ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

6 行儀の悪い口 前編

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6 行儀の悪い口

 トリステインの西方、やや南寄り。街道からは大きく外れ、開拓の進まない深い森の奥に四人の少年少女の姿があった。
 先頭を歩く青い髪の少女が、済ました顔でずるりと足を滑らせ、ぬかるんだ土に足を突っ込む。それに心配そうな視線を向けたところで、真後ろを歩いていた赤い髪の少女も足場としていた岩に生えた苔に足をとられて引っくり返った。さらに後方を手を繋いで歩いていた金髪の少年少女は、それを笑うことなく見届けてやはり転ぶ。
 昼食をとってから森に足を踏み入れてからというもの、彼らはもはや何の反応も示さないほど、こうして幾度も足を滑らせては湿った土や腐った木の葉で体を汚しているのであった。
 全ては、前日に降った雨が原因だ。
 人の手が入っていないこの森は、元々人が歩くのに適していない。苔を食べる生き物が少ないのか、倒れた老木や時折顔を覗かせる岩肌には苔が生え揃い、その上を歩こうとする度に足の裏から摩擦を奪い取る。かといって、苔の生えそうな足場を回避すれば、沼地のように大量の水分を含んだ土に足を突っ込まなければならない。転ぶか、先に沼地に足を突っ込むかの二択しかないのである。
 メイジたる四人にはレビテーションやフライといった沼地を無視できる出来る魔法があるのだが、今はそれを使えない理由があった。
「ううぅ、なんでワイバーンがこんなところにいるのよぅ」
 一番転ぶ回数の多いモンモランシーが、涙目で隣のギーシュにしがみ付いて泣き言を溢す。
 空を見上げれば、鳥とトカゲを足したような生き物が翼を広げて飛んでいる姿が見えた。翼竜とも称されるドラゴンの亜種、ワイバーンである。
 人が使役する風竜や火竜よりは体が小さいものの、それでも人間が戦うには危険な生き物であることに違いはない。
 モンモランシーたちは、空を飛んで彼らの目に付かないように、あえて地面を歩いて進んでいるのであった。
「狩りの季節ってわけでもないはずだけど……、運が悪かったのよね。山から下りてきた連中と鉢合わせするなんて」
 転んだ拍子に倒木に後頭部を打ち付けたキュルケが、頭を押さえて溜め息混じりに呟く。
 そう言っている間に、大きな影が二度、三度と頭上を通り過ぎる。ワイバーンは、群れで行動しているのであった。
 魔法の腕には自身のあるキュルケも、ワイバーンの群れに喧嘩を売る度胸はない。それはタバサも同じであり、ギーシュやモンモランシーに至っては隅に隠れて震えていないのが不思議なくらいだ。
 ワイバーンが飛び回っているせいか、森の中には生き物の気配がない。人の手が入っていない土地であるため、大型の獣が歩き回っていてもおかしくないのだが、ワイバーンの群れが居ては流石に表に出てくることは出来ないようだ。
 それでも、時々間抜けな動物がワイバーンに見つかるらしく、森の中に悲鳴を木霊させることがある。
 天井のように空を覆う巨木が立ち並ぶ森の中。そこに響き渡る断末魔。
 不気味なことこの上なかった。
「あ、またなにか聞こえてきたよ……」
 水溜りを飛び越えて、モンモランシーに手を伸ばしたギーシュが遠く聞こえる奇怪な叫びに声を漏らした。
 豚の鳴き声に似ている、引き攣った高い音だ。
「い、イノシシかしら?」
「違う。声量から言って、多分、オーク鬼」
 タバサの言葉にモンモランシーの頬が引き攣った。
 オーク鬼とは、身長2メイルを越える亜人の一種だ。全身に脂肪を蓄える特徴があり、そのために外見は豚に酷似している。しかし、筋力も脂肪に等しく身に着けており、一匹で人間の戦士四人分に匹敵する戦力を誇るといわれている。人間の子供が大好物という、厄介な嗜好まで持っていたりする。
 そんなオーク鬼も、ワイバーンからしてみれば脂肪分たっぷりのご馳走に過ぎない。オーク鬼と人間、二つ並んでいれば、ワイバーンが襲うのはオーク鬼の方だろう。鋭い牙の並んだワイバーンの口ならば、オーク鬼も人間も一噛みで仕留められるのだから、かかる手間も変わらない。
 見つかったオーク鬼には悪いと思いながら、キュルケがワイバーンの腹が一匹分埋まったことに密かに喜んでいると、森の中がにわかに騒がしくなった。
「……何かしら?」
 最初のオーク鬼の悲鳴が収まる前に、連続して響き渡る重なるような悲鳴がキュルケたちの肌を冷たくする。
「叫びは一つじゃないね。距離があるみたいだから、よく分からないけど。これもオーク鬼のものなのかな。ミス・タバサ、君はどう思う?」
「オーク鬼は群れで生活している。もしかしたら、その住処をワイバーンが見つけたのかもしれない」
 最初の悲鳴が、ワイバーンの群れを引き込んだのだろう。物陰から迂闊に顔を出したオーク鬼がいたのかもしれない。
「だとしたら、一斉に襲われてるってことかい?あまり想像したくない光景だね……」
 豚面の巨体が次々とワイバーンに捕食される姿は、地獄絵図の一角を飾るのに相応しい惨劇となりそうだ。モンモランシーは迂闊にも脳裏にイメージを作ってしまったのか、口元を押さえて吐き気を堪えていた。
「とにかく、これで空を占領してるワイバーンがお腹一杯になってどこかへ行ってくれるかもしれないわ。様子見ついでに少し休憩しましょう。みんな、疲れてるみたいだしね」
 そういうあたしもだけど。と続けて、キュルケは杖を手に取った。
 短い詠唱によって魔法で炎の球を作り出し、湿気に満ちた地面にぶつける。
 炎で湿った土を焼き、休憩の為に足場を安定させるつもりのようだった。
「これでよし……、って、あれ?」
 鮮やかな赤とオレンジの入り混じる球体が枯れ落ちた木の葉と朽ちた木々によって肥えた大地を舐める。湿気の少ない落ち葉が燃え、苔に覆われた倒木も火に覆われた。
 ただ、それは酷く一時的なもので、森の湿気で間もなく鎮火して感想というには程遠い結果を残すに留まった。
「乾いた端から水が滲んできているね」
「思いつきでやることなんて、こんなもんでしょ。炭の上に座って真っ黒になりたいっていうのなら、成功なのかもしれないけど」
 焼いた土は確かに固まったが、ひび割れた部分から泥水が溢れ出ている。乾燥という意味では倒木の一部も水気が飛んでいるが、炭化したという表現の方が的確だろう。
 湿地で座る場所を確保しようとするのは、無謀な挑戦なのかもしれない。
「ちょ、ちょっと計算が狂っただけよ!今度は、もっと強力なやつで……!」
「待ちたまえ、ミス・ツェルプストー。今以上に強力な魔法を使ったら、今度は火が消えないなんて冗談はないだろうね?」
「うるさいわね!やるったらやるのよ!!」
 大自然に挑む一人の少女を身一つで止めるギーシュを余所に、どうせ汚れきっているのだからと開き直って苔生した倒木に腰掛けたモンモランシーが、キュルケが焼いた木の破片で近場の木の幹に何かを刻み付けているタバサに気が付いた。
 魔法で表面を平らに綺麗に削った幹に炭化した木片を擦り付けて何かを書いている。文字のようだが、木片では書き難いらしく、ミミズののたくった様な字になっていた。
「あなた、何してるのよ」
「……置いてきた二人は、もしかしたら状況を把握してないかもしれない。だから、目印と伝言を残しておく」
 タバサの返答でモンモランシーは思い出したように、ああ、と呟いて来た道を眺め見た。
 足手纏いになると予想されていたマリコルヌが、この森の地面の状態に敗北して、案の定足手纏いになっていたのだ。即興で作ったクジで負けた才人が、その面倒を見ているはずだった。
「そういえば、遅いわね。こっちもそんなに早くはない筈なんだけど……」
 いざとなったらマリコルヌを背負ってでも追いかけると才人は言っていたのだが、今のところ誰かが追いかけてくるといった様子はない。
 別行動となってから一時間近くが経過していることを考えると、そろそろ心配になってくる。
 今の今まで忘れていたが。
「まさか、ワイバーンに襲われてる、なんてことはないわよね?」
 遅くなっている理由がそれだとしたら、目も当てられない。モンモランシーたちは学業をサボタージュしてまで宝探しを敢行したのだ。これで結果がワイバーンの餌になりました、では笑い話どころか、末代までの恥となる。
 そんな不安を払拭するように、木の幹に字を書き終えたタバサが杖をそっと一際高い木の上部を指し示した。
「使い魔がなにも行動を起こしていない。主が無事な証拠」
 高い位置に伸びた枝に留まった白色の梟が、羽に嘴を差し込んで毛繕いをしている。マリコルヌの使い魔であるクヴァーシルだ。
「……呑気に間抜け面を晒してるわね」
 それは、主の身に危険が及んでいない証拠なのだろう。
 泥を被り、足を滑らせ、あちこちに体を打ち付けて歩いている自分達に比べて、彼の鳥のなんと優雅なことか。体が小さいために食いでがなく、ワイバーンに歯牙にもかけられないことを自覚しているための余裕の表れなのかもしれない。
 しつこく地面を焼こうとするキュルケとそれを止めるギーシュの掛け合いで耳を痛くしながら、モンモランシーは余裕に満ちた鳥を羨ましく思ってしまったことで、人間としての尊厳と現実の狭間に揺れて深く溜め息を吐くのだった。

 心配が杞憂であったことにモンモランシーが若干の安堵と腹立たしさを覚えていた頃、五百メイルほど後方では一人の少年が顔を真っ赤にして全身の筋肉を酷使していた。
 口にデルフリンガーを咥えてまでガンダールヴの力を発動させた才人が両手で引っ張っているのは、底なし沼に嵌ったマリコルヌの両腕である。落ち葉に隠れた沼地に、マリコルヌはまんまと引っ掛かっていたのであった。
「ああもう、いい加減に学習しろよ!何度嵌ったら気が済むんだ!?」
 下半身を泥の色に染めたマリコルヌを比較的安定した地面の上に引っ張り上げると、才人はデルフリンガーを背中の定位置に戻して怒声を上げた。
 森に入ってからここまで、マリコルヌは両手の指では足りないほど沼に体を埋めている。最初こそ自力で脱出していたが、精神力が切れて魔法が使えなくなると、才人に頼りきりなっていたのだった。
 憤る才人に困ったような表情を浮かべたマリコルヌは、ふん、と鼻息を荒くして腰に手を当てる。とても助けられた人間の態度とは思えなかった。
「そうは言ってもね、こう歩き難くちゃ怪しいところも避けられないんだから、仕方がないとは思わないか?君だって、さっき思いっきり片足突っ込んで抜けなくなったくせに」
 見れば、才人のズボンが右足だけ泥に塗れている。普段着のパーカーも、両腕が肘の辺りまで汚れていて、沼地との相当な激戦を物語っていた。
 度重なる沼地へのダイブで全身泥だらけのマリコルヌに比べれば大したことはないが、あまり人のことがいえないのも事実であるようだ。
「オレは一人で何とかしてるんだ!一緒にすんな!」
「ははははは、負け惜しみは止めたまえ。君と僕は仲間だよ、な・か・ま!」
 陽気に笑って才人の肩をバシバシと叩く。そんなマリコルヌを殴り倒して先に進みたいという気持ちをなんとか押さえつけた才人は、腹の中に溜まった苛立ちを溜め息にして吐き出すと、森の奥へ視線を移した。
「キュルケたちの後姿も見えねえ……。おい、ちゃんと進む方向分かるんだよな?」
 ハルケギニアにコンパスがあるかどうかは分からないが、少なくとも才人の手元には存在していない。当然、地図だってない。
 それでもキュルケたちが才人たちを置いていったのは、マリコルヌがキュルケたちの位置を把握する術を持っているからだった。
「ふふん。メイジは平民とは違うのさ。使い魔っていう、頼れる相棒が居るのだからね」
 メイジと使い魔は一心同体。特に、風の系統を得意としているマリコルヌの使い魔は、鳥という移動と地形の把握に長けた生き物だ。感覚の共有を行えば、互いの位置を大凡に理解できるのであった。
 眼を閉じて集中し、メイジとその使い魔の間にある見えない糸を辿るようにしてマリコルヌが使い魔と感覚を繋げると、眼下で慎重に前に進むキュルケたちの姿が確認できた。
 向かう先には森の切れ目がある。恐らく、そこが宝の地図に記されていた、ブリーシンガメルがあるという場所だろう。
 ぐるり、とクヴァーシルの首が逆を向き、今度は才人とマリコルヌの姿を探す。
 広大な森だが、10メイル級の木の枝からなら、かなりの範囲を眺めることが出来る。数百メイルという距離で小さな鼠を見つけることの出来る梟の目が、遠くの木の陰に二つの人影を見つけた。
 距離にして、およそ500メイルといったところだろうか。才人の青に白のラインが入ったパーカーが深緑と薄い霧の中に浮かんでいる。
「うわ、遠いなあ」
 使い魔と共有していた感覚を切って、マリコルヌは嫌そうに言った。
 整備された道の500メイルとこの森のような歩くことさえ困難な500メイルは、消耗する体力に十倍は開きがある。点在する沼地に漏れなく嵌るマリコルヌには、天竺に向かう三蔵法師の旅路に匹敵する厳しさだろう。
 すっかりやる気を失ったマリコルヌが土の合間から飛び出した岩の上に腰を下ろしたのを見て、才人はデルフリンガーの柄に手をかけた。
「よし、そこを動くなよ。このままぶった切ってやる」
「わあああぁっ!?わ、わかった、わかったよ!あっちだよ、あっち!キュルケたちはあっちにいるよ!……なんだよもう、ちょっと休憩したくらいで目くじら立ててさ」
 才人の我慢が限界に達しているらしき才人が、冗談とは思えない殺気の篭った目でマリコルヌを爽やかに睨みつけると、マリコルヌは飛び上がるように立って歩き出す。
 ブツブツと愚痴を溢しながら何歩か歩いたところで、ずるり、と何かに足をとられて、マリコルヌが転がった。その先には、一見して水溜りにも見える沼地がある。勿論、底はない。
「うわ、うわあ!?サ、サイトー!助けてくれー!」
 また沼地に嵌って身動きの出来なくなったマリコルヌを眺めた才人は、どうしようもない脱力感に襲われて頭を抱える。
「相棒よう。ありゃもう、無理だ。諦めて担いでいった方が、絶対早いぜ?」
「俺もそう思う」
 デルフリンガーが鞘から顔を出して言うのに合わせて、才人も力なく頷いた。
 マリコルヌはマリコルヌなりに頑張っているのだろうが、そろそろ付き合いきれないのも事実だ。
 どうやったらピンポイントで沼地に嵌れるのか。一種感心ともいえる感情を抱えて才人はマリコルヌを引き上げると、右手はデルフリンガーを、左手はマリコルヌの襟首を掴んで、足に力を篭めた
 左手に刻まれた伝説の使い魔のルーンが輝き、ガンダールヴの力が引き出される。全身の筋肉が物理法則から外れた何かに補強されて、血潮が熱で満たされた。
「え、え、ええ?ちょ、ちょっと待って!まさか、このまま行こうって言うんじゃ……!?」
「口閉じてろ。舌噛んでも知らねえからな」
 木の根を足を引っ掛けて力の行き場を得た才人は、足に篭めた力を一気に爆発させる。
 この森の中で一番安定した足場は、立ち並ぶ木の根元だ。そこだけは木の根がしっかりと大地に食い込んで地面を固めている。
 ぶつかるのではないかという勢いで近場の木に向けて飛んだ才人は、狙った場所に着地して地面が安定していることを確認すると、今度はさらに速度を上げて次の木の根元を目指して跳躍した。
 マリコルヌに付き合って歩いていたときとは、比べ物にならない速さである。
 最初からこうしてれば良かった。そう思えるほど順調に才人は森の中を疾走していく。木は乱立しているためにまっすぐに進めるわけではないが、多少の遠回りでもキュルケたちの移動速度を大きく上回っているはずだ。
 この調子なら、すぐにでも追いつけるかもしれない。
 追いつきさえすれば、マリコルヌから開放される。そう思うだけで、体が軽くなる気がした。
「さ、サイト……、もうちょっとゆっくり……」
「うるさい。黙って引っ張られて……、ってなんだ、あれ?」
 五分ほど駆けたところで、才人が次の足場にと狙っていた巨木に奇妙な傷を発見した。傷というよりは、幹の表面を剥がしたような感じだろうか。そこだけ古い樹皮や苔が存在しないために、森の中に白く浮き上がり、異様に目立っていた。
 ぴょんと飛んで、その木の根元に着地した才人は、模様の前でマリコルヌを下ろす。襟首を掴まれていたことで首が絞まっていたのか、マリコルヌが激しく咳をした。
「うーん。どっかで見たような、見てないような……」
 良く見れば、削った後だと分かる気の表面には、規則的に模様が並んでいる。
 才人にハルケギニアの文字を学ぶ機会があれば、それがハルケギニアの共通語であるガリア語であることが分かっただろう。
「げほ、げほっ……、ああ、なんだ。君は文字が読めないのか。ごほっ」
 文字?と聞き返す才人に、咳をしながら模様を見ていたマリコルヌが頷いた。
「そうだ。タバサの名前が書かれているから、彼女からの伝言みたいだね」
「なんて書いてあるんだ?」
 ごほん、と一際大きい咳をしたマリコルヌが、字の前に立っている才人を押し退けてタバサからの伝言を読み始める。長くない文だが、字体が崩れていて解読には少し時間がかかるようだった。
「ええと、ふむ。なるほど。そうかそうか」
「一人で納得してるんじゃねえ!」
 マリコルヌの後頭部を小突いて、才人はタバサからの伝言が何であったのか問い質す。
 返ってきた答えは、タダでさえ短い文をさらに簡略したものだった。
「先に宝探しを始めるんだってさ」
 才人たちが追いつかないと判断したのだろう。目的地で合流を待って無為な時間を過ごすよりも、行動することを選択したようだ。
「なんだ。それだけか」
「何でか知らないけど、ワイバーンがどっかに行ったみたいだね。まあ、急がないでゆっくり来いってことじゃないかな?」
 空を見上げれば、確かにワイバーンの姿が見えなくなっている。危険が去ったのなら、あれこれと焦る必要もないということだろう。
 とはいえ、遅れていることに変わりはないし、宝探しが意外に早く終わってしまえば、やはり待ち呆けさせることになる。追いつけるのであれば、追いついてしまったほうがいいだろう。
 マリコルヌの襟首を再び掴んだ才人は、せっかくだから休憩をしようと訴えるマリコルヌの言葉を無視して、再び両足に力を込めた。

 トンネル、もとい、森を抜けるとそこは雪国だった。
 なんてことはない。ファンタジーやメルヘンだとしても。
 最悪な足場を乗り切ってマリコルヌと森を脱した才人が見たのは、赤く染まった地面と、かつて村であったものの残骸だった。
 村を囲っていたらしい柵は腐って原型を留めていない。これは、単純な年月による風化だろう。だが、家屋と思われる建物の屋根が吹き飛んでいたり、地面が抉れていたり、寺院らしき建造物の支柱が砕けて倒れているのは、自然現象によるものではなさそうだった。
「な、なにがあったんだ?」
 マリコルヌの襟首から手を離して、ふらふらと歩き出した才人は、視線をあちこちに飛ばして村の中を観察し始めた。
 決して大きくない村の中には、元の形を留めているものが一つもない。なにか強い力に薙ぎ倒されて、血飛沫で赤く汚されている。肉片と思しきグロテスクな物体がいやがおうにも目に付いた。
「う、うええぇえっ」
 足元に転がる目玉らしき球体を見て、マリコルヌが胃酸を吐き出す。地面の赤と黄褐色の液体が混ざって、腐臭と濁りがうっかり見てしまった才人の不快感をかき立てた。
「キュルケ?ギーシュ?タバサ?モンモランシー?あいつら、どこに行ったんだ?」
 マリコルヌと一緒になって吐いてしまいそうな胃を押さえ、一刻も早くこの場から離れたいと、助けを求めるように仲間の姿を探す。
 だが、村の中を一通り回っても、それらしい人影は見当たらなかった。代わりに、豚面の生首や肉のこびり付いた骨なんかを見つけて、吐き気ばかり増やしている。
 森の奥にある開拓村の跡地が目的地だったのだから、道を間違えたということはないだろう。
 となれば、建物の中か、あるいは途中で追い越してしまったのか。それとも、もうこの場所を離れたのかもしれない。
 あるいは、この飛び散った血や肉片がキュルケたちだったり……?
「サイト、こっちだ!」
「うわあああぁあっ!?」
 背後からかけられた声に、才人は思わず飛び上がった。
 激しく脈打つ心臓を押さえるように胸に手を当てて振り返ってみれば、寺院の崩れた壁からギーシュが上半身を覗かせて不思議そうな顔でこちらを見ている。その隣でモンモランシーも顔を出して、やっと来たわね、と退屈そうに呟いていた。
「な、なんだ。ギーシュか……」
 最悪の結末を予想してホラー映画でも見るような気分になっていたせいか、気が付かないうちに体が緊張して、普段なら驚かないことにも過敏に反応してしまったようだ。
 徐々に収まる心臓の鼓動に、ほっ、と息を吐いて、寺院に向き直る。足元に、自分の後ろについてきていたらしいマリコルヌが泡を吹いて引っくり返っていた。
 才人以上に驚いていた人間がいたらしい。
「キュルケとタバサは寺院の中だよ」
「おう、今行く」
 錆びた鉄の柵を跨ぎ、倒れた石柱を乗り越える。背の高い草に隠れたステンドグラスの破片を踏み砕いてギーシュと合流すると、才人は崩れた壁から寺院の中に足を踏み入れた。
 剥がれた壁紙に壊された長椅子。それに、天井の一部が落ちたのか、石の塊があちこちに散らばって、かつて壮麗であっただろう寺院の中は見るも無残な姿を晒していた。
 鼻先に感じる生臭い臭いは、この場所に住み着いていた何者かの存在を感じさせる。表に広がる惨状は、もしかしたらこの臭いの主のものなのかもしれない。
 天井が抜けているために思いのほか明るい内部を少し歩くと、すぐに祭壇の姿が才人の目に映った。石造りの台座にくすんだ赤色の布がかけられている。以前はもっと鮮やかな赤だったのだろうが、日焼けと埃でかつての姿は形しか残っていないようだ。キュルケとタバサは、その祭壇の上に腰掛けて暇そうにしながら才人に手を振っていた。
「思ったより早かったわね。タバサの伝言、見た?」
「見たよ。でも、あんまり待たせるのもどうかと思ってさ。……で、あれ、表がなんか酷いことになってるんだけど、どうなってんだ?」
 才人の問いに、ああ、と声を漏らして、キュルケはポケットの中から金属の板のようなものを取り出した。
「ワイバーンよ。空に居たヤツ。どうも、ここがオーク鬼の巣だったみたいで、ちょうど目に付いたんでしょうね。直接見たわけじゃないけど、鱗も落ちてたから間違いないでしょ」
 キュルケが手に持った板を才人に放る。それを受け取って、才人は板の観察した。
 蛇の鱗のような質感だが、硬さは亀の甲羅というべきか。シルフィードの体を覆う青い鱗よりも、少しだけ硬質な印象を受ける。
 これが、ワイバーンの鱗ということだろう。
「弱肉強食ってヤツか。……あ、そういえば、ここにあるとかいうブルーなんとかっての。見つかったのか?」
 先に来ていて、暇を持て余していたのだ。宝探しの結果は、もう出ていることだろう。
 そう思っての質問だったが、キュルケは思わしくない顔をして視線を背後に向けた。
 木製の小さな箱、いや、小物入れの引き出しだ。木製のそれが、祭壇の裏に破損した状態で放置されていた。
「なんだこれ?」
「見ての通り、チェストの引き出しよ。祭壇の下に隠されていたんじゃないかしら?何年か前までは」
 埃の積もった引き出しの残骸をつまらなそうに眺めて、キュルケは盛大に溜め息を吐いた。
「何年か前って……」
「あたし達の前に、同じ事を考えた人が居たってこと」
 肝心の宝は、宝探しの先駆者に持っていかれていたということだ。本当に宝があったかどうかはわからないが。
「今回は散々だわ。ワイバーンは出てくるし、泥だらけになっちゃたし、オーク鬼の死体で血生臭いし。ワイバーンがオーク鬼でお腹一杯になるのが分かってたら、森の外でしばらく待ってからシルフィードでここまで来たのに」
 森の中の過酷な行程も、シルフィードならまったく無視して短時間で行き来が可能だっただろう。そう考えると、無駄なことをしたような気持ちになってくる。
「授業をサボってまで宝探しなんてしてるから、始祖ブリミルが天罰を下したのよ。自業自得だわ」
「その理論で行くと、あなたが一番罪深いことになる」
「うぐっ!?」
 キュルケの愚痴に皮肉を溢したモンモランシーに、タバサが鋭く突っ込みを入れた。
 森の中で転んだ回数は、マリコルヌを除けばモンモランシーがダントツでトップだ。泥汚れも酷く、綺麗に手入れをされていた長い金髪も、今は灰色に染まっていた。鏡がないために本人にあまり自覚はないようだが、姿見がここに一つでもあれば、モンモランシーは顔を真っ青にして水浴びの必要性を主張することだろう。
「とにかく、結局ハズレなんだろ?なら、さっさとシルフィードでシエスタのところに戻ろうぜ。体洗いたいし、腹も減ったし……」
 戦う力のないシエスタを連れて歩くことは出来ないため、彼女はフレイムやヴェルダンデと一緒に川べりにテントを張って料理の準備をしているはずだった。
 ギーシュの作った青銅製の湯船もあるから、戻りさえすれば体を洗うことも出来る。着替えが少ないのが唯一のネックだが、日が落ちる前に汚れた服を洗って焚き火に干していれば、明け方前には乾くはずだ。
「そうね。一旦戻りましょうか」
 モンモランシーや才人に限らず、体の汚れを気にしているのはキュルケも同じ。反対する理由は無かった。
「ねえ」
 才人の意見に同意を示したキュルケに、モンモランシーが声をかけた。
「帰るのには賛成なんだけど、そろそろ学院に戻らない?これ以上探しても、どうせなにも見つからないと思うのよ」
 実のところ、宝の地図を頼りに十箇所近い場所を渡り歩いて、当たりを引いたのは最初だけである。そこで手に入れたものも、あまり高価とはいえそうにない代物だ。肩透かしばかり食らっていれば、モンモランシーでなくとも諦めるのが普通だろう。
 才人もギーシュも、最初に感じていた宝探しという心躍るイベントに対する熱はすっかり冷めていて、やる気も随分と無くなっていた。表情を変えないタバサはどうか知らないが、今もやる気を残しているのはキュルケ一人と言っても過言ではない。
 確かに、潮時かもしれない。
 友人たちの様子からそれを悟ったキュルケは、首を振って、また一つ溜め息を吐いた。
「分かったわよ。これで終わりに……」
「うわあああああぁぁっ!た、助けてっ!助けてー!!」
 キュルケの言葉を遮って、マリコルヌのものと思われる悲鳴が寺院の中に響いた。
 寺院の前だろうか。なにかの壊れる音や木材の軋む音に合わせて、人の走る足音のようなものも聞こえている。
 にわかに騒がしくなった表の様子に、才人たちは一体何があったのかと顔を見合わせた。
「どこ!?どこいったんだよう!!みんな、助け……、う、わああぁ、こっちに来るなあ!クヴァーシル!みんなはどこに……!?」
 マリコルヌの焦燥した声がはっきりと耳に届く。思わず、キュルケたちは一斉に頭上を見上げて、崩れた天井の端に止まった梟の姿を確かめた。
 日の光に陰を作ったクヴァーシルの瞳が、不気味に光っている。
 錯覚にしか過ぎないそれが、確かにこちらを見ていることに気が付いて、才人は森の中でマリコルヌが行った使い魔との感覚の共有が、今も行われていることを察した。
「居た!そこ……、わかった!寺院だ!って、すぐそこじゃないか!は、はやく助けに来てよう!!」
 クヴァーシルの目から不思議な光が消えて、普通の鳥の雰囲気を取り戻す。寺院の中に居るキュルケたちにマリコルヌが気が付いたようだ。外の騒がしい音も、確実にこちらに近付いて来ている。
「なんか、やばいんじゃないか?助けに行かないと……!」
 背負ったデルフリンガーに手をかけて、才人が駆け出すのに合わせて、タバサとキュルケも外に通じる崩れた壁に向かって走り出す。ギーシュとモンモランシーは杖を手にして、レビテーションを唱え始めた。屋上からの支援に回るのだ。
 だが、キュルケたちが寺院の外に飛び出すよりも早く、寺院の正面玄関が激しく打ち鳴らされた。
「ギーシュ!才人!タバサ!キュルケ!モンモランシー!!開けて!開けてよう!!あいつらがもう、そこまで……っ!」
 大人の身長の二倍はある両開きの扉を、マリコルヌが殴るように叩いている。切羽詰った様子から、マリコルヌを襲っている何かはすぐ傍まで迫っているようだった。
 しかし、扉は開かない。
 鍵がかかっているわけではない。村が打ち捨てられてから今まで、誰も整備をしなかったために立て付けが悪くなっているのだ。扉自体も、先日の雨で湿気を含み、重さと体積を増して一層に開き難くなっている。
 ギーシュたちが崩れた壁を出入り口にしていたのは、あらかじめ玄関の扉が開かないことを知っていたからであった。
「クソッ!」
 才人が駆け出し、崩れた壁から外へと抜けていく。
「タバサ。扉ごとぶち抜くわよ」
「了解した」
 遠回りとなる壁の道を諦めて、キュルケとタバサは玄関の扉に正対した。
 杖を構えて呪文の詠唱を始める。
 使う魔法は、タバサがエア・ハンマー。キュルケは自身が最も得意とするファイア・ボールであった。
 タバサの魔法でマリコルヌごと扉を吹き飛ばし、その向こうに居るであろう敵にキュルケの魔法で一撃を加えるのだ。上手く行けば、マリコルヌは倒れた扉の下敷きとなり、炎の影響範囲から逃れることが出来る。
 もしかしなくても最初の一撃で怪我をするだろうが、その辺は我慢してもらうしかない。
 詠唱を終えて、準備を整えたキュルケとタバサの前に、炎と風の塊が生まれる。
 後は打ち出すだけ。杖を振るえば、魔法は扉に向けて直進するだろう。
 しかし、詠唱にかけた時間の分だけ、敵の行動は早くなっていた。
「……!!」
 マリコルヌの声にもならない声がキュルケたちの鼓膜を震わせる。
 扉が弾ける様に内側へと吹き飛び、泥色の丸い物体が華麗に宙を舞った。
 祭壇へと一直線にごろごろと転がった物体は、石造りの祭壇に頭をぶつけて沈黙する。臨戦態勢を整えてワルキューレを呼び出したギーシュが、青銅のゴーレムに命じて丸い物体の顔を上に向かせると、魔法学院一の変態ぽっちゃりさんが目を回していた。
「良かった、無事みたいだ」
「憎たらしいほどね」
 あれほど騒いでいながら、なんで祭壇にぶつけて出来たたんこぶ一つしか傷がないのか。不思議で仕方がない。コレではモンモランシーも治療する気になれなかった。
「オーク鬼の生き残りみたいね!」
「関係ない」
 マリコルヌごと扉を吹き飛ばしたのは、丸太のような棍棒を握った豚面の巨体。亜人の中でも数が多く、凶暴なオーク鬼であった。
 ワイバーンの襲撃を受けている間、ちょうど巣を離れていたのだろう。仲間がどうして全滅したのかも理解できず、村の中を歩いていてマリコルヌの姿を見つけたのかもしれない。
 どう見ても、オーク鬼と戦えるような外見をしていないのだが、それでも現場にいるやつを疑うのは基本行動。とりあえず襲った、といったところだろう。
 しかし、たった一匹では、すでに魔法を放つ準備を終えているキュルケとタバサの敵ではなかった。
「ファイア・ボール」
「エア・ハンマー」
 キュルケの杖から放たれた炎の隣を、タバサの作り出した風の大砲が追い抜いてオーク鬼の腹を殴りつける。寺院から追い出されるようにして吹き飛ばされたオーク鬼に、炎が襲い掛かり、脂肪に満ちた体を炎上させた。
 肌を焦がし、肉が焼け、骨まで熱が浸透する。
 炎に巻かれたオーク鬼は、三十秒ほど熱から逃れるようにその場で暴れた後、あっさりと絶命した。
「けっこうタフねえ」
 自慢の炎でも一瞬で死ななかったことにキュルケが感心したように声を出したところで、戦いの終わりを感じたギーシュとモンモランシーが、ほっと胸を撫で下ろした。
 トライアングルとスクウェアのメイジであるキュルケとタバサとは違い、ギーシュもモンモランシーもドットクラスで、オーク鬼のようなタフな相手は苦手なのである。直接戦わずに済んだのは幸いであった。
 だが、世の中そう上手く行かないものらしい。
 クヴァーシルのものと思われる一本の羽が、ギーシュとモンモランシーの前にひらりと舞い降りた。

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