ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

3 しがない職業意識 前編

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
3 しがない職業意識

 ふらり、ふらりと揺れて、テーブルにごんと頭をぶつける。
 そんな重度の酔っ払いのような動きをしているのは、ここ数日、まったく飲酒をしていないホル・ホースであった。
 昼中にエルザに血を吸われてからというもの、どうにも体に力が入らない。九割方貧血なのだろうが、酔ってもいないのに酔っ払いのような状態を見かねて、ジェシカが精のつく料理をご馳走したが、その中に入っていたハシバミ草がトドメとなって、ホル・ホースの意識は完全に混濁していた。

 時は宵の口。場所は“魅惑の妖精”亭。
 仕事を終えた男達と客引きの女達の姿でごった返すブルドンネ外の一角にあるここも、例に漏れず溢れるほどの人で賑わっていた。
 右を見れば際どい衣装の女の子がトレイにワインと軽い食事を乗せて腰を振りながら客に擦り寄り、左を見れば見事な駆け引きで大量のチップを手に入れた少女が顔を綻ばせている様子がある。
 奥の奥にある、混雑時の予備ともいえる見栄えのよくないテーブルを囲んでいるのは、地下水に体を乗っ取られたカステルモールと瀕死のホル・ホース、そして、なぜかぴっちりタイツで大胸筋を誇示するオカマ、スカロンだった。

「無理なものは無理だ!男と女じゃ根本的なところで体のつくりが違うんだよ!お前がいくら頑張っても、女にはなれねえよ!!」

 飲むことも出来ないワインを片手に地下水が叫び声を上げる。
 罵声ともいえる言葉を受け取っているのは、どうしたのかと客やウェイトレスたちの視線が集まるのも気にせず腰をくねくねと曲げていたスカロンだ。

「そんなこと言わないで!あなただけが頼りなのよ!ほら、この腰の動き。娼館の一番人気の女性をモデルにしてるのよ?これでもまだ気持ち悪いって言うの!?」

 なんでこんな話になっているのか。
 事の発端は、カステルモールの風竜でトリスタニアに向かう道中、ジェシカが地下水やエルザの正体を聞いたことにある。
 明らかに様子の変化したカステルモールに、肌が弱いというだけでは説明しきれないほど日光を嫌うエルザ。そんな二人を不審に思わないほうが不自然だろう。特にカステルモールの変化は、ジェシカの瞳には歪に映っていたようだった。
 とはいえ、ホル・ホースたちは特に隠すことも無く、指摘されたことちょうど良い機会だと考えてエルザと地下水の秘密をあっさりと暴露した。

 問題は、ここからだ。
 かなり特殊な存在が身近に存在していたことに驚いたジェシカだったが、最初は特に気に留めることも無く、そういうものなのか、と受け入れていた。人の体を乗っ取るナイフや人の生き血を啜る吸血鬼といった一般的に恐怖の対象となるような存在でしたよ、と言われても実感が湧かなかったのだろう。
 ホル・ホースたちが別段隠す様子も無いことから、それほど重大なものだと判断しなかったジェシカは、ものの見事に人に喋った。“魅惑の妖精”亭に勤める人々全員に。

 トリスタニアは、ハルケギニアでは大都市だ。その気になれば、町の外に出ることなく一生を終えられるだけの環境が整っている。そのこともあって、外では恐怖されていることも、ここではいまいち鈍感になりやすい土壌がある。なにせ、ここで一番怖いものといえば、権力の塊である貴族だ。他に怖いものというのがあっても、想像し難い。
 要は、地下水やエルザの存在は、昔話やそこらの英雄譚で語られる悪役側という程度の認識でしかなく、珍しいもの、という域を出ていないのである。
 地下水は刃物だからと警戒されても、エルザのほうは見た目はただの幼女だ。恐ろしい怪物だなんて思うほうが難しいだろう。

 ふーん。という感嘆符を浮かべる“魅惑の妖精”亭のメンバーの中でスカロンが気にしたのは、地下水が人体に詳しく、人を操る力を持ち、幾多の人の手を渡ってきたという事実だった。
 そこで始まったのが、男と女の違いの話だ。
 男でありながら女の道を行くオカマには、切実な問題らしい。

「その動きが間違ってるって言ってるんだよ!骨格が違うんだよ、骨格が!同じ動きに見えても中身が違うんだから、どうやっても無駄!どうしてもって言うなら、来世に賭けろ!少なくとも、俺は生まれ変わりなんて信じちゃいねえけどな!」

 酷い、酷いわ!と特に悲しそうにも見えない顔で樽型の大きな木杯を傾け、その中に入っていたワインボトルの半分に相当する量の赤い液体をスカロンは一気に胃の中に流し込んだ。

「っぷはーっ!……げぇえーーーっぷ」

 胃の中に溜まった空気を吐き出して、それから気がついたかのように口元を隠す。
 恥ずかしそうにしている様子が他の客席からも見えたのだろう。寄り添う少女たちに機嫌を良くしていた男達も、腹立たし気にスカロンを睨み付けていた。

「完全にオッサンじゃねえか」

 瀕死でも一応話を聞いていたのか、ホル・ホースが呆れたように呟いた。

「やっぱ、来世だな。始祖ブリミルの魔法でも、テメエの性別だけは変えられねえよ」

「そ、そんなあぁ」

 地下水の冷たい言葉に、スカロンは絶望を顔に描いて項垂れる。

「げぇっぷ」

 また、臭気に満ちた気体がスカロンの口からはみ出た。

「テメエはやっぱダメだ!生きてることが、なんか許せねえ!!なんで、こんな変態には自分の体があるのに、俺には体がねえんだよ!理不尽だ!死ね!死んでやり直せ!!」

「ああぁ、お助けえぇぇ!嫉妬に狂った刃物の悪霊が襲い掛かってくるわあぁぁぁっ!」

 本体であるナイフを振り上げて地下水がスカロンに飛び掛る。カステルモールの目には殺意が浮かび、振り下ろされようとしている刃物には殺気が篭っていた。

「やれ!やっちまえ!」

「そいつだけがこの店で唯一気に入らなかったんだ!今のうちに亡き者にしろ!」

「そうだそうだ!そいつがいなくなれば、ジェシカちゃんも店を空けたりはしないからな!」

「殺せ!殺せ!殺せ!」

 地下水の動きに同調した客達が腕を振り上げて熱狂的に囃し立てる。
 どうやら、スカロンは客に嫌われていたらしい。
 スカロンはそんな客達に、あとで覚えてろ!というような鋭い視線を投げかけ、自身の頭部に振り下ろされたナイフを両手で挟み込んだ。
 見事な真剣白羽取りである。

「ふふふ。こんな裏通りに店を構えているアタシを、ただのオッサンだと思わないことね。数多の戦場を駆け抜け、振るった鉈は百にも及ぶ兵の命を刈り取ったわ……。そう、戦場に舞う変態こと、オカマのスカロンとは、アタシのことよ!!」

 そのままのネーミングに驚いたのか、それとも本当に有名な名前なのか、客達は揃って驚愕に顔色を染め、オカマのスカロンについて恐ろしげな噂話を語り出す。

「お、オカマのスカロンといえば……」

 以下省略。

 誰かも分からない男の言葉を無視して、地下水のナイフはスカロンの頭部に刃を突き立てようと力を篭める。スカロンの手が徐々に下がり、ナイフの先端が顔の一部に到達しようとしていた。
 流石に地下水の殺意が本物なのだと気付いたのだろう。スカロンの額には汗が光り、白羽取りを極めた手にはあらん限りの力が篭められている。二の腕に浮き上がる血管が、妙に生々しかった。

「ち、忠告するわ……、これ以上押し込むのは止めなさい。さもないと……、あなた、死ぬわよ?」

 スカロンの食い縛られた歯の隙間から零れる言葉は、紛れも無い脅し。だが、形勢は圧倒的に地下水に分がある。
 誰の耳にも、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。

「誰が止めるか!このまま脳漿をバラバラにしてやるぜ!」

 地下水もまた、スカロンの言葉がハッタリとしか聞こえなかったのだろう。腕に篭められた力は強くなり続け、体格で勝るスカロンの腕の力を上回ろうとしている。
 短い拮抗の間にも観客の野次は容赦無く飛び交い、騒動とは一切関係ないところで意識を朦朧とさせていたホル・ホースは夢の中のお花畑で二度目のガオンを経験しようとしていた。

 このド畜生が!

 そんな言葉がホル・ホースの脳内で響き渡って危ない痙攣を起こし始めたとき、二人の戦いが動いた。

「忠告は……、したわよ!」

 スカロンの目が妖しく輝き、篭められた腕の力が倍増する。
 まだ、スカロンは本気を出していなかったのだ。

「お、折られる!?」

 白羽取りによって軸は形成され、支点、力点、作用点の三つが生まれ、てこの原理が適用されるに十分な環境が整っていることを示している。スカロンの腕力と、地下水が操るカステルモールの腕力。その二つが合わされば、薄っぺらい金属など、容易く折れ曲がるだろう。
 危機を察した地下水は自身を引いて状況を立て直そうとする。だが、引こうとしても引くことが出来なかった。
 スカロンは、地下水を逆に自分の方へ近づけていたのだ。

「ば、バカな!?何をする気だ!!」

「うふ、決まってるじゃない。オカマの武器は、何時だって自分自身よ」

 吐き気のするようなウインクを一つ飛ばして、スカロンは地下水を更に自分に近づける。ナイフの切っ先は、既にスカロンの額に届こうとしていた。
 しかし、後一歩のところで届かなくなる。
 スカロンが、顎を上げ、頭の位置を下げたのだ。

「ま、まさか!?」

 その行動から、スカロンが何をしようとしているのかを理解した地下水は、カステルモールの肉体の性能を限界以上に引き出して本体をスカロンの手から引き抜こうとする。
 だが、それはスカロンの全力に届かなかった。
 じわりと移動し、地下水の本体がスカロンに更に近づいて、射程圏内に納められる。
 スカロンの武器が、むちゅう、と突き出された。

「そう、熱い、あっついベーゼをプレゼントしてあげるわ!!」

「ひ、ひいぃぃぃっ!?や、やめてくれえええぇぇぇっ!!俺は、俺は、はじめてなんだああああぁあぁっ!!」

 果たして無機物に始めてもクソもあるのか。しかし、地下水は確実に近づいてくるスカロンの唇から逃れようと、過去に累を見ないほど必死になって本体を引き抜こうとしていた。カステルモールの口からは魔法の詠唱も行われ、超至近距離からのエアハンマーをぶつけようとしている。
 まさに、生きるか死ぬかのデッドヒートであった。
 だが、余りにも小規模な戦いは、その規模の小ささから決着を一瞬で迎えてしまう。
 つまり、地下水の足掻きは間に合わなかった。

 ぶっちゅうううううぅぅぅぅっ!!

「ッンギィヤアアアアアァァァァァァァアアアァァァァァアァァアァァアッァッ!!」

 地下水の刀身にコレでもかというくらい厚い口紅が塗られた唇が押し付けられ、刀身の平に真っ赤な跡を刻みつける。
 悲鳴を上げる地下水を一回り大きくなったのではないかと思うような腕の力でしっかりと支えて、スカロンはたっぷり一分ほどの間、地下水に生暖かいキスを喰らわせた。
 吸盤を無理矢理外したときのような音が“魅惑の妖精”亭に響き渡り、乾いた音を立てて床に転がったナイフを顔を真っ青にした客の男達が眺める。続いて、地下水の支配からは逃れたものの、過剰なまでに体を酷使されたために全身が攣ってしまったカステルモールが体を床に横たえる。
 勝敗は、決していた。

「う、ううう、け、穢されちまったよぅ……」

「フフッ。あなたの唇、最高に鉄臭くて素敵だったわ」

 ご馳走様、とでも言うようにスカロンは口を拭って深く息を吐く。地下水は、カタカタと小刻みに震えて深いトラウマを心に刻み込まれていた。
 その姿に戦慄する客たち。だが、地下水の正体を知らないため、なんで負けたのかはよく分かっていない。

「このオカマ……、自分が気持ち悪いことを自覚して武器にしてやがる!?」

 客の一人がスカロンの攻撃から何かを読み取ったのか、驚愕の表情を浮かべて後退った。
 スカロンがゆらりと立ち上がり、じろりと店の客達に視線を向ける。

 不味い。
 散々殺せだの、気持ち悪いだの罵ったのだ。このままでは復讐される。
 案の定、熱っぽい視線がスカロンの目から放たれ、客の男達の唇を陵辱していた。脳内に広がっている妄想の中では、それはもうすごいことをされているに違いない。
 引き攣った笑みを浮かべて店の奥側へと避難する“魅惑の妖精”亭の妖精たちを気にかける間もなく、男達はゆっくりと席を立ち、じりじりとすり足で店の出入り口に近づく。
 ある一定のラインを超えれば、野獣と化したスカロンは男たちめがけて襲い掛かってくることだろう。そのギリギリのラインを見極め、この場を逃げ出さなければ成らない。
 いつもはただの下心丸出しの酔っ払いに過ぎない“魅惑の妖精”亭の常連客は、このときだけは幾度も修羅場を潜り抜けた戦士の目をしていた。

「ふぅー……、ふぅー……、ふぅ……、ふぅ、ふぅ、ふぅ」

 スカロンの呼吸の感覚が、徐々に短くなる。限界が近いようだ。
 じり、と玄関口からもっとも遠い位置に立つ客の足が動いたとき、オカマという名の野獣は覚醒した。

「あっはーん!逃がさないわよおおおおぉぉぉっ!!」

「ぎゃあああああ!逃げろ!逃げろおおぉ!総員撤退!撤退だーーーっ!!追いつかれたらいろんな意味で死ぬぞ!!」

 野獣から逃れようと客達が雪崩のように玄関口へと集まり、我先と夜の街に消えていく。しかし、玄関口を通れるのは、せいぜい大人二人。そこへ男達が集まれば渋滞が生まれ、足を止めなければならなくなるものが出てくる。

「つーかまーえたー」

「ウッギヤアアアアァアァッ!?」

 群れの最後尾に居た男の背中を、スカロンの逞しい筋肉が抱き締める。

「ああっ、ボーンナム!ボーンナムが捕まった!」

「諦めろプラント!ペイジも逃げちまったんだ!助けられねえよ!!」

 手を出し、スカロンに捕まった男を助けようとするプラントと呼ばれた男。だが、それを別の仲間が羽交い絞めにして引き摺っていく。
 この世の終わりを見ているかのような絶望に満ちた顔で玄関の向こうへ去っていく友人の姿を見送ったボーンナムは、最後の最後に穏やかな笑顔を浮かべると、始祖ブリミルに仲間達の幸運を祈り、両手を合わせた。 

「さようなら、母ちゃん。さようなら、みんな。息子達よ、強く生きるんだぞ……」

 呟かれた遺言。それは誰の耳に届くことも無く、空気の中に溶け込んでいく。

「ふふふふふ、今日の獲物は肉付きのいい男みたいね。安心なさいな、ベッドの上でたっぷりと可愛がってあげるから」

「ひ、ひいぃぃぃっ!」

「さあ、こっちに来なさい。大丈夫、優しくしてあげブベバッ!?」

 掴まえた男の首筋に息を吹きかけていたスカロンの頬を、曲げられた膝の頭が抉った。
 真空飛び膝蹴りを受けたオカマは吹き飛び、難を逃れた男はそのまま店の外へと逃げ出す。
 空中で踊るように体を捻り、優雅に着地して腰に手を当てたのは、吹き飛んだオカマの実の娘、ジェシカだった。

「なにやってんのよ、この変態親父!お客さんをみんな追い出しちゃって!これじゃあ、今日は完全に赤字じゃないの!」

「お、怒らないでジェシカちゃん。ちょっと魔が差しただけなのよぅ」

 怒鳴り声を上げるジェシカに、スカロンは蹴られた頬に手を当てながら腰にしなを作って目を水っぽくする。
 娘の目から見ても、一つ一つの仕草がどうしようもないくらい気持ち悪かった。

「言い訳がしたかったら、まずはその格好と態度を改めることね!まだママに謝ってなかったみたいだし……、アンタは暫く店に出るの禁止!」

「そ、そんな!アタシの店なのに……」

「問答無用!客逃がした変態店主に発言権なんて無いわ!」

 容赦のないジェシカの言葉にスカロンは絶句し、助けを求めるように周囲を見回した。
 だが、味方となりそうな人物はいない。ホル・ホースたちは揃ってダウンしているし、従業員の女の子達は今夜手に入るはずだったチップが失われたことで、スカロンに冷たい視線を向けている。普段、妖精さんなんて呼ばれて愛想を振りまいている姿がウソのようだ。

 そんな時、二階に続く階段から誰かが下りてくる足音が聞こえてきた。
 明かりのない闇の中から顔を出したのは、黒いドレスに白いフリルを飾った少女趣味全開な衣装を身に纏った金髪の少女だ。
 緩いウェーブのかかった細い髪を指先で軽く持ち上げ、その先にあるつばの広いドレスの色と同色の帽子に手をかけて顔を上げる。そこには、ほんの少しだけ大人びた雰囲気の吸血鬼が機嫌良さそうに微笑んでいた。

「た、助けてエルザちゃん!娘に下克上を喰らいそうなのよ!!」

 藁にも縋る思いで床を這うように移動したスカロンは、白いタイツに覆われた小さな足に縋りつき、涙と鼻水を溢しながら助けを求める。
 だが、運命の女神は変態には容赦が無いらしい。
 エルザは絡みつくスカロンの腕を振り払い、迷いも無くその顔面を編み上げのブーツで踏みつける。そこに手加減の文字は無かった。

「せっかく新調した服を汚さないでよ、このダメオカマ」

「ひ、酷いわ……。皆、酷い!オカマ差別よ!!」

 顔に足型を作ったスカロンが声高に人権侵害を訴える。しかし、その声は“魅惑の妖精”亭の中に虚しく響くだけで、誰の心も動かせはしない。
 スカロンは、一度暴走したことで、誇り高きオカマからただの変態に成り下がったのだ。
 冷たい視線が集まる中、とうとう耐え切れなくなったオカマは、目元から零れる涙もそのままに走り出した。
 店を飛び出し、通行人を突き飛ばし、裏通りの闇の中へと消えていく。涙の跡を地面に点々と残して去るオッサンの背中を追おうとする者は、とりあえず、一人もいなかった。

「……思わず蹴っちゃったけど、なんかやりすぎちゃったかしら?」

 何で縋り付いて来たのか。その辺の事情もわからずに本能に従って追い払ったものの、なにやら酷く傷ついた様子を見せていたことに、エルザは砂粒一つ分の心配を表に出して首を傾げた。

「いいのよ。どうせ、いつものことだから。どこか行ったのも、オカマの会だとかいう変な集会を開いてる場所に向かっただけでしょ。そこで仲間に慰めてもらってるんじゃない?」

 肩を竦めてそう言うジェシカに、嫌な会があったものだと、聞きたくなかった情報を耳に入れてしまったエルザの表情が嫌そうに歪んだ。

「まあ、変なオッサンはともかくとして……、着替えてる間にわたしの連れが悉く死んでるのはどういう理由よ?せっかく買ったばかりの服を着てお披露目会でもしようと思ったのに、全員意識がどっか逝ってるじゃないの」

 トラウマを背負った地下水は言わずもがな。全身こむら返し状態のカステルモールは肉体の痙攣に伴って走る激痛に声にもならない悲鳴を上げ、ホル・ホースはかろうじて意識を残しているものの、いまいち視線の焦点が合っていなかった。
 アブない薬でも使ってしまった後の末期のような光景だ。

「気にしたら負けよ」

「……それが賢明みたいね」

 ジェシカの言葉に同意して、エルザは近くの空いた席に腰を下ろす。
 先ほどまでは満席だった客席は、どれも空になり、人の気配は完全に失われている。テーブルの上に残された食事の後が、そこがつい先程まで使われていたことを示しているが、それも手の開いてしまったウェイトレスの少女達に次々と片付けられていく。
 その様子を見回したジェシカが、自慢の黒髪に手櫛を入れて溜め息を溢した。

「この分じゃ、今日はもう店仕舞いだね。ウチのバカ親父が暴れたって聞けば、他の客も寄り付かないだろうし。あーあ、一晩分の儲けが丸々パァか」

 心底残念そうにするジェシカにエルザは同情的な視線を送る。
 飲み食いの代金も貰えていないのだから、収支は完全にマイナスだろう。
 そこで、ふと思い立って、エルザはスカートの下に手を突っ込んで中身が一杯に詰まった大きな布袋を取り出した。

「どこから取り出してるのよ」

「いいじゃない、そんなこと。それよりも、今日はもうお客がこないなら、代わりにわたしがこの店を借り切ろうかしら?ちょうど手元にお金もあることだし」

 そう言って、エルザは手の中にある布袋の中身を、じゃら、と鳴らした。
 まるで自分の物のように扱っているが、本来はカステルモールの財布である。ついでに言えば、今エルザが着ている服も、その財布で購入したものだ。
 日光を遮る露出の少ないドレスとつばの広い黒の帽子、細やかな細工の施された手袋に上質な革で作られた編み上げの靴。それに何着かの着替えを足して、約170エキューである。
 平民の一年の生活費を上回る金額を、エルザは服のためだけに使用していた。
 カステルモールの財布の残りは、約700エキュー。半分以上はエキュー金貨よりも価値の高い換金物である宝石類だが、それらを除外しても、“魅惑の妖精”亭を一晩借り切れない金額ではない。
 それがカステルモールの金だと知っているために苦笑いを浮かべたジェシカは、いいのかなと思いつつ、商売根性を優先して楽しそうに頷いた。

「悪くない提案だね。でも一つだけ条件があるわ」

「なにかしら?」

 聞き返すエルザに、ジェシカは片付けをしている“魅惑の妖精”亭の花達を見やって、口の端を吊り上げてニッと笑った。

「ウチの子達も、御相伴に預かれること。それだけさ」

 反対する理由は無い。
 二つ返事でエルザが了承すると、聞き耳を立てていた少女達がわっと歓声を上げた。

「よーっし、出資者の許しが出たよ!今夜は男の相手は無しだ!好きなように飲んで食って騒いで良し!飲み食いした分だけ儲けになるんだから、遠慮したらただじゃおかないよ!」

 どっかで倒れている男が、少しは遠慮してくれと全身の激痛に耐えながら呟いていたが、それをかき消すように少女達は早速騒ぎ出し、ワインセラーから普段飲めないような高級ワインを大量に持ち出し始める。

「前から一度、これを飲みたいと思ってたのよ」

「うわっ、あんたこれ、店長の秘蔵じゃない。幾らすると思ってんのよ」

「好きにしろって言われても……、料理はどうすればいいわけ?調理担当だけ仕事させるのも気が引けるし」

「材料はあるんだから、テキトーに作れば良いでしょ。量だけ作っとけば、調理場に篭りっきりになることもないわよ」

 十数名の女の子が、それぞれに好きなことを始める様子を眺めるエルザとジェシカ。
 ウェイトレスたちは、普段は奉仕する側でストレスも溜まっていたのだろう。美味そうに飲み食べする客達を、内心では羨ましがっていたのかもしれない。その気持ちが噴出して、店内は普段男達が作り出す喧騒に満ちた空間から、高い声と嬌声に満たされた空間へと様変わりしていた。
 楽しそうに普段喋れないことを喋り、高級ワインに舌鼓を打ち、仕事の愚痴を溢したりする女の子達。
 突然のことに若干の戸惑いを見せていた子も場の雰囲気に飲まれ、やがて誰某が惚れた腫れたで茶化し合いを始めたとき、事件が起こった。
 肌に響く乾いた破裂音が、玄関の向こう、かなり近い位置で響き渡ったのだ。
 エルザとジェシカが顔を見合わせ、同じように騒いでいた少女達も視線を交し合う。そこでやっと、表の様子が騒がしいことに気が付いた。

「また喧嘩かしら?」

 ブルドンネ街は裏通りであり、酒を出す店が多い。必然的に、酔っ払いの数は増えて騒動の種が育ってしまう。だから、喧嘩そのものは珍しいものではない。
 しかし、どうにも様子がおかしい。
 普通の喧嘩なら怒鳴り合いの声や、野次を飛ばす別の酔っ払いたちの声が聞こえても良いのに、それが無いのだ。
 エルザの鼻がスンと鳴り、玄関の向こうから漂ってくる僅かな匂いを嗅ぎ付けた。

「流血沙汰、みたいね」

「え、本当かい?じゃあ、人を呼ばないと……」

 玄関から出ては危険だと思い、ジェシカは裏口から衛士を呼ぼうと歩き出す。だが、手袋に包まれた小さな手が、ジェシカのスカートを掴んで引き止めた。

「待って」

 振り向いたジェシカに、エルザは首を横に振って自分を指差した。

「わたしもホル・ホースも、人を呼ばれるとちょっと困る事情があるのよ。表はわたしが見てくるから、少しだけ時間を……」

 たった10エキューの賞金だが、お尋ね者であることに違いは無い。衛士が来て面倒なことになっては困る。
 そう考えたエルザが言葉を終える前に、女性の悲鳴が“魅惑の妖精”亭の玄関の向こうで響き渡った。

「なんか、やばそうな感じだよ」

 スカートを握るエルザの手を取り、ジェシカは首を横に振る。
 トリスタニアの治安はハルケギニア全土で見れば良い方だが、それでも突発的に起こる喧嘩によって人が死ぬことは少なくない。
 危険だと伝えようとするジェシカの頬を撫でて、エルザは柔らかく笑った。

「大丈夫よ。夜の吸血鬼は、そこらの連中よりもずっと怖いんだから」

 見た目からはとてもそうとは思えない。だが、それでジェシカは納得したのか、エルザの手を放して心配そうな視線を送る。
 人に心配されることなんて滅多に無いエルザは、ジェシカの視線に少しだけ恥ずかしい気持ちを抱いて歩みを進めた。
 騒動は終わっていない。羽扉を開ければすぐに現場だろう。
 身長の関係から視界を塞ぐように閉じている羽扉に手をかけて、エルザはブルドンネ街の通りに顔を出した。
 次の瞬間、エルザの目の前が真っ赤に染まった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー