ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

4 もしかしたら平和な日常 後編

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
「でも、いちおう忠告しておくわよ」
 ゴーレムに体を開放されたマリコルヌが駆け足で戻ってくるのを確認して、モンモランシーは言い含めるように言葉を紡ぐと、ちらり、とマリコルヌに圧し折られそうだった足を押さえてヒイヒイ言っているギーシュを一瞥して強く言い放った。
「自分の身は自分で守ること。そっちのシエスタってメイドと違って、あんたを助けてくれるやつなんてここには居ないわよ?危なそうならすぐに逃げる。それを約束できるなら、連れて行ってあげるわ」
 シエスタと同じく、マリコルヌの身の危険もあるが、もうモンモランシーは心配するのも馬鹿馬鹿しくなってきていた。
 それに、マリコルヌは仮にもメイジだ。授業で戦いに用いる魔法は習得させられているはずだし、外見に似合わず逃げ足は速いという噂もある。魔物に襲われる心配はきにするほどではないだろう。むしろ、変態であることに気をつけたほうがいいくらいだ。
「約束する!約束するとも!はははっ!やった!僕はやったぞ!家族以外の女性とお出かけなんて初めてだ!生まれてきて良かったあぁー!」
 両腕を振り上げ、全身で喜びを表現する自称ぽっちゃりさんに生暖かい視線を投げかけ、モンモランシーは心のどこかで、やっぱり止めときゃよかったかな、と呟いた。
 それも、もう今更だ。考え直して、やっぱり連れて行かない、なんて言えば、ギーシュの代わりにマリコルヌの異常で執拗な攻めを自分が受けることになる。それだけは、勘弁願いたい。
「とりあえず、これでメンバーは全員かしらね」
「集合地点でしかなかったのに、なんでこんなに時間がかかるのよ。出発前から疲れちゃったわ……」
 メンバー全員を見回して呟いたキュルケに、ぐったりした様子でモンモランシーは呟き、その肩に手を乗せる。苦笑したキュルケは、そんなモンモランシーの背中を、ぽん、と軽く叩くと、先導するように学院の出入り口である門を一足先に越えた。
「さー、行くわよ、みんな!まずは東に向かって、呪いの仮面を手に入れるわよ!」
 腕を振り上げてやる気を見せるキュルケの背中を追って、才人たちは足進める。
 いきなり不吉そうな物の名前が出てきたことに若干のしり込みはあったが、どうせ噂話を追い求めるくだらない旅だ。こちらの方が盛り上がるだろうと、才人やマリコルヌは意気揚々と出発を始めていた。どこからとも無くギーシュやキュルケの使い魔も姿を現し、鳴き声を上げて行進する様子が見える。
 突然顔色を悪くしたタバサを、空から舞い降りたシルフィードがマントを口に咥えて飛び上がり、それを追って、マリコルヌの使い魔である白いクヴァーシルという鳥が舞い上がった。
「元気なものねえ」
 こういうイベントにはあまり縁が無い、所謂生真面目なタイプであるモンモランシーは、悪戯グループの異様な体力を前に、早速着いていけないような気分になりつつある。
 はあ、と今日何度目かの溜め息を吐き、着いて行かなければと足を動かしたところで、ふと、地面で悶えていたはずのギーシュの姿が無いことに気が付いた。
 趣味の悪いシャツや無駄に派手な造花の薔薇は目立つ。見失うはずが無いと、視線を彷徨わせるモンモランシーは、晴れた空に唐突に影が降りたことで、視線を上に持ち上げた。
 身長の高さから見上げる位置にあるギーシュの横顔。それが、なんとも情けない笑顔を浮かべてこちらを見ている。そこにあるのは、バカがいつものように格好をつけているときの目だ。
 ただ、ほんのちょっとだけ、真剣な色がそこにはあった。

 手が一回り大きな手に包まれて、引っ張られる。ギーシュが、モンモランシーの手を握って早足で歩いていた。
 一体どうしたのかと尋ねるべく、モンモランシーは口を開く。
 だが、それよりも一瞬早く振り返ったギーシュは、モンモランシーの顔を見つめた後、いつも通りに造花の薔薇を構えて、なんと無しに言った。
 モンモランシーは僕が守るよ、と。
 耳元で囁くわけでもなく、ムードのある雰囲気で語るわけでもなく、才人の言葉に触発されて言いたくなっただけの言葉だろう。
「ハア?なに言ってるのよ、アンタ」
「いやあ、こういう台詞、一度言ってみたかったんだよ」
 そう言って、いつものように軽く笑うギーシュに、やっぱり、と心の中で言葉を溢して、モンモランシーは頬を膨らませる。
 こういう台詞は、もうちょっと雰囲気のあるところで言うべきだろう。そうすれば、もっと効果があるはずだ。
 言うタイミングを間違えてるわよ、このバカ。
 そう言おうとして、手に感じる温もりに口を閉ざす。
 普通なら間違いなく言うタイミングを間違えているが、どうやら、自分は例外だったらしい。
 なんでこんな馬鹿に惚れちゃったのか。
 自分で自分を情けなく思いつつも、なんだかドキドキする胸の鼓動が嬉しくなって、モンモランシーは繋いだ手に力を込めて早足のギーシュを追いかけるように小走りになる。
 いつの間にかキュルケを追い越して、二人が先頭に歩く格好になったところで、金髪の少女はちょっとだけ金髪の少年に体を寄せて呟いた。
 バカ。
 聞こえているかどうかは知らないが、どっちでもいいだろう。どうせ、いつも言っている言葉だ。
 ただ、そこに乗せた意味が聞こえてなければいい。
 聞こえていたのなら聞こえていたで、それでもいいかと思って、モンモランシーは笑う。
 意外と楽しい旅になるかもしれない。そんな予感と共に。



 黒い帽子を飾るリボンが風に揺れ、それに合わせるようにドレスのフリルもふわふわ揺れる。
 高い場所を飛んでいるからだろう。暑いはずの夏場でも肌を冷やすのには十分過ぎる風が絶え間なく吹き続け、ちょっとした身震いを呼び起こす。
 トリスタニアを昼頃に出発したエルザたちは、現在、出発点と目的地を繋ぐ街道の上を風竜に乗って移動中である。一番先頭に竜を操るカステルモールが、その後ろにジェシカやエルザが続く形で騎乗している。
 本来なら朝方に出発し、昼前にトリステイン魔法学院に到着することで用事を済ませ、そのままタルブの村に帰還する予定だった。だが、ホル・ホースが昼間で寝ていたことや、朝からエルザが出かけたことに加え、想像以上に前日に地下水がやった無茶がカステルモールの体を痛めつけており、全ての準備が整うまでに時間がかかったのである。


 訪ね先にあらかじめ連絡がしてあるわけでもないので別に急ぐ必要も無いのだが、地下水がせっせと急かすためにやむを得ず忙しない行動をしているのだ。
 とはいえ、世の中の人から見れば、十分にのんびりとしているのだろうが。
 風竜の背中で風に吹かれること二十分。そろそろ、魔法学院の姿が青く染まる空気の向こうに浮かび上がってくる。ゆっくりと飛んでいても、馬による移動時間の半分もかからないのだから、竜というものは便利なものだ。
 少しずつ近づいてくる学院の姿にカステルモールが、経験から推測したおおよその到着時間を知らせる。
 後十分前後。目に見える距離に収めれば、到着は早いらしい。
 そろそろ到着か。と、短い空の旅に感慨も沸かなかったエルザは、その場で振り向いて後ろに居るはずのホル・ホースに視線を向けた。
「……よく眠るわねえ」
 先ほどまで起きていたはずなのに、ホル・ホースはいつの間にか寝息を立てていた。
 かくん、かくん、と頭が上下に揺れているのに、体だけは妙に安定している。馬に乗ることが得意だというから、馬の上でも居眠りできる訓練でも積んでいるのかもしれない。
 ふむ、と言葉にならない声を漏らしたエルザは、体ごと振り返ってホル・ホースに対面するように座ると、目の前にある間抜けな寝顔を見上げて首を傾けた。
 身長に差があり過ぎるために、ホル・ホースの首が下を向いてもエルザの頭に当たることは無い。かくん、と落ちた頭の位置にエルザが手を伸ばすことで、やっと指先が届くか届かないかといったところだ。
 そのことを実践して確かめたエルザは、普段ホル・ホースの腕に抱えられている状態が一番顔が近かったのだと改めて思い、なんとなく寂しくなった。
 自分の身長はこんなにも小さいのに、相手の体はこんなにも大きい。なのに、この差が埋まるのは百年近くも先のことだ。
 その頃には、この指先に触れる暖かさは冷たく変わっているだろう。
 残酷な現実に、エルザは目の前にある大きな胸の中にそっと身を寄せる。
 種族の違いは思いの他大きくて、乗り越えようにも乗り越えられないものらしい。なら、今だけは、こうしていられる間だけは、ちょっとくらい甘えてもいいはずだ。
 自分は子供で、相手は大人。心の形はそうではなくても、見た目の関係だけなら何とかなる。
 それは望んだ関係ではないけれど、きっと最大の妥協点だ。
 これでいい。これで。
 悲しそうに眉の形を歪めて、エルザは膝立ちになって背伸びをする。
 伸ばした手が、ホル・ホースの頬を挟み込む。
 精一杯我慢するのだから、このくらいの役得はあってもいいだろう。
 乾いた唇に自分の唇を重ねようと、残ったほんのちょっとの距離を詰めて目を閉じる。
 互いの呼吸が肌を撫でて、少しだけくすぐったかった。
 暖かい感覚が、唇に触れる。いや、触れる前に、すっと遠ざかった。
「……?」
 膝立ちの足を伸ばして、足の裏を風竜の鱗に触れさせる。
 今の体勢では、目的の場所まで届かなかったようだ。引き寄せたはずの手は遠退いて、いつの間にか肘が伸びている。

 接触する少し前に閉じた目を開けてみれば、何のことは無い。相手がちょっと遠ざかっていただけだ。
 居眠り中だったのだから、頭が動くのは仕方が無い。もうちょっと背を伸ばせば、今度こそ届くだろう。
 心持ち唇を伸ばして更に前に進む。
 だが、やっぱり唇はもう一つの唇に辿り着かなかった。
「……あ、あれ?ちょ、ちょっと!」
 こっちは近づいているというのに、向こうは更に遠くなっている。
 なんで逃げるのか。
 そんな疑問を抱くエルザだったが、理由なんて考えなくても分かっていた。ちょっと真実から目を逸らしていただけだ。
 唇に固定されていた視線を僅かに上に向けてみれば、そこにはちゃんと疑問の答えが用意されている。青く染まった顔に、怯えたような目をした真実が。
 何時の間に目を覚ましたのか、近づくエルザからホル・ホースが背中を反らして逃げていたのだ。
「……お、おいおいおい、おっかねえなあ。とうとう寝込みを襲うようになったのかよ、この変態幼女は。犯罪者になる気はねえって言ってるのに、あくまでもオレをペド野郎に仕立て上げたいわけか。か、勘弁して欲しいぜ……、ヒ、ヒヒヒ、ひぃ」
 馴染みの引き攣った笑いも、いつものような切れが無い。無防備なところを襲われたのが相当にショックだったようだ。
 ずりずりと腰を滑らせて後退するホル・ホースの目に映るエルザの姿は、飢えたケダモノに他ならない。涎を垂らし、後一歩のところで獲物を捕らえることが出来たはずなのにと、悔しげに獲物を睨む猛獣の幻像が重なっているのだ。
「あ、え、いや、ちょっと……、違うのよ?これは、その……」
 弁解する言葉も見つからず、もごもごと口を動かすエルザに、ホル・ホースは更に後退すると、帽子で顔を隠して視線を逸らす。言い訳を聞く気もないらしい。
 その態度にカチンときたのか、戸惑っていたエルザの態度が急変し、のんびりと空の旅を楽しんでいたジェシカや地下水が驚くような怒声を上げた。
「な、なな、なによ、その態度!こんなに可愛い女の子が迫ってるんだから、嬉しそうな顔をするのが普通でしょ!?なのに、怯えるって何よ?受け流しなさいよ!素直にキスされて、唇を離したところで余裕の笑みの一つも浮かべればいいじゃない!どうしてそんな本気で怯える必要があるわけ!?ちょっとは受け入れてよ!!」
 心の叫びが口から飛び出し、空回りする気持ちをぶつけてやろうとホル・ホースを攻め立てる。キスを拒まれた乙女の心は、深く入った亀裂によって張り裂ける寸前だ。
 純情な気持ちを踏み躙られたと悲鳴を上げれば、流石にホル・ホースといえども逃げ続けることは出来なくなる。女の涙は男の退路を断つ最強の武器。抵抗の術は無い。
 ポロリと落ちた滴に、ホル・ホースもエルザに目を向けた。
「女のアプローチを受け止めるのも男の甲斐性でしょ!?いいじゃない、減るもんじゃないんだから!全然相手してくれないから、夜も寝るのが大変なのよ!?分かる?体力ばっかり有り余って発散する機会が無いのって地獄なのよ?鼻先に感じる男の匂いに身悶えするしかないわたしの気持ちを察してよ!端的に言えば、襲わせろー!」


 高く上げた両手を鉤爪状に曲げて目を光らせたエルザが、荒い息を吐いてホル・ホースに詰め寄る。先程落ちた落ちた滴も涎だ。まさにケダモノ。まさに変態。
 純な乙女の気持ちを吐いていれば別の結果を導き出せた筈なのに、こういう場面で欲望に塗れた本音が出てくるところがエルザのダメなところだった。
「じょ、冗談じゃねえぞテメー!本気でオレを性犯罪者にする気か!?」
 爛々と目を輝かせて荒い息と共ににじり寄って来るエルザから逃れようと、ホル・ホースは徐々に風竜の尻尾の方へ移動する。足場は既に座れるほどの幅が無いため、鱗に捕まっている状態だ。
「性犯罪者どころか、二度と帰って来れないマニアな道に引きずり込んでやるわよ!めくるめく禁断の愛の情動に、いろんな意味で足腰立たなくしてあげるわ!!」
 きっと、エルザの脳内ではアレやコレなどのネチョッとした粘膜のすり合わせが行われているのだろう。血走った目には理性の光は無く、ただ肉欲だけが渦巻いている。
 素手による肉弾戦は、体の大きさに違いがあるとはいえ、ほぼ同等。ホル・ホースのスタンドであるエンペラーの汎用性の無さを考えれば、先住の魔法が使えるエルザが有利だろう。
 取っ組み合いになれば、そのまま夜のプロレス講座に持っていかれる。
 それだけはなんとしても避けなければと、ホル・ホースは更に後退して風竜の尻尾の先端を目指す。現状において、もはや、逃げ場所はそこしかないのだ。
「ま、待て!話し合おうぜ!な?一方的な愛情ってのは、お互いに不幸になるだけだ。こういうことは、もうちょっとお互いを知ってからだな……」
「年頃の初心な少女みたいなこと言ってないで、大人しくわたしのものになりなさい!心配しなくても、ちょっと下半身がイケナイことになるだけだから!大丈夫!!」
 一体何が大丈夫なのか。尻尾にしがみ付いて少しずつ先端へ向かうホル・ホースを追うエルザは、口持ちに手を添えて艶かしく笑い、丸い尻尾の上を軽い足取りで歩く。
 風竜の尻尾は、飛行姿勢を安定させるために常時動いている。だが、そんな場所でも危なげなく歩くエルザの足は、確実にホル・ホースとの距離を詰め、眼前に迫ろうとしていた。
 もう少しで、あの小さくも禍々しい手が届く。
 もはや退路の無いホル・ホースは、なおも逃げようと尻尾の先端へと這い進み、もはや片手で掴める程度しかない太さの部分にぶら下がった。
「さて、そこからどうするのかしら。逃げ場所は、もうどこにも無いわよ?」
 先住の魔法を使い、風を味方につけたエルザがゆっくりと尻尾の上を歩いてホル・ホースに近寄る。自分の腕の太さほども無い場所でも、バランスを崩す気配は無かった。
「て、テメェ、今回はホントにキレてやがるな……」
「そうねえ、自分でもちょっとやり過ぎかな、って思うのよ?でも、体の熱さがどうしても抜けないの。最低でも一度は発散しないと、流石に止まりそうにない気がするわ」
 しゅる、と衣擦れの音を響かせて、ドレスの胸元を飾るリボンを解く。その下からドレスを体に縛っている編み上げられた紐が露出すると、エルザはそれにも指をかけて解き始めた。
 太陽の光を浴びていない、白い肌が少しずつ露出していく。
 幼い少女を思わせる衣装の中から、火照った肌があらわになっていく姿は、その手の趣味の人間にはたまらない光景かもしれない。だが、ホル・ホースにその趣味はないし、尻尾の先を掴む手が痺れてきていて、エルザを見ている余裕もなくなってきていた。

 このままでは、握力が無くなって地面に落ちてしまう。
 しかし、エルザは焦った様子も無く、緩めた胸元をそのままに怪しく微笑んだ。
「あら、落ちるのかしら?それもいいわねぇ。空を飛びながら激しく交じり合うのも、意外と良い思い出になるかもしれないわ」
 魔法を使えば、高さなんて関係ない。いや、むしろ完全にホル・ホースの行動を支配化におけるだけ有利とさえいえるだろう。
 怪しく輝くエルザの目は、ホル・ホースに落ちろと念じているかのようだった。
「チッ!この状態はなんともなんねえか……」
 進むことも退くことも封じられ、待っていても相手から来てしまう。
 チェスで言うならチェックメイトだ。敗者は大人しく、勝者の言い分に従うしかない。
「んふふふふふふふ……、ああ、なんか幸せな気分になってきたわ……、人生の絶頂ってこういうものなのかもしれない……、あは、あはは、あははははははははははッ!!」
 サディスティックなエルザの本性に、ホル・ホースは頬を引き攣らせ、背筋を凍らせる。
 狂ってる。
 その一言に全ての意味を乗せて呟くと、僅かに残る希望に期待を寄せて、ホル・ホースは痺れる手から力を抜いた。
 一瞬の落下の後、浮き上がった体が重力を見失う。
 これが、落下の感覚なのか。
 そう思ったホル・ホースは、すぐにそれが違うものだと判断した。
 風に体が持ち上げられたのは確かだ。だが、自然の風ではない。ホル・ホースが手を放した瞬間にエルザが生み出した、精霊の風によって浮いているのだ。
 ニヤリと口元に笑みを浮かべたエルザは、自らにかけられた風の魔法がホル・ホースに移されたことでバランスをとり続けられないことさえ好都合と、スカートの端を摘んで尻尾の上から飛び降りようとする。空中に滞空するホル・ホースの上に降りるつもりらしい。涎をじゅるりと飲み込む姿は、変態以外の何者でもない。
 だが、それを簡単に許すホル・ホースでもなかった。
「調子の悪いオレのエンペラーなら、こういうことも出来るんだぜ?」
 突き出した右手が、通常の人間には見えない特異な力によって生み出された銃を握る。
 間髪入れずに人差し指が引き金を引き、銃口から飛び出したどこか弱弱しい弾丸がエルザ目掛けて放たれた。
「きゃあっ!?」
 額に激突した弾丸にエルザが悲鳴を上げる。
 額の一点がじわりと赤く染まり、そこから潰れたエンペラーの弾丸がポロリと落ちた。
 少女の柔肌を貫くことすら出来ないスタンドは、殺すことは出来なくとも、エルザの集中を乱すことくらいは可能。ホル・ホースの目的は、エルザの魔法を解くことにあった。
「悪いな、エルザ。オレは、ガキに好きなようにされるくらいなら、死を選ぶ。そういう男なんだ」
 魔法の効果が途切れ、浮いていたホル・ホースの体が再び自由落下を始める。
 その一方で、不意の攻撃にバランスを崩したエルザの体が、風竜の尻尾の先端から滑り落ち
てしまう。痛みに額を押さえていた手は、動きが出遅れて尻尾を掴むことが出来なかった。


 もう一度、魔法を。
 そう思ったが、一度にかけられる魔法は一人だけだ。風の魔法で浮いていたホル・ホースの上に飛び乗れば落ちることは無かったが、今は違う。
 落下するホル・ホースか、自分か。救えるのは一人だけ。
 究極の選択だ。だが、悩んでいる時間は無い。
 悩む気も、エルザには無かった。
 自分を拒んだ男を瞳に映して、エルザは悲しげに笑った。

「何を遊んでいるんだ、お前らは」
 草原に尻餅をついたホル・ホースとその隣に両足で着地したエルザに、風竜の背中から降りようとしているジェシカに地上から手を貸していたカステルモールが、呆れた表情を浮かべて問いかけた。
 足元に広がる芝生はトリステイン魔法学院の中庭のものだ。しっかりと手入れがされ、実にふみ心地の良いものに仕上がっている。
 ホル・ホースたちは、既にトリステイン魔法学院に到着していたのだ。落下がどうとか言う以前に、そもそも地面はすぐそこにあった。つまりはそういうことである。
 立ち上がったホル・ホースはひょいとエルザを持ち上げて、いつものように片手で胸の高さまで抱き上げると、互いに顔を見合わせてヒヒと笑う。
 悪戯が成功して喜ぶ子供のような笑みだった。
「移動中ってやつは退屈だからよ。まあ、いいじゃねえか。ただの冗談なんだし」
「わたしは半分くらい本気だったけどね。激しく責めるのも悪くないかも、なんて。いやん」
 ポッと赤く染まった頬に手を当てて体ごと首を振るエルザに、ちょっとだけホル・ホースの顔色が悪くなる。今まではあまり気にしていなかったが、うっかりしていると、本当に眠っている間に性的な意味で食べられる可能性があることに、今頃気が付いたのだ。
 じとっとした湿気の強い視線をエルザに向けてみると、視線を反らしてワザとらしく口笛などを吹き始める。
 この幼女、ヤる気満々だ。
 危険物を排除すべくエルザを放り出したホル・ホースが、謝りながら追いかけてくるエルザと鬼ごっこを始めたのを横目に、カステルモールはジェシカと共に学院の中央に聳え立つ塔を眺めた。
 白亜というには古臭い、高く聳える塔。巨大ではあるが、魔法だけでなく、建造物においても一歩先を行くガリアの出身であるカステルモールにしてみれば、驚くには値しない建物だ。
「ここが、シャルロット様の学び舎……か」
 己の主を思い、しみじみと呟く。
 思えば、こうして奇妙な連中の下らない提案に乗ったのは、この場所に来る理由を作るためだったのかもしれない。周辺の安全を確認するためにも、本来ならもっと早くこの場所に訪れて情報を集めたかったのだが、シャルロット本人がそれを拒んでいたために、今の今まで実現しなかったのだ。
 今回は無理矢理な来訪だが、気に入っているらしい変人達に無理矢理連れて来られたと言い訳すれば、責められはしないだろう。

 これも全て主を思うための行動だと、カステルモールは青い髪の少女とその父親への忠誠に酔っ払いながら心の中で呟いた。
「で、姉ちゃんよ。ここに用があるんじゃなかったのか?」
 品の無い言葉がジェシカの口から飛び出す。それに驚いたのは、隣に居たカステルモールよりも、むしろ、言った本人だっただろう。
 口を押さえて、なんでこんなことを言ったのかと戸惑ったジェシカは、ふと腰に下げた背の低い刃物のことを思い出して、怒ったように眉の形を変形させた。
「地下水!あんた、出発する前に人の体を勝手に使わないでって言ったでしょ!?」
「おおう、すまねえ。どうも癖でな。人の体に接していると、どうしても操りたくなるんだ」
 万が一風竜から体を滑らせて落っこちてしまったときのために持っていたのだが、時折こうして嫌がらせ紛いのことをする。本人に悪気はないらしいのだが、その癖が厄介過ぎるために笑って許すことも出来ない。
 まったく、と胸を持ち上げるように腕を組んだジェシカは、気を落ち着かせて先ほどの地下水の質問の返事をした。
「確かに、ここに用事はあるよ。でもね……」
 言葉を止めて、どこまでも真っ青な空に視線を向けると、遠い目で呟いた。
「竜ってのがこんなに早く移動できるものだと思わなくてさ。トリスタニアで時間を潰したのに、予定より三日も早く到着しちゃったんだよねえ」
 つまり、用事を済ませるには早く来過ぎたということだ。
「だったら、トリスタニアでゆっくりしていれば良かったんじゃないか!」
「そうは言うけどさ、この地下水が急げ急げって煩くて、言う暇が無かったんだよ」
「え、マジで?俺のせい?」
 昨夜の騒動で筋肉痛の取れていないカステルモールが責めるように言うと、その責任をジェシカは無機物に反らし、地下水が呆然と呟く。
 このまま責任を被ってもいいが、急いだ理由を聞かれると困る地下水は、更なる責任の所在を探して意識をあちこちに視線を向ける。視線を向ける、とはいっても、目が無いために実際にどうやって認識しているのかは永遠の謎だ。
 探しているにしては具体的な目標を見定めている地下水が、追いかけっこをしている変人二人を槍玉に挙げてやろうと周囲を探っていると、その途中で懐かしい気配を感じてカタカタと金属音を鳴らした。
 突然に中庭に降り立った竜を見るためにいつの間にか集まった無数の学生達の間から、緑色の髪を纏めた妙齢の美女が足音を鳴らして近づいてくる。
 緑の髪で地下水の知り合いといえば、一人しか居ない。フーケことマチルダだ。
「あなた達、こんなところで何をしているのですか!」
 妙に似合う伊達眼鏡を軽く持ち上げ、杖を振るって強く言い放つ姿は女教師という風貌らしさが出ていて実に似合う。口調が若干丁寧なのは、生徒達の目があるために演技を継続しているからだろう。
 適度に距離を詰めて話し声が他の人間に聞こえない位置に立つと、ふっと雰囲気が一変して粗野な印象が強まった。
 こっちこそ、フーケの本来の雰囲気だ。

「えっと、あんた確か、タルブ村に居たガリアの騎士だね?元、が付くけど。地下水はどうでもいいとして……、そっちのお嬢ちゃんは初めてか」
「俺の扱いがヒデェな」
 小さく文句を垂れる地下水を無視して、マチルダはジェシカに手を差し伸べる。
「隠しても、どうせ口の軽いヤツラが喋っちまうだろうから先に教えておくよ。あたしはロングビル。学院長付きの秘書……、というか、学院長の代行をやってる。ま、その名前は実は偽名で、本当はマチルダって言うんだ。好きに呼べって言いたいところだけど、一応正体を隠してるから、出来ればロングビルの名前を使っておくれ」
「じぇ、ジェシカです。ええっと、その、本日はお日柄も良く、御目出度い席にお呼びいただき蟻が、ありが、アリ?」
 差し出された手を取り握手をしたジェシカが、なぜか慌てた様子で奇妙なことを口走る。
 どうやら、マチルダの肩書きの学院長代行という部分にビビッたらしい。そこらの貴族相手では物怖じしないジェシカも、従兄弟の勤める職場のトップ同様の相手ではいつもの調子が保てないようだ。
 平民相手にそういう態度をとられた事のあるカステルモールは、すぐにジェシカの様子が変化した原因に気付いたが、あまり馴染みの無い地下水やマチルダは首を傾けて頭上に疑問符を浮かべていた。
 ぷ、と誰かが噴出したことで、緊張が緩んだ。
「あっははははは!なんか、変なお嬢ちゃんだね。まあ、普通の子みたいだし、歓迎くらいはしてあげるよ。と言っても、さっきも聞いたように、ここに来た理由を教えてもらってからだけどね」
 学院内に不審者を入れるわけにはいかない。そういう後で面倒になる部分はきちんと聞いておくつもりのようだ。
 しかし、唐突な訪問でも怒らないというのは、実に珍しい。
 マチルダは絶対に厄介事を嫌うタイプだと思っていた地下水としては、なんだか不気味で仕方がなかった。
「フーケの姐さん、いったいどうしたんだ?なんか、いつもと調子が違うじゃねえか」
「ふ、あたしは生まれ変わったのさ。あのクソッたれの大小コンビが運んでくる面倒ごとに比べれは、日常に存在するあらゆる出来事は取るに足りないことだって理解したんだよ。どうでもいいことで怒っていても仕方が無い。適度に受け入れて、笑っていたほうが幸せに慣れるんだってね」
 かなり老け込んだ人間の考え方である。
 外面では分からなかったが、大小コンビことホル・ホースとエルザの二人組みに関わっている間、密かにストレスを溜めていたらしい。うっかり悟りを開いてしまうほどに。
 これからは、もうちょっと優しく接してやろう。
 そう思った地下水だったが、さっそく優しくない報告をしなければならないことを思い出す。
 マチルダは気付いていないようだが、ここに来たのはカステルモールや地下水、ジェシカだけではないのだ。
 だが、ジェシカたちを客間に案内しようと動き出したマチルダにどう切り出したものかと地下水が迷っている間に、騒動の火種は向こうからやってきた。

 どこまで走り回っていたのか。中央に聳える塔と周囲を囲む五つの塔を結ぶ渡り廊下の向こうに姿を消していたホル・ホースとエルザが、何かを手にして姿を現した。
「小汚ないテントの中漁ったら、なにか変なもの拾ったわ!」
「柄は違うが、トランプだよな、これ?こっちの世界にもあったんだなあ」
 硬そうな薄っぺらい長方形の板の束を両手で運ぶエルザに、ホル・ホースが懐かしそうに目を細めている。時折、だーびーに魂がどうのこうのと口走っているが、それがどういう意味か理解できるのは、一人も居ない。多分、故郷の思い出話だろう。
「地下水……」
「は?うおおぉぉッ!?」
 底冷えする声に反応する間もなく、ジェシカの腰から掴み上げられた地下水は、憎々しげに歪んだマチルダの表情に驚いた声を上げた。
「こ、これは、どういうこと!?あいつらが居るじゃないか!なんで連れて来てるって言わないんだい!!」
「一緒じゃないなんて一言も言ってないだろ!?姿が見えないからって、かってに居ないものと勘違いしたのは姐さんだぜ!」
「最初に言うんだよ、そういうことは!」
 地下水を地面に叩きつけ、踏みつけるように蹴りを数発繰り出すと、マチルダは頭を抱えて蹲った。
「絶対、なにか厄介で面倒なことを運んできているに違いないんだ。嫌だ!せっかく安住の地を見つけたんだ!セクハラも無くなって、それなりの肩書きだって手に入れたんだ!あの子達を養っていける真っ当な職なんだ!手放したくない!!」
 心の内を声高に叫んで、駄々っ子のように首を左右に激しく振る。
 拒絶しても、多分、ダメだろう。そんな確信がマチルダにはあった。最低でも、何か一つを失う。そんな確信が。
「お、フーケじゃねえか。なにを苦悩してるんだ?あの日か?」
「フーケのお姉ちゃん、頭痛いの?お薬飲む?座薬だけど」
 マチルダの存在に気付いたホル・ホースとエルザが、蹲るマチルダの様子を確かめようと顔を覗き込む。本人達には悪意は無いのだろうが、その行動はほとんど嫌がらせだ。
 必死に手で追い払おうとするマチルダになにかを感づいたのか、纏わり付く勢いが増したホル・ホースとエルザを冷めた目で眺めていたカステルモールは、ふと、今が夏だったことを思い出して空を見上げ、明るく輝く太陽の光に目を細めた。
「これが……平和か」
 絶対に違うと訴える主の姿を太陽の中に映し見て、カステルモールは最近増えてきた溜め息の回数を、また一つ増やしたのだった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー