ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

5 時間と場所のコントラスト 後編

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匿名ユーザー

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 鋭い刃物と変わった杖とナイフの鍔迫り合いが始まった。
「いて、いててて!ちょ、ちょっと待った、お嬢!魔法にオレを直接ぶつけんな!!」
「ちょっとくらい我慢しなさい!っていうか、痛いならあんたも魔法を使えばいいのよ!」
 流石に、地下水もブレイドの魔法によって強化された杖と直接ぶつかると刃が負けるらしい。
 そこらの剣よりも遥かに鋭い刃を作り出すブレイドには、材質的には普通のナイフでしかない地下水では荷が重いようだ。
 エルザの指摘に、おお、と声を上げて地下水もブレイドの魔法を自分にかけると、エルザとマチルダの戦いはすぐに均衡を取り戻した。
 体格的にマチルダが優勢でも、単純なパワーならエルザのほうが若干上回っている。幼女と大人の女の喧嘩は、見た目に反してかなり苛烈なものとなっていた。
「あんたはねえ!前から何度も言おうと思ってたけど、大人を馬鹿にするのも大概にしな!」
「あらぁ?どこに大人が居るのかしら?わたくしの目には年下の姿しか映りませんけど?」
「ああもう、このガキは!ホントにムカつくね!!」
 実質年齢で比較すれば、マチルダとエルザは一回りほど離れている。外見とは逆の形で。
 その細かい指摘に、マチルダの腹は例えようも無く煮え返っていた。
 もはや、この怒りは簡単なことでは収まりそうに無い。
「一回、死ね!」
 たった一言にすべての怒りを叩き込んだマチルダは、体重を利用して杖を更に押し進める。
 怒りによって増強されたマチルダのパワーは、僅かにエルザを上回ったらしく、エルザの背が徐々に弓なりに反り始めていた。
「こ、これは、ちょっと、やばい、かも……!?」
「アハハハハハッ!人を舐めるからそうなるんだよ!くたばれクソ吸血鬼!!」
 危ない目をしたマチルダの笑い声が学院長室に高らかに響き渡る。エルザの体も限界まで曲がり、これ以上耐えられないところまで来ていた。
「こんなところで殺し合いなんてするんじゃねえよ。表でやれ、表で」
「止めようよ」
 呆れた様子で眺めていたホル・ホースの言葉にジェシカが突っ込む。だが、そういうジェシカもエルザとマチルダの戦いを止める気はないらしい。というより、止める力が無いだけなのだが。
「トドメだ!」
 杖に魔力を流してブレイドの威力を高めると、マチルダは最後の一押しをする。

 だが、それを傍観者達は見過ごさなかった。
「そろそろ落ち着きたまえ」
「あっ、何すんだい!?」
 何時の間に後ろに回ったのか。カステルモールがマチルダを羽交い絞めにし、流れるように腕を動かしてマチルダの手から杖を取り上げる。
「チャーンス!」
「いや、テメエも落ち着けよ」
 動きを止めて無防備になったマチルダを仕留めるべく目を輝かせて動き出したエルザも、ホル・ホースの手によって絞められる。羽交い絞めではなく、チョークスリーパーだ。
 上手い具合に極まったのか、程無くして、かくん、とエルザが意識を落としたのを見たマチルダは、深く息を吐くと、未だ自身を羽交い絞めにするカステルモールを横目に睨みつけた。
「もう、落ち着いたよ。放してもらえるかい?」
「……本当に大丈夫か?」
「あたしを何だと思ってるんだい。信用しなよ」
 本気で喧嘩をしていたとしか思えなかったため、そんなにすぐに冷静になれるものかと、カステルモールは訝しげにマチルダを見ながらゆっくりと腕を放す。開放されたマチルダは、強く締められた肩をぐるりと回して調子を確かめると、気を失っているエルザにそっと近づいた。
「フンッ!」
「ごは!?」
 容赦のないボディブローがエルザの鳩尾に突き刺さり、ロリ吸血鬼が白目を剥いた。
「落ち着いてないではないか!?」
「良し!これで、ちょっとは気が晴れたよ」
 再びマチルダを拘束しようとするカステルモールの腕から逃れ、マチルダがすっきりとした表情で体を伸ばす。実に清々しい笑顔だ。
 呆れたように肩を竦めて首を振るカステルモールを、さっきまでの自分のことなど欠片も覚えていないかのように振舞ってマチルダが励ます。そんな二人の姿を見て、一人の男が全身を小刻みに震わせながら涙を流していた。
 マチルダに足蹴にされてちょっと興奮していた、どこかのぽっちゃりさんに続く変態候補のコルベールである。
「な、なんという……、なんという仲睦まじい親子の姿……!このコルベール、暖かい家庭の存在から目を逸らしてミセス・ロングビルに密かな想いを抱いていた自分を恥ずかしく思いますぞ……!」
 コイツの存在を忘れていたと、せっかく気分を良くしていたマチルダの顔色が一気に淀み始めた。
 マチルダのトリステイン魔法学院での偽名であるロングビルに、結婚した女性を指す“ミセス”の敬称をつけて名前を呼んでいるということは、まだ勘違いをしているらしい。どこの世界に自分の娘と本気で殺し合いをする母親が居るのか。居ないとは言い切れない世知辛い世の中ではあるものの、普通に見れば、二人が血縁だとは思わないだろう。そもそも、殺し合いの場を見て、どうして仲睦まじいなどと思えるのか。
 どうにも、頭のネジが緩いらしい。世間一般と感性が違うようだ。

「ミスタ・コルベール」
「おお、ミセス・ロングビル!この哀れな敗北者をお許し下さい。慈母の如きあなたに思いを馳せてしまった、この卑しい男をどうか、どうか……」
 信仰する神に出会ったかのように、神妙な態度で両手を組んで祈るコルベールに、マチルダは殴りつけたくなる感情を押さえつけて、ニコリと必死に笑った。
「ミス……、です」
「は?」
「ですから、わたしはまだ結婚しておりませんので、敬称には“ミセス”ではなく、“ミス”をお付け下さい」
 一瞬何を言っているのか分からない様子でマチルダの言葉を聞いていたコルベールは、ぼんやりとマチルダの顔を見つめた後、はっと意識を取り戻して気絶しているエルザの姿を視界に納めた。
「では……、彼女は私生児ですか?入籍は、まだされておられない、と?」
 本当に一度固定化された観念を払拭するのは難しい。コルベールは、まだエルザがマチルダの娘で、カステルモールが夫だと思い込んでいるようだ。
 マチルダは、そんなコルベールの前で首を振ると、眼前に杖を突きつけて言った。
「子供を生んだ覚えはありませんし、夫を選ぶようなことをしたことも、ありません。よろしいですか?彼も、あそこで寝ている少女も、わたしとは一切、まったく、これっぽっちも関係ありません。分かりましたか?」
 まったく笑っていない目でしっかりと訴えかけるようにコルベールに真実を伝えると、流石のコルベールも理解できたのか、青褪めた顔で必死に首を縦に動かした。
 そして、すぐに中年男にしてもらいたくない恥ずかしげに頬を赤らめる、という行動を取る。
 まだ何かあるようだ。
「そ、それほど必死に否定されるということは……、その、わたしに誤解されたくないということでしょうか?つまり、ええと、わたしにも、まだ日の目を見るチャンスがある、と」
 モジモジ、と純情な少年のように上目遣いでマチルダの様子を見ながら、傍から見ていて吐き気のするような空気をコルベールは作り出す。
 マチルダに気があったものの、夫や娘の存在が明るみに出て諦めていたのだろう。だが、それが否定された瞬間、押し留めた恋の炎が燃え上がったようだ。炎蛇の二つ名に似合わず、ミミズやナメクジのような粘っこい男である。
 歳をとっても恋が出来るということは、とても素晴らしいことだ。だが、出来れば、見た目にも気を使ってもらいたい。
 頭に蝋を乗っけた中年男のラブロマンスでは、誰もときめかないのだから。
「こいつ、殺していい?」
 愛の矛先に立たされたマチルダも、当然ときめいてなどいなかった。代わりに出てきた言葉といえば、実に辛辣な問いかけだ。
 話を振られたホル・ホースは、寝ているのをいいことにエルザの顔にペンで落書きをしながら面倒臭そうに返事をする。女は尊敬しているが、男はどうでもいいと思っている人間の意見なんて、一つしかないだろう。
「オレに聞くなよ。イエスとしか答えねえぞ」

「だろうね」
 どういう答えが返ってくるのか分かっていたマチルダは、それを許可と受け取って、杖に魔力を込め始めた。
 人間を錬金したらどうなるんだろう。昔から、ちょっと興味があったんだよね。
 そんな、無邪気な好奇心が一万分の一、残りの九千九百九十九を殺意として、マチルダは錬金の魔法を唱えようとした。
 肉は肉に、骨は骨に、変態は生物学的な意味で変態しておけ、と。
「あ、あの、そこまでしなくてもいいんじゃないかな?一応、好かれているわけだし。悪いことじゃないでしょ?」
 後一歩で、特に何のイメージも固めずに使用された錬金によって、なにか良く分からないものになりかけたコルベールを、ジェシカの言葉が間一髪のところで救い上げた。
 人に好意を向けられているということは、見た目はアレでも、マイナスではない。
 流石に、殺すのはやり過ぎかもしれないと、ちょっとだけ気分を盛り返したマチルダは、杖をそっと懐にしまって、まだ顔を赤らめてモジモジとしているコルベールの頭に手を伸ばした。
「ていっ!」
「ぎゃああああああああっ!?」
 布の両端を引っ張って無理矢理引き裂いたような音が、コルベールの頭皮を覆っていた蝋が剥がれるのに合わせて響き渡る。
 元がお茶であったため、液体はコルベールの頭髪の隙間にしっかりと染み込んでいたのだろう。蝋に変化した後は、染み込んだ分だけ髪に絡み付いて放さなかったに違いない。
 コルベールの頭部は、今この時、荒野に生えたささやかな草原から、焦熱の砂漠へと生まれ変わったのだった。
「お、おおおおおおお、わ、わわ、わたしの、わたしの髪が……」
 床に転がった黒い髪を巻き込んだ蝋の塊を凝視して、コルベールが涙混じりに呟く。
 毛根が終わりを迎えないようにと、普段から必死にケアを続けていたはずだ。多種多様な薬に手を出しては挫折し、健康の為に好きな食べ物すら我慢する日々。それを、すべて台無しにされたコルベールのショックは計り知れない。
 ある意味、コルベールはマチルダの手によって殺されてしまったのだ。
「ま、今回はこの程度で良しとしましょう。さて、ミスタ・コルベール。あれこれと話が横道に反れて聞いておりませんでしたが、ここへ来た用件についてお聞かせ下さい」
 腹の内に溜まったものを吐き出したマチルダが、ミス・ロングビルの声と態度を取り戻して訊ねる。だが、コルベールはそれどころではなかった。
 禿げたことのない人物に毛根を残らず奪い取られて、この程度とさえ言い捨てられる。
 その事実は、日々頭髪について悩み続けてきたコルベールの心から、マチルダに対する恋心を奪うのに十分な力があった。
 何もかもを失ったような濁った目を遠くに向け、窓辺で日光浴をしながら無くなった湯飲みを探し続けているオスマンの姿に自分を重ねたコルベールは、何もかもがどうでも良くなった気分のまま、マチルダに本来の用件を伝えた。
「私用ですはありますが、休暇を頂こうと思い、足を運びました。……が、それももう、必要ない気がしますな。どうせ、この頭では外出も出来ませんし……」

 一気に煤けた様子のコルベールが、ゆっくりと踵を返して部屋を出て行こうとする。
 頭髪の消滅は、コルベールから外に出るという選択肢を奪い取ったのだ。スキンヘッドの方がバーコードヘアーよりも若者受けするだろうし、ある意味吹っ切れる。そう思うのは、素人の考えなのかもしれない。
 ゆらりと体を揺らして歩くコルベールのあまりに悲しい背中に、カステルモールが目頭を押さえてコルベールの肩に手をかけた。
「待つんだ……、いや、待って欲しい。あなたに、朗報がある」
「慰め、ですかな?ふふ、若い者には分からないでしょうが、わたしの残り少なかった頭髪はプライドも同然だったのです。それが奪われた以上、わたしは、もはや負け犬……」
 元々痩せていたコルベールの頬が、更に痩せているように見えるのは、錯覚などではないのだろう。精神の磨耗が、肉体に影響を与えているのだ。
 それを理解して一層熱くなった目元を拭ったカステルモールは、若くして騎士団の団長の地位にまで上り詰めるきっかけを作った魔法を、コルベールに語りかけた。
「フェイス・チェンジという魔法を、あなたはご存知ですか?」
「風の、スクウェアスペル、でしたかな?使い手の殆ど居ない、顔の見た目を変化させる魔法だとか……」
 研究熱心な脳が働き、記憶の片隅から知識を引っ張り出したコルベールだが、魚の死んだような目をしていることに変わりはない。
 こくり、と頷いたカステルモールは、自身の杖を取り出すと、更にコルベールに問いかける。
「もし、それを私が使えるとしたら。そして、その魔法を使えば、あなたの髪を取り戻せるとしたら、どうでしょうか?」
「……ま、まさか。いや、そんな!ありえない!」
 コルベールの瞳に生気が戻る。だが、カステルモールの言葉を信じきれないのだろう。戸惑いに声を上げては首を横に振っていた。
「勿論、フェイス・チェンジで作られる髪は偽物です。しかし、諦めてはいけません。風の魔法による頭皮への刺激は、過去に例のないほどの発毛効果を発揮するのです。そう、かつての私の上司が、そうでした」
 カステルモールは思い出す。
 まだ一介の騎士見習いだった頃、当時既にスクウェアクラスに片足を突っ込んでいたカステルモールは、覚えたてのフェイス・チェンジの魔法を使いたくてたまらなかった。
 思えば、自分も若かったのだろう。天より授かった自身の系統こそ最強だと、皆が同じ事を考えているとも知らず、恥ずかしげもなく風の魔法が如何に強力かと語り歩いていた時代だ。
 当時恐れていた鬼教官と兵舎の廊下ですれ違ったとき、何の因果か、偶々換気の為に開けられていた窓から風が吹き、教官の頭を撫でていった。
 ぽとり、と床に落ちた青味の強いなにか。それがカツラであることに気付いてしまったカステルモールを顔を青くして見ている教官の顔は、今でもはっきりと思い出せる。
 誰にも言うな。と釘を刺され、そそくさと逃げるようにその場を後にする教官に声をかけたのは、弱みを握ったために気が強くなっていたからだろう。いや、新しく覚えた魔法が使いたかっただけかもしれない。
 呼び止められた教官は、ガリア王族の血を僅かにだが引いている。脅すには向いていない相手だし、人を脅せるような性格のカステルモールでもなかった。だから、次に出た言葉は、教官への親切心からだった……、はずだ。

 風で落ちることも、手触りに不自然さを覚えることも、頭皮が蒸れることもない。究極のカツラとして、カステルモールは教官にフェイス・チェンジの魔法の使用を申し出て、日に一度のペースで魔法を使い続けることを約束した。
 思えば、アレが出世の切っ掛けだったのだろう。まるで若い頃のようにふさふさになった髪にご満悦の教官は、カステルモールを褒め称えていた。
 そして、一月もフェイス・チェンジの魔法を使い続けた頃、教官の頭に不思議な現象が見られるようになった。
 全滅したとばかり思っていた教官の頭皮から、毛が生え始めたのだ。
 カツラという劣悪な環境から開放され、若き日の不衛生な生活とは禿が発覚してから遠く離れて十分に気を使われた頭皮は、数十年ぶりに息を吹き返したのである。
 全ては偶然かもしれない。教官の頭皮がまだ真の死を迎えていなかっただけで、カツラに抑制されていたものが芽を出しただけという可能性もある。
 だが、教官はすべてカステルモールのお陰だと涙ながらに感謝し、見習い騎士だったカステルモールを正式な騎士として迎え、表舞台に立たせてくれた。その際、オルレアン公の助力もあったという教官の話は、現在に至るオルレアン家への忠誠の原点ともなっている。
「あなたにも同様の効果があるとは限りません。しかし、希望を捨ててはいけない。諦めたら負けなのです。騙されたと思って、試してみませんか?ミスタ・コルベール」
「お、おお、これは、始祖ブリミルの思し召しなのか……?」
 すっかり禿げ上がった頭に手をあて、そこについ先ほどまであったはずの感触が存在しないことに絶望しながらも、コルベールはカステルモールの囁きに希望に満ちた顔で頷いた。
 髪が帰って来る。
 たったそれだけのことにこれほどの喜びを見出したことが、果たしてコルベールの人生に存在しただろうか。
 コルベールにとって、カステルモールの言葉は天啓も同然だった。
「流石はミス・ロングビルが選んだお方だ!ありがとう。本当に、ありがとう!」
「まだ言うか、このオヤジ」
 カステルモールの手を取って涙ながらに溢した発言に、マチルダが顔の隅に青筋を浮かべた。
「では、早速……」
 杖を手に、カステルモールが魔法の詠唱を始める。
 フェイス・チェンジは風の高等魔法だ。韻竜であるシルフィードが使う姿を変える先住魔法には大きく見劣りするが、その効果は想像以上に続く。顔の形で人物を判別する機会の多い人間社会では、ある意味、多種多様な用途がある魔法といえるだろう。
 長い詠唱を終えた後、カステルモールが杖を振るうと、周囲の風がコルベールの頭部に集まり、それがやがて、黒く細い形を作り出す。
 若者のそれに勝るとも劣らない元気な黒髪が、コルベールの頭部を包み込んだ。
「お、おお、おおおおおお!」
 風の抵抗によるものなのか、触れればその通りの感触が肌を撫で、確かな髪の質を伝える。
 ジェシカが気を利かせて手鏡をコルベールに渡すと、鏡面に映った黒い偽物の髪は、以前より若干ながら多く見えた。カステルモールが気を利かせて、一見して分からない程度に髪を増量させたのだ。

「す、素晴らしい……、素晴らしい魔法だ!ギトー君がしつこいくらいに風がもっとも優秀な系統であると豪語するのも、今なら分かる気がしますぞ」
 絶対に本人はそんなつもりで言っていないのだろうが、今のコルベールにそんなことを指摘しても無駄だろう。
 三時間以上も髪型に悩み、ついに理想の形を作り出したデート前の少女のように鏡に映る自分に見惚れるコルベールの姿は、傍で見ていたホル・ホースにはとても正視に堪えられないものだった。これなら、エルザの顔に落書きをしていたほうが数百倍はマシだ。
 というわけで、実際にエルザの顔への落書きに没頭し始めたホル・ホースは放置され、コルベールとカステルモールの奇妙なやり取りは邪魔が入ることも無く終焉を迎えようとしていた。
「ミスタ・コルベール。フェイス・チェンジの魔法は、外部から影響を受けるようなことが無ければ、およそ一週間続きます。しかし、魔法での戦闘などを行えば、恐らく、その場で失われることでしょう」
「うむ、うむ。その点に関しては心配無用ですぞ。私はただの教育者に過ぎません。戦場に立つなど、有り得ない話ですな。……しかし、一週間ですか」
 言葉の最後にポツリと溢した呟きに、カステルモールは問いかける。
「なにか、不都合でも?魔法であれば、かけ直しに定期的に学院を訪れるつもりですが」
 風竜の翼なら、タルブの村からでも日帰りが出来る。時間的には問題ないはずだ。ついでに言えば、コルベールへの行動は全てが善意ではなく、定期的にシャルロットの様子を見るための都合をつける意味合いもある。確実に、足繁く通うことだろう。
 だが、コルベールはそうではないと首を振ると、マチルダに体を向けた。
「ミス・ロングビル。先程の休暇を頂きたい、という件なのですが……」
「なんでしょうか」
 問い返すマチルダに、コルベールは髪が生えたように見える頭に手を当てて話を始めた。
「実は、私的に行っておる研究の為に、“竜の羽衣”があるというタルブ地方に向かうつもりなのですが、なにぶん遠く、一両日とは参りません。片道で二日、天候の影響で足止めを受けることも考慮すれば、更に一日余裕を見て、往復で五日といったところでしょう。現地での調査に時間を取られれば、十日は学院を空けることとなります。それだけの長期の休暇は、そうそういただけるものとは思っておりませんが……、どうにかなりますかな?」
「十日ですか。……まあ、ミス・シュヴルーズのようにバカンスで三週間も遠くへお出かけになられるのに比べれば、控えめな方ですね。教員の方々に割り振られた夏期休暇期間は少し先ですので、担当授業に代理を立てて頂ければ、すぐにでも許可を出しましょう」
 マルトーと話していた時とは別の書類を戸棚から取り出したマチルダが、そこに書かれた教職員の休暇スケジュールを確認して言うと、コルベールはホッと息を吐いて、顔色をすぐに悪くさせた。
「ありがとうございます、ミス・ロングビル」
 深くお辞儀をして礼を言うと、コルベールはカステルモールに意識を向けた。
「お聞きになられたでしょう?私は、暫くここを離れることになります。タルブは遠く、私の都合でご足労をお掛けする訳には参りません。ああ、しかし、どうすればよいのやら。研究を優先すれば、帰るのに間に間に合うことなく頭髪は失われ、此処に留まればせっかく見つけた研究対象への思いが募るばかり。せめて、馬車よりも早い移動手段が手元にあれば……」

 苦悩する様子を見せるコルベールの隣で、カステルモールが、へえ、と感心するように息を吐いたジェシカやエルザの顔を真っ黒にしたホル・ホースと顔を見合わせ、驚いたように目を見開く。
 どうしたのかとマチルダとコルベールが不思議そうな顔をするのを余所に、ホル・ホースはジェシカとカステルモールを呼び寄せて、都合のいい展開に口元をニヤリと歪めた。
「ちょうどいいじゃねえか。いっそのこと、全員連れて行こうぜ?」
 自身の身の危険を察したマチルダは身を凍らせ、コルベールは再び髪か研究かに悩み、この部屋の本当の主であるオールド・オスマンは、やっと見つけた湯飲みの中身が存在しないことにとても悲しそうな顔をしたのだった。


 アルビオン空軍工廠の町、軍港ロサイスは王都ロンディニウムの郊外に位置している。
 ロサイスは、革命戦争と称されることとなった先の内戦より前から王立空軍の工廠であった。
ハルケギニアの空中における主力兵器である軍艦は、空を飛ぶという性質を持ちながらも巨大だ。そのため、この町にはそれに見合った工場が立ち並び、船の材料となる木材が山と積まれた空き地がいくつもある。そして、軍艦に積むべき大砲を製造する鉄工所も、また多く存在していた。
 空軍の発令所である赤レンガの建物には、レコン・キスタを表す三色の傍が翻っている。本来なら、それは現政府の権威の象徴となるのだろうが、今は降りしきる雨に色を窺うことも難しい。その代わり、時折窓辺から顔を覗かせる兵士達には緊張の色がはっきりと見られた。
 町の中心ともいえる港には、一際目立つ巨艦が鎮座している。雨避けの布をテントのように広げた巨大な戦艦の名前はレキシントン。アルビオン本国艦隊の旗艦である。
 全長にして二百メイルに及ぶ巨大帆走戦艦は今、突貫工事の真っ最中だった。
 その工事の視察に来ている神聖アルビオン共和国の初代皇帝オリヴァー・クロムウェルの背中を睨みつけて、雨の中にも関わらず懸命に作業を進めている職人達を監督していたサー・ヘンリー・ボーウッドは下品な舌打ちをした。
 艤装主任であるボーウッドは、アルビオンの慣習に従って、この工事が終わり次第艦長に就任することになっている。かつては巡洋艦の艦長であったことを考えれば、旗艦となるレキシントンの艦長となるということは、大変な出世だ。
 だが、胸には不満や怒りといった感情ばかりが渦巻き、自分を評価し取り立ててくれた皇帝への感謝の気持ちなど、欠片も存在していなかった。
 その理由は、自身に与えられた最初の任務にあった。
「何が親善訪問だ!不可侵条約を結んでばかりの国に奇襲をかけるだと?冗談ではない!」
 そう声高に叫び、新しい上司を散々に罵りたい気分を押さえて、ボーウッドは視線をレキシントンに向ける。
 かつてはロイヤル・ソヴリンという名でアルビオンの空を駆けた王国の象徴も、今となっては愚者の手先に過ぎない。見た目は大きく、その身に積むことになる新型の砲がトリステインやゲルマニアの砲に比べて優秀だからといって、掲げられる正義がまやかしでは、そこに刻まれるべき誇りなどありはしないだろう。

 トリステイン女王アンリエッタとゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の結婚式に、神聖アルビオン共和国の閣僚が国賓として出席する。その際の御召艦が、目の前にあるレキシントンだ。
 来月の始めに執り行われる式に合わせ、事前に親善訪問を執り行う。そういう予定だった。
 だが、クロムウェルはその親善訪問をトリステインへの奇襲の場とするつもりらしい。親善訪問でありながら艦に砲を積むのは、そういう理由だ。
 アルビオン王国を滅ぼしたレコン・キスタが立った理由が、ハルケギニアの人類統一とエルフの排除、そして、聖地の奪還であることを考えれば、戦争が広がるのは仕方が無い。現在のアルビオン貴族は、それを理解した上でレコン・キスタに賛同していたはずだし、ボーウッドもまた、それを分かっていて命令に従ってきた。
 軍人としてはクロムウェルのやり方に黙って従うのが正しいのだろうが、それでも、このような恥知らずの行動に、ボーウッドは耐え難い怒りを腹の内で煮え滾らせていた。
 貴族としての誇りか、軍人としての誇りか。天秤にかけて、一度は軍人を取ったボーウッドだが、二度目もまた軍人として生きることが出来るのか、迷いが日に日に強まっている。
 名誉ある最初の任務が、汚物塗れのバージンロードとは。コレも、王家を裏切った男に対する始祖ブリミルの罰なのかもしれない。
 上官に引き摺られる形でレコン・キスタに参加することになったが、あの時、自分が踏み止まっていたなら、名誉ある死を迎えられたのだろうか。
 もし、ああだったら。もし、こうなれば。そんな過去の可能性を考えて陰鬱な気分になっている時点で、もはや、軍人としての生命は長くないのだろう。
 それを自覚しているボーウッドは、この戦を最後に退役を考えていた。
「しかし、果たして、簡単に逃がしてもらえるかどうか……」
 抱え込んだ一つの不安。
 神聖アルビオン共和国は、内戦の中で多くの死者を出し、人手が極端に不足している。精神的に参っているからといって、艦長の地位にまで上り詰めた働き盛りの男を、容易く手放すとは思えない。それは、ある程度覚悟しているものだ。何もかもが嫌になれば、戦場に出て戦死してしまえばいい。乱暴極まりないやりかただが、そう考えれば、このまま軍人を強要されることも耐えられる。
 だが、ボーウッドを不安にさせているのは、軍人を続けることよりも、“死なせてもらえない可能性がある”ということだ。
 換装工事を行っているレキシントンの向こう、港の端の兵舎側に並ぶ奇妙な一団。
 二百人か、三百人か。雨の中でも顔色一つ変えず、朝から今まで休憩も挟まずに訓練を続けているというのに、疲れどこか笑みさえ見せて、杖を振るい、剣を振るい、槍を振るっている。
 そこにボーウッドは視線を向けると、湧き上がる吐き気に表情を歪めた。
 クロムウェルがレコン・キスタの指導者となりえたのは、単に権力を握っていたからではない。レコン・キスタを影で支える出資者との直接の窓口、という理由も少なからずあるが、主な理由はクロムウェルが使う魔法の系統にあった。
 虚無。
 ハルケギニアでは伝説とされる、始祖ブリミルの用いた奇跡を起こす系統だ。

 クロムウェルは自分が虚無を扱えるということを理由に、ハルケギニアの全土の正当なる王となる運命にあると主張した。レコン・キスタは、そんなクロムウェルの意思に賛同したもの達の集まりが大本だ。
 勿論、世迷言なら国をひっくり返すようなことなど出来はしない。クロムウェルが虚無の系統を使えるという話は確かな事実として認識され、賛同者もその奇跡を目の当たりにしている。
 ボーウッドも、かつては半信半疑だったクロムウェルの系統について、今は確かな確信を得ていた。
 ただ、始祖の系統であるとは信じていない。あれは人の使う系統魔法などではなく、もっと本質の異なる、忌々しい力。それが、ボーウッドの認識だ。
「人を蘇らせる、命を司る系統……、か」
 軍事教練中の集団を構成しているのは、かつて王党派としてレコン・キスタと戦った兵士やメイジである。
 捕虜などではない。死んだ者たちを、クロムウェルは魔法で蘇らせたのだ。
 内戦の最後の戦場に無造作に積み上げられた死体がクロムウェルの魔法によって一つ一つ蘇り、クロムウェルの前に跪く姿を、ボーウッドは先ほどのことのように思い出せる。
 恐ろしい光景だった。
 敵として戦っていた者たちが、手の平を返したようにクロムウェルに忠誠を誓い、目の前で次の戦争の準備をしているのだ。叛乱の気配など、一つも無く。
 異常だった。
 彼らの中にはボーウッドの友人だった人間も居たが、会話を試みると、それこそ生前のままに話が出来る。だが、クロムウェルへの忠誠だけは、まるで刷り込まれたように当たり前に受け入れて変えようとしない。暗に批判をすれば、目の色を変えて否定をするくらいだ。
 生き返らせた際に、中身を作り変えられてしまったかのようだった。
 だが、そう思っても、それをどうにかする術をボーウッドは持っていない。そもそも、どうすればいいのか分からない。目の前の光景が正しいのか、正しくないのかさえ、判断できないのだ。
 アレが虚無だというのなら、人の生は、死は、一体なんだというのか。人の歴史は、戦場に積み上げられた死体は、何の意味があったのか。信仰する始祖ブリミルの正体は、人の命を弄ぶ狂人だったのか。
 なにか、とてつもない不自然な力の片鱗に触れた気がして、恐怖が心を埋め尽くす。
 唐突に感じた寒気に身震いしたボーウッドは、淡々と軍事教練に励む集団から目を逸らした。
 雨脚は強まり、頬を叩く水滴には痛みすら感じる。
 自然の摂理を大きく変える、魔法という力そのものに疑問を覚えたボーウッドは、何も言葉に出来ず、ただ呆然と、改修が続けられるレキシントンの姿を眺めた。
 クロムウェルは、この世界をどうするつもりなのだろうか。
 破滅か、それとも、真に平和が訪れるのか。
 何もかもが信じられない現実に押し潰されそうになりながらも、たった一つだけ理解している事実を確かめて、ボーウッドは雨に濡れながら宿舎へと足を向けた。
 トリステインは、きっと地獄になる。
 死者の軍勢に踏み潰される罪の無い人々の姿を幻視して、ボーウッドは雨に冷えた体を小さく震わせた。

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