓は振り払えずしつこく疼ている。
薄い夜着は多量の汗を吸っており、肌に絡みつくクラゲのようで不快だ。上質な生地を使っているとはいえ万能ではない。
ルイズは胸の部分をつまみ上げ、何度か動かして空気を送り込む。火照った体には、ひんやりとした部屋の空気が心地よかった。

窓の外は真っ暗で、まだ小鳥さえ眠っているような時間帯。本音を言えばこのまま寝てしまいが、それが無理だというのはルイズが一番よくわかっている。
せめて寝汗をきっちりと落とせれば違うかもしれないが、浴場は完全に使用時間外であり、ぬるま湯でさえあれば御の字だろう。おそらくは冷水を張ったプールになっているはずだ。
朝一番で水風呂に飛び込むほど酔狂ではないルイズからすれば、清潔なタオルで汗をふき取るぐらいが精々だった。

「ふん……。下らない悪夢だわ」

ルイズは軽く腕を振って念力の魔法を発動させ、テーブルの上に置かれていたワインをグラスへと注ぐ。
手元まで引き寄せたグラスをぐいと傾け、本来はゆっくりと味わうべき酒を一気に呷る。
味も風味も台無しな飲み方ではあるが、こんな気分の時はこれが一番だ。
ゴクゴクと喉を鳴らして最後の一滴まで飲み干すと、膝に乗せた腕に向けて大きく溜息を吐いた。
一見すると無手に見えるが、人指し指にはまっている小さな指輪がルイズの杖だ。
細かい細工のされた台座の上には風の力を蓄えておけるという貴重な石が乗っており、アクセサリーとしても十分に耐えるが、杖としてはかなり実用的なもの。
もっとも用心深い軍人が好むような一品であり、魔法学院にふさわしい杖であるとはとても言えないため、ルイズも普段は指揮棒サイズの杖を振っている。

「大丈夫カ、我ガ本体」

「ホワイトスネイク……。問題ないわ。
バラバラにしてやった過去が、石の下から……ミミズのように這い出してきただけよ」

ルイズは投げやりにそう答えると、手渡されたボトルからワインを注ぎ何度も何度も空にする。
酔って寝てしまえば楽なのだろうが、アルコール度数が低い上にルイズは酒に強い。正体を失くすほど飲もうとしたら、それこそ朝になってしまうだろう。
酒臭い気と赤ら顔を引っさげて朝食に向かう気にもなれなかったので、ルイズは一度酒を飲む手を止めた。
大きく深呼吸して心を落ち着かせる。額に浮いた汗を拭い、目を閉じてこの夢の始まりについて思いを馳せた。

あれはたしか、最初の魔法を奪い、その愉悦を味わっていた最中の事だったように思う。
夢の中では領地に風邪が流行し、魔法が使えないという重圧で心身ともに弱っていたルイズは、1週間も生死の境をさ迷った。
その間、枕もとでは家族が交代で番をしてくれたのだ。事実ならどれほど救いになった出来事だっただろうか。

実際に風邪は流行してルイズも罹ったが、何てことはなかった。高熱というほど熱も出ず、ただ少々調子が悪い、程度だった。
どれほどの努力の果てにも得られなかった輝きを、手に入れる手段を得たのだから当然だろう。もうルイズはゼロではなかったのだ。
ただ周囲の目に怯えるしかなかった少女は大人になり、猛毒の刺を持つハンターとなった。欲しいものは何もかも手に入れてきた。

その代わりに、度重なる悪夢がルイズを襲った。
ホワイトスネイクの本体であったエンリコ・プッチによって一巡した世界では、自らの未来を認めずに運命を捻じ曲げようとした場合、運命に報復されてダメージを受ける。
DISCによってルイズも体験した出来事だが、これが現在のルイズにも当てはまるとしたらどうだろう。
不快なこと極まりないが、ゼロと呼ばれて蔑まされ続けるあの夢こそが、ルイズが本来歩むべき人生というヤツだったのかもしれない。
例えば小さいことではあるが、この魔法学院の窓から見える風景も、領地にいた頃に見た夢の景色と似ている。

「汗を拭きたいわ。替えの服と、タオルをとってちょうだい」

「了解シタ」

ルイズは空になったワインボトルとグラスをテーブルの上へと戻し、大きく息を吐くと目を閉じた。
本体を失った直後の彼を呼び出したことにより、ゼロという正しい歴史から捻じ曲げられた運命。それがあるべき元の姿に戻ろうとした結果、ルイズに悪夢を見せているのかもしれない。
だが、そうだとしても、ルイズは歩みを止める気はなかった。
馬鹿にされ蔑まれ、貴族の誇りだけを頼りに地獄の釜の底を這いずり回れなど、カエルの小便と同じだ。とても飲める条件ではない。
だがその苦渋を飲み干せば、始祖ブリミルのお導きで虚無に目覚めさせて頂けるらしかった。嬉しくて反吐が出る。

「ハッ……! ふざけるんじゃ、ないわよ……」

ルイズに言わせれば始祖ブリミルなど、手に入れた力を好きに振り回した大量虐殺者でしかない。
人間がここまで繁栄するには、さぞ面白おかしく亜人や動物たちの血の雨を降らせた事だろう。
もし彼自身が聖人君子だったとしても、神から分け与えられた神聖な力を、膨大な数の悪人にまで広めた事は間違いない。
魔法は数えきれない人々の命を救ったかもしれないが、同時にその数倍の命を奪ったはずだ。
今でこそ亜人やエルフが敵とされているが、こいつがやった事に比べれば物の数ではないだろう。そもそも人間の都合で善悪が決めているのだから、別の種属から見れば何の意味もない。
だからこそ、力こそ全てである。弱者は惨めなだけだ。駆逐された者どもは、弱さという罪によって裁かれたのだ。

「そうよ、私は何も、間違ってなんて、いないはずよ……」

ルイズはベッドの上で膝を抱え、小さくそう呟いた。
事実、歴史書を読み解けば、六千年の間に聖地の奪回を目指して何十万人という数の人間が命を落としている事が至極当然のように記されている。
此処まで来ればありがたいお言葉というより、凝り固まった妄執の成れの果て、または呪いの一種なのではないかと言いたくなって然るべき。
膨大な犠牲を代償に一時的には奪還できたとしても、あんな辺境を維持し続けるのは無理だと誰もが分かっているだろうに、それでも人間は死の行軍を止めようとしない。
中には大きな犠牲を出しすぎ、大勢の生き残りを抱えながらも助けられず、人員の大半が砂漠の底で水分を残らず搾り取られた事例すらあったという。
屍と怨霊が山のように眠り、何樽もの血を吸った砂漠が聖地とはお笑いだった。実に洒落が聞いている。
これを故意にやったとすれば、始祖ブリミルというやつはとんでもない邪悪。地獄へ向かって突撃するレミングスの群れを、永遠に人間で再現し続けよというのだから。

「そう、始祖ブリミルが神なら、私こそ正義よ。何も間違っていないわ……。
勝利した者こそが正しい。それは、歴史が証明してくれる……。私を偉大なメイジだと認めてくれる……!」

顔をあげたルイズの瞳には、再び傲慢な帝王の色が戻っていた。
最初に願ったものは極めて些細なものであったが、運命は私を認めてくれなかった。だから運命を否定してやった。
ルイズは自らの属性が始祖ブリミルと同じ虚無である事を自覚しており、頃合いを見てその権威をそっくり頂くつもりである。
どうせ今の教会なんて、始祖の言葉を好きに解釈して富と権力を貪る豚に過ぎない。それも、痩せこけた民を食らいながら肥える豚だ。
彼らが必死になって育ててきた全てを、ルイズはただ虚無だからという理由だけで奪い取れる。実に素晴らしい。

もっとも、理由もなしに虚無を主張しても笑われるだけだろう。それは避けねばならない。
下手をすれば宗教裁判にかけられ、重罪人として処刑される。準備は入念に行う必要があった。
誰も私を疑わず、誰もが虚無のメイジだと信じるようにしなければならない。無力なゼロではなく、絶対なる虚無として。

それならば猶の事、夢は乗り越え踏み潰すべき忌まわしい物だ。ルイズは無力である事を恐れ、嫌悪していた。強くありたいといつも願っている。
ルイズにとって神とは、ありがたい石像でも伝説の中のメイジでもなく、ホワイトスネイクであり自分自身だった。

「最後に笑うのは……。この、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールなのよ!」

始祖は神から力を与えられた。そして伝説になり、やがては神になった。
ならばこの私は、自らの手で力をもぎ取ってやろうと決めたのだ。
まだ、ただの子供だったあの頃、あの屈辱と憎悪を忘れないために。
その為には、ありとあらゆる悪事に手を染めることを厭わない。理想の場所が地方都市の彼方でも、目指す理由には十分すぎる。

それに、今更戻れる道理も無いだろう。DISCを奪って殺した人間だけで28人に上っているし、魔法で殺した数は数えてさえいない。
DISCを抜いたうち19人が男で、平均年齢は28歳。右利きが13人、左利きが4人、両利きが2人だ。ジャン、から始まっている名前の者が2人居る。
女性9人の平均年齢は36歳。これは67歳の……かつてルイズが好きだった、家庭教師が含まれているためだった。
丁寧に教えてくれる良い教師だと思っていたのだが、内心では格が低い自分の生まれを卑下しており、ヴァリエールという名家に生まれながらも才能の無い自分が苦しんでいるルイズの姿を長く見ていたいから、だったと知ったときはかなりムカついた。

「そうね、久しぶりに読書でもしようかしら……。ホワイトスネイク、ついでに頼むわ」

ルイズは軽い声と共にベッドから立ち上がると、躊躇いもなく汗に濡れた夜着を脱ぎ捨てた。
肌に貼り付くようだった服から解放され、ひんやりした空気が冷汗に濡れた体を包む。篭っていた暗鬱さまで抜けていくような感覚に、ルイズは思わず微笑みを浮かべた。
この部屋を覗くような蛮勇の持ち主はいない。もし居ればなんだかんだ言いがかりをつけて財産を搾り取る所なのだが、残念だ。
動いた拍子に乱れた髪の毛を背中へと送る。髪の毛を大きく伸びをして、受け取ったタオルで体を拭き清め始めた。
タオルとはいえ上質な生地で作られており、肌触りは決して悪くないが、乾いたままのタオルではうまくない。

「やっぱり、蒸しタオルの方がいいわね……」

口の中で素早く呪文を唱えてパチンと指を弾けば、すぐさま部屋中の水分がルイズの右手へと殺到する。
水系統の初歩、コンデンセイションだ。
その気になればすべての水分を集めることもできたが、吸収できない水が滴り始める前に魔法を止めた。軽く揉んで水分を行き渡らせる。
これだけ湿り気を持てば十分だろうが、代わりにだいぶ部屋の空気が乾いてしまった。服を着た後で換気する必要があるだろう。
水系統のメイジにとって湿度というものは極めて重要だし、乾燥した空気は肌にも良くないらしい。
もう一度指を鳴らし、次はムラが出ないように満遍なく過熱していく。
次第に熱を帯びていくのを手の平で感じた。水を冷やす事は簡単なのだが、適温に温めるとなると少々難しい。
昔は失敗して、鍋がひっくり返りそうなほど激しく沸騰させてしまったり、跳ねた熱湯で手を火傷したりもしたが、今ではもうお手の物だ。
先ほど棚から取り出されたばかりだというのに、タオルは1分とかからず熱々の蒸しタオルへと変化していた。白い湯気がほのかに立ち上っている。
たったそれだけの事に魔法を使える自分が嬉しくて、ルイズは小さく鼻歌を歌いながら肌の上を滑らせた。

「今日ハ、誰ニスルンダ?」

ホワイトスネイクは問いかけながら一枚のDISCを作り出し、シーツを剥いだベッドの側面に差し込む。
木と木の接合部の一部にカラクリがあり、内部にあるスイッチを薄い物で押し込むことによって、ベッドの一部が机の引き出しのように引っ張り出せるようになっていた。
無理をすれば3人は眠れるベッドだからこそ可能な仕掛けだ。収納になっている部分だけでも、1年間に使う教科書の全てを余裕で納められるスペースがある。
様々なものがごちゃごちゃと詰め込まれているために、大して広いとも感じられないが、乙女のささやかな秘密を守るだけなら十分だった。
ホワイトスネイクは作りかけの武器を取り出して脇に置き、教会が見れば即座に燃やされるような本の山を外に積み、露になった底板との隙間にDISCをねじ込んだ。
これもちょっとした仕掛けがあって、ただ全体を逆さにしただけでは発見できないようになっている。念には念を入れてあった。
取り外された板の下には、数枚のDISCが隠されていた。ランプの光を受け、幻想的な虹色の光を反射している。

「そうね……。せっかく思い出したし、彼女にするわ」

ホワイトスネイクはルイズが指さした一枚を紳士的な態度で拾い上げ、体を拭いている腕を邪魔しないように、そっとルイズの側頭部へと差し込んだ。
ルイズは用の済んだタオルをテーブルへと放り投げ、真新しいネグリジェを身につけながら、鼻歌を交えつつ他人の人生を体験し始める。

「ん、ありがとう」

半ばまで頭に埋まったDISCの表面には、驚愕に顔を歪めている老婆の顔が写りこんでいた。

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