ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

仮面のルイズ-69-1

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空に浮かぶ『白の国』アルビオン。

ルイズとワルドがアルビオンから脱出した時、アルビオンはトリステインから南西、ガリアから南南西を漂っていた。
アルビオンを流れる川の水は滝となって岸壁から流れ落ち、風により極小の粒へと形を変えて巨大な雲を作りあげる。
雲は風に乗って移動し、気流によって形を変え、ハルケギニアへ降り注ぐ恵みの雨となる。
その雨の中に、一組の男女の姿があった。
滝に紛れた二人は、『イリュージョン』で作り出した『誰もいない景色』に隠れてアルビオンを離れていった。
周辺を哨戒する竜騎兵や、小型船、またはメイジの使い魔の目を欺き、トリステインを目指して飛び続ける。


ぶるっ、とワルドの体が震えた。
「寒いの?」
ルイズが小声で問いかける。
「ちょっとな」
と答えたワルドだが、先ほどからワルドは何度か体を震わせており、体もかなり冷えているのが解った。
「ごめんね…私の体、冷たいでしょう」
「いいや、心地良いぐらいだ」
ルイズはワルドの首に当たる風を遮ろうと、両袖で首を覆った。


船を用いずアルビオンから地上へと降りるには、グリフォンや龍に頼るのが普通であった、大きな翼で風を受けて滑空する彼らに乗れば、無駄な体力を使わず容易にトリステインまでたどり着けただろう。
しかし、二人にはそれを手配する暇も無いので、ワルドの『フライ』を使ってトリステインを目指している。
アルビオンがハルケギニア上空に浮遊している時ならまだしも、海上を漂う時期に『フライ』のみで帰還するのは難しい、トライアングルクラスでも自殺行為と言われている。
しかしワルドは『風』のスクエアであった、『風の遍在』を複数、長時間、長距離で維持する自身の力に自負があった。
だがスクエアといえど、風を遮る障壁を作りながら飛ぶのは難しいく、『フライ』のみに集中しなければならなかった。

冷たい風を遮る風の魔法すら、彼は節約せねばならなかったのだ。

ルイズはワルドの背中にしがみつき、吸血鬼の眼であたりを警戒する、竜騎兵はいない…使い魔らしき影もない。
ふと空を見上げると、空に浮かぶ月は寄り添って淡く輝いている。
足下に広がる雲は、二人の影を一つにしている。


「だいぶ、雲が少なくなってきたな」
「ええ、陸地が見えるわ」
「…僕には、ぼんやりとは見えるが、まだ海と陸の境界線が見えない」
「吸血鬼は夜目が利くのよ」
ルイズの言葉に何か感じるものがあったのか、ワルドはククッ、と小さく笑みをこぼした。
「なあに?」
「吸血鬼と聞いて、少し面白くなってね。 吸血鬼を背に乗せて飛び続けるなんて、この世界できっと僕だけだろうな」
「何よそれ」
「風のスクエアと吸血鬼、僕としては、なかなか悪くない組み合わせだと思ってるよ」

ルイズは体を動かし、ワルドの耳元に口を近づけた。
「ふぅん……悪くないかしら、ね」
「本音を言えばな、僕は君の力に憧れているし、君のあり方にも憧れている。でも、僕が吸血鬼になったとしたら、君のように力に振り回されず生きる自信はないよ」

「スクエアというだけで僕は鼻を高くしていた。それが間違いだった。僕は、僕の仕えるべき主に出会えたと思ったんだ。君ならば僕をよく使ってくれるとね、そう思ったのさ」

ルイズは、恐る恐る手に力を込めた。
吸血鬼の力ではなく、人間としての力で、女の子の力で、ワルドの体に強くしがみついた。

「ワルド、私も、力に振り回されてる」
「かもしれない。でも僕には、君が眩しい」
「………」
ルイズはじっと黙って、ワルドの呟きを反芻した。
トリステイン魔法楽員を離れてから、日陰に生きるつもりでいた自分に、眩しいという言葉を投げかけられてしまった。
その言葉は、自分の言葉が、自分の想像を超えた影響力を持ってしまったと気づかせる鋭い一言だった。

ルイズは胸のあたりに、締め付けられるような痛みを感じた。

朝日が遠くの空に姿を現した頃、二人はガリア北端の海岸に到着した。
「……ッ…」
「ワルド?」

どさり、とワルドが膝をつく。
ルイズが慌てて体を支えたが、ワルドは震える足で砂浜を踏みしめるばかりで、足を進められない。
「とりあえず、背負うわ。砂浜を抜けましょう」
「すまない…」
ひょいとワルドを背負うと、ルイズは適当な木陰に向かって走り出した。

ガリアの海岸は、粒子の荒い白砂がどこまでも続いている、内陸へとしばらく走っても背の低い草が生えるばかりで、あまりにも見通しが良すぎた。
「まずいわね」

ルイズは、ワルドを背中から下ろすと、右腕に力を入れた。
右腕の骨に隠した杖を、筋肉を捜査して掌から露出させると、ズリッ、ズリッという肉を引き裂くような音が聞こえた。
杖を掲げ、自分を中心に半径3メイルほどの『誰もいない草原』を思い描く。

「…………………………」

長い詠唱の後、杖が振り下ろされ、草原からワルドとルイズの姿がかき消えた。





「う……」
ワルドは頭痛のあまりうめき声を上げたが、その声すら痛みとなって頭に響いていた。
ガンガンと叩きつけるような、締め付けられるような痛みが襲いかかる。
しかし、額には不思議な冷たさがあった、頭の奥から感じる痛みを吸い取ってくれるような、優しさが伝わってくる気がした。

「ワルド、大丈夫?」

隣から聞こえてきたルイズの声に驚き、ワルドは、ハッと目を覚ました。
「……ルイズ …ああ、すまん。ここはまだ、ガリアか?」
額に感じられた冷たさは、ルイズの手だった。

ルイズは、ワルドの右隣で横になっていた。左半身を下にして右手をのばし、ワルドの額に当てている。

ワルドは体を起こそうとしたが、ルイズに止められた。
「イリュージョンで姿を隠してるから、立ち上がったら見つかるわ」
「そうか……僕は、どうなった?時間は?」
「一時間も経ってないわ。砂浜に降りてすぐに意識を失ったのよ」
「そうか。時間を取らせてすまない。もう大丈夫だ、トリステインに急ごう」
そう言ってワルドが体を起こそうとする、だが酷い汗と乱れた呼吸は、とても大丈夫だとは思えない。
「ルイズ、急ごう」
ワルドに急かされる、ルイズは腑に落ちない。
「ルイズ。心配してくれるのは嬉しい。だけどボクの体力も回復した、国境の警備を越えるには十分な距離を飛べる」
「…わかったわ」

ルイズの心から理不尽な自己嫌悪がわき起こった。
自分が苦しむのは覚悟している、しかし、ワルドのように自分に協力してくれる人を苦しませるのは、とても辛い。
かつて父であるヴァリエール公爵は、人を仕わせるとは、道具を使いこなすのと同じだと語ってくれた。
道具の価値を生かすも殺すも、その主人次第であると言いたかったのだろう。
父は多少のメイドの失敗にも声を荒げることはなかった、そういった注意や失跡は執事長の仕事であり、権威の象徴たる公爵がいちいち口を挟むことではなかった。
その失敗も成功も当然のものとして、涼しい顔でいられるような度量の広さを見せ、まさしく揺るぎない絶対的なものを演じていた。

ワルドの信頼に答えるには、絶対的なものとして振る舞わなければいけない。
だが、魔法学院にいた頃のルイズと違い、今のルイズはそれが無かった。

家を捨て魔法学院を出奔した頃から、ルイズは人の上に立つものではなく、遠くから人を眺める者になってしまったのだから。

ルイズは辺りを見回した、生き物の姿、特にメイジの使い魔を警戒して、遠くの空まで目を懲らした。
見た限りでは、何もいない。

ワルドをひょいと背中に乗せると、ルイズが呟く。
「言っておくけど、貴方を使い潰す気は無いわよ」
そして早馬のように駆けだした。

「ルイズ、君は」
「何?」
「君は優しいな。こんな僕にも…」
「止めてよ。風邪で弱気になってるのよ、貴方は」
「そんなことじゃ無い、きみは僕よりも小さいのに。まるで、子供の頃、乳母に背負われた……」

草原に届く潮風が、小さな呟きをかき消した。







一方そのころ、トリスタニアの王宮ではアンリエッタが執務を行っていた。

「はあ…」
「ダメですぞ」
ため息をついただけなのに注意された。
アンリエッタは不満げな表情で、声の主を見る…するとそこにはアンリエッタ以上に渋い顔をしたマザリーニ枢機卿がいた。
「謁見の間ならともかく、女王にはため息一つ許されないと言うのですか?」
「まあ、諸侯の前でため息をつかれては、いらぬ波紋を呼びますからな」
「………」
アンリエッタは唇を少しへの字に曲げて、不満げな視線でマザリーニを見た。

不機嫌の理由は、大きく分けて二つある。
一つは、謁見や勅書などの通常の執務に加えて、戦時下における様々な仕事がのしかかってきたからであった。
新造されるトリステイン空軍の戦艦やら、遠征軍における貴族子弟の所属と待遇やら、捕虜となっていたアルビオン軍の登用やら……実に様々。

本来なら信頼の置ける者にある程度の権限を与え代理人とし、重要度の低い仕事を分散処理できるのだが、リッシュモン高等法院長を逮捕した件でそれができなくなっていた。
マザリーニがあらかじめ重要度別に仕事を分散し、アンリエッタの仕事量を減らそうとしているが、それでも睡眠と食事の時間が大幅に削られていく。

リッシュモンに代わる、信頼の置ける者を登用しなければなあ…と、マザリーニが心の中で呟いた。

ふと、アンリエッタが筆を止めた。
「ねえ、枢機卿。貴方はため息をつきませんの」
「付いたところで何も事態は進みません」
「そうですわね……しかし事態を進めるには、人が水を飲むように、草花が朝露にぬれるように、潤いも必要ではありませんこと?」
「そんな顔をしてもウェールズ殿下にはお会いできませんぞ」

ウェールズとも、殿下とも一言も漏らしていないのに、マザリーニはアンリエッタの心中をぴたりと言い当てた。
これが不機嫌の理由その二『ウェールズに会えない』であった。

「十分に承知していますわ。……ああ、近くに居ても会うことが叶わないなんて、本当に残酷ですわね」

まるで歌劇のように手を広げ、胸の前で組み直すアンリエッタ。
それを見て、マザリーニはため息を……つかなかった。

「アルビオンに孤立され、生死不明でいる時より恵まれております、堂々とお会いするためにもアンリエッタ女王陛下におかれましては執務に励まれるのが最良かと」
「わかっていますわ」
ぷいと不満げに顔をそらし、アンリエッタは軍務尚書の書簡に目を移した。

ふと、顔を上げる。
執務室の天井に下がるシャンデリアが、まるで空に浮かぶアルビオンのようだと思った。
「ねえ、マザリーニ」
「は」
「シャンデリアがまるでアルビオンのようね」
「は?」
「今、あそこには、家族や友達に近づくことができても、再会の叶わぬ、わたくしのお友達がいるのです」

マザリーニは、それがルイズのことだと直ぐに理解できた。
アンリエッタはシャンデリアから書簡に目を移した、体に活を入れるため、はしたないことだが、大きく口を開けて深呼吸をする。

「私のお友達が、必死に頑張っているんですもの、私がしっかりしなくてどうするのですか」

アンリエッタの真剣な顔を見て、マザリーニは数日ぶりに笑みを浮かべた。







同じ頃。
王宮の奥にある、窓のない部屋で、ウェールズと数人のアルビオン貴族が執務をこなしていた。
他国の王族格が宿泊する際に使われる部屋であった、無駄に部屋を広げず、アーチ状の天井と調度品を組み合わせることで、格調の高さと堅牢さを兼ね備えている。
入り口は、鎧を装着した栄士が剣状の杖を掲げて通り抜けられるほどで、幅は大人三人が横に並んでも余裕があるほどであった。
木材の質感と重厚さを兼ね備えた茶褐色の扉は観音開き式で、中に入ると絨毯が途中で右手に向かって伸びている。
部屋の広さは奥行きが20メイル、横幅は16メイルほど、幾つかの部屋と繋がっており、寝室やゲストルーム、遊戯室まで備えていた。
しかし今は、この部屋はアルビオンの領土、トリステインにその立場を保証された小さな領土であった。


最も奥の部屋にウェールズがいた、固定化で強固に魔法抵抗を施された衝立(ついたて)に囲まれ、その手前では秘書役の貴族が棺桶のような大きな机に羊皮紙を広げていた。

書簡のチェックを終えると、おもむろに立ち上がり、ちりん、と小さなベルを鳴らした。
「何だ?」
「サミュエルです。先月中に亡命を希望した者のリストにお目通しを願います」
「わかった、目を通そう」
サミュエルと名乗った秘書は、衝立の脇から中に入り、ウェールズの机に書簡を置いた。
「……確かにこれは気になるな。この×印は現時点までの自殺者だな?」
「はい、亡命した者に自殺者が多すぎるのです。事情を聴取したところ、罪の意識に苛まれたと言っておりますが」
「精神を操られた者達か?」
「確認は取れていませんが、可能性は高いと思われます。亡命を希望する者は地方太守や、貴族派が突然数を増やした時期の者達です。どうやら……自らの手で、妻や子を手にかけたものが多いようです。」
「……むごいな」
「…はい。尚、平民はサウスゴータ地方の者が特に多く、中には夢見心地で奴隷の扱いを受けていた者が証言をしております」
「サウスゴータか」

ウェールズは疲れが蓄積したせいか、思わず机に肘をついてしまった。
寝不足気味の頭で、タルブ戦前にサウスゴータへと潜入したルイズの話を思い出す。
井戸に投げ込まれた毒、水系統の力、それによって自我を希薄にさせられた町の人々……

「トリステイン軍だけでない、これは捕虜達までも混乱させる。亡命者に対し内部から不満が高まるだろう……逐一監視し、情感へと報告せよ」
「はっ」
「ただし、水系統の毒が用いられ、心が操られたと自覚している者もいるはずだ。それを口実にクロムウェルを恐れることがあっても、水の精霊を必要以上に恐れぬよう、案を頼みたい」
「はっ。承りました」

「それと…紅茶を頼む」
「すぐお持ち致します」

秘書は一礼すると、ウェールズの元を離れた。

「ふぅー…」

衝立に囲まれた、手狭な空間で、ウェールズは一人ため息をついた。
テーブルに両肘をつき、頭を抱えて、目を閉じる。

(トリステインは、戦争に向かっている)

トリステインの中枢で、アルビオンへの侵攻作戦が内々に決定したのは、タルブ戦を終えて一月も経たぬ頃であった。
正式に発布されるのは、魔法学院の夏休みが終わる頃だと言われていたが、魔法学院の生徒らは実家でそのことを聞かされ、既にほとんどの貴族がアルビオンへの遠征を現実のものとして受け止めている。

(クロムウェルが持つ力を恐れ、先手を打とうと、急ぎすぎている……)

何十年か振りに編成されるアルビオンへの遠征軍だが、あまりにも急なことで、王軍は士官不足を喫してしまった。
そのため、貴族学生を士官として登用する案が出された。
アンリエッタやウェールズは、有事に備えた軍事教練として貴族の学生らを登用するつもりであったが、将軍達はむしろ彼らを前線に押し出そうと画策していた。

魔法学院の一部の教師や、学院長のオスマン氏などが学生の登用に反対したが、時すでに遅し。
むしろ生徒の親である、立場のある有力な貴族達が、行き場のない貴族の四男、五男以下の者達に手柄を立てさせるため、登用を望む声があげられたのだ。
皮肉にもその後押しをしたのが『烈風カリン』であった、烈風カリンが参戦するという噂は、瞬く間にトリスタニアの貴族達に広まった。

戦争への後押しをするため、本来漏らすべきではない軍議の一部が漏らされた……。

それによって、多くの貴族が遠征に肯定的な意見を出し、その風潮は平民の兵士や傭兵達にも伝わっていった。
この巨大な流れを積極的に変えるのは、女王アンリエッタや枢機卿マザリーニと言えども難しかった。


(僕の亡命を決意してくれた、アルビオンの仲間達には悪いけれど、喜んでくれたアンリエッタにも申し訳ないけれど……僕が権力争いの道具にされるのは、辛いんだ)


その原因は皮肉にも、トリステインに亡命したウェールズにあった。

年若い貴族を無闇に登用し前線に送ることまかりならぬ、と示すことはできるが、それではトリステインの貴族達が納得しない。

ウェールズは、立場こそアルビオン亡命政権の長であるが、実際の生活は軟禁に等しい。
暗殺を防ぐため、面会や外出のほとんどを自粛せねばならず、アルビオン亡命政権を支援すると、甘い言葉をかける貴族達をも遠ざけねばならなかった。

下品な言い方をすれば、名誉と報償に飢えた貴族達、つまりウェールズに恩を売りたがっている貴族をも遠ざけねばならなかった。
タルブ戦にて『ヘクサゴン・スペル』を用い、華々しい戦果を上げたウェールズに、これ以上の功績があってはトリステイン貴族の取り分が無くなってしまう。
面会を制限したのはアンリエッタであり、彼女も『ヘクサゴン・スペル』を詠唱している。


 ”このままでは手柄が回ってこない”


そんなやっかみにも似た意識が、貴族達の内に蓄積し、しわ寄せがマザリーニやアンリエッタに向かっているのだ。
だからこそ、軍議の細かい部分にまで口を出すことは女王といえども簡単にはできない。
王軍の将軍たちは自らの指揮官としての手柄のため、勉学は戦争が終わってからだ、とまで言いきり、貴族学生らを登用し、軍事教練を施し始めた。

(その焦りこそ、本当の敵ではないか。 貴族のみならず為政者が警戒すべきものではないか……)

ウェールズはそっとテーブルに置かれた紅茶を、口に出さぬ呟きと共に飲み込んだ。

場面は移り、トリステイン魔法学院。


ここトリステイン魔法学院では、男性教師のほとんどが戦争に参加することになり、残された少数の教師で授業が行われていた。
戦争が終わるまではまともなカリキュラムでの授業は受けられないだろう。
残っている生徒達もまた、ほとんどが女子であった、トリステイン魔法学院は国の名前を冠するだけあって名門であり、男子の殆どが大貴族の子弟か、地方貴族の後継者格となっている。
そのため彼らは、家の方針として、また自ら志願して、功績を得て自らの食い扶持を少しでもましなものにするために、戦争に参加するのであった。


そんな生徒と女性教師ばかりの魔法学院で、いつもなら「女性ばかりだと華やかで眼福じゃのう~」と鼻の下を伸ばしながら徘徊するオールド・オスマンが、なぜか浮かぬ顔で紅茶を飲んでいた。

大食堂のロフトは教師の席であり、つまり教師の席であったが、食事の時間が過ぎた今はオスマン一人しかいない。
オスマンはそこで、王宮からやってきた使者の言葉を思い返していた。

「軍事教練のため。魔法学院に銃士隊を派遣する…か、戦争にまっしぐらじゃのう」

オスマンの呟きには不満が感じられた。
魔法学院に残った婦女子に訓練を施すという名目で、銃士隊が派遣されてくるのは理解できる、しかしその裏にある意図が気に入らない。
銃士隊はアンリエッタ直属の近衛兵・親衛隊ではあるが、その一方で諜報機関的な役割も与えられている。
彼女らは権力こそ強くはないが、立場は極めて強固なものになっており、文字通りアンリエッタの手足として各方面の査察に動くことが多い。


ふとオスマンは、リッシュモン高等法院長の事件を思い出した。
ある程度の地位を持つ貴族には、高等法院を司るリッシュモンに、汚職の証拠を突きつけたのが銃士隊であるという噂が流れている。
その噂は正しくもあり正しくもない、リッシュモンを取り巻く金の動きを掴んだのは確かに銃士隊の活躍だが、彼女らはリッシュモンを処刑するつもりで動いていた。

彼女らの素晴らしくも恐るべき活躍を、素直に賞賛できる貴族は少ない。
多くの貴族は、銃士隊の存在そのものを気にしていない。
やましいところがある貴族は、あからさまに銃士隊を罵り、また不自然なほど賞賛している。

トリステインの貴族至上主義のまっただ中にいる陸軍の将軍達、または経験の薄い士官にとって、平民だけで構成された銃士隊は、侮蔑の対象でしかなかった。


銃士隊は女王アンリエッタから信頼されながらも、将軍達にやっかまれている。


本来ならばオスマンも、王宮で将軍達と意見を交わす立場にある。
何十年も昔に勃発した、周辺国家との小競り合いや、古い戦争の歴史に直接関わったのはオスマンしかいない。
しかし、オスマンは早々に今回の出兵に反対し、アルビオンを兵糧攻めすべしと意見書を提出したため、勇猛で知られる将軍達から顰蹙(ひんしゅく)を買う羽目になった。
将軍達から『腰抜け』と評されたオスマンの元に『厄介者』と評される銃士隊がやってくる。

邪魔者は子供を相手にしていろ、と、言わんばかりの態度であった。

「……この様子ではウェールズ殿下も、苦しいじゃろうなあ」

オスマンはそう呟いて、ティーカップを手に取ったが、カップの中身は既に空であった。

その少し後、魔法学院の門から馬に騎乗した女性兵の一団が入ってきた、その中にはシュヴァリエの証、刺繍の入ったマントを身につけた者もいる。
アニエス以下銃士隊の面々である。
学院に居残った女子たちは、騎乗した近衛隊の姿に驚き、何かあったのかと首をかしげる。

そんな女子達を横目に、衛兵から知らせを受けたオスマンが現れた、アニエスたちを迎えに出たのだ。

アニエスは数名に周囲を警戒するよう指示すると、残った者達は馬から下りて整列するよう指示した。
アニエスも馬から下り、手綱を部下へ渡し、オスマンの前に出て敬礼をした。
「アニエス以下銃士隊、ただいま到着いたしました」
「お勤め、ご苦労さまなことじゃな」
髭をしごきながらオスマンがつぶやき、アニエス達を魔法学院内へと案内した


アニエス達が魔法学院に入った頃、キュルケやシエスタ達の教室では、コルベールによる授業が行われていた。
彼は教壇に立ち、細い鉄の棒を火であぶっている、『火』の系統を戦いではなく、工作に利用する方法を説いているのだ。

その姿を興味津々な態度で見ている者は少ない、特に火の系統を得意とするキュルケは、わざとらしく、ため息をつくほどだった。
コルベールは最も戦いに向いていると言われる『火』の系統を、戦い以外の場所で活用できると証明したいがために、さまざまな応用を説いている。
しかし聞きようによっては『火は土の補助でしかない』とも聞こえてくる、それは火が格下であると言われているようであり、授業を受ける気など失せてしまう。。
キュルケは机に肘をついて、教室を見回す、するとモンモランシーと目があった。
彼女はそわそわと落ち着かない様子で授業を受けており、その隣に座るシエスタとは対照的だった。
火の系統を用いた加工技術は、平民が用いる溶鉱の技術と比較して説明されることがある、シエスタはそれを一言も聞き逃さないつもりで聞いているのだろう。

モンモランシーがすっと手を上げた。
「ミス・モンモランシ。質問かね?」
モンモランシーは立ち上がる、周りの生徒達はに注目した。
「今は国を挙げての戦の支度を調えていますが、こんな……、のん気に授業をしてていいんですか?」
「のん気もなにもここは学び舎で、君たちは生徒で、わたしは教師だ」
コルベールは落ち着いた様子で答えた。
「でも、クラスメイトが何人も……、先生だって何人も、戦に向かうんですよ」
モンモランシーの隣で、シエスタは空席を見渡した。
即席の訓練を終えた貴族子弟が、すぐに戦地に向かってしまうと聞いてから、モンモランシーはずっとギーシュのことばかり考えている。
それに気づいているからこそ、シエスタも、周りの生徒達も、黙って二人の様子を見ていた。
「だからどうだというのだね? 戦争だからこそ、戦の愚かさを学び、火の系統を破壊のみに使う愚を悟らねばならないのだよ。
さあ勉強しよう。そして戦から帰ってきた男子たちにそれを伝えてやろうではないか」
コルベールはそう言って教室を見回した。

すると、いつもの席に着いてたキュルケが、コルベールを小馬鹿にした様子でこう言い放った。
「戦争が怖いんでしょ」
数人の生徒はぎょっとしてキュルケを見るが、コルベールはさして意に介した様子もなく「そうだ」と言って頷いた。

「わたしは戦が恐い。臆病者だ」
その言葉に呆れたのか、女子生徒からため息がいくつも漏れた。
「でも、私はそのことに不満はない」
コルベールがきっぱりと言い切った。

と、そこでカラーン、カランと、普段は聞かぬ調子で鐘が鳴り響いた。
授業が終わる合図でもあるのだが、いつもより早い気がする。
コルベールがコホンと咳払いをして「では本日はここまで」と呟いた。

教材を片付け、教室から出て行こうとしたところで、突然扉が開かれた。
教室に入り込んできたのは、鎖帷子を着込み、腰には長剣と拳銃を携えている女性…女王陛下直属の銃士隊である。
それに驚き、女子生徒達は軽くざわめいた。
「なっ! き、きみは、なん、なんだね?」
震えたような口調でコルベールが訪ねるが、アニエスはコルベールを無視して生徒たちに命令した。
「女王陛下の銃士隊だ。これより魔法学院は有事の際に備え、軍事教練の時間を含めることになった。女王陛下の命令である。その説明を行うので、直ちに正装して大食堂に整列して頂きたい」

女子生徒たちは、ぶつぶつ言いながらも立ち上がり始めた。

アニエスは踵を返そうとしたが、驚いた表情のコルベールを見かけ、ふんと鼻をひくつかせた。
「おまえ…火のメイジか?」
「あ、ああ。そうだが」
「フン……何人焼いた、貴様」

アニエスの表情に苛立ちが見えた。
だがそれは一瞬のことであった、アニエスは吐き捨てるように呟いたが、返事を待たずに踵を返し教室を出て行った。


一人きりになったあと、コルベールは顔を両手で押さえた。
「火は…決して、破壊だけではないんだ…」
自分に言い聞かせるように呟いたそれは、誰にも聞かれることはなく、虚空に消えた。



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