ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

9 そこに成功は無い 後編

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匿名ユーザー

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 空に映る黒い影。
 普通の人間には鳥の影にしか見えないそれは、先日の風雨で完全に崩れ果てた小屋の残骸を前で退屈そうにしていた地下水の目には、はっきりと船の形として映っていた。
 帆船の胴体に鳥のような翼が生やしたそれが、菱型の陣形を形成して宙に浮かんでいる。
 恐らくは、軍艦だろう。民間の船でも複数で固まって行動することはあるが、規則的に整列することなど、まず無いといっていい。
 訓練でもしているのだろうか。
 そう思って様子を見ていると、さらに西から別の艦隊が近付いてくる。トリステインの西にはアルビオンしか存在しないのだから、あれはアルビオンの艦隊なのだろう。
 しかし、こんな時期にアルビオンがトリステインを艦隊で訪問する理由が分からない。アルビオンは内戦を終えたばかりで、他国にちょっかいを出す余力は無いはずなのだから。
「なあ、ウェールズの兄ちゃんよ。この時期って、余所の国が訪ねて来るような大きなイベントなんてあったか?」
 つい最近まで王族だったウェールズなら、多少は情報を持っているだろうと訊ねる。
 数日の寝床としていた小屋の残骸から使えそうな廃材を探していたウェールズが、顔を上げて首を傾げた。
「そういった話は……、いや、一つだけ心当たりがあるな。しかし、どうしたんだ、突然?」
 一瞬だけ浮かんだ暗い表情を隠して、地下水の見上げる視線の先を追う。
 ウェールズの目では、ミノタウロスの体を通して視界を確保している地下水ほど、精密に空に浮かぶものを認識することは出来ない。
 随分と大きな鳥が飛んでいるな。という言葉がウェールズの口から洩れた為に、それが船であることを地下水が伝えて、初めて納得がいったように頷いた。
「アレは、軍艦なのか?」
「確証は無いが、十中八九間違いねえよ」
 更なる補足で状況を把握したのか、深刻そうにウェールズが口元を引き締めたのとほぼ同時に、それは起こった。
 アルビオン軍艦が煙を幾つか吐き出し、続いてトリステインの軍艦も舷側から煙を吐き出す。
 それは、艦隊同士が行う歓迎と感謝の意味が込められた、礼砲だ。当然の如く実弾は装填されていない。
 はずだった。
「おいおいおい、なんか火を噴いてるぜ」
「ああ、煙が見える。アルビオン側の船か?」
「たぶんな。奥に居た一隻が落ちた」
 派手な黒煙を上げて、景色の向こうに影が一つ沈んでいく。距離があるために遅く届いた爆発音が、妙に間抜けなものに聞こえた。
「なんか、嫌な予感がするんだが……。兄さんよ、心当たりがあるんだろ?知ってることがあるなら教えてくれ」
 そう言っている間に、アルビオン側の船が砲を撃ち始める。一度目の斉射でトリステイン艦隊の陣が崩れ、二度目の斉射で先頭に浮かんでいた船が爆散した。
 今頃になってトリステイン艦隊も砲を撃ち始めたが、動きがバラバラでアルビオン艦隊に各個撃破の的とされている。結末は、火を見るより明らかであろう。
「バカな!今のアルビオンに先端を開く力など残っていないはず……!いや、契約が果たされればゲルマニアの横槍が入る。その前に決着をつけるつもりか?だが、足りぬ戦力を補うために奇襲までかけて……、なんという恥知らずな!」
 シャルロット経由で知ったアンリエッタの政略結婚の話を思い出し、目に映る現状に当て嵌めていく。
 それは、トリステインにいる誰よりも正確に、アルビオンの行動原理を導き出していた。
「良く分からんが、戦争が始まるんだな?ってことは、船が見えるほど近いこの村は……」
「狙われるだろうな。刈り入れ時の麦のお陰で、食料の現地調達は容易だろう。陣を築くのに適した草原も、戦略的に優位な丘の上という条件まで整っている。トリステイン侵攻のための橋頭堡を築くのには、理想的な場所だ」
 湧き出す苛立ちに爪を噛み、ウェールズはまだ砲を打ち合っているアルビオンとトリステインの艦隊を睨みつける。
 トリステイン艦隊は圧倒的劣勢で、もう最後の船が沈もうとしている。アルビオン側の損耗は小さく、小さな船が二隻ほど煙を上げているだけだった。
 竜騎兵が最後のトリステイン艦から飛び立ち、東へと向かう姿が見える。それを追って、アルビオンも竜騎兵を動かすが、速度がほとんど同じだったのだろう。まるで追いつく様子が無く、短い追いかけっこの末に諦めたように進路を変えた。
「こっちに来るぜ!?」
「1、2、3……、4騎か。竜騎兵を落とすのは容易ではないぞ。どうする?」
 既に杖を抜き、戦う気を見せているウェールズに、地下水はミノタウロスの体をブルリと震わせて、首を横に振った。
「戦うつもりか?冗談だろ。竜のブレスをまともに浴びたら、いくらミノタウロスの毛皮でも黒焦げなんだぜ?騎手を撃ち落せるホル・ホースの旦那が本調子なら良かったが、今はダメみたいだし、逃げる以外に選択肢はねえよ」
 返事を待っている時間すら惜しいのか、竜騎兵たちが来る方向とは逆の方向に向けて地下水は走り出す。
 それに追従することなく仁王立ちするウェールズは、そんな地下水に一声かけて、自身は杖を構えた。
「ならば、君には村の住人達の避難と援軍の要請を頼みたい!確か、滞在している学院の教員に炎の使い手がいるはずだ!」
「おう、わかった!精々頑張れよ!」
 振り返りもせず村の方向へと走る地下水を目で追ったウェールズは、その迷いの無い言葉に満足そうに笑ってから、ちょっと寂しそうに眉の形を変えた。
「分かってはいたのだが……、うむ。友人という感覚はないのだな」
 一度も立ち止まらず、欠片も心配してくれない冷たい認識が、なんだか無性に恨めしかった。


 トリステイン艦隊とアルビオン艦隊の戦闘が始まり、そして終結してから程無くして、タルブの村は混乱に陥った。
 地下水が敵の襲来を教えたからではない。
 それを伝えに来た地下水の姿を見て、ミノタウロスが村を襲撃したと勘違いしたからだ。
 これがオーク鬼なら人々は抵抗するだろう。農具である鎌や鍬を手に持ち、命を張って抵抗すれば、一匹や二匹くらいなら平民の手でも何とかならないわけではない。
 だが、敵がミノタウロスだと、普通の人間ならまず逃げ出す。
 優秀なメイジでも負けることのある怪物だ。毛皮は常人の力では貫けず、一方的に蹂躙されるしかない。領主か王宮に救援を求めるしか、助かる道は無いのだ。
 恐怖に顔中の筋肉を引き攣らせた人々は、地下水が村の中に入って来たと同時に四方八方へ逃げ出し、風雨で壊れた村の修繕に沸いていた様子は一転して静かなものとなる。
 呆然と人通りの無くなった道の中央に立ち尽くした地下水は、頭を抱えて苦々しく唸った。
「人間ってやつは、すぐこれだ!外見だけでなんでも判断しやがる!こうなるのが分かってたから、村には近付かないようにしてたってのによ!!」
 思わず不満が口から飛び出すが、結果だけ見れば、それで目的が果たされてしまっているのだから皮肉だ。
 それでも、逃げ遅れる人間は少なくない。
 気付くのが遅れた者。腰を抜かす者。手近な刃物を手に、果敢に立ち向かおうとする愚か者。
 それに、村長の屋敷に集められた病人達。
 いっそのことこのまま逃げてしまおうかとも思うのだが、その病人の中に含まれているシャルロットを見捨てるわけにもいかない。
 とりあえず目の前にいる人間をなんとかしようと、雄叫びによってちんたらしている連中のケツを蹴っ飛ばした地下水は、それでも残っている人間の中に見知った人物を見つけて、気が抜けたように本体の刀身をカタカタ鳴らした。
「なにやってんだ、オマエ。長生きし過ぎてボケたか?」
 片腕にエルザを抱えたホル・ホースが、エルザの食べかけのミートサンドを横から食い付きながら問いかける。交代でエルザもミートサンドを頬張り、二人してもっしゃもっしゃと口を動かす姿は、敵が攻めてきたという焦りをもった地下水も脱力してしまうほど、まったく緊張感の無いものだった。
「配給されてるもんなんだが、お前も食うか?肉を挟んだのはこれが最後だが」
「いや、いらねえ。じゃなくて、そんなことより大変なんだよ!」
 ごくり、と喉を鳴らして口の中のものを飲み込んだホル・ホースは、再びエルザの手にあるミートサンドの残りに噛み付き、食べ尽くす。
 口の塞がってしまったホル・ホースの代わりに、一歩遅れて嚥下したエルザが地下水に聞き返した。
「なにが大変なのよ。蜂の巣でも突っついたのわけ?」
「なら良かったんだけどな!襲って来るのは蜂なんて優しいもんじゃねえ、竜に乗ったアルビオンの兵士だよ!四騎ほど村の手前まで来てるんだ!」
「ぶほっ!」
 ホル・ホースの口から咀嚼された肉とパンの混ざったものが噴出し、ミノタウロスの毛皮を汚した。
「ナニィーッ!?な、なんでだ!どうしてオレ達が追われなきゃ……、って色々と心当たりはあるか」
「いや、連中は俺達を追ってきたんじゃねえよ!戦争だ!戦争が始まったんだよ!!」
 一瞬納得しかけたホル・ホースに地下水は後方の空を指差して、そこに浮かぶアルビオンの戦艦を見せ付ける。
 徐々に近付く船の姿は、もう人間の目にもはっきりと見えるようになっていて、周囲を竜騎兵が飛び交っている様子まで確認できるようになっていた。
「うへぇ……、派手な団体客だな」
「こうして見ると圧巻ねぇ」
 それが今から攻めてくるというのに、洩れ出る感想は他人事のようであった。
「なんでそんなに呑気なんだよ!もうすぐそこまでまで先遣隊が来てるんだぞ!!ウェールズのヤツが足止めしてる間に逃げねえと!!」
「ああ、わかってるよ。だがよ、先遣隊くらい、カステルモールの馬鹿がなんとかするだろ?シャルロットの嬢ちゃんが危険に晒されてるんだから、命がけで奮闘してくれるだろうぜ」
 腐っても元騎士団長。たかが数騎の竜騎兵に遅れは取らないだろう。
 先遣隊を潰せれば、敵の警戒を誘うことが出来る。逃げるのに十分な時間が稼げるはずだ。
 だが、そんな考えを、地下水は頭を振って否定した。
「アイツは姐さんの風邪薬を買いに街まで行ってて、ここにはいねえよ!いたら、俺だってこんなに焦ったりはしねえっての!」
 ガリアのシャルル派の筆頭であるカステルモールは、シャルロットを信奉し、主と定めて献身的に奉仕をしている。今回も、シャルロットが風邪を引いたと聞いて即座に自前の竜を飛び立たせ、ラ・ロシェールまで旅立っていた。
 出発したのは一時間前だから、そろそろ帰ってきてもおかしくは無い。だが、まだ帰って来ていない以上、役に立たないことに変わりはなかった。
「ハァ!?おいおいおい、冗談だろ?あのヤロウ、こういう時の為に村に滞在してるんじゃねえのか?なんで肝心なときに留守なんだよ!」
 悪態を吐く言葉に焦りが混じる。
 スタンドは相変わらず本調子ではなく、空を飛び回る相手に対抗する術は無い。
 とすれば、選ぶべきはたった一つだろう。
 申し合わせたようにホル・ホースとエルザの目が合い、同時に頷いた。
「よし、逃げるぜ!オレとエルザは厩舎で馬を奪う。地下水は自分でどうにかしな!」
「うおっ!?そりゃあ薄情だぜ、旦那!」
「うるせえ!テメエのそのなりじゃ、馬には乗れねえだろ!でかい荷台付きの馬車でも手に入れるんだな!」
 空に見えるアルビオンの艦隊とは逆方向に走り出したホル・ホースは、記憶にある村の家畜小屋に向けて走り出す。確かそこに、行商人の馬が何頭か預けられているはずだった。
 そう遠くない目的地だ。なんとか間に合うだろう。
 そう思ったホル・ホースを嘲笑うかのように、頭上を一匹の竜が追い抜き、炎を撒き散らす。
 確認するまでも無く、アルビオンの竜騎兵だ。
 道の先にあった小屋が一瞬にして炎に包まれ、中から動物達の悲鳴が轟く。火達磨になった数頭の馬が壁を突き破って道に出ると、幾つかの家の壁を破って倒壊させる。
 火は、あっという間に近隣の建物に燃え移って行った。
「クソッ!遅かったか!だらしねえヤロウだな、ウェールズのクソッタレはよ!もうちょっと気合入れて足止めしやがれ!!!」
「どーするのよ!?このまま真っ直ぐ逃げても、火炙りになっちゃうわよ!」
「よし、地下水、囮になれ!」
「全力で断るぜ!死なば諸共だ!一緒に地獄に逝こうぜ、旦那!!」
 地下水がホル・ホースの襟首を掴み、ごふごふ、と笑う。
「放せ無機物!テメーはその辺の小動物の体でも乗っ取って逃げればいいだろうが!!でなけりゃ、空を蝿みてえに飛んでる竜の体でも奪いやがれ!」
「おお、その手があったか!あ、でもそれすると、このミノタウロス野放しだぜ?」
「じゃあ却下だ!そのまま大人しくデカイ的晒して逃げ惑ってろ!」
「旦那も一緒だがな!」
「心中なんてゴメンだ!オレを解放しやがれーッ!!」
 地下水を犠牲にしてでも逃げようとするホル・ホースと、それを許さない地下水の見苦しいやりとりから耳を塞いで鼓膜を守るエルザは、頭上を飛び交う影がいつの間にか四つになっていることに気付く。さらにそれらが共通してこちらを見ていることを察すると、顔色を真っ青にしてホル・ホースの耳を掴んだ。
「こ、こっち見てる!?二人とも騒ぎ過ぎよ!凄く目立ってるじゃないの!」
「痛え!わかったから引っ張るな!チクショウ、物陰を盾にしながら逃げるぞ!!」
「それしか無さそうだな!」
 脱兎の如く走り出したホル・ホースたちを、空の竜騎兵たちは揃って追いかける。
 本来なら手分けして村を制圧するのだろうが、ミノタウロスの姿が目に付くのだろう。放っておいて横合いから殴られでもしたら、竜騎兵とて無事では済まない。それに、本来は人間を襲う亜人が人間を攻撃していないということは、何処かのメイジの使い魔である可能性が高い。
 その何処かのメイジが一番ミノタウロスの近くに居る人間だと思うのは、決して不自然なことではなかった。
「揃って追ってきやがる!散らばれよ!なんでオレ達を集中攻撃するんだ!?」
「知らないわよ、そんなの!」
「喋ってないで走ろうぜ、旦那!」
 愚痴を零している間も、走るホル・ホース達の横を炎が掠め、地面を焦がす。
 辛うじてエルザが魔法で竜のブレスの進路を変えているから直撃はしていないが、もう少し接近されれば、風の壁も突破されるだろう。
 さらに加速してホル・ホースたちを追い詰める竜騎兵達が、騎乗する竜に指示を出し、一斉にブレスを吐き出させる準備をする。魔法による妨害を見破られたらしい。
 次の一撃は、エルザの魔法では防ぎ切れないだろう。
「ちょっと地下水!あなたも迎撃してよ!!」
「この体使い辛いんだよ!脳味噌と体がちぐはぐで、集中しきれねーの!慣れるまで待ってくれよ!」
「そんな余裕あるわけ……、き、きたきたきた!お兄ちゃん、伏せて!!」
 鋭い牙がズラリと並んだ口を開け、騎兵の乗る竜が一斉に喉の奥を炎の光に包んだ。
 赤く、それでいて白い灼熱の炎が、ホル・ホースたちの頭上を舐め取る。
 間一髪、エルザの声で伏せたホル・ホースと地下水は回避に成功し、焼け死ぬことなく熱せられた背中に呻き声を洩らした。
 あと一秒遅ければ、頭部を炭に変えていたことだろう。
「クソッ!帽子の端が焼けやがった!弁償しやがれボケ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!また来るわよ!」
 ホル・ホースたちを追い抜いた竜騎兵達が、一度高度を上げて旋回し、再び降下してくる。
 戦隊は縦列。僅かにタイミングをずらしてブレスをぶつけるつもりだろう。エルザの魔法でも、連続して浴びせられる炎を全て防ぎきれるものではない。
 先頭を飛ぶ竜の口が開かれ、その奥に炎の光を見たホル・ホースは、苦し紛れに右手を突き出してスタンドを発動させた。
「調子ぶっこいてんじゃねえぞ、ダボが!」
 引き金が引かれ、生命と精神によって織られた弾が銃口から吐き出される。
 が、それは十メートルと進まないうちに、重力に引かれて地面に落ちた。
 子供向けの玩具の銃から撃ち出されるBB弾といい勝負である。
「ヒィー、もうダメだァーッ!」
 相変わらず調子の悪い切り札に希望を失ったホル・ホースの喉から、情けない悲鳴が飛び出した。
 空気を焼く高熱の炎が竜の口から飛び出して、一直線にホル・ホースたちに向かう。
 だが、それはホル・ホースたちを焼くことなく、土の壁に遮られた。
「だらしないねえ?この程度で弱音を吐くなんて」
 妙齢の女性の声がホル・ホースたちの耳に届く。
 それは緑色の髪を風に靡かせ、未だ無事な家屋の屋根に悠然と腕を組んで立っていた。
 地面kなら飛び出した巨大な手は、炎を防ぐだけに止まらず、突然目の前に現れた壁に驚いて急転し損ねた竜騎兵を容赦なく叩き落す。
 竜が地面に落ち、騎兵が宙に投げ出された。
「まず、一騎」
 当然のように鼻を鳴らして、マチルダは杖を高く振り上げる。すると、背後から蛇のように波打つ炎が鋭く飛び出し、転進したもののバランスを崩した他の竜騎兵を襲った。
 翼の皮膜を焼かれ、飛ぶ力を失った竜と共に騎兵が地面に叩きつけられる。
 これで、二騎。
 マチルダの口元に、笑みが浮かんだ。
「さあて、残りもさっさと仕留めちまおうかね。大事な生徒の命がかかってるんだ。頑張りなよ、コルベール先生」
「その口調の方が地のようですね、ミス・ロングビル」
 マチルダの立つ家屋の影から杖を握ったコルベールが現れ、切なそうに溜め息を吐く。二騎目の竜騎兵を倒したのは、この男だったようだ。
「た、助かった……?流石マチルダ姐さんだ!愛してるぜーッ!」
「気色の悪いこと言ってないで、さっさと構えな!」
 愛してる、なんて言葉に反応したエルザに耳を引っ張られながら、ホル・ホースは頭上を確かめる。
 マチルダとコルベールの二人の攻撃から逃れた竜騎兵が二騎、高高度を円を描くように旋回していた。思わぬ反撃に、警戒を強めているのだろう。相手も容易に攻めてこようとはしない。
 高レベルのメイジが二人、敵に回ったとあればその反応も当然だ。
 暫くの睨み合いの後、埒が明かないと踏んだのか、騎兵の一人が杖を手に“明かり”の魔法で強い光点を作り、それをマントで覆い、点滅させ始めた。
 それの意味を察したコルベールが、表情を良くないものに変えてマチルダに向き直る。
「信号ですな。速く落とさねば、味方を呼ばれますぞ」
「そうは言われてもね、あの距離じゃ遠くて魔法は届きはしないよ。ガキ共が逃げるだけの時間稼ぎをしないといけないのに……、あんた達、なにか手はないのかい?」
 問いかけられて、ホル・ホースたちはお互いの顔を見合わせる。
 顔が一度、先ほど撃墜してばかりの竜騎兵たちの方を向いて、ホル・ホースが親指でそれを指し示した。
「あそこに倒れてるヤツがまだ生きてるみてえだから、拷問にかけて上の連中を釣るって方法はどうだ」
 痛みに悲鳴を上げさせれば、相手も逃げてばかりはいられないだろう。見捨てるという選択肢を取れるのは、非正規の傭兵のような仲間意識の無い者だけだ。竜に乗るような正規軍の人間なら、敵に苦しめられる同僚を放っては置けないだろう。
 地球でも、狙撃手が使う有効な手だ。狙撃しやすい場所に生きた敵兵を転がし、手足を撃ち抜く事で死なない程度に弄ぶ。そして、助けに出ようとした別の敵兵の命を狙うのだ。
 人道を無視すれば間違いなく有効な手なのだが、マチルダは難色を示す。
 卑劣な行為だと憤ったわけではない。単純に、個人的な事情からだった。
「それでティファニアに嫌われたら、あんた責任取れるんだろうね?」
「了解。聞かなかったことにしてくれ」
 手をひらひらと振って顔を背けたホル・ホースが、エルザや地下水と相談を始める。
 別の案を模索しているようだが、これと言って良案が出てくる気配は無さそうだった。
「ミス・タバサの使い魔であるシルフィードを借りられれば、あるいは」
 一つ方法を思いついたコルベールに、マチルダは直ぐに首を横に振る。
「今から呼びに言っても、間に合いはしないよ。それに、そのシルフィードも確か風邪を引いて寝込んでる筈さ」
 雨風に晒されたのは、なにも人間ばかりではない。シルフィードもまた、無理をして飛び続けたために体力を落とし、クシャミを何度も繰り返していた。今頃は、体を温めるためにどこかで日光浴でもしていることだろう。
 病気の幼い風竜では、健康な大人の風竜を追い掛け回すことなど出来はしない。安定した飛行が出来るかどうかさえ怪しいものだ。
 戦力に数えることは出来ない。
「……打つ手なし、か。歯痒いねえ」
 視界の端に森の中へと逃げ込んでいく人影を確認して、マチルダは親指の爪を噛む。
 事態を把握した村人達の避難は進んでいるが、村長の家に隔離されていた病人達は未だに村を出ることさえ出来ていない。心優しい義理の妹もまた、そんな病人達の手助けに就いているために逃げ遅れている。
 屋根の上から見る限りでは、マチルダが一番避難して欲しい人物が逃げ切るまで、まだ暫くの時間が必要なようであった。
 病人を支えた村人が、一人、また一人と森の中に入っていく。その中には学院の生徒達の姿もあり、動きの速い少年が両脇に子供を抱えて行き来を繰り返している。それでも、村長の家から村の外へと続く道には病人の列が並び、一向に前に進む気配は無い。
「困りましたな……。もう、あれを落としても敵の増援は防げそうに無い」
 頭上では光を使った信号が既に終了していた。
 二騎の竜騎兵は味方が来るまで様子見を決め込むつもりか、ゆっくりと旋回を続けている。
「大人しく逃げるが勝ち、かね。って、あいつらどこ行った!?」
 コルベールの言葉に村の住人達と合流することを考えたとき、先ほどまで道の真ん中で話をしていたはずのホル・ホースたちの姿が消えていることにマチルダは気付く。
「まさか、逃げた……?」
 村のどこに目を向けても見当たらない、目立つはずの三人組。ミノタウロスの巨体すら物陰に隠して逃げているのだろう。
 ある意味、驚異的な逃走技術である。
「あ、ああ、あんのドグサレがーッ!!」
 助けてやった恩も忘れて逃げ出したホル・ホースたちに、マチルダは絶叫を上げる。
 やるときはやるやつだと思っていたのに。だとか、頼りにしていた。なんて期待は無く、案の定とかやっぱりといった感想が洩れそうなのは秘密だ。
 キッと目の端を吊り上げてホル・ホースたちを探し始めたマチルダは、そこで、ふっ、と目の前が暗くなり、唐突に夜が訪れたような感覚に襲われた。
 直ぐには頭上に目を向けない。
 ゆっくりと息を吸い、一拍置いて、深く吐き出しす。
 コルベールを見てみれば、顔は強張り、杖を持つ手には力が入っていることが良く分かる。
 もう一度深呼吸して、マチルダはそっと視線を受けに向けると、思わず頬の筋肉を引き攣らせた。
「これは、随分と豪勢だねえ」
 タルブ村の頭上を数十騎の竜騎兵が埋め尽くし、その背後に巨大な戦艦の姿が威容をもって浮かんでいた。
 船の横から吊るされたロープを伝って、アルビオンの兵士が次々と降下を始め、数を徐々に増やしている。その総数は、現時点でも千を優に越えているだろう。他の戦艦からもロープが垂れて人が降りて来ているところを見れば、さらに数が増えることは間違いない。
 この状況なら、たかがメイジ二人を目くじらを立てて執拗に追い回すようなことはしないだろう。と、思いたいところなのだが、既に二騎の竜騎兵を倒してしまっている以上、そう易々と逃がしてはくれないらしい。
 竜騎兵の一団は、マチルダとコルベールを囲うよう旋回しながら徐々に高度を落として距離を縮めている。逃げる気配を見せれば、一瞬にして距離を詰め、炎を浴びせかける気だろう。
 仲間を倒された怒りの色が、マチルダにもコルベールにもはっきりと感じられた。
 屋根から降りて適当な建物を背後に杖を構えたマチルダとコルベールは、この状況にどう対応するか検討を始める。その姿もまた、敵の竜騎兵達の視界の中であり、身振り手振りはしっかりと見られていた。恐らくは、風のメイジあたりが声も盗んでいるのだろう。
 八方塞で、獅子に襲われた兎程度の抵抗しか出来ないという結論に達した頃、タイミングを計って一騎の竜騎兵が降りて来る。
 立派な体躯の風竜に騎乗した男が羽帽子の下にある髭面を晒し、鋭い瞳をマチルダに向けた。
「久しぶり、と言うべきかな?マチルダ・オブ・サウスゴータ。妹君は元気かね?」
 かつてトリステインのグリフォン隊隊長だった男が、今はアルビオンの士官用のマントに身を包み、祖国の村を焼こうとしている。
 猛禽類のようなワルドの目を見て力の差を感じ取ったマチルダは、同時に、目の前の男について一つの疑問を抱く。
―――こいつ、誰だっけ?
 アルビオンの夜に起きた、ウェールズとホル・ホースが死に掛けた事件。その時は暗い上に遠目であったために、その犯人の顔をマチルダは一切見ていなかった。

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