ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

一章十二節~おしゃべりは使い手を見初める~(後編)

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「あのときあんた、本当に動けなくてあたりまえだったんだから。腕も足も折れていたのよ? まぐれとかたまたまとか、そういうので片付く話じゃないでしょ」
「そう言われてもな……」
 リキエルは言いよどんだ。昨夜マルトーやキュルケにも、決闘のときのことで誉めそやされたのを思い出している。
 決闘の最中は傷のことはあまり気にならなかったし、まず痛みを感じなかった。そして、勝負がついて直ぐに気を失い、起きたときには治っていたから、リキエルはいまだにその重さに実感がない。ルイズにさんざん言われて、気を失う直前の激痛を思い返したりして、ふうんと思ったくらいである。
 だが考えてみれば、確かに初めは立ち上がるのもままならなかったはずで、そこからああも状況をひっくり返せたのは、奇跡というにも行き過ぎているかもしれない。奇跡や偶然といったところで、理由なしに起きるものでもない。だが思い当たる理由などもなかった。
 リキエルはがしがしと首の裏をかいた。答えの出ない考え事は疲れるだけだが、考え始めるとなかなか抜け出せないのも、ことさら始末に悪いところである。
「もしかしたら」
 言って急に歩を緩めるルイズにあわせて、リキエルも歩幅を狭めた。
「使い魔の特殊能力かしらね」
「なんだそりゃあ?」
 ちらとリキエルのほうを見てから、ルイズは得心したように頷いた。
「メイジと契約した生き物が、なにかしらの能力を得ることがあるわ。猫が人の言葉を使ったり、鳥が人語を話したり、犬が人間のように喋ったりね」
「オレはもともと喋れたぜ」
「茶々を入れるんじゃないわ、いまのは実際に知ってる話を挙げただけよ。とにかく、そういうふうにあんたも能力を得たんじゃないかしらってこと」
「ははぁ、なるほど。さすが魔法」
 リキエルは雑な相槌をうった。急に自分に能力のあることを知らされて、そのことに考えが占められていたこともあるが、もとから持っていたわけではないからか、どうもそれがしっくり来ないせいでもあった。胸につっかえができたような感じがして、少し気分が悪くなったのである。
「万全の体調なら、ラインのメイジと闘っても勝てるでしょうね。きっとトライアングルを相手にしても、じゅうぶん張り合える。すごい能力だわ」
 どこか淡々と言ったのを最後に、ルイズは押し黙った。話の接ぎ穂を失ったようである。それから苛立たしげに歩みを速めたのは、無駄話をして、余計な時間を食ってしまったとでも思ったのかもしれない。
 仕方なしに、リキエルも黙々となって歩き続けた。


 道なりに行くうちだんだんと人通りが多くなってきて、さらに行くと、ひときわ賑わいを見せる通りに出た。軒を並べた商店の奥から人の声や、何かの焼けるいい匂いが微かに漏れてくる。やや西に傾いた日射しが、露店に昼の買出しに来た客の顔を照らしている。昼のブルドンネ街はよく人を呑み、よく吐き出した。
 ブルドンネ街はトリステイン一大きな通りで、ずっと先まで行けば、王族の寝起きする宮殿が臨めてくる。道幅は5メイルほどで、そこに店が出て客が集まるから、どうしても歩くと押し合いへし合いすることになって、それが原因で喧嘩が起きることがままある。それでも食料品から雑貨から、大抵の品が手に入るから、この通りは夜でも明るい活気がある。
 通りから道一つ入った路地裏は表に比べれば大人しい雰囲気で、ちょっと息をつきたいときに茶を飲んだり、軽い食事や語らいを楽しめるような、所謂憩いの場が多かった。酒を出すところもあるが、本格的な飲み騒ぎにはあまり向かない一帯である。
 そこからさらに裏に入っていくと、少々怪しげな空気の漂う通りに出る。
 掃除の行き届かない道はいつも汚く、鼻をつく臭いは土にまで染み込んでいる。取ってつけたような普請の建物が身を寄せ合うようにしていて、それがまた矢鱈な建て方なものだから日が入ってこず、いつも薄暗くじめじめしていた。時期によってはまるで光の射さない日もあった。いまは眠っているが、日が落ちきった途端火を入れたように活気付く、つまりは夜の街である。ルイズの目的の武器屋は、そういう場所にあった。
 小さな構えの店だった。もとは白かったものが灰色に変色した石壁に、その壁と見分けがつかないほど薄汚れた剣の形の銅看板がさがっていた。かすれた文字が、なんとか読み取れた。
「ここよ、ここ。間違いないわ」
 目当ての店が見つかったと、喜び勇んで羽扉を押すルイズのあとに、げんなりした顔のリキエルが続いた。
 店のちょうど真ん中あたりで、リキエルはぐるりと店内を眺め回した。外から見た印象に反して存外に広く、品もなかなか充実しているようである。けっこう長いことここでやってるのかもな。壁の一部のように馴染んで鱗次としている槍や剣を見て、そんなことを思った。
 人の気配を察したか、「いらっしゃいまし」とやる気のない声と一緒に、奥から人が出てきた。薄ぼんやりとしたランプの明かりの中に、やもめの五十男独特の、すさんだ色のこびりついた顔が浮かび上がった。
 店主らしいその男は、ルイズを貴族と見るや急に険しい顔になって言った。
「貴族の旦那。うちはまっとうな商売してまさあ。お上に目をつけられるようなこたぁ、これっぱかしもしてませんぜ」
「監査じゃないわ」
 店主の態度が気に食わなかったか、ルイズが少しムッとして言った。
「じゃあどんなご用件で?」
「客よ。剣をもらいたいんだけど」
 店主は大仰に驚いた顔になった。
「へえ、貴族が剣を? おったまげた!」
「驚かせに来たんじゃないわ。売ってくれるの?」
「もちろんでさ、若奥様。お使いになるのは……そちらの方で?」
 態度を豹変させた店主はもみ手しながらルイズに聞いた。そしてルイズに気づかれないよう、リキエルには胡散臭げな目をよこして、片方だけ下りたまぶたやここらでは珍しい服装などをじろじろと見た。こういうところは器用な男だった。
 リキエルは黙っている。万事ルイズに任せる気で、話だけ聞いているつもりでいた。
「ええ、そうよ。わたしは剣のことなんかわからないから、適当に選んでちょうだい」
「あいかしこまりました」
 慣れた様子で猫なで声を使って、店主は頭を下げた。それから顔を上げると、いそがしく奥へひっ込んでいった。
 手持ち無沙汰になったリキエルは、同じように退屈そうにしているルイズの背に目を向けた。
 すると、退屈そうというのはどうやら違うらしいことがすぐにわかった。さりげなく壁にかけられた剣に送られる視線や、ちらりちらりと店の奥をのぞく瞳には、物珍しげな好奇心がむき出しになっている。くるりと振り向いた先でリキエルの視線に行き会って、あからさまに顔をしかめたのがその証拠だった。
 店主が戻ってきた。ルイズの背丈ほどもありそうな大剣を抱えている。
「こいつなどいかがでしょう」
 店主は重々しく運んできた剣をがたりと床に置いて、鞘から引き抜いた。
「かの高名なゲルマニアのシュペー卿の鍛えた一品でさ。店一番の業物になりやす」
「ふうん」
 素っ気なく返したが、ルイズは明らかにこの剣を気に入っていた。
 剣は柄頭に巨大な翡翠が埋め込まれており、鍔元にはウズラの卵より大きな紅玉がはまっている。紅玉を囲むように散りばめられているのは紫石英だろうか。見栄っ張りのルイズにしてみれば、これほど派手な品はたまらないだろう。
 しかしルイズは、ほっとため息をつくと店主に向き直って言った。
「もうちょっと細くて小さいのでいいわ」
「よろしいんで?」
「ええ」
 言いながら、ルイズはリキエルを見上げた。つられて店主もリキエルを見る。
 リキエルにはルイズの言いたいことがわかる。自分にはこういう派手さは、分不相応という言葉がファイヤーダンスを始めるくらいにそぐわない。店主もそう思ったのか、無言でまた奥に引っ込んで、今度は華奢な造りのレイピアを手に戻ってきた。
「このようなレイピアなどは? 貴族方の間では、こいつを下僕に持たせるのが流行っとりますし」
「そうなの?」
「はいでさ。なんでも、最近『土くれ』のフーケとかいう盗賊メイジが城下で跳梁してるって話で、貴族方も手を焼いて、下僕にまで武器を持たせているようで」
「盗賊ね……。まあそれはいいとして。そのレイピア、いくらなの?」
「エキュー金貨で百三十になりやす。新金貨で百九十五」
「えっ!」
 懐から財布を取り出していたルイズは、値を聞くと目をむいてかたまった。その手から転がり落ちた財布を、リキエルが反射的に受け止めた。
 間もなく自分に返ったルイズは、リキエルの差し出した財布を怒ったように引ったくり、目に見えて動揺した手つきで中を改めた。赤くなっていた顔が、奇術かと思えるほど一気に青ざめた。
 ルイズは、確かめるように店主に聞いた。
「そんなに高いの?」
「まともな大剣なら、安くても新金貨二百はしまさ」
 店主はあきれたように言った。こんどは羞恥で、ルイズは顔を赤らめた。
 なにやら話が違ってきたらしいと見たリキエルが、ルイズに声をかけようとすると、それをさえぎる形でしゃがれた低い声が店の中に響いた。

「さっきっから聞いてりゃあ、おめえらなんの冗談だそりゃあよォ。そっちの男、そんなゴボウみてーななりで剣を振るって? どういうつもりだ? ええ?」

 ルイズとリキエルは咄嗟に店主を見た。店主は首と手を横に振って、焦った様子で店の中に目を走らせた。
「おい、デル公! 黙りやがれ! お客様だぞ!」
「自分のことを理解しねーのかッ! 図体でかいだけで剣が振れると思うな、あほう! 自分の手足でも鱠にするつもりだってのかよ! このど素人めが! どうしても振りたきゃあ棒切れでも振ってやがれてんだッ!」
「黙れってんだよ! ちくしょう、この前はどこにつっこんだんだっけな……」
「挙句にそっちの貴族の娘っ子! おめえはどういう了見だ? レイピア一本買う金もねーだと?適当に選んでくれだとォオオオォォオッ? なめてんのかァ―――――ッ、商売をッ! 冷やかしなら家に帰れ! 冷やかしなら! チクショオ―――、ムカつくんだよ! 俺ら刀剣をコケにしやがって! ボケがッ!」
 ぽかんとしていたルイズの顔にまた朱がさした。
「な! ぼぼ、ボケですってぇ!?」
「なんというかよォ~、ここまで言われると逆に清清しい気になっちまうぜ」
 憤慨して地団太踏むルイズを尻目につぶやきながら、リキエルは声を頼りに罵声の元を探して、店の中をうろついてみた。そして店の入り口から見て右奥のすみ、雑多に並んだ鎧で見えづらくなっている場所で、ぱたと足を止めた。
「この辺か? いまいち判然としないが」
「わからないか? 俺がどこにいるのかわからないか? よく見ろよ! おめえの目は節穴か!」
「確かに、片方はたいていそうだがなぁぁあ」
 ごく自然に卑屈なことを言いながら、リキエルは一振りの剣を手に取った。
 途端に、左手の甲に刻まれたルーンが光りだした。吸い付いたように剣が手になじみ、体がふと軽くなった。その軽さに頼って、跳ね回りたいような気持ちさえわいてくる。ルイズの言っていた特殊能力というものが、よくよく体感できた。
「なんだ、わかってたんじゃねえか」
「…………」
 手の中でひとりでにかたかたと震える剣を見つめて、リキエルは深くうなった。魔法があるならそういうこともあるかなと、半ば冗談で手にしたのだが、罵声の主はこの剣で合っていたらしい。
 店主のほうを見てみると、忌々しげにそっぽを向いて腰を叩いている。こういったことは茶飯事なようである。ルイズはといえば、へえ、インテリジェンスソードだったのねと、心得顔して頷いている。
「しかもなんだ、てめえ『使い手』か。見損なってたぜ」
「『使い手』? なんのだ」
「さあな。そんなことよりどうだ、このデルフリンガー様を買う気はねえかい?」
「デルフリンガー? お前の名前か」
「そうさ、かっけーだろ」
 デルフリンガーはまたリキエルの手の中で震えた。人で言う、笑って肩を揺する仕草に近いものがあるらしかった。
 リキエルは改めて、デルフリンガーをつぶさに見てみた。柄頭から切っ先までがルイズの身長よりも長く、シュペー卿とやらの品と遜色ないほどの大刀で、刀身は肉厚だった。ただいかんせん錆びがひどく、刃区から刃先までの間がところどころこぼれていて、刃文も判然としない。丈夫ではあるようだが、見る人が見なくとも、なまくらであることは疑いようがなかった。
 だが、リキエルはこれでよいと思った。あくまで護身のために持つのだから、よく斬れる必要などないのである。むしろあまり斬れてしまうとかえって危なっかしい。デルフリンガーの言うとおり、こちらはずぶの素人だ。
 ――ついでに……。
 こういうお喋りな剣があれば退屈しのぎができる、とリキエルは思った。この世界の娯楽がよくわからないリキエルにとっては、退屈は強大な敵になる。
 リキエルはデルフリンガーを手に、店主とルイズのところに戻ってきて言った。
「ルイズ、こいつを買ってもらえるか」
「そんなんでいいの?」
 ルイズは露骨に眉をひそめた。罵倒されたことが頭から離れていないらしい。
「ああ、こいつでいい」
「話がわかるな、相棒」
「急に気安くなったわね、このおしゃべり剣」
「友好的と言いなよ娘っ子」
「釈然としないわね。まあ、いいけど。……この剣おいくら?」
 それまで渋面を作っていた店主が、いくらか和らいだ表情になって答えた。
「厄介払いもありまさあ、鞘つけて新金貨百でお売りしやしょう」
 ルイズはずっと手に持ったままだった財布を、もう一度覗き込んだ。
「えっと、百よね」「はいでさ」「新金貨でよね」「ええ、ええ」「スゥだとどれくらいかしら」「……」「ドニエならだいたい――」「はばかりながら」「……なにかしら」「今日は、持ち合わせはいかほどで?」「…………」「えっと、じゃあ七十で結構でさ」「…………」「…………」
 店主の愛想笑いが若干の困惑に引きつったのを見て、ルイズはばつ悪く顔をそむけた。
 実のところ、今日ルイズは新金貨で五十しか持ってきていなかった。剣の値がこうも張るものとは思ってもみなかったからでもあるが、そもそもからして、ルイズにはいま金がなかったのである。
 というのも、この前の決闘で傷ついたリキエルの治療代とそのときに使った秘薬の代金とで、今期家から送られてきた小遣いはだいぶ減ってしまっていたのだ。いま手持ちの五十と、寮の自室の机の奥にしまってある、こつこつためたへそくりとをあわせて、しめて八十六エキューがルイズの全財産だった。
 いつもなら、下僕が持つものとリキエルに財布を持たせるところを、今日はそうしなかったのには、このあたりのことが関係している。財布が軽いのを気取られたくなかったのだ。
 店主はあきれを通り越して、憐憫をはらんだ視線をルイズに送った。デルフリンガーなどは神妙な声音になって、「ボケとか冷やかしとか言って悪かったよ、いやほんとに」などと謝罪の言葉を繰り返している。自分の治療代が高くついたことを聞いていたリキエルは、直感でルイズの貧乏の原因を悟って、言葉もなく冷や汗を流した。
「貧乏ね! ヴァリエール! 公爵家が泣くわよ!」
 もとからじめじめとしていた空気がいっそう湿っぽくなったところに、けたたましい笑い声が響いた。いつになくご機嫌のキュルケである。
 リキエルとルイズは呆気にとられた。
「ツェルプストー! なんでここにあんたがいるのよ!」
「ダーリンがいるからに決まってるじゃないの」
 キュルケは姿態を見せ付けるように店の中を横切って、リキエルに向き合うとやわらかく笑んで流し目を送った。リキエルはそれを、蟻の前に置かれた枝豆のように無視した。
「ダーリンですって? 袖にされたくせして、よく言うわ」
 小ばかにしたような笑みを無理やりに作って、ルイズが言った。
「それもつい昨日のことじゃないの」
「だから今日また会いにきたんでしょ」
「ふん、見苦しいったらないわね」
「それはあんたのことよね、ヴァリエール。そんなボロ剣一本買えないで、三割も値を引いてもらって、それでも買えないなんてね。ちょっと見苦しいんじゃなくて、ねえ?」
 にやにやと楽しそうな顔をして、キュルケは揶揄して言った。
 タバサのドラゴンで先回りしていたキュルケは、街の入り口でルイズらを目ざとく見つけると、気づかれないように後をつけた。そして二人がこの店に入ったのを見届けると、自分は入り口で中の様子を見ることにした。つまりはことの一部始終を全て見て、聞いて知っていたのである。
 自分でも思っていたところをつつかれて、ルイズはぐぅの音しか出せなかった。
 ルイズは、すぐに返す口をきけなかったことがどうにも悔しくなって、負け惜しんでキュルケをにらみつけた。余裕ぶったキュルケの顔が、いつも以上に憎憎しく思えた。
「リキエル、帰るわよ。今日は気分がすぐれないわ」
 ルイズはついと顔をリキエルに向けて、喉の奥から声を出して言った。
 逃げるようでそれがさらに癪だが、この場でキュルケの顔を見ているのはもっと心地が悪い。持ち合わせのない今、言い返しようがないということもある。
 ――だろうなァ。気分、悪いだろうなぁ~~あ。
「じゃあこいつ、お返ししますよ」
「惜しいなあ、せっかくの『使い手』だってのになあ」
「よければ、また来てやってくだせえ」
 愛想を使ってくる店主にデルフリンガーを手渡し、リキエルはもう店を出てしまっているルイズを追った。
 引き止めてくるかなと思い、リキエルはキュルケのほうをちらと見たが、案に反して意味ありげに微笑を向けてくるだけで、声もかけてこなかった。本当に、どうしてここにいるのか判然としないが、べつに知らなくてもいいかとリキエルは思った。
 羽扉を押してきょろきょろと見回すと、右手に十歩ほど行ったところに、不機嫌そうにたたずむルイズの背中があった。声をかけるとほんの一瞬だけ振り向いてきて、またすぐに背を向けられた。
 リキエルが背後に立つのを確認すると、ルイズはそれまで落としていた肩を怒らせて、毅然とした態度になって歩き出した。
 ――なんともなかったな。
 駅に着いて、預けていた馬に跨ったとき、リキエルは不意に思い至った。ひとの大勢いる街中で、それも芋を洗うような中を揉まれて平常でいられたのは、いつ以来のことだったろう。
 だがリキエルは、なぜか素直にそれを喜べなかった。人づてに評判を聞いて見に行った映画やコンサートが、ふたを開けてみればさしたる内容でもなかったというような、空虚なつまらなさだけを感じた。
 なんだ、どうした、喜ばしいことじゃあねーかと、自分を励ますようなことを考えてみたが、駄目だった。喜悦も深い感慨もなかった。余計に虚しさが募った。そんな自分にかすかな憤りさえ感じたが、それさえはきとした形をなす前に散って、夜霧のように曖昧で濃い不快感として、胸の中に残った。
 気の滅入ってしまったリキエルは、帰りは一言も口を利かなかった。へそを曲げたルイズも同様である。やたらと寂しい帰路であった。


 学院に帰り着いたときには、もう日は落ちる寸前になっていた。さっきまで西空に夕日が赤々としていたかと思う間に、あたりはすぐ薄暗くなって、遠い山々から夜が地を這って来る。
 馬を繋いだルイズとリキエルは、少し急ぎ足で女子寮に向かった。日が落ちて明かりがともされ、月の光が強くなるまでの間、ほんの一時あたりは真っ暗になる。わずかな時間ではあるが、足元もおぼつかない心細い暗闇である。そうなる前に部屋に戻っておきかった。
 どうにかリキエルたちは、夜が来る前に女子寮に駆け込んだ。階段を上って、廊下を歩くうちに窓から見えた風景が、一面の色濃い暗黒であったから、間髪の差だったようである。
 部屋の前に着いて、ルイズは鍵を取り出そうとしたが、不意にその動きが止まった。扉がわずかに開いていて、中から光が漏れている。
 出るときに鍵をかけたのは、ルイズとリキエルがそれぞれに確認している。すわ賊かと、二人は一瞬目を交し合った。まさかではあるが、閉めた家の戸が開いているというだけで、あまりぞっとしない話なのは確かだった。
 眉をひそめてどことなく緊張した面持ちのルイズが、ゆっくりと扉を押し開いて、頭だけ入れて中をうかがいにかかった。ルイズはうへェだかきえーだかいうような、変な声をひとつだけ立てると、黙って動かなくなった。
 ――なんなんだ、ええ? 一体よォ。
 続いて部屋の中を覗いたリキエルも、声を立てないだけで、ルイズと大体同じになった。
「あ、リキエル! お帰りなさい。遅かったのね」
「…………」
 キュルケともう一人、青い髪をした小さな娘が平然と居座っていた。キュルケはルイズの椅子で足組んで、手鏡を覗いて髪をいじっていた様子だし、青髪の少女はこれもルイズのベッドの足に背をもたれ、愛杖らしいごつごつした長杖をかたわらに立てかけて、重厚な本をぱらりぱらりとやっている。
侵入者の態度ではない。
 キュルケが椅子からひょいと立ち上がり、喜々として言った。
「今日は、ちょっとしたプレゼントを持ってきたのよ」
 それでか、武器屋での含みのある笑いはと、リキエルは合点がいった。それと知って思い返せば、あの笑みは何かを楽しみにして、その楽しみを思ってこらえがきかなくなった類の笑い方であったことがよくよくわかる。
 ――これは、長くなりそうだぜェ……夜がよぉ~~。
 プレゼントとやらをそこに置いているのか、ベッドの裏に引っ込んだキュルケと、早速に頭に血を昇らせ始めているルイズを交互に見やって、リキエルは目の上に手を置いた。

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