ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

8 男の矜持 後編

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匿名ユーザー

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「勝手に殺さないでもらえるかな?まさか、ミノタウロスが魔法を使うとは思わなくてね。ふいを突かれて森の中に吹き飛ばされただけさ。もっとも、追撃が来るものと思い込んで森の中を走り回っていたのは、間抜けとしか言いようが無いけどね」
 ミノタウロスとの間合いを計りながら、ギーシュと挟み撃ちするように立ち位置を移動する。
 地下水に体を乗っ取られたギーシュもまた、ウェールズの意図を読んで円を描くように移動を始めた。
「ギーシュ、だったか?」
「なにかね、ナイフ、いや、地下水くん。……ん、あれ?同じような名前をどこかで……」
 呼びかけた地下水に、ギーシュは返事をして、何故か記憶を刺激する名前に首を捻る。
「気のせいだ。それより、あのミノタウロスのことなんだが、なにか変な魔法を使ってたりしねえか?例えば、自分の体の中を弄るような……」
「おお、良く気付いたね。その通り、体内の血流を操作して体を頑丈にしているらしい。僕は水の系統はからっきしなんで仕組みは分からないんだが、背中に氷が刺さったままなのに血が流れていないところを見ると、血流を操作しているという点は確かなようだね」
 ギーシュとウェールズの二人に挟まれて警戒を顕わにするミノタウロスに、ちらりと覗き込んだ背中の様子を見て、地下水がカタカタと刀身を鳴らす。
「なるほどね。道理で体を乗っ取れねえわけだ……」
 猫の体を乗っ取っていたときに、地下水は既にミノタウロスの体が乗っ取れないどうかを試していた。足元に忍び寄り、そっと刀身を触れさせたのだが、どうにも感覚が根を張らない。
 だが、他者の体を乗っ取る力が消えたわけではないのであれば、問題は無い。
 体が乗っ取れないのであれば、直接叩き潰せばいいのだから。
「いくぜ、ウェールズの兄ちゃん!格好いいところを見せてくれよ!」
「言われなくても、もはや遅れは取らん!」
 ほぼ同時に、地下水とウェールズは“エア・ニードル”の魔法を唱えて風の刃を作り出す。
 地下水は自身の刀身に、ウェールズは己の杖に。
 ミノタウロスの肌を貫けるのは、この魔法だけなのだ。それ以外は、牽制程度で傷を負わせることはできない。
 前と後ろの両方から飛び込んでくるギーシュとウェールズに、ミノタウロスは一瞬の逡巡を見せると、すぐに斧を構えてギーシュへ向けて横薙ぎに払った。
 体力のある獲物は後に回し、死にかけていた相手に止めを刺すつもりだ。
 だが、数え切れない年月を刃物として生きた地下水に、力任せの一撃は意味を成さなかった。
 地面を蹴り、斧の上を軽く飛び越えたギーシュの体がミノタウロスの腕を駆け上がり、頚動脈を狙って刃を一閃させる。
「うわっ、本気で硬いなコノヤロウ!」
 毛皮を裂いた刃は、太い血管を切ることなく振り抜けた。
 それでも、首筋にある幾つかの細い血管は切断され、雨の中に赤い色を足していく。
「そうか。なら、強く打ち付ければいい!」
 ミノタウロスの背後から迫ったウェールズが、杖を握る右手の首を左手で握り、ミノタウロスの脇腹にエア・ニードルの刃を突き立てる。
 杖の半分が肉に埋まり、強靭な肉を貫いたことを確かめる。次いで、ウェールズは魔法を解除して杖を通常に戻すと、即座に風のドットスペルを詠唱した。
 強力な魔法の連射は出来なくとも、初歩の魔法ならその限りではない。
 体内に埋め込んだエア・ニードル。それを構成していた空気を、さらに風の魔法で攪拌して肉体を内側からズタズタにする。
 体の大きな亜人との白兵戦用に構想された、滅多と使われることの無い連携魔法だ。
「デル・ウィンデ!」
 “エア・カッター”の魔法がミノタウロスの体内で発動し、体内組織を蹂躪する。
 杖の突き立った傷跡から血が噴出し、ウェールズの腕や顔を赤く染め上げた。
「ォォォオオオオオオオ!」
 ミノタウロスが体ごと両腕を振り回し、ギーシュとウェールズを弾き飛ばす。
 ごき、とウェールズの肩から骨が外れる音が鳴り、ギーシュは左足は着地の瞬間にあらぬ方向に曲がった。
「クソッ、まだ生きてやがる!」
「必殺の一撃、のはずなんだがね。想像以上の生命力だな」
「あああ、僕の体が凄いことに……」
 左足を引き摺るように立ち上がった地下水とウェールズが、血を吐きながらも立ち続けているミノタウロスに辟易したように吐き捨て、ギーシュは感覚が無いまま原型が崩れ始めている自分の体に小さく悲鳴を上げた。
「さて、どうするかね?自慢ではないが、私の次の一撃は期待できないぞ。なにせ、利き腕が上がらなくなってしまったからね」
「同じだ、同じ。突っ込んでぶっ刺す。ヤツを殺すにはコレしかねえよ」
 作戦も何も無い、ただ個人の技量に任せた戦い方を示す地下水に、ギーシュはあんまり自分の体を乱暴に扱わないでくれと抗議したい気持ちを抑え、ミノタウロスの様子を窺った。
 血を吐いたということは、内臓が傷ついたはずだ。魔法の影響のせいか、血はもう止まってしまったが、長時間戦える体では無いだろう。
 後一撃なら、全てをかけてもいいかもしれない。たとえ無謀でも、地下水とウェールズの戦いの技量は、自分よりもずっと高いのだ。信じる価値はあるだろう。
「突っ込むしかないか」
「やろうぜ。クソヤロウの内臓をミンチにして、豚の餌にしてやる」
 短く息を吐いて覚悟を極めるウェールズと、やる気満々な地下水が再び“エア・ニードル”で武装した。
 今度は挟み撃ちは出来ない。ギーシュの左足は折れて動かないし、立ち位置を今更変えることも出来ないからだ。
 ギーシュも覚悟を決め、二人に運命を託す。
 その時、ミノタウロスが斧を振り上げ、また魔法の詠唱を始めた。
「……っチャンスだ!何の魔法を使うかは分からないけど、あいつの体を異常に頑丈にしている魔法は、他の魔法と併用出来ない!」
「よっしゃあ!いい情報だ、ギーシュ!行くぞウェー公!」
「ウェー公とはなんだ!?ウェー公とは!」
 片足を引き摺りながら走り出した地下水の横を、ウェールズが駆けて先にミノタウロスへと接触する。
 肉体の強靭さが半減しているのであれば、狙う場所はいくらでもある。
 体勢を低くし、こちらを無視して詠唱を続けるミノタウロスの足元へと潜り込んだウェールズは、そのまま風の刃を纏った杖を振ってミノタウロスの足首を切り裂いた。
 確かに強靭さは失われていて、エア・ニードルの刃は面白いようにミノタウロスの肉まで裂いていく。
 ミノタウロスの巨体がぐらりと揺れて、地面に膝を突いた。
 そこに決して速くない速度でギーシュが近付き、エア・ニードルの刃を繰り出した。
「俺達の勝ちだ……!」
 地下水の刀身が、ミノタウロスの額へと吸い込まれていく。
 コレで終わりだと、勝利への確信がギーシュとウェールズの胸に刻み込まれる。
 だが、地下水は自分の言葉を心の中で否定し、舌打ちするように刀身を揺らした。
「そうか、コイツ……!水のメイジ……!!」
 それだけ言葉を発したところで、地下水の本体が握った腕ごと空高く舞い上がった。
 ギーシュの左腕が、肘の少し上から途切れている。
 呆然とするギーシュの目が、暴風のような勢いで持ち上げられたミノタウロスの腕を追う。
 斧が真っ赤な血を巻き上げて、天を突くように握られていた。
 ごふ、ごふ、と歪な笑いが耳に届いた。
「……治癒の魔法か!」
 何事も無かったように立ち上がったミノタウロスの脇腹と足首に目を向けて、自分がつけたはずの傷が消えているのを見たウェールズが、表情を歪めて真実を言い当てる。
 欠損した左目までは治らないようだが、背中からは氷の塊が落ちて新しい肌が覗き、地下水が傷つけた首筋も毛皮が再生していた。
 ウェールズが攻撃してくるのを無視していたのではない。攻撃されても問題なかったから放置していたのだ。
 圧倒的な生命力に治癒の魔法を加えることで、あっという間に傷を塞ぐ。魔法による肉体の強化など、ただの保険でしかないということだろう。
 化け物め。
 思わず、ウェールズの口からそんな言葉が零れた。
「う、うあああぁぁあぁ……!?」
 左腕を失い、傷口から大量に血を溢れさせたギーシュが、地下水の支配から解放された瞬間に襲った全身の痛みに喉の奥から悲鳴を洩らし、地面を赤く染める自分の血を視線の合わない目で追う。
 壊れた人形のような動きで体をガクガクと動かし、顔色を青く染めている。
 このままでは、失血死する。
 危険を覚えたウェールズがギーシュに駆け寄ろうとするが、ミノタウロスの斧がその進路を塞ぎ、殺気が身を足を踏み止まらせる。
 地面に落ちたギーシュの左腕を持ち上げ、ごふ、と笑ったミノタウロスは、握られている地下水の刀身を引き剥がし、じろりと睨み付けた。
「……ああ、クソ。やけに詠唱が長かったのは、そういうことか。俺の対策も出来てるってことかよ。用意周到で素晴らしいったらないな、ド畜生が」
 ミノタウロスに触れた瞬間乗っ取ってやろうとした地下水が、忌々しそうに愚痴を零す。
 この亜人は、治癒とほぼ同時進行で肉体強化までやってのけたのだ。もしかすれば、肉体強化の魔法は治癒の魔法の変形なのかもしれない。元が同じ魔法なら、そういう裏技も不可能ではないのだろう。
 最後の切り札ともいえる乗っ取りまで失敗したことで、ウェールズの顔色も悪化し、しきりに喉を鳴らすようになっていた。
「肉体は一級品。魔法も一流。まったく、スゲエな!感心するぜ!だが、コレで勝ったと思うなよ。世の中には俺達よりよっぽど怖いヤツラがウジャウジャいるからよ。精々、叩き潰されないように僻地にでも引っ込んでるんだな、禁術使いのメイジさんよ」
 ただのナイフではないことを見破られ、このまま圧し折られるのを待つばかりと覚悟を決めた地下水が、まるで悪役が最後を迎えた時のような言葉を並べ立て、何度も、ケッ、と吐き捨てる。
 そんな地下水の負け惜しみに、ミノタウロスはまた、ごふ、ごふ、と笑うと、剣の先端を歯に挟み、もう片方の手でナイフの柄の先端を摘んで力を入れた。
 地下水の体が弓なりに反って、キシキシ、と音が鳴る。
「させん!」
 地下水の危機に、ウェールズは杖を手にミノタウロスに踊りかかった。
 邪魔臭そうに降るわれた斧を掻い潜り、心臓に狙いを定めてエア・ニードルを突き出す。
 だが、前から向かったのが悪かったのだろう。ミノタウロスが降り抜いた斧は囮で、蹴り上げられた足こそが本命だった。
 下から襲う膝に胴を殴られ、勢いを殺されたところに戻ってきた戦斧の柄が背中を叩く。
 潰れたカエルのように地面に打ち付けられたウェールズの体を、さらにミノタウロスは足蹴にして、ぐり、と捻った。
「……ぁぁあああっ!」
 胸が圧迫され、肺の中の空気が押し出される。
 そうしている間にも地下水の体にはさらに力が加えられ、ぱりん、と何かが割れる音がした。
「おっわああああぁぁぁぁっ!痛くはねえけど、ちょっと怖いな!長生きし過ぎて、死ぬことなんてなんとも無いとばかり思ってたぜ!!はは、ははは、はははははははははは!」
 気が狂ったように笑い始めた地下水をギーシュは呆然と見詰め、その最後が訪れるのを待ち続ける。
 手がない。
 戦う手段が、何一つ。
 地下水も負け、ウェールズ殿下も地に這い、自分は全身が壊れた人形のようになっている。
 かち、となにかが頭の中に組み合わさって、ギーシュはまだ繋がっている右手に目を落とした。
 激しい戦いの中でも、一切放すことの無かった杖がそこにある。
 エア・ニードルはギーシュには使えないし、使えたとしてもミノタウロスをどうにか出来はしないだろう。
 そもそも、なんで自分は杖を握っていたのか。
 なにかを動かしていたような気がする。それはとても大切で、自分の命と引き換えにしても惜しくないもののような、そんな気が。
 しかし、杖は魔法を使うもので、魔法は消えてしまうものだ。そんなものを大切にしているのはおかしいだろう。
 何を動かしていたんだろうか。ずーっと、一瞬でも手を放してはいけないはずなのに、その理由が思い浮かばない。
 理由は思い浮かばないが、でも、手放してはいけないのだ。
 そうだ。杖は手放してはいけない。手を放したら、魔法が解けてしまうのだから。
 それは無意識だった。
 左腕から血が大量に流れ出たために脳は正しく働かず、思考は単調になり、複雑なことを考えられなくなっていた。
 だから、ギーシュに出来たことは、至極身近な、幾度も繰り返してきた日常的な行為だけだった。
 幼い頃から繰り返してきた、貴族としての誇りを高めるための訓練。その際に、自分がもっとも得意としていて、父や兄に褒めてもらった一つの特技。
 理論的な思考も出来ない状態で、ギーシュは絶対に手放してはいけない杖を、折れた右腕で持ち上げた。


 モンモランシーは走っていた。
 穏やかになってきた雨の様子など気にもしないで、靴が脱げて、靴下に穴が開くのも気付かずに。
 ギーシュが居なくなったことには、随分前に分かっていた。レビテーションで体を浮かせたマリコルヌが適当に息を整えたのを見て、次はギーシュを休ませてやろうと後ろを向いたときには、もう彼は居なかったのだ。
 どれだけ探しても、名前を叫んでも、ギーシュの姿は見つからなかった。ゴーレムから降りよう手足を振り回して暴れても、ギーシュのワルキューレは決してモンモランシーの体を離さず、延々と走り続けた。
 そのゴーレムが唐突に力を失って崩れたのは、ついさっきのことだ。
 ギーシュの身になにかがあったことは間違い無い。モンモランシーはいてもたってもいられなくなり、マリコルヌやシエスタの制止の声を振り切って駆け出した。
「はぁ、はぁ、はぁ」
 走ることがこんなにも辛いなんて、もっと体力をつけていればよかった。
 乱れ続ける呼吸にそんなことを思って、モンモランシーは目元に落ちてきた形の崩れた髪をかき上げた。
 激しく波打つ心臓が自分の鼓動で壊れそうになっても、走ることを止めはしない。
 ふいに、つま先が何かに引っかかって体が投げ出される。
 小石に足を引っ掛けたのだ。
 自慢の金髪と衣服が泥で真っ黒に染まり、口の中に血の味が広がる。
 唇を切ったらしい。
 それでも、モンモランシーは立ち上がって、また走りだした。
「ギーシュ……、ギーシュ……」
 吐き出す息の傍ら、気障でバカで間抜けでスケベな少年の名前を繰り返し口にする。
 自分がやっていることは、彼の努力を無駄にしているのだろう。何も言わずに一人だけ姿を消したのは、自分達を逃がすためだったのに。
 でも、耐えられなかった。あのまま逃げ延びたとしても、きっと自分の人生は色褪せてしまうはずだ。赤を赤と、緑を緑と、青を青と言えない世界に変わってしまう。
 これが恋だとか愛だとかいうものなのかは分からないが、名前をつけるとしたら、きっとそういう名前なのだろう。
 でも、それがなによりも辛かった。
 こんなにも苦しくて悲しいのなら、恋も愛も知らなければ良かった。
 乱れた呼吸が込み上げるものと交差して喉に引っかかり、息苦しさに膝を突く。
 下半身の感覚が曖昧になって、膝に力が入らなくなった。手を地面について、それで体を支えようとしても、何故だか背中が曲がって顔が下を向いてしまう。
 まだ死んだと決まったわけじゃない。泣くには、まだ早い。
 視界が曇るのは雨が目に入ったからだ。鼻の奥が熱くなったのは風邪を引いたからで、喉が震えるのは埃を呑み込んでしまったからだ。
 わたしはまだ泣いてない。
 震える膝を叩いて、重い頭を持ち上げる。
 いつの間にか雨は霧雨に変わり、視界は随分と開けていた。
 厚い雲の隙間から光が伸びて、地上を照らし始めている。景色の向こうはまだ黒く染まっているから、一時的な天候の変化なのだろう。
 僅かに覗く青い空の下で太陽の光に照らされたモンモランシーは、そこでやっと、誰かが近付いてきていることに気付いた。
 どこかで見た金髪に気障な笑み。
 雨に濡れたせいか、癖のある巻き毛は直毛に近付き、作り物だった笑みには自然な優しさと力強さが宿っていた。
 差し伸べられた手をぼやけた視界に納めて、モンモランシーは胸の中に湧き上がる感情を言葉に出来ないまま飛びついた。
「ギーシュ!」
 首に腕を回し、頬を摺り寄せ、全身で抱き締める。
 腕の中にある戸惑うような感触に愛おしさを呼び起こされ、零れる涙を思い切り首筋に染み込ませて、それでも足りないと、モンモランシーは肌に唇を触れさせようとした。
 途端、背後から強風が襲い掛かり、二人を吹き飛ばした。
「きゃあああぁぁああぁっ!?」
 悲鳴を上げて雨に濡れた街道を転がり、体の隅々まで泥でぐちゃぐちゃに変える。
 絡めた腕が解け、温もりが逃げていくことに抗うように手を伸ばして、モンモランシーは金色の髪を追った。
 涙が地面に落ちる。
 突然の風によって、いくらか感情が落ち着いたのだろう。次から次へと溢れていた涙は、少しだけ勢いを止めてていた。
「いたた……。すごい突風だったわね。大丈夫だった、ギーシュ。……ギーシュ?」
 伸ばした手の向こうにいるはずの、どう関係を言い表せばいいのか分からない友人の姿を見詰めて、モンモランシーは疑問符を浮かべる。
 そこにいる友人の背格好が、記憶のものと重ならなかったのだ。
「ギーシュ、ちょっと背が伸びた?着ている服も変わってるし、顔も大人びたような……」
 言葉の終わりに向かって声が震え、暖かくなっていた体が急に冷め始める。
 雰囲気が違う。ギーシュはこんなふうには笑わない。
 ギーシュじゃない。
「あなた、誰?ギーシュはどこ?ねえ……、ギーシュはどこよ!?」
 詰め寄るモンモランシーに眉を寄せて言い辛そうに表情を変えた目の前の男は、指をゆっくりとモンモランシーの後方に向けて、優男らしい笑みを口元に浮かべた。
 指の指す方向を追ってモンモランシーが振り返る。
 突風が、また吹き荒れた。
「きゅいきゅいーっ!」
 地面を満たす雨水が巻き上がってモンモランシーの視界を覆い隠してしまう。それでも、どうして風が吹いたのかは理解出来た。
 特徴的なこの鳴き声を間違えるはずが無い。
「シルフィード!」
 晴れ上がった空のように真っ青な鱗の竜が舞い降りて、その背中からタバサと才人が飛び降りる。そこにさらにもう一人、才人の手を借りて長い金髪の少女が地面に足をつけた。
「こっち」
「は、はい!」
 タバサに導かれて、少女が小走りに土色の山へと近付いた。
 いつの間にあんなものがあったのだろうか。
 雨や風に邪魔されて見つけることの出来なかった街道に出来た奇妙な盛り上がり。そこにもたれ掛かるようにして座り込んだ少年に、少女は左手を伸ばして魔法に似た詠唱を始めた。
 そこにもまた金色があった。
 見慣れた巻き髪と、趣味の悪いシャツ。いくらか悪くなった顔色にもめげることなく、様にならない気障な笑みを浮かべている。
 造花の薔薇が一輪、その胸元に花開いていた。
「ギーシュ!」
「やあ、モンモランシー」
 弱弱しい声に奇妙なイントネーションが混じって、懐かしい響きを胸に届けてくれる。
「本物?本物のギーシュよね?」
「何を言ってるんだい、モンモランシー。この青銅のギーシュが、この世に二人といるはずが無いじゃないか」
 この軽口は、間違いなくギーシュだ。
 また目頭が熱くなって、じわりと目元が水っぽくなる。
「こ、このバカ!心配したのよ!?一人で勝手に居なくなっちゃって、出来もしないことに格好つけて……!」
 ミノタウロスを一人で足止めするなんて、ドットクラスの人間に出来るはずが無い。戦いに特化している火のトライアングルのキュルケですら負けたのだ、ギーシュが今生きていることは奇跡だろう。
 ぼろぼろと涙を溢している事に気付いていないのか、モンモランシーはポケットから濡れたハンカチを取り出すと、ギーシュの頬に付いている土汚れを乱暴に拭って、鼻を啜った。
「出来もしないことって……、僕、結構頑張ったよ?一太刀っていうと変だけど、しっかりと痛い目を見せてやったんだ」
「グス……、別に嘘付かなくてもいいわよ。ゴーレム走らせるために、魔法使えなかったんでしょ?無理に格好つけなくったって、生きてただけで十分なんだから」
「……嘘じゃないんだけど、ま、いいよそれで」
 はは、と乾いた笑いを上げて、ギーシュは深く息を吐いた。
「で、ミノタウロスはどうなったの?あんたがここに居るってことは、どっかへ行っちゃったのかしら」
 周囲を見回してそんなことを言うモンモランシーに、もしかして気付いていないのか?と視線を少しだけ後ろに向けたギーシュは、動かない両腕の変わりに顎を使って自分が凭れ掛かっている土色の山を示した。
「ミノタウロスなら居るじゃないか。ここに」
「……は?あんた何を言って……、っきぃやああああああああああぁぁぁぁぁっ!?」
 モンモランシーの視線がギーシュの顎の動きに釣られて下を向き、土の山かと思っていたものが、実は茶色い毛皮の塊であることを認識する。そして同時に、口から隣国まで届くのでは無いかと思えるような悲鳴が飛び出した。
「な、な、なんで、なんでミノタウロスがこんなところで寝転がってお尻掻いてるのよ!?というか、額にナイフが刺さってるのはなんで!?ゆ、夢?これって夢!?」
 ギーシュが背中を預けている土色の毛皮を持つ亜人は、欠伸をするついでにケツを掻き、タバサに杖で頭をポコポコ叩かれている。
 どうしてか、そこには親しげな雰囲気さえあった。
「し、質問は構わないんだが……、僕、怪我人だから、抱きつかれたりすると……」
「きゃああああ!う、腕が、腕が無いわよ、ギーシュ!?やっぱり夢?夢よね、絶対!」
 苦悶の声を上げたことでギーシュの姿を確かめたモンモランシーが、また悲鳴を上げた。
 紐で縛って止血された左腕は切断面が露出し、筋肉や骨を剥き出しにしている。先程までは服の断片で傷口を覆ってあったが、ティファニアが取り外してしまったのだ。
「み、右手も変な方向に曲がってる!?足も、って、胸の辺りも変に柔らかいんだけど……」
「それはそうさ、折れてるからね。ああ、でも大丈夫。見た目ほど痛くは無いよ。感覚が麻痺してるだけかもしれないけどね!はっはっは!」
 テンションを高くして笑うギーシュに、才人やウェールズが肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
「うええぇぇ……」
 再会の感動とか生きる喜びとか、そういったものとはまったく別の意味で泣きが入ったモンモランシーの目の前で、今度は金髪の少女が青白い光を放つ指輪をギーシュの切断された左腕に近付け、細胞を刺激する。
 にゅるり、と細いタコの足が伸びるようにして切断面から新しい腕が生え始め、なんだか気持ち悪い動きをしてギーシュの腕を再生した。薄く張った皮膚の下に浮かぶ血管がドクドクと波打ち、切断された部分を境目に日焼けなどの肌質の差が生まれる。やがて、肌が厚く張って元の色を取り戻すと、ギーシュは嬉しそうに声を上げて、生えてばかりの左手を二度三度と握ったり開いたりを繰り返した。
 ティファニアの持つ指輪の力によるものだが、再生過程はホラーそのものだった。
「……ふぅ」
「ああっ、モンモランシー!?」
 衝撃的な映像が多過ぎて、脳が付いていけなくなったらしい。
 肺の中の空気を吐き出して気を失ったモンモランシーを、ギーシュは新しい腕で支え、いつの間にか骨折から回復している右手で頬をペチペチと叩く。
 まったく反応が無い。
 暫くの間、モンモランシーが目を覚ますことは無さそうだった。
「褒めてやってくれ、姐さん」
 腕に抱いた愛しい君の名を連呼するギーシュに生温い視線を向けていたミノタウロスが、自分の頭を叩き続ける少女に声をかけた。
 結構な速度で振られていた杖が止まり、青い髪の少女の首を傾げる姿が獣の瞳に映る。
「このガキ、最後まであの薔薇みたいな杖を手放さなかったんだぜ。腕圧し折られても、左腕をぶった切られても、失血で意識を朦朧とさせてても、杖だけは手放さなかったんだ。お陰で助けられた。二十年も生きてないガキに、俺も、ウェールズの兄ちゃんもよ」
 ミノタウロスが上体ごと首を後ろに向けて、そこにある人の形をした人形に視線をやった。
 雨に濡れた体を雲の隙間から差し込む光に照らして黄金色に輝かせている青銅の人形。不動の佇まいのそれが、どこか誇らしそうに空を見上げていた。
 その姿が、何故かギーシュが抱いている少女の姿に似ているのは気のせいではないのだろう。
「斧に錬金をかけて人形に変えやがった。杖がなければメイジは魔法が使えねえ。その辺のところを、この体の持ち主は軽く見てたんだろうな。なまじ、魔法が無くても強えから」
 メイジの杖には普通、“固定化”や“硬化”がかけられている。戦いの最中に壊れては困るからだ。だが、ミノタウロスはそれを怠った。
 斧という武器を杖の代わりをしているが為に、杖という概念をいつの間にか忘れていたのだろう。
 強靭で強大な肉体を得た代わりに、慢心を抱いた。それがミノタウロスの敗因だ。
「あー、しかし、疲れたぜ。なんかこう、気分的に。久しぶりに死の恐怖ってやつも味わったしな。早く帰って休みてえ」
 疲れ知らずの地下水がこうまで言うのだから、相当な激戦だったのだろう。
 気絶したモンモランシーの目を覚まさせようと元気に騒ぐギーシュを見て、タバサは未だ信じらない彼の活躍を脳裏に描き、深く息を吐く。
 空にはクヴァーシルが舞っていて、こちらの様子を見て高く鳴いている。そう時間もかからない内に、先に一度合流したマリコルヌたちも戻ってくるだろう
 とりあえず、全員生還。
 ウェールズやティファニアや地下水がなんでここに居るのか、とか、キュルケの髪のこととか、馬車の御者や客の親子をどうするのか、とか。いろいろ問題や疑問も残っているが、それは後回しでいいだろう。
 自分も疲れた。
 ふらふらと揺れながら歩いて自分の使い魔に寄り添ったタバサは、同じように疲れた様子を見せるシルフィードの頬を撫でて、腹の虫を鳴らす。
 長いようで短い宝探しの旅が終わりを向かえた。空は相変わらず雨模様で、あまり物語の締めくくりには相応しくないように思える。
 それでも、終わりは終わり。ピリオドは打たれたのだ。
 森の中から猫が一匹顔を出し、一時の晴れ間を見上げて小さくクシャミをした。

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