ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

一章十二節~おしゃべりは使い手を見初める~(前編)

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匿名ユーザー

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 門を抜けてしばらくしてから、リキエルは首をめぐらせ、魔法学院に目をやった。もう学院全体が豆粒ほどの大きさに見えるくらいだろうと思ったが、実際は敷地が目の端に収まってもいなかった。
 学院の広さを少々甘く考えていたとリキエルは思い、そしてよくよく考えれば、学院を外側から眺めるのはこれが初めてなのだから、甘く考えたというのもおかしいかと思い直した。
 ひとくさりそうして満足し、リキエルは首がおかしくなる前に顔を少し戻し、今度は流れていく景色に意識を向けた。
 やや険しい道に、小楢のような落葉木が適当に間を空けて連なり、その上に高く昇った昼の日が光を落として、涼やかな木陰のあちこちに、まだらに漏れ日を作っている。そんな光景が一瞬のうちに左から右へと流れていくのが、体の浮き上がる感覚とあいまって気持ちよかった。
 以前一度だけ、リキエルは何を思ったか、愛車のビモータでハイウェイを突っ走ってみたことがある。そのときは事故やスリップに気を使うあまり、爽快さも景色も楽しめず、とても快適とは言えないツーリングになってしまった。
 それに比べて、速さこそ格段に劣るものの、馬の背で感じる風は清々しかった。乗り心地の良し悪しは別にして、気分が浮き立つのである。体が風になったようとは体感ではなく、こういう気分を指して言うのだろうなとリキエルは思った。
 正面に向き直ると、川原毛の馬が馬身ひとつ先を走っている。たくみに馬を操っているのはルイズだった。あるいは貴族としての教養の内であるのかもしれないが、リキエルの正直な感想は、ルイズの意外な特技を知ったというものだった。
 リキエルは馬に触れた経験が数えるほどしかなく、乗馬も今日が筆下ろしである。そんなリキエルの素人目にも、ルイズの腕は確かだと見受けられた。学院の厩で馬を選ぶときも、一頭一頭をよく見てから鞍をかけ、その様も堂に入っていた。
 リキエルの乗っている馬もルイズの選定だった。そしてその葦毛の若駒は、一見して力ない痩せ馬で、馬体もさほど大きくはなったが、実は強い脚力と溢れ出るほどの体力を持っており、荒く響く馬蹄の割に軽々と身を躍らせるのである。その上不慣れなリキエルを乗せて走りながらも、きちんとルイズの川原毛に追随する利口さも持っている。上馬であった。
 ちなみにルイズの川原毛は、学院では跳ね馬として有名だった。力強い走りをするものの、脚が乗ってくると高く跳ね上がる癖があり、それで持て余す者が多かったのだ。だが今は、ルイズが御しているからかその悪癖も鳴りを潜めているようである。
 二頭の馬は、これから城下町へ行くところだった。それというのも今朝の食事のあと、部屋に戻ってくるなりルイズがそう言い出したのである。
 予定や約束事などがあるわけもなく、そも一応は主人の言いつけであったから、当然リキエルに否やは無かった。ただ急な話でもあったので、何のために出かけるのかくらいは聞いておこうと思った。
「何をするって? 町に行く?」
 言いながら、リキエルはふわと兆したあくびを噛んだ。
 ぞんざいな口利きと態度だが、ルイズはそれをとがめなかった。初めの頃こそ、ご主人様をなめた態度なぞ許せるかと息巻いていたルイズも、最近では注意するのも面倒と見えて、リキエルがこういう態度をとることを半ば免じている。あるいは、何度とない注意をことごとく無視されて、馬鹿らしくなったのかもしれなかった。
「買い物にでも行くのか」
「そうよ。昼食のあとには出発するからね」
 うなるようにそう答えたあとは、ルイズは何を買うとも言わなかった。必要なことだけ伝えれば、もう話すことはないという感じだった。ルイズは無口ではなく、ときには雨あられのように言葉を投げてきたりもするが、いざ喋らないとなると、閉じた貝が意地になったようにとことんまで喋らないところがある。
 釈然としないながらも、リキエルはそれ以上聞かなかった。さして興味がわかなかったというのもある。買い物をするなら自分は荷物持ちといったところだなと、独り合点でケリをつけた。
 昼までは何もすることがないので、リキエルはいつも窓拭きに使う雑巾の毛玉取りや、箒にしぶとく引っ付いた埃を取り除いたりといった、益体も無いことに熱中した。それに飽きると、机に向かって分厚い本を睨んでいるルイズを眺めたりした。
 ルイズは勉強の最中妙にぴりぴりしていて、それは話しかけるのがはばかられるほどだった。普段からの授業態度といい、魔法を使えないことをのぞけば、ルイズがずいぶんと優等な学生であることは、こういったところによく表れている。あるいは近々試験でもあるのかもしれない。
 それには思い当たるところもあって、昨晩ほど遅くなることはないが、ルイズはここ数日の間、放課後から夜まで部屋に居ないことが多いのである。図書館かどこか静かな場所に行って、一人で根をつめているのだろうとリキエルは考えている。
 怠惰にしているうちに日は高くなった。いつもより少し早い昼食のあと、ちょこちょこと準備をしてから、ルイズとリキエルは厩まで行き、馬を決めると早速に学院を出た。昨晩あった雲は夜明け前には散っていて、絵に描きたいような快晴だった。
 今日は虚無の曜日だとかで、リキエルの世界でいう日曜日のような休日らしかった。日ごろから大した疲れは無いものの、休日ということで気分的にのんびりと過ごしたかったリキエルは、買い物に行くと言われて少しだけ面倒に感じていたが、初めて行く城下町というものに対する期待の気持ちも、多少はあった。
 ただ、それは気分が高揚するような感覚ではなく、町の人ごみの中で落ち着いたままでいられればいいんだがな、という意味での期待だった。少なくとも楽しみだとか好奇心とかいったものとは、まるで結びつかない感覚である。
 しかし学院を出てしばらくすると、なんだかんだと言っても気分がよくなってきて、首をぐるぐるやったりするようになっていたのだった。
 ――今は俺を止めてくれるな、こんなに楽しんでいるのだから。
 特に好きでもない曲を頭の中だけで流してみる。こんなことまでするようになると、いよいよもって浮ついているという気がリキエルにはしてくる。陽気というのではないが、とにかく気持ちが高ぶっていた。
 ただ単純に高ぶるだけというのも奇妙な話だったが、まあそういうこともあるかと、リキエルは楽観した。

◆ ◆ ◆

 もうそろそろ起きようか、とキュルケは半ば眠ったままの頭で考えて、五回ほど寝返りをうってから眼を開いた。半身を起こして軽く伸びをすると、眠気もいくらか抜けていったが、まだベッドを下りる気にはならなかった。
 ぼんやりと夢とうつつを行ったり来たりするうちに、キュルケは頬に風が当たるのに気がついた。部屋の窓が開け放されたままになっている。
 ――あら?
 化粧を落とした後は、そのまま窓も閉めずに寝てしまったかと記憶を探ると、昨夜のできごとが次第に思い起こされていった。それに連れて、キュルケの顔には鋭気が広がっていく。頭の中に浮かぶのは恋の一字だけだった。
 その恋の向かう先は、言うまでも無くリキエルだった。昨晩のリキエルの態度はにべもないものだったが、そこは微熱とは情熱と称するキュルケである。生を受けたツェルプストーの家からして、『恋の情熱はすべてのルールに優先する』などという、あんまりといえばあんまりな家訓があるくらいでで、一度袖にされた程度で消沈するような、ぬるい恋なら初めからしないのが信条だった。
 どころか、ああ露骨に逃げられたのでは嫌でも追いすがりたくなると、キュルケの情熱にはますます薪がくべられていくようでさえある。そこにはいくらかの、恋の狩人としてのプライドも含まれているようだった。
 もう一度、磊落な性格に見合った豪放なあくびをひとつして睡魔をたたき伏せると、キュルケは跳ねるようにベッドから下りて、大ぶりな鏡台で化粧を始めた。この鏡台はキュルケが実家から持ち出したもので、もとはお蔵になっていた品である。
 とはいっても、引き出しなどの細工はいちいち手が込んでおり、鏡の縁取りも、埋め込まれた銀と瑪瑙が鮮やかだった。また強い『固定化』がかけられており、鏡面を磨く手間もかからないのでキュルケはなかなか気に入っている。
 ――そういえば……。
 これだけは人さまの物だったわね。リップブラシで薄く口紅を引きながら、キュルケは思った。
 もっとも、ツェルプストーの家を出るときは家具以外にも、手当たり次第かっぱらえるだけかっぱらって来ていたから、特別な感慨があるわけでもない。そもそも一年以上も前の話で、今さらなことなのだ。ただ時間に余裕があれば、ほかにも良い品物を持ち出せたかもしれないと、いささか未練に思うくらいである。
 目を細めて、キュルケは軽く嘆息した。その頃のできごとは明確に思い出せるが、そうするといまだに少し頭が痛くなってくる。苦い記憶だった。
 名目上、キュルケはトリステインへの留学生だが、実情は少しく違う。一年半ほど前のことだが、キュルケは生家のあるゲルマニアの魔法学校を退学になっていた。
 原因はキュルケの言う『情熱』とそこから来る奔放さにあって、勝手気まま、思いに任せた行動を続けたことで問題が起き、それが退学処分に繋がったのである。より正確には、ツェルプストー側の退学届けと、学校側の処分告知が交わされた結果の退学だった。
 また、ことはそれでは収まりがきかず、キュルケはその落ち着きのなさを危ぶんだ両親によって、どこそこのなにがしとかいう顔も知らない老いた侯爵の家に押し込められそうになった。
 それを嫌ったキュルケは、留学という形でトリステインに逃げ込んだ。無理に縁談を破り、顔に泥を塗った上で喧嘩別れの形になった両親とは、一ヶ月あまりの不和が続いた。
 ――まあ一番に痛むのは、そんなところじゃないのだけど。
 口紅を塗り終えると、あとはさっと目元をいじって化粧を終えた。あまり印象に残らない程度の、全体的にさっぱりとした仕上がりになった。それから制服に着替え、手櫛で髪をすいて部屋を出る。五歩も歩けば想い人に会えるのだから、ある意味安上がりなものである。
 ルイズの部屋の前まで来て、キュルケは少し思案する顔になった。
 昨日は少々強引な手で以ってリキエルに向かっていって、失敗した。それなら次はからめ手で行こうとキュルケは考えているが、その前に、もう一度正面から攻めておくのも悪くないとも思っていた。
 それでいきなり上手くいくわけはないが、改めてこちらの意気を示しておく意味では効果があるかも知れず、何より部屋に居るだろうルイズが顔を赤くして、憤然とつっかかってくる様が目に浮かんで、その気味のよさといったら無かった。学院に入って以来、ルイズをからかうことはキュルケの日課のひとつになっている。
 どうせなら、いきなり入って驚かせてみようかなどとキュルケは思い、校内では厳禁とされている『アンロック』の呪文で部屋の鍵を開けた。そのまま間を空けずに踏み入ったが、部屋にはリキエルの影も、ルイズの形もなかった。
 完全に肩を透かされて、キュルケは残念に思うより前に鼻白む顔になる。
「相変わらず、色気のない部屋ね……」
 悔し紛れでもないだろうが、どことなく不服気にひとりごちながら、キュルケは気だるげな視線を部屋の上下四隅に伝わせた。そうして、ルイズの鞄がないのに気がついた。
 休日というのに鞄がないところを見ると、ルイズはどこかへ出かけたか、がりがりと勉学に精を出しに行ったものと思われた。もし街まで出たのなら戻るのは夕方になるし、従者としてリキエルも連れ立って行っただろうから、いよいよ興がそがれる気分である。
 部屋に戻って二度寝してしまおうかと考えながら、キュルケはやおら窓の外に目を向けた。その目に、ちょうど門から出ていくリキエルとルイズがとまった。
 気の萎えかけていたキュルケだったが、またその眼に力がこもった。憮然とした顔はにんまりとした笑顔になった。やはりそれと見せられてしまうと、恋の狩人の本能とでもいうべきものがうずくようである。
 ルイズの部屋を出るとキュルケは、自室には戻らず寮の階段を上がった。
 キュルケは学院を出て行った二人のあとを追い、そのまま追い越し、行く先で待ち伏せようと思っている。リキエルに会うのはもちろん、今はそのついでに、二人を驚かさずには気がおさまらないという意地も張ってきていた。
 とはいえあちらは馬である。これから同じように馬を走らせたのでは、追い越しはおろか追いつくのにも無理があろうというものだった。それにルイズは乗馬がうまい。この学院の馬はそう上等とも言えないが、ルイズならばその中からでもいい馬を引っ張っていけるだろう。
 馬などよりよほど速い足が要るのだ。キュルケにはその心当たりがあった。しかもこの広い世の中でもそう並ぶものの無い、間違いなく最上の部類の足である。
 五階まで一息に駆け上がったキュルケは、突進する勢いで目的の部屋まで来て、ドアを叩こうと腕を振り上げた。しかし、はじめからどかどかとやるのもどうかと思い直して、いくらか抑えてドアをノックした。
 返事は無かった。もう一度、こんどは少し強めにノックしてみたが、やはり返事は無い。思い切ってドアを叩いてみても、まるで駄目である。キュルケは直ぐに痺れをきらしてドアを殴りつけるようにしたが、手が痛くなるまでそうしても、部屋の中からは、人が動く気配すらうかがえなかった。
 普通ここまでやれば、いまは部屋に居ないのだろうくらいには思ってもよさそうなものだが、キュルケはしつこかった。というよりも、目当ての人間が中にいると信じて疑っていなかった。
 先だってそうしたように『アンロック』で鍵を開けると、キュルケはまた何食わぬ顔して部屋に押し入った。
 思ったとおり部屋にはちゃんと主が居て、子供のように小さな体をさらに小さく、丸めるようにしてベッドに腰掛け――これも思っていたとおり――、やたら分厚い本を読んでいる最中だった。
 その娘は部屋に他人が上がりこんだというのに、そちらには一瞥もくれようとはせず、読書の姿勢を崩さなかった。本のページをくる指の動きを別にすれば、動きらしい動きといえばせいぜいが眼鏡をかけなおす仕草だけで、いっそ置物のようだった。
 キュルケは親愛の情を込めて娘を呼ばわったが、声は口から出ていかなかった。どうやら『サイレント』の魔法で、部屋はいっさいの音が遮断されているらしかった。自分に気づいていないわけはないから、読書を妨げられないようあえて呪文を解かず、しかもこちらを無視しているのだろう。
 この子らしい、などとキュルケは微笑ましいような気持ちになるが、そうかと言って話を聞いてもらわないわけにもいかない。ずかずかと近づいて、その手から本をもぎ取った。
 じろりと、眼鏡のレンズ越しに青い瞳が見つめあげてきた。一見して無表情なままだが、そのまなざしにははっきりと不機嫌な色が見て取れた。キュルケはそれとわかりながら、本をいっそう高い位置に持っていった。
 そんな状態でしばらくの膠着があったが、先に折れたのは向こうだった。娘は仕方が無いとばかりに目をすがめると、傍らに立てかけてあった、大人の身の丈ほどもありそうな杖を振るった。『サイレント』の呪文を解いたようである。
「おはよう、タバサ」
 あらためてキュルケは言った。
「…………」
 およそ感情の動きにとぼしい顔を、タバサはほんの少しだけ、顎を引くようにして傾けた。挨拶を返したのである。余人が見れば何のまねと思うかもわからないが、キュルケにはそれだけで十分だった。この二人は、無類飛び切りの親友という間柄である。
 タバサはキュルケやルイズと同級で、大国ガリア出身の留学生である。『風』と『水』系統の魔法を得手とするメイジで、そこから二つ名は『雪風』といった。
「虚無の曜日」
 小さく口を開いて、タバサが言った。
 低くぼそりとした声だったが、やはり言外の不機嫌は明らかなものがあった。タバサにとって授業もなにもない虚無の曜日は、ゆるりと読書を楽しめる日で、たとえ教師や親友が相手でも邪魔はされたくない曜日だった。
「わかってるわ、タバサ。あなたにとっての虚無の曜日がどういうものかっていうのはね。それを承知で来たの」
 キュルケは神妙な顔で言ったが、次の瞬間にはもう元気になって、
「お願いがあるのよ! あたしね、恋したの! 恋よ!? 恋! しかもあのヴァリエールったら見せ付けてくれちゃって……とまれるわけがないじゃないの! あの二人ったら馬でどこか行ってしまったのよ!? それをあたしは追いかけなくちゃならない! あなたの使い魔じゃないと追いつかないわ、お願いっていうのはそれなのタバサ!」
 と早口でまくしたてた。そこに大仰な身振り手振りが加わって、手に持った本もぶんぶんと振り回される。
「……」
 その本はタバサの自前ではなく、学院の図書館で借りたものだった。タバサにしてみれば、周りが見えなくなっている親友の手から、いつ本がすっぽ抜けていってしまうかと気が気でない。もし傷でもつけて、今後の貸し出しを禁止にでもされてはことだった。
 タバサの心配をよそに、キュルケは今抱いている恋の熱さと深さとを語り続け、身振りをいっそう大きなものにしていく。
 ――実はそうやって……。
 自分を脅しているのじゃないか。タバサはそう思った。自分がいかに本を大切にしているか知らないわけはないのに、いまのキュルケは恋に目を奪われているにしても不注意が過ぎた。
 タバサはそれを、わざと軽率な動きをして、自分の気を揉ませる魂胆と見た。考えすぎかもしれないが、それでも猜疑が頭をもたげてしまうのは親友ゆえである。キュルケが強引であるのは昨日とか一昨日とかに始まったことではないし、手段を選ばずに我をとおす部分があることも、タバサは承知していた。
 ただ、わざとにしても万一ということはあるから、うっちゃっておくにも安心はできない。やはりいまは、キュルケの頼みとやらをさっさと聞いてしまうのがいいかもしれない。それが平安な時間と本を奪い返す最良の策なのだ。タバサはそう思うことにした。
 ――なにより……。
 数少ない親友の頼みだ、むげに断るも忍びない。タバサの本音のだいたいは、実はここだった。
 タバサはしゃべりつづけるキュルケを無視して、部屋の窓を開けてすっと息を吸った。そして長めの口笛を吹いた。吹き終わりと同時にふわりとした春の風が舞い込んできて、タバサの、瞳とそろいの青い髪を揺らした。
 顔にかかった髪を、犬のように頭を振ってはらうと、タバサは窓枠に足をかけて外に飛び出した。
 恋の演説に夢中になっていたキュルケはそれに気づくと、慌てて後に続いた。
 窓の外では、ドラゴンがせわしなく翼を動かして待機していた。
 これがタバサの使い魔で、名は古い風の妖精にちなんでシルフィードという。青い体色がなんとなく主人との近似を思わせる、雌のウィンドドラゴンである。シルフィードは人の身の丈の4、5倍はあろうかという大きさだが、まだ幼生だった。人でいえば十かそこらだろうか、ちょうど甘えたい盛りといえた。竜は、時をかければ際限なく大きくなる生き物である。
「いつ見ても、あなたのシルフィードは惚れ惚れするわね」
 などと言うキュルケを横目にして、タバサは短く「馬二頭。食べちゃだめ」と使い魔に命令した。

◆ ◆ ◆

 学院を出て三時間ばかりしたか、城下町についたルイズたちだったが、駅に馬をつないだ後、しばらくそこで往生することになった。リキエルが動けなくなったのである。
「情けないわね、腰を痛めて動けなくなるなんて」
「悪かったな。初めてだったもんでよォ、乗馬なんてものは」
 さも呆れたというようなルイズに、リキエルは少しばかりの反抗を起こしたが、声にはまるで威勢が乗っていなかった。地べたに座り込んで、そのうえ顔も若干青ざめているリキエルは、通りがかる人々からは病人を見る目で見られている。
 リキエルはルイズに、馬に揺られて腰を痛めたから休ませてくれと言っていたが、そこにはいくらかの嘘が入っている。腰が痛いのも本当ではあったが、それの数段増しの痛みにリキエルは苛まれている。
 それはいわゆる、男にしかわからない場所の言いようのない鈍痛というやつだった。馬に乗っている間に、二度といわず三度といわず鞍にうちつけてしまったのである。ついでに、さっき馬を降りる段にもう一度したたかにうちつけていて、それでいま動けなくなっていたのだ。
 もういいかなと思って動こうとすると、痛みがぶり返して下腹に染み出すように広がり、変な汗が額ににじむ。痛みのせいで立ち上がれないというより、立ち上がる気になれなくなる。そんな痛みがそこにはあった。情けないと言われるのもわかるが、こればっかりはしょうがない。
「馬に乗ったことがないの? はあ、これだから平民は……」
 こんどは、リキエルはなにも言い返さなかった。ただ密かにふてくされた。
 ――バイクならなァ~、こんなことにはならなかったろうによォ。そういやどうしたんだったかな、オレのHB-2は。どこにやったんだっけ? 一緒にこっち来てたはずだよな。あ、でも事故ったら元も子もないのか、くそっ。
「そんなにひどいの?」
「うん?」
 胸のうちで毒づいた、そのついでのようなうめき声が聞こえてしまったものか、不意にルイズが声をかけてきた。
「ぁいや……大丈夫だ」
 やけに心配げな声だったものだから、リキエルはついそう答えてしまった。痛みはちょうど峠にさしかかって、腸にこぶし大の石を詰められたような心地に辟易していたところなのだが、こうなっては意地でも立ち上がるしかない。
 口を真一文字に引き結んで、リキエルは腰を上げた。
「そ、じゃあ行くわよ」
 リキエルが立ち上がると、ルイズはにべもなく言ってすたすたと歩き出した。
 今さっき垣間見えた、ほんの一瞬の甲斐甲斐しさも疑わしくなるような態度に、リキエルは少しばかり困惑した。そんなわけもないのに、騙された心地さえする。年頃の女の子ってやつはよくわからねー。
「まあ、いいや」
「なにか言った?」
「なんでもない。……そういえば、なにを買うんだった?」
 買い物の目的を聞いていないのをふと思い出して、リキエルは話をふった。痛みのまぎらわしにもちょうどいい。
「言わなかったかしら」
「聞いてないぜ。買い物に行くとしかなァー」
 そういえばそうだった、というように首肯すると、ルイズはごく簡単に言った。
「剣よ」
「剣? そりゃあまたどうして」
「あんたのためでしょうが」
「そんな物騒なもの……」
 オレはいらないぜ、と言いかけたところで、リキエルは昨晩の騒動を思い出した。キュルケに想いをよせられている自分は、それと知られれば、彼女に想いをよせている男連中の目の敵にされるかもしれないのだ。
 そうなれば、ギーシュとの決闘どころの被害ではすまないだろう。昨夜争っていた五人のメイジだけとって考えても、魔法の威力がギーシュとは段違いだった。あんな奴らに挑まれてはひとたまりもない。剣のありやなしやで、少しはそんな心もとなさも薄れるかもしれなかった。
「だがよォ~」
 ルイズの言わんとするところはわかったが、必要不必要の前にリキエルは剣を扱えない。買い与えられたところで宝の持ち腐れという感じがした。
 扱えたところで、何もできやしないだろうことも自分でよくわかっている、とリキエルは思った。たとえば銃を握っていたとしても、肝心のところではパニックになって、手のひらには汗をかいて、最後は取り落としてしまうだろう。
 そんなふうに言うと、ルイズは胡乱げな目で仰いできた。
「嘘おっしゃい。あんた剣士でしょ?」
「…………」
 リキエルは棒立ちになった。意図せず顔がしかんでいく。思いもよらないことを言われ、どう反応したものかわからなかった。自分を剣士などとは、いったいなにをどう削ってどう砕いてどうひねって、どうこね回して搾り出したらそう見えるのだろうか。
 前に向き直っていたルイズは、立ち止まったリキエルに気づかずそのまま歩いていく。まばたきをひとつふたつする間に、けっこうな差が開いてしまっていた。われに返って、リキエルは大またで歩き出した。すぐにルイズとの距離が縮まった。
 リキエルはようやく聞き返した。
「ええと、すまないがもう一度言ってくれるか。聞き間違いかもしれないが、なんだかすごく奇妙なことを言われた気がするぜ。オレがなんだって?」
「あんた剣士なんでしょってば。三度目は言わせないでよ」
「剣士ィ~? 自虐でもないが、オレは果物ナイフ程度もろくに扱えない人間だぞ」
「言い方が自虐っぽいわよ。……でも、じゃあこの前の決闘はなんだったの? あんなに華麗にゴーレムを捌いてみせたじゃないの」
「ありゃあ、まぐれだ」
「でも、なにかの心得くらいはあるんでしょ?」
 ルイズは食い下がった。
 当の本人にはとんと自覚がないが、リキエルとギーシュの決闘は、目にした人間に一様に大きな衝撃を与えている。特にリキエルの戦いぶりは、剣を握るのが平民であるという事実以上に、その技量の高さが驚きをさそって、そういう大立ち回りを好む男子などの間では、いまだに話の種にその決闘が持ち出されている。
 ふだん血なまぐさいことに興味の無い女生徒などでも、そのとき抱いた関心は小さくないようだった。ルイズがその手合いの一人である。

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