ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロいぬっ!-96

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匿名ユーザー

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気だるい感覚に包まれながら目蓋を開く。
見上げた先には木目が数えられそうなぐらい低い天井。
寝返りを打って横に向けた視線を白いカーテンが遮る。
身を起こそうとした瞬間、腹部に鈍痛が走る。
電流が流れたかのような痛みに思わず蹲る。
その痛みに胡乱だった意識が明確になっていく。
服を捲れば、その下には青く染まった痣。

ようやく何が起きたのかを思い出し、
ジョンストン総司令は立てかけてあった杖を手に慌てて医務室を飛び出した。
痛みを忘れるほどの憤怒が彼の内で渦巻く。
早足で艦内を駆け抜けて艦橋へと足を踏み入れる。

直後、艦橋に差し込む陽の光にジョンストンは視界を奪われた。
眩しそうに手で影を作る彼にボーウッドは平然と挨拶した。

「ああ、お目覚めになられたのですね」
「貴様! よくも抜け抜けと……!
いや、それよりも戦況はどうなっている!?」
「戦闘は終わりました」
「……そうか」

簡潔なボーウッドの回答。それにジョンストンは笑みを洩らした。
どれほど気絶していたのかは判らないが一昼夜という事はないだろう。
短時間の間にトリステイン軍を打ち破って勝利を得たのならば大快挙だ。
しかし、その栄誉に与るのはコイツではない!この私だ!
上官に手を上げ、アルビオン艦隊に混乱を招いた罪で奴を処分する。
私は負傷しながらも指揮を執り続けたと言えばいい。
船員達の証言などいくらでも捏造できる。
戦闘が終われば私より優秀な部下など必要ないのだ。

「では貴殿の務めもここで終わりだボーウッド!」

ジョンストンが宣言と共に杖を振り上げる。
しかし、その杖が振り下ろされることはなかった。
杖を構えた直後、彼の首元へと複数の杖が突きつけられた。
ようやく明るさに慣れた眼が彼の周りに立つ人間の姿を映す。
船員かと思われたそれは敵意に満ちた目で彼を見やる。
その身を包む軍服はアルビオン軍ではなくトリステイン軍のもの。
アルビオン軍旗艦『レキシントン』の艦橋に敵がいる、
その事実が意味する所を理解できず、彼はボーウッドに尋ねた。

「こ……これはどういう事だ!?」
「言ったでしょう? 戦いは終わりました、我々の負けです」

両手を上げながらボーウッドは彼に事実を告げた。
ふらりとジョンストンの体がよろめいて船壁に当たる。
信じられないと言わんばかりに蒼白にした顔で、窓の外へと視線を向ける。
そこに広がるのは大地を埋め尽くさんばかりの軍艦の残骸。
どれもが見覚えのある、アルビオン軍の艦艇だった。

「……悪夢だ」

こんな事が起きるはずがない。
軍艦もないトリステイン軍に艦隊が全滅させられるなど有り得ない。
きっと、これは医務室で寝ている自分が見ている夢なのだ。
無敵のアルビオン艦隊が敗れるなどあってはならない。
彼の知る常識と願望が入り混じり、その結論を口にさせた。

「戦いに絶対はありませんよ。勝敗など時の運です」

現実を認めまいと必死になる総司令の姿にボーウッドは溜息を洩らす。
冷酷に、そして淡々と彼の前にもう一度事実を突きつける。
ぺたりとその場に座り込んで呆然とするジョンストンの姿が哀れに映る。
彼にとってはアルビオン艦隊総司令官の地位こそが全てだった。
権威も自信も誇りも力も全てがそこにあった。
いや、取り憑かれていたと言い換えてもいいだろう。
それを失った今、彼には何も残されていない。
正気を失いかけている彼に、もはや誰の言葉も耳には届かないだろう。
それを分かっていながらジョンストンは続ける。

「もう悪夢は終わりです。我々も目を覚まして生きる道を探しましょう」

もし夢だというのなら、これはきっとその終焉。
聖地奪還という名の幻想に縛られた悪夢の終わり。
これからどのような処罰が下されるのかは判らない。
だが少なくとも前よりはマシになるだろう。
もう二度と、罪無き人々に銃を向けなくて済むのだから。


墜落し、猛り炎上する軍艦。
それを前に勝鬨を上げるトリステイン兵士たち。
その喧騒を横にコルベールは傷だらけの体を引きずって歩いた。
偏在とはいえ十分に精神力を残したワルドを相手にしたのだ。
かろうじて勝利したとはいえ、その精神も肉体も限界を迎えている。
杖を地面に突き刺して崩れ落ちそうな自身を支える。
苦しげに落とした視線の先には無用となった槍や銃が転がっていた。
―――そして、名も知らぬ兵士の屍も。

踏まぬように気を付けながらコルベールは尚も歩く。
ヒビの入った眼鏡の位置を直しながら足を動かす。
彼の眼には通り過ぎる兵士たちとは違う光景が映っていた。
決して取り返しの付かぬ過ちを起こした地。
燃え盛る軍艦は民家に、倒れた兵士は武器も持たぬ村人に。
彼の人生を変えた“あの日”が目の前に蘇る。

その時をなぞるかのように、響き渡る叫びを頼りにコルベールは歩む。
ただ一つ違うのはその声の主は見知らぬ少女のものではなく、
新たな人生で出会った掛け替えのない教え子だった。


桃色の髪を振り乱して彼女は泣いていた。
その腕に抱きかかえられているのは一匹の犬。
流れ落ちた血が乾き、その毛並みを黒く染め上げる。
呼吸や心肺運動もなく、そこに生命の脈動が感じられなかった。

ルイズの慟哭を耳にし、不意にコルベールの足が止まった。
しかし、俯きかけた視線を起こし真っ直ぐに前だけを見据える。
杖を地面から離し、力強い足取りで彼はルイズの元へと向かった。

近付いてくる人の気配に涙を湛えながらルイズは顔を起こした。
見上げた先にいたのは、学院にいるはずのコルベール先生だった。
何故彼がここにいるのかなど今の彼女に考えられる余裕など無かった。
ただ、自分の使い魔を大事に想ってくれた彼に泣きつくように声を洩らした。

「……コルベール先生。アイツは」
「知っています。だから……もう何も言わなくていい」

そっとルイズの両肩に手を置いてコルベールは応えた。
大粒の涙を零し続ける彼女の瞳と真っ向から向かい合う。
互いに見つめ合ったまま両者の間に沈黙が流れる。
その静寂は実際には数秒の事だろうか。
なのに、とても長く感じられるような穏やかな時間だった。

壊れたエンジンにも似たルイズの呼吸がリズムを取り戻す。
激しく上下に揺さぶられていた肩が静かに落ちていく。
彼女が落ち着きを取り戻したのを見計らい、
コルベールは彼女の手から遺体を優しく受け取った。
片足は切り落とされ、その額には深い孔が抉られている。
痛ましいほどに凄惨な最期だというのに、
彼の顔は眠っているかのように穏やかだった。

自分の最期を最愛の主人に看取ってもらえたのが嬉しかったのか、
それとも彼女に心配をかけまいと最後の力を振り絞ったのか、
どちらにしても彼は納得して自分の生を終えたのだろう。
そこに僅かでも救いがあったと信じて、コルベールは彼の冥福を祈った。

「これは貴方が持っていてください」
「…え?」

ボロボロになった首輪を外してルイズに差し出す。
困惑した表情で、彼女はおずおずと伸ばした両手でそれを受け取る。
なんで彼の首輪を外したのか、その意図を理解できずに。

「そして……忘れないでいてください、彼がいたという事を。
貴方の事を大切に想い、命を懸けて守ろうとした彼の事を」

不意にコルベールは立ち上がった。
呆然と見上げるルイズの前で彼は背を向けて歩き始めた。
―――その腕に彼を抱きかかえたまま。

「ま……待って!」

立とうとしたルイズの足が縺れる。
虚無の魔法で精神力を使い果たし、
さらに泣き続けた彼女にはそんな簡単な事さえできない。
それでも地面を這ってでも彼女はコルベールに追い縋ろうとした。
しかし、その姿はどんどん遠くなっていく。
見る間に小さくなっていく背中にルイズは問う。

「どうしてなのコルベール先生! 何でアイツを連れて行くの!」
「彼を……誰の手も届かないようにします」

何の感情も込めずコルベールは答えた。
明言はしなかったがルイズにはその一言で十分だった。
これだけの力を持った彼の存在をアカデミーが見逃すはずがない。
きっと回収された彼の死体は様々な実験を施され、最後には解剖されるだろう。
そんなの耐えられるわけがない。死んでからも弄ばれるなんて冗談じゃない。
だけど、彼の遺体さえも残らないという事実にルイズの心は揺れ動いた。

「わたしが! わたしが守るわ! もう誰にも傷付けさせない!
エレオノールお姉さまにもお願いするわ! 今度こそ守ってみせるから!」

胸に手を当てながら彼女は喉が裂けんばかりに叫んだ。
それでもコルベールは振り返りさえしなかった。
彼女の嘆きを背に受けながら奥歯が砕けんばかりに噛み締める。
出来る事ならばコルベールとて彼の遺体を処分などしたくはない。
たとえ、それが短い間の事だったとしても、
この異世界からの来訪者は確かに自分の友人だったのだから。

「わたしから、あいつを奪わないで!」

その言葉にコルベールは立ち止まった。
どれほど彼女が泣き喚こうとも動き続けた足が止まっていた。
僅かな沈黙の後、コルベールは彼女へと振り返る。
向き直った彼の表情にルイズは思わず呑まれた。
とても静かなのに、その迫力に完全に気圧されていた。

「誰も貴方から彼を奪うことはできません」

コルベールの呟いた声が戦場に流れる。
未だに雄叫びや悲鳴が響いている中、それはルイズの耳に鮮明に届いた。

「貴方と彼との間にある絆は永遠に変わらない。
それは使い魔の契約が意味を失っても同じ事です。
貴方達を分かつ事は誰にもできない。たとえ、それが死であろうとも」

「だから貴方は迷わずに前へと進んでください、彼の想いと共に」

それだけ告げるとコルベールは再び歩み始めた。
だけどルイズにはもう呼び止める事も追いかける事もできなかった。
彼女に出来るのは遠ざかっていく背中を見つめることだけ。
そうして姿が見えなくなってルイズは悟った。
―――もう二度と彼に会う事はないのだと。


それから一週間後、ハルケギニア全土を衝撃的なニュースが飛び交った。
神聖アルビオン共和国より齎されたという“バオー”の生態に関する情報。
一歩間違えれば世界が破滅していたかもしれないという事実に各国はトリステインを糾弾した。
それに対するトリステイン王国の正式な回答は以下のようなものだった。

“我がトリステイン王国にそのような生物がいた事実はなく、
また当事者とされているヴァリエール家の三女は使い魔を未だ召喚していない”

それに前後して“彼”がいたという事実は証拠と共に抹消された。
公的文書は勿論の事、手紙から日記に至るまで彼について書かれた物は全て燃やされた。
いつも牽いていたソリも食堂まで咥えてきた皿も訓練に使った棒もみんな灰になった。
そして学院には緘口令が布かれ、ルイズの使い魔について語ることは禁じられた。
トリステイン王国は総力を挙げて彼を“居なかった”事にしたのだ。

こうして“虚無の使い魔”はその存在さえも“虚無”となり表舞台から姿を消した。
―――唯一、才人が手にした首輪と人々の記憶を除いて。



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